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リプレイ記:星を追う者たちの記事一覧

ウーノの追想 

 深緑都市ロスウェルから南に少し下った辺りにアルタロという集落がある。
 アルタロはロスウェルが『陰の街』と揶揄される以前よりキルヴィの森の片隅でひっそりと存在していた。
 大昔にはキルヴィのエルフより狩りの仕方を教わるなどの交流もあり、そんじょそこらの集落よりは技術的に栄えていたのだろう。

 そんなアルタロ村の外れには村や森とは到底そぐわないであろう、場違いな雰囲気の屋敷が建っている。
 村や森どころかリューンやそれこそロスウェルのような中規模以上の街でしか見られないような豪奢なものだ。
 乳白色の外壁には至る所にひびや劣化が見られ、全体に蔦が巻きつき自然な緑色で調和が成されている。

 しかし見落としてはならない。
 この屋敷はここアルタロの地に建てられてわずか数年しか経っていないのだ。
 ひびや劣化、外壁を這う蔦も全てカモフラージュだ。

 それらは全て屋敷に住まう魔術師・グリスの仕業である。
 老年といっても差し支えないほどに老いさらばえたグリスは、それでも一流の魔法の使い手だ。
 地下の遮光研究所で魔法生物の研究に精を出しているらしい。

 そしてあの屋敷に住まうもう一人。
 アルタロを包むキルヴィの森を必死に走り続け、川に行く手を阻まれて途方に暮れている少年がそれだ。
 別に何かに追われている訳でも何かから逃げている訳でもない。
 ただ、猛烈な違和感に対して自分の出した結論が『外へ出る』だったに過ぎない。

「チィ……」

 ひたすらに走っていたためか、靴の底が破れてしまっている。
 それどころか足の裏には石か何かで切ったような傷があり、血が滲んでいた。

 思えば無茶が過ぎる逃走計画だった。
 あちこちに綻びが見られ、終いには破綻した末に立ち止まっている。
 もう少し冷静だったならば成功しただろうか。

「……ンな訳ねェだろ」

 逃走という根底が不可能なのだ。
 そもそもどこへ逃げようというのか。
 少年にとっての『世界』とはあの場違いな屋敷だけなのに。

 やれる事がなくなったので、少年はその場に寝転がった。
 もはや押すも引くもできない。
 後は野となれ山となれ、だ。

「いたいたー! ウーノさまこんなところまで逃げるなんてー!!」

 ふと、近くの茂みをがさがさと揺らしながら甲高い声が響き、ウーノと呼ばれた少年の耳を打った。
 眉をしかめて視線を動かすと、そこには葉や枝や植物の種をあしらった独創的なメイド服を身にまとった褐色肌の少女が顔を出したところだった。

「まったくもう、これで何度目かなウーノさま。旦那さまに叱られてしまうのはランなんだよっ!」

 全身にくっついた植物の欠片を叩き落としながら、ランはぶちぶちと文句を言う。
 メイドキャップからあふれる茶髪にはオナモミがびっしりくっついていて、ランは若干涙目になっている様子だった。

「オマエの給金がどこまで減っていくか挑戦中だからな」

「――もう、ウーノさま!」

 頬を膨らませて怒った様子を見せるが、その間もしつこく髪に絡まるオナモミに苦戦しているので迫力に著しく欠ける。

「あぁうざってェ! 取ってやるからじっとしてろ!!」

「え、本当ですかやったお願いしまぁす! ほんっと取れなくて、これ!」

「……千切るか」

「か、髪を!? やめ、やめてギョエエエエエエ!?」

 ブチブチとオナモミを剥がしては捨てを繰り返すウーノはどこまでも無表情だった。
 ちなみにランの言葉尻がコミカルな悲鳴じみたものになったのは本当に引きちぎったわけではなく、単に引っ張られて痛かっただけである。

「ちょ、もうちょっとゆっくり取ってぇイタタタタタタタ!」

「ゆっくりじゃ取れねェだろうが」

「手心を加えてイダイッ! 手心を!!」

「うるせェなぁ……無理にでも取らねェとオマエの頭に種が根付いちまうぜ。そんでじわじわと植物に頭を乗っ取られて終いにゃ身体の自由も利かなくなってだな」

「ええっ、なにそれこわい! と、取ってくださいウーノさま!!」

 ぎゅっと目を閉じて、ランは覚悟を決めたらしい。
 ならばと遠慮しないのがウーノである。
 それから少しの間、ランの悲痛な叫びがキルヴィの森に響いた。

「ひぃーん……痛いよぅ……」

「全部取れてよかったなぁ?」

「良かったけどぉー……女の子の髪は大切なんだよぅ?」

「ハァ? ガキが色気づいてんじゃねェよ」

「ウーノさまとラン、同い年だけど……って、違うよ!? 別にウーノさまがお子さまだとか思ってないからね!?」

「一言多いんだよオマエは」

 ウーノは深くため息をついて、

「腹減った。帰るぞ」

 踵を返して歩きだした。
 足の怪我が痛みを発するが、ウーノは無視した。
 追従するように、ランもその後ろを静々と歩む。

「――そう、ランはウーノさまを連れ戻しに来たんだよ! というわけでウーノさま、大人しくお屋敷へ戻りましょー!」

「だから帰るっつってんだろ」

「……というか。どうしてウーノさまは毎度毎度脱走なんてするの? 成功した試しがないじゃない」

「成功してたらここにいるわけねェだろ」

 その軽口に対して、ランはじっとウーノの目を見つめた。
 はぐらかされた事への不満や叱責ではない。
 純粋な疑問とも少し違う。
 言うなればそれは、心配するような眼差しだった。

 どれほどの間、二人は無言だったろう。
 背を向けて歩いているというのに、ウーノの後頭部にはランのあの瞳が向けられている気がしてならない。
 ついに折れたウーノはため息をひとつついて口を開く。

「まぁ、言っちまえばいつもの事なんだがよ。……今回の『実験』はいつもより嫌な予感がしやがる」

「でも旦那さまの『実験』ももうすぐ実を結ぶ、と言ってたから。上手くいけば今回にでも」

「実を結ぶ、ねェ……」

 だから脱走してんだろうが、と言い掛けて、ウーノは口を閉ざした。
 整備された道を抜けた先、あの悪趣味なグリスの屋敷にたどり着いたからだ。
 玄関の扉の前に、黒装束の老人が佇んでいる。

「遅いぞ」

「はっ、はい! 申し訳ございません旦那さま!」

「すぐに始める。用意しろ」

 ウーノには一瞥もくれず、グリスは屋敷へと消えていった。
 相変わらず愛想のない野郎だ、とウーノは心の中で悪態をつく。

「それじゃ、行こっか。ウーノさま」

「あ? 今回の『実験』に俺は要らねェんだろ?」

「何を言ってるの。足、怪我してるでしょ。ちゃんと手当てしないと大変な事になるからね!」

「チッ、気づいてやがったか」

 こうやって構われるのが好ましくないから隠していたというのに。

「はいはい、文句言わずに。ランの部屋に行きましょ?」

 にっこりと笑みを浮かべてランは手を差し伸べた。
 ウーノは小さく息を吐いてからそれを無視して歩き出した。
 今度は先ほどのように隠さず、なるべく傷口が地に触れないような慎重な歩みだ。

「素直じゃないんだから、ウーノさまは」

「うるせェよ……」

 ランは玄関から程近い小部屋を宛がわれている。
 滅多にない来客の応対だとか警備のためだとか理由がつけられているらしい。
 左右を書庫と倉庫に挟まれた、二階の大部屋で生活するウーノにとっては羨ましい限りである。
 だだっ広いだけの殺風景な部屋に一人で生活していると、じわりじわりと世界から離れていくような、そんな奇妙な感覚を覚えるからだ。
 成功しない脱走計画を何度も何度も立てている理由の一つでもある。

「さぁさ、座って」

 部屋に入るなり座るよう促されるものの、ランの部屋には簡素な寝台とボロのデスクのみでまともな椅子がない。
 故に、いつもどおりウーノは寝台へと腰掛けた。

「じゃーん! こんな事もあろうかと、森で色々と薬草を拾っていたんだよ!」

「オイ待てコラ。毒草混じってんじゃねェか」

「ええっ!? う、嘘!?」

「皮膚からでも容赦なく浸透して体内を侵すタチの悪ィ毒草だったか」

「ひえーっ!?」

「冗談だ馬鹿。毒草ってのは嘘じゃねェがな。それとそれ、捨てとけ」

「うわぁんウーノさまのばかー! でもありがとう! 捨てます!!」

 毒草を手に部屋を飛び出したランはしばらくして戻ってきた。
 両手が湿っている辺り、しっかり手も洗ってきたのだろう。
 毒草と薬草の区別もつかないほど鈍い癖に、こういうところは細かいのだ。

 薬草を適切に加工して傷口に宛がい、包帯できつすぎないように固定する。
 その手際は見事なものだ。
 おそらく、そうやって手馴れるほどに怪我をしてきたのだろう。
 女だというのに。

「はい、これでもう大丈夫!」

 この笑顔の裏ではどれだけ涙を流してきたのか、ウーノに分かるはずもない。
 分からないが、それでも笑顔でいられる彼女の強さを垣間見た気がした。

「と、いうわけでランは『実験』に向かうからね! ウーノさまはおとなしくしててね!」

「オマエ、俺を犬か何かと勘違いしてねェか?」

「いえいえ、ウーノさまはどちらかというと気まぐれにゃんこ」

「どうでもいいんだよンな事ァ。さっさと行っちまえ」

 処置した怪我の調子を確かめるように立ち上がり、足早にランの部屋を出た。
 グリスはウーノの治療に関しては特に言及する事はないだろうが、それでも実験の開始を宣言していた以上、あまりにも遅くなってはランが不利益を被りかねない。
 そこまで思考してウーノは頭を振った。

「……腹ァ減ったな」

 誰も聞いていないというのにごまかすように呟き、ウーノはキッチンへと足を向けた。



 唐突な衝撃が屋敷を揺らした。
 ウーノは転ぶような無様は晒さなかったものの、それまでかじっていた黒パンを取り落としてしまった。
 これがランだったら『まだ大丈夫、三秒ルールだよウーノさま!』と言って埃を払った程度で食べてしまうのだろうが、ウーノはそんな真似はしない。
 というよりそれどころではない。

「今のは……」

 状況を把握する間にも二度三度と大きく屋敷を揺らす衝撃があった。
 戸棚に収められていた食器やグラス類が軒並み放り出され、床に落ちて割れていく。
 幸い家具が倒れてくるような事態にはならなかったものの、陶器やガラスの破片で床一面が危険地帯と化した。

「どうなってやがんだ、今回は」

 おそらく、いや間違いなく『実験』の余波が響いてきているのだろう。
 以前にも同じように衝撃で屋敷が揺れた事があったが、今回のようにひどいものではなかった。
 ウーノの心はざわついた。

(一体、何をやってやがる?)

 ランは上手く事が運べば今回で『実験』が実を結ぶと言っていた。
 その前兆なのかもしれない。
 実った果実の良し悪しに関わらず、だ。

(俺には関係ねェ……)

 『実験』の内容についてはウーノには一切知らされていない。
 魔術狂いのグリスが勝手にやっている事だ。
 どうせろくでもない内容なのだろうし、出来る事なら関わらないほうがいい。
 しかし、ウーノの身体は思考とは裏腹に地下室へと下る階段へ向かっていた。
 『実験』の内容にもグリスの安否にも興味はないが、それでもあのそそっかしくて鈍くさい馬鹿がマヌケを晒しているかと思うとからかいに行きたい気持ちはある。

 地下室へ向かう階段には一切の明かりがなかった。
 これまで住み慣れたはずの屋敷の見知らぬ場所だ、慎重にならざるを得ない。
 そうこうしている間にも何度か大きな揺れが足元を揺るがしてくる。

(なん、だ……こりゃ)

 ややあって辿りついたのは巨大な鉄製の両扉であった。
 出入口がこれほど大きいのなら、中はもっと広いに違いない。
 しかしウーノが怪訝な表情を表したのは、その扉の隙間から溢れ出る玉虫色の光に対してであった。

 今までに見た事のない光に、ウーノは思わずその場に立ち止まった。
 わずか一瞬後、彼はその無意識の判断に命を救われる事になる。

「――っ!!!」

 炸裂音と共に、扉の片方が恐ろしい勢いで吹き飛んだ。
 蝶番からへし折られた扉はその形を歪ませながらウーノのすぐそばを掠めて飛んでいき、壁にぶつかってようやく止まった。
 鐘の音に似た轟音が鳴り響くも、ウーノはそちらに気を留められない。
 扉が吹き飛んだ事で内部の様子を見てしまい、彼は思わず息を呑んだ。

 地下室の中にはおぞましい光景が広がっていた。
 おびただしい数の死体。
 まだ年端もいかない裸の子どもたちが、血溜まりの中に折り重なるように沈んでいた。
 そして部屋の中で爆発が起こったかのように、四方の壁に向かってありとあらゆるものが叩きつけられている。 
 デスクや書庫の中身、硝子製の容器などは滅茶苦茶に破壊されているが、子どもの死体も例外でなくそのほとんどが四肢か頭のいずれかを欠いていた。
 それほどまでにヒトの命が冒涜され、踏みにじられていた。

「……グリ、ス……!」

 これまで長くこの屋敷に住んでいたが、こんなに大量の子どもの姿を見た事なんて一度もない。
 そしてこんな数の人間を家主に無断で引き入れるなんて不可能だ。
 おそらくはそれを成したであろう老魔術師の姿を探し、ウーノは部屋の中へ足を踏み入れた。
 ばしゃ、と血溜まりを踏みつける感触が不快ではあるが、それでもウーノは構わなかった。

「グリスッ!!」

 ようやく見つけた老魔術師には、いつも漂わせていた傲慢なまでの余裕を一切感じられなかった。
 撫でつけるように後ろへ流していた白髪も振り乱し、額には玉のような汗を滴らせて息を切らせている。
 全身を真っ赤に染め、必死の形相で何事かを叫び、儀式用のナイフ――アサメイ――を振るう。

 

 チカチカッと赤い光が二度瞬いた後、部屋の中で膨大な圧力が弾け、グリスはおろかウーノさえも巻き込んで荒れ狂う。
 視界が歪むほどの膨大な『チカラ』によってグリスとウーノは等しく壁に叩きつけられた。
 一緒に巻き上げられたのだろう、子どもの死体やその破片が二人の上へ降り注ぐ。

「く、そ……何が、どうなってやがる……!?」

「……ウーノ!? 愚か者め、何故降りてきおった……!」

 苦虫を?み潰したような表情のグリスに、ウーノは口を突いて出そうになった文句を飲み込んだ。

『――ぎゃははははっ! はあっははははははははァァァ!!!』

 哄笑が地下室に響き渡る。
 それはおよそまともな人間が出せるような笑い声ではない。
 狂人のそれだ。

『おいおいおい、耄碌爺ィよぉ。万策尽きたかよ、「そんなモン」に頼るなんざ俺様を笑い殺そうってハラかよぉ? なぁ、ええ?』

 それは一本の蝋燭のように見えた。
 しかし先端に灯された火は一切の明かりをもたらす事なく、周囲のどす黒い渦に呑まれている。
 火が揺らめくたびに蝋燭は朧げな輪郭を揺らし、その姿を一定に保つ事はない。

「……悪魔デーモンめがほざきおって!」

『その悪魔に頼ろうとしたのはどこの誰だよグリスちゃーん!? ざァんねェんでしたぁー! テメェのか細い希望はこの通り、テメェが瞬間に粉々のゴミカスになって消えちまったのでしたぁぁぁーーー!!』

「……仕方があるまい。ウーノよ手を貸せ、『奴』を殺すぞ!!」

「ふざけてんじゃねェぞ! その前に説明しやがれ!」

「説明などしている暇があるものか!」

 グリスの言葉通り、次の瞬間には赤い光が膨大な熱量となって二人を襲う。
 火炎が部屋を焦がし、調度品の成れの果てへと燃え移ってさらには子どもたちの死体を焼き尽くしていく。

「――ともかく上へ行くんだ! 『奴』はここに閉じ込める!」

 グリスはウーノを扉の向こうへと突き飛ばすと、何事かを呟いて儀式用のナイフを『悪魔』へ向ける。
 緑色の光が迸ったかと思うと、それは突風へと姿を変えて『悪魔』も何もかもをも巻き込んで地下室の奥へと押しやった。

「……オイ! ランの奴はどうした!? まさかまだ地下にいるんじゃねェだろうな!?」

 首根っこを掴まれ、乱暴に階段から引きはがされながらもウーノは叫ぶ。
 それには答えずにグリスは荒い呼吸を繰り返しながら蹲る。
 よくよく見れば、彼の腹部には調度品の破片が突き刺さっており、そこから赤い染みが広がっていた。
 
「その様子では長くは保たないでしょうね」

「――ッ!?」

 一体いつの間に現れたのか。
 屋敷一階のエントランスには背の低い女の子が一人佇んでいた。
 サイズが合っていないのか、彼女が身に纏う黒いコートの裾は無造作に縛って留めてあり、フードは目深に被っていて顔は見えないものの、首筋からあふれ出る金の髪はやけに輝いて見える。

 その姿を認めてもなおそこには誰も居ないような錯覚に陥り、ウーノは眉間に皴を寄せる。
 ウーノの眼がおかしくなったのではない。
 彼女の存在感が異常なまでに希薄なのだ。

「……来おったか、死神」

「往生際が悪いからそうやって苦しむのですよ」

 死神と呼ばれた少女はそれを否定しなかった。
 異常な雰囲気と風貌から、彼女が『死神グリム・リーパー』である事は疑いようがない。
 なまじ、ついさっきまで『悪魔』と相対していたのだから、信じざるを得ないのだった。

「そんな人形ひとがたまで造ってもわたしの眼は誤魔化せません。逃がしませんよ」

 ウーノを一瞥して、彼女はそう言った。

「人形……?」

「黙れ死神! わしは負けぬ! 貴様にも、悪魔にもなッ!!」

 轟!! と、地下から立ち上った衝撃が一階のエントランスを貫いて、膨大な熱量を撒き散らした。
 支えを失った床が抜け、死神を含めた三人は成すすべなく床下まで落下する。
 グリスの地下研究室は、ちょうど真下に位置していた。

『笑わせんじゃねぇぇぇぞグゥリスゥゥゥゥゥ!!』

 地下から大魔力をぶっ放した張本人である悪魔は、もはや蝋燭の姿をしていなかった。
 茶色の髪を揺らしながら、メイド服を身にまとった褐色肌の少女。
 見忘れるはずもない、まさしくウーノが記憶しているランの姿をしていた。

「……人形製造のみならず悪魔召喚まで行っていましたか、悪逆非道の罪人グリス!」

 死神の少女は身の丈より長い棒を手にしたかと思うと、先端近くから青白く輝く刃を形成させた。
 それはまさしく死神が用いる大鎌だ。
 もはやグリスにもウーノにも気をとめず、瓦礫の上に堂々と立つ悪魔の少女へと飛び掛かっていく。

「――ベル!」

 唐突に、別の赤い影が現れて悪魔へ攻撃する。
 赤い影の手には死神と同じく黒塗りの棒が握られており、こちらは赤黒い刃が形成されていた。
 真紅のコートに身を包み、肩まで伸びた赤い髪を揺らすのは不健康そうなほどに白い肌の女性だった。

「マグ姉さん! どうしてここに……!」

「こいつが例の悪魔――『美食家トップイーター』ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトだからさ!」

「……なるほど。グリスが縋りつきそうな相手というわけですか」

 それだけ会話を交わして、二人の死神は同時に悪魔ヴィルヘルムへと飛び掛かる。

「何がどうなってやがる……!? 説明しろグリス!!」

 グリスは脂汗を滴らせながら「くそ……」と奥歯を噛み、やがて口を開いた。

「……あの死神どもはわしの命を狙っておる。わし本来の寿命はとっくに尽き、今は遮蔽魔術の応用でこの世に残留しておるにすぎん。彼奴はそれが気に食わぬと襲い掛かってきおる。そのための対抗策としてあの悪魔を呼び出し、使役する心算じゃった。死神さえどうにかなればわしの研究を邪魔する障害は何もなくなる」

 その結果がこの様だ。
 異常なまでの生への執着が死神を呼び、死神を追い払うために悪魔を呼んだ。
 それだけの事実だけで断言できる。
 

「人形ってのは……どういう事だ……」

「貴様はわしが造り出したホムンクルス、その……故に貴様は実験番号一番ウーノなのじゃ」

「な、に……!?」

「すでに寿命が尽きたわしに延命術式は効果がない。なればわしの知識と記憶の全てを別の肉体に容れ、新たな人間として生まれ変わったほうが綻びは生じにくい……適合率を上げるためにわしの血肉を用いて培養した貴様は『グリス・エスメラルダ』という魔術師を形成する肉体に過ぎん」

 自分の出生の秘密を知り、その普通でない在り方を知らされればヒトはここまで言葉が出なくなるものか、とウーノの頭は吃驚しながらも冷静に処理した。
 時折、デジャヴのように頭の中に浮かぶ何かの術式や見た事もないはずの毒草の知識などは、すでにグリスの知識が移されていたからか。
 地下室で見た数多の子どもの死体は、実験の失敗作の成れの果てだったのだろう。

「ウーノ、生粋の魔術師としてこの世に生を受けた貴様になら理解できるはずだ……わしの研究がいずれ世界を変えるほどの価値を生むのだと。今はまだ途上だが……時間さえあればいずれ実を結ぶ! 今わしの肉体は滅びつつあるが、最後の記憶転移術式はすぐにでも起動できる……貴様の肉体と我が記憶があれば死神だの悪魔だのに後れを取る事はない!」

「………………」

「さあウーノよ! わしの近くへ来い……術式を始めるぞ!!」

「……行くと思ってンのか? そんな話を聞かされてよ」

「な、何を言って――!」

 たとえ理解ができたとしても、この心が反発するのであれば身体も拒否するに決まっているはずなのに。
 研究の成就という幻に取りつかれ道を誤った魔術師グリスにとっては、それすらも判断できないほど落ちてしまったのか。

「――

 吐き捨てるように言い放ち、ウーノはグリスに背を向けた。
 一瞬の静寂の後、何事かを叫びかけたグリスの周囲を爆炎が包み、そして弾けた。
 死神と悪魔の戦いの余波が、全ての元凶であるグリスの旧い肉体を、現在の記憶を保持した脳を焼いていく。

「ラン……!」

 すでに思考を切り替えたウーノは『さっきまでグリスだった焦げ肉』に背を向けて駆けだした。
 崩落した瓦礫にほとんど圧し潰されているだが、それでもウーノはある一点を目指している。
 たとえグリスの記憶がなくとも、悪魔召喚の術式のために整えられた地下実験場においてランの役割と居場所は決まっている。
 悪魔がランの姿を得ている事からも彼女が召喚のための生贄に用いられた事は間違いなく、それらはグリスからすでに移されていた魔術の知識がそう結論を弾き出していた。

 幸いにも悪魔は階段近くで魔力を爆発させたため、地下実験場の中心――すなわち悪魔召喚の魔法陣の中心――は無事だった。
 そこには胸の前で手を組み、仰向けに横たわるランの姿があった。

「オイ、しっかりしろ!」

 あの悪魔が『何』なのかは知らないが、グリスの知識に存在する悪魔召喚の術式はすべて完全に限界させるほどの『重い』術式ではなく、悪魔を呼び出して知恵を借りる程度のものだ。
 であれば、生贄に人間一人分の血肉を要求するほどのものではない。
 生きているはずだ。

「う……ウーノ、さま……?」

「立てるか?」

「寒い……」

 ランはとても立てる様子ではなかった。
 すでに多量の血液が捧げられたのか、彼女は瞼を震わせるばかりでほとんど動けない。
 いつ呼吸を止めるかは時間の問題だが、まだ生きている。

「……、」

 ここでようやくウーノは場の状況を視た。
 死神二人がかりでも悪魔を相手取るのは難しいのか、どうにも旗色が悪そうだ。
 彼女らの口ぶりからすれば悪魔の命も狙っていた様子だが、もう一人の標的であるグリスはもうこの世にいない。

「――ぐあっ!」

 悪魔の放った魔力の槍が真紅の死神の胴を貫く。
 死神はそのまま吹き抜けから二階の壁にぶつかるほどに弾き飛ばされ、そのまま床をぶち抜かれた地下まで落下して叩きつけられた。
 高所からの落下がなくとも、致命的な一撃に違いない。

「ひゃーーーはははははっ! 歯ごたえねぇぇぇなぁぁぁぁぁ!?」

「くっ……!」

 もう片方の黒の死神は悪魔に首を締めあげられていた。
 彼女の右肩は血に塗れ、力なくだらりと垂れ下がっている。
 すでに大鎌を握るどころか悪魔の手を引きはがす力すらも残っていない様子だ。

 この瞬間。
 死神すらも『悪逆非道の罪人』と評し、自らの視点から見ても人間のクズだと判断したグリスと同じ知識を持つウーノの脳みそは好機を見出した。
 複数の糸を紡ぎ合わせてタペストリーを織るように、あらゆる知識の糸を用いて弾き出した演算結果にそう出ている。
 グリスが死亡した事で知識が逆流しているとでもいうのか、まるで人が変わったようにウーノは冷静に、冷徹に状況を見極めて解を出していった。

「――、」

 ウーノの口が言葉を紡ぐ。
 それは呪文の詠唱であり、すなわち魔術の行使に他ならない。
 一度も魔術師に師事した事がなく、まともにその様子を見た事もないのに、グリスの脳は経験を補って余りあるほどの知識を与えていた。

「あァ?」

 ばつんっ! と悪魔の腕が爆ぜ、派手に血肉を散らす。
 その手が掴んでいた死神は重力に引かれるままに倒れ伏した。
 第一目的である死神の解放は果たした。

「……ウーノだとか呼ばれてたガキじゃねぇか。テメェ何をした?」

「――、」

 ウーノは答えずに更に詠唱を続ける。
 魔力を糧に生み出された白く輝く獣爪が悪魔を襲う。
 その一撃は石造りの床を易々と砕き、大きく爪痕を残すほどだった。

「チッ」

 さすがに無視できなかったのか、悪魔もまた黒に染まった獣牙を生み出して相殺する。
 それでも先んじて詠唱を重ねていたウーノの獣爪は雨のように降り注ぎ、ついには悪魔が立っていた足場を完全に切り崩した。
 地下から一階へ上ったウーノは館の外へ追い出した悪魔と相対する。

「俺様はテメェの脳みそ弄った覚えはねぇぇぇんだけどなぁぁぁ? グリスの野郎が小細工してやがったって事かぁぁぁ???」

「理論自体は出来上がってたんだよ、オマエなんざいなくてもなァ」

「だとしてもテメェの限界はグリスだ。何とかなるとでも思ってんのかぁぁぁ?」

 その問いにウーノは嘲笑で返した。

「――とっくに解析は終わってんだよクソ野郎」

 宣言と共に、屋敷が大きな音を立てて揺れた。
 地震とは違う。
 揺れているのは屋敷だけで、悪魔の立つ屋敷の外は一切揺れていない。

「グリスには遮蔽魔術の知識がある。外界との断絶……知識を持たねぇ奴ならそれこそ永遠に閉じ込められる代物だ。オマエに死神を始末させた後、自分だけ外に出て使う心算だったんだろうな。起動準備はずっと前から済んでいたみたいだぜ?」

「テメェ、まさか――!」

「一歩でも外に出た時点でオマエの負けは決まってたんだよ。これから遮蔽魔法の勉強でもしてみるか?」

 悪魔召喚は死神に対抗するための一手ではあったが、魔術師グリスが何の理由もなく無関係の悪魔を選ぶはずがない。
 記憶転移に関わる力は持ってはいても、時空転移に関しては門外漢なのだろう。
 それは遮蔽魔術の罠の用意から見ても明らかだ。

「……別にテメェらに頓着する理由もねぇからなぁ。せっかく現界できたんだ、好きにやらせてもらうぜぇぇぇ」

「だが覚えておけ。俺はオマエがどこにいようと探し出し、そして息の根を止めに現れるとな……!」

 己の魂に刻み付けるように、ウーノは強く宣言した。
 この狡猾な悪魔が考えなしに暴れるようなマヌケではないとは思っているが、それでも被害がゼロで済むとは一切思っちゃいない。
 悪魔を呼び出し、そして取り逃がした責任はグリス、ひいてはウーノにあるのだから。

「じゃあこっちも面白ぇ情報くれてやるぜ。……生贄のガキと黒の死神だがよぉ、ちょっとしたプレゼントをくれてやったんだぜ」

 悪魔はランの姿のまま凄絶な笑みを浮かべる。
 自らのこめかみを指でつつき、

「――『忘却』の呪いだ。知識があるんだから知ってんだろうが、俺様は『記憶』を捧げた野郎の呼び出しにしか応じねぇんだ。何しろ『美食家』だからよぉぉぉ!」

 確かにグリスの知識の中にはそういった情報が存在する。
 同時に、それが解除不可能に近いほどの難易度を誇るヴィルヘルム・ヴェルフェンバルト独自の術式である事も識った。

「仮に生き延びたところで奴らの記憶はそう長く保たねぇぇぇんだよ! どれだけ生き延びられるか見ものだなぁおい!!」

「……、」

「じゃあな、せいぜい頑張れやウーノちゃーーーん!!」

 ひと際大きく揺れたと思うと、世界が暗転した。
 その瞬間まで己が倒すべき敵の姿を、その声を記憶に刻み付け、ウーノは固く拳を握りしめる。

 遮蔽魔術が完全に起動され、ようやく屋敷に平穏が戻ってきた。
 それが仮初めのものであると理解していても、ウーノは無理やり使い続けた魔術の反動でその場に座り込んだ。



 悪魔の脅威は去った。
 しかし状況は依然悪いと言わざるを得ない。
 迅速に行動しなければ悪魔と再び見える前に死んでしまう。
 魔力が枯渇した身体を億劫そうに引きずりながらも、ウーノは黒の死神に近づいた。

「生きてんだろ」

「……まともに動けはしませんが」

「だったら問題ねェ。状況は分かってるか?」

「意識はありましたから。にしても随分と大胆な方法を選びますね……」

 黒の死神もまたボロボロの身体を引きずり、痛みをこらえて身体を起こした。

「悪ィがオマエらも一緒に閉じ込めちまった。だが安心しろ、遮蔽魔術の知識はあるし足りなきゃ書庫にいくらでもある……いずれ出してやれるんだ」

「……わたしとマーガレットは魔術師グリスを追っていました。自らの天命を越えながらなおこの世にしがみつき、我らを欺く大罪人……彼はもう滅びましたが、彼が生み出したあなたがまだ残っている」

 グリスが人形を造った最大の理由は転生に近い所業を成し得るためだ。
 記憶こそ転移してはいないが、その魔術の知識の大部分を持つウーノは彼女らのルールに反する存在なのだろう。

「俺も殺すのか」

「『大いなる意思』が……そう判断したのなら。わたしたちが決める事ではありません」

「それなら俺がオマエらを助ける理由はあるって事だ」

「……なに?」

 困惑する死神をよそに、ウーノはふらつきながらも立ち上がって真紅の死神に近づいた。
 腹を破られていて出血も尋常ではないが、辛うじてまだ生きている。
 単なる人間ではなく死神ゆえの生命力か。

「治癒すれば間に合うな」 

 ウーノは知識の中から治癒の術式を検索した。
 いくつか該当するものはあったが、やはりその数は少ない。
 こういった術式はグリスには合わないのだろう。

 聖北の奇蹟には劣るものの、魔術的な治癒は早い。
 真紅の死神の傷はみるみる内に塞がっていった。
 他にも小さな傷はあったが、命に関わらないものにまで術式を使う気にはなれなかった。
 何しろさっきから魔力の枯渇が深刻で、ずっと頭痛を抱えているからだ。

「なぜ助けるのです……わたしたちがあなたに害を成さない保証はどこにもないのですよ」

「だとしてもだ。元はと言えばグリスが……俺が蒔いた種だからな。それで俺が殺される運命だとしても自業自得だ、構わねェよ」

 もとより人造のホムンクルスだ。
 生きる目的も何もかもが造り物であるのなら、ウーノにとっては何もないのと同然だ。

「だがランは別だ。あいつはグリスの計画とは無関係な、ただの給仕人だ。ただ雇われただけで理不尽にその命が失われるなんて事は俺が許さねェ。……オマエらだってランの命は狙っちゃいねェんだろ?」

 死神は静かに頷いた。
 ランには何の咎もないのだ、死神に狙われる理由なんて存在しない。

「全部、俺が終わらせる。自分グリスの不始末は自分ウーノでつける。……それが理由だ」

 ウーノは黒の死神に対しても先ほどと同じく治癒の術式で傷を癒した。
 更に頭痛が加速するが、それでも治癒をやり切るだけの魔力は残っていたらしい。

「……クソ、まだだ。まだ呪いが残ってやがる」

 視界が明滅しはじめているが、それでもウーノは折れない。
 悪魔ヴィルヘルムが用いた忘却の術式はどこにも流出していない、完全なオリジナルだ。
 それでも切り崩す隙は必ず存在する。

「これか……」

 術式の解析を進めたウーノはその一部を起動させる。
 黒の死神からじわりと魔力が染み出し、やがて砂時計の姿となった。
 上部には白い砂がいくらか溜まっているが、下部には何もない。
 砂時計として機能していないようにも見えるがその実、オリフィスを下った砂はその端から消失していた。

「この白い砂が……、わたしの記憶……?」

「忘却が思ったよりも早い……クソ、こいつは難儀だ」

 タイムリミットは予想以上に短い。
 ただ解析するだけではなく対処法も編み出さなければ救えないというのに、二人分を同時に行うというのはとても現実的ではなかった。
 だが今さら泣き言を言っても始まらない。
 ウーノはランにも近づいて同様に砂時計を可視化する。

「なッ……!?」

 だが、彼女の砂時計には白い砂――すなわち記憶はほとんど残っていなかった。
 死神のそれと比べても十倍近く差がある。

「どうなってやがる!? この差は一体どこから――!?」

「おそらくは……密度の違いです」

 答えたのは黒の死神だった。

「記憶というものが普段は脳の片隅に格納され、必要な時に参照されるものだという事は理解していますね? 刺激の少ない、思い出すという工程がさほど行われない記憶ほど密度が低く、脆い……忘却の術式はそういった弱い記憶から切り離しているみたいです。怪我をしたとか、命を刈ったとか……そういった強く印象に残る記憶以外がほとんど思い出せません」

「……ランは給仕人だ。グリスの手伝いをしていたとはいえ平穏な生活を送った期間が長い。だから密度が薄い記憶が多いってのか?」

「もちろん、記憶できる容量というのは個人差があります。それに印象に残る記憶というのは個々人で受け取り方は違いますし、何より割合で考えるべきではありますが……しかし、記憶というものは積み重ねです。普通に考えれば一瞬ごとに記憶は一〇〇パーセントに戻るはずですから」

 彼女の言い分はもっともだった。
 自らの記憶を蝕む術式に対して確実な情報を得られるのは彼女だけであり、そんな最後の希望が未だに冷静であってくれるのはこの上なくありがたい。

「だが、それだとランは……たった十数年生きただけのあいつは……」

 もはや記憶が完全に忘却されるのも時間の問題だ。
 悪魔の術式に常識が通用しないのはすでに証明されている。
 仮にすべての記憶を失ったとしたら、人間の身体はどうなってしまうのか。
 少なくともまともなままではいられない。
 現に記憶を更新しているはずに死神ですら砂時計の残りは目に見えて減っているのだから。

「……ウーノ、と言いましたか。あなたの名」

「? あぁ、……それがどうした」

「いえ、そういえば互いに名乗りもしなかったと思いまして……わたしはベルフロウ・ヤンガーと申します。あちらの赤毛の死神はマーガレット……わたしの実の姉です」

「オマエ……何を?」

 なぜこの状況で自己紹介を始めたのか、心情を図りかねるウーノは困惑する。
 しかし黒の死神ベルフロウは淡い微笑みを浮かべていた。

「ウーノ、取引をしませんか」

「なに……?」

「こちらの要求はふたつ。ひとつは悪魔ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトの討伐……それをマーガレット・ヤンガーと共に成し得てほしいのです。そしてもうひとつは、」

 困惑するウーノをよそに、ベルフロウはお構いなしに言葉を続ける。

「その女の子……ランの命と魂を救ってあげてください」

「何、言ってんだ……オマエ。そんなモン、オマエらの力を借りなくたってやるって言ってんだろうが!」

「わたしはともかく、ランにはもはや猶予はありません。魔力が枯渇しきったあなただけで救えるとはとても思えません」

「違うんだよ! 問題はそこじゃねェ! ……どうして今、そんな遺言じみた言葉を吐いてんだよ!」

「――

 ベルフロウが告げた言葉に、ウーノは言葉を失った。
 外界と断絶された屋敷に一瞬の静寂が流れる。

「グリスが用意していた転移術式を用いてわたしの身体にランの記憶を転移させれば、わたしが持つ決してアクセスされない記憶が先に忘却されていくはずです。その分だけ猶予が生まれる……」

 つまりは記憶のかさ増しだ。
 ウーノの知識と照らし合わせても理論上は可能なはずではある。

「理解してモノ言ってんのかオマエ……」

 ただ一点にして最大の問題点に目をつむれば。

「もしそれが成功しても、オマエの人格は消えるんだぞ?」

 いくら元は同じ人間であるとはいえ、これまで生きてきた人格を捨て去れと言われて戸惑わない人間はいない。
 記憶転移に関してグリスが土壇場までウーノにひた隠しにしていた理由がそれだ。

「わたしたち姉妹に残された使命はヴィルヘルムの討伐のみ。それが成し得られるのであれば、たとえ命を失っても構いません。だからこそ『取引』と申しました」

「グリスがオマエらに狙われたのは禁忌を犯したからじゃねェのかよ……!」

「そう、ですね……あるいは咎められるかもしれません。ですが、この他にランを生き延びさせる方法はありません」

 ウーノはうなだれた。
 単純な損得勘定だけで安請け合いできる取引ではない。
 もとより自分が蒔いた種は自分で刈り取る心算ではあったが、そのためにベルフロウが命を落とす事は許されない。

 ランのタイムリミットの内に解呪か凍結させる手段が見つかるか、あるいは幸運にもヴィルヘルムが死滅するか。
 どう計算してもどちらの可能性も小数点より低いと言わざるを得ない。
 選択肢はひどく狭まっていく。

「どうしますか?」

 悩みに悩んだ末、ウーノはひとつの決断を下した。



 真紅の死神マーガレット・ヤンガーは真っ暗な空間に浮かんでいた。
 それだけで彼女はここが夢の中であると断定した。
 彼女にとってこういう明晰夢を見るのはそう珍しい事ではない。

『――マグ姉さん』

 ふと見れば、傍には妹ベルフロウが立っていた。
 フードを目深に被り、黒いコートの裾を縛って留めている、いつものスタイルだ。

『ベルが夢に出るとは珍しいね』

『そうかもね。マグ姉さんは活動的だったから、夢の中で好き勝手する分には内向的なわたしは不向きだったから』

 どことなく、マーガレットは違和感を覚えた。
 夢というのは記憶の整理のため脳が見せる幻覚のようなものだ。
 故にベルの言葉もすべてマーガレットの記憶の中の彼女が言っているだけのはずだ。
 だのにここまで自虐的な言葉を吐くとは、マーガレットがそう思っていなければ出ない言葉のはずなのだ。

『マグ姉さん。わたしたちの悲願、忘れてないよね?』

『当たり前じゃあないか。魔術師グリスと悪魔ヴィルヘルムの討伐、そして……

 穏やかな表情でベルフロウは頷いた。
 その中にほんの少しの切なさを交えている事に、マーガレットは目敏く気づいた。

『ベル?』

『……すぐには飲み込めないかもしれないけど、わたしはわたしのやりたいようにやったんだよ。そこに他者の意思は介入してなんかいない……それがわたしが願った事だから』

『何を、言って――』

『どうか……どうか、ウーノとランをお願いします。勝手かもしれないけど……あの二人の命は、希望の灯火は、決して消えさせてはいけない――!』

 マーガレットは光を感じた。
 明晰夢が終わろうとしている、そんな感覚だ。

『そろそろお別れだね』

『ベル……!』

『マグ姉さん、後の事はお願いします。お説教はいずれ遠い未来で謹んでお受けしますから』

 そう言って、ベルフロウは笑顔を湛えたまま振り返った。
 そのままマーガレットから離れていく。
 夢の終わりに近づいた事でマーガレットはもはや自由には動けない。
 どんどんベルフロウの姿が遠くなり、やがて見えなくなりそうで、

「――ベルッ!!」

 マーガレットは起き抜けにそう叫んでいた。
 まるで悪夢を見た後のように荒い呼吸を繰り返す。
 頬を冷や汗が伝っていく感触が気持ち悪い。

 一も二もなく、マーガレットは辺りを見回した。
 見覚えのない簡素な客間にはベッドの他はデスクとクローゼットしかない。
 やがてここが魔術師グリスの屋敷である事を思い出し、同時に悪魔ヴィルヘルムと相対していた事を思い出した。

「――ッ!!」

 手の中に赤黒い刃の大鎌を出現させて、臨戦態勢に移る。
 しかしいくら待っても何も起きず、気配を探ってみても悪魔はどこにもいなかった。
 そこでようやく、マーガレットは自身が戦いの中で気を失った事実を認識した。

 夢見が悪かったせいか、やたらと不安が募る。
 ハンガーラックに掛けられていた真紅のコートを羽織り、マーガレットはすぐに部屋を出た。
 もともとは魔術師の屋敷、すなわち工房アトリエだ。
 警戒は十二分にしておかねば命がいくつあっても足りない。

「……あれは」

 廊下を進んでいく内に中庭に誰かがいる事に気が付いた。
 よく観察してみると、小柄な少女が跪いて庭の植物を眺めている様子が分かった。
 薄黄色のシャツに七分丈のパンツという簡素な衣服ではあるが、その背丈に金の髪は見まがうはずもない。

「ベル……!!」

 思わずマーガレットはその少女に駆け寄った。
 近づいて真正面から少女の顔を改めると、ベルフロウに違いなかった。

「無事だったかい、良かった……!」

 少女は答えず、驚きに目を丸くしてマーガレットを見ている。

「ベ、ル……?」

「ど、どうしたんだい? どこか具合でも悪いのか?」

? ?」

 マーガレットは雷に撃たれたように硬直した。
 夢の中に現れたベルフロウは別れを告げていて、現実のベルフロウは姉も自分をも認識しない。
 何が起こっているかは理解できなくとも、何か異常な事態が起こった事は間違いなかった。

「そいつはベルフロウじゃねェ」

 向かいの廊下には、目の下のくまが色濃い少年が立っていた。
 その顔には見覚えがある。
 この屋敷に乗り込んだ際、魔術師グリスの傍にいた少年だ。

「君は……、いや待て。なぜベルを知っている!?」

「――ベルフロウは死んだんだ」

 少年は事も無げに言い放った。
 それが逆に冗談のように聞こえて、マーガレットは呆けたように言葉を失う。
 やがて余計な装飾のない嘘偽りない真実の言葉であると認識し、歯の根が合わなくなるほどに震えが襲った。

「う、嘘だ……!」

「嘘じゃねェ」

「だってここに! ベルはここにこうして生きているじゃないかッ!!」

「違うんだよ。ベルフロウは、あいつは全てを俺とオマエに託して……全てを受け入れて逝っちまったんだ。

 呼吸が荒くなり、マーガレットはぶんぶんと頭を振った。
 要領を得ない少年は放っておいて、ベルフロウの姿をした少女の両肩を掴んで、必死にまくしたてた。

「なあ! 冗談はやめておくれよベル! いい加減にしてくれないと、ボクは……ボクは……! ――なあ、お願いだよ! 呼んでくれ! ボクを……『マグ姉さん』と呼んでおくれよ!!」

「ぇ……、ぁ……!?」

「頼むから……!!」

 どれだけ声を上げてもどれだけ訴えかけても、目の前の少女は困惑するばかりで何も変わらない。
 冗談なんかではなかった。
 嘘や偽りもなかった。
 声を荒げて耳をふさいで事実から顔を背けても、少年の言葉通りベルフロウ・ヤンガーという存在そのものの気配が、この少女からは一切感じられなかった。

「どうして……こんな事に……!」

 訳の分からぬ内に、妹が何者かに乗っ取られた。
 その事実がマーガレットの涙腺を破壊し、涙を止め処なく流させる。
 もはや身体に力が入らず、少女を掴む腕も離れてその場に座り込んだ。

「ベルフロウは最期に……オマエに挨拶をすると言っていた。伝わってねェのか?」

 少年の言葉に、混乱を極める頭の中でマーガレットは気づく。
 あの明晰夢がベルフロウが介入したものだとしたら。
 彼女の言葉はそのまま彼女の意思で発せられたものだとしたら。

「どうして独りで決めて逝ってしまうんだ……ベルの馬鹿……!」

 長年連れ添った妹の死。
 それは到底受け入れがたく、噛み砕くにも苦痛を伴うものだ。
 おそらくこれから先、どこまでも悲しみは襲ってくるだろう。

 しかしいつまでもそうしてはいられない。
 なぜならマーガレットは姉であり、ベルフロウが最期を託した『マグ姉さん』であるからだ。
 彼女は自分ならすぐに立ち上がると信じたからこそ、ああやって言葉を残したに違いないのだから。

「……ボクはマーガレット・ヤンガー。ベルから話は聞いているかい?」

「あァ、一通りはな」

「……君はウーノ、でいいのかな?」

「――俺を実験番号一番ウーノと呼ぶのはやめろ!」

 思いのほか強い拒絶に、マーガレットは眉を平坦にした。
 何か隠し事をしている気がする。

「……俺は。……レギウス・エスメラルダ。そう名乗る事にした」

「では、そっちの少女は?」

だ。姓はねェ……」

「……なぜ名を変える?」

「理由は言えねェ。少なくとも今はな」

 ウーノとランはレギウスとステラに名を変える。
 だが、そんな話はベルフロウからも聞いていない。
 そうしなければならない理由があったとしても、警戒すべき事態に発展する恐れはあった。

「レギウスにステラ。妹の遺言に従ってボクは君らをたすける事にする」

 だが、とマーガレットは強く言葉を区切った。

「力にはなるけど味方にはならないよ。隠し事をするような相手をどう信じればいいか分からないからね」

「……それでいい。オマエは俺を信用するべきじゃねェ」

 ふん、と鼻を鳴らしてマーガレットは引き下がる。

 やるべき事はやった。
 話すべき話も終わった。
 であれば、妹と同じ顔を持つ相手をこれ以上見ていたくなかった。
 どこか別の場所で、思い切り泣き喚きたかった。

 心の整理をするにも時間は必要だ。
 今はただ、妹を喪った悲しみを時間が癒してくれる事を願うしかない。



 その日、深緑都市ロスウェル近郊アルタロ村の外れから、一件の屋敷が消失した。
 跡地とも言えるその場所にはまるで初めから何も存在しなかったかのように短い草が生えているばかりであった。
 しかし、アルタロの民は誰もがそれを不審には思わなかった。
 否、それどころではなかったのだ。

 同日、アルタロの幼き狩人が森の主である羆にちょっかいをかけた事で逆襲を受け、村自体が壊滅したからだ。
 村の人間のことごとくが打ち殺され、生き残ったのは滝壺から落下し、命からがら逃げ伸びた幼き狩人一名のみであった。
 散々暴れまわった羆はアルタロの狩人が放った決死の攻撃によって相打ちに倒れた。

 その裏に何があったとしても、幼き狩人が見た光景がそのまま伝えられる事になる。
 例えば屋敷から締め出されて自由の身となった悪魔ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトが渇きを満たすために手頃な生き物の記憶を喰らい、前後不覚のままに暴れさせたのだとしたら。
 あるいは幼き狩人の少女すらもその魔の手にかかっていたのだとすれば。
 いくら論じても、これらは全て歴史の闇に消えたものである。

 死神マーガレット・ヤンガーは妹の死を半ば受け入れつつも、あまり前向きに考えられなくなってしまった様子だった。
 レギウスの頼みもありステラに武術を仕込む役回りを与えられたため、いっそ大鎌術でもとは思ったが、逆に自分が辛くなるだけなので、生前の妹が次に得意としていた槍術を教えるに至る。
 さすがに元は死神の義体なだけあって飲み込みは早く、しかし他の物事に関しては忘れっぽい風であり、事情を深く知らされていないマーガレットはやたら不思議がる事になる。

 魔術師レギウス・エスメラルダは少女ステラに掛けられた忘却の呪いの研究を進める傍ら、屋敷に施した遮蔽魔術の解除方法を探った。
 悪魔を閉じ込める目的で遮蔽魔術を用意していただろうグリスは逆に籠城戦になる覚悟もしていたらしく、屋敷に残された食料はおよそ二年分に及び、地下の井戸も生き残っていた。
 並行しての研究はあまり進みは良くなかったものの、ステラの魂に魔術防御の術式を仕込み、さらに食事による魔力供給およびわずかにではあるがレギウスの記憶の断片を渡す方法を編み出していく。

 屋敷が再びアルタロ外れに戻ったのは、アルタロ村が地図から消えておよそ三年後の出来事である。
 その間にすっかり成長したレギウスと外見的には一切成長しないステラとマーガレットは、久方ぶりの現実へ足を踏み出した。
 止まっていた時が動き出したのだ。

 レギウス・エスメラルダ、ステラ、マーガレット・ヤンガーが揃って交易都市リューンに赴き、『大いなる日輪亭』の扉を叩いたのは理由がある。
 もとよりステラに武術を収めさせたのは、術式への対処に加えて冒険者として生き抜くための術を与えるためでもあった。
 ベルフロウ・ヤンガーの考察を考慮すれば、より色濃い経験をもって記憶に刻み付ければ術式の進行を鈍らせる効果が得られる可能性があるからだ。

 そんな重い過去を抱えた彼ら三名が、陽気な盗人少年や貧乏吟遊詩人と出逢うのはもう少し先のお話である。



【あとがき】
ウーノの追想、いかがでしたでしょうか。
実験番号一番、『ウーノ』という名をつけられたレギウスと『ラン』ことステラ、そして死神時代のマーガレットの過去話でした。
そして『美食家』こと悪魔ヴィルヘルム、そしてマーガレットの妹であるベルフロウが関わる、まさに物語の起点とも言うべき場面を描いています。

ある意味では『星を追う者たち』の結成秘話に近いものにはなりますが、彼ら三人は最初からある一方向を目指しているところが他のパーティとは違う、意志の強い部分になっています。
結果的に彼らのパーティが五名となったのも、最後の一枠はベルフロウが入るべき場所だったのかもしれません。


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『早馬は命を繋ぐ』 

 早朝、冒険者にとっては早すぎる時間。
 何やら騒々しい物音でカイルは目を覚ました。
 年が明けてしばらく経つが、それでもまだまだ寒さは引かない。
 朝であればなおさらで、目が覚めたのならとっとと一階へ降りて暖炉前のテーブルを占領しようと動くのは自然の摂理である。
 眠い目をこすりつつ階下へ行くと、同じような状況で起き出してきたらしい仲間たちの姿が見えた。

「おはよ~カイル。寒いね」

「おはようステラ、レギウス。キミらも暖炉狙いかい?」

「つってもどうせ一番乗りはコヨーテの奴だろ。あいつ無駄に早ェんだよなぁ」

「いや、いないでしょ。コヨーテさんたちって確か今頃ミューゼルだよ」

 コヨーテ・エイムズら『月歌を紡ぐ者たち』がいないのであれば、暖炉前の席は貰ったも同然だ。
 何しろ『大いなる日輪亭』を常宿とする冒険者パーティはもうひとつあるが、『陽光を求める者たち』は怠惰な連中が多い。
 この時間帯なら誰にも邪魔されずに暖炉の暖かみを独占できるに違いないのだ。

「あぁ、そういやそんな話聞いた気がするねぇ」

「うお。な、なんだマーガレットか。いきなり脅かさないでよ」

「別に脅かしていないじゃないか」

 暗がりからぬーっと顔面蒼白で薄ら笑いを貼りつけた顔面がいきなり現れたら誰だって怖がる。
 とは思うものの口には出さないのがカイルの優しさだった。

「オマエの顔が薄気味悪いっつってんだろ」

 しかし欠片も遠慮せずにずけずけ言ってのけるのがレギウスの厳しさだった。

「あっはっは、今日もレギウスのジョークは冴えてるなぁ」

「冗談言ったつもりはねェんだが」

「あー、もう。喧嘩腰な会話はお腹いっぱいだからさぁ、とっとと降りようよ」

「喧嘩しちゃいねェだろ」

「してないよねぇ」

 心が広いとかそういう問題でなく彼らは気を許し合っているという事かもしれない。
 当人に聞いたら確実に否定されるだろうが。
 こんなのに付き合っていたら凍え死んでしまう。

 一階に降りると、暖炉の前のテーブルには案の定誰もいなかった。
 ただ残念な事に火が入れられていないのでひどく寒い。
 寒さに震えながら、カイルは自前の火口箱を使って火を熾した。

「んー……、これいいかもね」

 かじかんだ手を温めていたところに、背後でターニャの声がした。
 まったく気配がしなかったが、一体いつの間に降りてきたのか。
 彼女は依頼の貼り紙が留めてあるコルクボードとにらめっこしつつ、その手には一枚の羊皮紙が握られている。

 レギウス率いる『星を追う者たち』はさほど仕事に関してはガツガツしてはいない。
 金が入り用ならその時に仕事して、余裕のある時は好きに過ごす、そんなスタイルを貫いていた。
 近頃は安穏と日々を過ごしていたからそろそろ懐具合も寒々しくなってくる頃合いだ。
 ターニャも同じ考えなのだろう。

「……あれ? 親父さん、いないの?」

 そう言われてカウンターの向こうを覗いてみるが人の気配はない。
 普通なら朝一で火が入れられるはずの暖炉も手付かずだった事といい、不在なのかもしれない。

 そう訝しがっていると、年季の入った『大いなる日輪亭』の扉が壊れんばかりの勢いで開き、宿の亭主エイブラハム・エイムズが姿を現した。
 噂をすればなんとやらなどと軽口を叩く暇を与えるのも惜しいのか、亭主エイブラハムが狭い宿内を駆け寄ってくる。

「――お前たち、いいところにいた。その依頼、請けるのか?」

 ターニャが握っている貼り紙を見るや、宿の亭主は意外そうに声を上げた。

「ええ、まぁ……わるくない依頼だとおもうけど」

「つーかさぁ、こんな朝っぱらから血相変えてどしたのさ」

「その依頼の件で、少しな……すまんが、奥に来てもらえるか」

「えええ、せっかく温まってきたところなのに」

 とはいえ亭主エイブラハムの挙動から緊急性の高い依頼が入ったのだと察したカイルはとっととその後を追う事にした。
 緊急性が高く、内密な話が必要とくればそれだけ報酬もいいはずだ。

 『星を追う者たち』は金に対する執着は薄いだろうが、カイル個人としては別だ。
 カイルはとにかくお金が大好きなのだった。
 ローリスクでハイリターンなお仕事は大好物だが、ハイリスクでも美味しくいただけるクチである。

 狭くて窓がなく、一つのテーブルとランタンのみが備え付けられている特別室。
 ここは内密な交渉を依頼主が希望する場合に使われる場所だ。

「早速だが……先ほどの騒動について何か知っているか」

「騒動も何も……、何かあったん?」

 亭主エイブラハムがちらりとレギウスのほうを見やるが、当のレギウスは無反応だ。
 半年近く一緒にいるからカイルには分かる。
 これは知っていて黙っている顔だ。
 要するに面倒臭いのだろう。

「そこから話そう」

 亭主エイブラハムの話によると、つい先ほどリューンの街中で魔法を使って暴れた男がいたらしい。
 彼は賢者の塔に所属する魔術師で、研究者としての立場を利用して魔法の道具を横領し、私腹を肥やしていたそうだ。
 彼の所業は盗賊ギルドの内偵によって露見し、捕縛しようとしたところを抵抗され大騒動に発展したようだ。

「その男の名はオットー・アウスト。その貼り紙の依頼主も――」

「――オットー・アウスト」

 亭主エイブラハムは無言で頷いた。

「その依頼、もう引き受けてしまったのがいるんだよ。最近うちに流れ着いた、駆け出し連中なんだが……」

「なんでそんなモンが貼られっ放しなんだよ」

「駆け出しだからでしょ。僕らだって最初の仕事で貼り紙忘れて出戻ったじゃん」

「あれはオマエが勝手に置いてきただけじゃねェか」

「そうだっけ? 忘れちゃったなぁ」

「……話を戻すぞ」

 オットーは横領した魔具をカルバチアまで馬車で運んで売り捌いており、その馬車には毎回護衛を依頼していた。
 そして今回、馬車の護衛を引き受けた冒険者が件の駆け出したちだというのだ。

「――最悪な事に、オットーは件の騒動の最中、盗賊ギルドの人間を一人殺害している」

「はぁー、それマジ? やべーじゃん」

 かの魔術師の勝手な密売行為に加え、仲間を殺害された盗賊ギルドがただ黙っているはずがない。
 亭主エイブラハムの話によればほどなくして馬車に追っ手が差し向けられたそうだ。
 横領の共犯である御者を粛正するために。

「……全て、一足違いだったんだ」

 護衛する冒険者たちはどう思うだろう。
 馬車を狙って盗賊が襲い掛かってくるのだ、当然馬車を護るために抵抗するだろう。
 だが駆け出しの冒険者で粛清のために放たれた手練を相手にどれほど保つというのか。

「件の騒動は馬車がリューンを発ってからすぐに起きている。俺がこれらを知ったのは追っ手が出てすぐだ」

 亭主エイブラハムは深くため息を吐いた。
 『大いなる日輪亭』は駆け出し冒険者の死亡率がとにかく低い。
 くだらないミスで命を失わないように、宿の亭主や先達冒険者からの過保護ともとれるような支援があるからだ。

「……まだ盗賊ギルドに顔を出していないあいつらは追っ手に対して応戦し、そして死んでいくだろう。まだ右も左も分からんあいつらをこんな事で死なせたくはない」

 亭主エイブラハムもそれは誇りに思っているだろう。
 だからこそ彼らがこの場に呼ばれている。
 ちぐはぐながらに経験を積み、『月歌を紡ぐ者たち』に次いで冒険者歴が長い『星を追う者たち』が。

「頼む、救ってやってくれ……!」



 カイルの先導で『星を追う者たち』が向かったのは中心街から少し外れたところにある、人気はないが何故か潰れない酒場だった。
 店内には皿を拭いている坊主頭の中年男と、泥酔していびきをかく初老の男しかいない。
 この立地条件でこの有様では、早朝である事を差し引いたとしても散々だろう。

 だとしても何ら不思議な事はない。
 酒場は表向きの仮の姿であり、その実態は世にも名高い盗賊ギルド、その支部であるからだ。
 交易都市リューンの盗賊ギルドはいたるところに拠点が存在する。
 時には法に触れる情報や『品物』を扱うのだ、一見それとは分からないよう隠されているのは当たり前だった。

「……いらっしゃい」

 店番の男は入ってきたカイルたちに一瞥もくれる事なく皿を拭いている。
 そのあからさまな態度は明らかに客に向けるものではない。
 だが、それはカイルも承知しているので勝手知ったる様子でひょいひょいとカウンターへ近づき、軽い調子で声をかける。

「やあ兄弟。景気はどう?」

 その声を聞き、店番の男は初めて顔を上げた。

「おう兄弟。ボチボチってところだ。……今日は随分とにぎやかだな」

「ちょっと訳アリでさぁ。かなり急ぎの用事なんだけど、『猫』いる?」

「中にいるが。何の用だい」

「……オットーの件だよ」

 その言葉を発した瞬間、店番の男の顔に険しさが宿った。
 仲間を殺害された事に対して神経質になっているのだろう。
 店番の男はくい、と顎で酒場の奥を指した。
 カイルもまた仲間たちへ合図して、カウンターの裏手から酒場の奥へと進んでいく。
 普通の酒場ならば厨房か酒蔵があって然るべき場所には黒ずんた机と椅子が何組か雑然と並べられている。

「ここが盗賊ギルド……興味深い」

「ちょっとターニャ、あんまりじろじろ見ないでよ。恥ずかしいなぁ」

「めったに入れる場所じゃないから、つい……」

 いつになく興奮気味のターニャであった。
 確かにいくら冒険者といえども盗賊ギルドに仲間全員を連れて乗り込む機会はそう多くない。
 そんな機会に何度も恵まれるような冒険者パーティは絶対に長続きしないと断言できる。
 盗賊ギルドはどこまで行っても『黒』であり『闇』なのだから。

「カイル、カイル。『猫』ってなに~? にゃんにゃん?」

「うちの幹部の通称さ。あと親切心から忠告しとくけどそのイメージを期待すると絶対ぇ裏切られるから注意な」

 適当に返しつつ、カイルは近くの椅子に腰かけた。

「……しっかし、いつ来ても汚いなぁ」

「住めば都と言うだろ。慣れてくれば意外と快適になるぜ」

 いつからそこにいたのか、髭を生やした金髪の中年男が唐突に姿を現した。

「初めての奴もいるようだな。俺はストレイ・キャット……この界隈だと『猫』で通ってる」

 忍び足を日常的に使っているのか、足音は一切聞こえなかった。
 なるほどドラ猫ストレイ・キャットという通称は伊達ではないらしい。

「それで、用件は何だ? オットーの件で話があると聞いたが……」

 カイルは諸々の事情を説明した。
 一刻を争うこの状況においても、盗賊ギルドへ話を通さず追っ手を退ければカイルたちもまた敵とみなされる危険がある。
 それと同時に、盗賊ギルドが握っている馬車の移動ルートを把握し、さらに追いすがるための足を手にしなければならず、どちらにせよ盗賊ギルドの協力は不可欠であった。

「……なるほどなあ、そいつは気の毒に。しかし、どうするつもりだ。こちらからの連絡手段はないぞ」

「人数分の馬を貸してほしいんだ。まだ時間も経っていない今なら何とか追いつけるだろうし」

「構わんが、追っ手が乗っていった三頭より速い馬はいないぞ」

「十分だよ、サンキュ」

「分かった。すぐに準備させよう」

 『猫』が部下に命じると、いかつい風貌の男が小走りで、しかし足音は立てずに出て行った。
 準備が整うまで待つ事になるが、のんびりしている時間はない。
 引き出せるだけの情報を『猫』から引き出さねば。

「追っ手が三人だけってェのは少数精鋭を揃えたって事でいいんだな?」

「ああ。あの街道はかなりの距離が森に挟まれた一本道だからな。そのほうが動きやすいだろ」

「具体的には誰なのさ」

「手先が器用な奴、小回りが利く奴、それと『毒使い』だ」

 最後に『毒使い』の名を聞いた時、カイルの顔に明らかな焦燥が浮かんだ。
 それだけでかなりの熟練者である事は十分に予測できた。

「……魔具とは聞いちゃいるが、横領品ってのはどんな品だったんだ?」

「【眠りの雲】を操る指輪だとか火晶石なんかがあったそうだ。要するに値段が張る物ばかりさ」

「うわお。それめちゃくちゃ危険じゃん……」

 いくら駆け出しといえど、冒険者が護衛対象の荷物を無暗に乱用するような真似はしない。
 しかし命の危機に陥れば話は変わる。
 命あっての物種。
 高価だろうが貴重だろうが、彼らは何を使っても生き延びようと魔具に手を伸ばすだろう。

「一応聞いておくけどさ、オットーはどうなった?」

「モグリで商売した上に兄弟を殺しやがったクソ野郎だぜ、放っておくはずがねえ」

「おっけーわかった。結末まで想像できたからもういいよ」

 やられたらやり返すのが盗賊ギルドのやり方だ。
 おそらくは最速で、最大のダメージを叩き出すように、蛇のようにしつこく報いを受けさせたに違いない。
 しかし幸いにも駆け出し連中の粛清は後始末扱いゆえに、まだ少しは余裕があるはずだ。

「――ああ、一応言っておくが。うちの者がその駆け出しを殺しちまったとしても責任は取らんぞ」

 馬車の用意が整う頃合いを図って、表に出ようとドアに手をかけた瞬間だった。
 『猫』の声はとても低い。

「そちらに非がないのは確かだが、それはこちらも同様だからな」

「分かってるよ」

 重苦しい空気が場に流れる。
 互いに非がないからこそ、ただ純粋に協力を求めて『星を追う者たち』はここにいる。

「……救ってみせるさ」

「健闘を祈る」

 本心かどうか分かり辛い『猫』の声音を背に、『星を追う者たち』は用意された馬に乗り、カルバチアに続く街道へと走らせた。



 『星を追う者たち』は馬を駆り、一陣の風となって街道を走り抜けていく。
 盗賊ギルドから借りた馬は四頭。
 それに並走するのは世にも美しい漆黒の毛並みの獅子、火光獣のポチ――命名はステラ――である。

『……主よ』

「文句言ってねェで脚を動かせよ。時間ねェっつってんだろ」

『しかし……』

 ポチが訴えているのはその背中に乗っているターニャの惨状についてであろう。
 今現在、彼女はポチの首に手をまわし、振り落とされないように必死にしがみついている最中である。
 傍から見ればもふもふのたてがみに顔を突っ込んでいるようにも見えるが、本人にとってはシャレになっていないらしく、

「あばばばばばばばばば、ぽ、ぽぽぽポチちゃん……もうちょっとととと、ゆっくりりりり……!」

 などと震えた声で訴えてくるのだった。

「あぁ? クソうぜェな……」

 馬に乗れない乗った事がないと難色を示したターニャに対してできる最大限の譲歩が『ポチに乗ってもらう』であった。
 ポチであれば馬と違って御す必要はない。
 ただその背に乗っていればポチ自身が勝手にレギウスたちに追従してくれるのだから。
 ターニャもそれならばと首を縦に振ったわけだが、限りなく最高速で疾走する獣の背に乗るなど不可能に近く、しがみつかなければ容易に振り落とされてしまうのだ。

 しかし、だからと言って速度を緩めるわけにはいかない。
 まずは何が何でも駆け出し連中が生きている内に追いつかねばならないのだから。

「うーん。今日ほど乗馬経験あってよかったと思える日はないね……お尻は痛いけど」

「マーガレットって見るからに都会っ子だけど馬に乗る機会なんてあったの?」

「……昔の仕事仲間にそういう奴がいてね、一回だけ乗せてもらったんだよ。あー、お尻痛い」

「そのままお馬にハマっちゃえばよかったのに~! はしるのたのし~よ~!」

「お尻が痛くてそれどころじゃなかったんだ! 今もね!」

「尻尻うるせェんだよ。とっとと慣れろ」

「……君らのお尻は大丈夫なのかい? マグ姉さんとしてはこの後の展開に支障がないか本気で心配なんだけれども」

 ただでさえ薄気味悪いほどに蒼白な顔を更に白くしつつ、マーガレットは本気でそう言った。
 冒険者といえども馬を駆る機会はそう多くないとはいえ、まったく乗れないのでは笑い話にもならない。
 今回のような逼迫ひっぱくした状況においても冷静に対処するための力なのだから。

「ばばばば、あばばば……!!」 

 多少荒療治になったとしても。

「――んっ!?」

 そうこうしている間に周囲の景色に緑が増え、山間街道へ差し掛かった時であった。
 列の先頭を走っていたカイルの両眼がそれらを捉えた。
 わずかもしない内に、それらは後に続くレギウスたちの目にも入る。

「……馬?」

 前方から走ってきた二頭の馬は『星を追う者たち』とすれ違い、あっという間に走り去っていった。
 鞍も手綱も装着済みだ、野生ではない。

「状況から考えると追っ手が乗っていった馬……だよね」

「追っ手は三人だったはずだよ。乗り手はどこへ行ったと思う?」

「この辺には魔物らしい魔物も出ないはずだよね……」

 不可解な事態に、カイルとマーガレットは二人して眉を寄せた。
 そんな中で一人静かに思考を進めていたレギウスが口を開く。

「……追っ手の思考を読み取ってみろ」

 『猫』は言っていた。
 【眠りの雲】を操る指輪や火晶石のような、広範囲に対して影響を及ぼす魔具が大量にあった、と。

「実力は劣るとはいえ襲撃対象のほうが人数は上、さらに追い詰められた襲撃対象が横領品に手をつける事を当然想定するわけだが――カイル、【眠りの雲】を使える相手を追う場合、盗賊はどう動く」

「え? 僕? 珍しいなぁ、キミが僕にモノを聞くなんて」

「とっとと答えろ。つっても結論の補強にしかならねェが」

「【眠りの雲】にしろ火晶石にしろ、全員が喰らうとおしまいだからね。広がって牽制しつつ隙を見て不意打ちで仕留めるってのがセオリーかな。でも、この状況下だと散開して森を走ると追いつけないけど」

「ご苦労。そして解析完了だ」

 そう宣言してレギウスは馬に鞭を打つ。
 見るからに過剰な加速で、馬を潰す勢いであった。

「えっ、ちょ、ボクもうお尻痛いの限界なんだけども!!」

 慌てて他のメンバーも速度を上げる。
 そんな中、火光獣の背にしがみついているターニャはもはや言語を喋る余裕を完全に失っていた。
 朝靄あさもやの中を早馬が駆けてゆく。

「追っ手が三島の馬で発ち、二頭だけ戻ってくる。何故か?」

 疾風のような速度で景色が後ろへ後ろへと過ぎ去ってゆく中で、レギウスの声だけがその場に響くように聞こえた。

「――森に入って馬車を奪っちまえば馬はもう必要ねェからだ。むしろ邪魔になる」

 カイルはハッとして、更に速度を上げてレギウスと並走する。

「だけど馬を降りたら馬車に追いつけるはずがない……!」

「だったらどうする?」

「答えは簡単だ、馬車の足止めをすればいい。三頭目の馬に乗った囮が!!」

 このパーティで盗賊の流儀を最も理解しているのはカイルだ。
 盗賊ギルド内で取り立てて重要なポストについていない彼でも戦術くらいはいくらか聞き及んでいる。

「でも~、そのおとりがねむらされたら~~~?」

「魔術の届かない距離から弓矢でも何でも使えばいいのさ。馬に乗りながらじゃ当たんないだろうけど、注意だけは引ける」

「護衛が馬車を守るならそれでいい、向かってくるとしても囮はただ逃げるだけでいい……その隙に森へ潜んだ二人が厄介な相手モノを無力化すりゃいいんだからな!」

「――いた、見えたよ!!」

 開けた視界の先に、交戦状態の数人の姿が見えた。
 傍には横転した馬車が転がっており、冒険者と思しき五名がそれを守るように立ち塞がっている。
 そしてそんな彼らを三人の盗賊が圧倒していた。
 冒険者も必死で応戦しているようだが、その攻撃は無様に空を切るばかりだ。

「くくっ! 新手だと!?」

「も、もう無理だ! 逃げよう!」

 無勢に多勢が圧されている状況に加え、更に新手となれば逃げだしたくなるのは当然だ。
 だが相手は盗賊ギルド、しかも粛清を請け負うほどの殺しの専門家だ。
 戦術としての退却でなく単なる逃走では逃げられるはずもない。 

「く、くそぉぉぉおおお!!」

 追い詰められた鼠は猫を噛むという。
 気力が完全に折れていないのは立派だが、残念なのはその矛先が『星を追う者たち』に向いた事だった。
 盗賊連中三名よりは与しやすいと判断したのだろうか。

「ひゃあ! っとと! 危ないなぁ!」

「お前、カイルか!?」

「そうだよ、聞いてよ『毒使い』! わわっ!」

 まだ幼いとはいえカイルも伊達に冒険者として生き抜いてはいない。
 難なく、とはいかないものの、駆け出し冒険者の攻撃を躱し続けている。

「こいつらモグリの盗賊だ! 援護しろ!」

「だっ! だから聞いてってば! こいつらは――!」

「だりゃあああ!!」

 駆け出し冒険者の攻撃に、またしてもカイルの言葉が遮られた。

「ちっ、面倒くせェな。一度全員ぶちのめしたほうが早ェんじゃねェか」

「勘弁してよレギウス!」

 とは言うがレギウスは魔術師であり、本来なら後衛側である。
 【孤高の王】という防御術式で星型の障壁を纏ってはいるものの、彼自身が盾になるような動きで場を制しようとしているのだから兎にも角にも状況を動かさなければならない。
 そんな中でもステラは長い槍の間合いを十分に使った防御の型が得意なだけあって不安は少ないだろうが、

「おえぇぇぇ……!」

「ちょっと、ターニャ大丈夫かい? ボクもまだお尻が痛くて動きたくないんだけどなぁ……」

 などと、後方では移動だけでダメージを受けすぎた二名がガクガクプルプルしていた。

「もぉぉぉーーー! 役立たずーーー!!」

 普段なら頼りになるターニャの呪歌やマーガレットの大鎌も今回限りはまったく頼りにならない。

「おい。とっとと終わらせるぞ」

「軽く言うなぁ」

 この場を収めるにはただ一言を伝えるだけで済むはずだ。
 しかし今では言葉を発するだけでは足りない。
 恐怖で興奮しきった駆け出し連中にもその一言を耳に入れてもらわねばならず、乱戦となった今では誰の動きを止めても危険だ。
 やるとするなら一度に、それも全員の注目を退いてからやらねばならない。

「とりあえずこの場の空気を止めりゃいいんだろ。俺がやる」

「お、マジで。やったぁ」

「説得はオマエに任せるがな」

 そんなぁ、とカイルが不満を漏らす様子を尻目に、レギウスは呪文の詠唱を開始する。
 彼の手に握られているのはいつもの儀式用ナイフではない。
 これまで術式起動時に集中力を高める道具として用いていた【隠者の杖】と同等の力を秘めた、【理知の剣】という儀式用の剣だった。
 先日、『月歌を紡ぐ者たち』の魔術師バリーと取引して得た魔具である。

「《貫き砕く光の波動、輝きを散らして流星の如く数多に降り注げ》、――《弾け》!」

 無数の魔弾がレギウスの周囲に漂い、タクトのように振られる【理知の剣】に追従して空中に放たれる。
 【魔法の散弾】と呼ばれる術式である。
 一般的な【魔法の矢】よりもやや威力は落ちるものの、複数の魔弾は大勢を薙ぎ払うのに適している。

 とはいえこの場において全員を薙ぎ倒すための術式ではない。
 飛び上がった魔弾はぐるん、と軌道を一八〇度変えてレギウスとカイルが立っていた周りの地面へ突き刺さった。
 嵐のような音を立てて魔弾が地面を抉り、激しく砂埃をあげる。

「な、なんだ――!?」

 もうもうと立ち込める砂埃が視界を遮り、レギウスとカイルの姿は見えない。
 駆け出し連中も盗賊たちも、ステラたちも自爆染みたその様子を見守らざるを得なかった。
 しかし何が起こったのかを判断する猶予も与えず、砂埃が一斉に引き裂かれる。

「なっ……!!」

 世にも恐ろしい咆哮を響かせながらその中から現れたのは、漆黒の毛並みの火光獣である。
 迂闊に火光獣を出したままにしてしまうと駆け出し連中がパニックになると判断して霊界に戻した事もあって、この登場はインパクトが大きい様子だった。
 その背に乗せられたカイルはありったけの大声でその場の全員に声を投げつける。

「ええい静まれい! 静まれい者ども!! この僕のプリティフェイスが目に入らぬか!!」

「カ、カイル、お前なにやって――」

「いいから聞けぇい『毒使い』! そこのひよっこたちはさぁ! ――うちの宿の冒険者なんだよ!」

「……なん、だと!?」

「み、味方……なのか?」

 恐怖に慄き、無我夢中で剣を振るっていた駆け出し連中も落ち着きを取り戻したようだ。
 緊張の糸が切れたのか、駆け出し連中は皆その場に崩れ落ちた。
 そのほとんどが大なり小なり怪我を負っており、毒にやられた者も少なくない。

「ご苦労」

 火光獣の背後にひっそりと姿を隠していたレギウスはそう呟いて【理知の剣】を鞘に納めた。
 とにかく注目を集めて場を支配するという手段をたった一つの術式で成し遂げた彼は満足そうだが、不本意な役割を押し付けられた火光獣とカイルは不服そうである。
 一人も死者を出さずにその場を収められたのであれば結果オーライなのだが。

「説明しろ、カイル。ギルドのほうで何かあったのか」

 全員の毒抜きと応急処置が終わったところで、『毒使い』が口を開いた。

「あー、うん」

 カイルは手早く事情を説明した。
 一頻り説明を受けた『毒使い』は得心したように頷き、駆け出し連中へ向き直る。

「……悪い事をしたな。だが、お前たちもお前たちだ。この世界で生きるならモグリでは話にならん」

「……、」

「迷惑料として入会金は負けといてやる。うちへ顔を出しに来な」

「ああ、分かったよ」

 何だかんだあった彼らも納得し、御者を欠いた馬車に乗って戻っていった。

「さ、僕らも帰ろう。親父さんを待たせると悪いからね」

「あまり心配させすぎるとハゲ頭に磨きがかかってしまうからね」

 眩しい朝の光の中に、笑い声がこだまする。
 こうして見事に駆け出し冒険者を救った『星を追う者たち』はまたひとつ経験を積み、立派なベテラン冒険者としての一歩を、

「おええーっ!!」

「お尻痛いお尻……」

 ――踏み出したのであった!



【あとがき】
『星を追う者たち』Lv4のシナリオはsuikameさんの「早馬は命を繋ぐ」です。
不運と不運が重なり窮地に陥った駆け出し冒険者を助け出すというスピード感あふれるシナリオです。
PCたちが冒険者として経験を積み、駆け出しを抜けた実感を味わわせてくれるのでレベル4になりたてくらいのPCで挑むととても良いです!
しかしあまり表立って冒険していないせいか、『星を追う者たち』がベテランというのに結構違和感あったりするのですがそれはそれ。
それにしてもターニャとマーガレットにはひどい事したよね……

ラストのギミックバトルでは特定のリューン技能を持っているとちょっと楽になります。
が、『星を追う者たち』は一切そんな技能持っていない上に下見プレイ段階では火光獣を外し忘れて大苦戦するハメに。
自動攻撃する召喚獣は外して挑んでくださいネ!

ここで新たな魔術を修得してきたレギウスですが、すでに彼の手札は数枚溢れています。
ある意味贅沢プレイですが、レギウスは冒険前に数ある魔術を選択してシナリオに挑むスタイルなのです。
複数の魔術を使いこなすプロフェッショナル感が出るから楽しいですよ。


☆今回の功労者☆
カイル。子供だとしても盗賊ギルドに顔が利くというのは大事ですよ。

報酬:
700sp

≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『早馬は命を繋ぐ』(suikame様)

今回の使用カード
【魔法の散弾】(『Star Dust』histar様)
【火光獣】(『晴藍渓流のエルフ』Leeffes様)
【理知の剣】(『深緑都市ロスウェル』周摩)

今回使用させて頂いた固有名詞
『ミューゼル』(出典:『劇団カンタペルメ』 作者:柚子様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。

『森の追跡者達』(2/2) 

 近くのぬかるんだ地面で見つけた人間の足跡、それを隠蔽した不自然な乱れを発見した一行は追跡を開始する。
 岸に下りてすぐ目の前は崖が聳え立っていたが、どうやらドラクロワは痕跡を隠そうとあえて一度森の中に入ったようだった。
 切り立った崖沿いに少し歩くと、鼻をすんすんと動かしたジャックが一声吠えた。

「ドラクロワの臭いを発見したようですね。よくやったぞ、ジャック」

 頭を撫でられ上機嫌なジャックは、更に小さく吠える。
 事実、湖で臭いを消されていたらお手上げだっただけにお手柄である。
 ドラクロワも悠長に臭いを落とす事すらままならないほどに追い詰められていたのかもしれない。
 逆に考えれば、それだけ遠くに逃げられている可能性も秘めている訳だが、見失うよりはマシだろう。

「もう、かなり奥へ来てしまいましたね……」

「くそっ、まさか本当に森を抜けちまったのか?」

 それでも騎士二人は焦っている様子だった。
 ジャックが臭いを探らなければ先に進めない事が逆に彼らを押し留めている、そんな雰囲気だ。

「ドラクロワ、どこまでいったのかな……」

「さぁな。案外その辺にいるんじゃねェの」

「……あのね、私はまじめな話をしているんだけど」

「だから真面目に考察してやってんじゃねェか」

「どういう事です?」

 さすがに騎士たちも聞き捨てならなかったらしい。
 この希望の見えない状況をどうにかできるならレギウスの推測でも構わないといったところか。

「ドラクロワの野郎は夕暮れに森に入ったんだ。おそらくすぐに適当な場所を見つけて野営したはずだぜ。夜の森の恐ろしさは今更説明するまでもねェだろ?」

「ええ。しかし、それも二日前の話です」

「仮に昨日を森の移動に専念したとして、ドラクロワはどこまで進めると思う? たった独りで、脱獄したばかりでろくな武装もなく、土地勘もないこの森を、だ」

 複数人で移動するレギウスたちもコボルトの待ち伏せに遭っている。
 ドラクロワもただの一度も妖魔や獣と出くわさずに移動はできなかっただろう。
 加えて、ジャックが追跡する事で探索を省いているレギウスらと違い、彼は自らの能力で道を拓かねばなかったのだ。
 そんな悪条件では通常の半分も移動できなかったのではないか。

「なるほどねぇ、となるとあのコボルトたちもドラクロワの差し金だったかもしれないね」

「かもな」

 本来コボルトは夜行性であり、臆病な性質である。
 リーダーの存在もなくあれだけ見事な奇襲攻撃は極めて珍しい。
 もしドラクロワがコボルトのテリトリーにあえて痕跡を残し、人間の侵入に対して警戒させていたとしたら、強引ながらも納得はできる。

「では、ドラクロワはこの辺りで体を休めている可能性があるのですか?」

「言っとくが確証はねェぞ。俺たちにそう思わせる事が奴の狙いかもしれねェんだしよ」

 かすかな可能性を提示しただけで、レギウスはばっさりと切り捨てた。
 過度な希望は視野を狭める。
 ましてフィールドワーク専門外の騎士なら、なおさら厳しく制しなければ足手まといになりかねない。

「……む、」

 先頭のカイルがハンドシグナルで静止を促す。
 ジャックも座らせ、吠えないように注意した。

 森を抜けた先、岩肌がむき出しになっている崖にぽっかりと開いた洞窟。
 ジャックはその先に向かって臭いを辿ったようだ。

「……どうやらドラクロワはあの洞窟の中へ向かったようですね」

「面倒くさいところだねぇ。妖魔の森って呼ばれてる場所であんなあからさまな場所に洞窟なんて何かが住み着いてないほうがおかしい気がするよまったく」

 ぶちぶちと文句を垂れ流すマーガレットを無視して、レギウスは呪文を詠唱する。

「《星海より来たれ、輝く贄の羊》」

 【孤高の王】と呼ばれるそれは術者の周囲に星型の盾を展開する術式である。
 物理・魔術を問わず威力を半減させる強力な盾ではあるが、逆にどんな小さな攻撃にも反応して消滅してしまう欠点がある。
 故に草木に触れる可能性のある移動中は使用を控えていたのだが、この先は戦闘を避け得ないと判断したのだろう。
 彼は臨戦態勢に入っている。

 他の面々も同様に戦闘準備を整え、いざ洞窟へと足を踏み入れる。
 ひんやりとした洞窟内は意外なほどに広く、そして明るかった。
 天井やそこかしこに岩の切れ目があるのだろう。
 しかし、その直後に先頭のカイルは鼻を押さえて呻いた。

「げぇ、なにこれ……!」

 洞窟内には異様な臭いが充満していた。
 じっとりとした臭いは洞窟内には籠もるばかりである。
 普段知り得るものよりも数倍も濃いが、それは冒険者、あるいは騎士たちも良く知る臭いであった。

「血の臭い……。あーくそ、ともかく鼻が曲がりそうだよ」

 しかめっ面で、しかし鼻を押さえて片手を縛る愚行は犯さずに周囲を見渡した。
 人気はなく、奥には口の大きく開いた壺が置いてあるだけだ。
 その周りを飛び回る無数のハエの羽音は、一行の神経を不快に刺激する。

「あれが原因かなぁ?」

「見りゃ分かんだろ……つってもオマエは見るな」

 若干鼻声のステラをターニャに預けて、レギウスは壺へと近づいた。
 段々と不快な臭いが強まり、更にはハエも無遠慮に纏わりついてくる。
 口を開ければそこへ飛び込んでくるのは間違いなく、仕方なしに鼻で呼吸するも、血と臓物の発する独特の臭いを強制的に吸い込まされる。

 数歩の距離がとてつもなく長く感じた後、ようやくレギウスは壺の中身を覗き込んだ
 彼自身、中身が何なのか検討はついていたのだろう。
 鬱陶しいハエの群れが、既に彼の眉間に皺を刻んでいたので表情は変わらないようにも見える。

「……、男だな」

 足早に戻ってきたレギウスは体中に纏わりつくハエを叩き、追い払いながら短く言った。

「どうしました? 中には何が入っているんです?」

「オイ待て――」

 その様子を察せなかったのか、セイルは見よう見まねで口元を覆って壺の中身を覗きに行く。
 あのハエの大群の中では膨大な数の羽音で制止の声も聞こえない。
 やがて壺を覗き込んだセイルは呻き声を上げて壺から顔を逸らす。
 そしてハエの群れから逃げるように転がりながら戻ってきた。

「あ、あれは……!」

「見間違いじゃねェよ、ありゃ男の死体だ。バラバラだったが、体積から見て恐らくは一人分だな」

「……、」

「落ち着いてからで構わねェ。あの壺に収まってる奴がドラクロワに間違いねェか確認してくれ。でなきゃ先へ進めねェからな」

「……そう、ですね。分かりました。少しお待ちください」

 セイルは顔を青くして嘔吐を堪えながら、再び壺の中を確認する。
 すぐにハエに追い立てられるように戻ってきたが、今度は確実に顔を検めたようだ。

「……ドラクロワに間違いありませんね」

 その言葉に目を丸くしたジェドも、止せばいいのに壺の中身を確認した。
 すぐさま表情を凍りつかせて冷や汗を額に滲ませる。

「へっ……これでも悪党の最後にしちゃ、上出来だ……」

 強気に絞りだした言葉とは裏腹に明らかにその顔からは血の気が引いている。

「一体、ドラクロワに何が……」

「考察よりここを離れるのが先だ。オマエらもああなりたくはねェだろ?」

「しかし、せめてもの証拠に頭部だけでも持ち帰らなくては――」

 セイルが言い終える前に、小さな地鳴りのような振動が足元から伝わってきた。

「あらら参ったね。この家の主人様のお帰りだよ」

 振り返った先には洞窟の入り口、そこを塞ぐように一匹のオーガが立っている。
 この洞窟はオーガの棲み処であり、ドラクロワは不運にもここをねぐらとしてしまったのだろう。

「ドラクロワの悪運も尽きたって事だろ」

「……俺たちの悪運はどうなんだ?」

 ジェドがひどくもっともな問いを投げかけるも、その答えは得られない。
 オーガは我が家を荒らされた怒りからか、はたまた思いがけない夕食を前にした喜びからか、異様に興奮していきり立っている。
 不快に鼓膜を叩く方向と共にオーガが猛然と襲い掛かってくる。

「――オオオオオォォォオオオオオオオオ!!!」

「……ちっ!」

 叩き潰しの豪腕が地面を叩く。
 洞窟が広かった事が散開を容易にしており、一撃必倒のオーガが相手では僥倖と言える。
 だとしてもオーガを相手取るには近すぎた。
 彼が暴れて砕いた岩の破片が周囲に飛び散り、一行を薙ぎ倒す。

 マーガレットは素早くオーガの背後に回り込み、その背中を切りつける。
 彼女の得物たる大鎌は本来引き切るものであるが、オーガの筋肉の前ではさほど深い傷は負わせられない。
 かといって突き刺してしまうと抜けなくなり、最悪得物を失う羽目になる。

「あぁもう、これだから脳ミソまで筋肉詰まってそうなバカの相手は嫌いだよ!」

「文句言ってないできりきり動く! ほら来たよっ!」

 森の暴君たるオーガはハンマーのごとき両腕を振り回し、何もかもを破壊する。
 カイルは飛びのきつつナイフを投げ放つも、巨躯のオーガにはさしてダメージにはならない様子だった。

「《舞い踊る白刃よ疾殺を歌え、荒れ狂う隼の飛翔の如く》……《切り裂け》!」

 レギウスの【操刃の舞】によってカイルの懐から飛び出したナイフは、オーガの右目に突き立った。
 この世のものとは思えない、痛みからか怒りからかも分からないほどのオーガの咆哮。
 それを前にしてもレギウスは冷静だった。

「《裂き散らし風は鳴く、血飛沫上げる刃の走りを》――」

 呪文を紡ぐ。
 詠唱の間は精神的な集中が必要不可欠であり、どんな些細な事であっても心がブレてしまえば完了しない。
 それを補佐するのは前衛の役目である。

「ほらほら~、鬼さんこちら~!」

「どしたどしたー! 捕まえてごらんなっさーい!」

 火光獣の背に乗ったステラは槍でちくちくとオーガを突っつきながら駆け回る。
 カイルもありったけのナイフを、ステラに当てないように投げ続ける。
 致命傷にならずとも意識を向けさせればそれでいい。

「……《断て》!」

「――ッ!!」

 詠唱の完了と共に放たれた真空の一撃はオーガの喉を抉り、血肉を盛大に撒き散らす。
 【風の刃】は他の術式と違い、熱や冷気、あるいは異物で血管を塞ぐ事はない。
 肉を裂き、血を吹き飛ばすこの術式は血肉を持つ相手には特に有効である。

「――ゴッ……、ガッ、ゴボッ!!」

 喉元からあふれ出す血液に激しく咳き込むオーガは、よろよろと洞窟の外へ逃げていく。
 傍目から見ても致命傷である。
 追撃しなくてもすぐに絶命するだろう。

「あれが人喰い鬼と呼ばれるオーガ……、恐ろしい……冒険者の皆さんを雇って正解でした」

 肩で息をしながら、セイルはその場にへたり込んだ。
 ジェドも同様だったが、彼は疲れよりも怒りのほうを強く感じているらしい。

「ドラクロワのヤツめ、森の次は地獄へ逃げ込んだ訳か! あんな怪物でなく、人の手で断罪されるべきだったんだ!!」

「……しょうがないよ。とにかく首だけでも持って帰ろう。上への報告には証拠が要るよ」

 ジェドをなだめ、セイルは億劫そうに立ち上がった。
 彼もこの結果に何も思っていない訳ではなさそうだ。
 ドラクロワ入りの壺は、先ほどの戦闘に巻き込まれて砕け、中身が撒き散らされている。
 その中から首を拾った二人はきつく布で包んでから袋の中にしまい込んだ。

「それでは皆さん、森の探索はこれで終わりです。ご協力に感謝します」

「何言ってんだオマエ。むしろ本番はこっからだろうがよ」

「……は、それはどういう……?」

 レギウスは答えず、ただ静かにドラクロワの首が収まった袋を指差した。
 布製の袋には乾いていなかった血液がじわりと染み込んできている。

「この森は妖魔だけの森じゃねェんだぞ」

「そんなに血の臭いを撒き散らしながら移動してたんじゃ、獣に襲われるなんて当たり前だよねぇ?」

 レギウスとマーガレットの言葉に、今度こそ意味を理解した騎士二人は顔を青くした。



 洞窟の外ではオーガの巨体が仰向けに転がっていた。
 苦痛の内に絶命したのだろう、目を見開いて血塗れの口を大きく開けている。

「……にしても無理があるぜ」

 あの後、どうにか血が滲まないように四苦八苦した結果、皮袋に強引に押し込めるという荒業を繰り広げた。
 滲みはしないが、それでも血の臭いが撒き散らされてしまうのはどうにもならなかったのだが。

「にしても、まずいよ。もうすぐ日が暮れちゃう……」

 ターニャは焦りながらも確実に、騎士二人とジャックに指文字を施している。
 追撃の間は悠長に刻む暇がなかったが、ここでようやく【妖精の歌】に抵抗する為の呪を刻んでいるのだった。
 これからはおそらくこちらが追撃を受ける番だ。
 その度に味方の行動を阻害していては逃げられるはずがない。

「思ったより手間取っちゃったからね。これ以上面倒が起きる前に早く森を出たいもんだよ」

「――ッ! みんな止まって! 密集隊形を取るんだ、早く!!」

 マーガレットの指示により、一行に緊張が走る。
 誰もが声を潜めて息を飲んだ。

「……どうやらその『面倒』が起きちまったみてェだな」

「う、うわぁ!?」

 茂みからぬらりと現れ出でたのは、一匹の狼だった。
 しかし大きい。
 騎士二人も驚いている様子だ。

「く、くそ! あっちいけ!」

「止め――!」

 セイルは手近にあった石を掴んで狼へと投げつける。
 マーガレットの制止は一瞬遅かった。
 狼にとって、敵意をもって放られた石は宣戦布告である。

 がさがさと茂みを揺らして現れたのは狼、狼、狼。
 その数は優に一〇匹を超えている。

「どうやら、すっかり目をつけられちゃったみたいだよ……」

「ターニャ、オマエは火光獣ポチに乗れ。ステラとカイルは騎士二人と犬を連れて先行しろ。俺とマーガレットが殿だ」

 これ以上狼の群れを刺激しないように、レギウスは静かに号令する。
 しかし、その静寂もステラたちが反転した事で崩された。
 狼の群れが一斉に動く。

「――行け! 逃げるんだよ!」

 マーガレットは大鎌の一振りでわずかに狼の足を鈍らせる。
 狼とは素早くて賢く、それでいて爪牙は鋭い。
 ましてやそれらが群れで襲ってくるとなれば始末に負えない。

「ちっ、これでもまだ氷山の一角なんだろうぜ! 群れの数が不明瞭すぎる。ずるずる戦って消耗するよりゃ逃げを優先したほうがマシだ!」

 【風の刃】で狼を斬り飛ばしながら、レギウスは襲ってきたもう一方の狼を蹴りつける。
 乱戦になってしまえば前衛と後衛の区別などあってないようなもので、そんな中で呪文詠唱しなくてはならない魔術師はひどく不利だ。

「ぼうっとしてんじゃないよレギウス!」

 更に襲い来る狼を、マーガレットの大鎌の石突が跳ね飛ばした。
 距離を取りたいところだが、それではマーガレットに集中してしまう。
 下手すれば先行するステラたちのほうへ取り逃がしてしまう事だって考えられる。

「――チッ」

 一匹二匹倒したところで狼たちの気勢は削げない。
 逆に興奮させてしまっているきらいすらある。

「できれば一網打尽にしたいところだがね」

 マーガレットも同じ事を考えているらしい。
 彼女の大鎌もその気になれば広範囲を薙ぎ払えるが、前後の隙が大きく、とても敢行するだけの効果が得られるか怪しい。
 一か八かの賭けに出るよりは現状を維持すべきだと考えての愚痴のようなものだったのだろう。

「《舞い踊る白刃よ疾殺を歌え、荒れ狂う隼の飛翔の如く》……《切り裂け》!」

 【操刃の舞】によって後方から飛ばした刃が狼の群れを襲う。
 先ほどとは違い、カイルの持つ印つきのナイフを全て飛ばしたものの、効果はあまり芳しくなかった。
 狼が素早い事もあるが、数が多すぎた為か狙いが上手く定まらなかったのだ。

「ちょっとレギウス! いきなりやるなよ、びっくりするじゃんかー!」

 ぎゃーぎゃーとカイルの声が聞こえてくるが、レギウスは当然無視した。
 後退しながらの戦いである。
 放ったナイフの回収は絶望的だろう。

「――ッ、くそ!!」

 狼の一匹が、レギウスの脚に噛み付いた。
 痺れるような激痛に眉をしかめ、その身を硬直させる。
 転ばなかった事だけは不幸中の幸いだった。

「レギウス!!」

「俺に構うな! オマエはあいつらへの道を塞げ!!」

「ッ……分かったよ!」

 脇を通り抜けようとした狼を蹴り飛ばして、マーガレットは再び狼の群れと相対する。
 脚に噛み付いた狼をやっとの事で追い払うも、その怪我は決して軽いものではなかった。
 足首に穿たれた牙の跡から滔々と血が流れ出している。
 少なくとも歩く度に激痛が走るほどには行動に支障が出る傷だった。

 マーガレットもわずかずつ押されてきているように見える。
 何だかんだでレギウスのほうに狼が向かわないように立ち回っているのだろう。
 よく見れば彼女の衣服もあちこちが引き裂かれ、その周辺には赤い染みが目立つ。

(……、)

 後退のペースがひどく遅くなっている。
 おそらく、いや確実に。
 動けなくなったレギウスに気遣ったマーガレットの差配だろう。

 怒りがあった。
 誰に対するものでなく、自身に対しての怒りだ。
 こんな場所で何もできずにただ嬲り殺され、ただ朽ち果てていくのか。

(……ふざけやがって)

 状況を再認識する。
 狼は未だに数を増やしている。
 これまでの攻防でいくらか数を減らしたが、それでも次から次へと増援がやってきてきりがない。

 こちらの戦力は尽きかけている。
 騎士二人とジャックはこういった状況での経験に乏しく、戦力として考えないほうがいい。
 カイルとターニャは戦闘向きでなく、ステラを前衛に出すのはレギウス自身が許せない。

 レギウスも度重なる魔術の行使によって残存魔力が乏しくなってきていた。
 だが、そんな事は関係ない。
 たとえ魔力を全て吐き出しても、足りない分を生命力から補わざるを得なくても。

『《樹海の影もて降り注げ惑わしの種、抱きて眠れ茨姫》――』

 ここで死ぬ訳にはいかなかった。
 かの宿敵との決着をつけるまでは、死ねる訳がない。

『……《掻き抱け》!』

 詠唱の完了と共に、大地が蠢く。
 ざわざわと地より這い出てきたのは、周囲の狼の群れ全てを包み込むほどの茨の枝だった。
 茨は狼たちの足元に絡みつきながら次々に花粉を周囲に撒き散らし、それに包まれた狼は身体を横たえていく。

 【茨の海】と呼ばれる中級術式である。
 精霊界より催眠作用のある花粉をばら撒く茨を召喚する術式であり、具現化できる時間こそ短いものの足止めには最適解と言える。

「――チッ、」

 レギウスは胸を押さえてうずくまった。
 中級とはいえ効果範囲をそれなりに広く設定しなければならない今のレギウスにとっては術式である。
 体内の魔力が枯渇し、生命力から強引に魔力を作り出した結果、心臓に強く負担が掛かったのだ。

「レギウス!」

 いつの間にか、火光獣とステラが駆け寄ってきていた。
 来るなと叫びたかったが、その声すら出ない。
 足止めしているとはいえ、その呪縛が解ければ狼たちは再び襲い掛かってくるはずだ。

「どいてなよ、僕がやる……って、ちょっとレギウス、君軽すぎじゃあないかい? ちゃんと食事摂らないからそんなガリガリなんだよ」

 声が出ないのをいい事に言いたい放題のマーガレットである。
 後で覚えてろよと心中で悪態をつきつつも、レギウスはマーガレットに担がれて火光獣の背中に乗せられた。

「いくよ火光獣ポチ! 重くてもがまんしてね!」

 レギウスを抱きかかえるようにステラが後ろに乗った。
 ちなみに手綱のようなものはない。
 火光獣のたてがみをがっしと掴んでいるが、当の火光獣はあまり意に介していないようだ。

 狼たちが眠りこけている間に、一行は大きく距離を稼いだ。
 その後も細かい襲撃はあったものの、ステラとカイルが牽制しつつ後退を繰り返し、ついには撒く事に成功した。

 そして一行が森を出る頃には日はとうに落ち、夜の闇が辺り一面を覆い尽くしていた。
 帰路につきたいのはやまやまだが、走りっぱなしで足が言う事を聞かない。
 小休止した後に、一行は漆黒の帳が下りた街道を歩んでリューンへと戻った。

「ったく情けねェ」

 『大いなる日輪亭』、一階のテーブル席でレギウスは水を飲んでいた。
 ひと仕事終えたからといって彼は酒を飲まない。
 ステラに悪影響を与えない為という名目で極力飲酒を控えているのだった。
 酒癖の悪いターニャや酔っ払い易いマーガレットやらを止められるのはレギウスをおいて他にいないという切実な理由もあるのだが。

 結果的に今回の依頼は多くの課題を残す事になった。
 近接戦闘要員の強化、後衛火力の増大など、主に戦闘面に関してである。
 それでも『星を追う者たち』は護衛には向かないのかもしれない。
 レギウスにとってはどの依頼もステラの護衛をしているようなものなのだから。

 だからこそ、今回のように護られる結果になってしまったのは腹立たしかった。
 こんな調子ではとてもには勝てない。

(力が要る……もっと、絶対的な力が……)

 生まれた瞬間から宿命付けられた敵、ヴィルヘルム。
 レギウスとステラの人生を大きく狂わせ、今でなお苦しめる忌まわしい規格外の敵。

 宿敵の顔を思い出し、怒りがぶり返したレギウスはため息をひとつついて、杯の中の水を飲み干した。 



【あとがき】
『星を追う者たち』Lv3のシナリオはAsaさんの「森の追跡者達」です。
追跡や探索に不慣れな騎士を護衛しながら先導する内容になっています。
あと犬のジャック君はとても良い子です、可愛い!

『妖魔の森』と銘打たれているだけあって、出現する敵は数が多めです。
レベル1~3だと全体攻撃スキルがなかなか配布されず苦戦を強いられる事もあるのでスリリングな戦闘が楽しめますね。
ちなみに最近知りましたが、速攻で用事を済ませると何事もなく帰る事ができるみたいです。
リプレイの見栄え的にやりませんが……(笑)

今回のリプレイでは全体攻撃を多く採用しています。
レギウスの【操刃の舞】、【茨の海】、ターニャの【妖精の歌】やカイルの【短剣掃射】などですね。
集団戦闘での強さはおそらく『大いなる日輪亭』でトップになったはずです。

そして冒頭でティンダーリア様より火光獣を譲っていただきました。
ポチなんて名前つけてごめんなさい、でもちゃんと可愛がります(笑)


☆今回の功労者☆
ポチもとい火光獣。六人目の仲間として一緒にがんばろう!

報酬:
500sp

≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『晴藍渓流のエルフ』(Leeffes様)
『森の追跡者達』(Asa様)

今回の使用カード
【風の刃】(『武闘都市エラン』飛魚様)
【孤高の王】(『アルタロ村(仮)』周摩)
【操刃の舞】(『碧海の都アレトゥーザ』Mart様)
【茨の海】(『忘れ水の都』指環様)
【妖精の歌】(『歌の一族』周摩)
【短剣掃射】(『武闘都市エラン』飛魚様)
【火光獣】(『晴藍渓流のエルフ』Leeffes様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。


『森の追跡者達』(1/2) 

 交易都市リューンから西に四日ほど移動した先にある晴藍せいらん渓流。
 とある噂を聞きつけたレギウスはそこにただ独りで向かっていた。
 険しい道のりで疲れた身体が、美しい渓流とその水飛沫で心身共に癒されていくようだ。

「ああら、お客さん?」

 白魚のような白く美しい足を揺らして、渓流の飛沫をぱしゃぱしゃしているエルフが、こちらを振り返って言った。
 エルフという種が元より美しい造形をしていると言ったって、このエルフは特別な魅力を醸し出している。
 いや、これは魅力という大雑把な括りでまとめてはいけないものだろう。
 魔術に造詣が深く、魔力に敏感なレギウスはそう感じた。

「ようこそ、ヘルブラウランツェの裔を預かるティンダーリアの元へ……とはいっても、もう里はないのだけれど。 歩き疲れたでしょう? ウンディーネとシルフィードに癒されながら座ってなさいな」

 自らをティンダーリアと名乗ったエルフは、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
 その笑みは彼女に心を開くのに一切の抵抗を無くすほどの威力を秘めていたのは間違いない。
 辛うじて踏みとどまったのは、彼女の背後に佇む多種多様な魔獣・精霊の群れを見てしまったからだ。

「ああ、この子たちを警戒してるなら心配しなくても大丈夫。みんな、あたしが召喚の仮契約を済ませて面倒みてるから」

「召喚……、てぇ事は精霊術師なのか?」

「ええ、ただのエルフの精霊術師よ。他のエルフよりちょっとだけ水や氷の精霊と仲がいいの。……昔は、あたし以外にももう少しいたんだけどね」

 最後にそう付け加えたのは、後悔からか回顧からか。
 わずかも経っていないのにレギウスの身体からはほとんどの疲れが吹き飛んでいた。
 さっき何気ない風に使役したウンディーネとシルフィードの力なのか。

「ただの、ねェ……」

 レギウスは晴藍渓流のそこかしこで寛ぐ魔獣・精霊の群れを眺め、

(現界させたまま侍らしておくなんざ只者じゃねェな……)

 これほどの数の魔獣・精霊を使役できるだけでもとんでもない。
 もし彼らの実力を同時に最大まで引き出せるのだとしたら、それだけで国ひとつが落とせるほどの力を秘めているだろう。
 もっとも、精霊術師本人にそのつもりは全くないのだろうが。

「俺は噂を聞いてここに来た」

「あら、どんな噂なの?」

 くすくす、と口元を隠してティンダーリアは笑んだ。
 試しているのかと勘ぐったが、どうにもそんな感じはない。
 ただ純粋に噂の内容が気になるのだろう。

「『晴藍渓流に不思議な獣を引き連れ、銀貨と引き換えに冒険者と獣の仲立ちをする美形のエルフがいる』って感じだ……獣ってのは精霊の類なんだろ?」

「あらやだ美人だなんて。そうよ、後ろの子たちはみんな精霊……異界より召喚された者たちなのよ」

「見たところどいつもこいつも高位の精霊みてェだが、どうして自ら契約を切る?」

 ティンダーリアは長くなるから噛み砕いて話すね、と前置きして、

「あたしは里を離れてから、あっちこっちを旅してきたんだけど。
 その時に、精霊術師の徴を持っていない相手でもいいから契約を結びたいって召喚獣に出会ったの。
 とは言っても、あたし独りじゃ契約できる数には制限があるし、いっそここに来られた人を対象にしてみたら、って思った訳なのよ」

「なるほどな、平たく言やぁ物好きの集いって事か」

「君、平たく言いすぎよ」

 そう言って、ティンダーリアは柔和な笑みを浮かべた。

「それじゃ遠慮する事はねェな」

「あら、契約したい子がいるの?」

「ざっと見回してみたが……気に入ったのはソイツだな」

 レギウスが指差した先には漆黒の毛並みの獣が寝転がって寛いでいた。
 姿こそは一見獅子のような姿だが身体の各所に走る赤いラインは脈打つように淡く光っているところを見ると、火炎の属性を持つ精霊なのだろうか。

「東洋の火鼠、またの名を火光獣。……ちょっと分野が違いすぎてあたしも詳しくは知らないけど、その皮は火を寄せ付けないって伝説があるわね」

「……火鼠の皮衣か」

「そう。知ってるの?」

「少しな」

 苦虫を噛み潰したような表情で、レギウスは息を吐いた。
 というのも『火鼠の皮衣』とはこの場所の存在を知る少し前に関わったばかりなのだ。
 思えば、その時に得た銀貨の後押しもあってここに足を運んでいるというのもある。
 運命という言葉で片付けるのが不可能なほどに、あまりにも整いすぎていた。

(きな臭ェな……)

 レギウスはとあると深く深く関わっている。
 まさか今回の件をそいつが引き寄せたとは思わないが、それでも警戒してしまうのも無理からぬ事だろう。

「火を扱うだけあって、結構残酷な性格なの。ただ、彼に主人だと認めてもらえれば守ってくれるわ」

「……正解か」

 そう、ぽつりと呟いた後、レギウスは契約の意志を見せた。
 支払った対価を受け取り、にっこりと笑んだティンダーリアは早速儀式の準備を始めた。
 儀式と言っても堅苦しい形式ばったものではなく、身体の一部に契約のしるしを刻むのみである。

『主の敵は我が敵、この炎をもって焼き滅ぼさん。主よ、行こうではないか』

 契約の儀式が終了した後、火光獣はそう語りかけてきた。
 その声は音として認識されず初めから文章として頭の中で処理されている。
 契約者のみと繋がる精神感応テレパスの回線だろうか。

「ああ、近々その力ァ見させてもらうぜ」

『構わぬ。我が力、存分にその目に焼き付けるが良い』

 ふん、と火光獣は鼻を鳴らした。
 誇り高き魔獣は意気込んでいるものの、やってもらう仕事といえばステラのお守りだ。
 ステラがリスに変化させられた事件以来、探していた対策のひとつである。
 魔術的な手段への対抗策とはならないものの、物理的な脅威に対しては一定の成果が上がるだろう。

 後日。

「よろしくね~! え、名前つけていいの? えっとね、えっとね……じゃあ君の名前は『ポチ』だよ~!」

 火光獣は新たな主人であるステラに、まるで犬に付けるような名前を頂戴したのはまた別の話。
 ちなみに獅子は猫科である。
 哀れ。



『――改名を要求する』

「面倒くせぇ却下」

 火光獣もといポチの何度目かの改名要求をさらりと跳ね除けた。
 見るからに気を落とした風のポチを尻目に、レギウスは今日の依頼を吟味する。
 近頃は依頼の質が悪い気がする。

 というのも、彼らの常駐する『大いなる日輪亭』の看板冒険者である『月歌を紡ぐ者たち』がつい数週間ほど前まで一時的に解散状態にあったからだ。
 一定以上の評価を得ている『月歌』が不在となれば別の宿に、と流れていった依頼も少なくないだろう。
 それがレギウスは気に入らなかった。
 何も『大いなる日輪亭』の専属冒険者パーティは『月歌』だけではない。

「駄目だねぇ、イマイチだよ。そっちはどうだい?」

 依頼の貼り紙を逆側から眺めていたマーガレットは肩を竦めていた。
 その表情は一応聞いてはみるが期待はしていません、といった雰囲気の笑みを湛えている。

「こっちもだ。ロクなモンねェな」

「うまい話なんてそうそう落ちてないとは言えねぇ、それならいっそ請けないほうがまだマシだよ」

「おいおい、あまり依頼を選り好みするんじゃない」

 けらけらと笑いながらそんな事を言うものだから、さすがに耐えかねたのかカウンターの向こうから宿の亭主エイブラハムが苦言を呈する。
 宿の亭主が冒険者とは何たるかを説教しようとした矢先、入り口の扉がベルを鳴らした。
 そちらに目を向けてみると、白銀の甲冑を身に纏った若者二人が物珍しそうに店内を見回している様子だった。
 甲冑の胸にはリューン治安隊を示す紋章が光っている。

 どうにも一見の客らしく、宿の亭主は説教を切り上げてそちらの対応へと回った。
 二言三言交わした後、その視線が『星を追う者たち』へと向けられる。
 治安隊の若者二人もこちらに気づいたようで、人当たりのいい笑みを浮かべつつ『星を追う者たち』が占領しているテーブルへと近づいてきた。
 いかにも真面目そうな茶髪の青年が一歩前に出て口を開く。

「はじめまして、僕はセイル。リューン治安隊に所属しています。こっちは同僚のジェド」

 ジェドと呼ばれた黒い癖っ毛の青年は、ぶっきらぼうに会釈だけで済ませた。
 どうにも冒険者にあまりいい印象を持っていないらしいが、こういう手合いをいちいち相手したところで銀貨は得られない。
 『星を追う者たち』は適当に自己紹介を済ますと、早速とばかりに依頼の話を求めた。
 すぐさまセイルは貼り紙に使う依頼書を取り出し、レギウスへと手渡す。

「森へ逃げ込んだ脱獄犯の逮捕、ねぇ……」

「リューンの治安を守る我々にとって森の危険は未知の脅威です。
 そこでその危険に対抗できる冒険者の方々の力をお借りしたいという訳です。
 我々としてはできるだけ早く脱獄犯の追跡に移りたいので、できればこの場でお返事を頂きたいのですが」

「いくつか聞きてェ事があるが質問しても構わねェか?」

 レギウスの問いに対し、セイルは快く首を縦に振った。

「まず森ってのはどこだ。危険度は?」

「脱獄犯が逃げ込んだ森はリューン南西の郊外に広がる『アウザールの森』と呼ばれる場所です」

「『妖魔の森』かぁ、なかなか面倒なところに逃げ込まれたものだね」

 アウザールは通称『妖魔の森』と呼ばれる森だ。
 それほど大きくはないが、古来より猛獣や妖魔の類が棲み付いており、地元の人間は滅多に立ち入らない場所である。
 冒険者でも手に負えない魔物が出た、という情報はないが危険である事には変わりない。

「二日前の夕暮れに森に入っていくのを近隣の住民に目撃されています」

「だとしたら今も森に留まっている保証はないね?」

「その通りです。しかしそれ以降の目撃情報はありませんし、森を捜索する価値はあると思います」

 聞き込みには随分骨が折れたんだ、とジェドがあとを引き継いだ。
 目撃情報が途切れている以上、森に入って痕跡を探す他ない、というのが治安隊の意見らしい。

「そうしてまで追ってるその脱獄犯ってのは誰だ?」

「ドラクロワ、という名に聞き覚えはありますか? リューンを根城に四件の殺人をはじめ、強盗、強姦、放火等、救いようのない悪党です」

「あぁ、裁判で斬首刑が決まってたってヤツか。何だよ、脱獄を幇助した仲間でもいたのか?」

「おそらく無いでしょう。過去の犯行は全て単独のようですし、仲間がいるという情報もありません」

 それほどの凶悪犯に、それも単独で脱獄されたとあっては治安隊の信頼に影響するのだろう。
 わざわざ冒険者に依頼してくるのも頷ける。
 しかし治安隊の管理する刑務所からたった独りで脱走するほどの手腕を持つ相手だ。
 単なる脱獄犯だとタカを括っていては痛い目を見る可能性がある。

「報酬は貼り紙にもある通り銀貨五〇〇枚です。治安隊の台所事情も楽ではありませんし、我々としても時間が惜しい。申し訳ありませんが、交渉には応じられません。ただし森の捜索が終われば脱獄犯の逮捕の成否に関わらず報酬をお支払いする事を約束します」

 森の危険度を差し引いても上手くいけば――否、下手すれば――事を構えずに銀貨五〇〇枚の仕事になる可能性があるのは魅力的ではある。
 脱獄犯ドラクロワが森に入ったのは二日前であり、通常であればまず追いつけるはずがない
 何しろこちらは手がかりを探しながら移動しなければならず、ただ距離を離せばいいあちらとは致命的なスピードの差があるからだ。

 結果的にこの依頼は森の探索、及び低級妖魔や獣とやりあう事になるはずだ。
 今回からは火光獣もといポチが戦力として加わっているため、いつもよりは有利に戦えるだろう。
 ポチもたまには暴れさせてやらないと名前の件で鬱憤が溜まりすぎているかもしれない。

 依頼を請ける旨を伝えると、セイルとジェドは支度をすると言い残して治安隊詰め所に戻った。
 正午きっかりにアウザールの森の入り口で落ち合う事になったレギウスらは適当に食事を摂って装備を整えた後、『大いなる日輪亭』を発った。



「評判通り薄気味悪い森だね」

 『星を追う者たち』の眼前にはじっとりとした湿気に包まれたアウザールの森が広がっている。
 森の入り口付近に立てられた札には危険を知らせ、立ち入りを厳しく戒める旨の記述が施されていた。
 人が寄り付かないという前評判通り、整備どころか道らしい道すらない。

「見たところあんまり大きな森じゃないけど、捜索には骨が折れそうだよね」

「その点に関しては心強い助っ人を連れてきましたよ。紹介します、ジャックです」

 少し遅れてやってきた治安隊の二人が連れていたのは一頭の狩猟犬だった。

「ワンちゃんだ! お~よしよし」

「彼にはドラクロワのにおいを覚えこませてありますから、追跡は彼に任せてください」

「へぇ、こいつは頼りになりそうだね」

「どっかのコソ泥小僧よりもな」

「一言多いやい、バーカ!!」

「気にすんな、火光獣ポチよりマシだ」

『主よ、我が力を犬程度と比べてくれるな』

「どうでもいいがオマエ、犬脅かすんじゃねェぞ」

 そんなやり取りをしつつ、『星を追う者たち』はジャックを先頭に追跡を開始した。
 この森は『妖魔の森』と揶揄されるほどには危険な場所である。
 のんびり探索しながら追跡していては危険度は雪だるま式に積み重なっていく。

 故に、追跡は迅速に行わなければならない。
 かといって道中の警戒が甘ければそれでも危険度は増す。
 結局はどちらも立たせながらぎりぎりの許容ラインを見極めながら進まなくてはならないのだ。

「広い森だ。僕だけじゃカバーできる範囲にも限界があるから、みんなも後方の索敵くらいは頼むよ?」

 ジャックとそのリードを取るセイルはあくまでカイルの指示したペースで進んでいく。
 殿しんがりはレギウスとマーガレットが務め、火光獣の傍にステラとマーガレット、ジェドが後詰として左右を警戒する。

 ドラクロワの痕跡は直線的に残っていた。
 森を突っ切ろうとしている人間がわざわざ回り道する道理はない。
 しかし、急に行き先を変えたらしい。

「水の音がするね~」

 野生児ステラの耳には川か湖が行き先の方角にある、との事だった。
 無論、他の誰にも半信半疑であったが、やがて行き着いた先に大きな湖が広がっている事でその認識を改めた。

「どうやらドラクロワはこの湖を渡ったようですね」

「そうみたいだ。ほら、そこに船の残骸がある。きっと自分が乗る分だけ確保して他のは壊しちゃったんだよ」

「泳いで渡れる距離ではありませんね……かと言って湖に沿うように迂回するとなればそれこそ日が暮れてしまう」

「その辺探してみよう。船着場はここだけじゃないかも。……あとさ」

 カイルは口元に人差し指を立てて、

「いるよ、何かが……」

 そう、小声で言った。
 『星を追う者たち』だけでなく騎士二名も察したのか、無闇に辺りを見回すような真似はしない。
 気づいていない振りをしながら、どうにか気配を探ろうとする。

「用心深くこちらの様子を窺ってるみたいだね、かすかな気配しか感じない」

「……ドラクロワでしょうか?」

「複数人の気配がするし、どうだろうね? ただ、ここからはちょっとした隙が命取りになるからさ、無闇に孤立しないほうがいいと思う」

 騎士たちもこの提案には賛成の様子だった。
 そもそも森での探索は冒険者たちに一日の長がある。
 郷に入っては郷に従うべきだと判断したのだろう。

 一行はつかず離れずの距離を保ちながら湖沿いに探索を続け、やがて一隻の舟を見つけた。
 どうやら補修の為に場所を移してあったようで、手入れは行き届いている。
 これを借りていざ対岸へ、と洒落込みたかったが、ここで解決すべき問題が存在する。

「こっちを探ってるその気配とやら、舟を出す前に片付けておくぞ」

「だねぇ。舟出してからだと狙い撃ちされるのが目に見えてる」

 カイルはこくりと頷くと、探索の振りをして範囲を後方の森へと広げていく。
 やがて、ハンドシグナルで索敵の結果を伝えた。
 種はコボルト、数は六。
 さほど強力な妖魔ではないが、少し数が多い。

 万全を期す為に、レギウスはターニャに目配せしつつ呪文の詠唱を始めた。
 対するターニャはリュートを取り出し、ふと気づいたように騎士二人に向き直った。

「騎士さんたち、ちょっと耳とじてもらっていい?」

「は……、耳を、ですか?」

「疑問に思うだろうが、やっておいたほうがいいよ。騎士様の職務中の居眠りは罰則モノ、だろう?」

 くすくす、と厭らしく笑むマーガレットを不気味に思いつつ、騎士二人は両手で耳を塞いだ。
 ジャックの耳もステラが塞いでいる。

「《裂き散らし風は鳴く、血飛沫上げる刃の走りを》……《断て》!」

 レギウスの放った【風の刃】がコボルトの集団に切り込んで行き、戦いの火蓋が切って落とされた。
 コボルトたちは思い思いの武器を手にこちらへ走り寄ってくる。

 それを確認してから、ターニャはリュートを弾きはじめた。
 優しい音色が奏でるのは明るい曲調の呪歌、それに乗せてターニャの歌声が森の中へ染み込んでいく。

「……!!」

 【妖精の歌】と呼ばれるその呪歌は、聴く者を眠りへと誘う力を持つ。
 ターニャ自身や『星を追う者たち』はすでに効果範囲から逃れる為の呪を刻まれていて、騎士二人は耳を塞いでいる。
 必然、その歌声に聞き入った妖魔たちは強烈な眠気にその体勢を崩した。

 数で劣る集団が一時的にも行動を封じられてしまえば結果は火を見るより明らかだ。

 真っ先に飛び出したのは火光獣である。
 鋭い牙でコボルトの一体の喉笛を食い千切り、更に死体には火が飛び散った。
 続いたステラがふらついたコボルトを槍の柄で叩いて位置を調整すると、ど真ん中に切り込んだマーガレットの大鎌がコボルトの頭をまとめて刎ね飛ばした。

「ひゃー、爽快爽快。こうも見事に決まると気持ちいいもんだね」

「悪趣味野郎め。まぁ、俺は楽できて結構だがよ」

 陽気に得物の血を拭うマーガレットを眺めながら、騎士二人は唖然としていた。

「コ、コボルトを見たのも初めてだが……」

「これほど滅茶苦茶……、いや破天荒な戦いを見るのも初めてですよ」

「オイ、ドン引きされてんじゃねェか」

「えー、やだなぁ心外だ」

 マーガレットは頬を膨らまして不満そうであるが、ちっとも可愛くない。
 むしろ顔色の悪さと相まって非常に不気味である。
 ともあれ、後顧の憂いを絶ったのであれば先を急がねばならない。
 一行は舟に乗り込み、対岸を目指して漕ぎ出した。

 警戒を解く訳にはいかないが、見晴らしのいい舟の上であれば奇襲の方法は限られている。
 先ほどの戦闘によって妖魔を倒した事もあってか、ある程度の精神的余裕が出たらしい騎士はぽつりぽつりと雑談を始めた。

「……やはりというか、ドラクロワは森を突っ切る腹のようだな」

「ああ、ひょっとしたらもう森を抜けているかもしれない」

「ちなみにドラクロワが森を抜けていた場合はどうなるんだ?」

「森の反対側は我々の管轄外ですから手出しができなくなります。あちら側の治安隊に追跡を依頼してこの件は終わりになるでしょう」

「くそっ、そうなる前に何とかオレたちの手で……!」

 ジェドが固く握り締めた拳を自らの膝に振り下ろしたその時だった。
 突如、対岸の森の中から高い笛の音が響き渡る。
 同時にコボルトの一団が弓矢を手に姿を現した。

「待ち伏せか。犬頭の割には賢ェな」

「ヘイ。ヘイ。冷静なのは結構だけどさ、このままじゃ格好の的だぜ。結構ヤバい状況じゃん、どうすんのさ」

「当然突っ切る。このまま退いたところで何の解決にもなりゃしねェし、そもそも時間の無駄だろうが」

「あーくっそー! 言うと思ったよちくしょう。という訳で騎士のお二人さん、ハリネズミになりたくなかったらどうか全速力でよろしくお願いしゃっす!!」

 もはや作戦らしい作戦もないまま指示を出された騎士二人は顔を青くしながらも、オールを握る手に力を込める。
 その間にも矢は放たれ、放物線を描きながら舟へと殺到していた。

「はいはいはぁ~い!!」

 ステラは船頭に立ち、自らの身長よりも長い槍をバトンのように振り回して矢を叩き落していく。
 揺れる船の上でまるで曲芸のような芸当であるが、驚異的なバランス感覚でそれを実現していた。
 それでも捌き切れない分はマーガレットの大鎌を盾代わりとして凌ぐ。

「防戦一方ってのも癪だよねぇ!」

 カイルは両手に持てるだけのナイフを構え、一斉に撃ち放った。
 【短剣掃射】という盗賊ギルドの投擲術であり、多勢に抗するには有用な技である。
 コボルトの群れに踊りこんだナイフは数匹の息の根を止め、そこまで至らずとも射撃の手を止める程度の効果はあった。

「《舞い踊る白刃よ疾殺を歌え、荒れ狂う隼の飛翔の如く》……《切り裂け》!」

 その間にレギウスの詠唱が完了する。
 彼が用いたのは【操刃の舞】という、あらかじめ印を刻んだ得物を自身のコントロール下に収める術式だ。
 カイルが投げ放ち、コボルドに突き立ったナイフが独りでに動き出し、再度彼らに襲いかかった。
 ある者は傷を抉られ致命傷となり、ある者は改めて急所を貫かれて絶命する。

 舟が接岸した時には、その場で生きていたコボルトはたった二匹だけであった。
 それぞれ膝や腿に刃を突き立てられて故に走れなかったのだろう。
 その二匹もすぐさま飛び出したマーガレットによって命を刈り取られている。
 一方、こちらの被害といえばかすり傷程度であり、奇襲を受けた事を鑑みれば奇跡のような大勝利である。

「レギウス、ちょっとナイフ回収するから待ってて」

「面倒くせェな」

「でもさっきの術式には事前に印を刻まなきゃダメなんでしょ。どっちにしろ面倒だよ?」

「………………」

 レギウスは得心したように息を吐くと、短く呪文を詠唱する。
 【操刃の舞】によってナイフは独りでに宙に浮かび、その刃を等間隔に地面に突き立てた。

「わーお、魔術って便利。ねぇねぇレギウス、ついでに水ん中くぐらせてさ、血を洗い落としてよ」

「それはオマエでやれ」

 言うまでもなく、レギウスの魔力も消耗品だ。
 これから何が待ち受けるか分からない森の探索を続ける以上、消耗は抑えるべきである。
 結局、ぶちぶち文句を垂れながらもカイルは全てのナイフから血を洗い落とし、丁寧に拭いてから再び懐にしまいこんだ。


To Be Continued...  Next→

『賢者の果実』(4/4) 

 賢者の塔に赴いた『星を追う者たち』とパウラは、深夜帯だというのにすんなりと通された。
 さすがにパウラは顔が利くらしく、軽い身分証明だけでパスするというのは珍しい体験だ。
 勢いのまま件の青髪の魔術師の部屋まで乗り込んだ『星を追う者たち』とパウラは、そのまま奥の儀式場までなだれ込んだ。

 静かな暗室の中央にテーブル、その表面には複雑な魔法陣が形成されている。
 描く線は赤い、どうやら何かの生き物の血のようだ。
 その円の中央にステラは寝そべった。

「ステラや、これからお前さんに催眠を掛ける」

「ひゃ、はい」

「落ち着きなさい。焦ってもどうしようもならん」

 小さなリスの身体で、ステラは深呼吸する。
 しかしその程度で緊張が吹き飛んでしまえば苦労はしない。
 パウラもそれを理解しているのだろう、ゆっくりと丁寧に説明を続けていく。

 てきぱきと準備を整える青髪の魔術師とパウラの様子を、レギウスらは少し離れた場所で眺めていた。
 レギウスですら危険と判断するほどに繊細な術式の設定に、専門家以外の者はそうせざるを得ないのだ。

「……ではな、頑張るんじゃ。決して、諦めてはならんぞ!」

「うんっ、任せてよ!!」

 もはや緊張と興奮で極度のハイテンションになったステラはそう言い切った。
 とはいえそれくらいの気力を持っていてくれなければこれから行われる解呪は成功しないだろう。

 ぐらり、とした浮遊感。
 ほぼ時を同じくして、ステラの周囲を白銀の球体が包み込んだ。
 それの正体は幾本もの鎖で構成された『檻』だった。

 これはステラに対する魔術的な『縛り』を具現化したものだ。
 鎖の一本一本が術式とリンクしており、その経路を砕く事で強引な解呪を行う。

 ただし正当な手順でない以上、総当りは覚悟せねばならない。
 別の枝から分岐した鎖、すなわちダミーも多々ある。
 一手でも切断の順番を間違えてしまえばそこから術式が修復されてしまう。

 手探りを続けて、何度も失敗しながら、解に辿り着く。
 到底、一流の魔術師や専門家が選んだとは思えない方法ではある。
 ここから先は、誰の手出しもできない。
 ただひたすらステラと術式との戦いである。

「……あれだけ大言吐いたのに傍観ってのはどうなんだい?」

「婆さんはああ言ってはいたが、術者をひっ捕らえるってェのはあまり賛成できねェ。
 一部の呪術には術者の死によって効果が増幅、あるいは暴走するものもある。
 今回は死霊術だが、構築に呪術的要素を加えてねェと断言できねェからな」

「なんだ、要するに安全策かい。だったら君も手伝ってきたらどうなんだい?」

「手前で手前の首を絞めてどうする。そもそも俺たちの出番なんざ端からなかったんだよ」

 レギウスは自信家ではあるが、虚勢を張るのを極端に嫌う一面もあるのだ。
 そんなチープな自己満足の為に自分や誰かを犠牲にするなんてあってはならない。

「他人にステラの命を預けているにしては随分と落ち着いているね、レギウス?」

「……あン?」

「軽く推理してみたんだけど、君のその落ち着きは少し妙だ。
 もしかして、君はステラの身体に何か仕掛けをしていたのかい?
 『仕掛け』という言葉が気に食わないなら『保険』と言い換えてもいい」

 レギウスの眉がぴくりと動く。

「いや身体じゃないね。リスと入れ替わった状態でも効果があるとすれば、かい?」

「オマエ、本当に面倒くせェ奴だな」

「……レギウス、はぐらかしてないでこたえて。どういうこと?」

 深くため息をつくレギウスに、真剣な表情のターニャが詰め寄る。
 レギウスにとっては対して脅威にすらならないが、ステラの事を引き合いに出されては隠し通せる道理がない。

「あぁそうだよその通りだ。
 ステラの魂……要するに精神的骨格には俺の術式が施してある。
 内容は『魔法に対する防御を基礎とした延命』だ、魔力はステラ自身から賄って起動し続けている。
 俺とあいつがガキの頃に気づかれないように内密で施した、俺の術式でも最高傑作のひとつだ。
 ……これでいいかよ」

「ステラ自身から賄っている……? まさかそれってステラに影響があったりするの?」

「魔力ってのは生命力から造り出すモンだ。そりゃ体力に影響は出る」

「……それって!」

「まぁ落ち着きたまえよターニャ。なるほどだよレギウス、だから君はいつもステラに食事を分け与えている訳だ?」

 マーガレットはニタァ、という厭らしい笑みを浮かべる。

「君の手から直接渡された食事に君自身の魔力を混ぜ込めば維持するだけの魔力は確保できるからねぇ?」

 レギウスがステラに食事を分け与えているのは毎度毎度の事だ。
 すでに『星を追う者たち』の外にすら、その事実は知れ渡っている。
 彼ら二人が幼い頃からずっと食事を共にしていた事、ステラがそれを頑なに守ろうとしている事を知っている者もいるだろう。
 マーガレットの発言は全て推測ではあるが、レギウスが反論しないところを見ると間違いではなさそうだ。

「ステラは、このことを?」

「あいつには何も話しちゃいねェよ。全て俺の独断でやった事だ」

「んなっ、そんな――」

「――あぁそうだよ、全部俺のエゴだ。
 あいつを永らえさせるのもその方法を一方的に始めたのもそれら全てを隠蔽したのも俺のエゴだ。
 に壊されて俺に砕かれたあいつの人生を、どの面下げて俺が守るっつってんのか、オマエらに理解してもらおうとは思わねェよ」

 そう言ったきり、レギウスはそっぽを向いた。
 これ以上話す事は何もない、とでも言いたげに。
 しかしマーガレットの言葉は留まらない。
 まるで逃れられない死神の鎌のように、息の根を止めるような鋭さで。

「過去を話すつもりがないのは分かったさ。
 だがねレギウス、過去を詮索してほしくない意思を見せればボクが引き下がると思ったら大間違いだよ。
 話すつもりがないならそうわきまえた上で無神経にも踏み込むのがボクさ」

「……随分とイカした趣味してんじゃねェか」

 マーガレットは不気味に笑むと、よく言われるよ、とおどけた。

「話しぶりからすると、君が彼女の人生を壊した事を彼女は知らないみたいだね。
 どうして知らないのか教えてくれないかい?
 嫌われたくないからかな、それとも罪の意識に押しつぶされそうなのかい?」

「――両方だ、クソ野郎」

「おや、こらえ性のない事で。もう開き直っちゃったかぁつまんないなぁ」

「悪ィかよ」

「いいや、悪いだなんて一言も言っていないじゃないか。
 誰かに傷ついて欲しくないと思い、過ちを悔いて正そうとする者にどれだけの罪がある?
 誰かに生き永らえて欲しいと願い、実現させようともがき苦しむ事にどれだけの悪がある?

 断言しよう、君は間違っちゃいない」

 誰かを慮って生きるという事は多かれ少なかれ自分を殺して生きる事と同義だ。
 過ちがあったとして、それを償おうと必死な者をどれだけ責められるというのか。

「語られていない過去だ、ボクらには知りようがない。
 聞かされたところで納得はできても理解はできない。
 同情はできるが共感はできない。

 言葉なんてそのくらい脆いのさ。
 その程度のものを躊躇うなんて、君は一体何を恐れているんだい?」

 いつだったか、レギウスとマーガレットが初めて会った日の事。
 力にはなるけど味方にはならないよ、と彼女は言っていた。

 そしてレギウスはそれを了承した。

「……何と言おうが、俺から話す事は何もねェよ。

 オマエこそはぐらかしてんじゃねェぞ、今ここで俺とあいつの過去を暴いて何が変わる?
 事前の語りは全てターニャとカイルを味方につけるためだけの雰囲気作りだろうが。
 そうすりゃ俺がべらべら喋ると思ったか? 甘ェんだよ馬鹿」

 レギウスの言葉に、ターニャは笑みを消した。
 しばらく呆けたような表情を作っていたが、突然それは崩れる。

「……ぐっはぁー、ぜんっぜん可愛げないなこいつ! もういいよ、ボクの考え全てお見通しでさー、嫌になっちゃうよまったく!」

「え? は? ど、どういうことなの……?」

「オマエら能天気馬鹿はこの性悪馬鹿に乗せられてたって事だよ」

「そ、ゆ、こ、と。仲間だからって油断禁物だよ?」

 てへ、と舌を出してちっとも可愛くない可愛さアピールをしたマーガレットに思わず脱力するターニャとカイルであった。
 『星を追う者たち』という冒険者パーティはレギウスといいマーガレットといい、一筋縄でいかない問題児ばかりだというのは間違いない。

「もう、何やってんのさ! ステラが大変な時にさぁ!!」

「まぁ落ち着きたまえよ少年。こちとらステラが頑張ってる間は何もできないんだ」

「それにゃ賛成したくはねェが……ま、問題はねェだろ。あいつはこの程度でくたばるようなヤツじゃねェ」

「いやに言いきるね……?」

「当たり前だろ、あいつとどれだけの付き合いになると思ってやがる? オマエらとの一〇倍だぜ?」

 根拠の全くない、レギウスらしくない言葉であった。
 先ほどマーガレットから追求のあった仕掛け、言い換えれば保険とやらが効いているのかもしれない。
 どちらにせよ、ここまで堂々とされてはターニャらもステラが無事解呪を成し遂げる事を祈るしかなかった。



 結局。
 レギウスらの信じた通りに解呪は無事に済み、ステラは自分の身体を取り戻した。
 早急な対処が求められたため術式と解呪についての説明が後回しになってしまったが、どちらにせよそれが理解できるのはレギウスか、辛うじてマーガレットくらいであろう。
 それでも分かった事として、ステラに掛けられていたのはひどく奇妙な術式であったらしい事、そして解呪は奇跡的に間に合ったという事だ。

「はあ……、結構危なかったんだね」

「ったく、本当に人騒がせな馬鹿だ、あいつは」

「今更でしょ?」

 そう言って、カイルは笑った。
 つられるように、ターニャもパウラも笑顔になる。

「しかしだ、これで全てが解決した訳じゃないだろう? 件の死霊術師に関してはどうするんだね?」

「野郎が欲しかったのは術式の『結果』……つまりは使い魔だ。
 ステラにかけていた術式が破壊された事は向こうにも伝わってるだろうよ。
 そうなりゃどういうプロセスで解呪に至ったか、気づかねェはずがねェ。

 つまりはステラはもう用なしって事だ。
 どちらにせよ、こっちは相手の魔力を掴んでる。
 ステラにこれに対する迎撃術式を組み込めばそう大事にはなんねェだろうよ」

 さらりと術式を組み込むと言ってのけるが、同じ魔術師たるパウラが何も言わないところを見ると一般的な手なのかもしれない。
 暗に面倒くさい相手とは関わりたくない、と言っているのかもしれないが。

「婆さん……いや、パウラ」

 改まったように、真剣な表情のレギウスが口を開く。

「……礼を言う。あんたの助力がなけりゃ、あの馬鹿は今頃生きてねェ」

「いや、いや……元はといえば儂のせいじゃよ。儂の実のせいでこんな事になって本当に申し訳なかった」

「何もかも、あの馬鹿の不注意が原因だ。あんたが気に病む事はねェよ」

 レギウスは盛大なため息をついた。

「大騒ぎを起こして迷惑を掛けた、……あぁ、賢者の塔にもだな……悪かった。
 とにかく今後の課題はできた、すぐにでもあいつには対応策を考えるからよ」

 ターニャらはただぽかんとしてその様子を眺めていた。
 珍しく、なんてものじゃない。
 彼がこうして感謝や謝罪を行う光景を見た事なんてなかった。

「そ、それにしても、よく間に合ったよね……?」

「お前さんがたの思いと決断がこの結果を導いたのじゃよ。
 それにステラの諦めぬ気迫と、な。

 ……正直、儂は無理かもしれんと思っとったんじゃ。
 あんな術式は儂らも見た事がない、あまりにも高度なものじゃったからの。
 いやはや、お見事という他ないわい」

「まぁ、そんな特別な事じゃないさ。
 どんな時も諦めない、この命の最期の瞬間まで……それが冒険者ってやつさ」

「おお……ホレるわい!」

 パウラは感心したように言い、冒険者たちは笑った。

「つーかオマエ何もしてねェだろ」

 と、レギウスのツッコミが華麗に入ったところで、パウラは思い出したように辺りを見回した。

「ところで、ステラはどうしたんじゃ?」

「いまは……ジョギングに行ってるね。日課の」

「ほほお! あんな事があったというのに元気なもんじゃなあ!」

「あいつは馬鹿の上にマグロみてェなもんだ。止まると死ぬ」

 大きな仕事を終えて安心したからだろうか、みんなの笑いの沸点が低い気がする。
 早朝の『大いなる日輪亭』に今日も明るい笑い声が響く。

 後日、冒険者たちはパウラから知恵の実と力の実をもらった。
 今度は改良版らしく、両方を同時に食べても副作用は起こらないらしい。
 ただし、食べ合わせの問題は完全に解決した訳ではなく、効果が相殺され消滅するとの事だ。
 要はただのりんごになってしまう。

 パウラ曰く味は確かだという事だが、そこにこだわるのはもはや魔術師の思考じゃない。
 レギウスは冗談めかして大人しく農業でも始めたらどうだと告げると、意外と乗り気だったのはまた別のお話である。
 実際にはその後しっかりと余生まで魔術に捧げる宣言も成されたのだが、結局は味と安全を目指すとの事で台無しだったので記載は控えておこう。


 ちなみに。
 それからしばらく早朝のリューンにはこんな声が響いていたという。

「あ~~~~! 今日もサイッコ~~~~~!! 人間の身体ってすっばらし~~~~い!!!」



【あとがき】
今回の『星を追う者たち』初の五人揃っての冒険はありじごくさんの「賢者の果実」です。
レベル帯を問わないシナリオですが、ルートによっては相当危険な戦いが待っています。
序盤のコミカルさが嘘のようにじわじわと不安感を煽り、そして衝撃の終盤!
周摩もつい最近初プレイしたのですが、こんな名作を今の今までやっていなかったのは損した気分でした!

主人公にはステラを選びました。
そしたら彼女、あまりにもハマってくれてて凄く楽しめました。
ちなみに月歌でやるならチコ、陽光でやるならエリックかなぁ、とぼんやり思ったり。

レギウスたちは解呪ルートを選択しましたが、もう一方のルートでは非常に熱いやりとりが行われます。
しかしここでもコミカルさは失わないという素敵な雰囲気を醸し出しています。
一度は通ってみるのをお勧めします。
周摩としてはもう一方のルートのほうが若干好みだったりします。

あと、そちらのルートで盗賊ギルドに潜入し、盗賊と話すと「もしかして、捨てリスか!?」という台詞が。
惜しい、惜しいよお兄さん、それは確かにステ(ラ)リスだけど……!
と、一人ものすごい笑ってました。

そうそう、最後にもらえる報酬ですが、レギウスたちは黄色を選びました。
たぶん全員一致でそちらを選んだのでしょうね(笑)


☆今回の功労者☆
ステラ。解呪シーンは彼女の独壇場でした(描写なし)

報酬:
なし

戦利品:
【美味なリンゴ】

≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『賢者の果実』(ありじごく様)

今回使用させて頂いた固有名詞
『カンタペルメ』(出典:『劇団カンタペルメ』 作者:柚子様)
『シュレック』(出典:『隠者の庵』 作者:Fuckin'S2002様)


当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。

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周摩

Author:周摩
しがないリプレイ書きのブログです。

Info.
当ブログはリンクフリーです。報告は不要ですが、あれば相互リンクさせていただきたいと思います。

周摩のシナリオはこちらへどうぞ。

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