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リプレイ記:陽光を求める者たちの記事一覧

『お嬢様と伯爵』(3/3) 

 七夜目、この日も夜の始まりは伯爵の妨害から始まる。

「……そちらから会いに来ているのだ。そう威嚇する事はないだろう」

 いい加減見慣れたはずの怪鳥の仮面は、相も変らぬ威圧感をもって佇んでいた。

「まるで怯える猫のようだが……貴方は堂々としているべきなのだ。高貴なる吸血鬼として。もう少し自覚を持たなければ今後が辛いぞ? 貴方は私には勝てないのだから――」

「……、」

 マリナは黙して応えない。
 だがそれが正解なのだ。
 いかに伯爵といえど、遊戯のルールを覆す方法はない。
 何を言われようと、ぐっとこらえていればあちらは手出しができないのだから。

「……興が醒めてしまったな」

 あちらもそれはよくわかっているのだろう。
 内心では歯噛みしているかもしれないが、そんな素振りは一切見せずにさっさと退いてしまった。
 盤面はまだ覆されていない。
 だが、マリナがにじり寄って来ている事だけはわかるはずだ。

「あたしは負けない……!」

 マリナにとっても保守的な行動をしている暇はない。
 ターゲットを絞って二夜で確実に吸血し、眷属にする必要がある。
 そんなプレッシャーにも負けず、マリナはこの七夜目に獲物の吸血鬼に成功する。
 当然その後は吐き戻してしまって散々だったが、敗北はまだ確定していない。

 屋敷に戻ると、その夜の戦果をすでに把握しているだろうジャックは多くは語らなかった。

「いよいよ明日は最終日ですね……悔いだけは残さないように行動してください」

 泣いても笑っても残り一夜。
 この夜にマリナがしくじれば敗北だ。
 実に分かりやすく、そして残酷な夜が訪れる。

「……悔いといえば。ひとつ気になっている事があるのだけれど」

 マリナの手には一冊の本――件の吸血鬼辞典――が握られていた。
 お嬢様として屋敷に招かれて以来ずっと手元に置いていた本であるが、一部のページは貼りついてしまっていて中身が読めなくなっていた。
 しかも該当するページが『カプーチュの吸血鬼』についての記載だったため、特に気になる部分である。

「これを読みたいのよ」

「わわっ、お嬢様! 突然投げないでください、はしたないですよ!」

「水をはり、そのページを浸して頂戴。それからゆっくり開くのよ。そっと優しく、女を扱うようにね」

「……お嬢様、はしたないですよ」

「そういえばジャック。あなたは女と寝た事はあるのかしら?」

「――手先の器用さには自信がありますので! お任せください!」

 顔を赤く染めたジャックはとっとと部屋を出ていき、すぐに水をはった大皿を手に戻ってきた。
 マリナの指示どおりにゆっくりとくっついたページに水を浸す。

「強引にこじあけたら破れてしまうわ。焦らず、そーっと開くのよ」

「ゆっくり、そっと、ですね……」

 ジャックは優しく繊細な動きで本の読めなかったページを開いていく。
 その指使いが、彼が何らかの技術を持つ玄人であると教えていた。

「随分と器用ね。まるで盗賊……」

「フランケンシュタイン家では外科医術など、色々な技術を徹底的に教えられましたから」

「……、」

 聖北教会が幅を利かせているこのご時世、外科医術などは異端とされて久しい。
 が、すでに吸血鬼の隠匿を行っている一族だ。
 今さら指摘する事でもない。

「それよりもお嬢様。そのページにはどのような内容が書かれているのです?」

 マリナは開かれたページに目を通す。
 そして絶句した。
 ジャックの呼ぶ声も耳に入らないほどにそこに書かれている記載に目を奪われ、様々な憶測に思考が奪われた。

「………………」

 それからどれだけの時間が経ったのかはよくわからない。
 だが東の空が白み始める前に棺桶に潜り込んだ事は分かる。
 気が付けば、マリナは再び夢の中に放り込まれていた。

 前夜と同じく、マリナは椅子に座って『窓』の中の物語を見せられている。
 登場する二人は、やはり少女と伯爵であったが、少女のほうは以前見た姿とは違っていた。
 心臓を奪われて殺されてしまったのだから当たり前といえば当たり前なのだが、その二人の姿にマリナは強烈な違和感を覚えていた。

『……今晩から貴方も吸血鬼の仲間入りだ。喉がやたらと渇くようになる。その渇きを癒すには人間の血液を啜るしかない……衝動は繰り返し襲ってくる』

『ふざけないで! 勝手に化け物にされて……納得できるわけないじゃない!』

『ならば賭けをしよう。古くから続く遊戯を。吸血鬼らしい血塗られた遊戯を』

『遊、戯……?』

『勝者の欲する物を捧げるのだ。私は貴方の心臓を、貴方は人間に戻る方法を』

『人間に戻る方法があるのなら私はどんな事でもするわ……絶対に戻ってみせる!』

『契約は成立した。遊戯を執り行おう……説明は従者から聞きなさい』

 そのやり取りには覚えがあった。
 マリナも少女と同じように伯爵に抗い、声を張り上げた。
 それに対し、してやったりとばかりに遊戯を持ち掛けてきた伯爵の姿も覚えている。

 ならば、これはマリナの番の記憶なのか?

(――違う! これは……、『伯爵』の……!)

『もう、下がれ。話は終わりだ』

『言われなくても! 貴様の顔など見たくないもの!』

 そう吐き捨てて、少女は駆け去っていく。
 その後姿を眺めながら、『伯爵』は独白する。

『貴方を負の連鎖に巻き込んでしまい済まない……私には……には、こうするしか……』

「……それでもあたしには、こうするしかなかったのよ」

 今、何と言った?
 自分の口が意図せずに動き、『伯爵』の台詞を奪っていた。
 更に、目の前の『窓』に映る伯爵は怪鳥の仮面に手をかけ、一気にそれを脱ぎ去る。

(これは……夢よ!)

 そこにあったのは、誰あろうマリナの姿であった。
 『窓』の向こうのマリナはこちらへ視線を向けると、口の端を釣り上げて壮絶な笑みを浮かべる。
 それが見慣れた自分の姿だというのに、マリナは声にならない悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。

「これは夢よ!!」

 無理やり目を開けると、再び暗闇だった。
 思わず手をぶつけてしまったが、そこが棺桶の中だと理解してわずかに安堵した。
 まさか棺桶の中だという事に安堵する日が来るとは思ってもみなかったが。

 悪夢を見た理由ならわかっている。

「……あの本のせいだ」

 『カプーチュの吸血鬼』はマリナが知っている吸血鬼伝説とさほど内容は変わらなかった。
 六〇年に一度降る大雨があり、雨が降った後には水に囲まれた街だというのに伯爵と呼ばれる吸血鬼が消えている。
 ただ、その内容の他に著者と思われる人のメモ書きも存在した。
 伯爵に関する記載の隣に。

 『連鎖』、『呪い』、そして『交代』と。

 それが意味するところとは、つまり。

「やめよう」

 呟いて、マリナはゆっくりと棺桶から身を起こした。
 いくら考えても埒が明かない。
 たとえ答えに辿りついたとしても、それを証明できる人物は一人しかいない。
 何においても、この遊戯に決着をつけなければ何も始まらないし終わらない。

「……、」

 いい夜だ。
 ふと、外に出たマリナはそんな感想を抱いている事に気づいた。
 今夜こそが八夜目、遊戯における最終日。

 出だしは変わらない。
 『先読み』の者から伯爵の居場所を聞き出し、そこへ向かって妨害する。
 まずはそこで細かい一勝を得て、最後の獲物に迫らなくてはならない。
 絶対に欠けてはならない、勝利へのピース。

「……は?」

 だというのに、伯爵の姿はどこにもなかった。
 『先読み』の者が示した場所をくまなく探しても、いくら気配を探っても見つからない。
 欠けてはならないピースが欠けた音がした。

(そんな、まさか、『先読み』が外れたというの……!? この局面で!?)

 いや、マリナも危惧していたはずだ。
 『先読み』の力があれば伯爵の動きはほぼ封じられる。
 となれば伯爵とお嬢様の間に著しい優劣が発生するため、それを無効化する何らかの手段が存在する可能性があった。

 まさか、伯爵はそれを手に入れたというのか?
 昨夜のあの言葉は単なる動揺を誘うためでなく、勝利を確信した余裕から出たものなのか?
 時間はいかなる者にも平等に、しかし無慈悲に流れてゆく。
 もたついている暇などない。

 今からでも『先読み』の者に接触して伯爵の居場所を再度視てもらうべきか。
 あるいはすぐにでも切り返して唾をつけていた獲物を探しに行くべきか。
 あるいは『先読み』の者を信じてこの場所で伯爵探しを続行するべきか。

(ああ、ダメ――!)

 視界がぐにゃりと歪み、再びあの感覚が襲ってくる。
 六夜目、心の弱いところを責められて前後不覚となったあの感覚。
 冗談ではない。
 他の夜ならいざ知らず、最終日にそんな状態になってしまえばまずもって勝機は失われる。

.『おまえの考えた作戦でダメだった事なんて一度もねえだろ!』

 だというのに、どうしてこんな時に鹿の声が聞こえた気がするんだろう。

『ちょっと不安になってるだけだ! 実際は超いい感じに事が運んでるはずだぜ!』

「……本当にそうかしら?」

『あったりまえだろ!!』

 思えばこの数日間、ふらふらとゆらゆらと揺れに揺れまくった。
 マリナに芯が通っていない事の証明だったのだろう。
 それほど曖昧な存在がこれまで冒険者としてやってこれた事実は、ひとつの結論を証明するピースとなる。
 つまり、マリナをマリナたらしめるような芯を通してくれる存在が傍にいたからだ。

 幼少期に植え付けられたネガティブな思考を打ち破るようなポジティブさ。
 太陽のごとき光を纏い、しかしあたたかな光で包み込んでくるような、そんな感覚。
 すなわち、マリナに足りないものとは『勇気』をおいて他になかった。

「……こんなの幻聴に過ぎないのに」

 マリナの心の内には勇気が沸き上がっていた。
 そして同時に、幻聴ではないあの馬鹿の声が聞きたくなった。

 勝たなくてはならない理由が、ひとつ増えた気がする。



 棺桶の蓋を持ち上げ、マリナはその身を起こした。
 八夜に及ぶ遊戯は終わり、九夜目となる今日は勝敗の結果が明かされる夜である。

「お嬢様、おはようございます。勝敗の発表は伯爵様の住処である廃教会で行われます」

「わざわざ敵の本拠地に出向くの?」

「……お嬢様」

「いいわ。分かってるわよ。ここまできてジタバタしないわ」

「……私も共について行かせていただきます。まいりましょう」

 屋敷の正面から自分の足で外へ出る。
 思えばこれまでバルコニーから蝙蝠となって飛び行く以外の方法で屋敷に出入りした事がなかった。
 もはや見知った道を、まるで我が街のように執事ジャックを従えて歩く。

 ややあって伯爵の住処たる廃教会に辿りついた。
 心の安寧を保つためにも、あの日以来ここを訪れるのは今夜がはじめてである。
 ジャックに対してはああは言ったが、やはり尻込みしてしまう。

 ここで遊戯の勝敗が発表される。
 マリナの運命が決まってしまう。
 沸騰した水のように、不安と恐怖がグツグツと湧き上がってくる。

 ――かあ。

 鴉が鳴いた。
 ふと、マリナの視線が跳ね上がる。
 廃教会のてっぺんに、一羽の鴉がこちらへ睥睨するように留まっていた。
 ばさばさと他の鴉が羽ばたき、抜け落ちた黒い羽根が鬱陶しくも視界を遮ってくる。

「――!?」

 黒い羽根が降りかかったその刹那、鴉は一瞬にして怪鳥の仮面、伯爵の姿へと変じていた。
 吸血鬼の持つ変換能力。
 伯爵は鴉の姿でこちらを見ていたのだ。

「ようこそ、我が住処へ。貴方の事を待っていた……ずっと、ずっと、狂おしいほどに」

 伯爵は天を仰ぎ、まるで謡うように言葉を紡ぐ。

「忌々しき『伯爵』という『呪い』から解放されるのだ。今回こそ、……

「……戯言ね。とっとと入るわよ」

「この歓び、貴方にはまだ分からないだろうな。まぁ、いい。お入り」

 廃教会の扉に手をかける。
 この八日間、できる限りの事はした。
 吸血鬼として振舞う苦痛に耐え、このふざけた遊戯に打ち込んできたのだ。
 すべては人間に戻るために。

 それでも恐怖は拭えない。

「……お嬢様」

 ジャックの声に応えられるだけの余裕がない自分が情けなく思える。
 しかしそんなマリナ自身を信じなければならない。
 結果を知るために、一歩を踏み出す勇気を。

(なんて言わなくても分かってるわよね、

 どこかで誰かが頷いた気がした。
 廃教会の古ぼけた扉が軋む音がやけに大きく感じられる。
 教会の中はすでに廃されただけあって長椅子のような調度品のほとんどがなく、身廊がやけに広く感じられるほかは普通の教会と変わりなかった。
 祭壇の近くにはすでに伯爵と、伯爵の世話係であるフランケンシュタイン家現当主であるビクターが立っていた。

「さぁ、こちらへ。……ジャックもここから先ははじめてだろう」

 ビクターが促したのは祭壇の奥にある扉、その向こうであった。
 どうやら隠し部屋への通路らしく、すぐに下りの階段が姿を現している。

「まいりましょう……足元にお気をつけください」

 明かりもないその地下への階段が、死者を飲み込む魔獣の顎(あぎと)のようにも見える。
 そんな妄想を思考の隅へと追いやり、先に進んでいった伯爵と追従するビクターの後を追ってマリナとジャックもまた地下へと降りていく。

「ここ、は……」

 地下室へ降り立った瞬間、世界が変わった。
 とにかく地下室に似つかわしくない、広々とした部屋のように感じられた。
 階段のある一辺以外の三辺には無数の鏡が並べられていて、実際の広さが分かりづらくなっているだけかもしれない。

「……、」

 そんな鏡ばかりの部屋において、全身をすっぽり覆う衣装の伯爵はともかく顔を晒しているマリナは、まるで透明人間のように身体だけが透けて鏡に映っていた。
 こうして客観的にみるとだまし絵のようで、しかし自分の動きに追従して動く衣服がやたらと気味が悪い。

「お嬢様どうぞこちらへ。ジャックも早く来なさい」

「お爺様! ここは一体……!?」

 歩きながら左右の壁の鏡をのぞき込むと、ジャックとビクター以外に映り込む者がいた。
 この街の人々――否、これは双方の眷属たちの姿だ。
 鏡にはここにはいないはずの眷属が映り込んでいるのだ。

「お嬢様はお気づきになりましたか。この部屋の鏡には特殊な魔法がかけられております。眷属に腕輪をつけさせたのもこのため……伯爵様とお嬢様の背後の鏡にはそれぞれの眷属が映されております」

 互いに記録を持ち寄る事もできただろうが、それでは簡単に改竄できる。
 単に数の多寡によって勝負が決まるのであればこうして目の前で数えたほうが双方に遺恨が残らないという事だろう。
 そしてカウント自体もジャックは伯爵の眷属を、ビクターはお嬢様の眷属を数えるという徹底ぶりだ。
 やはり遊戯自体は双方に公平なルールの下で行われ、その結果発生する『譲渡』も公平正大なまま行われるのだろう。

「……何か言いたげな顔をしているな」

 従者二人が眷属数を数えている間、手持無沙汰となったのか、伯爵はそう切り出した。
 あるいは別の何かを期待しているのかもしれない。
 どちらにせよ、伯爵には話したい事が山ほどある。

「……この街の吸血鬼の呪いについて、この遊戯を通して気づかされた事があるわ」

「それは興味深いな。どんな事に気づいたというのだ」

「あなたもあたしと同じ存在……だって事よ」

「……、」

「この街の『伯爵』は昔からいた。ただし単一じゃない。代替わりして連綿と続いてきたのよ」

 仮面のせいで伯爵の表情は見えない。
 だからマリナは言葉を続けていく。

「……伯爵がなぜ心臓を望むのかずっと謎だった。それもようやく分かったわ……伯爵は遊戯によって心臓を奪い、その心臓を使って人間に戻るのよ。そうやって伯爵は代替わりする。お嬢様から、伯爵へ」

「……、」

「ジャックたちフランケンシュタイン家も呪いの一部。表向きは伯爵を人間としてサポートするための従者……、しかし裏向きは心臓を移植するために必要な外科医としての役割を持っていたのよね?」

 外科医療の技術はフランケンシュタイン家が持ち、代々継いできたものだとジャックは言っていた。
 移植のためと考えるのが自然だろう。

「あなたに心臓がない理由は、先代の伯爵に奪われたから……あなたはあたしと同じだったの」

「ふ、ふふ……」

「伯爵?」

「――そうだ。その通りだ」

 伯爵は怪鳥の仮面に手をかけ、それを一気に脱ぎ去った。
 一瞬、悪夢を思い出してぎょっとしたが、すぐにその素顔がマリナのものではない事に気づく。
 しかし夢で見た顔なのは間違いない。
 遊戯に敗れて伯爵――おそらくは先代の伯爵――に心臓を奪われていた、あの少女の顔だ。

「そこまで理解した貴方とは素顔で話したい。……この遊戯は繰り返されている」

 伯爵は怪鳥の仮面を忌々しげに放り投げる。

「この遊戯は私が知っているだけで三〇〇年は続いている。そして、これからも途絶える事はない。皆、人に戻りたいと望み、同じ行動を取らざるを得ないのだ……それがこの遊戯の恐ろしさだ」

「でも、心臓だったら――」

「普通の人間や弱い吸血鬼では駄目なのだ。構造が変わった身体に適合しない。だから、貴方を吸血鬼にして遊戯を持ち掛けた」

「……、」

「新米の吸血鬼は『うつわ』があっても『ちから』が足りない。それでは代替の心臓にはならない。『ちから』は吸血する事で蓄えられていく……自分が敗北するリスクを負ってでも『ちから』をつけさせる必要があり、ゆえに吸血遊戯をけしかける必要があった」

 なぜ力尽くではなく『遊戯』を介すのか。
 もうひとつの謎も解けた。

「だから、ひたすらあたしを煽ってきたのね。移植に耐えられるような、申し分のない心臓を手に入れるために……」

 だが、最後の謎が残っている。

「でも、街中の人間から選べたはずなのに、どうしてあたしを勝負の相手に選んだの?」

「……貴方の眼や立ち振る舞いの中にかつての自分を見た。貴方なら遊戯に乗るという確信があった。想いや願いを守るためならば、たとえ納得がいかない事であっても受け入れる。状況を打破するため行動を起こす。死に物狂いでその物事に当たる。そんな性質の持ち主だと思った」

 半分は買い被りだ。
 確かに遊戯には乗ったが、その後の行動はマリナ自身が困惑するほどに消極的であった。
 最終的には伯爵が予想した通りにはなったが。

「だが、そんな事がわかってももう遅い……結果は出ているのだから」

 ぎらりと赤い瞳を剥き、マリナを睨めつける。

「……『先読み』の力を用いて妨害してきたのは貴方が初めてだが、それ以上にその速さに驚かされた。しかし四夜目までに開いた差は覆しようがないほど大きいはずだ。貴方の血液から記憶を読み、精神的にも攻めさせてもらった。次にこの仮面を被り、吸血鬼を生み出し、遊戯を開催するのは……貴方だ」

 伯爵の眼は悲しげだった。
 誰かを犠牲にしなければならない自分を責め、良心の呵責に苦しんでいる。
 なりたくもない化け物にされてしまった、マリナと同じ眼だった。

「たとえ――」

 彼女の悲しみも、苦悩も、同じように経験したマリナには彼女を責める気なんてなかった。
 たとえ、彼女がマリナを巻き込んだ張本人だとしても。

「あたしが敗れたとしても、今後一切、遊戯は開かないわ。あたしにはもう、それだけの気力はないから」

「……虚言だ。口ではそう言っていても貴方はいずれ遊戯を始める……!」

「ねぇ、伯爵。あなたにも覚えがあるはずよ。初めて人の血を啜った瞬間の、化け物になってしまった感覚と、人間に戻れなくなるような不気味な感覚を」

 少女ははっとした表情を浮かべ、次の言葉を待った。
 図星、なのだろう。
 マリナと彼女は同じなのだから。

「あたしは化け物にはなりたくない。だから血を吸ってもほとんど吐き戻してしまったわ。もしこれが原因で移植に耐える心臓になっていなかったら申し訳ないけれど……いくら勝利のためだ、人間に戻るためだと誤魔化していても、身体が人から血を吸う事を受け付けられなかった。だから、他人を化け物に変えてあまつさえその心臓を奪うなんて……確信を持って言えるわ。あたしには無理よ」

「……だが、そんな事を言っても」

「あなたには分からないかもしれないわね。だけど、それが現実よ。あなたとあたしは同じだと言ったけれど、まったく同じなわけじゃない」

 だって、とマリナは目を細めた。

……化け物に落とされても人間に戻る事を諦めず、独りでも負けずに這い上がろうとするなんて、それが強さでなくて何だというの?」

「……、」

 想いの力はすなわち強さだ。
 執念とも言い換えられるそれは人間なら誰しもが持っている。
 しかし、同時に良心の呵責に押しつぶされそうになる弱さもまた背負っているのは、人間の特徴と言ってもいい。
 強くもあり、弱くもある、そんな曖昧で不安定な存在こそが人間なのだから。

「……集計が終わりました。お二人とも心の準備は大丈夫ですか?」

「いつでもいい。心の準備など昔に済ませてある」

「お嬢様も、よろしいですか?」

「……ええ」

 ついにこの時が来た。
 重い音が何度も何度も聞こえてくる。
 心臓の鼓動だ。
 一定のリズムを刻む、自分の心臓。

(まだ、大丈夫……まだ、これはあたしのもの……)

 きっと勝てると、吸血鬼から人間に戻れるのだと言い聞かせる。
 伯爵に対しては格好いい事を言ったが、それでもやはり人間に戻りたい。

 ビクターと、そしてジャックの口から宣言された眷属の数は。
 数は――。



 マリナと伯爵は教会の外に出ていた。
 わずかではあるが月の光を浴びるマリナに対し、しかし伯爵はひさしの陰から出られない。
 それこそが勝者と敗者を分かつ絶対の境界線であるかのように。

「……雨を浴びれば戻るなんて都合がいいんだか悪いんだか」

 ほんのわずかな差によって勝利したマリナは、その望みが果たされる時を待ち続けた。
 ジャックとビクターは廃教会の一室で、十字架に偽装させた古代の遺失物を起動する準備を進めている。
 それを用いて人為的に雷を起こし、雨を降らせるのだという。
 単なる雨でなく、聖なる力をもった雨だ。

 その雨を浴びた吸血鬼は人に戻るのだという。
 遊戯の中で吸血され魅了された者もすべて元に戻る。
 そう、敗北した伯爵以外は。

「雨もまた流れる水……吸血鬼である身体は触れる事ができない。戻る過程の最初は苦痛らしい」

 穏やかな口調で伯爵は語った。
 その苦痛すら歓びであったはずなのに、今はそれを伝える事しかできない。

「……流水に拒まれ囚われた者が流水によって解放される。ふっ、皮肉な事だ」

 だから、伯爵はひさしの陰から出られない。
 伯爵の身で吸血鬼を人間に戻す雨を浴びてしまえばどうなるかは明白だ。

「――!!」

 轟音と共に光が走った。
 廃教会の十字架から、力の奔流が紫電となって伸びていく。
 その光が行き着いた先は、空を覆う黒雲だった。

 しばらくすると雷光に呼応するように黒雲に動きがあった。
 ゴロゴロという雷の音とともに、街の空気が、雰囲気が湿っていく。
 呆けたように黒い空を見上げていると、雨のしずくが次々に降ってきた。

「――っ!」

 その水滴が当たった個所が、疼いた。
 ちくちく、ちくちくちくちくと。
 熱をもった何かが雨粒が当たった皮膚から注入され、内部に浸透していく。

「あああっ――!!」

 それは想像を絶する痛みだった。
 鋭く細い槍に次から次に刺されているような激痛が、延々と襲ってくるのだ。
 歯を食いしばり、痛みに耐える。

 身体がもとに戻るのに必要な痛みだからだ、
 これまで散々マリナの行動を縛っていた吸血鬼の『枷』が、液体に溶け出し、身体から抜けていくのが実感できるからだ。

(あたしの身体が人間に戻ってきている……!)

 身体を抱きすくめてまだ続く痛みに耐える。
 その様を、伯爵はただじっと眺めているだけしかできない。

「おめでとう。これで貴方はこの街の呪いから退場できる……この光景を見るのは二度目だ。あの日の誓いは脆くも崩れ去った。……当然かもしれないな」

 その笑みは自虐的であったが、それでも初めて見る伯爵の笑みだった。

「私の身勝手から始まったこの遊戯、貴方の勝利で終わるのが……相応しかったという事だろう」

「伯爵……」

「いや、恨めしき伯爵からの言祝ことほぎなど貴方には不要か」

「あたしはあなたを責める気はないわ。同じ境遇を味わった者同士、分かり合える事だってあるはずよ」

「……そうか。貴方は……不思議な人だ。私は貴方にこの呪いを押し付けようとしたのに」

「確かにあなたによって巻き込まれたけれど、人間に戻れた今、もう水に流すわ。……それでも、この呪いの連鎖は許せないけれど。こんな胸糞悪い呪いなんて、なくなってしまえばいいのに」

 伯爵は静かに頷き、

「……呪いがなくなるべき、か。確かにそう、その通りだ。けれど、私には勇気がなかった」

「ある、の? 呪いがなくなる方法があるの? だったら教えて。あたしが消してみせる!」

「……、」

「もう、あなた独りで苦しむことはないわ。なけなしの勇気しかないけど……、あたしもいるから!」

 マリナは彼女と同じ経験をした。
 彼女が味わった悲しみ、苦しみ、境遇、それらすべてを理解した。
 ならば冒険者であるマリナがとるべき行動は一つだ。

「あたしは冒険者よ。だから依頼して。助けてほしい、困っている、状況を打開したい、って。……そうすれば、あたしはあなたの味方よ」

 乗りかかった船を途中退場するなんてできない。
 少なくともマリナが知っているあの馬鹿ならそう言うはずだ。
 その精神を知る者として、一端の冒険者として、この悲しみの連鎖を絶ち切りたかった。

「……これまで伯爵となったものは代々、次の伯爵に呪いを押し付けてばかりだった」

 しばらく押し黙っていた伯爵が、ようやくその思いを言葉にしはじめた。

「勝利しこの街から逃げる事と、敗北後の停滞しかなかった。そんな身勝手な……化け物だった」

「あなたの代でそれを終わらせればいいわ。あたしと一緒にね」

「……、呪いをなくす方法はひとつ、――伯爵が消えればいい」

「なに……!?」

「そう、私が消滅すればいい。それで、呪いの連鎖は消える……!」

「そんな――!」

「――日の光を浴びて、肌が焼け爛れた事があった。あの時は、ビクターが泣いて大変だった」

 唐突に、伯爵は穏やかな調子で話を切り替えた。
 何事か分からず、マリナは困惑のうちに言葉を飲み込む。

「ふふ、不思議そうな顔をしているな。『あの老人が?』と言いたげだ。だが、誰にだって最初はある。幼年期、思春期、青年期を経る。成長すると同時に、老いていく、それが人生。……けれど、吸血鬼は違う。その『当たり前』から切り離された存在だ」

「……、」

「それが『伯爵』であり、『呪い』……私は我が身可愛さのあまり、愛する者と同じ時を過ごせなかった。歴代の伯爵の採ってきた嫌悪すべき行動をなぞるしかなかった。……でも、今なら」

「……この雨に打たれればあなたも人間に戻る。だけど、心臓のないあなたは」

「そうだ」

 吸血鬼なら心臓を失っても誤魔化せるかもしれない。
 だが、人間の身で心臓を失ってしまえば、もう死ぬしかない。
 否、死ぬ事ができる。

 しかし、それでは。
 マリナが死ねと言ったようなものではないか?

「貴方が気に病む事はない。結果はどうあれ、私は伯爵の呪いを絶ち切る選択肢を採りたかったのだから」

「はく、しゃく……」

「ありがとう、マリナ。これは私より前の代の伯爵と、私からの礼だと思ってほしい」

「……それは、違うわ。これはあなたとあたしの意志! そうでしょ!?」

「そうだ。二度と犠牲者を、お嬢様をこの世に出さないという意志だ」

 伯爵は笑っていた。
 吸血鬼然とした高笑いでも自嘲を込めた笑みでもない。
 伯爵などという肩書を得る前の、人間の少女の笑みだった。

「私を許し、手を差し伸べてくれて感謝する。貴方と会えてよかった。本当に、心からそう思う」

 そう言って、伯爵は一歩足を踏み出した。
 すでに豪雨と化した雨粒は、容赦なく伯爵にも降り注ぐ。
 わずかもしない内にその小柄な全身をずぶ濡れにさせた。

「――!」

 痛みをこらえながら、しかし伯爵は呻く事すらしない。
 その痛みがもつ意味を彼女は十二分に理解しているのだ。

「……ごめんね。あたしは……自分自身の無力さに腹が立つわ。あなた独りを死に追いやってしまう事が、その力のなさがとても悔しい」

「悔しがれるという事は……そうやって後悔しない選択肢が見えている者の特権だよ、マリナ。だが、気に病む事はない。貴方のおかげで、私は人間としての尊厳を取り戻す事ができるのだから」

 伯爵はまっすぐにマリナを見つめた。

「呪いは消える。負の連鎖は断ち切られ、二度と犠牲者が出る事もなくなる。だから、私たちのこの選択は間違っていない。正しいはず」

 そうだ。
 間違っていない。
 ……なんて、言えるはずがなかった。

(それでも、あたしたちは決めたんだ)

 この呪いを消す、と。
 だから、マリナはただ頷いた。

「貴方は私に一歩踏み出す勇気をくれた。ありがとう、マリナ」

「……っ!!」

 悲痛な少女の笑み。
 マリナは自分に強く言い聞かせる。

 決して目をそらしてはならない。
 彼女の最期を見届けなければならない。

 決して悲しんではならない。
 涙を流してはならない。
 歯を食いしばって耐えねばならない。

 ――これで彼女も、街も、忌まわしき呪いから解放されるのだから。

 だから、祝え。
 少女が倒れ伏し、その胸から血を溢れさせても、雨に打たれて人間に戻れたからこそだ。
 異変を感じ取り駆け付けたビクターの腕の中で眠る彼女が安らかに微笑んでいる事も、人間として、『エルチ』として死ぬ事ができた証なのだから。

 これがカプーチュの街で起こったお嬢様と伯爵による最後の遊戯、その顛末である。
 結果としてエルチは絶命し、マリナは生き残った。
 だが、呪いを背負って死にゆく事と、死んでいった者たちの意志を受け継いで未来へ運ぶ事、どちらも重く困難な道である事に変わりはない。

 マリナは生きなくてはならない。
 彼女とともにカプーチュの吸血鬼を滅ぼしたエルチの魂の一部は、すでにマリナに受け継がれている。
 街に縛られ、街から出る事叶わず逝った彼女のためにも。

 自分を通して、エルチに外の世界を見せてあげたい。
 かつてお嬢様だった彼女らは自由になった。
 もはや彼女らを縛るものなんて何もない。

(エルチ……)

 まずはリューンを。
 マリナがずっと帰りたかった『大いなる日輪亭』を見せてあげたかった。

 そして、マリナを通してエルチにも勇気を与えてくれた、あの馬鹿も。
 もののついでに。
 気が向いたらで。



【あとがき】
『陽光を求める者たち』、ソロシナリオは蜂蜜御飯(ハチミツさん、ユメピリカさん)さんの「お嬢様と伯爵」です。
ある街に閉じ込められてしまったPCが吸血鬼にされてしまい、元の人間に戻るためにとある『遊戯』で勝敗を競う一風変わったシナリオになっています。
リードミーにもあるとおり『陣地取り合戦』なのですが、見事に吸血鬼との融和を果たし、物語としても破綻がほぼないよう組み込まれています。
また当シナリオはNEXT仕様であり、当時ほとんどVer1.28をメインに使っていた筆者にとっては衝撃的ともいえる美麗で画期的なインタフェースに驚かされたものです。
ストーリー面でもシステム面でも隙のないこの作品ですが、リプレイで通ったエンディングの他にもいろいろありますので是非プレイしてほしいシナリオです。

そして作者の蜂蜜御飯さん(ハチミツさん、ユメピリカさん両名)には格別の感謝を。
リードミーにも攻略情報の公開は差し控えるようにとあったため事前にお伺いを立てましたが、快く了承をいただきました。
(こ、これでもしアウトな部分があったらとひやひやものですが……!)

さて、今回のシナリオの主役はマリナでしたが、彼女に関してはほとんどこれまで語る場面がなかった事もあり、謎多い人物ではありました。
やたらとエリックに突っかかったりツッコミを入れたり制御したり……色々やっていましたが、ようやくその理由について少しだけ語ることができました。
マリナにとってエリックとは、という問題については自覚したところもありますし、これから少しずつ描いていきたいところです。
そしてマリナはこの後、五月祭へと向かう事になりますが……彼女だけは『呪われし者の昼と夜』にNPC出演しているので(月歌の第三〇話参照)そのあとになります。
実は『呪われし者の昼と夜』に出演した事もあってマリナにお嬢様になってもらったという……そのための逃げ役!

今回をもって『陽光を求める者たち』のリプレイは一応の完結となります。
この先、深緑都市ロスウェルに入り五月祭の事件に巻き込まれ、エリックとマリナはついに因縁の相手であるイザベラとパイソンに出会います。
エリックをはじめとしたメンバー全員が一癖も二癖もある連中ですので、事あるごとに活躍し、大暴れしてくれる事を願います。

『陽光を求める者たち』はサードパーティなので、とにかく個性を押し出した面々をそろえてやろうと始まりました。
おかげで戦闘力も参謀力も高い、やたらと強力なパーティに仕上がったものの、個性が暴れて個々の連携がうまく取れない、そんなちぐはぐな集まりでした。
パーティメンバーが壁となって立ちはだかるような事態が生まれたりしましたが、エリックは未来を見据え、未来を切り開き、未来に進む存在として生み出したので、割とうまい具合に進んでいたりもします。

これからエリックが辿る運命は悲惨なものになりますが、それでも彼は立ち上がり、未来を掴むために戦い抜くのでしょう。


☆今回の功労者☆
マリナ。ここまで生にしがみつくキャラになるとは思わず……お疲れ!

報酬:
なし


≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『お嬢様と伯爵』(蜂蜜御飯様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。

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『お嬢様と伯爵』(2/3) 

 今でも後悔している。
 あの日、興味本位に覗いた廃教会。
 あそこに行かなければこんな事にはならなかった。

 この街にある吸血鬼伝説のゆかりの場所。
 軽い気持ちで訪れた教会にいたのは、――怪鳥の仮面で正体を隠してはいたものの――本物の吸血鬼だった。
 気づいた時にはすでに逃げ道は失われ、残るは戦って切り抜ける道だけだった。

 しかしマリナの修めた技はすべて対人間用に研いだ暗殺の技だけしかない。
 闇に紛れる事も不意を突く事も、ましてや鋼線で首を絞めるなどというあまりにも遅すぎる技では吸血鬼の前には無力でしかなかった。
 あっという間に吹き飛ばされ、なすすべもなく壁に叩きつけられる。
 衝撃が肺を貫き、その中の空気が絞り出されて、マリナの意識が遠のいていく。

 それでも、マリナは死ぬわけにはいかなかった。
 奥歯を噛み締めて踏みとどまり、眼光だけを吸血鬼に向けて放つ。

『いい加減、諦めたらどうだ。貴方はよくやった。もういいだろう』

 朦朧とする意識の中、吸血鬼の腕が自分に伸びてきたのが見えた。
 酸欠でガタガタになった脳みそは吸血鬼が発する言葉の意味も理解しなかったが、それでも差し出された腕が自分の命を刈り取らんとする死神の鎌である事は理解できた。

 惜しむほどの人生じゃない。
 むしろ続けている意味すら失っているはずの人生だ、消えてしまっても構わない。
 はず、だった。

 この瞬間において、マリナはただひたすらに死にたくなかった。
 人生の価値だとか意味だとか、そんな小賢しい言葉で誤魔化せないほどに、マリナは生きたかった。
 ここで死ぬわけにはいかない。
 たとえ這いつくばって泥を啜ってでも生き延びられるなら、マリナは喜んでその道を選ぶ。

 ふと、右手に硬く冷たい金属が触れた。
 重たい剣だ。
 吹き飛ばされた際に巻き込まれて砕かれた鎧が手にしていた剣。
 普段なら無駄な足掻きだと貶し、潔く美しい死に方を選ぶのだろう。
 だがマリナは醜い足掻きをするため一切迷わずにその剣に全てを賭けた。

 間違いなく不意を突けた。
 吸血鬼の最も有名な弱点である心臓。
 勝利を確信できる唯一の位置にマリナは剣を突き立てていた。

『――!?』

 手応えが一切ない。
 普段鋼線を用いた暗殺を得意とするマリナとて人を刺し殺した経験くらいある。
 だのに、この手応えの無さは、一体。

 ここでマリナの記憶をぷっつりと途絶えた。
 酸欠の身体で派手に動きすぎたのだろう、すでに体力の限界だったのだ。
 その後、目を覚ましたマリナの前に現れた男が告げたのは、自身が伯爵と呼ばれるあの吸血鬼の血を受けた事、そしてこれから伯爵との遊戯を行う事だった。

『お初にお目にかかります。私はビクター……フランケンシュタイン家の現当主でございます』

 執事姿の老人の淡々とした説明も、ほとんどマリナの耳には入らなかった。

『私は伯爵様付きでございます故、お嬢様には我が孫であるジャックに世話係を任せました』

 自分が化け物に殺されかかった事実すら夢であれと願うばかりなのに、よりにもよってその化け物と同じ存在にさせられたなどと、到底信じられるものではなかった。

『この街は貴方も知っての通り水に囲まれております。貴方は外へ出る事は叶いません。そのため、我々がいるのです。昼間やお嬢様の行けない街の外、そういったところで働く我々が』

 しかし流れる水に対して異常なまでの恐怖感、日光に対しての忌避感は否応なくその事実を突きつけてくる。

『分からない事があればジャックにお訊ねください。それでは失礼させていただきます』

 たとえ望んでいなくとも、この時からマリナはお嬢様と呼ばれる吸血鬼となった。
 執事ジャックを従え、血を啜る化け物に。

(……、)

 マリナは再びそんな夢を見ていた。
 二夜目に見た夢は吸血がトリガーとなったのだとぼんやりと考えていたが、今回のこれは一体何が原因だったのだろう。
 寝起きの頭ではあるが、マリナは考えを巡らせる。

 光陰矢の如しとは言うものの、今思い返せば遊戯の折り返しである四夜目まではあっという間に過ぎ去った印象だった。
 相変わらず伯爵には裏をかかれっ放しで、結局一夜目より後の三日は一度たりとも妨害できずじまいで終わった。
 そもそもこの広いカプーチュの街でピンポイントに居場所を突き止める術はただひとつしかない。

 『先読み』の力。
 眷属となったターゲットとジャックはその力をそう呼んでいた。
 どうやらその特異な力を用いれば伯爵の居場所が分かるのだという。
 この力があれば夜毎に伯爵の邪魔をする事が可能となり、すなわち伯爵はこれ以上自身の眷属を増やせないという事である。

 四夜を経て妨害が成功したのは一度きり。
 今後は『先読み』の力で毎夜妨害できるとしても、伯爵はすでに三名の獲物を眷属としている事になる。

(――あぁ、そうか)

 あんな夢を見たのは予想が的中して安心したからではない。
 むしろその逆。
 マリナが一度唾を付けた獲物を容易に奪い去られるという、当初考えていた最悪の事態を迎えたからか。

(思い出せ、という事かしら)

 遊戯に敗北すればマリナは心臓を失う。
 それは人間としての生を完全に奪われてしまう事に他ならない。
 だからこそマリナの身体が、精神が、あの時を思い返させたのか。

 恐怖と絶望。
 ないはずの猶予が与えられ、目の前に勝利がちらついただけで浮かれてしまうなんて、救いようのない馬鹿だ。
 泣いても叫んでも、残りはあと四夜、行動にして八回しかない。
 その内の半分を伯爵の妨害に費やしたとしても、大きくリードされている現状を変えるためにはより眷属数の多い獲物を仕留めなくてはならない。

(現在唾をつけた獲物は……一名。四回のチャンスでモノにできなくては……、いいえ。伯爵はすでに三名の吸血に成功している事を加味すればこちらも同数の吸血に成功しなくては勝ち目は薄い)

 マリナが最初に目を付け眷属とした『先読み』の力をもつ獲物は天涯孤独の身で、他に捧げる眷属が存在しなかった。
 力の代償といえばその通りなのだが、すでに吸血数で劣るマリナにとっては手痛い状況である。
 眷属とするのに二回の吸血が必要であれば、伯爵を完璧に妨害できたとしても勝ち目はひどく薄い。

(……失敗できるのは一度限りね)

 光が見えたかと思えば、すぐに遮られる。
 マリナはどうしても闇の中から、陰の中から出られない身なのか。

 それでも全力を尽くすべきだ。
 四夜目終了時点で三名、合計にして四度の吸血を行っている。
 ここで折れてしまっては彼らに行った何もかもが無駄になってしまう。
 何のためにもならないのに危害を加え、生き血を啜るなんて弁明の余地もない化け物の所業だ。
 そんなものを許してはいけない。

 億劫そうにマリナは棺桶の蓋を押し開け、ゆっくりと外へ出た。
 新たな夜が始まる。

 その日、第五夜にして初めてマリナはまっすぐ目的地に向かい、伯爵を待ち構えた。
 すでに『先読み』の力をもつ眷属から情報を得ている。
 伯爵ともあろう吸血鬼が即断即決で獲物に手をかけるとは思えないが、それでも行動は早めに行っておいたほうが良い。

「……マリナか。貴方に会うのを楽しみにしていた。これは運命だな」

 突如として背後からかけられた声。
 お嬢様たるマリナに対してこうも気安く声をかけてくる存在を、マリナはただ一人しか知らない。

「伯爵……!」

 相も変わらず酔狂な怪鳥仮面の姿で伯爵は闇からぬらりと出でた。

「貴方のために用意しておいたモノがある、受け取れ」

 そう言って伯爵が差し出してきたのは、古典的な吸血鬼の服装――襟立の黒マント――と伯爵がつけているような歪な仮面だった。
 まるでハロウィンの仮装である。
 そうさせた張本人が飛ばすにはあまりにも腹立たしいジョークだ。

「……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのかしら」

「気に入らないと突き返す、か。格式美というものがわからないようだな」

 まるで冗談ではなかったかのような物言いに、マリナは逆に肝を冷やした。

「しかし、今や貴方も吸血鬼なのだ。それは動かしがたい事実。……忘れるな」

 それだけ言い残すと、怪鳥の仮面は再びぬるりと闇へと溶けていった。
 あれだけ奇抜な恰好をしていても、闇に溶けて後は一切の気配を感じられない。
 
(……、)

 ぱしん、と両手で軽く頬を叩いた。
 遊戯において伯爵と相対するのはこれで二度目だ。
 相変わらず自身が窮地に立たされている事実は変わらず、やるべき事も見えている。
 固まった足の呪縛はすぐに解け、マリナもまた夜に溶けて獲物を探しゆく。

 早めに伯爵を妨害できたとはいえ夜は長くない。
 あっという間に夜は進み、やがて東の空が白む気配を感じたマリナはお嬢様の屋敷へと戻った。
 いつものようにバルコニーから屋敷へ入ると、出迎えたジャックがぎょっと目を丸くしている様子が見えた。

「お嬢様……そのご様子だと伯爵様に会われたのですね」

「あぁ、……はらわたが煮えくり返るという言葉の意味をよく理解できたわ」

「お、お嬢様。落ち着いてください」

 マリナのただならぬ雰囲気に、ジャックはひたすら気圧されていた。

「兎にも角にも、お嬢様は伯爵様の邪魔をしたのです。勝利に一歩前進したと思いましょう」

「分かっているわ。そんな事より――」

 マリナが本当に腹を立てているのは伯爵に会った事ではない。

「『あれ』の説明はしてくれるんでしょうね?」

 この夜、マリナは唾を付けていたもう一人の獲物に二度目の吸血を成功させた。
 それだけなら単に喜ばしい事なのだろうが、問題はその獲物が口走った言葉のほうだ。

「……ええ、分かっています。父の事ですね。なぜリストに入れたのかと仰りたいのですね?」

 意外なほど素直に、あるいは観念したように、ジャックは語り始める。
 伯爵をサポートし続けるフランケンシュタイン家の永続のため、彼の父は貴族の娘に婿入りした。
 いわゆる政略結婚というものだが、それによって彼の父は代々の役目を継げず、やがて生まれたジャックは現当主である祖父ビクターに奪われてしまう。
 外面も内面も醜い妻と結婚させられた反動か、ストレス発散のはけ口を求めて彼の父は次第に酒と女に溺れてゆく羽目になるのだった。

「そんな父の望みはお嬢様の眷属となる事でした。……どうかお許しください」

「……、」

 ジャックの話を聞いていれば、彼の父の本当の願いがフランケンシュタイン家に対するささやかな反抗である事くらいすぐにわかる。
 おそらくは彼自身もそれを理解しているだろうが、しかし父親の尊厳とフランケンシュタイン家の時期当主として、それに触れられないのだろう。

(……だけど、だとしても。肉親を吸血鬼に差し出すなんて理解できない)

 肉親を遊戯を構成する駒のひとつとして無機質に捉えている事実に変わりはない。
 ターゲットリストをつくる際、彼はどんな気持ちで父親の名前を連ねたのだろう。
 それを親子の情だと表現するのならば、フランケンシュタイン家はどこか歪んでいるような気がしてならない。

(まるで伝染病ね)

 マリナもまた伯爵自身から直接『感染』させられた身だ。
 彼らが事実としてねじ曲がっている事は明白に理解できる。

(あたしはああはならない……!)

 それが良き方向に向かうのか、それとも二度と這い戻れぬ谷底へ落ち行くのかはともかく、マリナは再び初志を胸に遊戯に臨むのだった。



「今夜もまた出会うか……なるほど、意図的に私を妨害しているのだな」

 六夜目。
 今宵も『先読み』の力をもつ眷属から伯爵の居場所を割り出している。
 順調に伯爵の邪魔ができている状況に、マリナの心にもわずかな余裕ができ始めている頃合いだった。

「その努力に免じて、今は貴方に花を持たせてやろう」

 伯爵は一歩身を引き、「だが――」と言葉を続ける。

「儚い希望を紡ごうともがく貴方の手は純白ではない。ひたすらに真っ赤なのだ。私と同じく、な。それを忘れている貴方はすでに化け物なのだ」

「……!?」

 まるでがつんと頭を殴られたように、マリナは衝撃を受けた。
 伯爵は、何を、言っている?
 単なる負け惜しみでない事が、なぜかマリナには理解できた。

「そ、そんなの……、あたしは忘れてなんか――!」

 果たしてそうか?
 本当に、は忘れていないのか?
 この手が清くなくとも掴める何かがあると思っているのか?

「!?」

 その疑問は誰あろう、マリナ自身の心の裏より湧き出ていた。
 自分の手が汚れている事くらい知っている。
 純白などと夢見た事すらない、自分のものとも他人のものとも分からぬまでに混じりあった、しかし同じく血液によって赤黒く汚れているなど百も承知だ。

 しかし、ならば、なぜその手をすすがない?
 なぜ汚れ切ったままで良しとしている?

 ――そんなのは決まっている。
 マリナはその汚れた手を自分のものとは認めたくなかったのだ。
 どれだけ汚れようと、どれだけの清い命を奪おうと、その赤黒く染まった手はマリナのものであるにも関わらず、マリナ自身は認知しようとはしなかった。

 だからこそランプの火に吸い寄せられる羽虫のように、マリナは光に誘われた。
 見るに堪えない赤黒い手とは比べるべくもなく清く美しい純白の手。
 それはが持つ純潔性ゆえであるが、あまりにも強い光に、マリナにそれが自分の汚れた手を浄化したように見えた。
 むろん、そう見えただけだ。
 本質は何も変わっちゃいない。

(だのに、あたしは……!)

 その輝く手が羨ましくて、欲しくて、しかし手に入らなくて、それでも。
 いつか自分もこうなれるのではないか、という淡い期待を抱くに至った。
 汚れた手から目を背け、やがて訪れると信じた浄化の時を待ち続けた。
 そんなものが来る未来など存在しないというのに。

「伯爵は……」

 すでに目の前に怪鳥の仮面は存在しない。
 それでも、マリナはその疑問を口にせざるを得なかった。

「見抜いて、いる……の……!?」

 どっと冷や汗が噴き出し、マリナは身体を震わせた。
 他人がどうかは知らないが、少なくとも自身がより多くの秘密を抱え、その内を明かさず生きてきたという自覚はある。
 それを、あろう事か伯爵などという化け物に見透かされ、あまつさえ揺さぶりに利用されてしまった。

 所詮は単なる陽動だと笑い飛ばす事もできた。
 しかし、マリナにとっては到底看過し難い大事であった。

 それからカプーチュのどこをどう巡ったのかも記憶にない。
 気が付けば夜は更け、少しもしない内に空が白み始めるだろう。
 忘我の内にあっても獲物を探しに街を練り歩いたのだろう疲労感だけを抱き、マリナは屋敷へと戻った。

「……あの、お嬢様。如何なされたのでしょう……?」

 帰ってから、マリナはずっと布で手を拭いていた。
 狂ったように何度も何度も、傍目からは汚れなんて見えないというのに。

「なんでもないわ……」

「……何があったかはわかりません。ですが、お嬢様……お嬢様のお手は綺麗ですよ」

 擦りすぎて赤くなった手をじっと見る。
 マメが潰れて硬くなった暗殺者の手だ。
 お世辞にも綺麗には程遠い。

「ふっ、ありがとうね。あなたの下手な嘘のおかげで大事な事を思い出したわ」

「嘘をついた覚えはありません。お嬢様の手は綺麗ですよ」

 血に染まっていて当たり前なのだ。
 マリナは暗殺者であったが、今は冒険者なのだから。
 自分のために戦う事を決めた冒険者なのだから。

 欲しいと願って何が悪い?
 羨ましく思う気持ちの何が悪い?

(伯爵が心臓を求める事と、どれだけ差があるというのよ)

 マリナはただ羨望を抱いて夢想したに過ぎない。
 だが伯爵は他人を化け物に変えておいて、その上で心臓を要求している。
 何の事はない、事の大小はあれど同じ穴の狢だ。

(――であれば何も遠慮する事なんてない)

 どっちを向いてもクソ野郎しかいない。
 今さら相手を蹴落としたとしても非難されて省みるほど清くないのだ。
 ならば勝つべきだ。
 勝って自らの望みを果たすべきだ。

 結局、忘我の内に廻った夜は獲物を見つける事はできなかったようだ。
 いよいよもってただの一度も失敗が許されない局面まで追い詰められた。
 残り二夜しかない状況でなんだか時間の進みも早く感じられる。

 精神的なダメージは深いが、ともあれマリナは棺桶に潜り込み、次の夜を待つ事にした。

 しかしこの夜もまた夢を見た……否、今まさに見ているところだ。
 いわゆる明晰夢というやつだが、夢の主導権を握っているのはどうやらマリナではないらしい。
 マリナは暗闇の中にただ一人、椅子に座らされているだけで、眼前にはぽっかりと開いた四角い『窓』の向こうで展開される物語を見せられているだけなのだ。

 『窓』の向こうもまた暗闇で、そこでに二人の人影が相対している。
 白髪の少女と、その向かいには見慣れた怪鳥の仮面が立っている。
 よくよく見やれば少女は驚愕に目を見開いており、反対に伯爵は小刻みに震えながら大笑いしている。

『ふはははははは!! 現実とは常に残酷で無慈悲なもの……!』

『……っ! ……負けた!? そんな、嘘でしょ……あれだけの人を眷属にしたのに!!』

『私のほうが一枚上手だった。それだけの話だろう』

『そんな……!』

『――約束は覚えているだろう?』

 ぴたりと笑い声を止め、伯爵は真剣な声色でそう言った。
 その言葉の意味を飲み込んだ少女は、一転して恐怖の表情を浮かべる。

『ひっ……、嫌……嫌よ!!』

 少女はじりじりと後ずさる。
 しかしすぐに壁に追いつめられて身動きが取れなくなってしまった。

『さぁ差し出したまえ! 捧げたまえ! 私がもらい受ける!!』

『わ、私はただ、ヒトに戻りたかった……誰も傷つけたくなかった……吸血なんか、したくなかった……!』

 眼前に迫る伯爵の手は死神の鎌を思わせる禍々しさを放っている。

『……でも、それでも!! 思いを押し殺して頑張ったのに!!』

『痛み、悲しみ、怒り、無力感、絶望……貴方の心に湧き上がる負の感情はよく分かる。だが、勝負は勝負。そしてすでに遊戯の決着はついた。貴方は私に敗北したのだ!』

『来ないで! 近寄らないで!』

 少女は必死に叫ぶも、伯爵は止まらない。
 その右手がゆっくりとゆっくりと少女へと迫り、

『――!!!』

 少女の叫び声が響く。
 引き抜かれた伯爵の手にはまだ脈動を続ける心臓が握られていた。

『ふっ……はははははははっ!!!』

 少女のすすり泣く声と、仮面のせいでくぐもって聞き取り辛い笑い声。
 そして、もうひとつの声。

『お嬢様、お嬢様! しっかり!!』

 若い男の声。
 そして水の音。
 街を囲む忌々しい川の流水音じゃない。

『お嬢様、お嬢様!』

(これは……雨音?)

「――お嬢様!」

 唐突に夢は醒め、マリナはその両目を開いた。
 視界に入ってきたのは黒髪で眼鏡の青年、ジャックだった。

「よかった……酷いうなされようだったので……一体どのような悪夢を?」

「悪夢……」

 マリナがさっきまで見ていた夢の話をしたら、ジャックは何やら考え込んでしまった。
 そして何か決心するかのようにゆっくりと顔を上げて話を切り出す。

「……もしかすると、伯爵様の記憶を共有してしまったのではないでしょうか?」

「共有?」

「お嬢様は伯爵様が血を分けられた存在です。この遊戯を通してお嬢様が吸血鬼として成長し、その結果として伯爵様と感覚を共有……」

「分かった。もういいわ」

 まるで的外れとも言えない憶測に、マリナは背筋がひやりとして言葉を打ち切らせた。
 血を吸えば吸血鬼の力は自然と高まっていく。
 遊戯の終盤、いよいよ心臓を奪われるか否かという局面に差し掛かった段階で記憶の共有が行われるのであれば、それは悪趣味としか言いようがない。

(それに、伯爵はあたしの心を見抜いているようだった)

 あちらは最初から万全なる吸血鬼だ。
 血液から記憶を引きずり出すのなんてたやすい事なのだろう。

(どちらにせよ、これは伯爵からのメッセージ……『次はお前だ』、か)

 あの意地悪そうな伯爵のやりそうな事ではある。
 しかし、その中でもマリナには一つだけ気にかかる点があった。

(遊戯に勝利した伯爵は……あの心臓をどうしたのかしら?)


To Be Continued...  Next→

『お嬢様と伯爵』(1/3) 

 地方都市カプーチュは夜の闇に包まれていた。
 厚い雲が月の光を遮る中、同化するように黒き翼の蝙蝠が風を切って飛翔する。
 街外れの川沿いから貧民窟を横切って商店街に入り、歓楽街を尻目に住宅街を抜けていく。

 カプーチュは陸にあって流水に囲まれた街だ。
 そんな土壌だからかとにかく水はけが悪く、故に街の中は石畳が敷き詰められている。
 既に夜も深く、自身の羽音以外は穏やかな水のせせらぎだけが世界を構築している。

 流水で囲まれた特殊な地形の街カプーチュ。
 そこには古き良き吸血鬼伝説が眠っていた。

 『お嬢様』、そして『伯爵』と呼ばれる、吸血鬼伝説が。

 街の中をぐるりと回った蝙蝠はやがて中心部にある豪奢な屋敷へと飛んでいく。
 屋敷の二階、広々としたバルコニーへ滑るように侵入すると、ひとつだけ開け放たれたままの窓から中へと入る。

「お嬢様、おかえりなさいませ。夜の散歩は如何でしたか?」

「……、ただいま」

 蝙蝠はその場で二度三度と羽ばたくと、やがてその身を人間の姿へと変えた。
 黒い髪に黒装束と黒の長手袋で闇に溶けるような出で立ちながらも胸元の青薔薇のブローチが印象的な、蠱惑的な美女であった。
 スレンダーながらも各部の筋肉は引き絞られており、決して手弱女たおやめなどと表現できるような女性ではない。

「最悪の気分だわ。蝙蝠になって飛ぶだなんて」

 『お嬢様』マリナ・ソポテックは吐き捨てるように言った。
 そのまま嫌な気分を振り払うよう、足早に『自室』へ戻る。

 カプーチュにおいて、マリナは吸血鬼と化していた。
 それがどんな過程によっていかなる思惑によって『そう』なったのかは重要ではない。
 身体からは体温が失われつつあり、鏡にはその姿は映らず、蝙蝠なんかに姿を変えられるようになり、流れる水や陽の光に対して異常なまでの生理的嫌悪を抱き、夜の闇にあっても鮮明に辺りを見回す事ができるその瞳は真っ赤に染まってしまっている。
 正真正銘の化物だった。

 ここに来てから何日経っただろう。
 そう長くないはずなのに馬鹿みたいに時が流れたような錯覚を起こす。
 長く感じるのは冒険者として自由が奪われたからか、もしくは決心がついたからか。

 置いてあった本を捲ってはみるが頭の中に何も入っては来ない。
 明日からの事を思うと、何も。

「……、」

 『自室』の扉がノックされる。
 マリナは何も返さないが、向こうもこちらがそうである事は知っている。
 『大いなる日輪亭』のボロとは大違いに静かに開くドアの向こうからおおよそ二十代前後ほどの青年が顔を出した。

「お嬢様……またこの狭い部屋にいらして。自室はお気に召さないのですか?」

「あの部屋を気に入れと? ? 随分と無理言うわね」

 唾を吐きかねない調子で嫌味を言っても、青年は悲しげな表情を浮かべるだけで退くつもりはない様子だった。
 青年――ジャックと名乗った――は『お嬢様』に仕える執事、なのだそうだ。
 正確には『伯爵』に仕える一族の出自であり、その命によって執事の役割を振られているらしい。

「もうじき夜明けです。お早めに就寝なさる事をお勧めします」

 青年の口ぶりからすれば、やはり吸血鬼は朝日を浴びると良くない事が起こるらしい。
 マリナの手元の本――およそタイトルにあたるものが表紙にも背表紙にも記載がない――には吸血鬼に関する事物が記されていたが、そこにも同じ記載があった。
 正直その内容については半信半疑であったマリナだったが、ジャックが言及するという事は疑いようもない。
 この本については吸血鬼辞典とでも呼ばれるべき代物なのだろう。

「今夜から伯爵様との『遊戯』を始めるのですから。という遊戯を」

「分かっているわ……、遊戯の説明をしてちょうだい」

 そう、今は遊戯の事にのみ集中するべきだ。
 他の事を考えている余裕なんてない。

 ――いや、実際にはいま自分が置かれている状況を考えたくないだけか?

「遊戯は実に簡単でございます。吸血する事で人間をより多く眷属化したほうの勝利です。場所はこの街に限り、ターゲットとなる住民は私がリストアップしております」 

 ジャックは繊細な装飾が施された目録を開いて見せた。
 中には対象となる住民の風貌や氏名をはじめとした情報が事細かに記されている。

「期間は八日間です。お嬢様が勝利した暁にはが手に入ります」

「……、」

 そう、これこそがマリナが遊戯に同意した最大の理由だった。
 吸血鬼というものは本来、死者に対する呪いだ。
 その強烈な特異性はヒトの肉体を持ったままでは成し得られず、化け物となったマリナであってもその全てを得たわけではない。
 マリナは夜の世界の入り口で立ち止まっている。
 この遊戯に勝利すればまだ引き返せる場所にいる。
 ただし、

「伯爵さまが勝利した場合、お嬢様は心臓を伯爵様に捧げなければなりません」

 何事においてもノーリスクで得られる物なんて高が知れている。
 それが貴重であればあるほど、支払わなければならないリスクは膨れ上がる。
 一方的に吸血鬼にされたというのに人間としての生を取り戻すためには自らの終焉を天秤に掛けなければ成り立たないというのは、いささか理不尽に思えるかもしれない。
 しかし本来であればあの日あの場所で死んでいた身だ。
 遊戯だろうがなんだろうが、生命を勝ち取るチャンスが残っているだけでも僥倖ぎょうこうだ。

(――とでも考えなくちゃやってられないわ)

 当然ながらマリナは聖人君子の類ではない。
 生きるために何かを殺し、時には騙し、常に理不尽を与える側であった元暗殺者だ。
 彼女自身が犯した罪が巡り巡って返ってきた、なんて信じちゃいない。
 もとより自分でない誰かを殺してでも生き抜く決意がなければ暗殺者などやっていられないからだ。

「私にはわかりません。なぜお嬢様がそこまで人間である事にこだわるのか……食事を嫌がっておられたお嬢様がこの遊戯に参加するほどに固執する、その理由が」

「………………」

 マリナは黙して答えない。
 遊戯の内容を鑑みれば明白ではあるが、眷属化の過程で生じるたったひとつの『障害』がマリナの決断を鈍らせ、ひどく苦しめた。

 すなわち吸血である。
 遊戯に勝利するにはより多くの人間の血液を啜り、彼らを眷属として従えなくてはならない。
 聞くところによれば伯爵ほどの吸血鬼であれば一度吸血すればそれで眷属化できるという話だが、マリナのような成りたての吸血鬼では最低でも二度は吸血しなければ眷属化できないという。
 明らかに伯爵有利のシステムであるものの、そこは別の取り決め――というよりは純度の違い――で補われているが、問題はそこではない。

(人間に戻るためにヒトの血を飲め、ですって?)

 マリナが嫌悪したのはまさしくそこだ。
 化け物でありたくないために人間に戻ろうとするのに、その過程で人間である事を捨てなくてはならないとはどういう了見か。
 ふざけている。
 馬鹿げている。
 あまりにもズレている。

(あたしは化け物になんかなりたくない)

 マリナの心には忘れたくても忘れられない深い傷があった。
 彼女の生涯は、鉄臭さと生臭さに支配された暗く冷たい石の地下牢から始まる。
 それ以前の記憶がほとんど残っていないほどに大きな衝撃を伴って、脳の奥深くへ刻まれていた。

 そこにはマリナの他にも大勢の人間が牢に囚われており、大まかに分けて二種類の人間が存在した。
 ひとつは若い男性たち、もうひとつはマリナも属する少年少女たちである。
 しかし一度連れ出されて戻った人間が存在しないのはどちらも同じであった。
 一人、また一人と連れて行かれる度に、地下牢よりもさらに地の底から耳を覆いたくなるほどの悲鳴が上がり、それは幼いマリナの心を削っていく。
 とある山賊に拉致され死霊術を用いる怪しげな組織に売られたというのは後の調べで分かった事だった。

 その地獄のような生活が終了するのは、幸運にもマリナが牢から連れ出されるその日の夜だった。
 組織の内部から裏切り者が現れ拠点をめちゃくちゃにした結果、マリナは奇跡的に脱走に成功する事になる。
 そこで見たのだ。

(あんな、化け物なんかには――!)

 人のような身体を持ち、全身に不気味な鱗を纏った
 彼らは逃げ惑う人々を片端から食い殺し、血に塗れながら死体の山を築き上げた。
 こうしてマリナの幼少期はそれらが重苦しい衝撃として激しく主張するのみとなる。

 黒みがかった赤と生臭い鉄のにおいと絶望の悲鳴だけがマリナにとって『始まり』であり、怪物に対する恐怖こそが根本にあった。

 その後は最寄りの街の孤児院に引き取られる事になるが、マリナの心はほとんど壊れたまま癒える事はなかった。
 翌日には孤児院を飛び出し、どんよりとした薄汚い路地裏に住みつくようになる。
 ふとした拍子に一緒にいる誰かが化け物になって襲い掛かってくる妄想が溢れるからだ。
 人との関わりを極力断ち、闇に紛れて生きるほうがマリナにとってはまだマシだった。

 独りで生き始めたマリナはそれからも闇の中で苦しんだ。
 今度は自分が化け物になってしまうのではないかという妄想に囚われた。
 人間である自分の証明をどうやって果たすか?
 他者からの干渉を受け入れがたいマリナにとってそれは如何とも解決し難い無理難題として立ちはだかるかに思われたが、解決策はすぐそばに落ちていて、それでいて決して侵してはならない領域に存在していた。

 気が付いたらマリナは見知らぬ浮浪者をロープで絞め殺していた。
 どんな理由があってそれに至ったのか、マリナは覚えていない。
 しかし厳然たる事実として残ったのは自らの手で命を奪い取った感触と、いかなる感情――あるいは疲労か?――によってか震える指先を見つめた時に感じた『人間としての自分』の感覚だけであった。

 たかがヒト一人を殺しただけで震えるようなこの身体が化け物であるはずがない。
 ロープや刃物を使わなければヒト一人を殺せないような矮小な存在が化け物であるはずがない。
 ゆえに『何か』を使ってヒトを殺す自分は人間である。

 そんな無理やりすぎる結論を出さなければマリナは生きられなかった。
 他に何も持たない彼女は暗殺者ギルドに出入りするようになり、やがては一端の暗殺者として闇の名を上げるに至る。
 化け物に対する恐怖心は拭えないまま、目を逸らす方法を得てしまった。
 それが人道に背く行為だと分かっていてもやめられるものではなかった。

 とどのつまり、マリナの人生は化け物によって破壊され、今もなお化け物によって苦しめられているというのだ。
 自身が犯した罪から目を背けるために誤魔化しているわけではない。
 他の選択肢が全て奪われた状況で、人道的に正しい事のみを行える人間がどれほどいるというのか。

 だからこそ生きて帰らなくてはならない。
 化け物ではなく、人間として。
 これまで生きてきた全てを否定させるわけにはいかないのだから。

「……お嬢様、今夜のために事前準備を始めましょう」

 ジャックの言葉に頷き、マリナはようやく彼に向き合った。
 もはや後には引けない。

 彼女の名前の由来たる太陽は見えないまま、存在を賭けた遊戯が始まる。



 結局のところ、マリナは伯爵という存在に対して深い知識もないまま遊戯に参加する事となった。
 執事ジャックに訊ねても相当古くから存在する吸血鬼であるとしか分からなかった。
 しかし伯爵に仕えるフランケンシュタイン家の現当主、つまりジャックの祖父であればそれも知り得るだろうが今や敵方だ、聞けようはずもない。
 
 なぜ伯爵は心臓を欲するのか。
 なぜ力尽くではなく『遊戯』を介すのか。
 その真意は直接本人に訊ねるしかないのだろう。

「……、」

 しかし、今はそのような些事にかまけている場合ではない。
 この遊戯に勝たなければ心臓を奪われる。
 ヒトとしての再生を望めない身体にされるのだ。

 勝つために戦略も練った。
 街の地形は把握したし、遊戯に際して事前に渡されたターゲットの情報も読み込んである。
 だが、伯爵はこの街に長く住みついた吸血鬼だ。
 ここまでやってようやくスタートラインといったところだろう。

 遊戯のルールとして、伯爵は一夜に一度、お嬢様たるマリナは一夜に二度までの吸血が許されている。
 吸血鬼としての経験の浅いマリナが不利になりすぎないように設けられたものだろうが、そう何度も血を吸いたくはないマリナにとってはありがたい取り決めだった。
 事前にジャックより眷属化=吸血鬼化ではない事を知らされていなければ、そもそも遊戯自体に参加する事はなかったほどだ。
 マリナとしてはより少ない吸血回数で勝利するのがベストではある。

(では、一体何が勝敗を分けるのか?)

 勝負事で優位に立つには相手を妨害する事が挙げられる。
 その点で言えば二度吸血しなければ獲物を眷属化できないマリナは最初から不利だ。
 一度吸血しておいた獲物を長く放置してしまうと一度の吸血で眷属化できる伯爵に横合いから掻っ攫われる可能性がある。
 狙いの相手が見つけられないからと広範囲に唾を付けていく作戦は愚の骨頂、という奴だ。
 標的を定めたのなら次の夜には眷属化しておかなければ全て奪い去られると考えていたほうがいい。

(では、目標をどう定めるか?)

 問題になるのは初日の夜――つまり今宵――においては伯爵が見つけた獲物は必ず眷属化してしまう事だ。
 この時点ですでに数的不利が発生し、マリナの標的は次の夜には必然的に奪われる危険が発生する。
 故に、マリナが標的とすべき相手はを選ぶ必要がある。
 無茶苦茶な話ではあるが、向こうが一夜で一人の眷属を増やすというのなら、こちらは二夜で二人の眷属を得なくてはならない。

(では、何を主軸として動くべきか?)

 お互いが最善の行動を取ったと仮定した場合、重要となってくるのは『眷属となった人間はその家庭や職場の人間を眷属として捧げる』というルールに他ならない。
 仮に眷属化した人間が少なかったとしても、より顔の広い人間を眷属としていれば勝利する可能性はある。
 そして眷属とした人間には個別に指示を出せるようになり、ターゲットリストの中には超常的な力を持つ人間も混じっているという。
 遊戯を遊戯たらしめる要素であるとジャックは言っていたが、遊戯を進行する上で伯爵とお嬢様の間でそれぞれ自身の持つ能力を駆使した妨害は認められておらず、かつ戦闘行為も封じられているため、彼らの能力は無視できない大きな戦力となる。

(結論。顔が広く、より盤面を有利に進められるような力をもつ人間を選び、伯爵より先に眷属化する)

 単純で、思慮が浅く、それでいて難易度が高いながらも最善の目標だ。
 まるでどこぞのが言い出しそうな結論が出てしまい、小さくため息をつくマリナであった。

 そろそろ遊戯の始まる時刻となる。
 まずは何をおいても目的地を決めなくてはならない。
 カプーチュの街は川によって周囲をぐるりと囲まれているとはいえ、その広さは相当のものがある。

 街の中央に近づくにつれ生活水準は上がる傾向があり、自然とその中に貴族の邸宅や住宅地、商店街などの人口密度が高い施設が軒を連ねている。
 そしてそれらを囲うようにある一方は歓楽街が、またある一方はスラムや闇市がのさばる貧民窟が存在する。
 街外れには打ち捨てられた廃墟の並びがあり、その中に貧しい孤児院がぽつんと辛うじて息をしている。
 また川沿いには旧時代の遺跡があるが、すでに内部はもぬけの殻となっていて滅多に人が寄り付かない。

(……先の結論に当て嵌めると)

 伯爵は夜早い時間帯に少しだけ活動し、一夜分の血を吸ってさっさと居城へ戻ってしまうという。
 であれば空振りになる可能性が高い廃墟や遺跡なんかには寄り付かないはずだ。
 逆に、夜が更けていようがお構いなしに人間が集まる歓楽街や各々のねぐらである住宅街といった場所を選ぶ可能性が高い。
 マリナが伯爵の立場であったとしたら、まず間違いなくそうする。

「……、」

 だのに、マリナはそうはしなかった。
 蝙蝠の姿となって屋敷から跳び出し、まるで羽虫のように光を求め、滑るように街を飛行する。
 やがて目的の場所へたどり着いたマリナの前には、派手な怪鳥の仮面を被った人物が立っていた。

「偶然か、必然か……。どちらであっても、面白い邂逅だ。なぁ、マリナ」

「……伯爵」

 マリナが求めた姿ははたしてそこに在った。
 すべての元凶たる吸血鬼にして、遊戯の相手である伯爵。
 あの日と変わらず酔狂な衣装を好んで身に着けているようだが、しかしその過剰なまでの被り物でも内に潜む威圧感は抑えきれていない。
 否、わずかに漏れ出る伯爵の声が、呼気が、存在感が、マリナの心を縮こまらせているのだ。

「まだそんな見窄みすぼらしい格好をしてるのか。よほど冒険者に執着があるようだ。……だが、よく聞け」

 怪鳥の羽を揺らしながら、しかしその鋭い眼光はまっすぐにマリナを見据えている。
 すでにそれだけでマリナの脳内から伯爵から聞き出そうと目論んでいた考えは全て消失していた。

 しかし、この場においてはあの夜のように狩る者と狩られる者の立場ではない。
 伯爵とそれに対するお嬢様として、遊戯の相手として、マリナはここにいる。
 その場から逃げ出したい気持ちをぐっとこらえ、マリナは奥歯を噛み締めて立ちはだかった。

「貴方は戻れない。貴方は私には勝てない。貴方は永遠に化け物なのだ」

「……黙れ!」

「無駄な努力だと思うが、精々足掻く事だな」

 余裕の笑みをこぼしながら、怪鳥の仮面は多量の蝙蝠となって闇夜に溶けるように消え去った。
 伯爵の存在感の一切がなくなった事を確認すると、マリナはそっと近くの塀にもたれ掛かった。
 すでに脚は震え、立っているのもやっとというところだ。

(大丈夫……、あたしは負けない……目的は、果たしているのだから……!)

 ここまで精神的なダメージを受けるとは考えていなかったが、それでもマリナはやり遂げた。
 遊戯の始まる前夜、ジャックから受けたアドバイスの中にひとつだけ看過できないものがあった。
 すなわちお嬢様自身による直接的な吸血の妨害である。

 それは一夜に動き回れる時間の多いお嬢様側でなければ意味はなく、かつ伯爵側からすれば最も不快な行動であった。
 理想論で言えば、毎夜毎夜の伯爵の動きさえ把握し、妨害できれば少なくとも負けはない。
 何しろあちらは眷属をゼロより大きくできず、こちらは一人も眷属化できなくても引き分けには持ち込める。

 遊戯に際して、マリナは十分に策を練った。
 それでも全ては机上の空論、確実性に欠けるものに己の運命を賭けられるほどマリナは愚かではない。
 多少心が揺さぶられようと、自身の策が信頼するに値する事を自らの行動で証明しなくてはならなかったのだ。

 だからこそ最初の夜、こうして伯爵の向かう先を予測して見事出会えたのだから、まったく無駄な一手ではない。
 この遊戯、無策にただひたすら眷属化を進めていくならばお嬢様はかなりの確率で敗北する。
 だが相手の動きを予測してあらかじめ罠を張るなど対策を立てていれば、そしてそれらが一度でも成功すれば、お嬢様は途端に優位に立つ。
 伯爵の一手遅れは致命的ではないものの、二手遅れに繋がってしまえば敗北が見えるのだから。

(くそ、……なんで。どうして……脚が、動かない……!)

 今はこうしてへたり込んでいる時間も惜しい。
 伯爵の動きを先回りできたのなら、自分の練った策を信じて少しでも有利になれるよう立ち回る必要がある。
 だのに、下唇を噛み締めて震える脚を叩いても、一向にその脚は言う事をきかなかった。
 遊戯の最中であれば危害を加えられる事はないと分かっていてもこの様だ。

(……こんな時、)

 マリナの脳裏には鹿の姿が映っていた。
 あの男なら、こんな時でも身も心もボロボロになっても這いつくばって動き出すはずだ。
 馬鹿だから理屈が通じないというのもあるだろうが、きっとあの男はこう言うのだろう。

『よく分かんねえけど、今じゃねえとダメなんだろ!? ほら行くぞ!』

 まるで曇りない眼で未来を見据え、希望を目指して進んでいくのだろう。
 他人の苦労も知らないで、しかしそうと分かれば全力で助けて、不器用ながらもそうやって前に進むのだ。
 あの馬鹿は、そんな存在だ。

「……こんなところで立ち止まって。どっちが馬鹿なんだか」

 気が付けば脚の震えは止まっていた。
 朝陽が昇ろうと動けまいと思っていた脚が動き、小さな一歩を踏み出せた。

(大丈夫。まだ、前に進める)

 あとは体力との勝負だ。
 夜が続く限り周辺を駆け回り飛び回り、獲物を探し出さなくてはならない。

 しかし事がそう何度もうまくいくとは限らず、結局一日目の夜は眷属となり得るターゲットは見つけられずに終わった。
 まるで戦果なしというわけではないもののやはり眷属を増やせないというのは致命的だ。
 夜通し動き回ったせいか、マリナの足取りも心も沈み気味のまま屋敷へと戻ったのだった。
 屋敷に戻ると、いつも通りに執事のジャックが恭しい礼をもって出迎える。

「お嬢様、おかえりなさいませ。……どうかなされたのですか?」

「は?」

「いえ、その……どこか、機嫌が悪いような……」

 怯えを見抜かれたかと思い、マリナは一瞬強張ったが、すぐに小さくため息を吐いた。

「……出向いた先で伯爵に会ったわ。まったく、伯爵の仮面を思い出すとムカつくわ」

「しかし、伯爵様に会ったという事は伯爵さまの吸血活動を邪魔できた……という事ですよ、お嬢様。対戦相手を妨害する事も勝利への近道です。ここは感情を抑え……」

「――そんなの!」

 かっとなって叫んで、マリナは唐突に冷静さを取り戻した。
 ジャックの言い分は正しい。
 だが、そこにはマリナが負うべき精神的な痛みは一切考慮されていなかった。

「……分かっているわよ、ジャック。勝つため、でしょ」

 当然だ。
 彼はお嬢様でもなければ伯爵に殺されてもいない。
 マリナの痛みはマリナにしか分からない。
 分かってはいても、ふとした拍子に叫び出したくなるくらい心が弱っているのだろうか。

「眉間に皴が寄ってしまっています。お嬢様、もう少し……」

「力を抜いて笑って見せろとでも言うの?」

 ヒトを殺さなければ生きられなかったような、こんな女に対して笑顔をつくれというのか。
 無論、ジャックに対してマリナの過去は一切話していないし、話すつもりもない。
 だからこそ彼は『普通の女性』に接するように話しかけてくるのだろう。

「――それは。確かに現状では無理でございましょう。しかし、私は……」

 まだ何かを言わんとしたジャックの口を、マリナは一瞥して封じ込めた。
 いや、彼自身が飲み込んだのか?
 ともかく、屋敷には一瞬の静寂が取り戻された。

「遊戯はまだ始まったばかりです、お嬢様。まずは少しずつ眷属を増やしていくべきだと思います」

「そうね」

 やや生返事気味になったのは意図しての事ではなかった。
 さすがに目視で外を見るわけにはいかないが、彼女の体内時計はそろそろ夜明けだと警鐘を鳴らしている。
 それに精神こころと身体の疲労が加わり、重くなっていくまぶたが思考を邪魔している。

「寝るわ」

「……お嬢様、おやすみなさいませ」

 ジャックの声を背にマリナは不本意ながらも自室へと歩んでいく。
 非常に気に入らないが、やはりあの棺桶の中ではないと寝なくてはならないのだろう。
 憂鬱な気持ちになりながらも眠気には抗えず、マリナは何度目かになる棺桶での就寝を体験するのであった。



 マリナの練った妨害策の有用性は示された。
 しかし、相手も知性ある吸血鬼である。
 ただひとつの策が嵌り続けるなどありえない。

 そもそも妨害するにあたっての目的地選びそのものが勘によって決められているのであれば、外れる可能性のほうが高い。
 事実、二夜目にしてさっそく居場所を外してしまった。

(……焦ってはいけない。まだ負けたわけじゃない)

 ただ一手誤れば覆されるような策ならば、それはそもそも策足り得ない。
 そのために目標を決めておいたのだから。
 つまり、盤面を有利に進められるような力をもつ人間を選び、伯爵より先に眷属化する事だ。

 重要なのはマリナが狙うその人物が伯爵にとって有利に働く力を持っておらず、おそらくは手に入れ難い獲物であるという点だ。
 伯爵とお嬢様の間に存在する有利不利を埋めるための、そんな力。
 遊戯のルールを聞いた時から、そういった人物が存在する事は容易に想像できた。

 すなわち、をもった人間がターゲットの中に存在するはずだ。

 有利不利を覆すにはマリナが伯爵と同じ条件、すなわち一度の吸血で眷属化できるように呪いを強化する、あるいは伯爵がお嬢様と同じ条件まで落ちる事が挙げられるが、そこまで吸血鬼の力を増減させられる存在が容易に存在するとは思えない。
 しかし、追跡術式であれば一端の魔術師でもどうにか使える程度の術式のはずだし、何より伯爵の吸血妨害がルールの中である以上、可能性は否定できない。
 その人物さえ引き込めれば、おそらく以降の伯爵の動きは大幅に制限できる。

 もとより特殊な力を持つ者が集まりやすい場所と言うのは示唆されている。
 マリナが狙ったのはまさにそこだ。

 目的の場所に降り立ったマリナは人気を探してしばらく歩き回った。
 そしてようやく見つけた第一発見者がターゲットリストに記載のあった人物と合致した。

 ついに訪れたこの瞬間に、マリナは柄にもなく息を呑む。
 この時ばかりは冷徹な暗殺者の覚悟でいるつもりであったが、愚かしくも脚が言う事をきかない。
 もたもたしていてはいずれ相手に気づかれ、そうなれば逃げられる事は明白だ。
 幸いにも辺りは暗く、暗殺者の本領を発揮する舞台は整っており、さらに吸血鬼となった事で身体能力も向上している。

 逃げられるはずがない。
 そう、この脚さえ動けば相手が何者であろうと逃がさない自信はあるのだ。

(……どうして動かない!)

 マリナの両脚はまるで石化したかのように固まってしまっている。
 それどころか小刻みに震えて、ともすればそのまま座り込みかねない。

 何が覚悟したつもりだ。
 獲物を前に躊躇するような雑魚のどこが暗殺者だ。
 ここであの獲物を逃がしてしまうような事になれば、もっと悪い未来にしか辿り着かないと分かっているくせに。

 そうこうしている内に、やはりというか当然というか、『獲物』がマリナの存在に気が付いた。

(終わった――!)

 マリナは思わず目を伏せた。
 ここであの『獲物』がどんな行動に出ようとも、マリナには成す術がない。
 その場に留まったとしても気づかれた上での吸血には自信がなく、逃げるのならばその背を追う事はできない。
 なぜなら、逃げ惑う人間を背後から襲い掛かって血を吸うなんて蛮行をマリナが取れるはずがないのだから。

「――、――――――」

 しかし、マリナの予想は全てを外していた。
 『獲物』はまるでマリナが訪れる事を予知していたかのように振舞い、自らその首筋を差し出したのだ。
 今度は別の意味で震えが止まらない。
 かの『獲物』は魔術に疎いマリナですらそう感じ取れるほどに、自身が探し求めた力をもつターゲットに違いないという確信があった。

 肉は切られ、味を調えられ、よく火が通された。
 皿に盛りつけられ、ナイフとフォークはぴかぴかに磨かれている。
 椅子が引かれ、座ったその膝にはテーブルナプキンが広げられている。
 それでもまだ食えないなどと宣おうものならマリナが良く知る馬鹿以上の馬鹿だ。

「――、ッ!」

 意を決したマリナは『獲物』の首筋に生えてきたばかりの牙を突き立てた。
 ぞるっ、と気味が悪いほど滑らかに牙が肌を食い破り、そこから熱い血液が溢れてくる。
 血液が舌に触れる。

(っ、うあ――!!)

 ダメだ。
 あってはならない。

(なんで、こんな――!!)

 例えるならそう。
 かんかんに照り付ける太陽の下、砂漠を練り歩いた末に見つけたオアシス。

――!!)

 そうであるのが自然だと錯覚するほどに。
 人間の血液はマリナの舌によくなじみ、気が付けば喉を鳴らして何口かの血液を飲んでいた。

「――っはぁ」

 慌てて口を放したが、目の前の『獲物』はぐったりとしてはいたが意識は保っていた様子で、しきりに『気にするな』と首を横に振るばかりだった。
 首が揺れるたびに目に入る傷口と、そこから流れる赤い液体がじりじりと理性を炙る。

 ダメだ。
 このままでは殺すまで吸ってしまう。

 マリナは急いで『獲物』を突き放すと、そのまま屋敷に向かって走りだした。
 しかしそれも長くは続かず、わずかもせず体内に異変を感じて立ち止まる。

「うっ、ぐ……! おえぇっっっ!!」

 堪えきれず、マリナは血液混じりの胃液をぶちまけた。
 まるで細い針で何度も何度も刺されているかのように腹部がきりきりと痛む。

 深く考える必要もない。
 あれほど忌避していた吸血行為を、あろう事か途中から止められなくなるほどにのめり込んでしまったのだ。
 化け物でありたくないと思っていても、自身がそうであるとまざまざと見せつけられてしまえば過度のストレスが襲い掛かるのは明白である。

「でも……これでいい……あたしが吐いても、眷属にはできる……」

 吐いてしまってもいい。
 どれだけ取り繕ってもマリナはお嬢様、要は襲う側の立場だ。
 そこに快楽を感じるなどあってはならない。

「あたしは……化け物にはならない……!」

 まだまだこみ上げてくる吐き気を抑えようともせず、マリナはひたすら胃の中のものを追い出し続けた。
 やがて胃の中が空になると、力なく蝙蝠と化して屋敷へと戻った。
 まだ夜は明けない時間帯だったが、精神的な疲労がひどく、ジャックとのやり取りもそこそこに早々に棺桶に横になった。

 吸血が原因かどうかはさておくとして、この夜、悪夢を見た。
 初めて血を飲んだ時の夢。
 マリナが本当の意味で化け物となった時の夢。

 遊戯が始まる少し前、お嬢様の屋敷で迎えた何度目かの夜の出来事だった。
 目の前のグラスに満たされた赤い液体が甘い香りでマリナを誘惑してくる。
 昔は嫌悪しか抱かなかったはずのにおいが、今では麻薬のように彼女を蝕む。
 マリナが化け物なのだという事実を訴えかけてくる。

『……嫌になるわ』

『お嬢様、お飲みにならないとお体がもちません。どうか、私のためと思って』

 いくらジャックが献身的に尽くそうとも、やはりマリナの内にある恐怖の炎は熱を失っていない。
 感情が迸るままにグラスの中身をそこらに放り捨てて、空のグラスをジャックに押し付ける。

『……紅茶を持ってきて』

 顔も見ずにそれだけ伝えても、ジャックは素直に「……かしこまりました」と応えて部屋を出た。
 それにしても普段冷静なマリナが感情に任せて動いてしまったのは失敗だったと言わざるを得ない。
 グラスの中身を投げ捨てたせいで血のにおいが部屋中に広まってしまった。
 甘い香りで頭がクラクラする。

 紅茶なんかよりも先に片づけてもらうべきだった。
 今の身体では紅茶なんて泥水の味にしか感じないのだから。

『……紅茶の用意ができました。どうぞ、お熱いのでお気を付けください』

 ややあって戻ってきたジャックは繊細な装飾のティーカップに紅い液体を注いだ。
 今日の茶葉はアールグレイだと言うが、正直マリナの舌では――たとえ人間の舌であったとしても――茶葉の違いなんてよく分からない。

『お嬢様、ティーロワイヤルをご存知ですか? 角砂糖にブランデーを染みこませ……』

『……どうだっていいわ』

 何かと気を使ってくれているのだろう、というのは分かる。
 分かるだけに、どうか放っておいてほしいという気持ちにも気づいてほしかった。
 そんな事を考えつつ、部屋から立ち上る甘い血のにおいから逃げるように紅茶に口を付ける。

(……美味しい)

 紅茶が。

……!?)

 泥水の味じゃ、ない。
 ならば、これは、一体。

『……誠に僭越ながら』

 眼を丸くしたままのマリナに対し、ジャックはあくまで静かな声で続ける。

『この紅茶には角砂糖を溶かしておきました。……血を染みこませた角砂糖を』

 繊細な装飾を弾き飛ばしながらティーカップは粉々に砕け散った。
 無意識のうちに腕から力が抜け、床に叩きつけられたのだ。
 撒き散らされた熱い紅茶が脚を焼いてもマリナはそれどころではなかった。

 気が付かなかった。
 血のにおいがすでに充満していたから。
 紅茶の異変に気付かなかった。

(気付かなかった――!!)

『……っ! お許しください、お嬢様……! お許しを――!!』

 ジャックの行動は真にマリナを慮っての事だった。
 それはマリナも理解している。
 それでも、彼を許し切れてはいなかった。


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『銀斧のジハード』(3/3) 

 一行はいったん台所へ戻り、使用人が用いていた勝手口を通って二階へ続く階段を上った。
 二階はほとんどが領主のための部屋であり、そのためか一切人の気配がない。
 悪徳領主にはもったいないくらいの立派な謁見場の片隅に、領主の私室へ続く扉があり、さすがにそこには鍵がかかっていた。
 しかしスコットの腕の前には単純な錠前は意味を成さない。

 限りなく音を立てずに扉を開けたスコットは領主の私室に入り、クロスボウを構えて視線の先を警戒する。
 が、そこにはダークエルフはおろか領主の姿もない。
 やたらと豪奢な家具が揃っているが、本棚やデスクの周辺は書物と羊皮紙の束で雑然としていた。

「三流魔術書や儀式教本がいっぱいですの。ほかにも聖北教会関係の書物も……?」

「しかし、ここにもいないとなると領主は外出中なのか?」

「それはないですの」

 そう言ってクロエが示したのは領主の予定表だった。
 もちろん公儀のものでなく、魔術儀式に用いられる生贄ドワーフの予定である。
 名前などは管理されていないようだが、日を経るごとに物凄いペースで減っていくドワーフの残数が末恐ろしい。
 記録によればつい数刻前に今日の儀式が執り行われたらしく、それから外出したとはとても考えられなかった。

「むぅ、何となくここが怪しいんじゃが……」

「わたくしもおなじ意見ですの。これまでの部屋には『儀式場』にふさわしい魔術記号もついぞみあたりませんでしたの。どこかに別の部屋が用意されているとかんがえるのが自然ですの」

「隠し扉ならほれ、もう見つけとるわい」

 スコットの指した先は壁そのもののように見えたが、角度によっては見えなくなるほどの細い亀裂が壁に走っており、確かに壁と同化するように一枚板が添えつけてある。
 それを剥がしてみたところ、はたしてそこには扉が存在していた。

「いよいよじゃのう。覚悟は良いかッ!」

「できてるよ……行こう!」

 隠し扉がスコットの手によって開かれる。
 部屋の中はむせ返るような湿度と吐き気を催す悪臭に満ちていた。
 血の臭い、腐肉の臭い、死の臭い。
 エリックたちは直ちにこの場を飛び出したくなる衝動を辛うじて抑えながら前に進む。

 部屋には何人かの騎士たちと共に例のダークエルフ、そして領主であろう、ひと際豪奢な衣服を身に着けた男がこちらに背を向けて立っている。
 オロフが武器を抜き放つと、彼らは一斉にこちらを振り返った。
 とりわけ領主らしき若い男は驚きで顔を蒼白にさせた。

「な、なんだ、貴様らッ! ここをどこだと思っておる……い、いやその前になぜここにおるのだ!」

「貴様らは……あの洞窟にいた冒険者と、逃げ出したドワーフか」

 領主に対してダークエルフは冷静だった。
 その様子を見てクロエは確信する。
 ダークエルフはチーニの妖精窟で戦った時よりも確実に力を増している、と。

「神聖な祈りの儀式を邪魔立てしおって……殺せッ! そいつらを殺してしまえ!!」

 領主の号令に騎士たちが得物を手に冒険者たちに襲い掛かろうとする。
 しかしダークエルフがそれを制し、前に踏み出した。

「――復讐といわけか。醜きドワーフよ」

「言え……ワシの仲間をどうしたッ!」

「仲間だと? ククク、あのドワーフどもなら我が守護天使への生贄として利用させてもらったぞ!」

 答えたのはダークエルフでなく領主であった。

「皆、天にも届かんばかりの声を上げて死んでいってくれたわ。我が守護天使は血の臭いがお好きでな……ワシにも力を授けてくださったッ! 聖北の坊主どもは間違っておる。我が心の師ガイウスこそが正しき道を説いておられたのだ!」

「守護天使ですって? あなたが崇めているのは単なる悪魔じゃないですか」

「ククク、お前らは悪魔だ天使だと区別するが……忘れるな、神がこの世の全てをお創りになったのだ。偉大なる神がお前らが悪魔と呼ぶ我が守護天使にも力を与えたのだぞ? 神が存在をお認めなのだ! それを崇めて何が悪いッ、ワシらを異端などと呼んで迫害しおってッ!!」

「……そもそもが間違っているんですよ。ガイウス派の教義はきちんと学びましたか? ガイウス派は天使も悪魔も共に神の被造物であり、前者は人に救いを与え、後者は人に試練を与える……だから人は両者の存在を常に意識し、双方の主張に耳を傾けよと説いたのです。別に天使=悪魔だから悪魔を敬え、彼らの求めに応じよなどとは言っていません」

 レティシアは生粋の聖北教徒であるが、異端については幼い頃から学び、それを排除する術を身に修めていた。
 かといって異端はすべて処刑するというのもナンセンスだと彼女は考えている。
 ガイウス派に限らず、もともとは同じ聖北の信徒が道を誤る悲劇は二度と起こしてはならず、逆に糧にしなければならないのだ。

「私はガイウス派の教義はやはり間違いだと思いますが……あなたのそれよりはずっとまともだと思いますね。ガイウス派が異端とされたのは悪魔の存在に肯定的な意味を与え、それを天使と同列に扱った事が理由なのです」

「まったく、不勉強ですの。学問とは文字をただ追えばいいというものではありませんの。まぁ、おおかたそこのダークエルフにまちがったことを吹きこまれたのでしょうけど」

「……、」

 ダークエルフは何も言わない。
 冒険者に対して否定する事も、領主に対して弁明する事もしない。
 それが領主の心情を炙ったのか、彼は慌てて「戯言を……」とうめいた。

「き、貴様ら、冒険者の分際でワシが間違っておるというのか? 身の程をわきまえよ……!」

 領主が怒りからそう喚いた時だった。
 オロフが斧を大きく一振りすると、身を低く屈めて構えた。

「ワシには小難しい事は分からんが、ひとつだけはっきりしとる事がある」

「何ィ……?」

「それはなッ、たとえ神の意志であれ何であれ、ワシの仲間を奪った貴様らだけは絶対に許さんという事じゃッ!!」

 オロフの叫びが部屋に木霊した瞬間、エリックたちも散開し、それぞれに得物を構えた。
 騎士たちも同じくそれぞれに向けて槍を構え、ダークエルフは身を低く屈める。

「くくっ、所詮醜いドワーフなどにはワシの崇高なる信仰はわからんッ! お前ら、殺せ……ヤツらも殺して我が守護天使に捧げるのだ!!」

 領主の言葉を合図に、騎士たちが一斉に襲い掛かってきた。
 前衛のエリック、ガイア、オロフはそれぞれ自らの得物で初撃を捌き、更には二撃目で押し返す。
 以前、チーニの妖精窟で戦った時とは違う。
 広い室内で十全に動けるのだとしたら、ショートスピアで壁を作るほどの密度のない騎士に後れを取る事は決してない。

「――ひとつ聞かせろ! なぜ、なぜワシらの『穴』を襲った? 目的は何だったのじゃ?」

「ククク、単なる訓練だ! いずれ我が騎士団は隣国に進行する……そのための訓練よ!」

「人間相手に訓練をすると何かとうるさいのでな。その点、ドワーフならば教会も諸侯もたいして気にはしないだろう?」

「なん……じゃとッ!」

「ククク、妖精窟を襲った時、貴様らドワーフをもう少し生かしておいても良かったなァ! そうすればワシももっと力を手に出来たのになッ! フハハハハハハッ!」

「貴様ァッ……!」

 オロフの斧がうねりを上げて領主に襲い掛かる。
 が、それが届く前にガイアの刀がオロフの斧を弾いた。
 オロフははっと我に返り、領主から離れて構え直す。

「冷静になれとは言わん。だが怒りに身を任せる事が無念を晴らす術ではないと知っているはずだ」

「……分かっておるッ!」

「あぶねえオロフ! ――変ッ! 身ッ!」 

 エリックは【不撓の魔鎧】を身に纏う。
 光の奔流により、死角から打ち込まれた火球を弾き飛ばした。
 呪文の詠唱もなしに放たれた攻撃にそちらを見れば、燃え盛る炎の身体を持つサラマンダーが現れていた。

「――精霊!」

 チーニの妖精窟では用いられなかった精霊術。
 その真価は術者と切り離されても単体で意志を持って動ける独立性にある。
 そして半実体のその身体は単なる武器や魔法の攻撃を受け付けず、特殊な手段でなければ排除できない。

 領主もダークエルフもずっと後方だ。
 まずは精霊の攻撃を潜り抜けて邪魔な騎士たちから片づけなければならない。
 練度は低いとはいえ重装備に加えて数が多いとやはり厄介だ。
 だがあまり手間をかけていては後方から魔術による支援があるだろう。

「《貫き徹す光の鏃》……、《輝きを纏い》……」

 見れば、後方で悠々と領主が呪文の詠唱を進めている。
 まだ呪文がたどたどしい様子だが、それでもあれは【魔法の矢】だ。
 放たれれば誰かが傷を負う。

「《疾走はしれ風よ、悠久の旅人よ。奔放なる本性を現し、四方八方へと駆け抜けろ》……《吹きすさべ》!」

 魔術に対する熟練度ではクロエは決して劣る事はない。
 領主の詠唱が結ばれる前に自身の魔力を練り上げ、詠唱を完結させていた。
 部屋の中央がぐにゃりと空間が歪む錯覚を覚えるほどに魔力がうねり、直後に炸裂した。

 轟、と膨大な風が衝撃波となって部屋中を薙ぎ払った。
 【弾ける大気】と呼ばれるそれは圧縮した空気を炸裂させる事で空間ごと吹き飛ばす大雑把ながらも攪乱に向く魔術だ。
 単なる暴風を生み出す術式といえばそれまでだが、場の状況をリセットするにはもってこいである。

「いまですの!」

「やるならやるって言ってくれよ! あーびっくりした!」

「うっさいですの! たすけたんだから文句いわない!」

 ともあれ、確かに相手の虚を突いた事は間違いない。
 混乱している内に、騎士の持つショートスピアに【雷破】を打ち込んで感電させる。
 驚き得物を取り落とした隙に壁まで蹴り飛ばした。

「うおおッ!!」

 横合いから別の騎士がエリックを貫かんとショートスピアを突き出してくる。

「――んッ!?」

 が、その騎士の動きがびくりと止まった。
 よろよろとふらつく騎士の背後には影のように張りつくマリナの姿があった。
 彼女の両腕を肘まで覆う黒の手袋には鋼線が仕込まれており、それらを伸ばして騎士の首を絞めている。

「このッ!」

「ふっ――!」

 中衛の騎士がマリナの背後を取ろうとするも、それより速く騎士の両肩を掴んで跳び上がる事で回避する。
 着地するなりすかさず後ろ回し蹴りで首を絞めていた騎士を蹴り、中衛の騎士が構えていたショートスピアに突き刺した。

「ぐああッ!」

 しなやかな体捌きと軽やかなステップからの暗殺術は彼女の得意とするところだ。
 彼女の技術はたとえ乱戦の中でも対象を殺せるほどに昇華しつつある。

「エリック、騎士は放っておいてあんたはあのダークエルフを」

「お、おお!」

 背中を押され、エリックは騎士の合間を縫ってダークエルフと相対する。
 騎士たちがそれに反応した瞬間、ガイアもまた領主へと歩を進めた。
 さすがにそちらにはすぐそばに護衛がいたが、たった一閃で斬り伏せられて沈黙した。

「う、うう……騎士たちよ、護れ! ワシを護れッ!」

「てめえはそこで大人しくしていろ……」

 必死に助けを乞う領主に対し、ガイアは静かに彼を睨めつけた。
 こうなってしまっては領主はもはや一歩も動けない。
 ガイアに寄り付く騎士は常に後の先を取られ、一撃で葬られる運命にあるのだから。

「ちッ……私を護りもしないとはいい根性だ」

 舌を打ち、ダークエルフは新たな呪文の詠唱を始めた。
 聞きなれない言葉が彼の口から紡がれる。

「これは……? ……リーダー! なにかやばいですの!」

 クロエが叫ぶ。
 彼女が解析できない言語での膨大な魔力を用いた未知の術式。
 それが何なのかの正体が掴めず、彼女は取り乱していた。

「任せろ!」

 エリックはすぐに距離を詰めようとするが、

「……って、なんだこれ!?」

 彼の周囲に黒い靄のような何かが漂い出した。
 いくら払ってももがいても、へばりつくような漆黒の闇。
 ぎょろ、と闇の中に瞳が蠢き、エリックはそれと目を合わせてしまった。

「うッ……あああぁぁぁぁぁ!?」

 ずぶずぶと闇から黒が融け出し、ついには完全な闇がエリックを包み込んだ。
 ダークエルフが従える精霊はサラマンダーだけに留まらない。
 闇に溶け、闇を操るのは闇の精霊であるシェイドの十八番だ。

「あれは、――シェイド!?」

「ちっ、エリックは放っておきなさい。シェイドがああやって獲物を捕らえている間は何しても無駄よ!」

 あの闇の中ではエリック自身はほぼ無防備だろうが、あちらも手出しができない。
 獲物の心を弄るのはシェイドの愉悦であり、それを邪魔すれば精霊の機嫌を損ねる事になるからだ。

「……ちょっとは持ちこたえなさいよ。馬鹿ヒーロー」



「なんだってんだ……これ……!?」

 手を伸ばしても自らの指先すらも闇に溶ける。
 たった今まで戦いの場にいたというのにその喧噪すら闇の向こうから聞こえてくる事はなく、いくら声を出しても誰にも届いている感じはしない。
 そこから抜けようと走り出すが、いくら走っても壁にすら辿り着かない。
 まるで空間だけ別次元に切り取られたような感覚だった。

「くそっ!」

 知識を持ち合わせていないエリックには対処法が分からない。
 何が起こるかも分からない闇の中で、来るのかすら定かではない闇の終わりを待つしかないのか。

「ッ……!」

 ぞくり、とエリックの背筋に冷たいものが走った。
 ここから一生出られないのではないか。
 そんな予感が脳裏に過ぎり、無意識に身体が震える。

「こんな事してる場合じゃねえんだ……!」

 学のないエリックには知る術はないが、音も光もない空間に放り込まれた人間は恐るべき早さで精神が削られていくという。
 心が弱い者なら発狂するのにそう時間は要さない。

「ん……!?」

 気が付けば、変身を解除した覚えはないのにその身に纏っていた【不撓の魔鎧】が消失していた。
 混乱する頭が落ち着きを取り戻さないまま、エリックは足元の『それ』を見た。
 自らの脚を掴む、青白い手を。

「うわあっ!? な、何い――!?」

 いったいいつの間に現れたのか、エリックは何人もの地を這う人間に囲まれていた。
 誰も彼もが苦しげなうめき声を発しながら一人の例外もなく血に塗れている。
 この世のものとも思えない光景に、エリックは恐怖した。

 ぐるん、と。
 地を這う人間たちが一斉にエリックにその顔を向けた。

「――なッ、あ……ああっ……!?」

 エリックの心臓が跳ねあがる。
 彼らはどれもこれも見知った顔だった。
 イベロ村で戦った魔術師、『千羽の白鷺亭』のジェシカ、地方領主オーギュスト、その側近の魔術師、命がけで村を救わんとした依頼主の青年、そしてアルトゥル。
 これまでエリックたち『陽光を求める者たち』と戦い、あるいは友情を育み、あるいは依頼主として関わり、そして命を落とした者たちだった。

『なぜ……殺したぁ……』

『なぜ……助けてくれなかった……』

『俺たちは……死にたくなど……なかったのに……』

 彼らは口々に声を上げた。
 怨嗟の声が闇の中を満たしていく。
 恐怖で歯の根が噛み合わず、エリックはただ荒い呼吸を繰り返すばかりだった。

「……違う、違うんだ……、おれも……おれだって助けたかったんだ……!」

 すでに彼の両足には幾人もの死者がまとわりつき、一歩も動けなくなっている。
 彼はただ目と耳を閉じて、ひたすらに彼らへ弁明を続けるしかなかった。

『おまえがもっと早く……駆けつけていれば……』

『おまえが仲間を止めていれば……』

『おまえが俺の前に現れなければ……』

『私たちは……死なずに済んだ……』

『おまえが……殺した……』

「ち、がう……!」

『おまえが……殺した……』

「ちがう……!」

『おまえが……殺した……』

「もう、……」

『おまえが……』

「やめてくれ……!」

 いくら能天気なエリックでもその心の底ではずっと悔やんでいた。
 これまでエリック自身が手にかけ、命を奪った相手は一人だっていやしない。
 仲間たちだって、無駄に命を弄んだりした事はない。
 仕事のため、自分たちの命のため、誰かを守るため、必要に応じて命のやり取りをしてきたはずだ。

 だのに、エリックはそれらすべてを悔やみ、悲しんでいた。
 無残に切り捨てられた命だろうと、敵対した相手の命だろうと関係ない。
 命を奪う行為そのものが、エリックは酷く悲しい事だと感じていた。

「……本当は分かってたはずなんだ」

 エリックは独りごちる。

「おれに、正義の味方は無理なんだって……」

 エリックは静かに、耳を覆っていた両手を離した。
 そして固く閉じていた瞼を上げ、自らを呪う彼らに目を合わせる。

『おまえが殺した……お前が殺した……おまえが……』

「……ごめんな。おまえたちを救えなかったおれは……確かに殺したも同然だよな」

 目と耳を閉じて逃げていても彼らは納得しない、満足なんてするはずがない。
 向き合うしかないのだ。

「生憎とおれは馬鹿だからな。後悔しても仕方がない、なんて割り切れるはずもねえ。だから……」

 双眸から涙が溢れて止まらなかった。

「おれはひたすら前に進む。虐げられる人々を守って、その命を救うために走り続ける! だけど、おまえたちの事も決して忘れない! この魂に刻んで……いずれ再び、おまえたちと向き合うから……!」

 ふと気づけば、エリックの身体には何事もなかったかのように【不撓の魔鎧】が装着されていた。
 まるで潮の流れのように死者たちが退いていく。
 闇は相変わらず黒いままだが、それでもその勢いが弱まっている感覚を覚えた。

「どんな闇の中にあっても……おれはもう立ち止まらない!」

 ぐっ、と大地を踏みしめ、その両脚に最大の力を込める。
 【不撓の魔鎧】がじわりと熱を持つ。
 エリックの覚悟に呼応するかのように、金属部位が黄金の輝きを放ち始めた。

「おれは……闇をも照らす、陽の光になるんだ!!」

 エリックは文字通り、輝きを伴って闇の中から跳び上がった。
 驚くべき事だが、闇の中で流れた時間は傍から見ればわずかなものにすぎず、状況はさほど変わってはいなかった。
 しかしそんな状況も見えない彼は打倒すべき敵、ダークエルフの姿を認め、魂を激しく燃やす。

 ダークエルフに向けて伸ばされた彼の手が虚空を握る。
 否、彼は体内で練り上げた気を電気として操る術を持つ。
 それはダークエルフが身に着けている金属へと繋がった磁力、見えないロープを掴んでいた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 エリックはそれを思い切り引き寄せる。
 届かない手を届かせる。

「なッ――にィ!?」

 自身の身体が見えない力に引き寄せられ、ダークエルフは驚愕した。
 いくら踏ん張ろうともその身が無防備に前進するのを止められない。
 空中で蹴りの姿勢をつくるエリックに対し、逃げる事すらままならない。

「――でいやぁぁぁああああああああああああ!!!」

 エリックは吼え、更に強く互いを引き寄せる。
 ついには床から足が離れたダークエルフの腹に、エリックの渾身の蹴りが炸裂した。
 さながら落雷の如き【雷霆脚】ライトニングストライク

「ぐおおおあああああッ!!」

 ダークエルフはそのまま蹴り飛ばされ、調度品を薙ぎ倒して後方の壁へと激突する。
 キックと共に雷撃を撃ち込む【雷霆脚】をまともに受けたのだ。
 踏みとどまる事もできずに膝をついた。

「な、にッ……!!」

 炎が噴き上がるような音が連続した。
 それはダークエルフの身体から発せられている。
 エリックには見えなかったが、クロエには確かに彼の身体に爆発的な魔力の渦が吹き荒れている様が見えていた。

「行き場をうしなった魔力が……あばれていますの!」

 水瓶に穴が空けば水は流れ出る。
 貯められた水の量が多ければ多いほどその勢いは増すものだ。
 大勢のドワーフの命を贄として高められた魔力が備わっている今のダークエルフも同じだ。
 溢れんばかりの魔力で張りつめていたところに膨大な魔力の解放、そしてそれを掌握・制御する前に【雷霆脚】による大衝撃があれば、魔力の暴走が起こってもおかしくはなかった。

「う、ぐああああああああああああ――ッ!!」

 一頻り悶えた後、ダークエルフは吼えるように叫んだ。
 内側で暴れまわる魔力に耐えきれず、その身体は魔力を燃料として燃え上がり、ついには【火晶石】のように大爆発を起こした。
 誰が見ても一目瞭然な、彼の最期であった。

「な、な、な――!」

 しばらく誰もが呆気に取られていたが、その静寂を破ったのはがくがくと震える領主であった。

「なんという、事だ……! ダークエルフせんせいがッ、ワシの騎士たちがッ……たかが一介の冒険者風情に……!」

 半狂乱になって喚く領主にガイアが近づき、その喉元に『ブレーメル』を突きつけた。
 領主は「ひッ」と声を上げ、その場で縮みあがる。

「ブレーメルというドワーフを知っているか?」

「な、にッ……知らん! ワシは知らん!」

「俺も顔は知らない。だが彼の無念は俺にも分かる」

 ぐっ、と『ブレーメル』を握る手に力が籠もるのが遠目に見ても分かった。

「ガイア!」

 エリックが叫ぶ。
 それを横目で眺めたガイアは短く息を吐いて、改めて領主へ眼を向ける。

「忘れるな。俺たちはお前を殺せないんじゃない。。裁判の結果も関係ねえ。もしてめえが再び魔術に触れるなら、ブレーメルこいつはいつでもてめえの喉元を引き裂きに現れると知れ」

「あ……、あああ……!」

「……閣下、あなたにはペルージュの教会までご同行願います。よろしいですね?」

「わ、わかった……! わかった……!!」

 領主は震えながら何度も頷く。
 力が入らなくなったのか、そのまま突っ伏して震えるばかりだった。

「こんな……こんな男にワシの……仲間、が……」

 オロフは握りしめた斧を下ろし、首を振ると領主に背を向けた。
 殺す価値もないと思ったのだろうか。
 それとも協力してくれた『陽光を求める者たち』の今後を慮っての事か。

 後から駆けつけてきた騎士たちも自らの主君を人質に取られた事を知り、その場で武器を投げだして降伏した。
 エリックたちは彼らを縛り上げると、慎重に階段を下りていく。
 未だに傷が癒えず荒い呼吸を繰り返すビルイェルを地下牢から連れ出し、騎士たちが追いかけてこない事を厳重に確認しつつ、一行は城を出た。



 チーニの城を出た一行はペルージュまでのおよそ三日を踏破しなければならなかった。
 人質を伴っての旅は緊張の連続であり、常に周囲に気を配らなくてはならない。
 しかしガイアの脅しが十分に効いていたのか、チーニ領主は抵抗らしい抵抗も見せず、虚ろな瞳を地面に向けるばかりだった。

 彼らはいったんメーヌまで戻ると、一息入れてすぐそこを発った。
 村人にかかる迷惑を思えば長居どころか立ち寄る事すら避けたかったが、物資の不足は如何ともしがたい。
 そしてビルイェルとはここで別れ、再び教会の神父に彼の治療を依頼した。
 本人はついていくと言い張ったが、神父が断固としてそれに反対し、治療の必要性を説いたからだ。
 オロフで慣れていたのか、頑固なドワーフもついには折れた。

 一行はメーヌから更にペルージュへ向かった。
 道中は何事もなかったが、やはり人質の輸送は気を抜けない。
 たった二日が嘘のように長く感じられた。

 二日後、一行は疲れ果てた顔でペルージュに入った。
 疲れとストレスで誰も言葉を発さず、そのまま異端審問官シャンデルフェールが待つ教会へと向かう。

「よくぞやり遂げた」

 教会ではシャンデルフェールが一行の帰還を歓迎してくれた。
 彼は冒険者をねぎらい、そしてその勇気を称えた。
 しかしエリックたちは彼に領主の身柄を引き渡すと、さっさと宿に入ってそれきり三日間、一歩も外に出ようとはしなかった。
 メーヌでの妖魔退治以来、緊張の連続で身も心も疲れ果てていたのだ。

「……、」

 二週間後、冒険者にして聖北教徒であるレティシア・スペイサーを代表として起訴された領主チーニ侯ギョームは、衆人環視のもと、シャンデルフェールから教会関係者の手によって裁かれた。
 そこに集まった誰もが予想したとおり、彼に下されたのは『破門』の宣告である。

「……どうなんじゃッ」

「破門は聖北の徒にとって社会からの追放に等しい。社会におけるあらゆる身分や資格を剥奪されます。少なくとも形式上は」

「形式上、って……それじゃおれたちの苦労はなんだったんだよ」

「確かにそうした言葉だけの追放など意に介さない者も少なくはありません」

「――チーニ領主ギョームは、」

 横合いから口を出したのはマリナだった。

「城が穢れるとか言って女性を排除したり野良の子犬や子猫を【魔法の矢】で虐げたりしていたクソ野郎よ。気性は激しくプライドが高い。その無駄に高いプライドを傷つけられるのを何より憎む性格……というのが長年彼に仕えていた元使用人の所感ね」

「そう。自らを誇る事甚だしいギョームにとってはそれこそ死刑宣告に等しい精神的打撃を受けているのでしょうね」

「そして、――見なさい」

 マリナが指した先は、身分上ギョームと同じ地位に属する諸侯が座る席だった。
 彼らはこの判決に対して沈黙を守り、むしろ教会側の姿勢を支持するかのごとく振舞っていた。
 つまるところ、ギョームは同じ仲間として助けるには少々のだ。
 領土の統治に苦労する諸侯にとっては国内に棲むドワーフの態度も大きな不安材料だったのだろう。

「あいつにはもう、何もないわ。城も、騎士も、ダークエルフも、身分も、自身を保ってきたプライドだって粉々よ」

「……あいつにとってはある意味死よりも重い判決ってとこか」

 宗教裁判で侯爵の地位を事実上終われたギョームはその後、世俗裁判にもかけられた。
 この裁判でもギョームは冒険者エリック・ブレイバーの名で起訴されたが、その裏で動いたのはかの異端審問官だった。
 シャンデルフェールは『チーニの妖精窟』がペルージュの領内にほんの少しだけはみ出すような形で存在している事に目を付け、ギョームの妖精窟襲撃をペルージュへの領域侵犯としてチーニとペルージュ間の相互取り極めに違反する事を理由に起訴するよう、エリックに入れ知恵していたのである。

 世俗裁判はすでに後ろ盾を失っているギョームにとっては極めて不利に展開した。
 最終的に彼は侯爵位こそ奪われなかったものの、統治能力の欠如を理由に国王の名の下にチーニの統治権を失った。
 ギョームは自分自身以外の全てを失ったのだ。

 判決から三日後、『陽光を求める者たち』は長く留守にした『大いなる日輪亭』へ帰ろうとしていた。

「……帰ってしまうのか」

「もう、おれたちは必要なさそうだからな」

 オロフは見送りに来てくれたがこの二週間というもの、昼は裁判のために走り回り、夜は依頼の報酬を造るためほとんど寝ていなかった。
 眼の下の隈が尋常ではない。
 しかし、彼は仲間を失った悲しみをそうした多忙で打ち消すようにひたすら日々の仕事をこなしていた。

「これは報酬じゃ。受け取ってくれるな?」

 そう言って差し出されたのは見た事もない金属製の道具だった。
 土台に対して金属製の筒が丁字に添えつけられており、一見して何に使うのか分からない代物である。

「ちょっと、みせて。みせてくださいですの!」

 魔法の道具に興味津々のクロエはそれを受け取ると必死に観察しているが、やはり彼女にも分からないらしい。

「これは?」

「魔法の眼鏡じゃ。調査や戦闘でも役に立つ事があるじゃろう。オヌシら冒険者の役立つものをと思うてな」

「お、おおおーーーーー! これすごいですの! やばいですの!」

 片目で筒を覗いているクロエが興奮気味に叫んでいた。
 ワンオフの魔具という希少性に加え、調査・分析に使用できる道具はただでさえ貴重である。

「『銀斧』の異名は細工師としても戦士としても力量を認められた者に与えられるものじゃ。ワシの全てをこの一品に注ぎ込んだ……有効に使ってくれい」

「ああ、ありがとう!」

「ではこちらも。これをビルイェルに渡しておいてくれ」

 横合いからガイアが『ブレーメル』をオロフに差し出した。
 地下牢でビルイェルと交わした約束を果たすべく、彼はずっとその剣を大事に預かっていたのだった。

「『ブレーメル』は最も領主を震え上がらせた、最高の剣だ。……彼にはそう伝えておいてくれ」

「オヌシ……、あいわかった。確かに伝えよう」

 ゆっくりと頷いて、それきりガイアはそっぽを向いた。

「……でも、これからどうするんだ?」

「しばらくこの街に滞在した後、ビルイェルの快復を待って『チーニの妖精窟』に帰る。『穴』の復興はワシら二人の腕にかかっておろう、難しいじゃろうがどうしてもやり遂げるつもりじゃ……他所から移住者も募らなくてはならん。当面は忙しくなりそうじゃよ」

 しばらくは彼の目の下から隈は消えないのだろうな、とエリックは思った。

「いつか……ワシが『穴』を復興したら訪ねてきてくれるか? 人間の友人たちよ」

 オロフは別れ際にそう言った。
 『陽光を求める者たち』はそれぞれ彼の手を握り、その時は必ずオロフの妖精窟を訪ねると誓った。

 彼ならやり遂げられるだろう。
 誰もがそう思い、その日を思い描いた。
 そして同時に考えた。

 その日まで生き残らなくては、と。

 冒険者たちの寿命は一般に決して長くない。
 彼らは常に危険と隣り合わせに生き、差し出される死神の腕を振り払う事で日々の糧を得ているのだ。
 だから、まずは生き残らなくてはならない。
 それぞれにそんな思いを抱きながら、彼らは懐かしい我が家へと戻っていく。

 ――再び始まるであろう冒険までのほんのわずかな休息が、彼らの精神と身体を癒しますように。



【あとがき】
『陽光を求める者たち』、Lv5のシナリオはMartさんの「銀斧のジハード」です。
ドワーフと人間との争いをメインに据えて描かれているものの、およそ武器を振るい、血を流すだけが戦いではないと教えてくれるお話です。
やはり地位が上の人間と敵対するというのは大きなリスクとなるので、それにどうやって食らいつくのかを見つけ出し、実行に移せる力があるというのは冒険者の『強さ』だと思います。
そして頑固で偏屈で大酒飲みという一般的なイメージなドワーフたちのなんと魅力的な事か!
ツンデレおじいちゃん最高ですよ!

しかしオロフさん大好きなので、未だかつて連れ込んだ事は一度もなく……
だって、せっかく助けたんですよ!
あの責任感の強いオロフさんが『穴』を放っぽって冒険者やってるなんて想像もできない……誘っちゃいけない……!
って、毎回なってました。愛ゆえに。

さて、ここまでエリック率いる『陽光を求める者たち』は冒険を続けてきましたが、残るはソロのみとなりました。
が、エリックの成長という意味では今回のLv5がひとつの到着点になります。
ソロの主役はマリナですが、エリックはというとほとんどそのまま五月祭へと向かっていくのです。

実はLv1からずっと『人間の悪意』が最大の敵になるように、Lv2からは『悪意によって殺し殺される人間』が出るシナリオを選んできていました。
Lv3ではスコットが提起した『殺された人間の思いはどうなる』という問いにずっと悩まされるエリックでしたが、Lv4で味わった『か弱い存在の死とそれに憤るレティシアの正義』によってついに鼻っ柱を叩き折られてしまいました。
自身の掲げる正義に悩みを始める彼はただ盲目的に『正義』を謳う事で目を逸らし続けましたが、今回のLv5ではガイアの喝もあってようやく向き合う事が出来ました。
五月祭では新たな悩みが現れますが、それでも彼は乗り越えて行ってくれるのだろう、と信じています。

ちなみに今回はガイア回でありました。
ほとんどエリックに食われる形にはなっていますが、彼は彼のやりたい事を貫きとおしたので十分です。
もともと彼はエリックのように自らが光り輝く存在ではありません。
山賊の用心棒をしていた時代からずっと暗闇を歩んでいた彼は光を放つ術を持たないのです。
しかし光でも闇でも、何が降り注ごうと変わらずそこに在るのが大地です。
何があっても我を貫く強さを見せつけてくれる事を願います。

……キックからの爆発は様式美だって日曜の朝が教えてくれました。


☆今回の功労者☆
ガイア。エリックとは反対にクールに決めてくれました。

報酬:
なし

戦利品:
【オロフの指輪】
【潰石断】
【妖精の眼鏡】


≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『銀斧のジハード』(Mart様)

今回の使用カード
【荒ぶる魂】(『城塞都市キーレ』ブイヨンスウプ様)
【弾ける大気】(『追憶の書庫』のいん様)
【雷霆脚】(『アルタロ村(仮)』周摩)

今回使用させて頂いた固有名詞
『妖精の外套』(出典:『隠者の庵』 作者:Fuckin'S2002様)
『イベロ村の魔術師』(出典:『大猿岩』 作者:MNS様)
『『千羽の白鷺亭』のジェシカ』(出典:『蝙蝠屋敷』 作者:机庭球様)
『地方領主オーギュスト』(出典:『子供狩り』 作者:柚子様)
『その側近の魔術師』(出典:『子供狩り』 作者:柚子様)
『命がけで村を救わんとした依頼主の青年』(出典:『子供狩り』 作者:柚子様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。

『銀斧のジハード』(2/3) 

 レティシアによる治癒を済ませた『陽光を求める者たち』は、改めて教会へ戻った。
 傷は治っても殴り合いで汚れた衣服はそのままなため、怪訝な表情をされながらもエリックはオロフと相対する。

「どうしたんじゃ……何か忘れものか?」

「あぁ、そんなところだな。でっかい忘れ物を取りに戻ってきたんだ。そう、髭面の妖精をな……」

「……オヌシら、まさか!」

「どうせ一人で悪徳領主退治と洒落込むつもりだったんだろう。俺たちにも一枚噛ませろ」

 エリックがやたらとキザったらしく似合わない台詞を吐いたせいか、ガイアも横から声をかけた。

「ヌぅ……しかし、オヌシら……分かっておるのか? ワシが倒さんとしておるのは仮にも一国の領主じゃぞ。そんな事に手を貸せば――」

「そりゃあもう承知の上だぜ、考えがあるから問題ねぇ。ところで、わしらもプロじゃからの。善意からの人助けってのもカッケェが、やっぱそれなりの『報酬』がないと、なぁ……?」

「やれやれ、呆れたものじゃ。人間というのは『妖精』一人助けるのに見返りを求めるのか……」

 オロフは肩をすくめて首を振る。
 だが、間を置かずニヤリと口の端を上げた。

「……策があると言ったのう?」

 『陽光を求める者たち』は皆一様に頷いた。

「分かった……オヌシらを信じよう。依頼は『悪徳領主』と『黒妖精』の打倒、そして『連れ去られた者の救出』じゃ。報酬は依頼を終えた後、ワシが持てる技術を駆使して魔法の品を造ってやろう。それでよいか?」

「ちゃあんと価値のあるものを頼むぜぇ?」

「ドワーフを人間と一緒にするでない。ドワーフは一度交わした約束は必ず守る!」

「おっしゃ、契約成立だ! 早速これからの事を話し合おうじゃねぇか!」

 まずは、とマリナから行動の肝となる作戦が伝えられた。
 初めに異端者を討伐するのだという大義名分がなければろくに動けない。

「ふんッ、ドワーフの『穴』がひとつ塞がったぐらいでは理由にならんというわけかッ!」

「悲しい事にね。ともかく、委任状を手に入れるためにペルージュへ行くつもりよ」

「ペルージュ? なぜそんなところへ行く必要があるんじゃ」

「ややこしい話ですが、宗教上の境界と国家の境界は一致していないのです。チーニでの宗教上の問題はペルージュの教会の管轄です」

 そもそも司教座都市であるペルージュほどの街でなければ異端審問会は設置されていない。
 教会ならどこでもいいというわけではないのだ。
 しかし領主を打倒するためにチーニへ向かう必要がないのはある意味では幸運と言えるかもしれなかった。

「ともかく、ペルージュとかいう街に行けばいいんじゃな……?」

「悪いけど同行してもらうわよ。直接の被害者が立ち会ったほうが色々と有利になるから」

 無論じゃ、とオロフは鼻を鳴らした。

「当面の行動方針はそれでいいとして……ところで率直に聞くけれど。チーニ領主ってどんな奴なの?」

 『陽光を求める者たち』はあくまでメーヌ村には妖魔退治の仕事で赴いただけだ。
 さすがに用もないチーニの、それも領主の情報なんてたいして持っていない。

「ワシが知っておる限りではあやつは先代の領主の跡を継いだばかりじゃ。じゃから、どんなヤツかはよく知らん。ただ、黒妖精を使っておるところから見ると、オヌシらが推測するとおり異端の者なんじゃろうな……黒妖精は邪神や悪魔に魂を売った者たちじゃからな」

「戦力はどのくらいか分かる?」

「前にも言ったが、ヤツはド田舎の小領主にすぎん。その力も地方豪族と同程度……ワシの知っておる限りでは手下の騎士どもは二〇もおるまい」

 ただし、手下にダークエルフを従えているとなれば他にもバケモノを飼っている可能性がないとは言い切れない。
 油断は禁物だ。

「でも、かりにも領主ですのよ? 騎士が二〇人というのはすくなすぎませんこと?」

「田舎の小領主なんてそんなものよ。これでも多いぐらいだわ。意外と知られていないけれど、大抵の領主が養ってる正規の騎士団の数なんか高が知れてるのよ。戦争なんかでも実際には数を誇張していたり、使用人や奴隷まで含めて計算する事が多々あるわ」

「ま、そういう事じゃな。人間はやたらと体面にこだわるからのう」

 『人間』という大きな括りで語られると少し否定したくもなるが、客観的にみればそうなるのだろうか。

 ともかく話を済ませた一行はすぐに装備を整え、オロフを引き連れてメーヌ村を後にした。
 山を越えねばならないが、ペルージュはメーヌから北西へ一日ほどに場所に位置する。
 オロフの体調が万全ではないため通常より遅い歩みとなったが、さしたるトラブルもなく、一行は宗教都市ペルージュへと辿り着いた。

「おおー、都会! ってかんじではありませんが、田舎というほどさびれてるかんじはないですの!」

「さ、では教会へ参りましょうか」

「まずは盗賊ギルドで情報を集めてからじゃろ」

「その前に宿決めとかねえ?」

「到着早々休む奴がありますか! とっとと教会に行くべきです!」

「情報が足りねぇの、わしめっちゃ不安なんじゃけど!」

「でも拠点は大事だろ!? なぁ、オロフも疲れたなら遠慮なく言えよ?」

 なぜか到着早々揉めてしまう『陽光を求める者たち』であった。
 その様子を見て呆れるオロフに、マリナは「いつもの事よ」と無感情な声で応える。

「宿は却下するとして……確かに情報は欲しいわね」

「異端審問官も暇ではありません。足踏みしている間に不在となったらどうするのです」

「それなら二手に別れましょう。あたしは盗賊ギルドで情報を仕入れるわ。レティシアはオロフを連れて教会へ向かいなさい」

「お、それならわしと小僧もギルドのほうじゃな。教会なんて堅苦しい場所はわしらには合わんからのう」

「ではわたくしは教会へ。ほらほら、リーダーもいっしょ行くですの」

「お、おい! 裾を引っ張るなって……!」

 いまいちまとまりに欠ける『陽光を求める者たち』だが、それでも目的のためにそれぞれが動く事はできる。
 むしろそうしたスタンドプレーのほうが得意なメンバーが集まっている節さえあるため、少人数での行動でも高い成果を発揮できるのだった。

 エリックたち教会組と別れたマリナたち盗賊ギルド組は、いかにもな路地裏を進む。
 ややあって見つけた、寂れてはいるが入り口からでも数名の客が見える酒場へと足を踏み入れる。
 店内に入ると、やはりいかにもな男たちがたむろしていた。
 入り口から遠いテーブルに一人で陣取る頬のこけた男の前に、マリナは無遠慮に腰かけた。

「『鼠』ね?」

「そう言うあんたも『狼』と『虎』を従える『蛇』とはなかなか珍しい」

「チーニ領主」

「銀貨二〇枚」

 ただ一言ずつ言葉を交わしただけで、二人は取引の場に立った。
 初見の場ゆえに簡単な符丁を用いた盗賊の会話ではあるが、それだけで十分に分かってもらえたのだろう。
 ちなみに先ほどのやりとりでは、『情報屋』かと問うマリナに対し、相手の男は『山賊』と『腕利きの武人』を引き連れた『暗殺者』であると見抜いていた。
 きっちり銀貨二〇枚をチップのように積み、賭けをベットするかのように『鼠』のほうへ動かした。

「チーニの領主はつい最近、先代から馬鹿息子に代替わりしたばかりだ。現領主はプライドの塊みたいなヤツでな。気に食わない召使や騎士たちをどんどん辞めさせていったらしい」

「そりゃまた……典型的なダメ二世じゃのう」

「メーヌ村にはあの城の元使用人がいたはずだぜ。そいつから何か情報が得られるかもしれないな」

 灯台下暗しというべきか。
 どちらにせよペルージュからチーニに向かうにしてもメーヌを通る必要がある。
 これほど重要な情報が銀貨二〇枚というのは些か安い気もしたが、元使用人が更なる情報を握っている可能性を考慮すれば妥当なのかもしれなかった。

「ダークエルフ」

「銀貨一〇枚」

 マリナは提示された銀貨を積み、情報屋のほうへ押しやった。

「お前さんたちが相手にするダークエルフってのがどんなのかは知らんが、そもそも邪神や悪魔に魂を売った奴らの事だろう? って事はだ、闇の精霊を使う可能性が高いはずだ。闇の恐怖から自分を解放する準備はしておいたほうがいいんじゃねぇか?」

 ハズレか、とマリナは短く息を吐いた。
 そもそもチーニ領主が『ガイウス派』である事やダークエルフを従えている事は普通は流通するはずのない情報だ。
 さすがに厳重に守られてはいる様子である。

「異端審問官」

「……銀貨三枚」

 あまりにも安い。
 半ば諦めつつも、マリナは三枚の銀貨を渡した。

「へへッ、これは情報って言わねぇかもな。ここの異端審問官のおっさんは気さくなヤツだ。話はちゃんと聞いてくれるだろうし、俺が言うのもなんだか信用できる。約束なんかはきちんと守ってくれるだろうな」

 どうにも個人的な印象で語られた気がしてならない。
 ともあれ盗賊と異端審問官という随分とかけ離れた職業でもこうまで言わせるのだ。
 地位に見合う能力はあるという事か。

「あんたほどの『鼠』が判を押すのなら信じていいのでしょうね」

「損はねぇさ」

 じゃろなぁ、とスコットは三枚の銀貨を眺めながら呟いた。



 エリックたちはオロフを連れ、ペルージュの教会を訪れた。

「ようこそいらっしゃったッ! さて、いかなる御用かな!?」

 ものすごい音圧がびりびりと響く。
 たくましすぎる肉体に無精髭という、およそ聖職者というよりは重戦士が似合いそうな男性が宗教都市ペルージュの司祭殿である。
 彼の口からは説法より怒号のほうが似合いそうだ。

「い、異端審問官殿にお会いしたいのですが……」

 さすがのレティシアも気圧されている様子だった。
 彼女の趣味である儚く華奢な少女とはあまりにもかけ離れた対極の存在だからだろうか。

「なんと、異端審問官殿を訪ねておいでとは。どこぞに異端者でもおったというのかな!?」

「ええ、まぁ……」

「異端審問官殿はいつもご多忙の身、なかなかお会いする事は叶わんのだが……そなたらは誠に運が良いッ! 彼の御方は今、奥で御寛ぎなのだッ!!」

「そ、それは助かりま……」

「早速、私がお取次ぎいたそうッ! ささッ、しばしこちらで待たれよッ!!」

「ありがとうござ……」

 突風が吹き抜けていったような錯覚を覚えつつ、レティシアはほっと胸を撫でおろした。
 ともかく、異端審問官に会えずに待たされる事はなさそうだ。
 彼女らはひんやりとした教会の中でそれぞれに異端審問官が現れるのを待つ。
 ややあって、司祭が初老の男を伴って現れた。

「お待たせしたなッ! こちらが異端審問官のギィ・シャンデルフェール殿であられるッ!!

 異端審問官ギィ・シャンデルフェールは割と大人しそうな雰囲気の男性だった。
 きっちりと正装している司祭とは逆に、やや動きやすそうな服装は異端審問官らしく巡回を行うためにある程度野外活動にも適応できるようになっているのだろう。
 レティシアたちはシャンデルフェールに挨拶し、自己紹介を済ませる。
 そしてここへ来た経緯を話し、領主討伐の委任状を発行してもらえるよう願い出た。

「お前たちの申し出は分かった。まず……その指輪とやらを見せてくれんか」

 エリックは懐から例の指輪をシャンデルフェールに差し出した。
 彼はそれを恐る恐るといった風に受け取ると丹念に鑑定する。

「確かにこれはガイウス派の指輪だ。……そこのドワーフよ。オロフといったな」

「うむ」


「お前は復讐心から領主を倒したいのであろう。しかしな、いかに領主が惨い行為をしたとして、それだけでおいそれと異端討伐の委任状を出すわけにはいかんのだよ……」

「……むぅ、しかし――」

「それに人間にはまだ被害が出ておらぬ……もしここでワシが委任状を発行しても、諸侯が黙っておるまい」

「なんだと!?」

 シャンデルフェールの言葉に強く反応したのはエリックだった。

「く、口を慎みなさいエリック!」

 下手に異端審問官の気分を害そうものならこの場から即刻叩き出されてもおかしくない。
 それこそ物理的にあの筋肉モリモリの司祭に追い出されかねない。
 慌ててレティシアが制そうとするものの、しかしエリックの勢いは止められなかった。

「領主は黒魔術の儀式を行うとアルトゥルが……亡くなったドワーフが言っていたんだ! 被害が出てからじゃ遅いんだよ!」

「フ……、人の話は最後まで聞くものだ。勇気ある冒険者よ」

 シャンデルフェールはわずかに口の端をゆがめた。

「領主を討伐する委任状は出す事はできん……しかし、しかしじゃ。の委任状は出す事はできる。……邪悪な妖魔の退治は教会にとっても有難いからの」

「おっさん……!」

「もし、その時……もしも、だぞ?」

 口の傍に掌を立て、シャンデルフェールはまるで内緒話のように声を潜めるふりをする。

「領主が邪悪な妖魔に操られておったら、捕えて教会に引き渡す事はできるかもしれんな。改心させねばならんからの……だが、良いか? 決して殺してはならんぞ。領主を捕えてここまで連れてくるんだ。そうしたらワシがそいつを裁判にかけてやる」

「あ、あぁ……もちろんだ!」

「フフフ……では少し待て。委任状を渡すからな」

 シャンデルフェールは再び奥へ引っ込み、半刻ほど経った後に紐で結ばれた一枚の羊皮紙を手に戻ってきた。
 ダークエルフ討伐の委任状はたった一枚の羊皮紙のはずなのに、やたら重く感じられた。

「さあ、持っていくがよい。オヌシらならきっと成し遂げると信じておるぞ」

「ありがとう、異端審問官のおっさん!」

「だから口を慎め馬鹿!」

 背中にレティシアのお叱りの言葉を浴びながらも気にせず、エリックは委任状を握りしめて教会を飛び出ていった。
 やる気があるのは結構だが、肝心の依頼主であるオロフすら置いていくとはどういう了見か。
 その様子を一歩引いたところから眺めていたクロエは長いため息を吐いてやれやれとかぶりを振った。

 恭しく非礼を詫びるレティシアを待った後、クロエたちもオロフを伴って教会を出ると、すぐそばで盗賊ギルドへ向かっていたマリナたちと合流した。
 どうやらマリナがエリックを捕まえてくれていたらしく、ダークエルフ討伐の委任状も彼女の手に渡っていた。
 その場の流れとはいえ、あんな大事なものをエリックに預けていた事に今さらながら戦慄したレティシアは身を震わせながらも委任状の無事を喜んだ。

「首尾よくいったようで何よりね」

「そちらはなにか情報はえられましたの?」

「それなりよ」

 マリナがこういった物言いをする時は得てして進展があった時だ。
 内容はチーニへ向かう道すがらに共有するとして、一行はすぐさまメーヌ村へと向かう。
 来る時と異なり、オロフの足取りが目に見えてしっかりしたものになっていた。

 もはや見慣れたメーヌ村へ向かうのは四度目になる。
 冒険者といえど短期間に同じ村を何度も訪れる機会は少なく、エリックたちは一瞬、故郷へ戻るような錯覚を覚えた。
 一昼夜の後、エリックらはメーヌ村に辿り着いた。
 教会へ顔を出すと、村の神父が慌てた様子で出迎えてくれた。

「ああ、皆さんお帰りなさい! どうでした? 委任状は手に入りましたか?」

「フンッ、一応な……」

 行動を共にしないものの、今回の件では神父も立派な仲間だ。
 マリナはこれまでの経緯を話した。
 神父はいちいち頷きながら、それらに耳を傾ける。

「……そうでしたか。オロフさんはご不満でしょうね……、でも分かってください。人間にもいろいろと込み入った事情があるのです」

「分かってはおるッ。だが理解する事と機嫌の良し悪しは別じゃッ!」

「そう、ですね……それで皆さん、いつここを発たれるのですか?」

「すぐよ。でもその前に、このメーヌには以前チーニ城で働いていた元使用人がいると聞いたのだけれど」

 それは盗賊ギルドで得た情報のひとつであった。
 宗教都市ペルージュに近いメーヌの事、信心深い人間が多いはずのこの村の中であれば神父ほど村人の情報を得ている人間は少ないだろう。
 わざわざ虱潰しに探す事もない。

「ああ、コラさんの事ですね。コラさんならすぐそこ、雑貨屋のお隣にお住まいですよ」

「さすがね。助かるわ」

「とはいえ全員で動く必要もねぇじゃろ。わしらは城へ向かう準備しておくでな、その彼女にはお前さんらで会っといてくれや」

 さすがに移動が多すぎて疲れたのか、スコットは半ばサボタージュ宣言をしていた。
 確かに一般的な民家に六人と妖精一人では窮屈この上ない。
 マリナはオロフを伴ってコラの家へ赴く事にし、他のメンバーには小休止を兼ねて準備を進めさせる事にした。



 チーニ城はメーヌを北へおよそ二日進んだところにある美しい古城だ。
 その規模は小さいものの、四方を山に囲まれており、天然の要塞となっている。
 城に辿り着いたのは二日後の昼頃だったが、マリナの提案で深夜を選んで行動を開始した。
 物陰に隠れつつ城へ近づき、正面玄関を避けて移動する。

「のう、マリナよ。ワシらは委任状を持っておる。なぜ真正面から堂々と攻め込まんのじゃ」

「委任状はあくまで合法的に領主と相対するための保険よ。うちのリーダーでもなければ白昼堂々と七名で二〇名以上の完全武装騎士を相手にしようなんて思わないわ」

「なんかものすげえ馬鹿にされた気がする……」

「教会公認なら何でもできると思ってるのは時代錯誤のお坊さんくらいね」

 そういうものか、とオロフは納得した様子だった。
 更に言えば先日の妖精窟での戦闘があった影響で、より警戒が強くなっているのだろうと予想できる。
 そこで役立つのがメーヌ村のコラより得た城内の情報である。

「この辺りに裏口があるという話よ」

 月明りが助けになっているとはいえ、周囲はかなり薄暗い。
 それでもマリナとスコットの観察眼の前には隠された小さな扉も発見されるのは時間の問題だった。
 前もって情報を得られて存在を確信できているというのは強いものだ。

「侵入前に作戦を再確認するわ」

 再び物陰に身を潜め、マリナはコラの情報から書きあげた城の見取り図を広げる。

「本件でのあたしたちの目的は二つ。ダークエルフの打倒に伴う領主の捕縛、そして生き残りのドワーフの救助よ。この中で優先すべきは当然ドワーフの救助になるわ」

「おお……おまえの口からそんな言葉が聞けるなんてちょっと感動するぞおれ」

 普段なら打算的というか他人の都合など知った事じゃないというスタンスのマリナである。
 エリックが驚くのも無理ないが、当然マリナが非効率的な作戦を提案するはずがない。

「……この時間帯なら領主はおそらく寝室でしょうが、肝心のダークエルフの場所が分からないわ。半面、ドワーフはまず間違いなく地下牢よ。潜入に下手を打って騒ぎになれば生き残りの命が摘まれる可能性が高いのだから、場所がはっきりしているほうから対処するのは当たり前よ」

「かといって地下牢でさわぎになれば領主とダークエルフがお城からにげかねないですの」

「だからドワーフの救助もダークエルフの居場所を探るのも隠密行動が原則。エリックは大声出すの禁止。なんなら発言も禁止。クロエも派手な魔術は控えなさいね」

「もちろんですの。リーダーとちがってわきまえていますのよ」

 本気マジな感じで言われたので猿轡を噛ませられる前に自主的に口元を押さえるエリックであった。
 しかしそうなるとエリックはあまり活躍の場がない。
 彼の戦法は一撃で意識を吹き飛ばすには威力もリーチも心許ない肉弾戦のみだ。
 気功による雷撃でも打ち込む場所を考えなければ声を上げさせてしまう。

 エリックはガイアの肩に手を置いて、

「……ダークエルフが見つかるまでは任せたぜ」

 ぐっと親指を立てて言った。
 その手はすぐに振り払われたものの、ガイアは拒否しなかった。

「オヌシら変わっとるのう……」

「自覚はしてるわ。残念ながらね」

 方針は決まった。
 後は行動あるのみだ。

 『陽光を求める者たち』はスコットを先頭に音を立てずに侵入する。
 規模はものすごいがそこは台所であった。
 地下牢は台所と同じく北側に位置するらしく、さらに現在では一部の使用人しか使用していないはずの二階への階段へ通じる勝手口が存在している。

 まずは地下牢を目指すべく、エリックらは台所を出て近くの扉を調べていく。
 城内は思っていたよりも簡素で、しかし機能的ともいえる造りにはなっていた。
 スコットは地下牢に続く扉の向こうに人の気配を感知した。

「わたくしがサポートしますの」

 スコットはドアノブを掴んだまま、クロエの呪文詠唱にタイミングを合わせる。
 
「……《眠れ》!」

 呪文の結びとドアを開けるタイミングはこれ以上なく完璧だった。
 部屋の中にはすぐに無味無臭の白いガスが広がっていく。
 数多の魔術の中でも【眠りの雲】は勝手に広範囲に広がるため、対象を視認していなくても用いられる強みがある。

 部屋の中にいた騎士は二人。
 それぞれが突然の闖入者と謎の白いガスに戸惑っている隙に、ガイアとマリナが跳び出した。
 ガイアが騎士の喉を裂き、マリナは騎士の首を鋼線で締め上げた。

 ガスが消え去るわずかな間に二人の喉を封じて無力化した『陽光を求める者たち』はそのまま室内へ入り、ドアを閉める。
 迅速かつ音もなく場を制したため、未だに他の騎士には気づかれていないはずだ。

「うむ、ようやった。地下への階段もあるぜぇ」

 この部屋は牢番の詰め所のようだった。
 おそらく地下には騎士はいないだろうが、それでも慎重に階段を下りていく。
 薄暗い地下牢は悪臭に満ち、一息ごとに肺を汚していくようにも思われる。
 足元にはいろいろなものが散乱しており、中にはドワーフのものと思しき衣服もある。

「ムッ……誰かおるの。あれは……ドワーフ……?」 

 スコットたちにはまだ何も見えなかったが、夜目の利くオロフには見えているらしい。
 彼はそのドワーフの名だろうか、「ビルイェル……」と呟くと、牢へと駆け寄った。
 冒険者たちの目もようやく地下牢の薄暗さに慣れてきたようで、今ではビルイェルと呼ばれたドワーフの姿がしっかりと認識できるようになった。
 マリナは上階に詰めていた牢番から奪っておいた地下牢の鍵を使い、牢を開いた。

「ビルイェルッ! 生きておったのか……ワシだ、オロフだッ!」

「ム……オ、オロフ……オロフなのか……おお、オロフ……! オヌシこそ生きておったか……」

 息も絶え絶えといった様子でビルイェルは声を絞り出している。
 出会ったばかりのオロフよりも酷い傷が全身に刻まれていた。

「少し、遅かったのう……他の皆はもう……、うぐ……ッ!」

「……これはいけません。かなり衰弱しています」

 レティシアはすぐさま祈りを捧げ、ビルイェルの傷を癒す。
 その傷はオロフよりも酷いものではあったがアルトゥルのように手遅れではなかった。

「ありがとう……少し楽になった。して、オロフ、この方たちは……?」

「こやつらは……」

 オロフは今までの経緯をかいつまんで説明した。
 その説明からはおよそ一般的な冒険者像からはかけ離れた要素は除外されていたが。

「そうだったのか……貴方たちは我らチーニのドワーフ族にとっての恩人というわけだな……」

「善意だけで行動してるわけじゃねえんだ。気にすんな」

「フフ……人間は複雑な生き物じゃな。素直に賛辞を受け入れればよいものを」

「こういうヤツらなのじゃ」

 ドワーフ二人は口の端を上げて笑い合った。

「さて、オロフよ……ここにおるという事は、狙いは領主とダークエルフじゃな……」

「無論じゃッ! この『銀斧のオロフ』の名にかけて、ヤツらのそっ首刎ね飛ばしてくれる!」

 領主は殺しちゃダメだからね、と後ろから釘を刺すマリナであった。

「頼んだぞ、オロフよ……そうじゃ、気高き冒険者たちよ。先日、牢番の騎士が仲間が殺されたゆえに見張りを強化すると言うておった……ヤツの口ぶりからの推測でしかないが、中庭には近づかんほうがいいじゃろう」

「そうか、助かる」

 む、とビルイェルはガイアの腰に吊られた剣に目を付けた。
 それはチーニの妖精窟から持ち出された『ブレーメル』の名が刻まれた一振りの剣だ。

「それはまさしく我が友ブレーメルの……、くっ……!」

「ブレーメルは領主に連れて行かれたと……彼はどこに?」

「……ヤツも皆も連れていかれた。『黒魔術』の儀式に我々の生命力を必要とするようじゃ……」

 ビルイェルも明日には連れていかれる予定だったという。
 見れば彼の他にドワーフの姿はない。
 逃げおおせたオロフを除けば彼が最後のドワーフだったようだ。

「一体、あいつらは何をしようとしているの?」

「どうやら黒妖精が領主を唆して自身の力を増す儀式を行わせているようじゃ……黒妖精のヤツめ、ここに来るたび力を強めている事がわかる」

「なんじゃとッ、ワシらの仲間をそのような事に……! ますます許せんッ、あの腐れエルフめがッ!!」

「オロフ、抑えて」

 彼が激昂するのも無理はないが、直後にエリックの手によって口が塞がれた。
 あまり興奮されると他の騎士に気づかれる恐れがある。

「領主がどこにいるか分かる?」

「二階じゃろうな……仲間のブレーメルが連れて行かれる時、『二階へ連れていけ』と黒妖精が騎士に命じておったしの……」

「儀式もそちらで行われている可能性が高いのね」

 となればもはや一階には用はない。
 負傷し動けないビルイェルはいったん牢の中に戻し、領主を無力化した後に再救助する事になった。

「あとで必ず助けに来る……だからじっと待っておるんじゃ。良いな?」

「うむ……待っておるぞオロフ。それに勇気ある冒険者たちよ……」

 牢番の騎士二名の遺体はすでに隠してある。
 ビルイェルの話によれば牢番は交代したばかりであり、朝方まではここに近づく騎士はいないという。

「……あんた、ブレーメルとは仲が良かったんだな」

 冒険者たちが次々に一階へ上る階段へ向かう中、ガイアは独りビルイェルの前に立った。

「少しだけ借りていていいか。すべてが終わったら必ずあんたに渡す」

「……分かった」

 ビルイェルは真剣な表情で頷いた。
 誓いを胸に、ガイアは元凶たる領主を叩きのめすべく階段へ向かった。


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周摩

Author:周摩
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