FC2ブログ
≪ 2019 12   - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 -  2020 02 ≫
*admin*entry*file*plugin
リプレイ記:星を追う者たちの記事一覧

『Mimic』(4/4) 

 それは、ため息の出るような眺めだった。
 ぼくは実際、張り詰めた冬枯れの夜の空気に、弦楽器のはじめのひと鳴きのようなため息をこぼしていたと思う。
 窓から投げ出すその仕上げまでにずいぶん骨を折ったが、この有り様はぼくの疲れをねぎらい、なだめ、後方へ押し流していった。

 「それ」は風に身を任せ、静かに揺らせて闇夜にたゆたっている。

 流れる血は上肢に絡まっている。
 ぼくはまたほう、とため息をつく。

 肉を裂けば血が流れる。
 乳色や桃色をした臓器が顔を覗かせる。
 当たり前の事だ。

 その当たり前の事が、どうしてこれほどに心を慰むのか。
 どうしてこの夜、何にも代え難いものとして映るのか。

 ぼくの見つめる視線の先で、また一筋の血が流れ、男の右の上腕を伝って前腕を越え、手指にまとわりついていった。
 その生き物さながらの動き。
 生きているのだ。
 いいや、実際は死んでいるのだが。

 生命は死によって逆説的に生の証明を果たす。
 死がなければ、己は生きているのだとどうして胸を張って言えよう?

 窓から吊るした男の身体を、ぼくは朝までだって飽く事なく見つめていられただろう。
 だってその時はじめて、息をしているような気がしたのだ。
 ぼくの息はずっとずっと、喉の奥の底のほうで止まっていた。
 そう、こうして目を閉じれば、その時の大いなる安息を思い描く事ができるほどには、長い間見つめていたはずだった。

 だが、目の前の女性がぼくの幻想の邪魔をする。

「……同じ音が聞こえている?」

 ぼくの言葉に、彼女は首を振って返した。

「長いあいだ沈黙をまもって、神の娘にしていたきみと、同じものはみえないし、きこえないよ」

「そう。君には聞こえるかと思ったのに。この鐘の音が」

「鐘は鳴っていないよ」

「間違っているよ。鳴っていないのではない。いつでも鳴っているんだ。今も、まどろみの朝も、血を流す夜もね」

「……シスター」

 彼女は少し困ったように眉根を寄せた。
 頑是がんぜない子供のわがままを聞き入れる時の、母のような仕草だ。

「きみがしたことを、私はしってる。なんでそう推理したのか、ききたい?」

「別に興味はないよ。君が、どんな人かっていう事のほうに興味があるな」

「時間稼ぎ……、でもなさそうだね」

「教えてよ、君の事。何を愛して生きているのか、何がしたくて生きているのか」

 きっと知ってしまえば、ものの半刻で飽きて忘れてしまうのだが。

「私のことを話すかわりに、きみのことをおしえてくれる?」

「いいよ。ふふ、交換だね。とても対等だ。いいね」

「そう、対等な取引だよ」

 彼女の優しい声音が、自分の事を語りはじめる。

「――、――――――」

 彼女はつまらない話はしなかった。
 すなわちどこに住んでいるのかとか、歳はいくつだとか、可読についてだとか。
 ぼくの知りたい事を、彼女を形作る本当の要素を、切り出して教えてくれたのだ。

 ぼくはうっとりと目を閉じ、彼女の美しい献身に応える形で、自分を差し出さねばならないと感じた。

「なにが知りたいのかな。なにを話せばいい?」



「はじめ。そう……どこがはじめなのかな。ぼくにはそれが分からないんだよ」

「……幼いきみの話を」

「幼いぼく。その朝の目覚めが、いつも殴られる痛みから始まっていた事を話せばいい?」

 彼女はわずかに表情を苦くしつつも静かに頷いた。

 母がいなくなってから、父は頻々ひんぴんとぼくに暴力を振るうようになっていた。
 朝、身体の傷みで目を覚ますと、寝床のそばに立つ父は黙ってこちらを見下ろしていた。
 折檻せっかん用の木の棒を持って。

 ぼくは父より早く起きて、殴られずに済むように作業場に立つようにしたのだが、そうしたら今度は寝床から妹の悲鳴が聞こえるようになった。
 だからぼくは明け方にはどうしたって目が覚めていたけれど、眠っているふりをして身体を丸め、父とその暴力とが訪れるのを待つ時間を過ごした。
 一日のほかのどんな時よりも、長い、長い時間だ。

 父が狩の最中に追い立てた牡鹿の返り討ちにあって――ぼくは猟師見習いだったが、たまたま同行していなかった――死ぬと、ぼくと妹のカリーナは教会に預けられた。

『ふたりとも、とても真面目な良い信徒だね。神は君たちの信仰に応え、お救い下さったのだよ』

 司祭様の言葉にカリーナは頷き、ぼくも黙って頷いた。
 どんな相手にも口を利いてはならない教会の掟があったが、暴力の痛みと恐怖が遠ざかった事を思えば、そんな事は少しも苦ではない。

『それにしても……きみはそんなにあの鐘楼が好きかい。いつも見ているね。
 あの鐘楼は、いわくのある建物だ。ウルダーン大公サウルの話は知っているね? あの処刑の時から、あそこは閉ざしているんだよ。もう一〇〇年になる。近づいてはいけないよ』

 ぼくは頷かなかった。
 ある雪煙の宵、ぼくは寝床を抜け出して、鐘楼にのぼった。
 教会の物置に鍵があるのは知っていたし、それを持ち出すのは鳥を狩るより容易な事だ。

 鐘楼には風の通り道があったから、覚悟していたほど汚れてはいなかった。
 螺旋階段をのぼると、その大鐘が姿を現した。
 大公が処刑されたのち、彼を想って宮中お抱えの職人だった者が作ったのだと、聞いた事があった。
 その細工の美しさ、その威容。

 その音は低く、高く、広くホーに鳴り響いた。
 これは狼のいななきだ。
 孤高の王のそれだ。

 民に裏切られ、処刑された大公の姿が瞼の裏に流れ込んでくる。
 腹を裂かれ、目玉を抜かれ、血を流して身体を揺らす王の姿。
 ぼくはため息をついた。

『近づいてはいけないといったのに。だが、鐘は美しかっただろう。あの音も』

 ぼくは頷いた。

『では、きみの日々の仕事にしなさい。夜中に外をうろつく危険を冒されるよりはずっといい。朝、昼、夕の鐘で、ホーに時を告げるのだ』

 ぼくは頷き、それから鐘をつくのがぼくの仕事となった。

 ある朝、ぼくの机から鐘楼の鍵が消えた。
 自分を見失いそうになるほど取り乱した。
 鐘楼へ行くと扉は開いており、鐘のあるてっぺんの部屋にのぼると、カリーナが首を吊って死んでいた。

 ゆったりとした修道女のドレスのおかげで、今の今まで、ぼくはもちろんほかの誰も気が付いていなかったが、

 妹がここで死んでいたのは、ぼくに見つけてほしかったからにほかならない。
 ぼく以外の誰にもこの姿を見られたくなかったのに違いなかった。
 ぼくは梁から遺体を下ろし、引きずって階段を降り、誰にも見られないうちに森へ連れて行って、ケシの花の下に埋めた。
 鐘楼の鍵は、カリーナの服から取り戻した。

 ぼくは、川面に移る時分の姿に頷いた。
 もともとよく似た顔の兄妹だ。
 修道女の服は――カリーナがそうしていたように――身体の線を隠すし、ヴェールの下に被るコイフは喉元を覆ってくれる。
 そうしておいて、よその大きな街へと旅に出る「ぼく」の置き手紙をしたためた。

 若者が街を出ていく事は当時も今もよくある事だったけれど、女がそうするのはまずない事だったから。
 いなくなるのはぼくでなければならなかった。
 そうしなければ、妹を、遺体を探されてしまう。

 以前に増して人との関わりを避け、祈りに時を費やし、鐘楼へのぼり鐘を撞くぼくを、人々は兄の面影を追う妹として哀れみ、そっとしておいてくれた。
 湯浴みの時をどうやり過ごすかも、無用の心配だった。
 腹を隠すため、妹にはもともと一人で湯浴みをする習慣があり、周囲もそれを虐待の痕を見られたくないゆえのものと理解してくれていたのだ。

 もしかしたら、司祭は。
 何か気が付いているかもしれないと思わせる素振りもあったけれど。
 問い質されたりはしなかった。
 その優しさに、感謝が全くないわけではない。

 冬が過ぎ、春が駆け、同じ日を幾日も重ねるにつけ、前よりもずっとくっきりと、吊り下げられる大公の姿は瞼に鮮明に映るようになっていた。
 ぼくは同じように吊り下げられた自分の姿を想像してみた。

 ――不完全だった。
 死体の腹は裂かれていない。
 そう、自分で自分の腹を裂いてから首を吊るなどできるわけがないから。

 そこで脳裏に現れる死体の顔は、司祭だったり、農家の主人だったり、決まった曜日に礼拝に来る老婆だったり、妹だったりした。
 彼らはみな腹から血を流している。

 あの時、そうしておけばよかったのだ!
 妹の姿を見つけた時、腹を裂いておけば。
 血を流すカリーナの姿が、彼女の生も、ぼくの生をも肯定してくれただろうに。

「だから、君たちが来なくても。聖杯が戻ってこなくっても。ぼくはそのうち、したと思うよ」

「……聖杯の血は、きみが?」

「大公がそうしていたと知ってからの思いつきだよ。でも、よくはなかった。ひどい味とにおいで、とても飲めたものじゃなかったよ。血は、流れるのをただ見ているほうが好きだ」

「どうして詩人と雑貨屋の娘だったの?」

「二人とも好ましい人だったよ。詩人の詩は美しかったし、娘は会話のできないぼくにもよく話しかけてくれた。熱心な信者だったよ。
 詩人は自殺を仄めかしたら慌てて飛んできたし、娘のほうはさすがに鐘楼には誘えなかったから、教会の裏庭で殺したんだ」

「……娘のほうの臓器の大部分がなかったのは、鐘楼に運ぶため?」

「そう。君はやっぱり、全部分かっているんじゃないか。頭のいい人は好きだよ、とても」

 月明かりの差し方が変わってしまったようで、彼女の表情はよく見えない。

「ぼく、これからどうなるの」

「……きみも自分にあたえられる処罰のことが気になったりするの?」

「少しはね」

「私たちは警備隊から依頼をうけただけだから、正直なところわからないよ。
 ただ、教会裁判にはなるかも。きみが神の徒であることは事実だから、そうなったらそんな理由でも死罪にはならない」

「ふうん……」

 聞いてみたはいいけれど、やはり他人事のようにしか感じられなかった。
 目の前の彼女は、緩やかに踵を返している。

「もう行くの」

「きくことはきいた。下に警備隊の人をまたせてる……きみはここでまってて」

 こちらを向いた無防備な背中に、ぼくはナイフを振りかざした。

 空を切る音は一瞬だった。
 ずばん、と。
 鋼の刃が肉を穿つ音がわずかに響いた。

 ぼくは目を剥いて、壁の暗がりから現れた少年と、自分の右手から流れる血を交互に見つめた。

「悪く思わないでね……ってか、むしろそれくらいで済んだ事を感謝してほしいね。そのままターニャに斬りかかってたら、君は死んでた」

「ひとぎきのわるい……するはずないでしょ。そもそも私ができるわけないし」

「大事な証人だからね、ちょっとからかっただけさ。全然効いてないないみたいだけど」

「まぁ、彼にはムダだろうね。ただ、そこから身をなげる可能性はあるから注意してあげて」

「行っちゃうの……」

 彼女はこっちを見てくれた。
 その瞳の、静かな色。

「私の血がみたかったの?」

「うん。見せてくれる?」

 彼女は静かに首を横に振る。
 やはり優しく諭すような声色はそのままだった。

「そうするときみは次をさがしちゃう」

 彼女は扉に手をかけて、肩越しにぼくを見つめている。

「求めても求めてもみつからない『次』にくるしむより、ずっと私のことを想っていればいい」

 ぼくは目をすがめ、彼女の身体から赤い液体が流れ出し、床に小さく溜まるところを思い描いた。
 深く呼吸をする。
 ああ、そうだ。
 それだけでぼくはこれから先、生きていく事ができるだろう。

 彼女が血を流す、その幻想だけで。



 夜が明け、ホーに三日ぶりの静寂の朝が訪れた。
 二夜連続で行われた惨殺事件は犯人である教会のシスターが捕縛された事で終息した。
 警備隊より報酬が支払われ、これで『星を追う者たち』の仕事も完遂となる。

「それにしても、今回はターニャのお手柄だよね」

 『星を追う者たち』は警備隊が用立ててくれた馬車を引いて歩き、ホーを離れようとしていた。
 ひとまず目指すは舗装された中央行路だ。
 地図を描いてくれたらいいと断るのを押して、『近道を教えるから』と、依頼を持ってきた警備隊の隊員が見送りにきていた。
 冒険者たち――特にターニャにはずいぶん恩義を感じているようだった。

「私はただ情報をまとめただけだから」

「謙遜しなさんなって。情報をまとめ上げて真実に辿りつくってのはそうそう簡単にできるものじゃないさ」

「だよねぇ、いつもその役目をやってたレギウスはダウンしてたからねぇ」

 ちらりとカイルは話題に出したレギウスを見る。
 あの後、ターニャが集めた情報の山に埋もれるようにして、レギウスは眠っていた。
 丸一日ほとんど動かず横になっていたおかげか、すっかり熱は引いているようだ。
 しかしその表情は晴れず、ずっと何事かを考えこんでいる様子で、何を話していても上の空だ。

「でも、結局よく分からなかったなぁ。どうして彼は二人も殺さなきゃならなかったんだろ」

「そうですね。私の目からは彼女……いや、彼か。彼は敬虔な神の徒に見えていました。かつて受けた苦しみに対する怒りや復讐の気持ちが、おかしな方向へと走り出したのでしょうか……」

 警備隊の青年は何ともいえない表情で目を伏せた。

「それにしても、謎が残ります。あのような凄惨な所業、かつてのホーの民衆でも、義憤という免罪符を持った上で、集団でなければ成し得なかった。それが、あんなに冷静に、あんな事を……一体、なにが彼をそこまで――」

「――さあね。わからなくていいんじゃないかな。そんな心理なんて。手をくだした人物とその手段がわかった。それだけで充分だよ」

 遮るように言ったのはターニャだった。

「ターニャは彼とどこか通じたような感じがあったんだけど」

「……どうかな」

 彼女は当のシスターと面と向かって会話をしている。
 だが、そんな彼女からみても彼の心情は、本心は、理解できていない。

「でも、もしかしたらレギウスなら……会話をしたのが彼なら、なにかつかんだのかもしれない」

 しかしそうはならなかった。
 シスターと会話したのはレギウスでなくターニャだった。
 その時点で、この話はお終いなのだ。

「……、」

 レギウスはそんな会話にいっこう無関心だった。
 ぶつぶつと何事かを呟きながら歩き、かろうじて転んだりはしていないが、足取りは危なっかしい。

「ホーの人々もショックを受けているだろうな。殺人を犯していたのが聖北教会のシスターで、それも男だったなんて」

「『大公の亡霊の仕業』と言うよりは実体があるだけマシだとは思うけどね。少なくともこの先は怯えなくていいじゃん」

「教会の信用がおちなければいいけど。もっとも、むずかしい話だとは――」

 その時、レギウスが急に立ち止まった。
 前方に障害物があるのかと考えたが、カイルが目を凝らしても変わらず木々がそよいでいるだけだった。

「レギウス? どうしたの?」

「――チッ」

 レギウスは答えず、踵を返してもと来た方向――ホーの街――に向かって駆け出していく。

「ちょ!? 待ってよレギウス! いきなりどうしたんだよ!」

「おかしいんだよ。絶対におかしい。ずっと考えてたが、どうにも腑に落ちねェんだよ!」

「な、なにが!?」

「――!?」

「は? 鐘?」

 レギウスは走りながら、ポケットに入れていたくしゃくしゃの羊皮紙を取り出した。
 それはターニャが書き写した、警備隊の青年から聞き出した証言だ。

「最初の吟遊詩人の死体が出た日の朝だ。発見した主婦の悲鳴に被さるようにして鐘が鳴ってやがる。誰が鳴らしたってんだ?」

「だれって……あのシスターしかいないでしょ? あの現場にはいれたのは彼しかいないし、協力者もいなかった」

「どうして鳴らす必要がある?」

「……あ、」

「彼が、自分が現場にいた事を街中の人々に知らせるか? 扉にあんな細工をした意味がなくなるのにだ」

 人を殺した現場で自らの存在を知らせる犯人はいない。
 そしてシスターの殺人に協力者がいなかったのだとしたら。

「最初に話を聞いた時から引っかかってはいたんだ。血まみれの現場で窓から吊るされた死体があるにも関わらずに鐘を撞いた奴がいたとしたら、そいつが犯人だと思ってた。
 だがそうじゃなかった。違いねェよな? シスターが鐘を撞いたんじゃ辻褄が合わねェ」

「……、警備隊はどうかんがえてたの?」

 推理の穴を指摘された気がして、ターニャは思わず警備隊へ話を逸らした。
 いきなり話を振られたほうもただ慌てるばかりで、

「それは……不思議な現象の一つとして、あまり深くは……遺体の有り様のほうがずっと不思議でしたし、それこそ大公の亡霊かもと」

 その説はレギウス自身が真っ先に否定していた。
 だからこそ警備隊の青年も言い出せなかったのだろう。
 誰も気にも留めなかった。

。いや、正確には遺体を殺し、吊るしたのはあのシスターだ。それは間違いねェ。だが、大公の亡霊ってのもあながち否定しきれねェかもな」

 あぜ道を走り抜け、つい先ほど出立したばかりのホーの外れが見えてきた。
 木々の合間からは鐘楼の尖った屋根がちらついている。

「ちょ、ちょっと待ってください! 馬車は、馬車はどうするんです!?」

「オマエが残れ!!」

 背後から青年がまだ喚いているのが聞こえたが、レギウスは一度も振り返らず駆けていく。

「……そう、不思議だったんだ。、ホーの人間は大公の事を恐れながら敬っている。彼の使った杯は大事に保管し、聖遺物とした。それなのに、大公が持っていたはずのもっと印象的な所有物はあれっきり出てこねェ!」

「もっと印象的な? レギウス、それって……」

「ホーから失踪したのは鐘撞きの少年だけじゃねェ。もうひとつあるだろ」

 もはや見張る者とてない鐘楼に辿りつき、レギウスは螺旋階段を駆け上がり始めた。
 少し遅れてステラたちが追う。

「一〇〇年以上を眠って過ごし、ある夜に少年に目覚めさせられた。少年の意識に繰り返し死のイメージを滴らせ、幻想という種を蒔き、狂気が育つ土壌とした」

 レギウスは視線を上に跳ね上げ、そこにあるはずのものを睨めつける。
 ようやく長い長い螺旋階段が終わりを告げた。

「祖国から持ち出された事を呪ってやがるのか? それとも……」

 開けた頂上には昨晩と変わらず、鳴らす者のいなくなった大鐘があった。
 レギウスはその鐘をまっすぐに見据え、【理知の剣】を突き付けて言い放つ。

「――己の持ち主だった大公を思う気持ちが、オマエにはあったのか?」

 一拍遅れて頂上にたどり着いたターニャは、荒い息を整える暇もなく口を開いた。

「それって、大公が東の国を侵略したときにもちだした、っていう……あの、剣……?」

『かの国の神話に見いだされる剣なのだ。死者を裁く冥府の番人が持つ剣なのだ、と言って、肌身離さず、飽くことなく、翡翠の刀身を覗きこんでいる』

『我が君が見つめているのはいつも剣』

 そう、宮廷画家の私小説にも記述があるように大公サウルが暗君へと転げ落ちるきっかけとなった剣が、その後一切記述がないのだ。
 
『鐘は年月を経て劣化します。音は軽くなり、本来の響きを失う。ですがこの鐘は、最後に交換されてから一〇〇年以上、響きを失っていません。これは、そう……大公サウルの死を悼んだ名工の手による作品だったと思います』

 鐘楼を警備していた男はそう語っていた。
 だが、どの蔵書にも明確な鐘の出自は存在しなかった。
 一〇〇年を越える骨董品同然の鐘がまったく響きを失わずに在り続けられるほどの逸品を、誰が手掛けたのかも明らかでない。

「構えろ。来るぜ」

 そよぐ風が、早朝の青葉の匂いを運んでくる。
 しばらく睨み合いとなったが、静かで何も起きない。
 もしかしたらレギウスが思い違いをしているのではないか、とみなが疑いかけたその時。

 ――空気が、揺らいだ。

 ごうううん。
 ごううううううん。
 ごううううううううううん。

 思わず得物から手を放して耳を塞いでしまいたくなるほどの、大鐘の大音響。
 狂ったように鳴り響くそれは、やがてその輪郭をけさせるほどに暴れ狂い、一振りの剣へとその身を変じさせた。
 中空に浮かんだ剣は切っ先をもたげ、狙いを定めるように揺れている。

「意志をもった剣……!?」

 思わず声を出したターニャに向かって、剣が飛んだ。
 ゾンッ! と風を切り裂く音がやけに遠くから感じられ、直後に鳴り響いた金属音に掻き消される。
 目の前に差し出されたマーガレットの大鎌が盾となり、その一閃を防いでいた。

「ほう、結構やるじゃないか。まるで達人が繰り出すそれだ」

 剣を払いのけると、マーガレットは後衛の前に立ちはだかった。
 続けて繰り出される剣閃はまるで蛇のように肉を求めてまとわりついてくる。
 まるで透明な人間が繰り出すような技の冴えに加え、しかしその軌道は本体である剣以外は物理的な干渉を受けないため、やけにしつこく攻めてくる。

「それぇ~~~!」

 横合いからステラの槍が剣を弾き飛ばす。
 吹き飛ばされる剣であったが、すぐに中空で制御し、同じ『構え』で切っ先をもたげた。
 やはりというか、物理的な攻撃は効きづらい様子だ。

「鋼が相手じゃ僕の出る幕ないじゃん……あと火光獣ポチも」

「オマエは隅で黙って見てろ」

 本来は後衛であるはずの魔術師レギウスは、それでも前に踏み出す。
 もともと前衛メンバーの少ない『星を追う者たち』ではこういった光景は珍しくない。
 だが身を危険に晒さなければ得難い効果を期待すればこそ、彼は命を張るのだった。

「何を呆けてやがる」

 レギウスの言葉は、ほかでもないターニャに向けられていた。

「……え、と」

「――歌えよ。場を盛り上げろ」

 それは簡潔すぎる指示だった。
 レギウス自身、ターニャがどんな種類の呪歌を修めているかなんて知りはしない。
 しかし彼女が日々の研鑽を怠って、他人の力にばかり頼るような性格でない事は重々承知していた。

「――♪ ――♪♪ ――♪♪♪」

 ターニャは歌う。
 普段の彼女からは想像できないほどに力強く、透き通る声で。
 魔力が織り交ぜられた歌声は心持つ者の精神に訴えかけ、劇的な変化をもたらす。

 【戦神の歌】。
 戦神に向けた讃美歌にして、猛々しさを端々に滲ませる闘いの音楽だ。
 心を持たない剣には単なる振動でしかないそれは、『星を追う者たち』の魂を震わせる。

「こういう手合いには駆け引きなんざ必要ねェ。叩いて叩いて叩き潰す――!」

 呪歌の支援を受けたレギウスは高らかに宣言した。

「《貫き砕く光の波動、輝きを散らして流星の如く数多に降り注げ》、――《弾け》!」

 【理知の剣】によって最適化されたレギウスの詠唱が結ばれる。
 無数の魔弾を撃ち出して辺りを一掃する【魔法の散弾】と呼ばれる術式だ。
 唯一の相手に使うには大味すぎる術式だが、広範囲にバラまかれる魔弾は避けづらく、被弾すればそれこそ次の術式の時間を稼げる。

「《慈悲なき鋼の桎梏、かの獣の爪牙を封じよ》――《結べ》!」

 次いで放たれたのは、幾条もの半実体の鎖であった。
 維持できる時間は短いものの、広範囲の対象を絡めとり呪縛する事ができる、その名も【魔法の鎖】。
 魔術の都トレアドールでは初歩の術式として伝えられているが、使いどころさえ誤らなければその威力は十全に発揮される。

「《雷霆紡ぐは捕縛の鎖、羅形らけいはしるは痛苦の紫電》……」

 詠唱の合間に、レギウスは視線だけでマーガレットに指示を飛ばす。
 呪縛しているうちに叩け。
 声なき指示に頷いたマーガレットは、強く地面を踏みしめ、大鎌を構えなおした。

「ふっ――!!」

 緊張からの解放。
 目にも止まらぬ速さで大鎌を叩きつけられた剣は大きく跳ねて鐘楼の壁に激突し、軋んだ音を立てた。
 【収穫】という死神の技ではあったが、本来であれば霊や死者たちに致命的な一撃を与える無慈悲な技である。

「こいつはおまけさ」

 続けざまにマーガレットは高々と右手を掲げ、パチンと指を鳴らした。
 それを合図に、頭上に禍々しい刃が創造される。
 無骨なまでのその刃は肉厚で、正しく断頭台のギロチンであった。
 【悲哀の鉄】と呼ばれるそれは処刑魔術であり、血肉持つ者に対して絶大な威力を誇る術式だが、単に重量のある鋼を叩き落されれば同じ鋼である剣はひとたまりもない。

《狩人の叫びは、焼き焦がす牙を剥かん》……」

 レギウスの詠唱の狭間に、頭上のギロチンが落とされる。
 激しい鎖の鳴き声は騒々しい事この上ないが、剣の悲鳴もひと際大きなものになった。

「――《掴み蝕め!》」

 ついに結ばれるレギウス三度目の詠唱、放たれたのは横に飛ぶ稲光であった。
 ギャガガガガガガガ!! と金属が激しく擦れるような不快な音を立てながら剣は振動する。
 【雷鎖の呪縛】という上級術式を用いて、レギウスは半実体の鎖に重ねるように雷撃による呪縛を重ね合わせた。
 雷鎖は対象を拘束すると同時に継続的な雷撃を与え続ける悪夢のような性質を持つ。

「ステラ」

「は~い?」

「オマエが決めろ」

「がってぇ~~~ん!」

 ぱあっと表情を明るくしたステラは、槍を逆手に持ち変える。
 右手で柄を握り、左手はそっと添えるのみで、その切っ先は対象である剣に向けられていた。
 ぐぐぐ、と力を溜める彼女の掌から、淡い光が槍へと伝播する。

「せぇ~~~、のっ!!」

 跳躍、からの投擲。
 淡い光を帯びた槍が、尾を引いて標的へと突き立った。
 爆発的な金属音が鐘楼の中の空気を叩き、物理的な衝撃として一帯を薙ぎ払う。
 それとどめとなったのか、激しく火花を散らした剣は力なくその身を放り出し、そのまま音を立てて床に転がった。

 もはや禍々しい光は発しておらず、物言わぬ一振りの剣と化している。
 それとほぼ同時にターニャの歌も終わり、鐘楼には再び静寂が訪れた。



 朝方に馬車を捨てて駆け戻ってきたあぜ道を、レギウスたちは再び歩いていた。
 昨日に比べ、刺すような冷気はいくぶん弱まっているように感じる。
 中央行路まではそう遠くはなく、そこからは馬車の旅に切り替えられる。

 行きのように大事な荷物を守ってもいない。
 気楽な旅になるだろう。

「鐘楼から忽然と消えた大鐘……って事になるよね?」

「シスターが殺人をしていた事より、そっちのほうがホーの人々を恐怖のどん底に陥れるんじゃないかって気はする」

「……、なんとかきちんと説明できるよう善処します」

 気楽な部外者たちに対し、街の人間である警備隊の青年は声こそ震えていなかったが、青ざめた顔をしていた。
 
「いま思うと……私は、シスターを捕らえた時、心の底から安心したんです。この恐ろしい事件を起こしたのが、私たちと同じ街の、ただの人間であった事に」

 震えそうな身体を必死に抑え込んで、青年は言葉を紡ぐ。

「でも……その行いの裏側には……あの時代を、我らのあの所業を知るものの意志が……神に近い存在の、意志が……」

 それ以上は耐えられず、青年の唇はわなわなと震えた。
 年若い彼は、おそらくホーの人々の中でも過去の所業に縛られていないほうの人間だ。
 だからこそ、事件の背後にいるのが人間であると冷静に判断を下し、冒険者に依頼を持ってくる事ができた。
 そんな彼がこの様子では、真実を知ったホーの人々はどうなってしまうのか。

「ホーの人間が恐怖に震えてんのは、過去の行いに対する罰をその身に受けちゃいなかったからだ。最初のショックが去りゃ、相応の罰を受けたと考えるようになる。かえって安心するだろうぜ」

「レギウス……」

「個人的にはそんな考え方は反吐が出るが」

「……珍しく殊勝な発言だと思った僕が馬鹿だった」

 レギウス、というか冒険者たちにとってはホーは単に依頼で立ち寄った街に過ぎない。
 その過去にどんな狂気が眠っていようが、その身に降りかからなければ関係のない事だと済ませられる。
 特別な事なんて何もない、ゆえに変わらない。
 ブレずに自分を正しく保つというのは、大勢の他人と関わらざるを得ない冒険者にとっては大切な素養だ。

「その……、あれ、は。皆さんが戦ったというあれは、もう本当にいないのでしょうか」

 恐る恐るといった様子で、青年は訊ねた。
 もしかしたら化け物を打倒した冒険者もまた化け物に見えているのかもしれない。

「雲かすみのように消えたという事でしたが……」

 無言のレギウスが頷くのを確認し、青年はその顔に安堵の色をにじませる。

「そう、ですか……終わった事には、違いないのですね」

 気がつけば中央行路に差し掛かっていた。
 ここからは馬車に乗り込み、危険も少ない中央行路をゆったりと移動できる。

「では皆さん、私はここで。……旅の無事をお祈りしています」

「いろいろお世話になっちゃったね。馬車のことも、ありがとうございました」

「あはは……本当に、先ほど馬車と一緒に置いていかれた時はどうなる事かと……」

 ターニャは気の毒な事をしてしまったとばつが悪そうな表情をしていたが、原因を作ったレギウスは素知らぬ顔をしていた。

「レギウスさんは本当に、マイペースというか……でも、凄いお方ですね」

「あんまり褒めないほうがいいよ。こいつ風邪引いて寝込んでた癖においしいところだけかっさらっていっちゃう奴だから」

 うるせェよ、とこの時ばかりはさすがのレギウスも反応した。

「凄惨な事件もありましたが……皆さんが再び立ち寄りたいと思うホーであればいいと思います。私も尽力します。もしおいでの際は、詰所にも顔を見せてくださいね。……では」

 警備隊の青年――ついに名前を聞くのを忘れていた――は去っていった。
 これからも貧乏くじを引く星回りにありそうな青年だった。

「さて……レギウス、それどうするの?」

 件の剣はレギウスの手にあった。
 こうして陽光の下にあれば、細工は美しいが何の変哲もない普通の長剣に見える。

「さぁな。その辺に放り出してきていいモンでもねェだろ。ホーに置いておくのは少なからず危険だ」

「……いーけどさぁ。その剣に魅入られてるんじゃないよね?」

 レギウスはすぐに答えなかった。
 ぱちぱちと目を瞬かせてカイルを見つめ返し、その唇が弓なりに笑んだ。

「だったらどうする?」

「逃げる」

「逃がすか馬鹿」

「なんで追いかけてくるつもりなのさ!?」

 ぎゃあぎゃあと叫ぶカイルを背に隠し、ターニャは無言で窘める。

「もう、おとなしくしてて。熱がぶりかえしちゃうよ」

「チッ。まぁ、俺もこんな寒すぎる街はもうごめんだ」

 レギウスはとっとと馬車に乗り込み、後は任せたとばかりに足を組んだ。
 あれでも一応は病み上がりだし割と大きめの馬車なので誰もツッコミは入れなかったが。

「そういえば、しってる? 真冬のホーには『氷竜の吐息』とよばれるダイヤモンドダストが吹くんだって」

「真冬にわざわざホーに来るのは苦労しそうだ」

「ホーで冬を越せるくらいの休暇が過ごせるよう大金を稼がないとね」

「うわー、何年かかるんだよ。それ……」

 一仕事終えた解放感からか、彼らは他愛もない会話に興じる。

 彼らの歩む道はどこまでも続いていく。
 時には蛇行し、時には頼りなく狭まり、時には折り返す。
 その先に何が待ち構えているかなんて知る者はいない。

 だが、それでも。
 『星を追う者たち』が揃って真冬ホーの街を訪れる機会は、今後一度たりとも訪れなかった。

「……ところでレギウス。ひとつ聞かせてほしい事がある」

 ほかの連中に気づかれないよう、声を潜めてマーガレットは訊ねた。

「ステラの放ったの事だ」

「……、気づいてやがったか」

 ステラの放ったとどめの一撃は【浄化の一突】という技であった。
 浄化の力を宿した槍で神速の突きを見舞う、ステラ独りではとても繰り出せないほどの神技。

「ボクはね。あれとよく似た力を知っている」

「……、」

「何しろ、ボクが仕込んだんだからね。

 そう、が支えていなければ扱えないほどの威力を秘める技だった。
 彼女の槍の技術は護身用にとマーガレットが手解きしたものに他ならず、大鎌の技を教えた記憶はないし、ステラが別の誰かに師事した事もない。

「君はあの日、ベルは死んだと言っていた。あれは嘘だったのか?」

「……いいや」

「そうか――いや、だとすれば。もしかすると……君でも手に負えない事態になりかかっているんじゃないのか?」

 レギウスは頷かなかったが、その無言の表情が肯定を示していた。

「……聞かねェのか」

「何を?」

「妹がどうなったのか、だ」

「まぁ……だいたい予想はついてるさ。だが、確信がない。確信を得るには君を糾弾しなくちゃならない」

「……、」

「これでも、ボクらはいい関係を築けてきたと思っているのさ」

 沈黙が流れた。
 気がつけば、他の連中は静かに寝息を立てている。
 ステラもその一人だ。

 近頃、ステラはよく眠るようになった。
 ともすればもう目が覚めないのではないかと肝を冷やすほどに、だ。

「新緑の時期になったら――」

「ん?」

「もう一度『あの場所』へ行く。そこで話してやるよ」

 まさかあのレギウスがこうも素直に話そうとするとは。
 マーガレットは目を瞬かせて、そして柔らかい笑みを口元に湛えて頷いた。

 彼らの道は雪の白から木々の緑へと移り行く。
 運命の分水嶺、ロスウェル五月祭へと手繰り寄せられていくのだった。



【あとがき】
『星を追う者たち』Lv5のシナリオは柚子さんの「Mimic」です。
猟奇的殺人事件とその裏に隠された街の過去を巡って冒険者が『探偵』を行うシティアドベンチャーなシナリオです。
ファンタジーな世界観であってもしっかりと現実が守られていて、種明かしの瞬間に思わず手を打ちたくなります。
とはいえ謎自体は参謀PCがガンガン推理を進めてくれるので一緒に証拠を集めて渡して、次に参謀はどう出る? と読み物系の楽しさも味わえるので一粒で何度も美味しいお話です。
なんといっても情報整理画面のインターフェースは、当時NEXTを触れ始めた筆者にとっては衝撃的でした……

とにかく参謀PCがかっこいいシナリオという印象が強かったため、星追リプレイではあえて少し外してみました。
ターニャがものすごくメモ取っていましたが、彼女は吟遊詩人かつ創作者なのでこのくらいは朝飯前で、小説ではお見せできませんがめちゃくちゃ達筆です。
それこそあんな状態のレギウスが安楽椅子探偵できるほどに。

さて、『星を行う者たち』の冒険もLv5となり、すでにソロも済ませてあるので『星を追う者たち』としてのリプレイは一応の完結となります。
この先は本編中でも語られる通りレギウスの故郷でありステラとマーガレットにとっても因縁の地、深緑都市ロスウェルを訪れて五月祭の事件に巻き込まれていきます。
ステラの身体に起こり始めた異変とマーガレットの妹に関しては『ウーノの追想』を参照されてください。

『星を追う者たち』はセカンドパーティという事もあって、あまり明確な目的もなく、単に「『月歌を紡ぐ者たち』ではできないシナリオをやろう」というコンセプトで始まりました。
その中心となるのはやはりレギウスで、彼の魅力を最大限に出せるようなシナリオを選んでいくつもりでした。
が、こんなに激重な過去を背負って、来るはずのない未来に唾を吐きつつ、現在を必死に生きるキャラになるとは思いもせず。
天真爛漫なステラや、後追いのマーガレットにも飛び火するという異常事態が起こってしまいました。
そんな中のカイルやターニャ、ポチは癒しです。

これからレギウスに訪れる運命は過酷なものになりますが、それでも彼は立ち上がり、現在を過去にしないために戦うのでしょう。


☆今回の功労者☆
ターニャ。レギウスの穴を埋めて、クライマックスでエンディングも歌ってくれました。

報酬:
1000sp

≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『Mimic』(柚子様)

今回の使用カード
【理知の剣】(『深緑都市ロスウェル』周摩)
【火光獣】(『晴藍渓流のエルフ』Leeffes様)
【戦神の歌】(『希望の都「F=ベル」』Djinn様)
【魔法の散弾】(『Star Dust』histar様)
【収穫】(『死霊術の館』SIG様)
【悲哀の鉄】(『死霊術の館』SIG様)
【魔法の鎖】(『魔術の都トレアドール』Boy様)
【雷鎖の呪縛】(『碧海の都アレトゥーザ』Mart様)
【浄化の一突】(『御心のままに』烏間鈴女様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。

スポンサーサイト



『Mimic』(3/4) 

「やっぱり寝てない……」

 宿の二階、『星を追う者たち』が借りた部屋のベッドにはレギウスが上半身を起こしたままだった。
 彼の足元で、なぜか毛布にくるまったステラが静かに寝息を立てている。
 何がどうなってこうなったかはさておき、病人であるレギウスが素直に寝ていないのは確実だった。

「やっぱりじゃねェよ。だからこのガキ置いていくなっつってんだろうが……」

「いいわけをきこう」

「看病と称した暴走をどうして病人の俺が止めなきゃならねェんだよ。止めたら止めたで勝手に寝やがるし、俺もいい加減休めるかと思ったらオマエらが帰ってくるしよぉ」

「今から寝りゃいいじゃん」

「調査終えてきたんだろ。そっちへの興味が尽きねェ。俺にも聞かせろ」

「……だめっていっても聞かないんでしょ。勝手にしてよ、もう」

 半ば諦めつつ、ターニャは自分の荷物から羊皮紙の束を取り出した。
 先ほどの食事の際に片手間でまとめた今回の事件の資料である。
 片手間とはいえ本職吟遊詩人がまとめた、かなり詳細な内容が記されたものだ。
 さっそく、レギウスはそれを受け取って読み始める。

「まず話したいのは……被害者のふたりはどちらも殺される原因になりそうな諍いをかかえていた、ということ」

「そうだね。とりあえず容疑者として挙がった三名はそれを中心に調べられていたみたいだし。だけど両方とも殺す理由のある人はいなさそうだった」

「まず引っかかっているのは、そこ」

 ターニャはレギウスから容疑者の資料を取り返し、デスクに並べる。

「三名の容疑者は、どちらか片方を殺す理由をもっていても、もう片方とのかかわりはうすい。だからこそ、片方の殺人はカモフラージュだった、って可能性はありうるかな?」

「捜査を撹乱するため?」

「うん……計画的におこなわれた殺人だったのならカモフラージュは詩人のほうで、逆に突発的なものならカモフラージュは娘のほうだとおもう」

「つまり、本当に殺したかったのはどちらか一方なんじゃないか、と言いたいわけか」

 確かに被害者の二人に直接的な関係性はなく、繋がりは非常に薄い。
 木を隠すなら森の中、本命とは別に無関係の死体が出来上がればそれだけで犯人像はぼやける。

「より怪しいのは娘を恨んでいる革職人か借金男だろう。殺しに至るまでの事と考えると、吟遊詩人はやはり流れ者だからね」

「しかし、それにしたって殺すほどかな?」

「聞いただけのボクらじゃ想像もつかないような恨みがあったのかもしれない」

「……憶測で話すのは感心しねェな」

 あまりにも議論がまとまらずつい口を出してしまったレギウスに、ターニャはじろりと一瞥して抑え込んだ。
 だがレギウスの言い分ももっともだ。

「まぁ、事実として共通項が薄いというのは否定できないよね。二人とも金目のものを持ち歩いていたとは考えにくいし、金銭目的の犯行じゃなさそう。身体に乱暴を働かれた形跡はなかったし、そういう目的なら普通男は手にかけない」

「恨みをいだいていた人間がいる、これは共通項じゃないの?」

「うーん、一人が二人を殺したんじゃなくて、二人が一人ずつ殺したって事かい? だとしたら殺した後の処理が同じなのが気になるね」

「むかし、あそこでおなじようにされた大公の死にざまになぞらえて……亡霊のしわざにするため?」

「何らかのメッセージが込められているのかな?」

「……動機の面から洗っていくのは得策とは言えねェな」

 再びレギウスの横槍が入る。
 すでに彼はターニャが用意した資料をすべて読み終えている様子だった。

「はっきり言うぜ。時間の無駄だ」

「……レギウスはやすんでてっていったでしょ」

「このまま進めたんじゃ真相に辿りつく前に夜になるぜ。そうしたらまた次の犠牲者が出る」

「……!」

 きっぱりと、レギウスはそう言い放った。

「むしろ出ねェと思うか? だとしたら悠長すぎるぜ。この事件は少なくとも今夜中にはケリをつける必要がある」

 部屋の中に束の間の静寂が訪れた。
 事件の異常性はこれまでの調査で浮かび上がってはきている。
 三度目はないと、無意識に考えていたのだろうか。
 それともレギウスのように締めるべきところを締める存在がいなかった事で、緊張が緩んでいたのか。

「確実に言える話をしろよ。前提がなけりゃ推論は成り立たねェんだからよ」

「わ、わかった……」

「まず、凶器は鋭利な刃物だって事は確実だね。どちらの遺体も胸をひと突きされて殺されてた」

 慌て始めたターニャに助け舟を出すように、カイルが資料を示して言った。

「ここから導き出される犯人像は?」

「たぶん、男だ。もし相手が油断してたとしても、ひと突きで殺すのは普通の非力な女性には無理だよ」

「でも女性だって怪力だったり、剣に長けてる人はいるよ。たとえば冒険者とか騎士とか」

「この小さな街の人間としてはイレギュラーだね」

「だけど、そのイレギュラーを推理からのぞくのは危険だよ。刃物のあつかいを、たぶん生き物を殺すという種類の次元で心得ている男性……もしくは体格のいい女性。その職業は、たとえば猟師、あるいは警備隊。そんなところじゃないかな」

 凶器と死因から浮かび上がったそれこそが、事実に基づいた推論となる。
 確実な事柄が土台となって支えていなければいとも簡単に崩れ去る推論しか浮かばないものだ。

「十中八九、その通りだろ。集められた情報がそう語ってる」

「でも、それじゃ……」

 ターニャはまだ納得していない様子で俯いた。

「だが、俺もこれ以上突っ込んだ推論は立てられねェがな。決定打がねェ」

「情報が足りないって事か。しかし、これ以上どこを調べたらいいのか……」

「犯人像はほぼ見えたんだし、もう少し範囲を絞って調べてみるのもいいかも。……とはいえ、例の容疑者三名とも引っかかっちゃうんだけど」

 ホーは小さな街といえど、犯人像に該当する人物は少なく見積もっても一〇〇〇人はいるはずだ。
 警備隊のような組織力もない『星を追う者たち』にとっては雲をつかむような話だ。

「ターニャ、ひとつ頼まれちゃくれねェか」

「――はっ!?」

 驚愕の声を上げたのはターニャだけではなかった。
 マーガレットは恐ろしいものをみたかのように目を丸くしているし、カイルは馬鹿みたいにぽかんと口を開けている。

「……なんだよ。頼れっつったのはオマエじゃねェのか」

「ご、ごめん。びっくりしちゃって……それで、なに?」

 レギウスは荷物袋からスクロールの束を取り出して、ターニャに向かって差し出した。

「図書館で調べ物だ。大公サウルについて知りてェ」

「なんだい、歴史のお勉強?」

「そもそもこの事件は大公サウルの死に様になぞらえてあるからこそここまで大事になってんだ。歴史をよく知る街の人間がそうだと確信し、亡霊が復讐を始めただのと言いだすほどに、だ。だったら犯人も大公サウルをよく知る人物って事になる」

「逆にいえば、大公サウルについてしらなければ見おとすなにかがあるかもしれない……」

 そういう事だ、とレギウスは肯定する。

「ついでにホーの街で起こった事件・事故の記録も漁ってくれ。こっちは類似事件があったかどうかだけでもいい」

「それはいいんだけど……でも、このスクロールはなに?」

「オマエらは知らねェだろうが、この街の図書館の蔵書量は大したもんだ。だが、中には原文ままの古語でしか残っていないものもある。その時のための『解読』だよ」

「いいの? 貴重じゃなかったっけ、これ」

「必要な時に使わねェでいつ使うんだよ。まぁ、俺ならそれも必要ねェんだが、この部屋から出るのはナシなんだろ?」

 確かにレギウスが動けない以上、貴重な『解読』のスクロールの使いどころではある。

「……わかった。それじゃ、今度こそレギウスはねててね?」

 一応の念を押して、ターニャは宿を後にした。
 慌ててその後を追うマーガレットとカイルを従えて、街で唯一の図書館へと向かう。
 昨日、暇つぶしにとレギウスは図書館を訪れたらしいが、そこは宿にほど近い場所にあった。

 入口にある石碑には、もともとは教会の書庫の蔵書数が増えたために国の援助を受け分離して設立されたものだという、図書館の由来が記されていた。
 街の者には開かれており、誰でも訪れて蔵書を閲覧する事が可能だが、外部の人間には立ち入りを認めていない、ともある。

「そう、事件の調査で。どのような事をお調べになりたいので?」

 管理を任されているという司書の女性は、ターニャの全身をつま先から頭の上までさっと眺めまわした。
 ストレートに不躾な視線だった。

「ここの蔵書が、あのような事件の役に立ちましょうか」

「……街の歴史をしりたいの。とくに、ウルダーン大公サウルについて」

 まっすぐな視線で告げるターニャの顔を、司書はじっと見つめている。
 何事か考えている風だ。

「許可します。どうぞこちらへ」

 司書の女性が促しているのは、書庫のほうであった。

「教会学校で教えるような通り一遍の歴史を知りたいのであれば一般開架の蔵書室でも構いませんが、貴方がたの用事のある歴史はこちらだと思います」

「……どうも」

 廊下の奥まったあたりにある『閉架』とプレートが掲げられた部屋の前に彼女は立ち、鍵束から鍵を取り出した。

「蔵書の数はさほどありません。好きにお読みになってください。一部の書は古い言葉で記されていて、求められれば私が拙いながら訳すお手伝いをする事もあるのですが――」

 司書の女性はターニャをちらりと見やった。

「そちらの方は入り口の石碑の、原文のほうを読んでおられたようですから必要ありませんね。これで失礼します」

 踵を返した司書の女性を、ターニャは呼び止める。 

「純粋に興味からききたいのだけど、あなたは事件についてどうおもっているの?」

「……、まるで歴史を再現したかのような所業です。みなが言うように大公が地獄から蘇ったのなら……我々はその怒りの前にひれ伏し、どんな事をしてでも許しを乞わねばなりません」

 しかし、と司書の女性は言葉を続ける。

「もしも大公の亡霊を騙る、あるいはかのお方の死を嘲笑する何者かの仕業であれば……その者には火刑がふさわしいでしょう。からだの復活、魂の昇華を許してはなりません」

 そう語る言葉の端々に滲むのは怒りではなく恐怖でしかなかった。
 レギウスが柄にもなく他人に頼みごとをしてまで知りたがる大公サウルという人物に、ターニャも好奇心が湧いてきた。
 司書の女性が退室した後、改めてターニャたちは室内に目を向ける。

 レギウスも言っていたが、この図書館の蔵書量は圧倒されるほどに多い。
 ターニャはすでに『解読』のスクロールを読んでいるものの、こうも多いとほかの二名にも手伝ってもらったほうがいいかもしれない。

「ま、全部が全部ってわけじゃないだろうし、古語のものはターニャに任せてオクらは読めるやつから探していくよ。それでもまだ追っつかないなら『解読』を使ってスピードアップする」

 手分けして読んでいかないと日が暮れても終わりそうにない。
 ターニャたちはさっそく、目の前の蔵書に挑みかかった。

 窓から差し込む日差しが、部屋に漂う埃をくっきりと映し出している。
 仲間がページを捲る音だけが響く部屋の静けさは、まるで時が止まったかのようだった。



 ホーの夜は足が早い。
 辺りが暗くなり始めた頃、ようやく閉架図書の情報を取りまとめたターニャたちは宿に戻ってきていた。
 早速レギウスとステラがいる二階へ向かうと、果たして二人はそこにいた。

「おかえり~~~! ねぇどうだった? どうだった???」

「……レギウス、ちゃんとねてた?」

「寝てたよ。うるせェな……」

 そんな事よりも結果をよこせと言いたげにレギウスは乱暴に髪を掻いた。
 一応は約束を守ってくれたようではある。
 ターニャは荷物の中からまとめ上げた羊皮紙の束を取り出した。
 それぞれ得た情報の輪郭はおおよそ同じようなものであったが、ターニャの読んでいた古語で記された書が最も細部にわたり詳しかった。

『地方の豪族たちが騎士団を成し、教会歴一五年にその長が宗教都市ラーデックより大公位を授けられた。
 ウルダーン大公国がここに発祥。
 やがてウルダーン大公サウルの治世に流行病によって国力が衰え、重税を課せられていた民が蜂起。
 それを援助した隣国の侵攻も重なって崩壊。
 大公サウルは処刑され、鐘楼から吊るされた。
 その死体は焼かれ、墓は残っていない。
 ウルダーンは隣国に併合され、その一地方に落ちる』

 ここまでは、それこそ司書の言葉を借りれば教会学校で習える知識だろう。
 しかしそんな書が閉架図書にされているのには理由がある。

「大公サウルにつかえていた宮廷画家がかいた私小説があったの」

 それにはサウルの私生活における乱行も描かれていた。
 あまりに赤裸々な描写がなされていたため眉をひそめる向きがあったのだろう、併合した側の国の手入れで焚書にあっている。
 ターニャが読んだものは焚書を逃れた一冊だと、別紙として挟んであった羊皮紙に付記されていた。

「いいじゃねェか。そういうのがなけりゃ調べ甲斐がねェ。それで?」

「大公サウルはものすごい偉丈夫だった、と。剣が達者で、地方のちいさな反乱程度なら自分で馬を駆り、兵を率いて制圧にむかったんだとか。そして英雄色を好むの例にもれず、女好きで、毎晩違う女性をしとねにはべらせていたらしい」

 そう言って、ターニャは私小説の写しを差し出した。

『我が君と娘が淫蕩の境地にある中私は絵筆を握っていた。私の精神はいっとき、我が君の魂と交じり合うようだった』

「褥にも立ち入りを許されるほどの立場だったってわけか」

「前半はずっとこんなかんじで、もううつしたくなくなっちゃったけど……えっと、このあたりからが面白いよ」

『このところ、我が君の様子がおかしい。
 顔は青褪め、食も細り、褥に呼びつけられる娘はいなくなった。
 いつからだろうと考えると、あれはそう、遠征から戻られてからだ』

「東方の国へ騎馬隊をひきいて遠征したらしいの。そして宮殿を破壊してひと振りの剣をもちかえってる」

『かの国の神話に見いだされる剣なのだ。死者を裁く冥府の番人が持つ剣なのだ、と言って、肌身離さず、飽くことなく、翡翠の刀身を覗きこんでいる。
 私は気味が悪かった。
 貴方が国を離れておられる間に、病が城下を覆い尽くしましたと告げても、なれば生き残った者に貢がせよと。
 民に関心を失っておられた。
 我が君が見つめているのはいつも剣。
 私の存在に目もくれず、私の描いた絵を見せても、大儀そうに首を振るだけだった』

「そこに反乱と侵攻がかさなったみたい。ご注進してみせたこの画家も結局はぬるま湯の宮廷暮らしで、状況をきちんと理解してはいなかったんだね。
 ……民のほうは病と重税とに追いつめられてた。病による死者だけじゃなく、餓死者がでるくらいには」

 ターニャはさらに別の羊皮紙を取り出した。
 反乱が起きたあたりの記述を別の蔵書から引っ張ってきたものだ。

『捕らえた大公の腹を裂き、鐘楼から吊り下げ、それを囲んで浴びせた民たちの怨嗟の声は、ホーに地鳴りのように轟いた』

「もともと賢君として尊敬を集めていた分、裏切られたという思いも強かったんだろうな」

「でも、この民衆に同情ばかりつのらせるのもどうかとおもう」

「ほう?」

「どうにも、『腹を裂いた』なんてあっさりしたものじゃなかったみたいなの。ある者は胃を裂いて未消化だった食べ物を食らい、ある者は目をくりぬいてもちさり、ある者は腸をベルトのように巻いておどった」

「うへぇ……」

 傍で聞いていたステラの表情が歪む。

「なかなかにぶっ壊れてやがんな。一時的にハイな状態になってたんだろうぜ。集団心理の暴走ってやつか。食らうって行為には自己同一化の願望もあった可能性も……、どうでもいいか」

「もっとこまかい描写もされてたけど、関係なさそうだしやめとく。読んでて気分悪くなっちゃった」

「大公を畜生呼ばわりしてる本もあったけど、糾弾する側の民衆も同じ畜生に成り下がってたとはねぇ」

「クーデターが成功してよかったな。民衆は自分たちの獣性を覆い隠す事に成功したってわけだ。暗く閉ざされた部屋の書架の中にな」

 だが、とレギウスは一区切りをつけて続ける。

「彼らの末裔、つまりホーの人間は、先祖が何をしたのかを知っている」

 街の人間が恐れているのはまさにそれだ。
 いくら相手が暗君だとしても、彼に手をかけ、遺体をむやみに傷つけ辱めた事実は覆らない。
 やりすぎたと気づいた頃にはもう遅く、弁明のしようもない。
 だからこそ、街の人間は大公サウルを激しく恐れているのだろう。

「……じつはもうひとつ、面白い話があったんだ。ホーの人々がほんとに恐れているのはこっちだとおもう」

 ターニャは新たな羊皮紙を取り出した。

『ホーよ、ウルダーンよ、血を流せ。
 お前たちとその子孫を葬るなど造作もないこと。
 神の血脈に連なり、今は冥府の番人たる我ならば。
 永久に呪われるホーよ。
 絶望に凍えるウルダーンよ』

「大公は腹を裂かれながら、そうさけんだそうだよ。最後のほうは意味をなさない言葉の羅列になってたそうだけど……
 ホーの家庭では口伝でこの物語がつたわっているみたい。子どものころから大公サウルは太古の悪霊のような存在として精神に植えつけられている」

「神聖な家系の大公を寄ってたかってなぶり殺しにした。それを罰せられる事に一〇〇年経った今でも怯えているのさ」

 その情報を踏まえると、大公が現代に蘇って自分を無残に殺した民衆に復讐をしていると考える民がいてもおかしくはない。
 だが、大公の亡霊が成す復讐と自分たちの昔の所業が明るみに出る事、果たして本当に恐れているのはどちらなのか。

「……とまぁ、集められた情報はこんなところだったね」

「ポイントとなるのはやはり大公の最期の姿だろう。資料を見る限り、被害者二名の様相と酷似している。つまり十中八九、犯人はホーの歴史を知る街の人間だ」

 たとえばレギウスたちのような旅人が噂程度に聞いたくらいでは再現できないほどに歴史に忠実だった。
 外部から殺人鬼が流れてきた、などという可能性は薄いだろう。

「だけど、街の人間で犯人像に当てはまる人物だとしてもやっぱり一〇〇〇人はいるはずだよね。どうやって絞るのさ?」

「絞る必要なんかねェだろ。あとはピースを当てはめるだけだ」

 レギウスは相変わらず資料に目を向けながら言った。

「……もしかしてもう犯人分かっちゃってんの? 教えなよレギウス、時間ないって言ってたの君だろ?」

 やや面倒そうに、レギウスはターニャに向かって、

「鍵となる証拠には気づいてんだろ?」

 それだけ言って自分は再び資料に視線を落とした。

「うん。油でしょ。詩人の指と鐘楼の扉についてた」

「それが何か?」

 ターニャは机の上、宿の備品であるランプを指した。

「ホーでつかわれてる油は獣脂だよ。狩猟を主にしてる民族だからね。だけど詩人の指と鐘楼の扉についてた油はオリーブのにおいがした。つまりオリーブをしぼってつくった油だよ。高価なものだし、温帯の植物だからホーではまず手にはいらない」

 つまり、とターニャは握りこんだ右手をひねって見せた。

「詩人はノブをひねって扉をあけて、鐘楼にはいったんだよ。

「ま――待って。あそこはずっと施錠してあったはずだよ。鍵を持っていないのにどうやって普通に入るのさ」

「鍵をもっていたか、鍵をもっている人物が傍にいたか、あるいはあけっぱなしだったのかも」

 それはつまり、鍵を持っていた人物が事件に深く関わっている事を指している。

「それでも待って。扉には破られた形跡があった。あれは? 普通に開くのなら扉を破る必要なんてないだろう」

「必要はあったんだよ。もしあの扉にやぶられた跡がなかったら、だれが真っ先にうたがわれるとおもう? 中にはいることができるのは鍵をもっている人間だけなんだよ」

「偽装した、って事?」

「そうじゃないとノブについた油の説明ができないからね。事件が発覚してからは、警備隊と私たちしか鐘楼にちかづいた人間はいない。警備隊にたまたまオリーブオイルを所持している人がいて、たまたま手に付着させたままノブをさわった、なんてめちゃくちゃなことがおこらないかぎりはね。まぁ、それにしたって詩人の指についた油はできすぎだけど」

 詩人がノブをひねって中に入った事実が分かれば、おのずと偽装の事実も浮かび上がってくる。
 扉が無傷であったとしても、扉が破られていても、どちらにせよ事件の鍵を握っているのは文字通り鍵を持った人物だ。

「ノブをひねって開けようとして、だけど開かなかったから扉を破った可能性は?」

「詩人が? なにをつかって?」

「木片を見るに斧が使われた可能性が高い……その辺の家の庭から盗んだ、とか」

「薪を割るためのものでも、ふつうは屋外に放置したりはしないよ。たまたまあったとしても深夜のことだよ、うまく探せるとはとてもおもえない」

 さらに、吟遊詩人が深夜の鐘楼に向かう理由にも疑問符が浮かぶ。
 最も可能性のある理由としては、やはり犯人に『誘われた』というのが有力だろう。

「でもさ、鐘楼の鍵を管理していたのは教会のシスターだよ。犯人像と彼女は一致しなくない?」

「確かに、百歩譲って娘の殺害はともかく、吟遊詩人の殺害は無理があると思うね。どうやって非力な女性の手で男をひと突きで殺し、その死体をぶら下げる事ができるんだ?」

「……逆にききたいんだけど、どんな人間ならそれができるの?」

「猟師とか、警備隊。騎士とか傭兵とか地元の冒険者……」

「でも、彼らは鍵をもっていない。鐘楼にはいれない以上、どれだけ力をもっていても彼らは詩人を殺すことはできないよ」

 ターニャたちはその目で確認したはずだ。
 鐘楼の床は掃除しきれないほどに血に塗れており、中で殺人が行われた事は間違いない、と。

「……外壁をロープでよじ登った、とか」

「どうやってロープをむすぶの? フックをなげたくらいじゃ鐘楼の上まではとどかないとおもう」

「羽でパタパタ~~~って、飛んだ!」

 難しい話ばかりで飽きてきたのか、ステラが能天気にそんな事を言った。

「この世の中、背中に羽がはえた人間がいたっておどろきはしないけどね……でも、それなら扉にあんな偽装工作する意味がない。
 都合がわるいから工作したんだよ。では、だれにとって都合がわるいか? ……鍵をもっている人間だよ」

「シスターは鍵を開けただけで、実際の殺人は別の者が行った。あるいはシスターが犯人を庇っている。……つまり共犯者がいる可能性は?」

「……、その可能性を完璧に否定する材料はないね」

 淀みなく答えていたターニャだったが、急に歯切れが悪くなった。

「けど、私は協力者はいなかったとおもってる。だって、協力者がいたのならもうちょっとうまくやれたんじゃないかっておもうの。娘の内臓をすてる必要だってなかった」

「内臓を捨てた?」

「大公サウルの死になぞらえるなら、その臓器はなるべく無事のほうがいいでしょ? 詩人のときはそうやって、裂いた腹から盛大に垂らしていたんだし」

 だが、娘の遺体はどうだったか。
 ばっくりと開いた腹の中には何もなかった。

「重いからすてたんだよ。そうすれば運びやすくなるから」

「そういえば、娘の遺体が発見された時はほとんど血が流れていなかったとか言ってた警備隊の男がいたね」

「そう、娘の殺害場所は鐘楼じゃない。前日に殺人があった場所に誘いだすのはさすがに無理があったんでしょ。だから別の場所で殺して、鐘楼へ運びあげるために臓器と血をすてて軽くしたんだ。この作業には目撃される危険、すてた臓器を発見される危険がともなう。だけど、もし協力者がいたとすれば」

「そんなリスクを背負う事なく、協力してさっさと運んでしまったほうがいいだろうな……なるほどね、だから単独犯の可能性が高いわけか」

 部屋の中にわずかな静寂が生まれた。
 ターニャの推理は理路整然としており、立派な推論として成り立っている。
 だが、唯一にして絶対の、噛み合わない条件は無視できない。

「でもさ、やっぱり非力なシスターが二人を殺せたとは思えないんだけど」

「それについてもかんがえはあるよ。だけどあくまで推測の域をでないんだけど……でも、本人に聞けばすぐにわかるんじゃないかな」

 ターニャは丸めた羊皮紙をカイルに差し出した。
 蝋で封がされており、資料とは別物らしい。

「教会のシスターにこれをわたして、鐘楼にくるようにつたえてほしい。たぶんそれだけで意図は通じるとおもうから、逃げないようにみはってて。あとは私がやるから。陽が落ちる前に、はやく」

「えー、その前に僕の疑問に答えてよ。推測でもいいからさ」

「……ええと、レギウスちょっとそれ返して」

 もはや羊皮紙のほとんどを占領していたレギウスから、一枚の羊皮紙を取り戻して広げた。

「郷土史の中に警備隊、その前身である自警団のなりたちについての記述があって。ここから読み取ったんだけど……」

『ウルダーン大公国は崩壊し、首都としての機能を失ったホーの騎士団は解体された。
 ヨーンソンからの援助なしで結成された自警団は、当初たったの一五名であった。
 以降の増員も微々たるもので、総数はほとんど変わらず現在に至っている。
 大公国時代に比べ人口の減少したホーでの自警団の仕事は、夜間の警邏・喧嘩の仲裁、窃盗への懲罰、などであったから、この人数でも立ち行かないということはなかった。
 自警団が総動員されたのは、森にオーガが現れたと知らせが入った時、(熊の足音を聞いた者の勘違いであった)と、修道士の少年が行方不明になった時(都会へ出る旨の書置きが見つかり収束)のみだった』

「……どゆこと?」


To Be Continued...  Next→

『Mimic』(2/4) 

 教会のほど近くの墓地に、真新しい墓が二つ並んでいた。
 正確には墓石にはいまだに名前が刻まれておらず、どちらが吟遊詩人でどちらが雑貨屋の娘か分からない。

「まぁ、どっちも掘り返すんだから関係ないが」

 意気揚々とスコップを掲げるマーガレットであった。
 ちなみに穴掘り用のスコップは塀に立てかけられていたものを拝借した。

「ちょい待ち。詩人はともかく娘のほうは家族がいるんじゃない? 許可取ったほうがいいと思うんだけど」

「だめっていわれたらどうするの? 許しがあってもなくてもやることはかわらないよ」

「そりゃあ……」

「そうすることがふたりの真のとむらいになると……私はそう信じてる。きっとレギウスもそういうよ」

 カイルはガシガシと頭を掻いて、

「あー、もう。君の思い切りの良さにはほんと舌を巻くよ。やったろうじゃん」

「……ん。がんばって」

 ターニャはごく自然な仕草でスコップをカイルに向かって差し出した。

「いや待ってよ。なんで当たり前のようにこっちに渡すのさ」

「『やったろうじゃん』なんて啖呵切ったくせに……それに、私じゃ非力すぎて時間かかっちゃうよ。男の子でしょ、がんばって」

「うぐぐ……まぁ、レギウスがこの場にいたとしても『俺は頭脳労働担当だ』とか言って、どうせ僕に回ってくるんだろうしいいけどさぁ!」

 渋々といった様子で、カイルはスコップを手に土を掻き分けていく。
 マーガレットと並行して掘り進め、やがて二つの墓は暴かれた。
 雪が降る時期で良かったというべきか、遺体の傷み具合はさほどでもない。

「……、」

 男のほう――吟遊詩人――は年の頃は二十代後半から三十代と見える。
 死に装束を脱がせると、ぱっくりと開いた腹部が露出した。

「うん。腹部の傷は当然死後のものだろうし、それ以外の傷は胸の裂傷一つきりだ。鋭利な刃物のひと突きで殺されてる」

「真正面から胸をひと突きか。犯人は顔見知りの可能性があるな」

「その可能性は高いだろうね。彼は旅人とはいえ街に逗留してたのなら、人付き合いがまったくなかったわけじゃないだろうし」

「……そのうえ、ひと突きで死に至らしめている。非力じゃなさそう」

 改めて傷口を確認していくが、ほかに目新しい情報は得られなかった。
 せいぜい内臓の配置がめちゃくちゃになっていて、おそらく遺体を片付ける際に乱雑に押し込められたのだろう、という事だけだ。
 そのうち気分が悪くなってきたターニャは遺体から視線を外して深呼吸した。

「お? 右手の指先に汚れがついてる。なんだこれ……」

「……これ、油だね。楽器のお手入れにつかうこともあるから」

 彼が吟遊詩人である事を鑑みれば、同業者のターニャには一発で見抜ける事だ。
 だが、それよりも重要な情報がその油汚れに隠されているのを、ターニャは見逃さなかった。

「……オリーブのにおいがする」

 それは右手の指先にだけ付着していた。
 死亡時に身に着けていた衣服はすでにないが、おそらくは偶発的に付着したものではないのだろう。

「マーガレット。もういいよ。もういっかい埋めたげて」

「あいわかった」

 マーガレットが肉体労働している間に、ターニャとカイルはもうひとつの遺体――雑貨屋の娘――に目を向ける。
 年の頃は十代後半、まだあどけなさの残る風貌だった。
 白い腹に無残な切り口が開いている。

「……、詩人のものより損壊が激しい。胸に刀傷、死因はたぶん同じだと思う。やっぱりひと突きだ」

「う……」

「腹の裂き方がもっとずっと酷い……しかも内臓がごっそり抜かれてる? なんで? 吟遊詩人のほうにはあったのに」

「さすがに警備隊がもどしわすれたわけじゃないでしょ。詩人とちがって家族がいる雑貨屋の娘のほうを雑にあつかうとはおもえないし。
 ……それに、さっきの警備隊員がいってたよ。娘のときはほとんど血がながれてなかった、って。きっと別の場所で殺して、内臓をすてたんだよ」

「なんでそんな事を?」

「……、」

 さすがにレギウスほどターニャの頭の回転は早くない。
 考えをまとめる時間が必要だ。

「っ……」

 しかし強くなってきた寒風が否応なしに思考を途切れさせてくる。
 幸い、すぐ近くに教会がある。
 風が収まるまで休憩させてくれと頼んでも追い出されはしないだろう。
 二人がかりで手早く遺体を戻し、三人は足早に教会へと入っていった。

 昨日、日暮れ頃に訪れた時も室内をたたえる静謐さに息を詰めたものだった。
 まばゆい陽光が差し込むこの時分であっても、囁きさえかわすのをためらう静けさに満ちている。
 リューンの聖堂とは明らかに異なるのには理由がある。

 それは司祭以外の神職にあるもの、つまり修道士や修道女たちは生活において『喋ってはならない』とする、宗派の厳しい戒律がもたらすものであった。
 修道女はこちらに気づいても目礼を寄越すのみで、どうしても必要な場合は筆談で済ますという。

「そういえば、鐘楼の鍵を管理しているはここのシスターなんだっけか」

「聞いてみようか」

 カイルは適当な修道女に近づき、極めて軽く声をかけた。

「ねぇシスター、鐘楼を管理しているのはあなた?」

 修道女は俯けていた顔を上げ、目を瞬かせる。
 肯定を示す仕草に見えた。
 しかし声を出せない戒律がある以上、話を聞くには筆談となるが、ただでさえ多忙なシスターにあまり長く時間を割いてはもらえないかもしれない。

「――さよう。鐘楼の管理者は彼女です」
 
 そんな危惧を吹き飛ばす声が横合いからかけられた。
 声の主は立派な僧服を身にまとう初老をすぎたくらいの男であった。
 彼はホーの教会を任される司祭であり、『星を追う者たち』がこの街を訪れる理由となった仕事の依頼主でもある。

 受けた依頼というのが、宗教都市ラーデックで一〇年もの間審査を受けていた杯が、聖遺物として認定された。
 それを受け取るので道中の護衛をしてほしい、という話で、途中の野宿の際に狼を追い払った程度で無事に聖遺物と司祭をホーに送り届ける事ができたのだった。
 街に着いたのはつい昨夕の事だ。

「戒律により神の祈りのほかを口にする事ができませんので……質問があれば、かわりに私がお受けしましょう」

「たすかります。……鍵は彼女が? ひとつだけ?」

「はい、あの鐘楼は日に三度、鐘を鳴らすためにしか使われていませんので。その役目をこなす彼女が持っています。一つだけです」

「へぇ、彼女が鐘を撞いているのか。とても大きな鐘だったが、なかなか大変だろうな」

「まだ年端の行かぬ少女の頃から仕事としておりますので。積み重ねは技術を己のものにします。……と、これは皆様相手に、鳥に飛ぶ事を教えるようなものでしたな」

「……なるほど。ありがとうございました、たすかりました」

 冒険者と司祭の会話を見守っていた修道女がそっと頭を下げているのが見えた。

「ときに皆様、昨日はお世話になりました。もうリューンへお戻りに?」

「もう一仕事してからになりそうだよ。司祭さん、事件の話はもう聞いてる?」

「ええ……。そうですか、あれを、お調べに……」

 司祭の表情にさっと影が差す。

「……大公サウルは血に飢え、富に溺れた俗物でした。聖杯が戻ってきた事がその魂を刺激したのやもしれません」

「聖杯が?」

「さよう、あの聖杯は大公家ゆかりのものなのです。聖レダが礼拝で使っていた杯は大公家に譲られ、歴代の大公叙任の儀式はそこに自身の血を注いで飲む事で行われてきました。しかし大公サウルはそれだけでなく、異民族や、時には反逆の民を処刑して、その血を聖杯で飲んでいたといいます」

「うげ……そんなの、よく聖遺物として認定されたね」

「だから一〇年かかりました。聖レダが用いていたものであるのは事実ですし……
 大公は恐ろしい人物ながらもとは賢君でありましたし、ホーの都市としての発展は彼の手腕なくしてはありえませんでした。彼の持ち物はせめて後世のホーでは大事に残していきたい。私だけでなく、街の者たちもそのように考えております」

「……、」

「しかし、呪われた業に満ちた人物です。何かがその魂を呼び戻してもおかしくは……」

 司祭はそこまで口にすると、恐れるように両手をかき合わせた。

「どうしてもお調べになるのであればお気をつけください」

 この話は終いだとばかりに切り上げられてしまった。
 司祭といえどもホーの民である、という事か。

「それじゃあ最後にひとつだけ。大公サウルの聖杯について……いや、大公サウルの持ち物について、あるだけ見せてほしい」

「と、おっしゃいますと?」

「今回の件、大公サウルが深く関わっているとみて間違いない。となれば彼にゆかりのある品々を調査しておく事も事件解決につながる一助になるかもしれないからね」

 方便である。
 教会の人間も疑わしいから関わりのある品を見せろと単刀直入に言えるはずもない。
 しかしその建前が効いたのか、司祭は何ら疑う事なく保管場所へと案内してくれた。

「ここに集められているのは大公サウルにまつわる品々です。その身に纏っていたものや、日々愛用していたものなど、すべてを集めています」

「……革命が起こって処刑された割には多くないかい?」

「彼の持ち物は一度は革命軍がすべて接収したのですが、軍にも大公のかつての臣下や信奉者が多かったので、幸い破壊される事なく保存され、今は教会の管理下にあります。聖杯もそのうちの一つです。
 長くこのような場所で憂き目を見ていた事を心苦しく思っていましたが、今はそれも少し軽くなりました」

 司祭がそう嘆くほどに、保管場所にはところ狭しと物品が並べられていた。
 部屋には明かり取りの窓があったが、所蔵されている品々は劣化を防ぐためか、陽光が届かないよう配置されている。
 その中にあってやや目立つ位置に、件の聖杯が鎮座ましましていた。

「……?」

 それに違和感を覚えたのはカイルだった。

「もっと近くで見ても?」

 答えを待たず、違和感のもとを確かめるため間近からのぞき込む。
 聖杯は昨日の依頼を引き受ける際に見たのと同じ、ふちは黒く腐食しはじめているが、繊細な細工の施された銀の杯であった。
 しかし、杯の底には赤みのある雫が一滴あるのが見える。

「これ……、血だよ。間違いない。司祭さん、心当たりない?」

「………………」

 司祭は一瞬息を飲み、首を横に振った。
 心当たりがある、といった様子は見えない。
 ただ単純にその事実に困惑しているような表情だった。

「……何の血でしょう?」

「それは分からないけど、昨日ここに運び込んだ時にはなかったよね?」

「そう……だったでしょうか。ここへ安置した修道士が指でも切ったのかもしれませんな」

「……、」

 困惑する司祭に、しかしターニャたちはそれ以上の追及をしなかった。
 彼の様子を見る限り、何かを隠している風でもないし、誰かを庇っている様子もない。

 司祭に礼を述べて、三人は教会を後にした。
 さっきまで強かった風も幾分かは収まっている。

「どうだい? 犯人像見えてきた?」

「……うーん、どうかな。調べるところは調べたし、あとは警備隊の詰所で被害者の情報とかもらおうよ」

「そうだね。容疑者のアリバイとかも聞かないとだし」

 再び風が強くならないうちに、三人は足早に警備隊の詰所を目指して歩いていった。



 警備隊の詰所は外観からの印象通り、そう広くはない。
 ホーの一般的なレンガ積みの家を改造したのだと思われる。
 そのせいか、やけに立派な暖炉が設置されており、風吹きすさぶホーを練り歩いてすっかり冷え込んだ『星を追う者たち』三名を優しく温めた。

 街の警備だけでなく狩猟も行っているようで、壁には種々の獣の毛皮がかかっており、棚の上には狩猟用の罠やロープが無造作に積み上げられていた。
 忙しなく行き来する隊員たちの中に、今朝がた宿を訪れた青年を見つける。

「これは皆さん。何かお尋ねになりたい事でも?」

「ああ。だが、少々込み入った話になるはずだ。少し外せるかい?」

「わかりました。別の者に引き継ぎますので、少々お待ちください」

 促されるままに、三人は隅のテーブルに腰かけた。
 隅と言えど暖炉に近く、入口付近の寒風が気にならない、まさにベストポジションである。
 ややあって警備隊の青年が人数分のカップを運び、自らもテーブルに着いた。
 このクソ寒い日に暖炉の近くで熱い紅茶、この上ないもてなしだ。

「ところで、あとのお二人はどうされたのです?」

「レギウスなら天罰が下って寝込んでるよ。ステラはその付き添い」

「ええっ、て、天罰って……まさか大公サウルの!?」

「……絶妙にまぎらわしい冗談やめなさいな。ただの風邪なので、おきになさらず」

 普段なら風邪で寝込むレギウスなんて積極的に笑い話にするべき事態なのだが、こと大公サウルの怨念を半ば信じかけている警備隊の青年には冗談に聞こえない。
 カイルは肩をすくめて冗談だと嘲った。

「まず、現場と遺体をみてきたよ。ある程度の状況や死因はわかったけど、犯人をしぼりこむにはやっぱり被害者の共通点とかを調べないとだめかなって」

「はぁ……って、遺体を見たって、どうやってです?」

「むろん、ほりかえして」

「えええっ!? は、墓を暴いたんですか!?」

「あー、ちなみにこれレギウスの提案だからね」

「……や、やっぱり天罰なのでは?」

「いやいやいや、そりゃいくらなんでもレギウスだけ嫌われすぎだよ。だいたい、暴いたのボクとカイルだし」

 と、コントじみたやりとりは置いといて、

「まず、遺体の発見者について伺いたい。警備隊でも調査は進めたんだろう?」

「ええと、最初の発見者は主婦です。彼女から聞いた内容は、今朝がたお話しした通りです。
 雑貨屋の娘の遺体を発見したのは我々警備隊の者で……そこの男、彼です」

 青年が大きな声で呼びつけると、第一発見者である警備隊の男もまたテーブルに着いた。

「件の事件の捜査か……ああ、娘の遺体を見つけたのは私だ」

 警備隊が依頼主だけあって話が早い。

「前日の事があるので見回りを強化していたんだよ。ほとんど明け方に近い頃、塔から吊るされた遺体を見つけた。……二晩続けてそんな事があるなんて想像もしないだろう? 婆さんが寝物語にしてくれた死後の世界に迷い込んだのかと思ったね」

「それから?」

「すぐ詰所に戻って、当直の隊員を叩き起こして、中央や教会に連絡して、塔に登って、遺体をこれ以上傷つけないよう注意しながら引き上げて、他の隊員から娘の家に連絡させて……まぁ忙しいったらなかったよ」

「第一発見者が遺体を引き上げたとは初耳だが……遺体はどのように調べたんだ?」

「……?」

 警備隊の男は意図を図りかねて首を傾げる。
 またこの反応か、とマーガレットは短く息を吐いた。

「調べるもなにも……ひどい有様で見てられなかったからな。すぐに埋めたよ。年頃の女の子なのに、可哀想に……」

「なにも手をつけず、すぐにうめたんだね? 内臓をもどしわすれたからその辺にすてたってことはないよね?」

「ああ、そんな事はしちゃいない。内臓がどうかしたのか?」

 遺体発見時のまま埋葬された事が分かれば十分だ。
 適当にはぐらかし、礼を言って仕事に戻ってもらった。

「参考になりましたか?」

「ええ、まぁ……それじゃ、次。警備隊がしぼりこんだ容疑者についてきかせて」

 青年は咳払いをひとつして、捜査資料と思われる羊皮紙の束を開いた。

「吟遊詩人も雑貨屋の娘も、当日の日没までは姿を目撃されているんです。おそらく殺されたのは日が落ちてからでしょう。ホーの夜は冷えます。みな家路に着くのは早い。決定的な瞬間を目撃した者はおりません」

 だろうね、とターニャは頷いた。
 それは先ほどの第一発見者の発言からもおのずと見えてくる。

「怪しいと目している者は三名ほどいますが、みな『その時間は眠っていた』などと言っていて……」

「怪しんでいるということは、それなりに根拠があるんだよね? それをきかせて」

「はい。まずはこの男」

 青年は羊皮紙に描かれた人相書きを広げた。
 筋肉質なのか、やけにごつく描かれている。

「歳は三八、街の漁師です。三日前に酒場で吟遊詩人とちょっとした口論になっています。しかし喧嘩の内容はくだらないですね……酒に酔って、詩人の歌が気に入らないとかで文句をつけたようで。
 娘のほうとは一応面識はあるのですが、娘の家が営んでいる雑貨屋に客として買い物に行った事がある程度のようですね」

「それはすこし短絡的じゃない? 口論していた事実はあっても、内容をかんがえるとこの漁師が殺されていたほうが納得できるというか、動機としてみるにはよわすぎると思う」

「ターニャ、気持ちはわかるけど落ち着いて」

 どうどう、とカイルが宥める。
 同じ吟遊詩人であるターニャには歌を貶された怒りと悲しみが痛いほどわかるのだ。

「しかしこの男、詩人が殺された夜は珍しく酒場に来ていないんです。問いただすと『毎日酒飲んでろってか!』と青筋立てていましたが、まあ実際ほとんど毎日飲んでましたからねえ。
 娘が死んだ夜は、夜半まで酒場にいて、そのあとは家に帰ったと言っています」

「……一応、犯行は可能なわけだ」

 一通り喋り終えたのか、青年は新たな人相書きを広げた。
 顔に刻まれた大きな傷が特徴的な男だ。

「革職人の男、三〇歳です。こちらは雑貨屋の娘と親しく……というより恋仲であったと確認が取れています。
 ひと月ほど前に二人が言い争っているのを近隣の住民が見ています。男のほうが金にだらしないのを娘が怒っていたそうで、関係は良好だったとは言い難いのかもしれませんね」

「彼は、ここ二日間はどうすごしてたの?」

「詩人が殺された前後は特に変わらぬ様子で自宅で仕事をしていたようです。『亡霊なんて馬鹿馬鹿しい』と言っていたとか。娘が殺されてからは……家にこもって全く出てきませんね。
 詩人が殺された夜は、酒場で夜通し飲んでいるところが目撃されています、まあ、人目を避けて少し席を外す事はできたかもしれません。娘が殺された夜は『家で寝ていた』の一点張りです」

「……、」

 土地柄なのか、荒っぽい捨て台詞気味な証言で追い返されているような印象を受ける。
 これも大公サウルの亡霊だ怨念だという疑惑が捜査の足を鈍らせているのだろうか。

「三人目はこの男。歳はおおよそ四〇代です。彼は雑貨屋の娘の関係者ですが、娘に対して動機があるというより……娘の家に対してですね、ずいぶん揉めていたようなんです。
 彼が街外れに金物の店を開くというので、娘の家が金を貸したようなんですね。ところが早々に商いに失敗して、まあ見通しが甘かったんでしょうね……日々の生活も立ち行かず、借りた金を返すどころの騒ぎではなくなった。それで娘の親が彼に『金を返せ』と。彼は『ないものは返せない』と。こんなやりとりを毎日のようにしていたそうです」

「……娘のほうはそのトラブルとは直接関係ないのでは?」

 ですよねえ、と青年はばつが悪そうに笑みを作った。

「彼は詩人が殺された日から、恐ろしさのあまり『ほとんど家から出ていない』と言っています。娘が殺された日もそうです。まあ、街の者は程度の差こそあれみなそのような様子ですが……」

「なるほど、だいたいわかった。ありがとう」

 あまり証言を取れていないように感じられるが、事件が起こってまだ二日しか経っていない事を考えると致し方ない。
 それに、容疑者として調べられた三名に関しては決して無駄ではない。
 疑惑の犯人像の周りを埋め、ターニャは半ば確信しつつあった。
 
「宿にもどろうか。おそくなったけどお昼もたべないとだし」

「賛成。それに、ここらで一度情報をまとめたほうがいいよ」

「それに、レギウスのほうも心配だし……」

「素直に寝てると思うかい?」

「寝てなかったらむりやりにでも寝かすから」

 パキ、とターニャの拳が鳴った。
 レギウスの明日はどっちだ。


To Be Continued...  Next→

『Mimic』(1/4) 

 降り積もった雪がぶ厚い層を成し、あらゆる景色を白に染めている。
 そんな場所で一人の女性が寒さに身体を震わせながら井戸のロープを手繰っていた。
 やがて顔を出した鶴瓶桶から、持参した桶へと中身を移す。

 桶から跳ねた水が手を濡らす。
 女はその冷たさと自分の失敗とに悪態をつく。
 ようやく東の空が仄白い光を戴きはじめた時分、ここ北の山間の町ホーにあっては水汲みは堪える仕事だった。

 体を丸く折りたたんでしまいたい。
 桶をつかむ濡れた手も、膝の関節もきしみ、悲鳴を上げている。
 女はいったん水桶を露めいた地面に下ろした。
 手を拭いてしまわなければ、家にたどり着くわずかな間にも濡れた部分が凍傷を作ってしまいそうだったからだ。

 古いドレスの裾で手をぬぐう。
 先ほど振り出した雪が肩に落ちてくる音の、そのささやかさ。
 人間はおろか、すべての生き物の営みが絶えたかのような静けさだった。

「……、」

 その時、すぐに桶を拾い上げて家路を急がなかったのは何故だったのか。
 あまりの静けさに、他の生き物の――例えば鳥の――姿を確かめようとでもしたのであったか。
 後々になっても理由は思い出せなかったが、とにかくこの時、冷たい風に逆らうように彼女は顔を上げてしまったのだ。

「……?」

 はじめは大きな鳥が休んででもいるのかと思った。
 教会の鐘楼の、その高い外壁の傍、はるか中空に黒い影がある。
 見過ごしがたい奇妙な予感に捉えられ、目を凝らす。
 ようやく明け染めた空が、少しずつそのものの姿を暴いていく。

「……!」

 女は自分の喉から迸る悲鳴を他人のもののように聞いていた。
 悲鳴を上げているという自覚はなかった。

 鐘楼の最も高い窓から縄で吊り下げられたそれは、腹に空いた亀裂からその中のものをゆらゆらと垂らした、男の死体であった。

 ごうううん、と重厚な鐘の音が響き渡る。
 かの死体の両腕が揺らめいている。
 早くもそこに積もりはじめた雪は朝焼けを反射し、その煌めきは女の目を射抜いた。

「――――――!!」

 再び切り裂くような声を上げる。
 まるでそれに合わせたかのように、重厚な鐘の音も同じく響き渡った。

 もし、この時の悲鳴を街の外の人間が聞いていたとして、その意味を真には理解できなかったに違いない。
 それは呪われたホーの地に住まう者でなければ決して理解が及ばぬかたちの、精神に深く根ざした絶望の声であった。



 壁の燭台から獣脂の燃えるにおいが鼻先に届く。
 ふと、レギウスは窓に目をやった。
 街は雪に閉ざされている。

 冬が深まる時期にはちらつく雪は吹雪となり、冬至の頃にはダイヤモンドダストが降り注ぐ。
 この地ではそれを『氷竜のため息』と呼ぶ事を宿の主人が教えてくれた。
 何の依頼の予定もない自由の身なら、氷竜が再び眠る春を待ち、雪とともにここに閉じ込められる幻想も悪くはない。
 だが現実はそうした物思いに耽る事すら許してはくれなかった。

 出立の準備を整えるレギウスたち『星を追う者たち』の前に現れた男は年の頃二〇そこそこといったところだろうか。
 軽装だが銀色のバッジを胸に留め、腰にはサーベルを下げている。
 警備隊の一員だという青年は、昨日の朝から繰り広げられている惨劇について努めて感情を抑えて語った。

 レギウスはちらりとマーガレットを見やり、視線だけで用件を伝える。
 続きを促せ、だ。

「……そのおばさんが目撃した死体はどこの誰だったんだい?」

「この街に逗留していた吟遊詩人です。南のほうから流れてきたという事でしたが、詳しく知る者はいません」

「そのおばさんも気の毒に。一生忘れられないだろうね。それに街は上を下への大騒ぎだろう」

 目の前の警備隊の青年は疲れ切った表情を隠そうともせず頷いた。

「このような、その……奇怪な出来事ですから。警備隊発足以来の珍事です。引退して老境に差し掛かった隊員まで駆り出しています」

「そりゃまた……で、手を下した人物の目星は?」

「いえ。吊るされた死体を下ろし、土葬して、鐘楼を中心に調べ始めましたが、まだ……」

「……埋めちまったのか」

「え? ええ、それは。放っておけば腐りますし。あまりにも酷い有り様だったものですから……」

 救いがたい暴挙を目にしたと言わんばかりに口を挟んだレギウスは、大きく息を吐いて天井を見上げた。

「そして、あの、続きがあるんです。これで終わりではなかった。」

「ん?」

「その明けた次の朝、つまり今朝の事ですが……二つ目の死体が同じように鐘楼から吊るされました」

 黙って聞き手に徹していたターニャの目がすがめられた。
 ほかの連中も同様で、皆一様に不穏な空気を感じてレギウスに視線を向ける。

「……長くなりそうだ」

「とりあえず荷物おろそっか」

 ひと仕事を終え、もうリューンへの帰路に就くところだ。
 彼らの背中には長旅に備えた大荷物が背負われたままだった。
 改めて腰を据えた事を確認し、警備隊の青年は口を開く。

「殺されたのは雑貨屋を営んでいる家の娘です。それも、遺体の様子が一人目の時よりも酷い。もうなりふり構ってはいられないのです。もしかしたらこれで終わりではないのかもしれない……!」

「何か掴んでるのかい?」

 淡い期待を込めたはいいが、警備隊の青年は力なく首を横に振った。

「ホーは歴史の古い街です。人殺しも当然起こった事がある。でもそれは、おわかりでしょう、もっと簡単な性格なものでした。酔っ払いの喧嘩の末だとか、貧しさゆえに食い詰めて金品欲しさにといったような、そういった類のものです」

「よくあるやつだね」

「ええ、このような人殺しは……行きずりの旅人を殺すような、誰が何のためにやったのか見当もつかないような人殺しは初めての事なのです。貴方がたには様々な経験がおありだと聞いています。どうか、お力をお貸しください」

「冒険者だからね。納得できればどんな仕事でもするさ。ちなみに報酬は?」

「実際に解決に至る手がかりを見つけてくだされば、銀貨一〇〇〇枚を用意します」

「……話は分かった。だが、請けるかどうかは少し話してからにさせてもらう」

 マーガレットがお決まりの台詞を吐くと、警備隊の青年は静かに席を外した。
 真面目な空気に耐えられなかったのか、カイルは大きく息を吐いてテーブルに突っ伏す。

「昨日到着して、街の雰囲気が少しおかしいと思ったけど……まさかこんな事が起きてたとはね」

「けど、こういうのって冒険者に依頼するものなのかな~?」

「俺たちがこの街の教会の依頼をこなした事が知れてんだろうな」

「いやいや、『月歌を紡ぐ者たち』ほどじゃないけど『星を追う者たち』の名もリューンじゃそこそこ売れてきてるからね。信用されているって事さ」

「ま、『リューンで』ってところが大きいんだろうけどね。これがヴィスマールとかだったら依頼しようとは思われなかったかもだよ」

「こうして外に出ると周辺都市にはなかなかのリューン信仰が根付いてるってのが感じられるな」

 どうでもいいが、と切り捨ててレギウスは改めて仲間たちに向き直る。

「ひと仕事終えたばかりだ。懐は寂しくねェ。やらなくてもこっちに損はねェが」

「いいんじゃない、引き受けても。お金はいくらあっても困らないよ」

 こういう場面で真っ先に働き者になるのは守銭奴なカイルである。
 しかし彼の言い分ももっともだ。
 レギウスとマーガレットは個人的な研究のために稼ぎのほとんどを回してはいるため、資金が底を尽きてはそちらもままならない。 

「決まりか」

 否定意見がない事をみて、マーガレットは警備隊の青年を呼んだ。

「引き受けよう。これは君個人からではなく警備隊からの正式な依頼なのか?」

「はい。貴方がたが基本的にどこにでも立ち入る事ができるように、警備隊のほうで触れを出しておきます」

「あいわかった。だが、まだ情報が少ない。現時点で警備隊のほうで掴んでいる情報をもう少し詳しく提供してもらえないか」

「承知しました。一度詰め所に戻って整理しますので、後ほどお越しくだされば……」

「……待て」

 席を立ちかけた青年を呼び止めたのはレギウスだった。

「ひとつ聞かせろ。あんたには殺人の目的が分かってるんじゃねェのか」

 まさか、というマーガレットたちの反応とは裏腹に、レギウスの言葉に青年が見せた反応は顕著なものだった。
 空気を飲み込み、ひと呼吸置いてから彼はその理由を尋ねる。

「大した事じゃねェ。さっきのあんたの説明が引っ掛かっただけだ。
 ……『このような人殺しは初めて』って言ってただろ。聞いてた俺は当然、人が腹を裂かれて塔から吊るされた事だと思った。だが続く言葉はこうだった。『』」

「……、」

「この事件の様相について知った時、まず目につくのはその殺し方の異常性だ。おぞましく、理由も分からねェし、同様のやり方を聞いた事もねェ。この事件の性格を象徴しているのはまさにだぜ。決して殺されたのが流れ者の金無し男だった事じゃねェ。
 あんたがそこをスキップできるのは理由がわかっている、あるいは察しがついているからじゃねェかと思ったんだが。どうやら当たりらしいな?」

 青年は表情を強張らせ、ごくりと唾を飲み込む。
 まるで化け物を見たようなリアクションだった。

「……失礼ですが、貴方とは友人になりたくないですね」

 咎めるような青年の視線に、レギウスは「寂しいねェ」と肩を竦めて何食わぬ顔をしている。

「すぐに分かる事でしょうからお話ししますが……はい、私はある程度あのような殺し方の目的、意図に察しがついています。それについて話すのは街の者として、己の恥部を曝け出すに値する戸惑いがあります。お伝えするのが遅れた事、ご容赦ください」

 青年は一度俯いてから、意を決したように面を上げた。
 よほどの内容を窺わせる様子に、レギウスは腕を組んで情報の開示を促す。

「その殺され方は一五〇年前……大公サウルが亡くなった時のそれと同じなのです。
 私もあまり歴史に明るくはないのでかいつまみますが、ここヨーンソンの北の領ホーはかつて、亡きウルダーン大公国の首都でした。最後の大公サウルは民に重税を課し他国との戦争へ駆り出す暴君で、これに耐えられなくなった民がヨーンソンの助力を得て蜂起したのです」

「って事はつまり……処刑されたって事かい? 腹を裂かれて、鐘楼に吊るされて」

 青年は静かに頷いた。

「私は、誰かがあの歴史上の出来事になぞらえて事を起こし、人々を怯えさせて楽しんでいるのでは、と考えています。
 民の中には大公の亡霊が蘇って街の者に復讐をしているのだとか、そんな風に言う者も……いえ、ほとんどがそんな思いを抱いているか、押し黙り、今回の事は大きな声では語りません」

「なるほどな。あんたが言い淀む理由がよく分かったぜ」

「……貴方がたも、大公の亡霊の仕業であるとお考えになりはしませんでしょうね」

「ナンセンス。亡霊がロープを吊るすかよ」

「そう、ですよね……安心しました」

 青年の顔に滲んでいた緊張の幾分かが解けたようだった。
 レギウスのはっきりとした否定がそうさせたのだろう。

「大公の事についてお調べになりたければ、図書館へ行かれるのがよいと思います。何かあれば詰め所までいらしてください」

 青年は一礼し、人数分の飲み代にあたる銀貨を卓に置いて去っていった。
 契約は結ばれた。
 さりとて即座に席を立ち、情報を集めに街に繰り出すのは駆け出しを抜けた冒険者パーティにはありえない。

「方針を定めないとね。どこから探す?」

「まずは現場、それから遺体だ。あらかた片付いちゃいるだろうが、まだ何か残ってるかもしれねェ。つーか残ってなきゃ面倒くせェ」

「同感だね。でもそれにしたって警備隊の詰め所で情報もらってからでもいいんじゃない?」

「呪いだ祟りだと噂の流れる事件を真面目に捜査したとは思えねェから先に現場と遺体なんだよ。無くなってからじゃ遅ェんだ。被害者の接点だとか犯人の動機だとかは後で構わねェよ」

「ま、君がそう断言するなら文句はないよ。何しろこういった事件の謎解きは君の独壇場だからね。僕らは手足になるだけですよ旦那ぁ」

「そういうこった」

 方針は定まれば、次は行動だ。
 レギウスは椅子から立ち上がり――

「あ?」

 ――身体が傾いだ。
 咄嗟に掴んだ椅子とともに、レギウスはまともな受け身も取れずに倒れた。
 倒れた方向に人も物もおらず、巻き込み被害が大きくならなかった事は幸いだった。

「ちょ、レギウス、大丈夫かい!?」

「なんだこりゃあ……どうなってやがる」

 レギウス自身、何が起こっているのか理解できていなかった。
 手近な椅子を支えに立ち上がろうとするも、やはりうまくいかない。
 駆け寄った仲間たちに支えられて、ようやく椅子に座らされた。

「……レギウス、あきらかに熱あるね」

「うわ、マジだ。ひどい熱じゃん」

 不調が物珍しいのか、仲間たちはこぞってべたべたとレギウスに触れてくる。
 うざってェ、とレギウスはその手を振り払うも、ターニャは構わず検温を続けている。

「マーガレット、はこぶの手伝って。安静にさせないとよくないかも」

「よしきた。お姫様抱っこがいいかい? それともおんぶ?」

 もちろんマーガレットは冗談のつもりだったが、絵に描いたような嫌悪と軽蔑の表情をされてしまったので肩を貸すだけに留めた。
 昨夜借りた部屋に押し戻されたレギウスは半ば無理やり寝台に転がされる。

「クソが。なんだってんだ」

「ほら、文句いってないで。ほかに痛いところとかある?」

「別に……」

「ほんとに?」

「何もねェ」

「ほんとだね?」

「しつけェな!」

「きみは自分のことになるととたんに無頓着になるから、信用できないよ」

 レギウスは思わず言葉を詰まらせる。
 普段はあまり自己主張しないターニャであるが、ときたまこうやって有無を言わさぬ迫力を見せる事がある。

「熱と……軽い頭痛だけだ」

「完全に体壊してんじゃん」

「頭痛はいつもの事だ。気にする必要ねェよ」

「え、初耳なんだけどいつも頭痛してんの? やばいじゃん。絶対なんか変な病気とかだよ」

「適当言ってんじゃねェよクソガキ」

 いつもの窘める声にもどこか覇気がない。

「……レギウスはやすんでて」

「俺抜きで仕事片付けられんのか?」

「私がなんとかする。たまには年長者にたよっていいんだよ」

「……、」

「ま、大丈夫でしょ。調査は僕の十八番だし。レギウスは寝てていいからさ、どうしようもならなくなった時に知恵だけ貸してよ」

 あぁそうかよ、とレギウスは半ば諦め気味に息を吐いた。

「それじゃ、ステラはレギウスのお世話よろしく」

「は~い、お任せあれ!」

 さすがに聞き捨てならなかったのか、レギウスは飛び起きる。

「ちょっと待てコラ。なんでよりにもよって目を離せねェ奴を置いていくんだよ」

「目を離せないから置いていくんじゃないか。それに君を看病する人間も必要だからね」

「看病なんざいらねェよ。寝てりゃあ治る」

「とかほざいてますが、ターニャ先生いかがでしょう?」

「だめに決まってるでしょ。ステラ、あとお願いね」

 張り切って承諾するステラに対してレギウスはまだ納得していない様子だったが、とりあえずターニャたちは無視して帰り支度にまとめていた荷物を下ろした。



 宿の亭主には今日発つ旨を伝えていたため、まずは延泊を伝えてついでに病人食の用意を頼まなければならない。
 ターニャたちは最低限の荷物を抱え、一階の酒場へと降りていく。

「おっとすまない」

「ああ、いや。大丈夫だ」

 先頭で階段を下りていたマーガレットは、ふらりと席を立った酒場の客とぶつかりかけた。
 その中年の男は、昨日は見なかった顔だ。

「やあ。珍しいね、冒険者とは。近くに遺跡もないし、飯の種があるとは思えないが」

 思いのほか友好的で饒舌な男に、マーガレットは探りを入れてみる事にした。

「ありがたい事に、案外どこにでも需要があるものでね。これから鐘楼の殺人について調べるところだ」

 露骨なまでに男は表情を強張らせる。

「街の人、だね? なにか知らないかな、そう……殺された娘の事とか」

「娘……ああ、娘……雑貨屋の。いい子だったよ、素朴で優しくて……店はいま閉めちまってるようだ。
 できれば話してやりたいが、俺も祟りは怖い。もう話しかけないでくれ……」

 その男の様子は、警備隊の青年が語っていた恐れ方よりも深刻に見えた。
 先ほどまでの友好的な態度は影を潜め、男は銀貨を卓に置いて伏し目がちに酒場を後にした。

「……あんたら」

 そのやりとりを眺めていたのか、マーガレットたちに声をかけたのはカウンターの向こうに立つ宿の亭主だった。

「ああ、ご主人。すまないね。客を減らすつもりはなかったんだが」

「いや、……それよりもお仲間は大丈夫かい」

「よくないみたいだ。できればもう一泊、あの部屋を貸してほしい。それと病人でも食えそうな栄養のある食事を用意してもらえると助かる」

「分かった……」

 昨夜、『星を追う者たち』に料理を振舞った際の朗らかな笑い顔は消えている。
 マーガレットも気づいてはいたが、少なくとも宿を追い出されるような展開にはならない様子である。

「……あの詩人は、ここの次は復興中のプロトキンを目指すんだと言っていた」

 唐突に、宿の亭主は独白のように呟く。

「あそこの酒は面白いんだと言うと、浴びるほど飲むんだなんて軽口を叩いてね。悪い男じゃなかった」

「ご主人……?」

 この街に到着した昨夜には、すでに詩人は殺され、街の者もみなそれを知っていたはずだ。
 だのに今、主人の態度が昨夜と異なる事についてターニャは違和感を覚えた。

「神罰が下ったんだよ。……大公サウルの物語を詩にしたいなどと言ったから」

 後半は露骨に声量が絞られたが、それでも耳のいいターニャには十分聞き取れた。
 一人目の被害者は吟遊詩人だったという。
 街の者が恐れる大公サウルという禁忌に触れた事が、亭主の印象を悪くしているのだろう。

「外の者が触れていい話ではないんだ。あんたたち、依頼を請けたようだが、あまり深入りしないでほしい」

 それは事件解決のために禁忌に触れかねないマーガレットたちであっても例外ではないらしい。

「滞在費は警備隊が払ってくれるそうだから、昨夜と変わらずもてなそう。だが、大公は……あの御方はまだこの地に生きているのだ。我々はその怒りに触れぬよう慎ましく暮らさねばならない。いたずらに暴き立てるべきではないのだ……」

 一五〇年前も前に殺された大公サウルが、今さら詩にされる程度の理由で吟遊詩人を罰すなどありえない。
 そんな力があるのなら当時の民衆はみな呪い殺されていなければ辻褄が合わない。
 つまりは警備隊の青年が予想し、レギウスが断言したように、誰かが大公サウルの史実に基づいて模倣した可能性が一等高い。

 だが、大公サウルの顔も見た事がないはずの亭主ですらこうまで怯えている。
 どれだけ理屈を並べたところで、決定的な証拠がなければ彼らは納得しないだろう。
 それを見つけるまでは彼らの不興を買うような真似はできるだけ慎むべきだ。

「……ご忠告痛み入る」

 亭主には適当に返して、マーガレットたちは宿を出た。
 ホーの街は相変わらずの冷え込み具合で、もはや春も近いというのに未だに雪が降る日もあるという。

「さ、それじゃレギウスの遺言に従ってまずは現場に行こうか」

「勝手に殺してやるなよ」

 石造りの塔は街で最も高い建造物であり、遠目からもその姿を見る事ができた。
 教会に隣接している事もあって一切迷わずに一行は鐘楼にたどり着く。
 塔に近づくとやや欠けた石もあり、――大公サウルの史実がある以上、一五〇年前には造られていたはずだ――年月を重ねている事が見て取れた。

 中へ入るための扉の周りの地面は、警備隊のものであろう多数の新しい足跡にまみれている。
 扉は無残に打ち壊されている。
 中央には鐘楼内の様子がうかがえるほどの大きな穴が開いていた。

「冒険者の皆さん。調査は進んでいますか」

 マーガレットたちに声をかけてきたのは、大柄な警備隊の男だった。
 どうやら殺人の現場である鐘楼周辺の保全のために立番しているようだ。

「この扉は警備隊がやったのかい?」

 マーガレットは大穴を指して言った。

「いいえ。中に入るだけなら管理しているシスターから鍵を借りてくればいいので」

「それじゃ、この穴を開けたのは」

「昨日の朝、詩人の死体を目撃した主婦から一報があり、駆け付けた時にはこの状態だったのです」

「……それにしてもおおきな穴だね。中にはいるだけなら、錠付近に腕がはいるくらいの穴をあけて、内側から鍵をはずせばいいんじゃないのかな?」

 ターニャの疑問に、警備隊の男は首を横に振る。

「内側からの鍵の開閉はもともとできないんですよ。納屋なんかと同じです。その必要がないですから」

「納得……穴のおおきさは、くぐるには充分だね。子どもや女性ならなんなく通れるし、多少体格のいい男性でも通れないことはないとおもう。かがんで足から通すとか」

「さすがにここから犯人の風貌を絞れるほど甘くはないか」

「極端に太ってはいないんじゃない? 幅はそんなに大きくないもん」

「……ん?」

 扉の大穴に注目していたターニャだったが、すんすんと鼻を鳴らした。
 やがて半開きの扉の、外側にあたるノブの縁を指先でひと撫でした。

「オリーブ……?」

 ターニャの嗅覚は指先のべたつく何かに対して、そう答えを出している。
 改めてターニャはドアノブを子細に検分するが、ほかに情報は得られなかった。
 振り返ると、カイルは扉の大穴のほうに興味を示したらしく、しゃがみ込んで散らばった木屑を調べていた。

「なにかわかった?」

 カイルは肩を竦めて応えた。

「たぶん、斧だ。ホーならどの家庭にもあるんじゃないかな。薪が要るからね」

「ふむ……」

 ターニャは顎に手を当てて思考した。
 ややあって、警備隊の男に向かって口を開く。

「ねえ、ここ、普段から鍵はかかってるの?」

「ええ、朝昼晩と鐘を鳴らすためにシスターが開閉する以外は、常に」

「それは確かなの?」

「先ほど教会で確認しています。戒律だから仕方ないとはいえ、筆談だったので大変でしたよ」

 ホーの教会では過去から続く戒律が守られており、
 そのためシスターたちは言葉を話す事自体を禁じられている。

「今はさすがに鐘をつくのは控えてもらっています。何しろ現場ですから」

「二度目の殺しは今朝だったはずだけど。ここはどういう状態だったんだ?」

 マーガレットの質問に、警備隊の男はばつが悪そうに視線を泳がせた。

「扉などはこのままの状態で……まさか、二度目があるなどとは思っておらず、……無人でした」

「なるほど……」

 意味深に頷いたターニャだったが、ただ警備隊の男の証言を確認したわけではない。
 この街に根付いた大公サウルに対する恐怖が今になって噴き上がっている理由が、彼の言葉でおぼろげながら理解できたからだ。

 殺された旅人の様子が大公サウルの死に様に酷似していただけならば、大公の亡霊が蘇っただの神罰だのと、内心ではそう思っていても表に出すほどではなかったはずだ。
 しかし二人目、街の人間が理由もわからずに同じ殺され方をしたとなれば話は違う。
 二つの殺人を結びつける唯一のピースが『大公サウル』なのだ。
 本来であれば長い年月によって薄れ、古典となって埋もれていくはずの大公サウルという名が、街の人間に再び深く刻まれたのだ。

 半信半疑の若者たちは、この事件に犯人がいるのならばそれを挙げて安心したいと思っているはずだ。
 だが大公サウルの亡霊や神罰といったものを馬鹿馬鹿しいと一蹴できないもう半分が、彼らの足を鈍らせている。
 誰しも矢面に立ちたくはないからこそ、『星を追う者たち』に緊急の依頼があったのだろう。

「どうしたんだい、ターニャ? 何か気になる事でも?」

 気づけば、カイルとマーガレットはすでに鐘楼内の調査に乗り出している。
 置いていかれてはたまらない。
 ターニャも足早に半開きの扉をくぐって塔の中へ足を踏み入れた。

 中に入ると、吹き抜けをぐるりと螺旋階段が昇っていくのが見える。
 底冷えのする空気が肌を刺した。
 かつん、かつん、と石造りの階段を靴底が叩く音がしばらく鳴り響いた。

「わあ……」

 長い螺旋階段を昇った先で、まず目に入ってくるのはその大鐘だ。
 思わず感嘆の声を漏らしたターニャに、鐘楼内の立番を担当している警備隊の男が反応を示した。

「鐘は年月を経て劣化します。音は軽くなり、本来の響きを失う。ですがこの鐘は、最後に交換されてから一〇〇年以上、響きを失っていません。これは、そう……大公サウルの死を悼んだ名工の手による作品だったと思います」

「一〇〇年! そうとう古いものとはおもっていたけれど……」

 ターニャも吟遊詩人の端くれだ。
 神秘的な雰囲気を漂わせる大鐘から受ける感銘をそのまま詩に乗せてしまいたいと好奇心が疼く。
 しかし他の仲間はすでに床の血糊を調べ始めていたため、ぐっとこらえてそちらへ向かった。

「石畳の隙間、血が流れた跡がある」

「ここで争いがあったという事か」

「そう。この残り方からして、かなりの量の血が流れたと思う。きっと殺人の現場はここだと思うよ」

 辺りを見回しても、死体が吊るされていたと思われる張り出しの窓と、ホーに時を知らせる鐘だけしかない。
 ターニャは先ほどの警備隊の男に声をかけた。

「ここ、死体の発見時はどんなようすだったの? ふたつの死体はロープでつってあったんだよね?」

「ああ、はい。張り出しの石の一つにロープが巻き付けられていて……そこから死体は吊るされていました」

「床は?」

「は?」

 男は意味をはかりかね、目を瞬かせている。

「ここの床。どんなようすだったの?」

「ああ、それは、ひどいもので……特に、吟遊詩人の死体の時は。血が飛び散っていましたから、後始末が大変でしたよ」

「ん……? 死体の損壊がひどかったのは雑貨屋の娘さんのほうじゃないの。なのに床にながれた血は吟遊詩人のほうがおおかったの?」

「ええと、ええ、はい。娘の時はほとんど血が流れていなかったように思います」

「……、」

 レギウスではないが、ターニャもまた軽い頭痛をおぼえた。
 彼が面倒くさいと言っていたのはまさにこういう事で、もし片付けられたものの中に重要な証拠が眠っていた場合、頼りになるのはこんなあやふやな記憶だけなのだ。

「遺体、埋葬したんだっけ」

「はい。街外れの墓地に」

「つぎからは、死体をみるより先に私たちを呼んでね」

「はっ……? そんな無茶な……それにつ、次って……そんな不吉な」

「冗談だよ」

 無論、ターニャにも事件の全容は掴めていないし、次があるかどうかも分かってはいない。
 だが意図的でないとはいえこれ以上の証拠品をいたずらに失わせてはたまったものではない。


To Be Continued...  Next→

ウーノの追想 

 深緑都市ロスウェルから南に少し下った辺りにアルタロという集落がある。
 アルタロはロスウェルが『陰の街』と揶揄される以前よりキルヴィの森の片隅でひっそりと存在していた。
 大昔にはキルヴィのエルフより狩りの仕方を教わるなどの交流もあり、そんじょそこらの集落よりは技術的に栄えていたのだろう。

 そんなアルタロ村の外れには村や森とは到底そぐわないであろう、場違いな雰囲気の屋敷が建っている。
 村や森どころかリューンやそれこそロスウェルのような中規模以上の街でしか見られないような豪奢なものだ。
 乳白色の外壁には至る所にひびや劣化が見られ、全体に蔦が巻きつき自然な緑色で調和が成されている。

 しかし見落としてはならない。
 この屋敷はここアルタロの地に建てられてわずか数年しか経っていないのだ。
 ひびや劣化、外壁を這う蔦も全てカモフラージュだ。

 それらは全て屋敷に住まう魔術師・グリスの仕業である。
 老年といっても差し支えないほどに老いさらばえたグリスは、それでも一流の魔法の使い手だ。
 地下の遮光研究所で魔法生物の研究に精を出しているらしい。

 そしてあの屋敷に住まうもう一人。
 アルタロを包むキルヴィの森を必死に走り続け、川に行く手を阻まれて途方に暮れている少年がそれだ。
 別に何かに追われている訳でも何かから逃げている訳でもない。
 ただ、猛烈な違和感に対して自分の出した結論が『外へ出る』だったに過ぎない。

「チィ……」

 ひたすらに走っていたためか、靴の底が破れてしまっている。
 それどころか足の裏には石か何かで切ったような傷があり、血が滲んでいた。

 思えば無茶が過ぎる逃走計画だった。
 あちこちに綻びが見られ、終いには破綻した末に立ち止まっている。
 もう少し冷静だったならば成功しただろうか。

「……ンな訳ねェだろ」

 逃走という根底が不可能なのだ。
 そもそもどこへ逃げようというのか。
 少年にとっての『世界』とはあの場違いな屋敷だけなのに。

 やれる事がなくなったので、少年はその場に寝転がった。
 もはや押すも引くもできない。
 後は野となれ山となれ、だ。

「いたいたー! ウーノさまこんなところまで逃げるなんてー!!」

 ふと、近くの茂みをがさがさと揺らしながら甲高い声が響き、ウーノと呼ばれた少年の耳を打った。
 眉をしかめて視線を動かすと、そこには葉や枝や植物の種をあしらった独創的なメイド服を身にまとった褐色肌の少女が顔を出したところだった。

「まったくもう、これで何度目かなウーノさま。旦那さまに叱られてしまうのはランなんだよっ!」

 全身にくっついた植物の欠片を叩き落としながら、ランはぶちぶちと文句を言う。
 メイドキャップからあふれる茶髪にはオナモミがびっしりくっついていて、ランは若干涙目になっている様子だった。

「オマエの給金がどこまで減っていくか挑戦中だからな」

「――もう、ウーノさま!」

 頬を膨らませて怒った様子を見せるが、その間もしつこく髪に絡まるオナモミに苦戦しているので迫力に著しく欠ける。

「あぁうざってェ! 取ってやるからじっとしてろ!!」

「え、本当ですかやったお願いしまぁす! ほんっと取れなくて、これ!」

「……千切るか」

「か、髪を!? やめ、やめてギョエエエエエエ!?」

 ブチブチとオナモミを剥がしては捨てを繰り返すウーノはどこまでも無表情だった。
 ちなみにランの言葉尻がコミカルな悲鳴じみたものになったのは本当に引きちぎったわけではなく、単に引っ張られて痛かっただけである。

「ちょ、もうちょっとゆっくり取ってぇイタタタタタタタ!」

「ゆっくりじゃ取れねェだろうが」

「手心を加えてイダイッ! 手心を!!」

「うるせェなぁ……無理にでも取らねェとオマエの頭に種が根付いちまうぜ。そんでじわじわと植物に頭を乗っ取られて終いにゃ身体の自由も利かなくなってだな」

「ええっ、なにそれこわい! と、取ってくださいウーノさま!!」

 ぎゅっと目を閉じて、ランは覚悟を決めたらしい。
 ならばと遠慮しないのがウーノである。
 それから少しの間、ランの悲痛な叫びがキルヴィの森に響いた。

「ひぃーん……痛いよぅ……」

「全部取れてよかったなぁ?」

「良かったけどぉー……女の子の髪は大切なんだよぅ?」

「ハァ? ガキが色気づいてんじゃねェよ」

「ウーノさまとラン、同い年だけど……って、違うよ!? 別にウーノさまがお子さまだとか思ってないからね!?」

「一言多いんだよオマエは」

 ウーノは深くため息をついて、

「腹減った。帰るぞ」

 踵を返して歩きだした。
 足の怪我が痛みを発するが、ウーノは無視した。
 追従するように、ランもその後ろを静々と歩む。

「――そう、ランはウーノさまを連れ戻しに来たんだよ! というわけでウーノさま、大人しくお屋敷へ戻りましょー!」

「だから帰るっつってんだろ」

「……というか。どうしてウーノさまは毎度毎度脱走なんてするの? 成功した試しがないじゃない」

「成功してたらここにいるわけねェだろ」

 その軽口に対して、ランはじっとウーノの目を見つめた。
 はぐらかされた事への不満や叱責ではない。
 純粋な疑問とも少し違う。
 言うなればそれは、心配するような眼差しだった。

 どれほどの間、二人は無言だったろう。
 背を向けて歩いているというのに、ウーノの後頭部にはランのあの瞳が向けられている気がしてならない。
 ついに折れたウーノはため息をひとつついて口を開く。

「まぁ、言っちまえばいつもの事なんだがよ。……今回の『実験』はいつもより嫌な予感がしやがる」

「でも旦那さまの『実験』ももうすぐ実を結ぶ、と言ってたから。上手くいけば今回にでも」

「実を結ぶ、ねェ……」

 だから脱走してんだろうが、と言い掛けて、ウーノは口を閉ざした。
 整備された道を抜けた先、あの悪趣味なグリスの屋敷にたどり着いたからだ。
 玄関の扉の前に、黒装束の老人が佇んでいる。

「遅いぞ」

「はっ、はい! 申し訳ございません旦那さま!」

「すぐに始める。用意しろ」

 ウーノには一瞥もくれず、グリスは屋敷へと消えていった。
 相変わらず愛想のない野郎だ、とウーノは心の中で悪態をつく。

「それじゃ、行こっか。ウーノさま」

「あ? 今回の『実験』に俺は要らねェんだろ?」

「何を言ってるの。足、怪我してるでしょ。ちゃんと手当てしないと大変な事になるからね!」

「チッ、気づいてやがったか」

 こうやって構われるのが好ましくないから隠していたというのに。

「はいはい、文句言わずに。ランの部屋に行きましょ?」

 にっこりと笑みを浮かべてランは手を差し伸べた。
 ウーノは小さく息を吐いてからそれを無視して歩き出した。
 今度は先ほどのように隠さず、なるべく傷口が地に触れないような慎重な歩みだ。

「素直じゃないんだから、ウーノさまは」

「うるせェよ……」

 ランは玄関から程近い小部屋を宛がわれている。
 滅多にない来客の応対だとか警備のためだとか理由がつけられているらしい。
 左右を書庫と倉庫に挟まれた、二階の大部屋で生活するウーノにとっては羨ましい限りである。
 だだっ広いだけの殺風景な部屋に一人で生活していると、じわりじわりと世界から離れていくような、そんな奇妙な感覚を覚えるからだ。
 成功しない脱走計画を何度も何度も立てている理由の一つでもある。

「さぁさ、座って」

 部屋に入るなり座るよう促されるものの、ランの部屋には簡素な寝台とボロのデスクのみでまともな椅子がない。
 故に、いつもどおりウーノは寝台へと腰掛けた。

「じゃーん! こんな事もあろうかと、森で色々と薬草を拾っていたんだよ!」

「オイ待てコラ。毒草混じってんじゃねェか」

「ええっ!? う、嘘!?」

「皮膚からでも容赦なく浸透して体内を侵すタチの悪ィ毒草だったか」

「ひえーっ!?」

「冗談だ馬鹿。毒草ってのは嘘じゃねェがな。それとそれ、捨てとけ」

「うわぁんウーノさまのばかー! でもありがとう! 捨てます!!」

 毒草を手に部屋を飛び出したランはしばらくして戻ってきた。
 両手が湿っている辺り、しっかり手も洗ってきたのだろう。
 毒草と薬草の区別もつかないほど鈍い癖に、こういうところは細かいのだ。

 薬草を適切に加工して傷口に宛がい、包帯できつすぎないように固定する。
 その手際は見事なものだ。
 おそらく、そうやって手馴れるほどに怪我をしてきたのだろう。
 女だというのに。

「はい、これでもう大丈夫!」

 この笑顔の裏ではどれだけ涙を流してきたのか、ウーノに分かるはずもない。
 分からないが、それでも笑顔でいられる彼女の強さを垣間見た気がした。

「と、いうわけでランは『実験』に向かうからね! ウーノさまはおとなしくしててね!」

「オマエ、俺を犬か何かと勘違いしてねェか?」

「いえいえ、ウーノさまはどちらかというと気まぐれにゃんこ」

「どうでもいいんだよンな事ァ。さっさと行っちまえ」

 処置した怪我の調子を確かめるように立ち上がり、足早にランの部屋を出た。
 グリスはウーノの治療に関しては特に言及する事はないだろうが、それでも実験の開始を宣言していた以上、あまりにも遅くなってはランが不利益を被りかねない。
 そこまで思考してウーノは頭を振った。

「……腹ァ減ったな」

 誰も聞いていないというのにごまかすように呟き、ウーノはキッチンへと足を向けた。



 唐突な衝撃が屋敷を揺らした。
 ウーノは転ぶような無様は晒さなかったものの、それまでかじっていた黒パンを取り落としてしまった。
 これがランだったら『まだ大丈夫、三秒ルールだよウーノさま!』と言って埃を払った程度で食べてしまうのだろうが、ウーノはそんな真似はしない。
 というよりそれどころではない。

「今のは……」

 状況を把握する間にも二度三度と大きく屋敷を揺らす衝撃があった。
 戸棚に収められていた食器やグラス類が軒並み放り出され、床に落ちて割れていく。
 幸い家具が倒れてくるような事態にはならなかったものの、陶器やガラスの破片で床一面が危険地帯と化した。

「どうなってやがんだ、今回は」

 おそらく、いや間違いなく『実験』の余波が響いてきているのだろう。
 以前にも同じように衝撃で屋敷が揺れた事があったが、今回のようにひどいものではなかった。
 ウーノの心はざわついた。

(一体、何をやってやがる?)

 ランは上手く事が運べば今回で『実験』が実を結ぶと言っていた。
 その前兆なのかもしれない。
 実った果実の良し悪しに関わらず、だ。

(俺には関係ねェ……)

 『実験』の内容についてはウーノには一切知らされていない。
 魔術狂いのグリスが勝手にやっている事だ。
 どうせろくでもない内容なのだろうし、出来る事なら関わらないほうがいい。
 しかし、ウーノの身体は思考とは裏腹に地下室へと下る階段へ向かっていた。
 『実験』の内容にもグリスの安否にも興味はないが、それでもあのそそっかしくて鈍くさい馬鹿がマヌケを晒しているかと思うとからかいに行きたい気持ちはある。

 地下室へ向かう階段には一切の明かりがなかった。
 これまで住み慣れたはずの屋敷の見知らぬ場所だ、慎重にならざるを得ない。
 そうこうしている間にも何度か大きな揺れが足元を揺るがしてくる。

(なん、だ……こりゃ)

 ややあって辿りついたのは巨大な鉄製の両扉であった。
 出入口がこれほど大きいのなら、中はもっと広いに違いない。
 しかしウーノが怪訝な表情を表したのは、その扉の隙間から溢れ出る玉虫色の光に対してであった。

 今までに見た事のない光に、ウーノは思わずその場に立ち止まった。
 わずか一瞬後、彼はその無意識の判断に命を救われる事になる。

「――っ!!!」

 炸裂音と共に、扉の片方が恐ろしい勢いで吹き飛んだ。
 蝶番からへし折られた扉はその形を歪ませながらウーノのすぐそばを掠めて飛んでいき、壁にぶつかってようやく止まった。
 鐘の音に似た轟音が鳴り響くも、ウーノはそちらに気を留められない。
 扉が吹き飛んだ事で内部の様子を見てしまい、彼は思わず息を呑んだ。

 地下室の中にはおぞましい光景が広がっていた。
 おびただしい数の死体。
 まだ年端もいかない裸の子どもたちが、血溜まりの中に折り重なるように沈んでいた。
 そして部屋の中で爆発が起こったかのように、四方の壁に向かってありとあらゆるものが叩きつけられている。 
 デスクや書庫の中身、硝子製の容器などは滅茶苦茶に破壊されているが、子どもの死体も例外でなくそのほとんどが四肢か頭のいずれかを欠いていた。
 それほどまでにヒトの命が冒涜され、踏みにじられていた。

「……グリ、ス……!」

 これまで長くこの屋敷に住んでいたが、こんなに大量の子どもの姿を見た事なんて一度もない。
 そしてこんな数の人間を家主に無断で引き入れるなんて不可能だ。
 おそらくはそれを成したであろう老魔術師の姿を探し、ウーノは部屋の中へ足を踏み入れた。
 ばしゃ、と血溜まりを踏みつける感触が不快ではあるが、それでもウーノは構わなかった。

「グリスッ!!」

 ようやく見つけた老魔術師には、いつも漂わせていた傲慢なまでの余裕を一切感じられなかった。
 撫でつけるように後ろへ流していた白髪も振り乱し、額には玉のような汗を滴らせて息を切らせている。
 全身を真っ赤に染め、必死の形相で何事かを叫び、儀式用のナイフ――アサメイ――を振るう。

 

 チカチカッと赤い光が二度瞬いた後、部屋の中で膨大な圧力が弾け、グリスはおろかウーノさえも巻き込んで荒れ狂う。
 視界が歪むほどの膨大な『チカラ』によってグリスとウーノは等しく壁に叩きつけられた。
 一緒に巻き上げられたのだろう、子どもの死体やその破片が二人の上へ降り注ぐ。

「く、そ……何が、どうなってやがる……!?」

「……ウーノ!? 愚か者め、何故降りてきおった……!」

 苦虫を?み潰したような表情のグリスに、ウーノは口を突いて出そうになった文句を飲み込んだ。

『――ぎゃははははっ! はあっははははははははァァァ!!!』

 哄笑が地下室に響き渡る。
 それはおよそまともな人間が出せるような笑い声ではない。
 狂人のそれだ。

『おいおいおい、耄碌爺ィよぉ。万策尽きたかよ、「そんなモン」に頼るなんざ俺様を笑い殺そうってハラかよぉ? なぁ、ええ?』

 それは一本の蝋燭のように見えた。
 しかし先端に灯された火は一切の明かりをもたらす事なく、周囲のどす黒い渦に呑まれている。
 火が揺らめくたびに蝋燭は朧げな輪郭を揺らし、その姿を一定に保つ事はない。

「……悪魔デーモンめがほざきおって!」

『その悪魔に頼ろうとしたのはどこの誰だよグリスちゃーん!? ざァんねェんでしたぁー! テメェのか細い希望はこの通り、テメェが瞬間に粉々のゴミカスになって消えちまったのでしたぁぁぁーーー!!』

「……仕方があるまい。ウーノよ手を貸せ、『奴』を殺すぞ!!」

「ふざけてんじゃねェぞ! その前に説明しやがれ!」

「説明などしている暇があるものか!」

 グリスの言葉通り、次の瞬間には赤い光が膨大な熱量となって二人を襲う。
 火炎が部屋を焦がし、調度品の成れの果てへと燃え移ってさらには子どもたちの死体を焼き尽くしていく。

「――ともかく上へ行くんだ! 『奴』はここに閉じ込める!」

 グリスはウーノを扉の向こうへと突き飛ばすと、何事かを呟いて儀式用のナイフを『悪魔』へ向ける。
 緑色の光が迸ったかと思うと、それは突風へと姿を変えて『悪魔』も何もかもをも巻き込んで地下室の奥へと押しやった。

「……オイ! ランの奴はどうした!? まさかまだ地下にいるんじゃねェだろうな!?」

 首根っこを掴まれ、乱暴に階段から引きはがされながらもウーノは叫ぶ。
 それには答えずにグリスは荒い呼吸を繰り返しながら蹲る。
 よくよく見れば、彼の腹部には調度品の破片が突き刺さっており、そこから赤い染みが広がっていた。
 
「その様子では長くは保たないでしょうね」

「――ッ!?」

 一体いつの間に現れたのか。
 屋敷一階のエントランスには背の低い女の子が一人佇んでいた。
 サイズが合っていないのか、彼女が身に纏う黒いコートの裾は無造作に縛って留めてあり、フードは目深に被っていて顔は見えないものの、首筋からあふれ出る金の髪はやけに輝いて見える。

 その姿を認めてもなおそこには誰も居ないような錯覚に陥り、ウーノは眉間に皴を寄せる。
 ウーノの眼がおかしくなったのではない。
 彼女の存在感が異常なまでに希薄なのだ。

「……来おったか、死神」

「往生際が悪いからそうやって苦しむのですよ」

 死神と呼ばれた少女はそれを否定しなかった。
 異常な雰囲気と風貌から、彼女が『死神グリム・リーパー』である事は疑いようがない。
 なまじ、ついさっきまで『悪魔』と相対していたのだから、信じざるを得ないのだった。

「そんな人形ひとがたまで造ってもわたしの眼は誤魔化せません。逃がしませんよ」

 ウーノを一瞥して、彼女はそう言った。

「人形……?」

「黙れ死神! わしは負けぬ! 貴様にも、悪魔にもなッ!!」

 轟!! と、地下から立ち上った衝撃が一階のエントランスを貫いて、膨大な熱量を撒き散らした。
 支えを失った床が抜け、死神を含めた三人は成すすべなく床下まで落下する。
 グリスの地下研究室は、ちょうど真下に位置していた。

『笑わせんじゃねぇぇぇぞグゥリスゥゥゥゥゥ!!』

 地下から大魔力をぶっ放した張本人である悪魔は、もはや蝋燭の姿をしていなかった。
 茶色の髪を揺らしながら、メイド服を身にまとった褐色肌の少女。
 見忘れるはずもない、まさしくウーノが記憶しているランの姿をしていた。

「……人形製造のみならず悪魔召喚まで行っていましたか、悪逆非道の罪人グリス!」

 死神の少女は身の丈より長い棒を手にしたかと思うと、先端近くから青白く輝く刃を形成させた。
 それはまさしく死神が用いる大鎌だ。
 もはやグリスにもウーノにも気をとめず、瓦礫の上に堂々と立つ悪魔の少女へと飛び掛かっていく。

「――ベル!」

 唐突に、別の赤い影が現れて悪魔へ攻撃する。
 赤い影の手には死神と同じく黒塗りの棒が握られており、こちらは赤黒い刃が形成されていた。
 真紅のコートに身を包み、肩まで伸びた赤い髪を揺らすのは不健康そうなほどに白い肌の女性だった。

「マグ姉さん! どうしてここに……!」

「こいつが例の悪魔――『美食家トップイーター』ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトだからさ!」

「……なるほど。グリスが縋りつきそうな相手というわけですか」

 それだけ会話を交わして、二人の死神は同時に悪魔ヴィルヘルムへと飛び掛かる。

「何がどうなってやがる……!? 説明しろグリス!!」

 グリスは脂汗を滴らせながら「くそ……」と奥歯を噛み、やがて口を開いた。

「……あの死神どもはわしの命を狙っておる。わし本来の寿命はとっくに尽き、今は遮蔽魔術の応用でこの世に残留しておるにすぎん。彼奴はそれが気に食わぬと襲い掛かってきおる。そのための対抗策としてあの悪魔を呼び出し、使役する心算じゃった。死神さえどうにかなればわしの研究を邪魔する障害は何もなくなる」

 その結果がこの様だ。
 異常なまでの生への執着が死神を呼び、死神を追い払うために悪魔を呼んだ。
 それだけの事実だけで断言できる。
 

「人形ってのは……どういう事だ……」

「貴様はわしが造り出したホムンクルス、その……故に貴様は実験番号一番ウーノなのじゃ」

「な、に……!?」

「すでに寿命が尽きたわしに延命術式は効果がない。なればわしの知識と記憶の全てを別の肉体に容れ、新たな人間として生まれ変わったほうが綻びは生じにくい……適合率を上げるためにわしの血肉を用いて培養した貴様は『グリス・エスメラルダ』という魔術師を形成する肉体に過ぎん」

 自分の出生の秘密を知り、その普通でない在り方を知らされればヒトはここまで言葉が出なくなるものか、とウーノの頭は吃驚しながらも冷静に処理した。
 時折、デジャヴのように頭の中に浮かぶ何かの術式や見た事もないはずの毒草の知識などは、すでにグリスの知識が移されていたからか。
 地下室で見た数多の子どもの死体は、実験の失敗作の成れの果てだったのだろう。

「ウーノ、生粋の魔術師としてこの世に生を受けた貴様になら理解できるはずだ……わしの研究がいずれ世界を変えるほどの価値を生むのだと。今はまだ途上だが……時間さえあればいずれ実を結ぶ! 今わしの肉体は滅びつつあるが、最後の記憶転移術式はすぐにでも起動できる……貴様の肉体と我が記憶があれば死神だの悪魔だのに後れを取る事はない!」

「………………」

「さあウーノよ! わしの近くへ来い……術式を始めるぞ!!」

「……行くと思ってンのか? そんな話を聞かされてよ」

「な、何を言って――!」

 たとえ理解ができたとしても、この心が反発するのであれば身体も拒否するに決まっているはずなのに。
 研究の成就という幻に取りつかれ道を誤った魔術師グリスにとっては、それすらも判断できないほど落ちてしまったのか。

「――

 吐き捨てるように言い放ち、ウーノはグリスに背を向けた。
 一瞬の静寂の後、何事かを叫びかけたグリスの周囲を爆炎が包み、そして弾けた。
 死神と悪魔の戦いの余波が、全ての元凶であるグリスの旧い肉体を、現在の記憶を保持した脳を焼いていく。

「ラン……!」

 すでに思考を切り替えたウーノは『さっきまでグリスだった焦げ肉』に背を向けて駆けだした。
 崩落した瓦礫にほとんど圧し潰されているだが、それでもウーノはある一点を目指している。
 たとえグリスの記憶がなくとも、悪魔召喚の術式のために整えられた地下実験場においてランの役割と居場所は決まっている。
 悪魔がランの姿を得ている事からも彼女が召喚のための生贄に用いられた事は間違いなく、それらはグリスからすでに移されていた魔術の知識がそう結論を弾き出していた。

 幸いにも悪魔は階段近くで魔力を爆発させたため、地下実験場の中心――すなわち悪魔召喚の魔法陣の中心――は無事だった。
 そこには胸の前で手を組み、仰向けに横たわるランの姿があった。

「オイ、しっかりしろ!」

 あの悪魔が『何』なのかは知らないが、グリスの知識に存在する悪魔召喚の術式はすべて完全に限界させるほどの『重い』術式ではなく、悪魔を呼び出して知恵を借りる程度のものだ。
 であれば、生贄に人間一人分の血肉を要求するほどのものではない。
 生きているはずだ。

「う……ウーノ、さま……?」

「立てるか?」

「寒い……」

 ランはとても立てる様子ではなかった。
 すでに多量の血液が捧げられたのか、彼女は瞼を震わせるばかりでほとんど動けない。
 いつ呼吸を止めるかは時間の問題だが、まだ生きている。

「……、」

 ここでようやくウーノは場の状況を視た。
 死神二人がかりでも悪魔を相手取るのは難しいのか、どうにも旗色が悪そうだ。
 彼女らの口ぶりからすれば悪魔の命も狙っていた様子だが、もう一人の標的であるグリスはもうこの世にいない。

「――ぐあっ!」

 悪魔の放った魔力の槍が真紅の死神の胴を貫く。
 死神はそのまま吹き抜けから二階の壁にぶつかるほどに弾き飛ばされ、そのまま床をぶち抜かれた地下まで落下して叩きつけられた。
 高所からの落下がなくとも、致命的な一撃に違いない。

「ひゃーーーはははははっ! 歯ごたえねぇぇぇなぁぁぁぁぁ!?」

「くっ……!」

 もう片方の黒の死神は悪魔に首を締めあげられていた。
 彼女の右肩は血に塗れ、力なくだらりと垂れ下がっている。
 すでに大鎌を握るどころか悪魔の手を引きはがす力すらも残っていない様子だ。

 この瞬間。
 死神すらも『悪逆非道の罪人』と評し、自らの視点から見ても人間のクズだと判断したグリスと同じ知識を持つウーノの脳みそは好機を見出した。
 複数の糸を紡ぎ合わせてタペストリーを織るように、あらゆる知識の糸を用いて弾き出した演算結果にそう出ている。
 グリスが死亡した事で知識が逆流しているとでもいうのか、まるで人が変わったようにウーノは冷静に、冷徹に状況を見極めて解を出していった。

「――、」

 ウーノの口が言葉を紡ぐ。
 それは呪文の詠唱であり、すなわち魔術の行使に他ならない。
 一度も魔術師に師事した事がなく、まともにその様子を見た事もないのに、グリスの脳は経験を補って余りあるほどの知識を与えていた。

「あァ?」

 ばつんっ! と悪魔の腕が爆ぜ、派手に血肉を散らす。
 その手が掴んでいた死神は重力に引かれるままに倒れ伏した。
 第一目的である死神の解放は果たした。

「……ウーノだとか呼ばれてたガキじゃねぇか。テメェ何をした?」

「――、」

 ウーノは答えずに更に詠唱を続ける。
 魔力を糧に生み出された白く輝く獣爪が悪魔を襲う。
 その一撃は石造りの床を易々と砕き、大きく爪痕を残すほどだった。

「チッ」

 さすがに無視できなかったのか、悪魔もまた黒に染まった獣牙を生み出して相殺する。
 それでも先んじて詠唱を重ねていたウーノの獣爪は雨のように降り注ぎ、ついには悪魔が立っていた足場を完全に切り崩した。
 地下から一階へ上ったウーノは館の外へ追い出した悪魔と相対する。

「俺様はテメェの脳みそ弄った覚えはねぇぇぇんだけどなぁぁぁ? グリスの野郎が小細工してやがったって事かぁぁぁ???」

「理論自体は出来上がってたんだよ、オマエなんざいなくてもなァ」

「だとしてもテメェの限界はグリスだ。何とかなるとでも思ってんのかぁぁぁ?」

 その問いにウーノは嘲笑で返した。

「――とっくに解析は終わってんだよクソ野郎」

 宣言と共に、屋敷が大きな音を立てて揺れた。
 地震とは違う。
 揺れているのは屋敷だけで、悪魔の立つ屋敷の外は一切揺れていない。

「グリスには遮蔽魔術の知識がある。外界との断絶……知識を持たねぇ奴ならそれこそ永遠に閉じ込められる代物だ。オマエに死神を始末させた後、自分だけ外に出て使う心算だったんだろうな。起動準備はずっと前から済んでいたみたいだぜ?」

「テメェ、まさか――!」

「一歩でも外に出た時点でオマエの負けは決まってたんだよ。これから遮蔽魔法の勉強でもしてみるか?」

 悪魔召喚は死神に対抗するための一手ではあったが、魔術師グリスが何の理由もなく無関係の悪魔を選ぶはずがない。
 記憶転移に関わる力は持ってはいても、時空転移に関しては門外漢なのだろう。
 それは遮蔽魔術の罠の用意から見ても明らかだ。

「……別にテメェらに頓着する理由もねぇからなぁ。せっかく現界できたんだ、好きにやらせてもらうぜぇぇぇ」

「だが覚えておけ。俺はオマエがどこにいようと探し出し、そして息の根を止めに現れるとな……!」

 己の魂に刻み付けるように、ウーノは強く宣言した。
 この狡猾な悪魔が考えなしに暴れるようなマヌケではないとは思っているが、それでも被害がゼロで済むとは一切思っちゃいない。
 悪魔を呼び出し、そして取り逃がした責任はグリス、ひいてはウーノにあるのだから。

「じゃあこっちも面白ぇ情報くれてやるぜ。……生贄のガキと黒の死神だがよぉ、ちょっとしたプレゼントをくれてやったんだぜ」

 悪魔はランの姿のまま凄絶な笑みを浮かべる。
 自らのこめかみを指でつつき、

「――『忘却』の呪いだ。知識があるんだから知ってんだろうが、俺様は『記憶』を捧げた野郎の呼び出しにしか応じねぇんだ。何しろ『美食家』だからよぉぉぉ!」

 確かにグリスの知識の中にはそういった情報が存在する。
 同時に、それが解除不可能に近いほどの難易度を誇るヴィルヘルム・ヴェルフェンバルト独自の術式である事も識った。

「仮に生き延びたところで奴らの記憶はそう長く保たねぇぇぇんだよ! どれだけ生き延びられるか見ものだなぁおい!!」

「……、」

「じゃあな、せいぜい頑張れやウーノちゃーーーん!!」

 ひと際大きく揺れたと思うと、世界が暗転した。
 その瞬間まで己が倒すべき敵の姿を、その声を記憶に刻み付け、ウーノは固く拳を握りしめる。

 遮蔽魔術が完全に起動され、ようやく屋敷に平穏が戻ってきた。
 それが仮初めのものであると理解していても、ウーノは無理やり使い続けた魔術の反動でその場に座り込んだ。



 悪魔の脅威は去った。
 しかし状況は依然悪いと言わざるを得ない。
 迅速に行動しなければ悪魔と再び見える前に死んでしまう。
 魔力が枯渇した身体を億劫そうに引きずりながらも、ウーノは黒の死神に近づいた。

「生きてんだろ」

「……まともに動けはしませんが」

「だったら問題ねェ。状況は分かってるか?」

「意識はありましたから。にしても随分と大胆な方法を選びますね……」

 黒の死神もまたボロボロの身体を引きずり、痛みをこらえて身体を起こした。

「悪ィがオマエらも一緒に閉じ込めちまった。だが安心しろ、遮蔽魔術の知識はあるし足りなきゃ書庫にいくらでもある……いずれ出してやれるんだ」

「……わたしとマーガレットは魔術師グリスを追っていました。自らの天命を越えながらなおこの世にしがみつき、我らを欺く大罪人……彼はもう滅びましたが、彼が生み出したあなたがまだ残っている」

 グリスが人形を造った最大の理由は転生に近い所業を成し得るためだ。
 記憶こそ転移してはいないが、その魔術の知識の大部分を持つウーノは彼女らのルールに反する存在なのだろう。

「俺も殺すのか」

「『大いなる意思』が……そう判断したのなら。わたしたちが決める事ではありません」

「それなら俺がオマエらを助ける理由はあるって事だ」

「……なに?」

 困惑する死神をよそに、ウーノはふらつきながらも立ち上がって真紅の死神に近づいた。
 腹を破られていて出血も尋常ではないが、辛うじてまだ生きている。
 単なる人間ではなく死神ゆえの生命力か。

「治癒すれば間に合うな」 

 ウーノは知識の中から治癒の術式を検索した。
 いくつか該当するものはあったが、やはりその数は少ない。
 こういった術式はグリスには合わないのだろう。

 聖北の奇蹟には劣るものの、魔術的な治癒は早い。
 真紅の死神の傷はみるみる内に塞がっていった。
 他にも小さな傷はあったが、命に関わらないものにまで術式を使う気にはなれなかった。
 何しろさっきから魔力の枯渇が深刻で、ずっと頭痛を抱えているからだ。

「なぜ助けるのです……わたしたちがあなたに害を成さない保証はどこにもないのですよ」

「だとしてもだ。元はと言えばグリスが……俺が蒔いた種だからな。それで俺が殺される運命だとしても自業自得だ、構わねェよ」

 もとより人造のホムンクルスだ。
 生きる目的も何もかもが造り物であるのなら、ウーノにとっては何もないのと同然だ。

「だがランは別だ。あいつはグリスの計画とは無関係な、ただの給仕人だ。ただ雇われただけで理不尽にその命が失われるなんて事は俺が許さねェ。……オマエらだってランの命は狙っちゃいねェんだろ?」

 死神は静かに頷いた。
 ランには何の咎もないのだ、死神に狙われる理由なんて存在しない。

「全部、俺が終わらせる。自分グリスの不始末は自分ウーノでつける。……それが理由だ」

 ウーノは黒の死神に対しても先ほどと同じく治癒の術式で傷を癒した。
 更に頭痛が加速するが、それでも治癒をやり切るだけの魔力は残っていたらしい。

「……クソ、まだだ。まだ呪いが残ってやがる」

 視界が明滅しはじめているが、それでもウーノは折れない。
 悪魔ヴィルヘルムが用いた忘却の術式はどこにも流出していない、完全なオリジナルだ。
 それでも切り崩す隙は必ず存在する。

「これか……」

 術式の解析を進めたウーノはその一部を起動させる。
 黒の死神からじわりと魔力が染み出し、やがて砂時計の姿となった。
 上部には白い砂がいくらか溜まっているが、下部には何もない。
 砂時計として機能していないようにも見えるがその実、オリフィスを下った砂はその端から消失していた。

「この白い砂が……、わたしの記憶……?」

「忘却が思ったよりも早い……クソ、こいつは難儀だ」

 タイムリミットは予想以上に短い。
 ただ解析するだけではなく対処法も編み出さなければ救えないというのに、二人分を同時に行うというのはとても現実的ではなかった。
 だが今さら泣き言を言っても始まらない。
 ウーノはランにも近づいて同様に砂時計を可視化する。

「なッ……!?」

 だが、彼女の砂時計には白い砂――すなわち記憶はほとんど残っていなかった。
 死神のそれと比べても十倍近く差がある。

「どうなってやがる!? この差は一体どこから――!?」

「おそらくは……密度の違いです」

 答えたのは黒の死神だった。

「記憶というものが普段は脳の片隅に格納され、必要な時に参照されるものだという事は理解していますね? 刺激の少ない、思い出すという工程がさほど行われない記憶ほど密度が低く、脆い……忘却の術式はそういった弱い記憶から切り離しているみたいです。怪我をしたとか、命を刈ったとか……そういった強く印象に残る記憶以外がほとんど思い出せません」

「……ランは給仕人だ。グリスの手伝いをしていたとはいえ平穏な生活を送った期間が長い。だから密度が薄い記憶が多いってのか?」

「もちろん、記憶できる容量というのは個人差があります。それに印象に残る記憶というのは個々人で受け取り方は違いますし、何より割合で考えるべきではありますが……しかし、記憶というものは積み重ねです。普通に考えれば一瞬ごとに記憶は一〇〇パーセントに戻るはずですから」

 彼女の言い分はもっともだった。
 自らの記憶を蝕む術式に対して確実な情報を得られるのは彼女だけであり、そんな最後の希望が未だに冷静であってくれるのはこの上なくありがたい。

「だが、それだとランは……たった十数年生きただけのあいつは……」

 もはや記憶が完全に忘却されるのも時間の問題だ。
 悪魔の術式に常識が通用しないのはすでに証明されている。
 仮にすべての記憶を失ったとしたら、人間の身体はどうなってしまうのか。
 少なくともまともなままではいられない。
 現に記憶を更新しているはずに死神ですら砂時計の残りは目に見えて減っているのだから。

「……ウーノ、と言いましたか。あなたの名」

「? あぁ、……それがどうした」

「いえ、そういえば互いに名乗りもしなかったと思いまして……わたしはベルフロウ・ヤンガーと申します。あちらの赤毛の死神はマーガレット……わたしの実の姉です」

「オマエ……何を?」

 なぜこの状況で自己紹介を始めたのか、心情を図りかねるウーノは困惑する。
 しかし黒の死神ベルフロウは淡い微笑みを浮かべていた。

「ウーノ、取引をしませんか」

「なに……?」

「こちらの要求はふたつ。ひとつは悪魔ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトの討伐……それをマーガレット・ヤンガーと共に成し得てほしいのです。そしてもうひとつは、」

 困惑するウーノをよそに、ベルフロウはお構いなしに言葉を続ける。

「その女の子……ランの命と魂を救ってあげてください」

「何、言ってんだ……オマエ。そんなモン、オマエらの力を借りなくたってやるって言ってんだろうが!」

「わたしはともかく、ランにはもはや猶予はありません。魔力が枯渇しきったあなただけで救えるとはとても思えません」

「違うんだよ! 問題はそこじゃねェ! ……どうして今、そんな遺言じみた言葉を吐いてんだよ!」

「――

 ベルフロウが告げた言葉に、ウーノは言葉を失った。
 外界と断絶された屋敷に一瞬の静寂が流れる。

「グリスが用意していた転移術式を用いてわたしの身体にランの記憶を転移させれば、わたしが持つ決してアクセスされない記憶が先に忘却されていくはずです。その分だけ猶予が生まれる……」

 つまりは記憶のかさ増しだ。
 ウーノの知識と照らし合わせても理論上は可能なはずではある。

「理解してモノ言ってんのかオマエ……」

 ただ一点にして最大の問題点に目をつむれば。

「もしそれが成功しても、オマエの人格は消えるんだぞ?」

 いくら元は同じ人間であるとはいえ、これまで生きてきた人格を捨て去れと言われて戸惑わない人間はいない。
 記憶転移に関してグリスが土壇場までウーノにひた隠しにしていた理由がそれだ。

「わたしたち姉妹に残された使命はヴィルヘルムの討伐のみ。それが成し得られるのであれば、たとえ命を失っても構いません。だからこそ『取引』と申しました」

「グリスがオマエらに狙われたのは禁忌を犯したからじゃねェのかよ……!」

「そう、ですね……あるいは咎められるかもしれません。ですが、この他にランを生き延びさせる方法はありません」

 ウーノはうなだれた。
 単純な損得勘定だけで安請け合いできる取引ではない。
 もとより自分が蒔いた種は自分で刈り取る心算ではあったが、そのためにベルフロウが命を落とす事は許されない。

 ランのタイムリミットの内に解呪か凍結させる手段が見つかるか、あるいは幸運にもヴィルヘルムが死滅するか。
 どう計算してもどちらの可能性も小数点より低いと言わざるを得ない。
 選択肢はひどく狭まっていく。

「どうしますか?」

 悩みに悩んだ末、ウーノはひとつの決断を下した。



 真紅の死神マーガレット・ヤンガーは真っ暗な空間に浮かんでいた。
 それだけで彼女はここが夢の中であると断定した。
 彼女にとってこういう明晰夢を見るのはそう珍しい事ではない。

『――マグ姉さん』

 ふと見れば、傍には妹ベルフロウが立っていた。
 フードを目深に被り、黒いコートの裾を縛って留めている、いつものスタイルだ。

『ベルが夢に出るとは珍しいね』

『そうかもね。マグ姉さんは活動的だったから、夢の中で好き勝手する分には内向的なわたしは不向きだったから』

 どことなく、マーガレットは違和感を覚えた。
 夢というのは記憶の整理のため脳が見せる幻覚のようなものだ。
 故にベルの言葉もすべてマーガレットの記憶の中の彼女が言っているだけのはずだ。
 だのにここまで自虐的な言葉を吐くとは、マーガレットがそう思っていなければ出ない言葉のはずなのだ。

『マグ姉さん。わたしたちの悲願、忘れてないよね?』

『当たり前じゃあないか。魔術師グリスと悪魔ヴィルヘルムの討伐、そして……

 穏やかな表情でベルフロウは頷いた。
 その中にほんの少しの切なさを交えている事に、マーガレットは目敏く気づいた。

『ベル?』

『……すぐには飲み込めないかもしれないけど、わたしはわたしのやりたいようにやったんだよ。そこに他者の意思は介入してなんかいない……それがわたしが願った事だから』

『何を、言って――』

『どうか……どうか、ウーノとランをお願いします。勝手かもしれないけど……あの二人の命は、希望の灯火は、決して消えさせてはいけない――!』

 マーガレットは光を感じた。
 明晰夢が終わろうとしている、そんな感覚だ。

『そろそろお別れだね』

『ベル……!』

『マグ姉さん、後の事はお願いします。お説教はいずれ遠い未来で謹んでお受けしますから』

 そう言って、ベルフロウは笑顔を湛えたまま振り返った。
 そのままマーガレットから離れていく。
 夢の終わりに近づいた事でマーガレットはもはや自由には動けない。
 どんどんベルフロウの姿が遠くなり、やがて見えなくなりそうで、

「――ベルッ!!」

 マーガレットは起き抜けにそう叫んでいた。
 まるで悪夢を見た後のように荒い呼吸を繰り返す。
 頬を冷や汗が伝っていく感触が気持ち悪い。

 一も二もなく、マーガレットは辺りを見回した。
 見覚えのない簡素な客間にはベッドの他はデスクとクローゼットしかない。
 やがてここが魔術師グリスの屋敷である事を思い出し、同時に悪魔ヴィルヘルムと相対していた事を思い出した。

「――ッ!!」

 手の中に赤黒い刃の大鎌を出現させて、臨戦態勢に移る。
 しかしいくら待っても何も起きず、気配を探ってみても悪魔はどこにもいなかった。
 そこでようやく、マーガレットは自身が戦いの中で気を失った事実を認識した。

 夢見が悪かったせいか、やたらと不安が募る。
 ハンガーラックに掛けられていた真紅のコートを羽織り、マーガレットはすぐに部屋を出た。
 もともとは魔術師の屋敷、すなわち工房アトリエだ。
 警戒は十二分にしておかねば命がいくつあっても足りない。

「……あれは」

 廊下を進んでいく内に中庭に誰かがいる事に気が付いた。
 よく観察してみると、小柄な少女が跪いて庭の植物を眺めている様子が分かった。
 薄黄色のシャツに七分丈のパンツという簡素な衣服ではあるが、その背丈に金の髪は見まがうはずもない。

「ベル……!!」

 思わずマーガレットはその少女に駆け寄った。
 近づいて真正面から少女の顔を改めると、ベルフロウに違いなかった。

「無事だったかい、良かった……!」

 少女は答えず、驚きに目を丸くしてマーガレットを見ている。

「ベ、ル……?」

「ど、どうしたんだい? どこか具合でも悪いのか?」

? ?」

 マーガレットは雷に撃たれたように硬直した。
 夢の中に現れたベルフロウは別れを告げていて、現実のベルフロウは姉も自分をも認識しない。
 何が起こっているかは理解できなくとも、何か異常な事態が起こった事は間違いなかった。

「そいつはベルフロウじゃねェ」

 向かいの廊下には、目の下のくまが色濃い少年が立っていた。
 その顔には見覚えがある。
 この屋敷に乗り込んだ際、魔術師グリスの傍にいた少年だ。

「君は……、いや待て。なぜベルを知っている!?」

「――ベルフロウは死んだんだ」

 少年は事も無げに言い放った。
 それが逆に冗談のように聞こえて、マーガレットは呆けたように言葉を失う。
 やがて余計な装飾のない嘘偽りない真実の言葉であると認識し、歯の根が合わなくなるほどに震えが襲った。

「う、嘘だ……!」

「嘘じゃねェ」

「だってここに! ベルはここにこうして生きているじゃないかッ!!」

「違うんだよ。ベルフロウは、あいつは全てを俺とオマエに託して……全てを受け入れて逝っちまったんだ。

 呼吸が荒くなり、マーガレットはぶんぶんと頭を振った。
 要領を得ない少年は放っておいて、ベルフロウの姿をした少女の両肩を掴んで、必死にまくしたてた。

「なあ! 冗談はやめておくれよベル! いい加減にしてくれないと、ボクは……ボクは……! ――なあ、お願いだよ! 呼んでくれ! ボクを……『マグ姉さん』と呼んでおくれよ!!」

「ぇ……、ぁ……!?」

「頼むから……!!」

 どれだけ声を上げてもどれだけ訴えかけても、目の前の少女は困惑するばかりで何も変わらない。
 冗談なんかではなかった。
 嘘や偽りもなかった。
 声を荒げて耳をふさいで事実から顔を背けても、少年の言葉通りベルフロウ・ヤンガーという存在そのものの気配が、この少女からは一切感じられなかった。

「どうして……こんな事に……!」

 訳の分からぬ内に、妹が何者かに乗っ取られた。
 その事実がマーガレットの涙腺を破壊し、涙を止め処なく流させる。
 もはや身体に力が入らず、少女を掴む腕も離れてその場に座り込んだ。

「ベルフロウは最期に……オマエに挨拶をすると言っていた。伝わってねェのか?」

 少年の言葉に、混乱を極める頭の中でマーガレットは気づく。
 あの明晰夢がベルフロウが介入したものだとしたら。
 彼女の言葉はそのまま彼女の意思で発せられたものだとしたら。

「どうして独りで決めて逝ってしまうんだ……ベルの馬鹿……!」

 長年連れ添った妹の死。
 それは到底受け入れがたく、噛み砕くにも苦痛を伴うものだ。
 おそらくこれから先、どこまでも悲しみは襲ってくるだろう。

 しかしいつまでもそうしてはいられない。
 なぜならマーガレットは姉であり、ベルフロウが最期を託した『マグ姉さん』であるからだ。
 彼女は自分ならすぐに立ち上がると信じたからこそ、ああやって言葉を残したに違いないのだから。

「……ボクはマーガレット・ヤンガー。ベルから話は聞いているかい?」

「あァ、一通りはな」

「……君はウーノ、でいいのかな?」

「――俺を実験番号一番ウーノと呼ぶのはやめろ!」

 思いのほか強い拒絶に、マーガレットは眉を平坦にした。
 何か隠し事をしている気がする。

「……俺は。……レギウス・エスメラルダ。そう名乗る事にした」

「では、そっちの少女は?」

だ。姓はねェ……」

「……なぜ名を変える?」

「理由は言えねェ。少なくとも今はな」

 ウーノとランはレギウスとステラに名を変える。
 だが、そんな話はベルフロウからも聞いていない。
 そうしなければならない理由があったとしても、警戒すべき事態に発展する恐れはあった。

「レギウスにステラ。妹の遺言に従ってボクは君らをたすける事にする」

 だが、とマーガレットは強く言葉を区切った。

「力にはなるけど味方にはならないよ。隠し事をするような相手をどう信じればいいか分からないからね」

「……それでいい。オマエは俺を信用するべきじゃねェ」

 ふん、と鼻を鳴らしてマーガレットは引き下がる。

 やるべき事はやった。
 話すべき話も終わった。
 であれば、妹と同じ顔を持つ相手をこれ以上見ていたくなかった。
 どこか別の場所で、思い切り泣き喚きたかった。

 心の整理をするにも時間は必要だ。
 今はただ、妹を喪った悲しみを時間が癒してくれる事を願うしかない。



 その日、深緑都市ロスウェル近郊アルタロ村の外れから、一件の屋敷が消失した。
 跡地とも言えるその場所にはまるで初めから何も存在しなかったかのように短い草が生えているばかりであった。
 しかし、アルタロの民は誰もがそれを不審には思わなかった。
 否、それどころではなかったのだ。

 同日、アルタロの幼き狩人が森の主である羆にちょっかいをかけた事で逆襲を受け、村自体が壊滅したからだ。
 村の人間のことごとくが打ち殺され、生き残ったのは滝壺から落下し、命からがら逃げ伸びた幼き狩人一名のみであった。
 散々暴れまわった羆はアルタロの狩人が放った決死の攻撃によって相打ちに倒れた。

 その裏に何があったとしても、幼き狩人が見た光景がそのまま伝えられる事になる。
 例えば屋敷から締め出されて自由の身となった悪魔ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトが渇きを満たすために手頃な生き物の記憶を喰らい、前後不覚のままに暴れさせたのだとしたら。
 あるいは幼き狩人の少女すらもその魔の手にかかっていたのだとすれば。
 いくら論じても、これらは全て歴史の闇に消えたものである。

 死神マーガレット・ヤンガーは妹の死を半ば受け入れつつも、あまり前向きに考えられなくなってしまった様子だった。
 レギウスの頼みもありステラに武術を仕込む役回りを与えられたため、いっそ大鎌術でもとは思ったが、逆に自分が辛くなるだけなので、生前の妹が次に得意としていた槍術を教えるに至る。
 さすがに元は死神の義体なだけあって飲み込みは早く、しかし他の物事に関しては忘れっぽい風であり、事情を深く知らされていないマーガレットはやたら不思議がる事になる。

 魔術師レギウス・エスメラルダは少女ステラに掛けられた忘却の呪いの研究を進める傍ら、屋敷に施した遮蔽魔術の解除方法を探った。
 悪魔を閉じ込める目的で遮蔽魔術を用意していただろうグリスは逆に籠城戦になる覚悟もしていたらしく、屋敷に残された食料はおよそ二年分に及び、地下の井戸も生き残っていた。
 並行しての研究はあまり進みは良くなかったものの、ステラの魂に魔術防御の術式を仕込み、さらに食事による魔力供給およびわずかにではあるがレギウスの記憶の断片を渡す方法を編み出していく。

 屋敷が再びアルタロ外れに戻ったのは、アルタロ村が地図から消えておよそ三年後の出来事である。
 その間にすっかり成長したレギウスと外見的には一切成長しないステラとマーガレットは、久方ぶりの現実へ足を踏み出した。
 止まっていた時が動き出したのだ。

 レギウス・エスメラルダ、ステラ、マーガレット・ヤンガーが揃って交易都市リューンに赴き、『大いなる日輪亭』の扉を叩いたのは理由がある。
 もとよりステラに武術を収めさせたのは、術式への対処に加えて冒険者として生き抜くための術を与えるためでもあった。
 ベルフロウ・ヤンガーの考察を考慮すれば、より色濃い経験をもって記憶に刻み付ければ術式の進行を鈍らせる効果が得られる可能性があるからだ。

 そんな重い過去を抱えた彼ら三名が、陽気な盗人少年や貧乏吟遊詩人と出逢うのはもう少し先のお話である。



【あとがき】
ウーノの追想、いかがでしたでしょうか。
実験番号一番、『ウーノ』という名をつけられたレギウスと『ラン』ことステラ、そして死神時代のマーガレットの過去話でした。
そして『美食家』こと悪魔ヴィルヘルム、そしてマーガレットの妹であるベルフロウが関わる、まさに物語の起点とも言うべき場面を描いています。

ある意味では『星を追う者たち』の結成秘話に近いものにはなりますが、彼ら三人は最初からある一方向を目指しているところが他のパーティとは違う、意志の強い部分になっています。
結果的に彼らのパーティが五名となったのも、最後の一枠はベルフロウが入るべき場所だったのかもしれません。


(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

周摩

Author:周摩
しがないリプレイ書きのブログです。

Info.
当ブログはリンクフリーです。報告は不要ですが、あれば相互リンクさせていただきたいと思います。

周摩のシナリオはこちらへどうぞ。

QRコード