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リプレイ記:月歌を紡ぐ者たちの記事一覧

第四〇話:『深き淵から』 (3/3) 

 結論から言えば『月歌を紡ぐ者たち』は溺死者の祠には近づけなかった。
 門自体は水精ペルナが鍵を持っていたが、問題はそれを覆い隠すほど大量の藻である。
 ゆらゆらと揺らめくそれは潮になびいていると見せかけ、近づく生き物に反応して絡みつこうとする怨念じみた何かであった。

「命の気配も、我ら水の精霊の力もないのに襲い掛かってくるなんて普通ではありません……」

 水精ペルナも困惑し、突破口も見つけられないまま出した結論が族長マーレウスの力を借りるため、集落に戻る事だった。
 これに対してレンツォは反対こそしなかったものの渋々といった様子でずっと口を結んでいた。
 無言になったのはせっかくかっこいい台詞で盛り上げたつもりだったのに見事なまでに出鼻をくじかれた反動でもあるのだが。

 集落までの帰路は楽なものである。
 もともと潮流に抗って進んでいたのだ、流れに逆らわなければ身体を動かさなくても自然と集落に向かって進んでいった。
 無論、あまり散り散りになっても困るのでここでも盗賊王のロープが大活躍している。

「祠までは辿り着いたのだな? それで扉に近づけなかったのか?」

 族長マーレウスは自らの家――洞窟――に一行を招き入れると、すぐさま水精ペルナの報告に耳を傾けた。
 いくら帰路は楽だったとしても水精ですら精神が削られる後悔の谷を長時間進んでいたのだ。
 煩雑な仕事は避けられるなら避けたい。

「……祠の門を覆う奇妙なモノ……分からない。遠方だがケリュス老にお聞きするしかないか」

『遠方って。そのケリュス老? ってのをすぐ召喚できる何かがあんのかい』

「いや……、今は時を争う。私が行けば選択肢は増えるだろう。長々と調べていては間に合わぬ」

「マーレウス様! 族長がここを離れられるのですか!?」

「仕方があるまい」

「わたくしは反対です! 何か指示をくださればこのペルナが対応いたします!」

「その指示が出せないから私が行くのだ。それに、もう決めた」

 族長権限による『決定』だ。
 いくら水精ペルナが彼の右腕として働いているとしても、その権限の前では抗えない。

『ところで族長。後悔の谷を抜けるのに族長専用ルートとかってないの?』

「そんなものがあればとっくに知らせている」

『だよね……』

 溺死者の祠は禁忌の地であるがゆえに族長とはいえ足を踏み入れる事はないと言っていた。
 この期に及んで出し惜しみなんてしていなかったのだろう。
 族長マーレウスを加えて七名となった『月歌を紡ぐ者たち』だったが、レンツォの索敵にはほとんど支障を来さなかった。

 とはいえ一度通った道だとしても『敵』は常にその場でじっとしているものではない。
 結局は一度目と同じ程度の時間をかけて溺死者の祠へと至った。
 溺死者の祠を守るはずの門には相変わらず奇妙な藻じみた何かが揺らめいている。

「うむ……門を覆っているもの……見た事のないものだな。藻のように見えるが」

 族長マーレウスがまじまじと観察する中、藻のようなものはざわざわと蠢き始めた。
 近づきすぎたのか、とレンツォは舌打ちして得物に手を伸ばした時、

「――小賢しいわっ!」

 ざざざざざざ、と急激に水の流れが変わった。
 見えない大魚が門の近くを縦横無尽に飛び回っているように水流が駆け巡り、少しもしない内に門にへばりついていた藻のような何かを切り裂き、また水流で彼方へと押し流していく。
 『月歌を紡ぐ者たち』がいた場所の水には干渉せずほとんどその場の水だけを用いて、かつ詠唱もなしにそのレベルの術式を展開しているマーレウスはなるほど族長の器であるといえよう。
 正直なところ『月歌を紡ぐ者たち』は精霊術には全く詳しくないので何となくそう感じただけだが、水精ペルナがあんぐりと大口を開けて言葉を失っているところを見るに、相当のモノらしい事は容易に想像がついた。

「……メロアは務めを怠っている。おおよそ、祠の内のよからぬものが海底の澱と絡みついたのだろう」

『しっかしなんという力業……僕が予想したのとは違う解決法だったよ。ま、通れりゃ問題ないけどさ』

「そう、先に進めさえすればよい。この海域の秩序はミリア殿を救出してから取り戻す事としよう。これ、ペルナ。白目を剥いていないでこの方々を癒しなさい」

 はっとした水精ペルナは即座に佇まいを直し、二言三言の呪文をつぶやくときたきらと輝く水が『月歌を紡ぐ者たち』の周囲に舞った。

「さあ、進まれよ。我々はここで待つ。よい知らせを待っている」

 溺死者の祠はもとより水精の立ち入りを禁じられた地である。
 彼らの助力がここまで頼りになるものであるなら是非とも中まで着いてきてほしいところではあったが、それは叶わない。

「行こう」

 後悔の谷のような広大なフィールドと溺死者の祠のように入り口が狭く先が見通せない場所では隊列も変わる。
 レンツォとルナを先頭に、中央にコヨーテとバリーを置いて殿しんがりにはチコをつける。
 普段と比べればその脆弱性が浮き彫りになって悲しいほどの戦力になっているが文句を言っている場合ではない。

「……これは」

 ややあって少しだけ開けた場所に出たかと思うと、そこは細長い通路のようになっており、その両脇の壁には様々なタペストリーが飾られていた。
 どれもこれも一目見ただけで傑作だと分かるほどに丁寧に織られた品ばかりだ。

 壮麗な聖堂、夜明けの海、砂漠の商隊、霧に煙る森、そして見覚えのある交易都市リューンの風景。
 様々な感情を、情景を想起させるタペストリーには仄かに魔力じみた力が感じられた。

『メロアが課せられている罪人としての務めってのは死者の魂の記憶を糸に紡ぎ、布として織り上げる事って言ってたな』

 重い罪や悩みを持った死者はそうしてもらわねばいつまでも水底に沈んだままだという。
 鎮魂あるいは慰霊の意味で行われるものであり、死者の声にずっと耳を傾けなければならないのは相当の苦痛だろうとは想像がつく。

『……これ全部を死者の記憶から?』

 例えばリューンの街並み。
 リューンに長く住み、その風景を脳裏に刻み付けるほどに見慣れたレンツォたちならば一目でそれと分かる。
 だがこれを織った罪人メロアは海の民だ。
 リューンを見た事はおろか陸に上がった事もないはずの彼女がここまでリューンの街並みを再現できたとなると、それほど深く死者の魂と近しく交わったのだろう。
 楽しい作業ではないだろう、とは易く想像できた。

『頭がおかしくなりそうだね』

 レンツォは吐き捨てるように言った。
 他の種族が定めた掟にどうこう言うつもりはないが、それらが罪人メロアの心身を蝕んだのは明らかだ。
 終わりのない贖罪の旅に絶望し、孤独への恐怖が生まれ、それを紛らわせる方法が手の内にあったとしたら、たとえ相手が陸の民であろうとそれを実行するのに動機は十分に思える。

『しかしミリアを奪っていい正当な理由にはなりません』

 ぴしゃり、とルナが言い放つ。
 まるで心の中を覗き見されたみたいで、レンツォは少し笑ってしまった。

 そうやってタペストリーの通路を進んでいくと、最奥には明らかに天然ものでない重厚そうな扉が現れた。
 もともとは罪人を収容するための施設なのだろうが、レンツォはそれでも入念に罠のチェックを行う。
 ややあって鍵穴すらない扉をそのまま引き開けると、その向こうにはやたらと開けた場所に出た。

『――ミリア!!』

 そこには天を仰ぐような姿勢で漂うミリアの姿があった。
 もともとエルフとしても整った顔立ちに加えて軽戦士として限界まで最適化されたスタイルの良さが相まって、まるで一つの芸術作品のような趣が感じられる。

『やっと……やっと見つけたよ。心配させてくれちゃってさぁ……!』

 彼女に近づいて話しかけるも応えはない。
 どうやらほとんど眠っている様子だった。

『私たちはここまであれだけ泳ぎ回ったのにさー、もう! さー起こして連れて帰ろう!』

 そう言ったチコの表情は明るかった。
 どれだけ苦労しても、どれだけ怪我をしたとしても、間に合わないという最悪の事態は免れたのだ。
 ミリアが無事なのであれば僥倖すぎるくらいだ。

『ん……?』

 彼女の身体を抱えようとして、レンツォは彼女の鎖骨の傍に小さな針が刺さっている事に気が付いた。
 藍色の小さな針には糸が通されていて、その端は祠の奥の暗闇に消えている。

『バリー、これって』

『水精フルクアが言っていた「藍色の針」ってやつか!』

 罪人メロアと旧知だという水精フルクアによれば、贖罪に用いられる道具がミリアに向けられている可能性が高い、との事だった。
 特に『藍色の針』はひと際強大な力を備えており、対象の記憶を抜き出してそれを織り込むのに用いられ、贖罪の儀式の核を成す危険な道具らしい。
 精霊術に詳しくない『月歌を紡ぐ者たち』はもとより、罪人に課せられる技術ゆえにメロア以外の水精もその処理の仕方を知らないという。

 メロアに処理させなくてはミリアは元のミリアでなくなってしまうかもしれない。
 記憶を糸としてタペストリーを織り上げるのだとすれば、彼女に刺さった『藍色の針』から伸びた糸はすでに彼女の記憶の流出が始まっている可能性が著しく高い。
 ミリア自身がそこにあっても、依然人質を取られている事には変わりない状況だった。

「――アウディトゥア!!」

 ごぼぼぼ、と泡柱が経ったかと思うと、必死の形相の水精が警戒した様子でこちらを窺っていた。
 どうやら彼女が罪人メロアであり、祠の異変に気付いたのだろう。

「誰!? あなたたちは! アウディトゥアに触れないで! 出てって! 今すぐ出てって!!」

 罪人メロアはヒステリックに喚き散らした。
 何者かも分からない連中が記憶の処理を現在進行形で施しているミリアを囲んでいるのだ。
 彼女にとっても不都合が起こる可能性が高い状況なのだろう。

『あなたがメロアですね。ミリアは返していただきます!』

『僕らはミリアの仲間さ。ここまで遥々追っかけてきたんだよ』

 その言葉に、罪人メロアはびくりと肩を震わせた。
 「この人だけを呼び寄せたつもりだったのに……」と呟いているところを見ると、族長マーレウスが動いていた事は知らなかった様子だ。

『さあ、観念してください。そしてミリアにかかった妙な術を解いてください』

「……イヤよ」

 罪人メロアは深海底よりも昏く、突き刺さりそうな鋭利な視線で『月歌を紡ぐ者たち』を睨めつけた。

「絶対にイヤ。ミリアなんて知らない。ここにいるのはアウディトゥアよ。アウディトゥアは祠の番人。返す義理なんてない」

『……今さらしらを切ろうってかい? そりゃ通らねえだろう!』

「――スクァルス!!」

 罪人メロアの絶叫はとある名を呼び、祠中に響き渡る。
 祠の奥から現れたのは長身のバリーすらもひと飲みにできそうなほど巨大なサメだった。
 『祠の番人』スクァルス。
 番人にして看守であるはずのスクァルスはメロアに深く同情していると話を聞いていたが、ここまで直接的に敵対する事になるとは思っていなかった。

「陸の民がこの祠を訪れるのを許されるのは、水で満たされた死を自ら得た時だけよ」

『僕らだって好き好んでこんな場所に来たくはなかったさ。ミリアを返してくれりゃ大人しく退いてやるっての!』

「――スクァルス! 秩序を乱すものを追い払って!!」

 もとより交渉が通じる相手ではなかったのかもしれない。
 祠の番人たるスクァルスはその巨体をよじりながら雄大に泳ぎ、いくつもの渦を発生させながら『月歌を紡ぐ者たち』に迫る。



 サメの最大の武器といえばその頑丈な顎、鋭く尖った牙だ。
 特にスクァルスのような巨大な種となれば噛みつかれた時点でその部位とは別れを告げなければならないほど危険な代物である。
 それでなくとも頭から丸呑みされかねないのだから恐ろしい。

 轟! と唸りをあげて突進するスクァルスに対して、『月歌を紡ぐ者たち』は水中での動きに未だ慣れていない。
 ゆえに、互いに互いの身体を突き飛ばしたり蹴っ飛ばしたりして攻撃をどうにか回避するしかなかった。

『いってぇ……! つーか怖すぎんでしょアレ』

『迂闊にやつの身体に触れるな! あの速度だとごっそり皮膚を持ってかれるぞ!』

 サメの体表を覆っているざらざらとした鱗は盾鱗じゅんりんと呼ばれ、いわゆる鮫肌を構成している。
 その名の通り盾の役割を果たし、岩でこすれて怪我しないように発達したものだ。
 種によっては柔らかな人間の身体が触れるだけで血まみれになるものもある。

『ど、どうします!? 対抗手段は!?』

『まともにやってどうにかできる相手じゃねぇ……とにかく時間を稼げ! 俺の魔法でどうにかするしかねぇ!』

 バリーも相当焦っている様子だった。
 水の中では前衛も後衛もない。
 ましてはスクァルスのあの巨体の前では防御などほとんど役に立たないだろう。

 それでもこの場で最も火力を出せるのはバリーの魔法をおいて他にはない。
 【識者の杖】を構え、精神の集中を始めた。

「深く沈み来たる魂たちよ。懺悔の地の静寂を守らせよ! 生ある日々の後悔の記憶を、この者たちに降らせ、黙らせよ!」

 それに呼応するようにメロアが呪文を叫ぶように唱える。
 ぞわぞわとした気配が周囲を包み、水温がさらに下がった気がした。
 周囲の暗闇から滲むように現れたのは青白い人魂のような塊だった。

『こいつ……なんで鎮魂の役目を任されてる奴が霊魂操れるんだよ!?』

『単に鎮魂の術式を解いただけでしょう。もともとそういった類が集まりやすい場所と言われていましたし……』

 普段なら歯牙にもかけないレベルの手合いだが、この場においては厄介極まりない。
 それというのもコヨーテが魔剣を持ち、バリーの魔術で一掃できる場合が多かったからだ。
 この場においてはそのどちらもできない。

『くそっ……!』

 まとわりつく悪霊に集中を乱されたバリーは即座にその場を離れる。
 すでに彼めがけてスクァルスが突撃を仕掛けようと鼻先を向けたところだった。
 メロアの境遇に同情したり、彼女の言葉を理解している辺り、やはり知能はそれなりにあるらしい。

『バリー!』

 レンツォは【捕縛の縄】を放り投げた。
 それにつかまったバリーを、渾身の力で引っ張る。
 水中では素早く動けないとしても浮力があるため真横からの力が働けば素直にそれについていけばいい。

 だが、それは大きな失敗だった。

「――追って、スクァルス!」

 サメはイノシシとは違う。
 スクァルスは移動するバリーを掠めるように泳ぐと、背ビレと尾ビレを巧みに使い、美しいカーブを描きながらレンツォへと迫る。
 涙型と呼ばれる紡錘形のフォルムは水中を泳ぐ上で最も効率的な形態であり、単に一方向へ向かって移動しただけの人間とは根本から違うのだ。

『――くっ、そ!』

 ミリアのショートソードを逆手に構え、何とか致命の一撃を防ごうとする。
 枯れ枝を手にヒグマに立ち向かうようなものだ。
 ショートソードごとレンツォの胴体が真っ二つに引き裂かれる未来は避けられない。

『……!?』

 そう思っていた矢先、レンツォの身体が横合いから弾かれた。
 新手かと目線だけでそちらを追うと、背中から黒白の翼を生やしたコヨーテの姿がある。
 どうやら叛逆の翼で大気を叩くように大きくひとかきしてスクァルスの攻撃からレンツォを弾き飛ばしたようだ。

『コヨ――!』

 悪夢のような速度で目の前を横切る黒い塊は、その大口にコヨーテを確かに捉えている。

『がっ……、ぐ……!』

 しかしあの一瞬で、しかも水中という弱点に晒され続けるフィールドで、コヨーテはそれでも致命的な一撃をもらってはいない。
 すでに叛逆の翼は消失し、背中には下顎の歯が深く突き刺さっていた。
 だが上顎から迫る歯に対しては【黙示録の剣】を盾に防いでいる。

 サメは基本的に泳ぎ続ける事でエラ呼吸する生き物だ。
 コヨーテもまた水精の術によって水中での呼吸を可能としているが、スクァルスほどの巨大なサメであれば二〇ノット近いスピードで水中を駆け回る。
 あまりのスピードとパワーにコヨーテも脱出に苦戦している様子だ。

『ッ……、おおおおぉぉぉぉぉおおお!』

 吼えるコヨーテの握る【黙示録の剣】が輝いた。
 いや、輝いたなんて生ぬるいくらいに白光を迸らせている。

『アポカリプス――!!』

 【黙示録の剣】が内に秘めたエネルギーは白光となり、白光は白刃となって辺り一面を薙ぎ払う。
 その膨大なエネルギーの奔流はスクァルスを吹き飛ばし、さらにメロアが呼び寄せた悪霊を一掃した。
 【黙示録の剣】は斬撃の威力を少しずつ貯め込む性質を持っている。
 さっきの一撃はコヨーテがこれまで【黙示録の剣】を振るってきた期間あってこそだ。

 とんでもない一撃ではあったがスクァルスを倒せるほどの攻撃ではなかったらしく、スクァルスは全身のヒレを使って体勢を立て直し、しかしコヨーテを警戒してか少し距離を取った。
 おまけに無理やり引きはがしたせいでコヨーテの背中はずたずたに引き裂かれ、攻撃の余波で抜け落ちた歯が幾つか刺さったままである。

『くっ……さすがに一発じゃ足りないか』

『あれと同じの、もう一発撃てるかい?』

 それには答えず、コヨーテは口元だけで微笑んだ。
 今はメロアもスクァルスもこちらを窺っているため、不利な情報は与えるだけ損だ。

『どうせ相手もすぐに気づく。というより優先せずにはいられないだろう』

 あの強力な一撃をもう一度もらってしまったら、とメロアもスクァルスも考えているだろう。
 水中では最速を誇るスクァルスのスピードでも光の如き魔力の刃を避け切る事は難しい。
 だとすれば二撃目をもらうより先に、まずコヨーテを潰してしまうべきだと思考するはずだ。

『決めるならその時――!』

「スクァルス!」

 メロアはコヨーテを指して叫んだ。
 読みは当たった。
 問題はそれまでにどれだけ動けるか、だ。

『《貫き砕く光の波動、輝きを束ね疾く放たれよ》――』

「ッ、させない!」

 バリーの呪文詠唱が始まり、レスポンスでメロアが悪霊を呼び出す。
 しかしさっきとは状況が違う。
 コヨーテが生んだほんのわずかな隙は、ルナの祈りを天に届けるのに十分な時間を与えていた。

『――させないのはこちらもです!』

 バリーの周囲に現れた悪霊を、ルナとチコが薙ぎ倒していく。
 即席槍でちくちく突きまくるシスターと鉈を振り回す狩人少女の絵面はとても愉快な光景だったが、それぞれの武器は【聖別の法】によって清められ、対アンデッドとしては十分な効果がある。

『――《抉れ》!』

 バリーが扱う【魔法の矢】はリューンで学べるそれに対して威力をより強化した術式だ。
 水中だろうがお構いなしの威力を誇る魔力の矢は一筋の光となってスクァルスに狙いを定める。
 まさしくコヨーテが再び歯牙に襲われる刹那、スクァルスの下顎を易々と貫いて四散した。

 痛みに耐えかね、スクァルスは血をまき散らしながら身をよじる。
 その口に一本の縄がひっかけられている事にも気づかずに、である。
 それは【捕縛の縄】という盗賊王の七つ道具のひとつにして、今回に限っては命綱のような役割を果たしていた。
 片方の端はコヨーテが固く握っており、海底に突き立てられた【黙示録の剣】によってそこに縫い付けられている。

 そして、もう片方の端を握るのは持ち主たるレンツォだ。
 ショートソードを逆手に構えたまま、グンと右手を引き絞る。
 左手はずっと雁字搦めに【捕縛の縄】で縛っていてあまり感覚がないが、スクァルスが暴れるたびにそちらへ引き寄せてくれる運命の糸となってくれている。
 ぐんぐんとスクァルスに近づくごとに、その巨大な相手にこれから殴り掛かろうとしている自分が馬鹿みたいに思えた。

 斬ろうだなんて考えはなかった。
 剣術の才能なんてこれっぽっちももたない自分では空振りするのが関の山だ。
 突こうだなんて考えはなかった。
 ナイフは使い慣れていてもショートソードとは扱いが違うし、片手では弾かれてしまうだろう。

 自分にできる事は、ただがむしゃらに拳を固めてぶつける事だけだった。
 それで十分だ。
 今その拳には、レンツォが最も信頼している仲間の得物が一緒に握られているのだから。

『――う、おおおおおおおおおおお!!』

 スクァルスのスピードを利用した全力の拳はその鼻先に突き刺さった。
 正確には鼻先の少し下に、である。

 レンツォは知る由もなかったが、サメの鼻先の少し下には弱点とも言うべき器官が存在する。
 ロレンチーニ器官と呼ばれるそれは他の生物の筋肉などが発する微弱な電流を感知するために、日常的に用いられているものだ。
 ここに強い刺激が加わる事はサメにとって大きなストレスであり、失うわけにはいかない器官である。

「――――――!!!」

 弱点を思い切り殴られた事でスクァルスは再びもんどりうってその身をよじる。
 さすがに今度ばかりは耐えかねたのか、そのまま祠の奥へと逃げ帰っていった。

『ッ……』

 レンツォは右の人差し指と中指が鋭い痛みを発している事に気が付いた。
 どうやらさっきの一撃で壊してしまったようだ。
 だが、今はそんなものを表情に出していい時じゃない。

「そ、んな……スクァルス……!」

 目の前の光景が信じられないとばかりにメロアは呆然として言葉を失った。
 そんな彼女に向けて、レンツォは追撃を仕掛けなければならない。
 最後の最後に待つ、本当の戦いはこれからなのだ。

『無駄だよ、メロア。いくら水中が君らの領域だとしても僕らは決して諦めない。何が何でも君からミリアを取り返す!』

「いや――いや、いや、いや! アウディトゥアは誰にも、誰にも渡さないわ!」

 決着がついてもなおメロアは足掻く。
 ミリアの元へ近づきその鎖骨に刺さったままの『藍色の針』に手をかけた。

「来ないで! この針を抜くわよ!」

『……脅しに使うって事は』

「この針はあたしの仕事道具。針穴から糸が出ているのが分かる? これはね、記憶の糸よ。記憶、思い出……そして記録。それらはみな繋がっているの。体験した事、考えた事、自分がどんな姿をしていて、何であるか……」

 悪いほうの予想が当たっていた。
 彼女にしか針が扱えないと聞いていた時から嫌な予感はしていたが。

「あたしがこれを引き抜けばアウディトゥアはすべてを失うわ。あなたたちの事も、自分の事も、形も思考もね」

『そんな事をしてお前に何の得がある!? ミリアを失うのは同じだろう!』

「違うわ。全く違う。あなたたちにはわからない!!」

 メロアは今にも泣きだしてしまいそうなほど湿った声で、

「アウディトゥアはあたしの話を聞いてくれる人! あたしのものにならないのなら誰のものにもさせはしない!」

 その眼は本気だった。
 何が何でもミリアを救い出したいと思う『月歌を紡ぐ者たち』の覚悟もまた本気なら、アウディトゥアを失ったとしても誰にも渡したくないという彼女の執念もまた本気だ。

「これが最後よ。陸に帰って! そうすればこの人はここで生きていけるわ!」

『……いい加減にしろよ』

 だが、メロアの決意が本物だとしたらどうだというのだ。

『黙って聞いてりゃ我が儘放題喚き散らしやがって。そうやってダダこねてりゃ何でもかんでも思い通りになると思ってんのか!?』

 コヨーテに肩を強く掴まれたが、走り出した言葉はもう止められない。
 彼の手を振り払って、レンツォは迸る感情を言葉に乗せてメロアに叩きつける。

『あのサメの卵に触れた人間なら誰だってよかったんだろ!? ミリアじゃなくてもよかったんだろ!? 記憶を抜き出して、弄り回して、あんたの思う通りに書き換えて、それで「アウディトゥア」が出来上がりゃあそれでいいんだろ? だったら、僕が代わりになる!!』

「……ッ!!」

『レンツォ、お前!?』

 当のメロアはもとより、バリーやコヨーテすらも狼狽している様子だった。
 もし人質状態が続いていた場合、どういった交渉をするかはレンツォに一任されていた。
 「それについてはとっておきの方法がある」と主張したのは彼である。

『……聞けよメロア。ミリアはなぁ、重たすぎる責務を果たすために必死に毎日生きてるんだよ。あいつの未来は、もうあいつだけのものじゃない。そう遠くない将来にはひとつの集団の長になって、大勢の生活を引っ張っていかなきゃならなくなる。あいつの無事を願って、ずっと待ち続けてるやつらだっているんだ。誰かの我が儘で勝手に終わらせちゃいけない存在なんだよ!』

「……、」

『反面、僕なら大した未来は待ってない。慕ってくれた連中も一握りだ。いなくなって悲しんでくれる奴らはいるかもしれないが、ミリアに比べりゃ大した事はない。僕くらいの盗賊なら替えも利くだろうさ。おっと、こちらにばかりメリットがあるように言っちまったが、勿論あんたにもメリットはある。僕が身代わりにするなら後ろの連中には手も口も出しさせないし今後一切あんたらとは関わらせない。そういう契約をさせてやる。不服ならあんたんとこの族長を立会人にしてくれてもいい』

 いつもの出まかせではない。
 そんな薄味の嘘を混ぜたところで気づく奴は気づくし、大した効果も得られない。
 つらつらと並べられた言葉は、すべてレンツォの本心であった。

『……むざむざとミリアを失って生き続けるくらいなら、僕は喜んでこの身を差し出すぜ』

 溺死者の祠に静寂が訪れた。
 こういった話にはいつもなら即座に噛みついてくるだろうコヨーテは水中でダウンしているし、ルナやチコはその言葉が本意なのか交渉の一部なのかが判断できずに固まっている。
 あのバリーですら同様なのだから、自分の本気もまだ捨てたものじゃないのかもな、とレンツォは自嘲した。

「――ここまでだ」

「あっ!」

 ざぁぁぁ、と水流が渦巻いたかと思うと、族長マーレウスがミリアとメロアの間を割って現れた。
 『藍色の針』へ手を伸ばすメロアの腕をがっしりと掴み、そのままミリアから引きはがす。

『マーレウス!? ここには入れないんじゃ……』

「そうだ。私は禁を破ってここにいる。ゆえに私はすでに族長ではない。後の事はペルナに任せてきた」

『なんだって?』

「掟は多く破られた。番人が罪人に加担するなど……だが、さらに陸の民の勇気を無駄にするのならそれは我が水の眷属にとって永久の恥。私はあなたがたの覚悟と行動に応えたかった」

 マーレウスが話している間もメロアはどうにか腕を引きはがそうとしていたが、やはり力の差は大きいのかびくともしない。

「なぜ……どうしてあなたが……」

「お前が呼び寄せた召喚の泡を私が目撃していたのだ。お前の所業はすでに知れている。観念するのだ」

「……いや!」

「陸の民、ミリア殿を無理に水の眷属にしたとて、お前のものにはならない。水界の王より裁定が下れば引き離されてしまうだろう」

「うっ……」

 メロアの表情が瞬く間に曇っていき、

「うわあぁぁぁああぁぁっ! イヤよ、イヤ……! ううっ……アウディトゥアと暮らすの……、もう独りはイヤ……!!」

 ついには決壊した。
 水の中だというのに彼女の涙は美しいくらいに光を反射し、その頬を伝っていった。

「……それは許されぬ。お前とてこれまでいくつもの死者の声を聴いていたのだろう。ならば理解できたはずだ。レンツォ殿の言葉の、その重みが」

「……ううっ、……っ……!」

「泣いていないでミリア殿を解放しなさい。儀式はまだ完了していない。正式な手順を踏んで中断すれば効果は消え去るはずだ」

『本当か!?』

 マーレウスは力強く頷いて応える。
 ここにきてようやく確信の持てる情報が得られたからか、レンツォはようやく安堵のため息を吐く事ができた。

「メロアよ。お前の目の前にいるのはミリア殿の友の方々。お前は孤独に苦しんだ。ならば、人の絆を無理に断ち切るのはやめるのだ」

 泣きじゃくっていたメロアは「絆」の一言に反応したかのように涙を押し留めて、レンツォたちへ向き直る。

「……分かりました。陸の皆様……あなたがたの友、ミリアを、今お返しいたします……」

 メロアの指先が『藍色の針』に繋がれる糸に触れた。
 目を閉じ、二言三言の呪文を唱えると糸と化していた記憶は暗闇のほうから手繰り寄せられ針へと吸い込まれていく。
 もともとタペストリーとする予定がなかったためか、はたまた糸を引き切れていなかったからか、ミリアの記憶は滞りなく彼女の下へと戻っていった。

『……もしもーし』

 すべての糸が戻り、『藍色の針』も抜かれたものの、ミリアは目を覚まさなかった。
 試しに額をこつこつと軽く小突いてみたがやはり応えはない。

『まだ夢うつつな感じですね。これで本当に戻ったのですか?』

「手順も解呪も間違いない。だが、短期間に大量の記憶が出し入れされたのだ。負担だったのかも知れぬ」

「しばらく休ませればはっきり目覚めるでしょう。陸の民、ミリアとして……」

「存在をすり替えるような強大な力に晒されていたのだ。衰弱もあるだろう。ここは昏く、水は冷たい。早く陽光の下に返したいが……」

『いや、素直に休ませてりゃいいだろ。もう危機は去ったんだ。無理させる事ぁないぜ』

『ううん、大丈夫だよ』

 水流で乱れるミリアの髪を整えながら、レンツォははっきりと言い切る。

『もう目を覚ますさ。こっちも十分苦労したんだ。これ以上、僕らを困らせるような事はしないよ』

「ほう……」

『信じられない?』

「む、いや……そういうわけでは」

 いいさ、とレンツォはミリアに向き合うと、右手の指でカウントダウンを始める。

『四、三、二、一……ゼロ!』

『……、ハッ……!』

『おかえり、ミリア』

 ありったけの笑顔でレンツォは『ミリア』の帰還を喜んだ。
 果たしてレンツォの宣言通りのタイミングで目を覚ましたミリアだが、それでもやはり頭の回転は鈍っているらしく、目をこすりながら辺りを見回していた。

「……これは驚いた。大したものだ」

『私もびっくりなんですけどレンツォあなたいつの間にそんな技を!』

 技じゃないって、とレンツォは苦笑する。

『ただいま、……でいいのかしら。ごめん、迷惑かけたわね』

『気にすんなって、貸しにしとくから』

『そうして頂戴。……それで、ええとあなたは?』

「ミリア殿、はじめてお目にかかる。私は先の族長マーレウス。あなたのお仲間に微力を貸し、その勇気を見届けたもの。あなたとあなたの仲間の絆……互いを深く理解する者の絆が失われずに済み、深く安堵している。……分かるな、メロア?」

 言葉を向けられたメロアは小さく「はい……」とだけ答えた。
 どんな経緯があっても、最後に改心しようとも、メロアが事を引き起こした事実は変わらない。
 すでに彼女はミリアからのいかなる叱咤も罵倒も受け入れるつもりなのだろう。

「ミリア殿。思う事は多いだろうが、後は我らの法が収めるところ。ここは私に免じ、このまま陸に戻られよ」

『……、……』

『かえろうよ、ミリア』

 チコに促され、ミリアは小さく頷く。
 そのまま『月歌を紡ぐ者たち』は振り返る事なく溺死者の祠を後にした。



 溺死者の祠を出た先にはややテンパり気味の水精ペルナが待っていた。
 突然のマーレウスの掟破りに際して族長代理を任され、未だに混乱しているという。
 無理もないが、彼の助力がなければミリアが戻ってこなかったかもしれないと思うと水精ペルナには悪いが頑張ってもらうほかない。

 深海から海面に浮上していくにつれ、水精ペルナは徐々に水精の術式を再調整していき、無事『月歌を紡ぐ者たち』を地上へと返してくれた。
 これは『月歌を紡ぐ者たち』の案内役を任された時点ですでに手配されていたと言っていたが、もしかするとマーレウスは今回の件は自身の力が必要不可欠である事を知っていたのかもしれない。
 単なる保険だったのかもしれないが、もはや真実は彼にしか分からない。

「ああ、空気がおいしい。やっと帰ってきたわ」

『ミリアさまったら……ふふ。わたくしも嬉しいですわ。やはり誰もあるべきところにあるのがいちばんですもの』

「あっ、ちょっとコヨーテ引き上げましょ。さっさと乾かさないと死ぬわよ」

「うお、忘れてた! ごめんコヨーテ!」

 陸に帰ってきたなりぎゃあぎゃあと騒がしい『月歌を紡ぐ者たち』である。
 当のコヨーテはぐったりと力を失くしているが、命に関わるほどではないらしい。

『ミリアさま。この度の事……どうお詫び申し上げたものか分からないほどですけれども……』

「もういいんですよ、ペルナさん。すべて終わったんです。今後は私たちは私たちで、あなたたちはあなたたちで、折り合いをつけていくものです」

『そう言っていただけると救われます、ルナさま』

 水精ペルナは寂しげに笑うと、表情に気を入れて佇まいを直す。

『名残は尽きませんが、わたくしはこれで失礼いたします。族長……いえ、マーレウスさまの心配の種とならぬよう努めますわ』

「そっか……さよなら、ペルナ。元気でね」

『ええ、みなさまも! さようなら、陸の方々!』

 深々と一礼した後、水精ペルナは身を翻して水の中に返った。
 即座に水と同化した彼女の姿はもう視認できない。
 水面はゆらゆらと形を変えながら太陽の光を映している。

「ふう……」

 誰ともなく息を吐いた。
 すべてが終わったのだと、誰もが実感していた。
 その時である。

『――忘れていました!!』

「わあ!?」

『あ、……す、すみません。お渡しするものがあったのです。谷の見張りのオルクスからです』

 水精ペルナが腕を伸ばして渡してきたものは、小さな錨がデザインされたアミュレットだった。
 どうにも年季が入っているようで、しかし首に下げる紐はちっとも痛んだ様子がない。

『谷の見張りに引き継がれている装備品のひとつですわ。彼曰く「お前らは特殊な陸の民だ」、と。素直じゃないですね』

「ははっ、あいつがね」

『さ、さぁ今度こそお別れです。みなさま、ごきげんよう。ミリアさま、お元気で!』

 再び水の中に身を投げた水精ペルナはもう戻ってくる事はなかった。
 あのそそっかしい水精が族長代理なのだから、きっとまだしばらくはマーレウスの心配の種であり続けるのだろう。

「……さすがに疲れましたね」

「ちょっと休んだら昨日の宿に戻るよ。僕らはともかく、ミリアの荷物は双剣以外置きっぱなしだし」

「えっ、ちょっと私の双剣なんであんたが持ってんのよ。水の中に持ってったわけ?」

「しょーがなかったのさ。許しておくれよ、手入れぐらいは手伝うからさ」

 不可抗力だったんだし、と付け加えてレンツォは笑った。

「……ま、いいわ。あんたにもすごく迷惑かけちゃったみたいだし」

 レンツォはミリアの視線が自身の右手――そこに適当に巻いた包帯――に向けられている事に気が付いて、すぐに背に隠した。
 彼女が負い目を感じる事はない。
 仲間の誰かがミリアと同じ状況に置かれても、誰かがレンツォと同じ事をしただろう。
 それがたまたまレンツォだっただけだ。

「帰りましょう。今回の件、みんなの武勇伝を聞かせてほしいわ」

「うげ……ま、まぁいいさ。その代わりミリアの奢りだからね?」

「何を細かい事言ってんのよ! あったりまえじゃない、それくらい!!」

 そう言って、ミリアは満面の笑みを浮かべた。
 誰もが失いたくないと思った存在が、最高の笑顔を引っ提げて戻ってきてくれた。
 それだどれだけありがたい事か。

 冒険者は死と隣り合わせの存在である。
 時には仲間を失いかける事だってあるだろう。
 だからこそ、それを乗り越えた先には固い絆が生まれる。

 これは連綿と紡がれてきた絆が更に固く、より強くなった物語である。



【あとがき】
今回のシナリオはcobaltさんの「深き淵から」です。
リューンに帰ろうとしていた冒険者たちが気づけば海の中で……という巻き込まれ型の中編シナリオでした。
唐突に囚われる仲間と、仲間を取り返そうとする冒険者に別れてストーリーが進行し、時間経過による浸食も緊張感があってスリリングです。
なお筆者は大抵最速で助け出そうとするためあの場所に眠るお宝とかにお目にかかった事もなければいわゆるバッドなエンディングを見る事もなく……仲間想いなやつらが多いだけって思いたい!
ともあれ豊富なエンディングは「まさか!」と思うものもありますので、ぜひ実際にプレイしてみてください。

また、冒頭で配布できる関係クーポンに反応しますので、誰を『その一人』にするかギリギリまで悩みました。
迷った挙句に本文のような事になり、結果的に戦闘が辛くなりすぎた感じがありますね……
いつぞやの三一話を思い出す……学習しない筆者である!
実際、最終的に火晶石で大爆発というハリウッド的解決を図ろうとしたら無理だと知ってかなり苦労しましたね。
大きく時間がかかったのも「これ勝てない?」「いや勝てる」「でも勝てない」「省略する?」「いくらなんでもそれはない」と、いろいろ葛藤していたというのもありまして……言い訳見苦しい!

さて今回、吸血鬼という種を少しでもご存知の方なら違和感バリバリだったと思うのですが……
ある意味では一度はこういった話をやってみたかったというのもありまして、今回はコヨーテに我慢してもらう事にしました。
一応、以前から純粋な水でなければある程度は耐えられるような話をしていたのと、あとは気合いと……族長殿の秘術がすごかったんだと思います。

あまり道中でわいわいできなかった事もあり、没になった台詞も今回は多かったです。
シナリオ中のNPCとの絡みだったりは極力削ぎ落とす方向になってしまったのは少しもったいなかった気もします。
『口の中がしょっぱい』
『あぁ、塩分が気になるな……』
『現実的な話はやめろよ。血圧とか俺が一番やばそうで怖ぇんだよ』
『不摂生だもんね、バリー』
……みたいな!

また、今回でついにコヨーテとルナがレベル6の大台に乗りました。
少し遅れて他のメンバーもレベルが上がるでしょうし、次々に名作シナリオが存在するレベル帯なので楽しみです。

【ないない尽くしだとしても拳を握って立ち向かうくらいならできるのさ】


☆今回の功労者☆
レンツォ。お前頑張ったね本当に……


LEVEL UP
コヨーテ、ルナ→6

報酬:
なし

戦利品:
【藍色の鱗】→ミリアのバックパック
【精神の錨】
【歌う貝殻】

銀貨袋の中身→10517sp


≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『深き淵から』(cobalt様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。


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第四〇話:『深き淵から』 (2/3) 

『――せいやっ!!』

 ごぼっ、と気泡が立ち上る。

(よおおっし、気力で眠気を振り払ったわ! 私を甘くみないでよね、あんたの好きになんかさせないわよー!!)

 眠気を飛ばすためにやたらとテンションが高いミリアであった。
 しかし相変わらず身体のほうはさっぱり動かず、低い水温にすっかり熱を奪われている。

(手足が動かせないのは凍えてるからってわけじゃないんだろうけど……あぁ、もう。ここまで冷えたら水浴びは十分なのに)

 暑い暑いと唸っていたつい先日の昼間が――時間の感覚はなくなっているが――すでに懐かしい。
 ともあれ、長時間を仄暗い水の中で過ごしたのは間違いない。
 いい加減に暗さにも慣れたかと視線を巡らせるが、しかしほとんど視界の聞かない場所のようだった。

『……っ!!』

 元凶の人影はまたしても暗がりから不意に現れた。
 ミリアは息を呑みながらも、先刻よりも冷静になった頭で言葉を探る。

『あんた、何なのよ。私をどうするつもり……』

「――水よ」

 ミリアの言葉を遮るように、元凶は言葉を紡ぐ。

「漂い、流れ、凍え、変わりながら巡り続けるものよ」

 否、あれは単なる言葉ではない。

『あっ……、あ、あああ……!』

 どくん、どくんとやたらと鼓動を近くに感じる。
 その度に得体のしれない何かがミリアの内側に湧き起こっている。
 強烈な不快感を覚えつつも体は動かず、わずかに身をよじらせるだけしかできない。

「この者を汝と近くせよ。この深き淵の住人とせよ」

『ああ、あ……! が、ぁ……!!』

 不快感が痛みに変じる。
 内側から外側へ抜け出ようとする何かがミリアの体内をめちゃくちゃに暴れだした。
 身体がバラバラになりそうな激痛に耐えかねたミリアは意識を手放さざるを得なかった。

「……ごめんなさい」

 意識が吹き飛んでいく刹那、その言葉は確かに元凶の声で発せられていた。



 異常な事態に陥った冒険者の行動とは画一的なものだ。
 大きな行動に移る前にまず情報収集、これに尽きる。
 最善を選択しているという点では文句のつけようもない行動であるが、人質を取られている状況ではどの程度まで情報を集めるか、加減を調節しなくてはならない。

 族長マーレウスおよび水精ペルナから得られた情報は粗放ではないがやや不足があった。
 どうにも彼らは全体を統括する立場にあって現場に赴かないタイプのようで、溺死者の祠やメロアについて概要を話せてもより深く質問すると答えあぐねるといった具合だ。

 初見の、しかも海中という地理に疎いにもほどがある『月歌を紡ぐ者たち』にとって道案内は必要不可欠であるにも関わらず、水精ペルナはそこに近づいた事もないらしい。
 もっとも、マーレウスの集落の者は誰も彼も似たようなもので、本来は禁忌の地である溺死者の祠に近づこうという者はいないのだという。
 彼女は癒しの術を得意とするが故に族長に見込まれたと言っていたが、事ここに至っては何よりも情報が欲しかった。

『で、バリーの意見としてはどうなの?』

 レンツォは水圧に耐えきれずに割れてしまった薬瓶を皮袋に選り分けて荷物袋の底のほうへ追いやり、まだ無事なものだけを選びつつ問いを投げかけた。

『本来なら魔術と精霊術の間に明確な差はねぇ……が、この場合は例外だ。魔術において記憶の操作は禁呪クラスの難易度だ。いくら精霊といえどそんなモンに手を出せるほど高位の魔術師とは思えねぇ。……だな?』

 ペルナは静かに肯定した。

『つまりは精霊術だろ。俺にも分からん』

『これっぽっちもかい?』

『気休めが欲しいんなら希望的観測に満ち溢れた非現実的な言葉でも吐いてやるが?』

『……いい。僕も君と同じく現実主義者だからね』

 危険を冒す者と書いて冒険者ではあるが、好き好んで危険に身をさらすのはただの愚か者だ。
 彼らは危険の度合いを調べ、吟味し、知識と知恵によって判断を下す事で乗り越えてゆく。
 現実を見ない者では冒険者は務まらない。

『となれば行動あるのみだが……、コヨーテの具合はどうだ』

『過去最悪と言っていい』

 もはや単独では立っていられないほどに、コヨーテは消耗している様子だった。
 ルナに肩を借りて直立してはいるもののまぶたを閉じて指先はだらんと垂れている。
 水中でなければこうまで消耗しなかっただろうが、浮力がなければルナ一人では支えられなかっただろう。

『無理はするな。ミリアを助けるためにお前が死んじまったら意味ねぇんだからよ』

『……状況のマズさは正しく理解しているんだろう? 泣き言を言っている場合じゃない』

 陸上なら『月歌を紡ぐ者たち』に対処できない事態というのはそう多くないだろう。

 だが、水中では普段の実力の半分すら出せるかどうかも分からない。

 パーティで唯一水中に適応できそうなミリアは敵方に囚われ、コヨーテは著しく弱体化、バリーの得意とする火炎術式や催眠術式は封じられている。
 チコの射撃は辛うじて使えるだろうが射程や精度はガタ落ちしているはずだし、残りのメンバーは戦闘要員ではない。
 つまり荒事になってもまともに戦えるメンバーがいないのだ。

『分かってねぇなァ。今のお前じゃ足手まといだっつってんだよ』

『ッ……、』

『何をそんなに焦ってんのか……まァだいたい想像はつくが、お前が責任を感じる事ァねぇよ。こんなモン回避不可能な異常事態だ』

 図星を突かれたコヨーテは言葉を詰まらせてまま黙り込んだ。
 今回の一件に関して、コヨーテは決定権をミリアに預け、一任している。
 もしも立場が逆だったなら、この場には海水に苛まれず、戦力として申し分のないミリアが立っていたはずなのだ。

『もしミリアが攫われた事を自分の責任だって思ってんなら見当違いだよ。精霊力だとかいう訳の分からないものに対して無関心なままその危険をミリア独りに背負わせたのは僕らだって同じだ』

 一刻を争う状況で後悔している暇なんてない。
 責任の所在もすべて終わった後で問えばいい。
 今成すべき事は何か、そのために自身が何を成せばよいか、考える必要があるとすればそれだけだ。

『はぁ、まさかこんなに早く「次の機会」が来るとはな……』

 独白のような呟きの後に、コヨーテは自身を支えてくれていたルナから離れた。

『今回、オレはリーダーから外させてもらう。オレの代わりはルナに任せたいが、どうだ?』

『ええっ、私ですか!?』

『代理なら俺がやってもいいが?』

『いつものような前衛後衛の概念がないんだぞ。敵が現れたとして、それの眼前で術式を展開させながら周囲に目を配れるのか?』

『しかし普段の実力を発揮できるかも怪しい未知の領域だぜ。セオリーなんかあってないようなモンだ、ルナには少し厳しいんじゃねぇか?』

『だとしてもバリーの術式は数少ない武器だ。可能な限り攻撃に集中してほしいし、何より魔法に関しては代わりが利かないだろう』

 それに、とコヨーテはルナに向き直って続けた。

『ミリアも君を推していたし、おそらくルナが一番オレに近い思考をしている、と思うから……』

 コヨーテの言葉尻が萎んだのは疲労のせいだけではないだろう。
 その風貌からも察せるほどにルナは押しに弱く、おまけにプレッシャーにも弱い。
 あまり強く押しすぎると却って逆効果だ。

『……分かりました。どこまでやれるか分かりませんがやってみます』

 こうしてルナを中心とした臨時体制を組み上げる運びとなった。
 海中というイレギュラーなフィールドにどう適応するかの議論もそこそこに、ルナ率いる『月歌を紡ぐ者たち』は溺死者への祠へと向かう。

 タイムリミットは刻々と迫りつつある。



(……、う……)

 ゆっくりと瞼を開けても、見えるのは薄暗い海底だけだ。
 ミリアは靄がかかったようにぼんやりとする頭を唇を噛んで覚醒させようとするが、うまく力が入らない。

(っ、……自分の身体じゃないみたい。いきなり行動の自由が持ってかれたわね……)

 その感覚とどれだけ格闘していたのだろうか。
 気が付けば周囲の薄暗い闇が少しだけ和らいだ気がする。
 目が慣れてきたのだろうか。
 青とも黒ともつかなかった闇が、今では遠くまで見渡せるようになっていた。

「……まだ、痛みますか?」

 いつの間に現れたのか、元凶の人影が目の前に漂っていた。
 今ならその人影が女性の姿をしている事も、彼女が人ならざる者――おそらくは水精――である事も見て取れる。

「息は苦しくないですか? ……怖いって、思ってますか?」

「ぁ、……! ……、……!?」

 冗談じゃないわ、と叫んだつもりだった。
 だがどれだけ口を開けて舌を動かしても声らしい声は発せられなかった。
 もはや声すら出なくなってきている。

「……あなたが、」

 水精はそっとミリアの頬を撫で、

「あなたがそんなに苦しむなんて思ってなかったの。でも、言い訳ね……」

 まるで慈しむように、悲しげな眼差しでミリアを見つめた。
 彼女の瞳に後悔の色はない。
 が、少なくとも申し訳なさだけはどうしてか感じられた。

「今のあなたとお話するのは辛いんです……もうすこし、我慢してください。もうすこし……そうすれば、水の温度にも慣れるわ。恐怖も不安も消えるでしょう」

 もしかしたら彼女はミリアを助けてくれていたのかもしれない。
 水の中に引きずり込んだ元凶は別にいて、水中に適応できるように術式を施していて、それが思っていた以上にじゃじゃ馬なだけだったのかもしれない。
 そんな考えを抱いた次の瞬間、水精は薄く引き伸ばしたような笑みを浮かべて、

……」

 そう言い残してその姿を消した。
 一瞬前の自分をぶん殴ってやりたい気持ちに駆られるほどにミリアは自らを恥じた。
 コヨーテに対して甘いだの何だのと言っておきながらこのザマか。

(……とにかく。自分が置かれている状況をまとめてみましょうか)

 今は強制的な眠気や痛みもない。
 頭のほうは相変わらず薄ぼんやりとしているが、何もしないよりはマシだ。

(命を取るつもりはない、かな。でも、この身体の違和感……それにさっきの言葉。案外、似たようなものなのかも)

 ヒト一人を水中まで転移させる術式に、水中に適応させる術式、そして現在進行形でミリアの身に起こっている現象。
 これらの大掛かりな術式を用意していたのだ、洒落や冗談で済まされるような結末は待ってはいないだろう。

(このままここにいれば私は私でなくなる……にわかには信じられないけど。正直、冗談キツすぎるわね)

 もし身体が自由に動くのならあの水精の首をすっ飛ばしてでも阻止するところだが、出来もしない事をぐだぐだ考えていても仕方がない。
 ミリアは怒りを鎮め、まずは冷静さを取り戻してから次の行動を考える必要がある。

(そう簡単には……、負けてやらない……!)

 決意を新たに、ミリアは小さく泡を吐いて心を研ぎ澄ませる。

 ミリアが再び目を覚ました。
 自らが気絶していた事にしばらく気づけないまま、ただぼうっと緩やかな潮流の中で漂っていた。

(……、短い夢をいくつも見た気がする……何だったかな……?)

 眠くはないのに寝ぼけている感覚。
 何故かとても時間がゆっくりと動いているような感じがした。

(……この状況で見ていた夢が、最近宿の娘さんが開発した新しいメニューだとか、鏡とにらめっこしている親父さんだとか……とても言えないわね)

 ようやく夢の内容を思い出せた時には、目覚めてから相当の時間が経っていたのだがミリアは気づかない。
 光もおぼろげな深海では時間の感覚なんて持っているほうが異常だ。
 だが、ミリアの感覚が狂っているのはそれだけでは決してない。

(みんな、どうしてるかしら……私がいなくなった事にはもう気づいてるといいんだけど)

 しかし場所が場所だけにコヨーテだけは来たくても来れそうにないな、と思い直して、ミリアは少しだけ笑みを浮かべた。

(旅の宿から海の底、ってね。突飛な話ではあるわよね)

 それでも『月歌を紡ぐ者たち』の諦めの悪さはミリア自身がよく知っている。
 コヨーテの不撓不屈の精神を、叛逆の魂を知っている。

(……私が諦めるには早すぎるわ)

「………………」

 再び、あの水精がどこからともなく目の前に現れた。
 これで二度目だ。
 ミリアはあからさまに驚くような真似はしなかった。

「あんた――ッ!」

 しかし自らの喉から声が出た事に驚いて、ミリアは次の言葉を紡げない。
 声が出せないほど何らかのダメージを負っていたのだ、普段なら快復の兆しかもしれないと喜んだだろう。
 だがここは海中だ。
 陸の民であるミリアが生存できている以上、何らかの魔術で適応させられているのだろうが、その中で声が発せられる事が果たして良い方向に向かっていると誰が断言できるだろう。

「………………」

 そんなミリアの葛藤も水精には一切届かない。
 彼女の青褪めた華奢な手が静かにミリアに伸ばされる。

「触らないで! ――痛ッ!」

 咄嗟に声を出してもその手が止まる事はなかった。
 彼女の手にしていた藍色の針が鎖骨の傍に突き立てられ、ミリアは痛みにその身をよじるが、依然身体の自由は利かないままだ。
 磔刑のごとくそのまま貫かれるのかと危惧したが、小指の爪ほどをミリアの肉に食い込んだところで止められた。

「――我が待ち人、アウディトゥアに」

 どうやら針を刺すためだけに現れたらしい水精は、それだけ呟くと泡と共に消え去った。

「く、そ……逃げるんじゃ、ない……わよ……!!」

 じりじりとした痛みが不快で、とにかくこの針を抜き去ってしまいたかった。
 身体の自由が利かない以上それも叶わず、ミリアはただその針を恨めしそうに睨めつけるしかない。

 ふと、ミリアは気づいた。
 針の尻に小さな穴が開いている。
 拷問用の針じゃない。

「……裁縫針?」

 それを刺す事にどんな意味があるのか。
 魔術に疎いミリアにはさっぱりだが、意味の分からない行動ほど怖いものもない。
 猛烈に嫌な予感に襲われたミリアは、ともすれば発狂してしまいそうな不快感に身をよじりながら、必死にそれらに抗った。



『……、』

 レンツォは思わず胸を押さえた。
 得体の知れない予感が胸騒ぎどころか針で刺したような痛みとなって襲っていた。

 すぐそばでやや首を傾げながらルナが立ち止まる。
 ハンドシグナルと勘違いしたのだろうか。
 なんでもない、とすぐさま返してレンツォは再び前を向いた。

(きついな……)

 レンツォは目を細めて谷の奥を睨めつけた。
 谷のほうからは単なる潮流だけでなく水の精霊力が情け容赦なく叩きつけてくる。
 水の流れで生まれる波紋や泡が視界を狭めてきて、陸での向かい風以上に厄介だった。

 後悔の谷は北へ伸びる底深い谷だ。
 しばらく北へ進んだその谷底に溺死者の祠があるらしいが、強い潮流が行く手を阻んでいる。
 また、谷は南流しており南下は易く北上は難いという。

『谷の流れはただの潮流ではない。溺死者の嘆きが混ざり、俺たちにさえ苦く感じられる』

 後悔の谷の入り口を見張る水精――オルクスと名乗った――の言葉だった。
 生粋の水精である彼らですら堪えるという潮流に真っ向から立ち向かわなければならない。
 しかし、

(くそ……負けるか!)

 ぐっと奥歯を噛み締めて全身に力を込め、潮流に抗う。
 こうしている間にもミリアの眷属化は進んでいるはずだ。
 死者の嘆きが心を削るというなら一刻も早く溺死者の祠に辿り着き、体力の残っている内に救出すべきである。

 それらが成功するか否かは先導するレンツォの手際にかかっている。
 せめて水中でなければどれだけ気が楽だった事か。

 ちら、と左手を見た。
 そこに握られているのは【捕縛の縄】という盗賊王バルセルミの用いていた道具のレプリカである。
 普段であれば脱出困難な捕縛縄として活躍していただろうそれは水の抵抗によってろくに投げつける事もできず、ただ強い潮流にメンバーが流されないよう握らせているだけである。
 ただ、この場で誰よりも消耗しているコヨーテだけは流されないよう抗うだけでも難しく、半ばロープに捕まらせているだけで引きずっている形となっている。

(盗賊王の七つ道具が形無しだなぁ)

 だが使い道があるだけでも贅沢は言えない。
 時間に余裕がなく、消耗が激しいと分かり切っている場所に向かうのだ。
 デッドウェイトになるような荷物は捨てるしかない。
 仮にも盗賊王が用いていた道具のレプリカゆえにそう簡単に千切れはしないだろうが、もし壊れてしまったらと考えるだけでも怖い。
 買値にして銀貨二四〇〇枚也。

『……っと』

 黙々と進んでいる内に前方に見慣れないオブジェを発見した。
 海底から突き出ているそれは曲線を描きすぎたフォークの先端のような形をしている。

「船の錨がありますわ。ちょうど谷の中央辺りです」

『え? あれ錨なの?』

 言われてみれば確かに聞き及ぶ錨の形状をしているように見えるが、船と繋がっている綱や鎖を通す環がどこにも見当たらない。
 と、そこまで思考してレンツォはようやくそれが海難事故の残骸であると思い至った。
 水精オルクスもこの辺りには沈没船があると言っていたはずだ。

『こんなでかい錨を使ってるなんて相当の巨大船だったんだろうけど……』

『錨があるのならこの辺りに沈没船もあるのでしょうか?』

『それはないね。この辺りは岩場だから船も錨を下せないし、もし錨が破損したら船はもう止まらない。その場で転覆するなりしてれば沈むだろうけど後悔の谷はずっと南流してるんだろ、たぶんずっと南のほうに流れていったさ』

 集落を出てからこれまでずっと潮流に逆らい続けて一本道だ。
 おそらくはこの錨を繋いでいた船は原型を留めないほどに海の藻屑と化したのだろう。

『下手に沈没船なんかがあったら余計な死角ができるって事だからね。なくて良かったさ』

『何か物資が得られればと思ったのですが』

 自分じゃあるまいし、とレンツォは笑いそうになった。
 が、すぐに思い直して、

『当てにしないほうがいいよ。探索に使う時間ももったいないし、付け焼刃の道具より使い慣れたモノが一番だからね』

『そう……ですね』

 ごぼり、ルナは泡を吐いて自前の杖を握り直した。
 普段では考えられないようなイレギュラーな環境下で慣れないリーダー代行である。
 傍目から見ても一目で分かるくらいにはひどく緊張している様子だった。

『ま、不安なのは分かるけど腹決めてかかるしかないからさ。今日ばかりは頑張ろうぜ』

『軽く胃が痛いですけどね……レンツォは平気なんですか?』

『不安で吐きそうだよ。だけど弱音吐いたって今回はコヨーテもミリアも助けてくれないんだぜ。バリーもチコも普段の実力の半分出せるかどうか……』

『あーもうやめやめ。やめなよ、そういう気分が沈むだけの会話ぁー』

 気づけば後方からチコがぐいぐい進んできていた。
 何気なく会話しているように見えてレンツォはしっかり周囲の索敵を済ませて移動している。
 普段ならくだらない会話を交えつつ索敵するなんて朝飯前なのだが、やはり水中だと精度が落ちるらしい。

『ルナ、杖かしてー。先っぽだけでいいから』

『え? えぇ、いいですけど……何するんです?』

 チコは杖の先端にナイフを紐で括り付けていた。
 片手でロープを掴んだままだというのにさすがの器用さである。

『ほいっと。水中じゃ何にしても振りぬくなんて無理だから、槍を扱うように突いてねー』

『ん? チコ、きみ弓はどうしたの?』

『あれもナイフくくりつけてバリーに渡しといたよー、念のためだね。レンツォもいる?』

『んー、いや僕はいらない。こいつがあるから』

 言って、レンツォは腰に括り付けていた白鞘のショートソード二振りを軽く叩く。
 宿屋でミリアの悲鳴を聞いたあの一瞬の間に彼女の得物を咄嗟に掴んで駆け出したのは、レンツォにとって大いに我褒めしたい行動だった。

『借りるだけさ』

『盗人の言い訳みたいに聞こえますよ』

『命のほうが大事だってミリアも分かってくれるって』

 何も壊れる前提で使う訳じゃなし、とレンツォは少しだけ笑った。

『これでなんちゃって戦士が一気に三名増えたよ。なんかやれる気がしてきたね』

『……限りなく不安なのですが』

『狩人が鉈持ってんのはまだしも普段クソザコヘタレな盗賊が双剣持ち出して戦うんだぜ。頼もしいだろ?』

『どうしてそれで安心できると思ったんですか』

『私はともかくー、モブキャラ同然のあんたが双剣もっててもどーしようもないよね』

『温和で心優しいシスターさんが即席槍で暴れる様なんてここでしか見られないだろうぜ』

『わー、それは超観たい。一歩引いたところから観たいなー』

『たぶんしませんっていうかできませんからね!?』

 ぎゃーぎゃー騒いでいたらレンツォの心も少しだけ軽くなった気がした。
 心なしかルナも余分な緊張が取れたような表情をしている。
 ちょっと騒ぎすぎてバリーから睨まれたが、索敵に抜かりはないから気にしない。

 それどころか、

「皆さま! 谷を抜けましたわ。この先が溺死者の祠です」

 谷は抜けた。
 もうあの心を折ってくる強烈な潮流は向かってこない。

『さぁ、モブキャラたちの反撃を始めようぜ』



 どれだけの時間が流れただろう。
 じくじくとした小さな痛みはやがて膨大な不快感と化してミリアを苛み、やがて目覚めているのか眠っているのかすら定かでない。

(く、び……に、何か……刺さって……?)

 もはや直近の記憶すら曖昧になっていた。
 ただ首元にひどく深いな何かがくっついている、という認識しかなく、ミリアは気だるげな瞳でどうにかそれを見ようとする。

(……、あ……あ、あ、……ア……)

 そこにあるのは藍色の針だった。
 正確にはその針の尻からは細長い糸のようなものが揺らめいていて、その端はずっと遠くの暗闇の中に消えている。

 しかしそのを視界に移した瞬間。ミリアの思考は爆発的に加速した。
 否。思考が、ではない。

(祈り、時間がくる、銀貨が落ちた、貼り紙を、眠る。リューンの、右へ進む、あれを、気配がある、もうひとつ、確認する、聖印の。許す。小さな音、いつもの席、走れ、はい。いいえ。福音を、煙が、司祭、においが、削る、金色の、読む、距離が――)

 種類も時系列も関係ない。
 かつてミリアが歩んできた人生そのものが、ポップコーンのように弾け、それを無理やりにツギハギにしたような、そんな映像。

(ある。ない。そ の、子供 の声。瓶の、丸 い、使  い魔。上へ、何 を。説教。チャンス   が、冷た  い。長い  橋、回れ。この 本を。   星。  注文に。    海、水。       浄化。 塩。返 す。 帰る、帰る、か   え     る、……)

「ガボッ! ……ゴホッ!!」

 頭が焼き切れそうなほどに痛みを発した。
 幸いな事に痛みがミリアを現実に引き戻し、止まっていた呼吸を再開させた。
 しばらく咳き込んでいたミリアだったが、やがて荒い呼吸を繰り返しながら、針と糸を視界に入れないように目を伏せる。

(頭が……どうにかなりそう。一体何なの……この、針のせい、なの……?)

「………………」

「また、あんたね……!」

 目の前に例の水精の脚が見える。
 もう何度目かの登場ですっかりリアクションもしなくなった――というより現状ではする気力もないのだが――ミリアは、今度ばかりは声を荒げざるを得なかった。

「高みの見物? ハッ、いいご身分ね! 説明のひとつでもしたらどうなの!」

「……、」

「こっちの身にもなりなさいよ! 私をどうしようっての!?」

「……、」

「答えてよ、!!」

 その叫びが効いたのか、水精はようやく反応らしい反応を見せた。
 目を丸くして驚いたように見えたが、すぐにそれは別の感情に塗り替わる。
 興奮冷めやらぬといったような、歓喜の表情だ。

「い、いま! 名前! 呼んだよね? あたしの!」

「……は?」

 この水精は一体何を言っているのだ。
 出会ってから終始無言で、口を開いたかと思えば呪文の詠唱で、自分の事なんて何一つ話そうとしないメロアの名前なんて知る由もない。

「――う、ううん、いいの。いいんです。気にしないで。ちゃんと聞こえたし。ね、アウディトゥア?」

「ア、アウディ……トゥ……? 待ってよ私はそんな名前じゃない。まさか人違いとか言うんじゃ――!」

「あ……まだダメか」

 メロアはあからさまにがっくりと肩を落とした。
 再びミリア向き合ったメロアはさっきまでの歓喜や落胆の表情をすべて掻き消して、強い感情が籠った双眸でミリアを貫く。

「いいえ。人違いじゃありません。でも……ごめんなさい」

 メロアが踵を返す。
 それはもう何度も見てきた、彼女がこの場を去る時に用いる振る舞いだ。

「待ちなさい! 説明もせず逃げるなんて卑怯よ!」

 すぐにでも後を追いたかったが、意識がはっきりしたところで身体の自由は未だにメロアに握られている。
 何もかもが思い通りにいかない状況にミリアは苛立っていたが、ここで暴れても状況が好転する事はなさそうだ。
 熱された頭をどうにか冷やし、努めて冷静に気持ちを入れ替える。

(……好きにはさせないわ。あの人がああ言っていようが、人違いの可能性もあるみたいだし)

 もし人違いだったらと考えるとまた暴れだしたくなったが、その考えは遠くへ放り捨てる事にした。

(こんな時、バリーだったらどうするのかしら。動けない今、出来る事と言ったら考える事だけ……しっかりしなさいよミリア・アドラーク・グラインハイド!!)


To Be Continued...  Next→

第四〇話:『深き淵から』 (1/3) 

 ハマオ村を離れて幾日か経った快晴の日、『月歌を紡ぐ者たち』は木陰を選んで思い思いに休憩していた。
 雲ひとつない空から照りつける日差しはうんざりするほど強く、昨晩の通り雨のせいで蒸し暑い。
 時折吹いてくる風で何とか涼は取れるものの、海が近いせいで肌がべたついて仕方がない。

「……水浴びがしたいです」

「近くには海しかないけどね」

 レンツォもすっかり参った様子で木の幹にもたれかかっている。
 霧が出ていたためむしろ肌寒いくらいだったハマオ村がもはや懐かしい。

 とはいえ愚痴っていても涼しくなるわけもなく、肌のべたつきが消えるわけでもない。
 『月歌を紡ぐ者たち』は手持ちの道具でただひたすらに耐えるのだった。
 すっかり温くなった革袋の水でも手拭いを湿らせるくらいの役には立つのだ。

 それから半刻ほど経った頃、リューン行きの乗合馬車が到着した。
 普段であれば贅沢な帰路となるが、無理して歩くほどでもない。
 日差しは暑いが懐は暖かいのだ。

「待って! ちょっと待って! そこのリューン行き! ついでにそこの人たち!!」

 唐突にコヨーテたちを呼び止める高い声が聞こえた。
 何事かと声のほうへ向き直ると、大きな瓶を抱いた少女が馬車に駆け寄ってきている。

「ねえ! 突然で悪いんだけど、リューンへ行くんでしょ? ひとつ、頼まれてくれない?」

「いきなりだなぁ。誰、きみ?」

「あ、ごめん。不躾だったね。あたしはマリナ。この近くで海女をしているの」

「僕はレンツォ。んでリューンの冒険者『月歌を紡ぐ者たち』さ」

 レンツォが自己紹介を済ませるとマリナはぱあっと表情を明るくした。

「やっぱりリューンの人なんだ。ねえ、届け物をお願いしたいの。もちろん、お礼はするわ!」

「だってさ。コヨーテ」

「……内容による。あまり大掛かりな仕事になるなら、『コレ』だしな」

 コヨーテは手に抱えていたレーヴァティンを軽く掲げた。
 道中での夜営で火を熾して以来、ずっとレーヴァティンは沈黙を続けている。
 バリーの見立てによれば単に内包していた魔力が枯渇した事で炎が出せなくなっただけだという。
 だが火炎が使えなければコヨーテは精気変換の術を失い、大きな戦力ダウンとなる。
 よって、コヨーテだけは道中で別れてフォーチュン=ベルへ向かうつもりなのだ。

「簡単よ。リューンの精霊宮にこれを届けてほしいの。一応、生モノだからなるべく早くお願いね」

 マリナは手に持った瓶を差し出した。
 水の張られた瓶の中にたゆたうのは黒くて丸い何かを包む半透明の膜、端的に表せば見慣れない何かだった。

「なにこれー、何かの内臓? たまご? ちょっとぐろーい」

「こいつァサメの卵だな。俺もこの眼で見るのは初めてだが」

「その通りよ。あたしたちは『人魚の財布』って呼んでるわ。真ん中の黒いのが段々とサメの形になるんだけどね」

 真ん中の黒いものが卵の核であり、それを覆う半透明の膜が卵殻である。
 見た目では分かりづらかったが卵殻は驚くほど丈夫だという。

「しかし、どうしてサメの卵なんか精霊宮に届ける必要があるのよ?」

「サメの卵自体はそう珍しいものじゃないわ。でもね、これ海の中でぼーっと光ってたのよ」

「……、なるほど。弱いけど精霊の力を感じるわね」

「はっ? ミリアお前いつから精霊力を感じられるようになってんだ。デタラメ吹いてんじゃねぇだろうな」

「失礼ね、昔っからよ。といってもこうして間近でじっくり観察してようやく、ってところだけど」

 バリーは魔力に関してはエキスパートだが、精霊力に関しては門外漢だ。
 魔力に匹敵するほどの精霊力ならまだしもこうまで微弱では感じられないのも無理はない。

「海の底でね、すごくきれいだったの。思わず拾ってきちゃったんだけど、村長が聞きつけてね。何か胸騒ぎがするらしくて」

「胸騒ぎ?」

「うん。あたしは数日、瓶に入れて眺めてたけどなんともなかったわ。弟も珍しがってたし……でも、村長の勘は当たるのよね」

「まぁ、光る卵なんて不気味ではあるけど……」

「そこで、リューンの精霊宮に知り合いがいるからって伝書鳩で相談したらすぐ届けてほしい、って」

 だからこそ彼女は乗合馬車の停留所に駆けてきたのだろう。
 ここから馬車を乗り継げば明後日にはリューンに着く。

「精霊宮にはもう話はつけてあるから、卵と村長の手紙を渡せば銀貨三〇〇枚って約束なの」

「ふぅん。どうする、コヨーテ? 私たちにとっては帰り道だし、悪くない依頼じゃない?」

「そうだな、請けてもいい」

「何か歯切れ悪くない? まさか、あんたも……」

「まぁ、な。それにオレは最後まで面倒見られないわけだし」

 胸騒ぎを覚えたという村長も勘は当たるほうだそうだが、コヨーテの勘もよく当たると『大いなる日輪亭』では有名だ。
 引っかかるものがあるというのに途中で依頼から外れるとあっては、リーダーとして気が気でない。

「この件、決定権はミリアに一任するよ。違和感があるとはいえリューンまではたった二日だ。精霊力も微弱だというし、取り扱いに気をつけてさえいれば大事にはならないかもしれない」

「そうねぇ……」

 ミリアは逡巡の後、マリナに向き直る。

「ねえ、あなたはどうして自分で行かないの? 複雑な道程ではないし、銀貨三〇〇枚なら割のいい仕事だと思うけど」

「う~ん。確かに銀貨三〇〇枚は大金だし、都会を見てみたい気持ちはあるわ。でも往復だけで五日かかるのはどうしようもないの。今は大事な漁の季節だし、あたしは海女。漁を放り出しては行けないわ」

 あまりにも真っ当な意見だった。
 その言葉に何かを誤魔化すような澱みやつかえは一切見られない。
 どうやら信じてよさそうだ。
 少なくとも彼女だけは、だが。

「決めたわ。依頼を請ける。運ぶモノはちょっと変わってるけど、リューンの精霊宮までならいつもの帰路とそう変わらないからね」

「ありがとう! それじゃ、はいこれ」

 マリナが渡してきたのは一通の手紙と、背中に背負っていた大きな皮袋だった。
 手紙のほうはさっき話していた精霊宮へ宛てた村長の手紙だろう。
 だが皮袋のほうは正体が分からない。

「海水よ」

「……なんでまた海水?」

「だって生モノだもの。毎晩、半分ずつお水を替えてね。そうすれば明後日ぐらいまでなら生きたまま運べると思うわ」

「世話が要るなんて聞いてないんだけど」

「生きたまま運ばなきゃ意味がないでしょ? とにかく、よろしくね」

 肩の荷が下りたからか、マリナは表情を明るくして駆け去っていった。
 残されたのはサメの卵と手紙と海水である。

「……担当を決めておきましょうか」

「そうだね。僕はミリアが適任だと思うけど」

「ちょっと。どうしてそうなるわけ」

「だって僕らじゃ精霊力の云々なんて分からないし」

 うぐ、とミリアは言葉を詰まらせた。
 こういう状況になった場合、大抵はコヨーテが何かと理由をつけて引き受ける場面が多かったが、今回ばかりはそうもいかない。
 吸血鬼にとって海水は弱点のひとつでもあり、それに触れろというのは酷すぎる。
 それにコヨーテは途中で別行動するのだ。
 卵の世話などできるはずがない。

「……くっそー、分かったわよ。私がやるわ」

 半ば渋々といった様子でミリアは荷物を受け取った。
 話がつくまで待っていてくれた御者に礼を述べて、『月歌を紡ぐ者たち』は馬車へ乗り込んだ。



 『月歌を紡ぐ者たち』を乗せた馬車は順調に街道を進み、やがて小さな宿場町に辿りついた。
 贅沢な馬車の旅ではあるが、一日中揺られるだけというのも身体に堪える。
 一行はそそくさと手近な宿に入った。

「可もなく不可もなくって感じかなー?」

「思ってても口に出すなよ。値段のほうはリーズナブルなんだから」

 不味くはないが取り立てて美味くもない食事を済ませると、すっかり夜も更けてしまっていた。
 宿屋の一階には『月歌を紡ぐ者たち』しかいない。

 明日も再び馬車に揺られるだけの帰路である。
 多少羽目を外しても構わないのだが、どうにもそんな気分にはなれなかった。
 明日の仕込みのためか宿屋の主人はほとんど厨房に引っ込んでいて注文しづらいというのもあるが。
 そこでチコがむにゃむにゃ言い出したので、自然と解散の流れになってしまった。

「ミリア、例の卵の世話忘れないようにね」

「分かってるわよ」

 ミリアは渋々といった様子で件の瓶と皮袋をテーブルに載せる。
 そうしている内に一人また一人と部屋に引き上げていき、やがてコヨーテだけが残った。

「明日から任せたぞ」

「ん。任されたわ。とはいえ帰るだけだし、そんなに心配しなくても大丈夫よ」

「もし何かが起こったらお前がまとめるんだぞ」

「リーダー代理でしょ。重いわね」

 ミリアは肩を竦めた。

「あんた、ほんっと良くやってるわよ。私が言うのも何だけど、結構なひねくれ者だったりフリーダムだったりなのがいるじゃない。そんなのをまとめあげて引っ張っていくなんて、まぁ、その、面倒そうだと思うわ」

「……否定はしないが。言うほど大変じゃないさ」

 もう慣れたよ、とコヨーテは付け加える。

「だからこそ、というべきか。今回みたいな状況はある意味では好ましくもある」

「サブリーダーの育成ってわけ?」

「役割が定着化すると不慮の事態に弱くなる。技術的な分野、つまりルナの秘蹟を用いた治癒やレンツォの盗賊技能による調査や解錠といった技術は難しいとしても、リーダーや参謀といった役割なら割り振れるからな」

 この考えを意識していたわけではないが、『月歌を紡ぐ者たち』は結成当時から参謀がバリーに固定されないよう話し合いの場を設けている。
 主にメンバー間での認識の齟齬を防ぐため、個々人の発想力を引き出すために行ってきていたものだ。
 そうした話し合いを積み重ねていく内に『仲間ならこう考える』といった思考の向き先、組み立て方を自然に身につけていた。

 『月歌を紡ぐ者たち』も結成してもうすぐ一年になる。
 駆け出し時期の死亡率が高い冒険者パーティとしては割と長いほうだろう。
 だが、いつまでも同じメンバーでやっていけるとは限らない。
 経験を積んでおけば仮にパーティが解散したとしてもただひとつの役割に固執せずに済む。

「……まさかサブに私を、って考えてる?」

「実力は申し分ないし信頼もできる。素質は十分にあると思うぞ」

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。自侭だとは思うんだけど、私はまだしばらく『戦士』でいたいの。統率者、っていうか集団の上に立つのはもう少し後にしたいのよ」

「……驚いたな」

「何よ?」

「いや、以前の君ならガラじゃないって突っぱねると思ったからさ」

「あー……そういえばそんな感じで断った気がするわ」

 『月歌を紡ぐ者たち』が結成したその日の出来事である。
 様々な色濃い体験をしてきたとはいえ、まだまだ記憶に新しい。

「ま、色々あってね。心境の変化があったのよ」

 少し照れたようにミリアは頬を掻く。

「いくら目を逸らしてても、この前みたいに無理やり表に出てくる事もあるみたいだし。少しは自分と向き合う必要があると思ったのよ。いずれキルヴィの里を引っ張ってかなきゃいけないらしいし」

「里とは和解したと聞いてはいたが、そっちは初耳だぞ……」

「そうだったかしら?」

 ミリアがキルヴィの里のエルフと和解したのはロスウェル五月祭、通称『紅蓮の夜』での一幕だ。
 当時はコヨーテも吸血鬼関連のゴタゴタを抱えていた上に祭の主役とも言うべき立ち位置で吸血鬼との戦いを終えた直後だった。
 ミリアの説明が簡素になったのも、割とプライベートに関わる事情が報告されなかったのも、責められるものではない。

「しかし、そうなると誰を……」

「適任とまでは言わないけど、務められそうなのはいるじゃない」

「もしかしてルナを指しているのか?」

「おや、分かってるじゃない」

「確かに彼女は気が弱いところはあっても土壇場で間違った判断は下さないだろうが……」

「以前とは違って押し流されるほど弱くはないわ。仲間内で物怖じしなくなってるし、外に向けてなら私やバリーに任せればいい。あの子ね、たぶんあんたと似たようなタイプよ。周りがリーダーを支えるために『何かしよう』って思えるタイプ。ルナの場合はそれが少し大きくなるでしょうけど」

 コヨーテは自らが先頭に立つ事で周囲を引っ張り、仲間の支援を得てパーティをまとめ上げるタイプである。
 一方のルナは周囲を引っ張る力はないが、自身が仲間を支える事で必然的にパーティがまとまるタイプである。

「ちなみに、ミリアの評価として他のメンバーはどうなんだ?」

「他人を評価できるほど自惚れちゃいないつもりだけど……ま、個人の意見って事で聞き流してもらえたらいいわ。まずはバリー、彼は最も合理的で現実的な解を導き出せる存在ね。ただ、それが本当にパーティとして正しいか、やりたい事なのか、という点は保証できない。世の中正しければそれでいいってものじゃないでしょ?」

 頭の冴えでバリーの右に出る者はいない。
 逆に彼以上に状況を多角的に判断できる者が少ないのだ。
 その判断を否定できるだけの材料を集められない場合、彼の独断で物事が進んでしまう可能性が高くなってしまう。

「次にチコ。あの子もルナのように周囲がどうにかしよう、って気持ちが強くなるタイプだと思うけど、たぶん子供だからって要素が強いわね。気まぐれなところがあるし、自身の手に負えない相手に対しては臆病になりすぎるきらいがある。判断力に欠けると言い換えてもいいわ」

 チコは戦いの場においてはルナよりも精神的な面で勝る。
 だがそれも経験や自信から来るもので、わずかでも実力が上の相手が現れると委縮してしまう。
 大切なものを喪った彼女のトラウマが深く影響しているのだろうが、これを乗り越えられないと良い方向への判断は下せない。
 逆に、心身が成熟していくとともに克服できる場合もあるため、長い目で見れば素質はあるはずだ。

「最後にレンツォだけど、あいつは自身をわきまえてるって言うのかな。リーダーに必要な素質が足りない事を自覚してる。だけどそれでいいのよ、盗賊なんだから。他のメンバーが口に出しづらい道筋を提案できるのも彼の強みだし、状況に応じてあれこれと意見を変えられる身の軽さもリーダーには不要でも盗賊には必要よ。だからあいつはそれでいいの」

 レンツォは生粋の盗賊だ。
 剣が振れなくても魔術が扱えなくても奇蹟を起こせなくても、彼には盗賊の技術と知恵がある。
 リーダーとして矢面に立つ事はできなくてもその背を支えるには十分で、同時に必要不可欠な技能を持っているのだ。

「とまぁ、こんな感じ。概ねはあんたの考えと同じだと思うけど」

「……そういう点も含めて君をサブに推しているんだがな」

「今回の依頼ではやったげるから諦めなさいな。とにかく私が推すのはルナよ。次の機会にでもあの子を試してみたら?」

「考えておくよ」

「そうしなさい。……さ、あんたももう寝なさいね」

 何だかんだで話し込んでしまって、夜もいい時間になっていた。
 どうせ明日も移動に費やすのだろうが、無闇に睡眠時間を削る意味もない。

「卵の世話、頼んだぞ」

 コヨーテはそれだけ言い残して階段を昇る。
 背中には「だから分かってるって」とミリアの声が投げかけられた。
 二階の部屋のドアノブに手をかけたその時、

「――きゃあぁぁぁっ!!」

 階下から絹を引き裂くような女性の悲鳴があがった。
 否、聞き間違えるはずもない、ミリアの声だ。

「ミリア!?」

 コヨーテは一足飛びで階段を飛び降り、一階へと視線を巡らせた。
 ミリアが座っていたはずのテーブルとその周囲は水浸しになっていて、誰の姿もなくなっている。
 ただぽつんと取り残されたようにテーブルの上には水が詰まった瓶と、その中でサメの卵が強く光を発していた。

「……ッ! なんだ、これは」

 単なる発光ではなく、まるで鼓動のように一定のリズムで明滅している。
 その様子に、背中にぞわぞわとした悪寒を感じる。

 コヨーテに流れる吸血鬼の血が告げるのは魔なるものの気配。
 しかし吸血鬼や魔族のように濁った魔力ではない。
 澄み切っているのに、それでいて威圧感ともいうべき力の片鱗を感じ取れる。

「精霊の……力……?」

 卵を受け取った際、ミリアは精霊力を感じると言っていた。
 コヨーテでは感じ取れなかったそれは、今この場において空間を支配するほどに大きなものとなっている。
 だが、それも長くは続かなかった。
 光は明滅の度に弱くなり、それに伴って辺りを支配していた威圧感――おそらくは精霊力――も淡くなっていく。

「――待てッ!」

 直観的に、コヨーテは足を踏み出した。
 ミリアがどこかへ消えてしまった事と、この精霊力は無関係にはとても思えない。
 微弱な精霊力を唯一感じ取れたミリアが独りになったタイミングを狙っての攻撃。
 この事態に対してコヨーテの直感はそう結論付けていた。

 瓶へ――正確にはその中に漂う卵へ――手を伸ばしたコヨーテは、再び膨大な威圧感を真正面から受けた。
 同時に卵はかつてないほどの光を放ち、 

「ッ――!?」

 突然、コヨーテの視界の全てが蒼い波に覆われた。



 始まりはやはり泡だった。

(……、なにこれ。夢でも見てんのかしら)

 目の前が宿屋の一階から仄暗い水底へ変わっていて口から泡を吐き出すという異常事態に、ミリアは驚愕を通り越して現実を疑った。
 試しに唇を噛んでみたが明確な痛みを感じたので夢ではないのだろう。

(でも息苦しくない、っていうか呼吸はできてるみたいだし)

 水の中にあっても呼吸に不自由しないというのは不思議なものだ。
 あんまりな異常事態にミリアは呆然としていた。

(手足は……動かない。感覚はあるのに)

 それどころか身じろぎひとつできそうになかった。
 辛うじて視線を巡らせるくらいだが、光が差していないためほとんど何も見えない。 
 地上と違って勝手が分からないまま探ってみたが、どうやら近くに人の気配はないらしい。

(そうだ私……預かったサメの卵を世話しようとしたんだっけ。それが光って……ちっ、貧乏くじ引いたみたいね)

 今後は迂闊な手の内晒しは控えようと心に決めるミリアであった。
 ともかくいつまでもうじうじと引きずってはいられない。
 どうにかこの場を抜け出そうと考えを巡らせ始めた、まさにその時である。

「………………」

 一体いつからその場にいたのか。
 まるで水の中に溶けていたかのように、はミリアのすぐ近くに漂っていた。

(……誰?)

 まだ暗さに慣れないミリアの眼には、それが単なる魚やクラゲの類でない事だけしか分からない。
 ただそれが人型をしているのは間違いない。

「……、……いて」

 それは口を開いた。
 水の中だというのに、当たり前のように声を発し、その振動はミリアに届く。

「……、聞いて……」

(……この、声!)

 ミリアはかっと目を見開いた。
 声に聞き覚えがあっただけではない。
 サメの卵が強く光を発し始めた際、ミリアは自身を呼ぶ声を確かに聞いていた。
 その直後にミリアは水の中に引きずり込まれ、気を失うに至っている。
 つまりは元凶だ。

『――あなたね、あの声の主は!』

 声を張り上げると、確かに相手に届いたようだ。
 一瞬だけ身を強張らせるも、すぐに頭を振って静かに言い放つ。

「……、眠って」

 指示、あるいは命令。
 魔術や精霊術の素人であるミリアから見ても、その言葉がそういった術式の一部である事は理解できた。
 そして理解できたからこそ、相手の言葉通りに深く眠らざるを得なかった。



 あまりにも不思議な光景だった。
 ぼんやりとした視界はやたらと暗いのだが青く染まっていて、壁の隙間から生えている草のようなものがゆらゆらと揺れている。
 そしてひどく寒い。

「……ッ!?」

 ため息をつこうとして、ゴボリと口から気泡が漏れ出た。
 思わずコヨーテは息を呑んだ。
 いや、実際に飲んだのは水だったのだろうか。

(なん、だ、これは……!?)

 横たわっていた身体を起こそうとするも、いつもと勝手が違う。
 痛みはないのに全身がだるくて腕一本動かすのすら億劫なのに、奇妙な浮遊感によってたすけられた。

 一度も経験がなかったためすぐに気づけなかったが、コヨーテは理解しがたい事実を理解した。
 間違いようもなく、今この場はだった。
 それも、口の中に感じる不快なまでの塩味からしてどうにも海の中らしい。

 コヨーテ・エイムズは半吸血鬼である。
 吸血鬼にとっての弱点である『流水』、その最たるものである海水に全身浸っておいて無事であるはずがない。
 普通の吸血鬼であれば全身がドロドロのグズグズに爛れて原型を留めないのだろうが、コヨーテが受けている影響は半分である事を差し引いても軽い気がした。

『だ、大丈夫ですか?』

 ふと気が付けば、傍にはルナが漂っていた。
 決して描写を誤ったのではない。
 彼女は海水の生み出す流れの中を上手くバランスを取っているようで、すでに水中の浮遊感をモノにしているようだ。

『……少しつらい、が。まだ大丈夫そうだ』

 頭の中の疑問符は一切片付いていないが余計な心配をかけさせても仕方がない。
 半吸血鬼でもあるコヨーテが自分の身体について分からない事を、ルナが知っているはずがないのだから。

「……気づかれたか、陸の民よ」

 一体いつからそこにいたのか、コヨーテの背後にはこれまた青が目を引く男が漂っていた。
 髪も、瞳も、肌も、耳の辺りから生えている魚のようなも、青を基調とした色合いをしている。
 明らかに人間ではないが、どうも敵意や害意といったものはなさそうだ。
 害を成そうと思えば目覚める前にやっているだろう。

「まだ意識がはっきりとしないか。あなた方に施した加護の術は問題なく発動しているようだが」

 よくよく辺りを見回してみると、『月歌を紡ぐ者たち』のメンバーも同じように漂っていたり座り込んだりしていた。
 どうやら彼らも目覚めたばかりのようだ。
 水中でも生存できている様を見せつけられている以上、彼の言う『加護の術』とやらが『月歌を紡ぐ者たち』を護っているのは間違いない。
 もしかしたらコヨーテへの吸血鬼の弱点による影響すらも軽減しているのかもしれない。

「全員、目覚められたようだな。混乱もあると思うが聞いてほしい。陸の民よ、ここは水の眷属の集落だ」

『……だよな。夢じゃないならそう来るのが最も合理的だ』

 バリーも飲み込みきれない事態をどうにか咀嚼している様子だった。

「私は族長のマーレウス。ここは深い海の底。本来なら陸の民は生きられぬ。だが、私の術によって陸と同じように行動できる。安心してほしい」

 すでに陸と同じように動けていないのだが、彼も陸上の生活に関しては深く知らないのだろう。
 とにかう浮遊感と水の抵抗に慣れなければとてもじゃないが陸と同じようには動けない。

『あんたがオレたちをここへ……、いや』

 言いかけて、コヨーテは思い出した。
 先に姿を消したのはミリアだ。
 コヨーテたちは彼女を追うように水中に誘われたに過ぎない。
 目覚めたら水中というショックと弱点からくる倦怠感によって頭の回転が相当鈍っているらしい。

『オレの仲間が一人、先に来ているはずだが……どこへやった』

「そのように思うのは自然だが、それは間違いだ。最初の一人も含め、あなた方を呼び寄せたのは私ではない」

『だったらいったい誰が』

 マーレウスはコヨーテから目を逸らし、ややあって口を開いた。

「……あなた方が再び土を踏むまで身の安全は保証しよう。我らの宝物も譲る。……これ以上何も聞かずにここを去ってはくれまいか」

『何を、言っている? 仲間を置いて帰れと?』

「……、」

『ダメに決まってるだろ!!』

 コヨーテが拒否するよりも早く、レンツォが叫んでいた。
 仲間内ではミリアと最も親しく接していたのは彼だ。
 常人の理解が及ばない事象の前に、明確に仲間が連れ去られたと告げられたのだ。
 取り乱してしまうのも不思議ではない。

「……そうだろうな。そうあるべきだ。すまぬ、私は無茶を言った」

 要求を断られたというのにマーレウスは少しも頓着しなかった。
 むしろそうあってほしいとも願っていたかのように。

「まず非礼を詫びておこう。先にあなた方の仲間をこの水底へ攫ってきたのは我ら水の眷属の一人だ」

『では、すぐにその方からミリアを取り戻してください』

「できない」

『んなっ――!』

「彼女は水の眷属だがこの集落のものではない。私の力の及ばぬところで贖罪を続ける罪人だ」

『族長の力が及ばないって……!』

『つまりミリアを攫ったのは犯罪者って事か?』

「そう言えるだろう。彼女は、メロアは罪人だ。我らも立ち入りを禁じられた地で、独り贖罪を続けている」

 ただでさえ水底で体温が奪われているのに、更に背筋が凍るような寒気がした。
 水の眷属と人間を同列に扱うなどできないが、それでも罪を犯した者に仲間が攫われたという事実は認めたくないほど最悪だった。

「あなた方がこの近くまで運ばれてくる少し前、同じように渦に巻かれて水底へ沈んでくる人影を見た。その渦はメロアが贖罪を続ける『溺死者の祠』のほうへと消えていった。その魔力が残っている内にあなた方も巻き込まれたのだ」

『犯罪者がどうやってミリアを攫う? 人違いの可能性はねぇのか?』

「……メロアは孤独だ。彼女が孤独に耐えかね、陸の民を無理に呼び寄せたのだと私は考えている。そのような技が、かの地には封印されていた」

「罪人を幽閉する場所にそんな危険な術式が封印されてンのかよ……』

 呆れ果てたとばかりにバリーは気泡を吐いた。
 おそらくため息だろう。

『だけど、その罪人がミリアを攫ったのは間違いないんでしょ? だったら完全にそっちの不始末じゃないか。あんたらでその罪人からミリアを取り戻すのが筋ってものじゃないのかい』

「溺死者の祠は禁忌の地だ。我々が踏み込む事はできん。我が名において最大限の手助けはするが……、どうかご理解いただきたい。掟を破った者が罪人を裁く事はできぬ」

『ふざけんなよ……! 自分がまとめてる連中の尻も拭えないような奴の名前なんて何の役に立つんだよ! どこまでも他人事のように言いやがって、ミリアに何かあったら僕はあんたを一生許さないからな!!』

『レ、レンツォ、落ち着いてください!』

 掴みかかる勢いで吼えるレンツォを、どうにかルナが押し留める。

「……あなた方は急がねばならない。メロアは本気だ」

『本気?』

「メロアはおそらく……あなた方の仲間を水の眷属に変えるつもりだ。そうなれば陸では生きられぬ」

『なん、だそりゃ……!』

「メロアには贖罪者としての務めがある。祠にやってくる溺死者の魂から悩みや苦しみの記憶を取り出し、糸として紡ぎ、織り上げる。……メロアはあなた方の仲間の陸の民としての記憶も糸として取り出し、代わりに水の眷属の記憶を織り込むのだろう。それが成されてしまえば、ミリア殿はもはやあなた方の友ではない」

 まるで初めから水の眷属だったように。
 森に生きるエルフとしての記憶も、類稀なる双剣の使い手としての記憶も、『月歌を紡ぐ者たち』のミリアとしての記憶も、何もかもが不要なものとして棄て去られる。
 本人の意思などお構いなしに行われるそれは、あるいは死よりも残酷な仕打ちだ。

『……そのメロアってのはどこにいる?』

 地を這うような低い声。
 それがレンツォの喉から発せられたものだと理解するのに、少しの間を要した。
 火晶石が爆発する寸前のような限界を感じさせる様子だ。

『レンツォ、落ち着いてください』

『落ち着いてるさ。心配ない。むしろ頭が冴えてきたくらいだよ。ミリアが別のモノに変えられてしまう前に連れ戻せばいいんだから、急がないと。……で、どこだい?』

「地理の他にも陸の民であるあなた方には勝手が分からぬ事も多いだろう。ペルナ、ここへ!」

 ゴボゴボ、と泡が噴き出したかと思うと、マーレウスの傍らに長い青髪が目を引く女性が現れた。
 彼女も同じく水の眷属なのだろう。
 その身体はマーレウス同様に輪郭がはっきりしない。

「これは水精のペルナだ。彼女を供につけよう」

 ペルナと呼ばれたウンディーネは恭しく一礼した。

「ペルナ、この方たちは私の客人だ。不便のないよう仕えなさい。溺死者の祠の鍵を預けるが、お前は決して門をくぐってはならない」

「心得ております。では皆さま、参りましょう」

 コヨーテとしてもこんな場所には一秒でも長く居たくない。
 マーレウスの術が効いている内はいいのだろうが、それが効果を失くした瞬間に死を迎えるからだ。
 早急にミリアと合流して陸に上がらなければコヨーテどころか全員の命がない。


To Be Continued...  Next→

第三九話:『緋桜悲伝』 3 

 ハマオ村での三回目の朝、出遅れて起きだしたルナは神妙な面持ちで仲間たちに告げた。

「……この村に来て三度、夢を見ました。初めは親しい者が殺される夢。次は親しい者に殺される夢。そして昨日は……」

 ルナは夢の中で繰り広げられた王国騎士と妖魔の話を、要点を逃さずに話した。
 緋桜姫と呼ばれる妖魔が王国騎士に討伐された事、妖魔を退治した騎士は捨て身ではなく数で圧倒していた事、最初に派遣された騎士の名はアルフレッドといい、緋桜姫を愛していた事、

「――そして、アルフレッドという騎士はアーノルドにそっくりでした。瓜二つと言っても過言ではありません」

「……、」

「これが私の頭の中で作られた妄想の物語である事は否定しません。しかし、あまりにも現実的リアルで、これまで集めてきた情報やバリーの出した推論に近すぎるのではないかと……」

「逆に。集めた情報と俺の推論を聞いたからこそ、そういう夢を見た可能性もある」

「分かっています。だから否定はしません。もし、何か解決の糸口になりそうな情報であれば使ってください」

 顎に手を当てて、バリーは考え込んだ。
 以前にも悪魔に魅入られた母を救いたいと願う少女の霊に頼られ、五月祭では吸血鬼連中に目をつけられ、とある屋敷の人間を祟りつづけたバンシーを叱咤し、魂を鎮めたのは他ならぬルナだ。
 もしかしたらそういった手合いに絡まれやすい体質になっているのかもしれない。

「どちらにせよ、アーノルドとは話をつけなくちゃならない」

 心配ではあるが、不確定すぎる議論で時間を浪費するわけにもいかない。
 コヨーテたちは身支度を整えて村長宅へ向かった。
 わずかもせず村長宅に辿りついたが、

「もういい! あんたたちは何も分かっちゃいないんだ!!」

 唐突に扉を開けて駆け出していったのはアーノルドだった。
 走り去っていく彼を目で追いかけ、深くため息をつく村長の姿もある。

「やれやれ……アーノルドには困ったもんじゃ。何度言い聞かせれば分かるのか……」

「何かあったのか?」

「いえ、大した事ではないのですよ。先ほど飛び出していった若者……アーノルドといいますがな。彼が水源地に行きたいと申しまして。あそこは古来より聖地として崇められているので、おいそれと入らせるわけにはいかないと言って聞かせているのですが、聞く耳を持ちませんで」

「……それはもしや、緋桜姫という妖魔が封印されている場所ですか?」

 ルナの問いに、村長は片眉を上げて反応した。

「おや、村の者にでも聞きましたか? その通りです。かつてこの地を支配した邪悪な妖魔を封じている祠です。特殊な結界が張られておりましてな、魔物などの類はまったく近寄れない。ゆえに聖地と呼ばれておるのです。わしの家は代々あそこを管理しておりますが『何人たりとも近づけてはならぬ。破りし時は妖魔の封印が解け、災いが降りかかるであろう』と言われているのです」

「……本当にそうかな」

「何ですと?」

 聞き捨てならない、と村長はコヨーテを睨む。
 どうやら村長としての責務を果たす事に関してはそれなりのプライドを持ち合わせているようだ。

「ひとつ聞きたい。アーノルドの先祖は騎士の家柄か?」

「……ええ、確かにアーノルドは妖魔討伐の騎士アルフレッドの家柄です」

「やはりか」

 コヨーテはバリーを見て、彼も察した様子で頷いた。
 アーノルドが知っている『何か』とは有益だとか無益だとか、そういった次元のものではない。
 彼は核心に迫る情報を持っている。

「おそらくアーノルドは水源に向かうはずだ。オレたちも行くぞ」

「なっ――冗談じゃない! 下手に聖地に行って、もし封印が解けでもしたらどうするつもりなのです! 伝説通りならわしらは妖魔に皆殺しの目に遭うかもしれん……!」

「今この村に起こっている霧の発生と原因不明の病の流行。これが妖魔復活の前兆だとは考えられないのか?」

「……馬鹿な。有り得ん。わしの家は代々あの地を護ってきているのです。復活など有り得ない」

「昨日、オレたちは妖魔の群れを退治したが、霧は晴れたか? 病は癒えたか? 他に原因があるのは理解できるだろう?」

 言葉を詰まらせた村長に、後を引き継いでバリーが付け足す。

「あんたの一族が代々護ってきたあの水源地が最も霧が深く、そして伝承の通りであれば魔素を含んだ霧を発生させ、村人に病を振り撒くほどの呪いを流し続けられる存在があの地に眠ってるはずなんだ。あんた自身が言ったように他の魔物はあそこにゃ這入れねぇんだろ? だったら考えられるのはひとつしか残っちゃいねぇよ」

「ぐぐ……!」

 もはや唸るしかなくなった村長は、

「とにかく聖地に行く事は絶対に許さん! 村を滅びさせるつもりはわしらにはないのですからな!!」

 その一点張りで喚くだけだった。
 代々勤勉に護り続けていた祠の封印が何の落ち度もなく壊れそうになっている。
 その事実を認めたくないだけで、村人に降りかかる危険に対処しようともしない。

 これ以上話しても時間の無駄だ。
 村長の罵声を背中に浴びつつ、コヨーテたちはその場を後にした。

「よっしゃ、とっとと水源地に向かおう」

「その前にアーノルドに話を聞きてぇ。あいつの家に向かおうぜ」

「なんで? すれ違っちゃわない?」

「あいつが水源地に向かった確証はねぇだろ。仮に決意したとして、妖魔が復活しかけている場所に手ぶらで行く馬鹿はいねぇよ。身支度くらいはするぜ」

 納得した『月歌を紡ぐ者たち』はすぐさまアーノルドの家を訪ねた。
 出入り口に近づくと、家の中から慌しく何かを探しているような騒音が聞こえてくる。
 ノックしてみると苛立った様子のアーノルドが露骨に嫌な顔で出迎えてくれた。

「またあんたたちか! こんな時に!!」

 帰ってくれ、と叫ぶとすぐにドアを閉めようとするが、隙間に差し込まれたコヨーテの足が阻んだ。

「水源の祠に行くつもりだろう? そこに緋桜姫がいる。違うか?」

「知らん! 何の事だ!」

「落ち着いてください、私は真実を知っています。姫は邪悪な妖魔なんかじゃない。それは時の王によって捏造された事実……そうでしょう?」

「……っ、」

 明確な反応があった。

「姫は愛した人に裏切られたと思い、人間を恨みながら封じられた……、凄まじい怨念を残しているはずです」

「……、そうだ。村を覆う霧も、広がっている病も全て姫の怨念がもたらしたものだ」

 信じられない、といった風に困惑しながらも、アーノルドは気を落ち着けたようだ。
 村長をはじめとした村人のほとんどは伝承をそのまま信じている様子だったため、これまで彼の主張は相手にもされなかったのだろう。

「君たちが言う通り、村に伝わる妖魔伝説は嘘だ。あれは時の王が捏造し、人々に強制した偽りの事実にすぎない」

 アーノルドはそう切り出して、妖魔伝説の真実を語った。
 大まかな流れはルナが夢の中で見た内容とほとんど同じだった。

「騎士アルフレッドが死んだ後、兄へ弔いと遺品の整理のために彼の弟がこの村を訪れた。その時、死ぬ直前にアルフレッドが密かに残した手紙を発見して彼は真実を知った。しかし、もはやどうする事もできず、彼は残された思い出の品と共に口伝で子孫に伝説の事実を伝え続けたんだ。後の世に蘇るかもしれない緋桜姫の怒りを静め、真実を伝え、そして兄の真の愛を告げるために……それが俺の先祖、アーネストというわけだ」

「なるほどな。だから最初から河辺の妖魔を倒しても無駄だと知っていたわけか」

「そうだ。だから俺はどうしても緋桜姫を救わなければならない……だが、村の連中はそれをカケラも信じようとしない!」

「それでお前はその怨念をどうにかしようと思っているのか?」

「いいや、怨念をどうこうするつもりはない。俺は姫に真実を伝えるだけだ……アルフレッドは姫を裏切ったんじゃない。最期まで彼女を愛していたんだ。それを伝えなければ彼女が哀れすぎる」

 アーノルドの手の中でカチャリと音が鳴った。
 その掌には古びたアミュレットが淡く光を反射している。

「これは緋桜姫が騎士アルフレッドに贈った護りの品だ。騎士の地位を捨て狩人となった彼が森で危険な目に遭わぬようにと……」

 それは現代にまで残る緋桜姫と騎士アルフレッドの愛の証だった。
 妖魔伝説の真実がその通りであれば、緋桜姫の恨みは正当なものだ。
 怨念を静められるものはもはや残っていない可能性もある。
 であれば彼の言う通り、せめて姫の哀しい誤解を解くくらいはしなければ哀れすぎる。

「協力しよう。剣は多いほうがいいだろう?」

 コヨーテが告げると、『月歌を紡ぐ者たち』は皆一様に頷いた。



 森へ踏み込んだ『月歌を紡ぐ者たち』は水源地への道を塞ぐ柵まで一直線にたどり着いた。
 が、その前には武器を持った村人たちが立ちふさがっている。
 どうやら村長の命令で防衛しているらしい。

「《眠りをもたらす白雲よ、抱いて沈め<微睡まどろ>みの底に》……」

 手荒な真似はしたくない『月歌を紡ぐ者たち』は、バリーの魔術で眠らせる方法を選択した。
 昨日の妖魔のように霧に混じらせた【眠りの雲】は回避不可能なほどの威力を発揮する。
 眠り込んだ村人たちを道の脇に除け、一向は先を急ぐ。

「ここは……」

 しばらく道を進むと、少し開けた場所に出た。
 これまでの道中でもっとも霧の深い場所だけに、その景色はほとんど見えない。

「ここが水源だ。滝の裏に封印の祠があるはず……姫はそこにいる!」

 アーノルドもこの場所には足を踏み入れた事はないようだ。
 霧が深く、探索も容易ではなかったが、レンツォを先頭に滝を目指して進んでいく。
 少しも進まない内に、レンツォは古びた石碑を見つけて立ち止まった。

「なんて書いてあるのかな……バリー!」

 任せろ、とバリーは【識者の杖】を手に石碑と向き合った。
 【識者の杖】には解読術式が刻まれていて、その先端を文献に押し当てる事で起動できる。

「『魔なるもの、ここに封印す。何人たりともこれを起こすことなかれ』」

「……っ、何が『魔なるもの』だ!」

 激昂したアーノルドは石碑を蹴りつけた。
 経年劣化だったのだろうか。
 石碑は根元からぐらりと揺れ、後ろへ倒れてしまった。

「あらら、壊しちゃってまぁ……」

「いいじゃねぇか、手間が省けた」

 バリーの言う通り、石碑の向こうには洞窟と思われる穴が広がっていた。
 あの石碑はその文面から見ても、水源へ繋がる封印だったのだろうか。

「っ、うわ……何かすごい嫌な予感するね……」

「魔力に鈍いってのは時として羨ましいモンだぜ」

 洞窟内から強大な魔力が威圧感を伴って溢れ出ている。
 バリーは緊張した面持ちで【識者の杖】を握り締め、コヨーテとミリアも既に得物を抜いている。
 ここから先は何が起こっても不思議じゃない。

 封印の地ではあるが罠の可能性は否定できず、レンツォとミリアを先頭として洞窟内を進んでいく。
 ランタンの頼りない薄明かりで照らし出された洞窟をしばらく進むと、淡く光る泉のほとりにたどり着いた。
 そこには枯れ果てた樹木がひとつあるだけだった。

 そして、その傍らには、

「姫……!!」

 艶のある黒の長髪と、ゆったりとした民族風の衣装を重ね着している女性が佇んでいる。
 彼女が緋桜姫なのだろう。
 霊体ゆえか、その姿はうっすらと透けている。

『アル! 貴様!! よくもおめおめと我の前に……!!』

 緋桜姫は闖入者の姿を見とめると、表情を激変させた。
 アルフレッドに瓜二つのアーノルドの姿を見て怨念が爆発したのか。
 敵意をむき出しにして、周囲が歪むほどの魔力を漂わせている。

「姫! 俺の話を聞いてくれ!!」

『人間! おのれ心醜き人間どもが……! あの時、人間などに心を許さなければ!!』

「待ってください、緋桜姫! 私たちは伝説の真実を知っています!」

『真実だと!? 貴様ら人間が我を裏切った事実より他に何がある!!』

「アルフレッドは貴方を裏切ってなどいないんだ!!」

 アーノルドは必死に呼びかけるが、憎悪で真っ黒に染まった緋桜姫は聞く耳を持たない。
 詠唱も掌相もなく周囲の魔力が術式を虚空に浮かべ、『魔術』が始まっている。

『許さん! 許さん!! 決して忘れぬ!! 八つ裂きにしても足りぬ!!!』

 怨念の塊となった妖魔・緋桜姫は凄まじい負の魔力を束ね、一気に解放した。
 始まっていた術式とは別の、単に魔力を凝縮して破裂させただけの魔術以前の『暴発』が『月歌を紡ぐ者たち』を襲う。
 指向性を持たせていないとはいえ、それを集団の真ん中に放られてはひとたまりもない。
 爆風にあおられ、『月歌を紡ぐ者たち』は散り散りになってしまった。

「くっ……!」

「待て! 危険だ、アーノルド!!」

 爆発の直前にミリアに庇われていたアーノルドは何とか立ち上がり、アミュレットを片手に緋桜姫に向かって駆け出した。

「姫! 信じてくれ! アルフレッドは裏切ってなどいない! 貴方を最期の時まで愛していた!!」

『――黙れぇぇぇええええええええ!!』

 まるで羽虫を振り払うような動作で、緋桜姫は魔力を爆発させた。
 アーノルドは吹き飛ばされ、地面に背中を強く打ち付けた。

「ぐっ……う……」

『……おのれ! おのれ!! アル、一度ならず二度までも我を騙そうというのか……っ!!』

「――緋桜姫ッ!!」

 コヨーテは【レーヴァティン】を振りかざし、緋桜姫へと迫る。
 だが、

「た、頼む……! 姫を、姫を傷つけないでくれ……!」

 呼吸が乱され、声も張り上げられないアーノルドの悲痛な叫びがコヨーテの耳に届く。
 彼と彼の祖先の思いを無碍にはできず、コヨーテは思わず立ち止まる。
 振りかざした【レーヴァティン】が行き場をなくしているところに、緋桜姫の放った『魔術』が白い網状となって絡め取った。

「【蜘蛛の糸】……!?」

 リューンの魔術に酷似したそれはコヨーテをその場に縛り付けた。
 そして緋桜姫の魔力が直近で炸裂する。
 咄嗟に身を伏せて【レーヴァティン】を盾にしたコヨーテは奇跡的に軽傷で済んだようだった。

「ぐっ……傷つけるなって言ってもこのままじゃジリ貧だぞ」

「すまない、だが必ず何とかする! だから時間を稼いでくれないか!」

「無茶言ってくれるな……、本当にまずいと思ったら構っていられないからな!」

 魔力の爆発で脆くなった【蜘蛛の糸】を強引に引きちぎって、コヨーテは【レーヴァティン】を構えた。
 攻撃のためではなく、直撃を避けるための盾としての構えだ。

「姫! これを……!」

 アーノルドが掲げたのは、かつて緋桜姫からアルフレッドに贈られたアミュレットだ。

『それは……! 我がアルに渡した品……』

「そうです! あなたの事を裏切った人間が、こんなものを大切に後世に残しますか!? これは彼の家で大切に保管されていたものです、それでもまだ信じられませんか!?」

『……、信じぬ! 信じぬ!! そんな戯言などっ!!』

 魔力の爆発がアーノルドを襲う。
 が、その攻撃はコヨーテと【レーヴァティン】が放った火炎が盾となって阻まれた。

『ぬうう!』

「姫……!」

『やめろ! 我を惑わすな! その声で我の名を呼ぶな……!』

 ミリアとレンツォはフェイントを駆使して緋桜姫の攻撃を誘う。
 チコとバリーも彼らのサポートのため、当てないように牽制の攻撃を放っている。

「あなたの恋人は、最後まであなたを護ろうとしていた! でも捕らえられて……そして彼の名を騙った騎士たちがあなたを誘き出したんです!」

『……あの時、確かにアルが呼んでいると言われて……でも待っていたのは大勢の剣を持った人間たちで……そう、アルの……アルと同じ鎧の……』

「それは偽情報だったんです! 人間は……、狡猾ですから! あなたたち妖魔よりも、ずっと!」

 アーノルドとルナの必死な叫びからか、次第に緋桜姫の攻撃の手が緩んでいった。

『そんな……そんな馬鹿な事があるわけない……』

 緋桜姫は弱々しく頭を振る。

「姫! 緋桜姫!! 俺の言う事を信じてくれ!!」

『あ、あああ……!』

 やがては魔力の歪みすらなくなり、重々しかった空気はわずかずつ澄んでいった。

『そんな、そんな……嘘だ。信じない……』

「……もう一度だけでいい。信じてみたらどうだ? そんなに疑っていたら安らかになるものもならないぞ」

『アル……アル……』

 緋桜姫は膝を折り、呆然と自身の半透明になった掌を見つめる。

『ああ、そんな……我はずっとアルを誤解していたというのか……?』

「誤解してしまうのは仕方がない。だが、確かにここに真実があっただろう?」

 嗚咽のような声をあげ、緋桜姫は肩を震わせた。
 妖魔ゆえか涙を流せないが、その哀しみは十二分に緋桜姫の心を揺らしていた。

『それでは……アルは、アルはどうなったのじゃ!?』

「あなたを護ろうとした彼は、残念ですが……」

 改めてその事実を突きつけられ、緋桜姫はがくりと項垂れた。
 もはや先ほどまでの怨念はまったく見られない。

『……すまなかった。我の愚かさのせいで、関係のない者に多大な迷惑をかけたようだ』

「いいえ、本当に愚かなのは時の権力者や人間たちです。姫は何も悪くなんてありません」

 ルナは緋桜姫に近づき、膝をついてその半透明の手を握る。

「人間を、どうぞ恨んでください。でも、あなたの好きな人だけは大事にしてあげてください。きっと、それでいいのではないですか……?」

『………………』

 緋桜姫は頷き、決意したように唇を引き結んだ。
 音もなく立ち上がると、改めてアーノルドへ向き直る。

『人々に掛かった呪いは解こう。そして我はアルの元へ……』

「良かったな。これでもう恨む事も泣く事もせず、またアーノルドと一緒になれる」

「再会できたらちゃんと謝って、それから、一番の笑顔を見せてあげてください……!」

 長年の恨みから解放された安堵からか緋桜姫の表情は穏やかだった。
 光に溶けるように消えていく緋桜姫は、最後の最後まで、確かに微笑んでいた。



 村に戻った『月歌を紡ぐ者たち』は即座に若い男性の村人に囲まれた。
 その中には村長の姿もある。
 禁を破った事を糾弾されるものと思っていたが、どうにも違うらしい。

「確かに結果的にはあんたたちが正しかったわけだが……」

 そう言って、村長は複雑な表情のまま踵を返していった。
 どうやら緋桜姫が消え去った時点で病は嘘のように癒えたようだった。
 村長としては禁を破り、防衛に向かわせた村人が眠らされた事を快く思っていないようだが、それでも村が救われた事に恩を感じていないわけではないらしい。
 追い出されないだけでもありがたいものだが、どちらにせよ長居するつもりはなかった。

 すぐに村を発つと告げると、村人は次々に感謝の言葉を述べ、別れを惜しんだ。
 そんな中、ぱたぱたと走り寄ってきたのは今回の事件の解決をお願いしてきた少年だった。

「村の周りを覆っていた霧、すっかり晴れました! 少しすればお酒造りも再開できると思うし……お姫様を救ってくれて、村を守ってくれてありがとう!」

「あぁ、確かに約束は果たしたよ」

「えっと、それで僕からの報酬なんですけど……」

 そう言って少年は袋に詰めた石くれを差し出した。

「え? いや、気にしなくていいんだぞ?」

「でも、もしかしたら何かの役に立つかもしれないから……」

 少年は受け取ってもらえるまで引くつもりはないらしい。
 口約束程度ではあったが、確かに約束は交わしていたのだ。
 あまり断るのは少年の気持ちを無碍にする事になる。

「では、ありがたくいただくよ」

「はいっ!」

 少年はぱあっと表情を明るくする。
 背後でミリアが悶えているようだったが、コヨーテは軽く無視した。

「あの子が言っていて思い出したんですけど。霊酒『緋桜』の事、すっかり忘れていましたね……」

「ほら、受け取ってくれ」

 いつの間にか姿を消していたアーノルドが酒瓶を手に戻ってきていた。
 澄み切った透明な液体が詰められた酒瓶で、ともすれば単なる水のようにも見える。

「何です、これ?」

「何って『緋桜』だよ。元はと言えばそれを探しに来たんだろう?」

 そういえば宿で試飲した『緋桜』も限りなく水に近い透明だった気がする。

「……色々と悪かったな。姫が妖魔だと知ったらきっと倒しに向かうと思っていたんだ。何しろ村の誰も姫と騎士の事実を信じなかったんだからな」

「もういいですって。姫を思っての事だったんですから」

 『緋桜』に頬ずりするほど喜んでいるルナであった。
 何だかとても説得力がない。
 険悪な雰囲気で出会った彼らだったが、最後にはお互い笑顔で別れを惜しむ事ができた。

 幾百年もの時を越えて、ようやくハマオ村の妖魔伝説の真相が明らかとなった。
 その事実を知った村人たちは混乱するだろうが、わずかもせず受け入れる事になるだろう。
 もはや濃霧と流行病の脅威は去ったのだ。

 村人たちの変わらない日常は続いていく。
 冒険者たちもまたいつもの日常へ戻っていくのだろう。
 だが、彼らは知っている。

 妖魔の姫と王国騎士の間にあったものはどれだけ踏みにじられようとも崩れ去ってしまわない、『真実の愛』だった事を。



【あとがき】
今回のシナリオはF太さんの「緋桜悲伝」です。
親父さんからの簡単な依頼のはずが、実は……という半巻き込まれ型の中編シナリオでした。
村の周囲を多い尽くす濃霧、原因不明の病、村に伝わる妖魔伝説、そしてPCが見た夢……謎を解かれるにつれて明らかになっていく真実は、王道ながらもとても熱くなれるものだったかと思います。
特に周摩が作る宿にはほとんど人外いますので、妖魔伝説なんて一発でツボでしたね……クリティカル!

そして何といっても『緋桜』!
CardWirth界でも珍しい(と思う)日本酒がモデルのお酒ですね。
シナリオクリア後にシナリオに再突入すると後日談と共に2つもらえますのでお忘れなきよう。
ちなみにリプレイ中では時間が経つと不都合が起こるので即座にもらった事にしました。
そのせいか宿に仕入れる分を独り占めした感じになった気がしますが……

今回、貴重な【識者の杖】の活躍シーンもありましたね。
ほぼ【理知の剣】をレギウスに渡すための交換だっただけに、こういった活躍が描けるのは喜ばしい事です。
解読キーコード自体が非公式なものであるためか、それがないとクリア不可能な状況にはほぼならないので、影が薄いほうですがこれからもがんばってくれたらな、と……

さて、次回は節目の第四〇話です。
乞うご期待!

【着々と鉱石とおみやげが整いつつありますぞ……】


☆今回の功労者☆
バリー。【眠りの雲】ってほんっと便利ですよね

報酬・支出:
宿の亭主からの報酬:400sp
妖魔退治の報酬:500sp
村での宿泊費:-60sp(3泊)

戦利品:
【碧曜石】
【緋桜】×2


銀貨袋の中身→10517sp

≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『緋桜悲伝』(F太様)

今回使用させて頂いた固有名詞
『ブレッゼン』(出典:『魔剣工房』(Djinn様))
『紅し夜』(出典:『紅し夜に踊りて』 作者:ほしみ様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。


第三九話:『緋桜悲伝』 2 

 翌日、コヨーテたちは予定通りハマオ村の村長宅を訪ねた。

「……と、いうわけで、こちらとしても『緋桜』の製造が中止になったままというのは好ましくない」

「なるほど……」

 村長はうんうんと頷きながらコヨーテの話を聞いている。
 始めに濃霧と流行病の原因究明に助力する旨を伝えると、願ったりとばかりに表情を綻ばせた。
 どうやら近いうちに最寄の街の冒険者に依頼を出そうと考えていたらしい。

「ヤーヌ河ほとりに棲みついた魔物がすべての災いの原因であると我々はみております。そこで、その魔物の退治を依頼致します。報酬は銀貨にして五〇〇枚ほどを考えております」

「どんな種類の魔物なんだ? 数は?」

「名前は存じ上げませんが、紅い皮膚と深い体毛が特徴的な魔物です。どうにも集団で行動するようで、これまで十数体は確認していますが、正確な数は分かりません」

 魔物の種類も数も分からないとなると、面倒な仕事になるのは間違いなかった。
 遭遇するまで相手に合わせた準備をする事もできず、どれだけの数を倒せばいいのかすら見えないのだから。

「そうそう。水源のほうには近寄らないでいただきたい。あそこはわしの家が代々護る封印の地じゃて」

「そこに妖魔がいないとも限らないのでは?」

「強い結界が張られておって、魔物は近寄れんから問題はないじゃろう」

「……さいで」

 この非常時に結界があるから大丈夫、とはよく言えたものだ。
 村長が代々護ってきた場所であるのならいの一番に確認すべき場所だと思うのだが。
 やはりコヨーテたちが余所者である事に変わりはない、という事だろう。

 コヨーテたちは話を切り上げて宿で遅めの昼食を摂る事にした。
 依頼を引き受けはしたものの不安材料が多すぎるため、今日は情報収集に宛てるつもりである。
 日の沈む時刻が遅くなってきているとはいえ、霧中で夜を迎えるのは危険すぎる。

「実物を見てねぇからどォとも言えねぇんだが……それにしたって短絡的すぎるだろ。魔物が全ての元凶だなんてよォ」

「確かにな。霧の発生、病の流行、どちらにしても単なる魔物が引き起こせる事態とは思えない」

「村人からすれば魔物を倒せば霧も収まって病も癒えると考えたいだけでしょ。立て続けに異常事態が起こって原因も分からないとくれば、そうでも思わないと心が持たないんじゃない?」

 このまま霧と病が続けば村の存続も危ぶまれる。
 村長としては気が気でないのだろう。

「だが、まぁ依頼だからな。仮に魔物を退治して霧が晴れなくてもオレたちに非はない。あくまで村長の、村の総意として魔物を除く選択を採ったわけだからな」

「ま、悪化する事はねぇだろ。こっちはこっちで独自に調査させてもらえりゃそれでいい」

「あれ? どしたのバリー。やけに意欲的じゃない?」

「気になる事があンだよ」

 それだけ言って、バリーは茶をすする。
 コヨーテもカップを口に運ぼうとしたが、中身がない事に気づいて紅茶をポットで注文した。

 ややあってポットが運ばれてきた頃、宿の扉に備え付けられてある鈴が軽快な音を鳴らした。
 コヨーテは視線だけをそちらに向けると、片手を挙げて微笑んだ。

「急に呼び立ててすまない」

「気にしないでください。僕でお役に立てるのなら嬉しいですから」

 にこにこ笑顔で駆け寄ってきたのは昨日コヨーテらに異変の解決を頼んだ少年だった。
 村長宅から戻る際、情報収集のためにと密かに声をかけていたのだ。

「でも、どうして僕なんですか? 村長さんのほうが詳しいと思いますけど……」

「色々と理由があるのさ」

 ひとつ、この村で友好的に話ができそうな人物が数えるほどしかいない。
 ふたつ、アーノルドをはじめとする村の人間はコヨーテたちをよく思っておらず、村長ですらそのきらいがあったため、魔物退治に関わりのない情報に関しては口を閉ざしてしまう可能性がある。
 以上の理由があったのだが、さすがに少年の前で公言していい事ではない。

「村長からは魔物を退治するよう依頼があった。どうやら魔物の出現が霧と病を呼んだと考えているらしい」

「はい」

「君もそう思っているのか?」

「? だって、霧が出た時期と病気が流行り出した頃に魔物が出るようになったんですよ」

「それだ。霧と病と魔物、結局のところどの順番で起こり始めたんだ?」

「えっと……」

「要は霧と魔物はどっちが先か知りてぇんだ。最初に魔物が発見された時、霧は出ていたか?」

「バリー、落ち着け」

 おそらくバリーは興奮していたわけではないだろうが、元々顔が怖い彼に詰め寄られて少年は怯えきってしまっていた。
 それに気づいたらしいバリーはわざとらしく咳払いして紅茶に口をつける。

「えっと、霧は出ていたはずです。猟師のおじさんが霧の中から現れたように見えた、って言ってましたから……」

「魔物が現れるのはヤーヌ河付近だけか? 村に近づいた事はねぇのか?」

「現れる場所は、よく分かりませんが……魔物が村に入ったって話は聞いた事がありません」

 だろうな、とコヨーテは頷いた。
 もし魔物に村が襲われる事態が発生しているのなら、もっと早くに討伐の依頼が出ているはずだ。

「なるほどな、よく分かった」

「お役に立てましたか?」

「あぁ、ついでにもうひとつ聞きてぇ。『タタリ』って知ってるか?」

「タタリ……それは妖魔のタタリの事ですか?」

「そう、それだ。仲間が耳に挟んだんだが、どうにも眉唾な話らしい。参考までに教えてくれねぇか」

「はい!」

 元気に返事した少年は、咳払いして話し始めた。

「むかし、このあたりに強い力を持つ妖魔がいて、近くの人たちを苦しめていたそうです。その頃の王様が妖魔から人々を守るために妖魔討伐を派遣しました。そして村にやって来たのは一人の騎士さまでした。騎士さまはとても強かったけれど、妖魔もとても強くて……それで騎士さまは妖魔と相打ちになってしまったんです」

 話の大筋はコヨーテが村の老夫婦から聞いたものと同じだった。

「そうして妖魔は死んだんですけど、でも完全には力がなくなってはいなくて……それでヤーヌ河水源地にある洞窟の奥に祠を建てて封印をしたという話があるんです」

「………………」

 コヨーテは考え込んだ。
 確かに伝承の通りに妖魔が強大な力を持っていたとすれば怨霊化しても不思議ではない。
 自らを殺した騎士を、人間そのものを恨んだはずだ。
 だが、やはりここ二ヶ月間で急に発生した理由は何なのだろうか。

 ちらりとバリーを見てみると、得心いった様子で腕を組んでいる。
 どうやら何らかの答えか可能性かに辿りついた様子だ。

「ちなみに、えっと……騎士さまの名前はアルフレッド。妖魔の名前は緋桜姫といいます」

「緋桜?」

「妖魔の魔力が水に溶け込んでいるからヤーヌ河の水は霊水なんですよ。その水で造られるから『緋桜』って名前がつけられたんだと思います」

「妖魔の魔力って……そ、それって大丈夫なのでしょうか」

「大丈夫ですよ。お姉さんだって、ほら。今も飲んでいるでしょう」

 そう言って、少年は紅茶が注がれたカップを指した。
 彼の言いたい事を理解したルナは思わずと固まってしまった。

 酒造に使う水という事は、当然ながら村人の飲料水でもある。
 それどころかこれまで『緋桜』として大量に流通しているのだ。
 問題があればもっと早い段階で発見されているだろう。

「……あ、あまり気分のいいものではないです」

「そうか? 結構悪くねぇモンだぜ」

 よほど気に入ったのか、バリーは二度目の紅茶のおかわりを注文していた。



 そしてまた、目の前にこの世でもっとも愛しい人物が現れた。

『――……』

 『彼』が自分を呼んだ、気がした。

(……また、夢ですか)

 そう、夢だ。
 昨晩見たものと同じ夢。

『――……』

 『彼』が再び自分を呼ぶ。
 と同時に、ルナは杖を手に駆け出した。
 『彼』に向かって飛来する刃物、それを全て杖を振り回して叩き落す。
 夢の中でなければ到底できない芸当だった。

「させない……! 指一本触れさせはしません! もう、二度と!!」

 攻撃が向かってきた方向へ、そう宣言した。
 次なる攻撃に備えて杖を構えなおしたその瞬間、

「え……?」

 トン、と。
 拍子抜けするほど軽く、ルナの身体が貫かれた。
 『彼』が手にする剣によって。

 夢の中だと理解しているのに、身体を貫く剣の感触が不気味だった。
 そして最も愛しい人物から刺されたのだという事実がルナの喉を震わせる。
 『彼』の嘲笑がやたらと耳を叩く中、ルナのまぶたが降り、視界が黒く塗りつぶされた。



 ハマオ村での二回目の朝を迎えた『月歌を紡ぐ者たち』は朝早くから村を出てヤーヌ河へと向かった。
 わずかも歩かない内に辺りは濃霧によって真っ白になってしまう。
 一行は再び縦列となって互いの荷物や服の裾を掴み、はぐれないように注意して移動する。

「静かだね」

 先頭を行くレンツォの声。
 まだ村に近いからか、レンツォの姿はぼんやりと見える。
 しかし村から離れていくにつれて輪郭は薄ぼけていき、やがて完全に白く覆われてしまった。

「お陰で接近者の音は拾いやすいけど、薄気味悪いよ」

「………………」

 口には出さないが、誰もが同じ意見だった。
 まるでこの世ならざる場所へ足を踏み入れたような感覚すらおぼえ、どんどん視界が狭まっていくのに前に進まなくてはならないというのはひどく精神が削られる。
 もはや魔物でも何でもいいから出てきてほしい、などと考える始末である。

「あっ」

 どれだけ歩いたか時間の感覚も狂いはじめた頃、再びレンツォが声をあげた。

「ごめん、道を間違えた」

 何事かと構えていた他のメンバーは一斉に肩透かしを食らって息を吐いた。
 しかしレンツォを咎める者は誰もいない。
 こんな霧の中で初見の道を迷わず踏破できる者は少ないだろうし、それ以上に道に変化があった事で無限と思われた霧中行軍にも終わりはあるのだと安心できた。

「みんな、ゆっくり前に進んで。そうしたら柵があるからそこで折り返そう」

 彼の言う通りに歩みを進めると、木製の粗末な柵が霧の中から現れた。
 粗末な割にはしっかりと道を塞いでいる。

「これ、まさか水源への道か?」

「だと思うよ。村長が管理しているって話だし、村人が近づけないようにしてるんだろうね」

「……もしかしてだけど、これが村長の言ってた『封印』ってわけじゃないわよね?」

「ンなわけねぇだろ。どっからどォ見てもただの棒切れだぜ」

 よくよく見れば柵はここ最近の霧ですっかり湿気ってしまい、ところどころ腐りかけている箇所もあった。
 ちょっと力を入れて蹴れば根元から折れてしまいそうである。

「ほら、いいから行くよ。君らが動かないと僕も前に進めないんだ」

 遅れを取り戻そうとしているのか、レンツォが一行を急かした。
 その後、わずかも歩かない内にヤーヌ河に突き当たっているあたりはさすがといったところか。
 どうにも河の周辺には霧は薄くなっていて、コヨーテらは村を出てから初めて目視で互いの無事を確認できた。

「何かの生物の痕跡がある。っていうか分かりやすいね」

 渡河した際にできたであろう足跡が泥濘にくっきりと、しかも大量に残されていた。
 足跡と歩幅を鑑みるに、おそらくはゴブリンに似た二足歩行型の魔物だろう。
 問題はその足跡が明らかにゴブリンやコボルトのような一般的な妖魔のそれとは明らかに違う、という点だ。

「この足跡だと、おそらく小型……そして明らかに自然物じゃない紅い毛。たぶん紅い体毛をしてる。あと、足跡の数からみるとどうにも集団で行動する習性があるらしいよ」

「……もう少し早くその情報がほしかったな」

「え?」

「周りを見てみろよ」

 地面ばかりを見ていたレンツォが顔を上げると、その表情から笑みを消した。
 木々に紛れ、十数体の魔物がぐるりと『月歌を紡ぐ者たち』を取り囲んでいる。
 レンツォの推測どおりゴブリンと同程度の小型の魔物で、全身が紅い体毛で覆われている。

「あちゃあ、気配は感じなかったはずなのになぁ」

「待ち伏せする知恵くらいは持ち合わせてるって事ね。上等じゃない」

 好戦的な笑みを浮かべ、ミリアは双剣をくるくると回した。
 囲まれた時にはすでに音もなく抜いていたらしい。

「一旦退くって手もあったんだが……」

「別にいいでしょ、このままで。わざわざ倒されに来てくれたんだからさっさと終わらせましょ」

「……まぁ、いいか」

 確かに彼女の言うとおり索敵対象が目の前にいるのだから退く道理はないし、数の上では負けてはいるが取り囲まれている以上、一転突破による撤退は難しくない。
 何より、ここで退いても敵方の情報はほとんど手に入らない。
 未知の相手とはいえ一合も打ち合わずに引き返すのも面白くなかった。

「ここを本陣として戦う。あまり離れすぎて霧の中に入るなよ。奴らにとってはホームなんだから何があるか分からないからな」

「分ぁかってるって!」

 ミリアが動いたのと同時に、魔物の数体が『月歌を紡ぐ者たち』を襲う。
 どうやら彼らの知性は思っていた以上に高いらしい。
 あくまで包囲を崩さず、コヨーテたちと同等の戦力を投入していた。

 だが、

「――、――――――!!」

 ミリアの双剣が閃き、コヨーテの【レーヴァティン】が唸りを上げ、チコの速射が降り注ぐ。
 たった一度の攻撃で瞬く間に三体の魔物が地に伏した。
 あまり戦闘能力は高くないようだが、体格から鑑みればそれが普通である。
 だからこそ群れで行動しているわけであり、縄張りを荒らされていなければ人間六名を相手に狩りをする事もなかったのだろう。

 しかし相手は『月歌を紡ぐ者たち』である。
 伊達にミノタウロスやオーガ、トロールの連合『群』を相手に勝利を収めていない。

「……オレが言うのも何だが、確かに退く理由なかったかもな」

 先発の残りをさくっと斬り捨てて、コヨーテは呟いた。
 未だに魔物の群れに囲まれているのだが、それでも負ける気がしない。

「そのとおりだけど、なんだかコヨーテらしくない言葉だね。どしたのさ?」

「どうしたも何も、やけにバリーが静かだと思ったんだよ」

 コヨーテは魔物の包囲の一部を指差した。
 彼らは木々の隙間からこちらを窺っていたはずだが、今はどれもこれも茂みに突っ伏している。

「あ……、【眠りの雲】か」

「ご名答ォ、せっかく霧が出てンだ。利用しない手はねぇだろ」

 バリーはおそらく開戦前から【眠りの雲】を唱え、包囲の一部に対して発動させていたのだろう。
 【眠りの雲】は完全に霧に紛れてしまい、いくら魔物が霧の中での行動に慣れているとはいえ見破る事は不可能に近い。

 眠ってしまった魔物は即座に命を刈り取られ、残った魔物はじりじりと後ずさる。
 これにより数の上での有利不利は完全に入れ替わった。

 堪えきれずに駆け出した魔物から、チコの射撃によって打ち抜かれて絶命する。
 意を決して向かってきてもコヨーテとミリアの剣撃の前では無力に等しい。
 『月歌を紡ぐ者たち』は大した消耗もなく、ヤーヌ河の魔物退治の仕事を終えた。



「これでそのうち霧も晴れ、村人の病も治る事でしょう……はぁぁ、ありがたや。ありがたや」

 村に戻った『月歌を紡ぐ者たち』は村長へ魔物退治の首尾を報告すると、いたく感激した様子で迎えられた。
 すでに日も傾きかけていたが、小さな村だけに噂は瞬く間に広まった。
 同時に、全ての厄介事が片付いたのだという弛緩した空気も同様に広まっているように感じられる。

「村長はああ言ってたけど、ほんとにこれで終わりだと思う?」

「そんなわけがない」

 コヨーテは即否定した。
 同感だな、とバリーも後に続く。

「ヤーヌ河のほとりには確かに魔物が現れたが、あの辺の霧は比較的薄かった。もし魔物が霧を作り出してるってぇんなら普通、霧の
発生源にこそ奴らは存在するべきじゃねぇのか?」

「偶然離れてたって可能性はないの?」

「そりゃ否定できねぇな。だが、あの魔物が霧をどうこうできたとも到底思えねぇんだよ」

 戦いの熱が引いた今思い返してみてもゴブリンより少し強い程度の魔物である。
 低くない知性があるのはいいとして、それでも霧や病を振り撒くような性質の悪さがあるようには思えない。

「霧から魔力を感じるってのは往路で話したと思うが、覚えてるか? あの魔物どもはただ魔素に惹かれて集まってきただけなんじゃねぇの?」

 強い魔素に惹かれて魔物が集まってくるケースは『紅し夜』という前例もある。
 魔術師であるバリーが肌で感じられるほどの魔力を秘めた霧であれば条件も見合う。

「だから霧と魔物はどちらが先に現れたのか聞いていたのか。というより、昨日の時点でほとんど推測できていた事じゃないのか?」

「実物を見るまで答えは出せねぇだろ。ま、結局はほぼ予想通りだったがな」

「じゃあもう大体目星ついてんでしょ。黒幕は誰よ?」

「そっちはまだ確信が得られねぇなァ。いや、ほとんど答えは出てンだが、最後の一押しが足りねぇ感じだ……、あン?」

 バリーは宿屋の近くに佇むアーノルドの姿を見て取った。
 どうにもコヨーテたちを待っていたような様子である。

「……魔物を倒したって?」

「耳が早いな」

 アーノルドは嘲笑うように鼻を鳴らし、

「いい気なもんだな。そんなんじゃ霧は晴れない……」

「その口ぶり、何か知っているのか?」

「ふん、いいからお前らはさっさと街に帰ってくれ!」

 ただそれだけを伝えてアーノルドは踵を返した。
 否定もしなかったが、やはり彼は何かを知っている。
 
「……どうやって聞き出すかな」

「面倒だから少し痛い目を見てもらうって事でいいんじゃない?」

「おい」

「ふざけてるわけじゃないわ。これ以上に手がかりを探るのに手っ取り早い方法はないわよ」

「だからといって手荒な真似はしたくない。なぁバリー、何か手はないか?」

 肩をすくめて、バリーは首を横に振った。

「ま、手荒じゃねぇが強引な方法ならあるぜ。あのアーノルドとかいう村人が今回の妖魔事件に何らかの関わりがあったと村長に報告するんだ。明日になっても霧が晴れなきゃ余計に都合がいいがな」

「つまり村長に尋問させるって事か? それはまた……」

「少なくとも、アーノルドは今回の件について最初から何かを知ってる風だった。もし黒幕じゃねぇってんならそれが得になるかどうかはさておき、情報の共有くらいしてもらってもいいだろ? ……ま、それはほとんど建前なんだが」

「?」

「俺の狙いは全ての情報源を潰す事だ。アーノルドがどんな情報を持っていようが構わねぇ。有益だろうが無益だろうが、結局は『ヤーヌ河の水源地へ向かうしかない』という流れに持ち込めりゃあそれでいい」

 バリーは水源地が怪しいと言っている。
 元よりヤーヌ河の水源地は妖魔が封印された伝承が残るほどに曰くつきの場所だ。
 怪しいと感じていても不思議ではないが、バリーの言葉には確信めいた何かがある。

「まず魔素を含んだ霧ってモンはゼロから作れるよォな代物じゃねぇ、必ず基となる液体が必要だ。単純な理論だが、魔力を蓄えた液体を霧状に変化させりゃあ魔素を含んだ霧は出来上がる。今回の霧はおそらくそういった『単純な理論』で作られたモンだろうぜ。そもそも――」

 思わず『単純な理論』の中身まで講義しそうになったバリーは咳払いして気を取り直した。

「言うまでもねぇが霧の媒体はヤーヌ河の水だ。それも水源から湧き出る水に限る。柵に阻まれた水源に向かう道はやたらと霧が深く、水の流れに沿って次第に霧が薄くなっていたからな。……ま、大元の根拠となる情報は『妖魔のタタリ』だ。大昔に騎士と相打ちになった妖魔の力は、未だ消えずに封印によって抑え込まれている……相打ちになったが力が残っている、ってのは死んではいなかったとも捉えられるからなァ」

「という事は、妖魔がその黒幕?」

「そこは断言できねェ。が、限りなく妖魔かそれに近い何かが元凶だろうぜ。あるいは口酸っぱく水源地に近づくなと警告していた村長がその力を利用していた可能性もなくはねぇが……これは飛躍しすぎだろォな」

 あくまで客観的に情報をまとめるとそういうぶっ飛んだ仮説も出てくるものだ。
 裏を返せば仮説を仮説として除けてしまえるほどに推論がまとまっているという事でもある。

「明日、霧が晴れてねぇンならまず間違いねぇ。俺たちが向かう先はヤーヌ河水源地だ」

 情報をすり合わせて頭脳を働かせ、バリーは誰もが納得する形で行動方針を決定付けた。



 その男は騎士だった。
 王国に忠誠を誓い、王命であればどんなに手を汚しても厭わない覚悟があった。

『かの地に住まうおぞましい妖魔を退治せよ』

 今回の任務にも変わらぬ覚悟で臨み、即座に遂行してみせるつもりだった。
 しかし、妖魔の住まう村へ訪れた騎士は違和感をおぼえた。
 村の誰に聞いても妖魔は村人に友好的だという。

「お、お前が緋桜姫……?」

「いかにも。我の名は緋桜姫。そなたの名は? 我にいかなる用じゃ?」

 実際にその目で見ても、とても王から聞いていた極悪非道の妖魔とは思えない。

 騎士は大いに悩んだ。
 妖魔といえど何の罪もない相手を一方的に倒してしまってもよいものか。
 自身の正義と王の命令、どちらを優先するべきか。

 やがて決断した騎士は、王国へ妖魔の討伐成功の旨を報告した。
 だが、自身は王国へ戻らず村へ留まった。
 緋桜姫の元へ足しげく通っていくうちに、己の芽生えた感情に気づいていたからだ。

「緋桜姫が何をした!? 村人とも静かに友好的に暮らしていたのに!」

 およそ一ヵ月後、村は王国から討伐隊を差し向けられた。
 数十人の騎士に取り囲まれた騎士は最後まで抵抗する。

「討伐だと!? それはただ、王が緋桜姫の魔力を恐れたからじゃないか!!」

 騎士の叫びは空しくも誰の耳にも入らずに封殺された。
 取り押さえられて牢に叩き込まれるまで、騎士は緋桜姫の名を呼び、その身を案じていた。

「妖魔・緋桜姫! 貴様の命、我ら王国騎士団がもらいうける!」

 一方で緋桜姫も討伐隊に追い詰められていた。
 騎士団が施した結界によって思うように力がふるえず、体ひとつでこの場を切り抜けるのは不可能に近い。

「……しょせん、人間にとって我ら妖魔は害及ぼすものでしかないというのか? 我らが何をした!?」

 緋桜姫は心の底から信じていたはずの騎士を呪った。
 人間に対して少しでも心を許してしまった自分を恥じた。

「おのれ人間どもめ! おぬしらが我に仇なした事、我は決して忘れぬぞ!!」

 討伐隊の白刃が心臓を貫くその瞬間まで、緋桜姫は呪いの言葉を叫び続けた。

「決して、決して忘れぬぞ……! アルフレッド……!!」


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周摩

Author:周摩
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