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『紅し夜に踊りて』(1/2) 

 魔素。
 大気中に普遍に存在する魔力の粒子。
 気候の仕業か何者かの悪戯によるものか、年に数回、それが通常より濃く禍々しく大気を埋め尽くす事がある。

 分かっているのは、その日が必ず満月だという事。
 大気に満ち溢れた魔素は、月を鮮血のように赤く染めてしまう事。

 『紅し夜』――人々はその夜を、そう呼んで恐れた。



「『紅し夜』が、始まる――!」

 日が落ち、夜の帳が下りる。
 黒々とした夜空に浮かぶのは、真っ赤な血の色をした満月だ。
 紅い月が放つ妖しい月光は周囲を、否、世界を紅に染めた。

 心なしか、周囲の森がざわついているような錯覚を受ける。
 紅と黒が支配する世界で、木々の幹に悪魔の顔を見た気がした。
 まるでこの世ならざる場所へ脚を踏み入れたような、そんな薄気味悪い感覚だ。

 自然と『月歌を紡ぐ者たち』の足も早まる。
 こんな場所に長時間晒されていたら、それこそ紅い月に魅了されかねない。
 加えて幾人かは昨夜の戦闘で重症を負っており、まだ完全に癒えていないのだ。
 なるべくなら戦闘を避けたいところだった。

「くっそ……! みんな、来たよ!」

 襲撃をいち早く察知したレンツォが叫ぶ。
 前方からコボルトの群れが姿を現したのは、ほぼ同時だった。

「ちょっと! 臆病なはずのコボルトがどうして襲ってくるんですか!?」

「『紅し夜』の本当の恐ろしさは魔力の影響を受けやすい魔物がこぞって凶暴化しやがるところだ!
 まだコボルト程度で済んで良かったが、放っておいたらもっと強力な魔物が俺たちを狙って襲ってくる可能性もある!」

「とにかく切り抜けるぞ!」

 コヨーテの号令の元、ミリアの双剣が、チコの速射が、バリーの魔術がコボルトを薙ぎ倒していく。
 どうやら群れの中にコボルトリーダーが混じっていたようだが、急先鋒ミリアの一撃で真っ先に絶命していた。
 いくら凶暴化しているとはいえ、コボルト程度では油断のない『月歌を紡ぐ者たち』の敵ではなかった。

「増援って訳じゃないだろうけど……次はオークだ!」

「うわ、嫌ねぇ。豚野郎なんて斬ったら剣の手入れが大変なのにまったく……!」

 愚痴をこぼしながらもミリアの双剣は冴え渡る。
 レンツォの【氷結瓶】がオークの足止めをするも、数が多すぎた。

「《立ち昇れ紅蓮の牆壁しょうへき、その威容で以って蹂躙せよ》」

 バリーの呪文が紡がれる。
 その術式は【火炎の壁】、その用途は妨害だ。

「――《隔てろ》!」

 オークの集団と『月歌を紡ぐ者たち』を隔てるように紅蓮の炎が立ち上る。
 焼かれてなお襲い来るオークを、チコの矢が丁寧に撃ち抜いていく。

「ッ……! この腐臭は……!」

 コヨーテの鼻がオークの肉が焼ける臭いと嗅ぎ分けたのは、アンデッドの腐臭だった。
 どこに在ったのかスケルトンやゾンビ、果てはウィスプまで沸いて出る始末だ。

「強力な魔素は死者の眠りすら妨げるってのかよ……!」

「オレとバリーがウィスプを、他のみんなはスケルトンとゾンビを頼む!」

 コヨーテの持つ【レーヴァティン】は二度の打ち直しにより魔剣としての魔力を有し、霊体すらも切り裂けるようになっている。
 ゾンビがいる以上、迂闊に火炎の魔術が使えないバリーも【魔法の矢】でウィスプを撃ち落していく。
 ルナの祈りがミリアの双剣に【聖別の法】を施す。
 月歌最速のミリアはゾンビらを蹴散らしている合間に寄ってきたウィスプも切り裂いていた。

「ハァ、ったく……キリがないよ……!」

 最後のウィスプが切り裂かれて消滅したのとほぼ同時に、茂みを掻き分けてゴブリンが現れていた。
 ゴブリンリーダーはいなかったが、ホブゴブリンにゴブリンシャーマンといった油断ならない妖魔が揃っている。
 連戦に次ぐ連戦で疲弊の色が見え隠れする『月歌を紡ぐ者たち』は戦闘にかかりっきりで、もはや前に進む事もできていない。

「クソ、このままじゃ碌に進めねぇ」

「確かにな、馬鹿正直に相手してたら夜が明けてしまう」

「俺たちが狙われてんのは恐らく集団で移動してるからだろォな。
 獲物が一箇所に固まってりゃ理性を失いかかってる妖魔どもなら狙って当然だ」

「分散して移動すれば解決するか?」

「少なくとも妖魔どもァバラけるだろ、ありつける肉には限りがあるんだからよォ。
 つーかコボルトやゴブリンの例を見る限りこの紅い月光に酔ってるフシがあるから協調行動なんて取れるとは思えねぇし」

「……決まりだな」

「マジかい……」

「町まで逃げ切れば私たちの勝ち、追いつかれたら負け……命を賭けた鬼ごっこって訳ね」

「鬼ごっこはもっと楽しいものだと思ってたよー……」

「集合場所は……、町に入ってまっすぐ進んだ先の最初の宿屋にしよう」

 言いつつ、コヨーテはなおも群がるゴブリンを叩き斬る。

「オレができる限り連中を引き付ける! その間に包囲を突破しろ、くれぐれも分散するようにしてな!」

「途中まで付き合うわよコヨーテ!」

 コヨーテとミリアはゴブリンの群れへと敢えて突っ込んだ。
 自ら強引に囲まれる事で、妖魔たちの注目度を高めたのだ。
 背中合わせの形で剣を構える二人は、同時にバラバラに駆けていく仲間たちの姿を見た。

「――みんな、生きろ!!」

 妖魔の囲う輪に鮮血が舞った。



「……俺が一番乗り、か」

 バリーは宿屋の一室でそう呟いた。
 宿屋は町へ入ってすぐの場所に位置し、他の仲間が間違う事はそうないだろう。
 幸いにも割り当てられた部屋の窓がバリーが通ってきた道を見渡せる位置にあったので外の様子はある程度分かる。

 少し経った頃に、見慣れた修道服の少女が宿屋へと入ってきた。
 衣服のあちこちに草の切れ端をくっつけた少女はルナだった。

「私が二番目ですか……?」

「意外といえば意外だが、戦闘能力ゼロのお前が早いとこ無事で一安心だぜ」

「分かってはいますが、面と向かってそう言われるとちょっと傷つきます」

「……気にすんなよ。ああはなりたくねぇだろ?」

 バリーが顎で示した先、ルナの背後にはたった今到着したばかりのチコが顔を拭いているところだった。
 彼女の全身はおびただしい返り血に塗れ、金髪も半分以上がべっとりと血に濡れている。

 よく見ると矢筒には矢はなく、腰に吊っている鉈の柄にべっとりと血が付着している。
 どうも矢が尽きて鉈による突破を試みたらしい。
 そのせいで彼女の右肩には何かの妖魔の内臓らしき肉片が付着していた。

「あー、さすがに死ぬかと思っちゃったよー」

「囲まれたのか?」

「思ったより大勢引き連れてきちゃったから数減らしたんだよ。ルナとかレンツォとかが大変だろうからねー」

 にこやかに語っているが、そうとう無茶したようだ。
 血塗れの身体のままベッドに飛び込んで、それから動かなくなってしまった。
 というかもう寝息が聞こえてきている。

「……私は非力なままでいいです」

「それでいい」

 バリーは笑って、ルナに椅子を薦めた。
 しばらく外を眺めていると、再び赤色に塗れた人影が宿屋へと入ってくる。

「た、助かったぁ……」

「レンツォ!? 怪我しているのですか!?」

 レンツォの黒を貴重とした衣服は血の赤によって更にどす黒く染まっていた。
 そのせいで怪我をしているかどうかも判断しづらい。

「いやさ、その辺走ってたら何かの妖魔の死体踏んづけて転んじゃってさぁ。
 臓物フィーバーでぬるぬるするし血生臭いし散々だよもう……」

「つまり大した怪我はないのですね?」

「転んだときに突き指したかも」

「舐めれば治りますよそのくらい」

「嘘だ! つーか血塗れだし死んでも舐めたくない!」

 ぎゃーぎゃー騒ぐレンツォも返り血を落としてしばらくすると船をこぎ始めた。
 バリーとルナは相変わらず窓際で外の様子を見続ける。
 残るはコヨーテとミリア、『月歌を紡ぐ者たち』が誇る白兵戦最強の二人だ。

「………………」

「……遅い。あまりにも遅すぎる」

「やっぱり、バリーもそう思います?」

「あいつらに限って、って事はねぇだろォが……だとしたら何故ここに来ない?」

 妖魔に敗北する事も道に迷う事も、彼らでは考えにくい。
 だが、それは通常の彼らであった場合だ。
 今宵は『紅し夜』、魔の者が輝きを増す夜だ。

「まさか、『紅し夜』に――」

 そこまで言って、バリーは口を噤んだ。
 ありえないなんて事はなかった。

 『紅し夜』が惑わすのは妖魔だけではない。
 半吸血鬼はもちろんエルフだって魔力、ひいては魔素に関わりが深い種族だ。
 紅い月光に惑わされ、我を失っているのだとしたら危険すぎる。

「……捜しに行きませんか」

「…………、……無茶だ」

 バリーはこめかみを押さえて続ける。

「大気中で飽和状態になっている魔素は、魔力を扱う者にも影響を及ぼすんだ。
 要は俺もいつもより魔術の扱いがヘタクソになっちまってる。
 いや、ヘタクソになっているだけならまだマシか。
 下手すりゃ暴走しちまう……その結果は言わなくても分かんだろ?」

 魔力と縁遠いながらも戦えるチコはもう矢が尽きてしまっている。
 同じく魔力と縁遠いが大群を相手に戦えないレンツォ。
 そして、バリーをして戦闘能力ゼロと言わしめたルナ。

 とてもコヨーテらを捜しに行ける面子ではなかった。

「――それでもです、私一人でも行きますよ。
 私なら『紅し夜』の魔素の影響に耐えられますし……逃げるだけなら、なんとか」

「チッ、あァそう言うだろォとは思ってたよ。
 ったく昨日のコヨーテと似たような事言いやがってよォ……、ほらよ」

 舌打ちしつつも、バリーはスクロールをルナに放った。
 いつぞやの依頼の際に手に入れた【光弾の書】という、簡易な魔法攻撃を放てるスクロールだ。

「封を解いて中の言葉を読み上げるだけでいい。
 照準はお前がイメージした相手に勝手に飛んでくから心配ねぇ。
 こいつなら魔力が暴走する心配はねぇが、一回きりの使い捨てだ。

 ……くれぐれも無茶はするなよ、危険と思ったらすぐに戻れ。いいな」

「大丈夫です、分かっていますよ」

 魔法のスクロールをしっかりと胸に抱いて、ルナは宿屋を飛び出した。



「はぁ……はぁ……」

 ミリアは追われていた。
 彼女を極上の獲物と見なした幾多の魔物によって。

「どうしてよ……どうしてっ……、走れない……!」

 陽動として一緒に動いていたコヨーテと分かれてしばらくして、何故か脚が思うように動かなくなっていた。
 脚はミリアの最大の武器だ。
 これが機能不全に陥っている状況自体がすでに拙い。

「――オオオオォォォォォォン!!!」

 顔を上げた先には、満月と同じ赤色に瞳を染めたオーガがミリアを見て吼えている。
 そのオーガもミリアと同じく数多の妖魔を殺して来たのだろう、全身が赤黒くに染まっていた。

 オーガの強靭な膂力から繰り出される、叩き潰しの一撃。
 それを身体を捻って避けると、オーガの腕に左の剣を突き刺して地面と縫いつける。
 今の脚ではオーガの首まで跳び上がれない、だからこそ足場を作り出さなければならなかった。
 ミリアは突き刺した剣の柄を踏み台に跳び上がり、オーガの首に剣を突き立て、一気にその首を引き裂いた。

 頭がぼうっとする。
 オーガの倒れる音すら認識できたかも分からない。
 それでも、気がつけば彼女の両手にはそれぞれ剣が握られていた。

「はぁ、はぁ……」

 逃げなければ。
 いつまで持つかも分からなかった先刻までとは違い、もう持たないだろうとミリアは感じていた。

(どう、して……?)

 しかし何故だろう。
 何故、身動きができないのだろうか。
 もしかしたらもう身体は死んでいるのだろうか。

「馬鹿馬鹿……しいっ!」

 歯を食いしばって、ミリアは震える足を動かす。
 ただ一歩進むだけでも一苦労とは笑えない冗談だ。

「……は、」

 ふと顔を上げてみると、今度はトロールの緑色の巨体が目に入る。
 一体いつの間に接近していたのか。
 それどころか、周囲には多種多様の妖魔がミリアの肉を求めて蠢いている。

 いや、もしかしたらミリアのほうから近づいたのか。
 それすらももう分からない。

 何かが狂っている。
 ミリアの五感か、精神か、この森か、世界か。

 トロールの腕が持ち上がり、丸太のような一撃が振り下ろされる。
 あれを避けなければどうなるかすら、今のミリアには思考できない。
 ただ幸運だったのは、そこでミリアの身体が限界を迎えたという事だ。
 もつれた足が身体のバランスを大きく崩し、トロールの腕を避ける形で地面に倒れ込んだ。

 しかしトロールの振り下ろしは単純なものではない。
 その衝撃は地面を抉る。
 押しやられた石や土塊がミリアの身体を吹き飛ばした。

「――ごッ……!」

 ごろごろと転がり、やがて木の幹にぶつかって動きを止めた。
 口の中に鉄の味が広がる。

「あ……――」

 視界が明滅し、鮮やかな赤に染まった。
 不思議と痛みは感じない。

 吹き飛ばされたミリアに向かって、多種多様な妖魔が群がってくる。
 各々の得物を彼女に突き立て、食らわんとする。

(ああ、そうだ……)

 夢を見ているかのように移ろう意識の中、ぼんやりと思った。

(逃げられなかったんじゃなくて……

 あまりにも月が美しすぎて。
 辺りを埋め尽くす紅に、心奪われて。

(もう――)

 吹き飛ばされても手放さなかった双剣に意識が向く。
 振り下ろされる妖魔の爪がとんでもなくゆっくり迫ってくるように見える。
 倒れたままの体勢で腕だけを伸ばして妖魔の喉に剣を突き立てる。
 熱い鮮血がミリアに容赦なく降りかかった。

 それでぼんやりしていた意識が完全に戻る。
 身体のばねを最大限に利用して、小さく跳んで双剣を閃かせる。
 己に集っていた妖魔をひと薙ぎで屠り、ミリアは更に跳ぶ。

 地を蹴り跳び上がり、一閃に見紛う二閃をもってトロールの頭蓋を縦に割る。
 あまりにもあっけなくトロールの巨体が地に沈んでいった。

「……我慢できない、……したくない」

 今宵は魔性の宴。
 全ての魔なる者が踊り狂う、殺戮の饗宴。
 ならば、何を遠慮する事があろうか。

 じわり、と。
 白い布に泥が染み出すように、ミリアの白い肌に黒色の波紋が広がった。
 一瞬にして彼女の肌は濃灰色へ染まりきる。
 その侵食は白を喰らいつづけ、彼女の白目すらも染めてしまった。

 変わり果てた彼女は、と称するに相応しい容姿となっていた。
 かつて『歌の一族』と呼ばれるエルフの部族に巻き起こった内乱で、その首謀者たるエルフは自らの憤怒と憎悪によって堕落しダークエルフと化した。
 エルフが堕落してダークエルフと化す事例は確かにある。
 『紅し夜』によって増幅されたミリアの心の闇が、彼女の堕落を後押ししてしまったのだ。

(ふふ、集っているわね。紅い光に酔いしれる雑魚どもが)

 あれだけ殺しに殺したというのに、まだまだ妖魔は集ってくる。
 数も、質も、申し分ない。

「思う存分暴れまくればいい……夜明けまでね!」

 欲望にまみれた獣のような笑みを浮かべ、ミリアは妖魔の群れに踊りこんだ。



「……どうなっている」

 コヨーテは己を追う妖魔が突然向きを変え、それぞれ引き寄せられるように一方向へ流れ出した事に疑問を抱いた。
 何にせよ、これはチャンスでもあった。
 『紅し夜』の下にあってもコヨーテの内に破壊や殺戮の暴走衝動は襲ってこない。
 この隙に町へ向かって走れば、あるいはそのまま辿り着けるかもしれない。

(だが……)

 何故妖魔が向きを変えたのかを考えれば考えるほどに、彼の足は町とは違う方向へ向いていた。
 妖魔の向かった先を目指して、連中を追うような形でコヨーテはひた走る。

(もしかしたらオレも、とっくにイカれてしまってるのかもな)

 コヨーテは自嘲的な笑みを口元に浮かべた。
 『月歌を紡ぐ者たち』では最も『紅し夜』の影響を受けるのは半吸血鬼である自分だろうとは思っていた。
 気づかない内にどこか狂っていてもおかしくはない。

 走る内に群れからはぐれた妖魔がこちらに気づき、襲い掛かってくる。
 それらを適当にあしらいながら、コヨーテはひたすらに足を速めた。

「――くっ」

 次第に、血のにおいを含んだ風が鼻につく。
 ひと吸いしただけで頭がぐらつくほどに強烈に濃密な血のにおい。
 どうやらこの周囲の紅さは月だけの仕業ではないらしい。

 そこら中に妖魔の死体が転がっていた。
 そのほとんどが鋭利な刃物で、まるで料理人が魚を捌くような精密な技で斬り捨てられている。
 これほどの技を持つ武芸者がこの森にそう何人もいるだろうか。
 問うまでもなかったか。

「………………」

 ただただコヨーテは走り続ける。
 まるで己自身が何者かに招かれているように。

「……ッ!」

 やがてコヨーテの視界に飛び込んできたものは――

「ミリア、なのか……?」

 赤黒い血に塗れながらミノタウロスに戦いを挑むミリアと、その周囲の地面を埋め尽くすほどの妖魔の亡骸だった。
 いや、血の赤に染まってはいるものの、ミリアの肌は普段のそれとはまったく違う。
 濃灰色の肌と彼女の纏う異様な雰囲気はコヨーテの脳内でダークエルフを連想させた。

 ミノタウロスの力任せに振り下ろされる斧の一撃。
 それを回避するのはミリアにとって容易ではあったろう。
 しかし、黒ミリアはそれに対して双剣を添えて受け流した。

 十分に伸びきったミノタウロスの腕を、黒ミリアは交差させた双剣で斬りつける。
 何度も、何度も、何度も。
 見る者を震え上がらせる威容を誇るはずの魔獣の腕を切り刻み続ける。

「――――――!!」

 ミノタウロスは声にならない雄たけびを上げた。
 どうにか残ったほうの腕で反撃を試みるも、黒ミリアはそれを逆に利用する。
 彼女を掴もうとする掌を掻い潜り、あろう事か腕を足場にミノタウロスの身体を駆け上がる。

 剣閃は一瞬だった。
 最も特徴的だった牛頭を失った魔獣は、跪くような姿勢で絶命する。
 ごろごろと転がりゆく牛頭は、やがてコヨーテの足にぶつかって動きを止める。

 この場にいた妖魔は、もういない。
 逃げたか、あるいは黒ミリアによって物言わぬ肉片と成り果てている。
 そう、この場に残ったのはたった二人。

「……ミリア」

 黒ミリアの紅く染まった眼が、コヨーテの姿を捉えた。
 生死を共にした仲間として映っているだろうか。
 それとも単に今まで屠ったどんな妖魔よりも手強く楽しめそうな相手としか映っていないのだろうか。

「会いたかったわ、コヨーテ」

 いつものミリアの声、口調だった。
 ただしその肌が濃灰色でなく、その口元がぐにゃりと歪みながら吊りあがっていなければ、だ。

「ミリア……お前は……」

 その瞬間に、コヨーテは悟った。
 ミリアは『紅し夜』に狂わされている。

「こんな綺麗な月夜なのに、どうして平気でいられるの?」

「………………」

「答えなさいよ」

「――ッ!!」

 神速の踏み込み。
 彼我の距離は一〇歩分はあったはずなのに、まるで獣のように一瞬で距離を詰められた。
 続けて繰り出される黒ミリアの剣閃を、コヨーテは紙一重で避ける。

 頬が焼け付くように熱い。
 触ってみると血が出ていた。
 掠めてしまったらしい。

 コヨーテは確信する。
 今の一撃は、確実に殺しに来ていた。
 咄嗟の回避が間に合わなければ、コヨーテの首と胴は永遠の別れを告げていただろう。

「……、」

 今宵は『紅し夜』。
 全ての魔を狂わせる殺戮の宴。
 招待客に例外なんてなかった。

 真紅に染まった手に血の滴る得物を握り、黒ミリアは笑みを浮かべた。

「何を我慢する必要があるの?
 ここにいるのはもう私たちだけ……
 心の逸るままに暴れても迷惑を被る人なんて一人としていやしない」

 紅い月が、コヨーテを照らしている。
 紅い瞳が、コヨーテを捉えている。

 足元は宴の生み出した血と肉の海。
 どこに目を遣っても視界に飛び込むのは鮮やかな紅。

「――逃げ場はない、って事か」

 コヨーテは【レーヴァティン】を構えた。

 彼女の正気を取り戻す術は二つ。
 ひとつは『紅し夜』の終焉。
 もうひとつは狂気ごと彼女の意識を刈り取る方法だ。

 どちらにせよ、丸腰で済む決着はありえなかった。

「そう、それでいいのよコヨーテ。
 さぁ心行くまで……殺し合いましょう?」

 舌なめずりして、黒ミリアは獰猛な笑みを浮かべた。



 戦いは始まったというのに、二人は動けなかった。
 コヨーテもミリアも互いの力量は嫌というほど知っている。
 それぞれの長所や短所も知り尽くしている。

 なればこそ速度で劣るコヨーテは黒ミリアに攻撃を仕掛けられない。
 迂闊に攻勢に出ては、絶対的に先の先を取り得る速さを持つ黒ミリアの思う壺だ。
 それこそ隙でもなければ黒ミリア相手に先の先を取るのは不可能と言っていい。

 対する黒ミリアもまた攻勢に出られない。
 半吸血鬼に由来するコヨーテの頑健さは努力で補える範疇を超えている。
 黒ミリアがコヨーテに勝つには先の先を取り続け、傷を増やして疲弊させるヒット&アウェイの戦法を取るしかない。
 よって、迂闊な攻撃を仕掛けてしまっては受けられた挙句、更にカウンターを貰ってしまう事態になりかねない。
 それほどの覚悟を決められ、かつ実行に移してしまうほどの意志の強さをコヨーテは持っている。

 それぞれの得物を構えたまま、どれだけの時間が経ったのだろう。
 コヨーテの頬の傷は【治癒】により塞がり、固まった血液が割れる感触がくすぐったい。
 二人の間を、血生臭い風が吹き抜けていく。

「――コヨーテ! ミリア!」

 ルナの声。
 それが合図となった。

「ッ!」

 黒ミリアの双剣が閃き、コヨーテの【レーヴァティン】が唸る。
 獣じみた速度で駆け抜けた黒ミリアは十数歩は離れた場所に着地すると同時に膝をついた。

「やる、わね……さすがはコヨーテ」

 黒ミリアは脇腹を押さえ、脂汗を流す。
 交差する一瞬で、コヨーテは【レーヴァティン】を盾のように構えていた。
 しかしそれは防御を兼ねたフェイントで、本命は肘によるカウンターだ。
 見事に決まったものの、黒ミリアの速さに追いつけなかった為に一撃で意識を刈り取る事はできなかった。

「お前もな……」

 それどころかコヨーテの右腕はざっくりと切り裂かれていた。
 滔々と血が流れ、地面を鮮やかな紅に染めていく。
 防御自体がフェイントではあったが、それを掻い潜って一閃を加えた黒ミリアの剣術は流石の一言に尽きる。
 それだけの動きを補佐する眼を、彼女は確かに持っていた。

 ただの一合。
 それだけで互いの剣術の力量差が目に見えて顕れていた。
 コヨーテの強みはあくまで持久力と継戦能力だ。
 純粋な剣術で黒ミリアに敵うはずもない。

「コヨーテ……、ミリア……」

「馬鹿ねぇ、ルナ。どうして来たのよ」

「ど、どうして、って……! 私がこんな状況、放っておける訳がないでしょう!」

「……下がっているんだルナ。ミリアは『紅し夜』に飲み込まれかけている。いつもの彼女だと思わないほうがいい」

 前日の戦いでぼろぼろになった右袖はもう邪魔になるだけだ。
 コヨーテはそれを引きちぎってそこらに放った。

「でも、あなたたちが戦うなんて……!」

「正確には殺し合いよ」

「なおさらです! どうしてあなたたちが殺し合わなきゃならないんですか!」

「そんなの簡単よ。コヨーテと殺し合いたかったからに決まってるわ」

「――ッ!!」

 強靭な踏み込みから繰り出された双剣による突きを、コヨーテはかろうじて弾く。

「――こんな風にね」

「……オレが、憎いのか?」

 その問いに、黒ミリアは薄っすらと笑みを浮かべて首を横に振った。
 ミリアが『紅し夜』の影響を受けたというのなら、感情や欲望、心の闇が増幅されているはずだ。

「私はずっとアンタと戦いたかった。
 殺し合いじゃなくて、純粋にどちらが強いかを決める為の戦いを望んでいた。

 別に不思議な事はないでしょ?
 こんな身近にアンタみたいな強い剣士がいるんだもの。
 同じ剣士なら気にならないほうがどうかしてるわ」

「………なら――」

「――でもね」

 黒ミリアの姿が消える。
 コヨーテの眼はかろうじてその影を捉え、死角に入りきられる前に身体を反転させていた。
 彼女の得意とする【飛影剣】の動き。
 襲い来る双剣を、辛うじて【レーヴァティン】で受け止める。

「……私は、私たちは知ってしまったのよ。
 あの聖誕祭の夜に、アンタがヒトならざる者である事を。
 全力を隠しているにも関わらず私の心をざわつかせるほどの強さを持っている事を」

 もうコヨーテも何も言えなかった。
 ミリアの心の闇はずっとずっと以前から深い場所に生まれていたのだ。
 コヨーテは自分の事にばかり感けていて、そんな彼女の心の機微にまったく気づいていなかった。

 黒ミリアの双剣が力を増した。
 鍔迫り合いの形から、コヨーテを圧し始める。

「最初は小さな火種だったわ。
 どっちの剣技が上か、どっちの実力が上か、ってね……
 でも私とアンタの差はどんどん開いていった。
 聖誕祭から半年も経っていないのに、今のアンタは私よりもずっと先にいる。

 ……昨日のジェベータとの戦いがすべてを物語っているでしょう?」

 昨夜の『血も滴る』ジェベータとの戦い。
 決着を付けたのはコヨーテだ。
 ミリアは初撃を成功させはしたものの、結果的にジェベータの【黒薔薇の刃】を誘発させる要因になってしまった。
 あまつさえその攻撃を受けたミリアは吹き飛ばされ、戦いが終わるまでずっと気を失っていた。

 それが尾を引いていないはずはない。
 共に歩んでいたと思っていたのに、あの夜の戦いで天地ほどの差がついてしまっていたのだから。

「――ねぇコヨーテ、私たちが会ったあの日のリューンの正午……どうして私たちは共闘する立場で出会ってしまったのかしらね?
 あの時あの場所で、あなたと敵対できていれば、こんなにも悩み思いつめる事なんてなかったのかもしれない」

「……本気で言っているのか」

 圧され気味だった鍔迫り合いをコヨーテが圧し返し始める。
 どうしても、それだけは聞き捨てならなかった。

なんて、本当に思っているのか!?」

「さぁ、どうかしらね?」

 間をおかず、黒ミリアは答える。
 コヨーテは目を伏せ、小さく「そうか」とだけ呟いた。

「傷ついた? イラついた? どっちでもいいけど殺し合う気になったのなら御の字よ」

「あぁ、傷ついたしイラついたさ。だけどな――」

 コヨーテはまっすぐに黒ミリアの目を見て、

「――絶対にお前とは殺し合わない。その覚悟ができた」

「……この期に及んで、それ?」

 呆れたと言わんばかりに黒ミリアはため息をつく。
 それは失望だったのかもしれない。

「しょうがない、アンタがその気にならざるを得ないほどに追い詰めるしかないって訳ね」

 鋼と鋼が擦れ合い、火花を散らせる。
 黒ミリアは【レーヴァティン】を弾いて一瞬の隙を作り、その間に距離を取った。

「出だしはイマイチだけど……尻上がりに期待するわ」

 コヨーテは黒の外套を脱いで、ルナに向かって放り投げる。
 黒ミリアを無力化する方法で戦闘を終わらせるつもりがないなら、コヨーテだけが一方的に傷を負う事になる。
 最初からボロボロになる覚悟があるのだから、無闇に外套を傷つけない為だった。

「………………」

 黙して【レーヴァティン】を構えるコヨーテに対し、双剣を構え直した黒ミリアが動き出す。

 速い。
 『紅し夜』の影響なのか、ダークエルフ化の影響なのか。
 いつものミリアよりも速く鋭い。

「……くッ」

 二、三度交差しただけでコヨーテの全身には細かい切り傷がつけられていた。
 さっきの右腕の傷はもう塞がっていたものの、その傷口も再び抉り返されている。

「我慢は身体に毒よ?」

「……お前と殺し合うよりマシだ」

「口は減らないのね」

 そう言って、彼女はいつもの笑みを見せる。
 その一瞬後には黒ミリアの姿を見失うほど強烈な【飛影剣】の踏み込みが始まっていた。
 ただ二足で背後に回られたコヨーテは前方に跳び、空中で身体を反転させる。

「――甘いわよ」

 黒ミリアの次の行動はコヨーテにも想像だにしていないものだった。
 対応された事で双剣での攻撃を瞬時に中断させた黒ミリアは剣の代わりに脚を振り上げる。
 心臓狙いの攻撃にばかり気をとられていたコヨーテは首に引っ掛けられたつま先を避けられなかった。
 黒ミリアは逆立ちのような体勢でコヨーテの首に全体重を掛け、彼の頭を地面に叩きつけた。

「――かっ……、は」

 ミリアの脚力は移動にだけ使われるものではない。
 あれだけの移動を行える脚力があれば、足技の威力も相当のものである。
 地面は今まで黒ミリアが屠った妖魔の血液で見るも不気味な赤い泥になっていて、コヨーテの衣服をどろどろに汚していく。

 更に襲い掛かる追撃の双剣を、倒れたままのコヨーテは避けられない。
 否、避けられる攻撃をするような真似を彼女はしない。

「……ッ!」

 背中を切り裂かれながらも、コヨーテは地面を転がって致命傷を避ける。
 黒ミリアの攻撃は『薙ぎ』ではなく『突き』だった。
 コヨーテの回避が一瞬でも遅れていたらそれこそ心臓を穿たれていたに違いない。

 転がった勢いのまま手をついて身体を起こすも、その時には既に黒ミリアの姿を見失っていた。
 背筋にぞくりと冷たいものを感じ、背後で【レーヴァティン】を首筋を守るように持ち上げる。
 それと短い間隔に二度の衝撃が【レーヴァティン】を叩き、激しい金属音が鳴り響く。

 体勢が低い内は一方的に攻撃されてしまう。
 双剣を払い除けつつ、コヨーテはさっさと立ち上がった。

「叩きつけられての脳震盪、突きによる心臓破壊、そして首狩りの二撃。
 全てを耐えて回避した事は褒めてあげるわ」

「……ただ運が良かっただけだろ」

「理由なんてどうだっていいのよ。
 私の全力を受けたのにこうして生きているってだけでアンタは強いんだから」

 事実、コヨーテは黒ミリアの攻撃を運だけで躱している訳ではなかった。
 神速の踏み込みからの一閃一閃を、コヨーテは確かに視認できている。

「次行くわよ――」

 再び黒ミリアの姿が消える。
 さっきよりも速い。
 否、速いのは攻撃の為の踏み込みではなかったせいか。
 彼女はその踏み込みを単なる移動の為だけに使っていた。

 いくら速くなろうと攻撃の為の予備動作を行っていないのでは次の行動への対処はできる。
 背後に回った黒ミリアへと振り向いた瞬間、コヨーテの眼前に金色の塊が現れていた。
 どうやら黒ミリアが何かを放ったようだが、叩き落してしまえば問題はない。

(違う、これは……髪の毛!? まずッ――!)

 脳がそれを知覚した時にはもう遅かった。
 コヨーテの左手が髪の束を叩くと、無数の金髪が宙に撒き散らされる。
 そのひとつひとつが赤い月光を受けてきらきらと輝いた。

「――くッ、あッ!?」

 宙を舞う髪の毛がコヨーテの目に入り、視界を奪う。
 たとえ痛みに耐えて目を開けられたとしても、すでに圧倒的に遅かった。

 そういえば黒ミリアは言っていた。
 これは殺し合いなのだと。
 殺し合いに卑怯も何もない、生き残ったほうが勝者なのだ。

 コヨーテの胴に一対の双剣が吸い込まれるように沈み、そして貫いた。


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周摩

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