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ゼロの追想 

 とある大都市の郊外にひっそり佇む一軒の屋敷。
 その周囲は塀に囲まれており、幾つか備えてある門にはそれぞれ門番が立っている。
 それはまるで超小規模な都市と表現してもおかしくないほどの威容を誇っていた。

 広大な敷地を持つ屋敷の塀の中には、麦畑すら備わっている。
 日の高い今は畑の中に数十人が入って世話をしていた。
 その数十人が全て一桁か二桁前半程度の子供である点を除けば、いたって普通の光景である。

 この屋敷には毎日十数台の馬車が行き来をしている。
 今日も外から規則的な馬蹄の音と車輪の音が聞こえてきた。
 門を通って屋敷の傍に停まった馬車は二台分だ。

「お前ら、仕事だぞ」

 髭面の中年男の声が馬蹄と車輪の音を掻き消す。
 一人、また一人と畑仕事の道具を放り出して馬車へと向かっていく。
 その中で一人だけ身じろぎしない影があった。

 髪も肌も白く、同年代の子供と比べても痩せぎすの少年であった。
 少年は頭を押さえてただうずくまるだけだ。
 痺れを切らした髭面の中年男が鞭を片手に少年へと歩み寄る。 

 少年は奴隷だった。
 否、その場にいた全ての子供はこの屋敷に雇われている奴隷である。
 普段は畑仕事をさせられ、物資を運ぶ馬車が到着した際は荷降ろしをさせられる。
 当然、それができない者には監督者の鞭が飛ぶ。

「――ゼロ!」

 一人の少女が少年へと駆け寄った。
 少年をどうにか立たせると、肩を貸して歩き出す。
 髭面の中年男も歩き出した事で鞭を収めはしたが、完全にその少年をマークしていた。
 少年が何かヘマすればすかさず鞭が飛ぶだろう。

「……ありがとう、助かった」

 少年は荒い呼吸を繰り返しながら、ようやく口を開いた。
 感謝の言葉を贈られた少女ははにかむように、

「困ったときはお互いさまだよ、ゼロ」

 そう言って笑った。
 ゼロと呼ばれた少年もつられるように笑むが、少しぎこちない。
 それを見抜いたのか、少女は少し表情を曇らせた。

「……大丈夫なの?」

「あぁ、ちょっとした頭痛だよ。もう、大丈夫」

 頭痛が治まったのは確かだが、それがいつまた押し寄せてくるかは分からない。
 初めの内は疲れが取れていないだけだろうと思いそれほど重要視はしなかったが、ものの見事に予想は外れていたのだ。
 倦怠感はいつまで経っても抜け切らず、更には慢性的な頭痛も起こり始め、酷い時は指先も動かせない程の痛みが襲い掛かってくる。

 無理に明るく振舞ってみたものの、ゼロは今もなお酷い倦怠感に襲われている。
 ゼロは自分がもう永くない事を直感的に感じ取っていた。
 この屋敷に来てからずっと良くしてくれた、この最高の友人にだけはそれを知られたくなかった。

 彼女を悲しませたくない、だなんて立派な動機じゃない。
 ただ単に、自分が彼女と離れ離れになってしまう現実を受け入れるのが辛かったのだ。
 知っている者が自分一人ならどうにか誤魔化す事はできるが、彼女が知ってしまってはそうはいかないだろう。
 それが、何よりも怖かった。

 ゼロにはこの屋敷に来るまでの記憶はほとんどない。
 自分が何者であるかすら覚えていなかった。
 そもそもこの屋敷に拾われた理由すらも曖昧で、山中を彷徨っていたところを偶然拾われたという噂さえある。
 ゼロという名も彼本来のものではなく、『何一つ記憶を持たない』という意味で大雑把に付けられたものだ。

 それはゼロにとって幸だったのか不幸だったのか。
 幼いながらに奴隷として生きるというのは筆舌に尽しがたいものだろう。
 しかし世界について何も知らないゼロにとっては、それが当たり前なのだと勘違いしてしまった。

 早くに少女に出会えた事も非常に大きかった。
 身体を蝕む倦怠感が牙を向き、ゼロは高熱でうなされ生死の狭間を彷徨った事がある。
 その時ゼロを診た大人はすぐに匙を投げてしまったが、彼女だけは症状が一時的に治まるまでずっと看病をしてくれた。

 ゼロは彼女に命を救われたも同然だった。
 できればその恩を返したいと思っていたのだが、それも難しく思える。
 記憶を持たないゼロにとって、それだけが生きる希望でもあった。

「無茶はだめだからね?」

「……分かってる」

「ホントに?」

 じっと、少女はゼロの眼を見つめた。
 少年の赤い瞳とは対照的な、綺麗な青の瞳。
 その眼はゼロの嘘を見抜いているような、そんな不思議な感覚があった。

「無理だと思ったら助けを呼ぶさ」

 ため息をひとつついてゼロはそう付け加えた。
 少女は納得したように頷き、朗らかに笑顔を見せる。
 まるで太陽のような、見るものに元気を分け与えているようにも感じられる、そんな笑顔だった。

 ゼロは少女と過ごすそんな時間を大切にしていた。
 身体を苛む倦怠感と頭痛と目の前の仕事さえなければ、そんな時間がずっと続いてほしかった。
 しかし時は無常であり、必ず過ぎ去ってしまうものである。

 大量の荷物を積んだ馬車に辿り着いた。
 できるだけゆっくりと歩みつつ会話を引き伸ばしたつもりでも、終わってしまえばあっけないものである。
 荷降ろしをしている他の奴隷に混じって、二人は仕事に取り掛かる。

「よっ、と」

 馬車から降ろされた麻袋を重い足取りで運ぶ。
 転ばないように歩いてはいるが、倦怠感からか足元がふらついた。
 バランスを崩して身体が後ろに大きく傾いたところで、誰かがゼロを支えようとして、一緒に倒れた。

「わっ、ぷ!」

 支えようとしてくれたのは、少女だった。
 ゼロ自身も麻袋も無事だったが、華奢な少女の力ではゼロと彼の抱える麻袋は支えきれなかったらしい。

「……大丈夫か?」

 ゼロは麻袋を脇にどけて立ち上がると、少女に手を差し出した。
 その言葉にむくりと起き上がった少女は愛らしく頬を膨らませた。

「ついさっき約束したばかりじゃない」

「このくらいなんでもないさ。無茶の内に入らない」

(――そうしないと追い出されるから)

 口には出さないが、彼女もそれが分かっているはずだ。
 彼女もゼロと同じ境遇なのだから。

 裏路地でみすぼらしくネズミのような生活を続けていた彼女を、雇い主は拾ってきたそうだ。
 彼女は華奢であるが、よく働く。
 所詮雇い主としては男であろうが女であろうが、働けばそれでいいのだ。

 今度はしっかりと麻袋を抱えて、ゼロは歩き出した。
 その隣で少女も自分の麻袋を両手で抱えて歩く。

「これって、どこに運んでるの?」

 少女はゼロが運んでいる麻袋を指して言っている。

「中庭の第三倉庫」

 この屋敷には倉庫がそこかしこにいくつもある。
 中庭には、はっきりと確認したわけではないが三つほどあったと思う。
 しかし迷うような事はない。
 というのも、今回向かっている一つ以外には奴隷は立ち入りが禁止されていたからだ。

 何故こんなに沢山倉庫があるのか、疑問に思った事はなかった。
 そんなものゼロには関係ない。
 どの倉庫に何があっても、自分はただ運ぶだけでいいのだから。

「第三かぁ……私は第二倉庫に行かなくちゃ」

「逆方向か」

「残念だね」

 少女は眩しいほど綺麗な金の髪を揺らして笑んだ。
 風になびく金髪に、ゼロは一瞬見とれていた。
 ゼロは少女の綺麗な髪がふわふわとなびくのを見るのが好きだった。

 以前それを伝えた事があったが、彼女は気恥ずかしそうに俯いてしまった。
 そして『ゼロの赤い瞳のほうが綺麗だと思うけどなぁ』とか何とか呟いていたが、そんな事はない。
 天と地、雲泥の差がある。

 キラキラと日の光を跳ね返す金の髪の美しさはえも言われず。
 対してゼロの瞳はどこか深くどす黒い谷底を見ているような、そんな不吉な色合いである。
 比べる事さえおこがましいような、そんな気がする。

(女の子の考える事はよく分からないな)

 その一言で済まそうとするゼロはとんでもない鈍感だった。

 なんだかんだ、今の生活は決してベストとは言えない。
 しかしベターではあった。
 彼女の存在があれば、たとえどんな環境でもやっていける気さえした。

「ッ……!」

 ゼロは突然顔をしかめた。
 割れるような激痛に、ひたすら頭を抑える。
 いつもの頭痛とは比べ物にならないほどの痛みが脳内を駆け巡り、耐え切れずに膝をついた。

「ゼロ!? ど、どうしたの!?」

 少女が心配そうに駆け寄ってくる。
 ゼロはそれを手で制し、ただひたすら痛みに耐える。
 今この時に限り、欲しいのは少女の励ましではなく頭痛の鎮静だ。

「――私、誰か呼んでくるね!」

 言うやいなや、少女は走り出した。

……」

 ふと、ゼロは少女の名を口にしていた。
 嫌な予感は、確かにしていた。
 だがそれは圧倒的な倦怠感と頭痛に隠れてしまっていたのだ。

 日常とは移ろいやすく、脆い。
 人は日常が何たるかを知覚する間もなく、変化したそれをやがて日常だと認識する。
 たとえそれが急転直下の出来事でも時間は変わらず進んでいくのだから。



 どれくらい経っただろうか。
 頭の痛みは永遠と思えるほど長く感じたが、現実にはあまり経っているようには思えなかった。
 次第に引いていった痛みの再発への恐怖に身を震わせながら、ゼロは顔を上げる。

「……ドロテア」

 再び彼女の名を呟き、そこで妙な事に気付いた。
 時間は定かではないが仕事をせずに地面にうずくまったゼロを咎める監督者の鞭が飛んでこないのだ。
 麻袋を放り出して走り去ったドロテアについても咎められる事はなかったのだろうか。

(何だ……?)

 その時だった。
 倉庫の反対側、屋敷の方から小さく悲鳴が聞こえてきた。

 悲鳴であり、歓声なんかでは決してない。
 あれは苦痛や驚愕、絶望を伴う類の声だ。
 記憶を持たないゼロですら、それが容易に分かってしまうほどの壮絶な悲鳴。

 幸いにもそれはドロテアの声ではない。
 明らかに声が野太い、男のものだ。
 しかし、それはゼロの心胆を寒からしめるには十分なほどの威力を持っていた。

 ドロテアは人を呼ぶと言って走り去った。
 その『人』とは恐らく大人の事だろう、自分らと同じ奴隷の子供ではあまりにも頼りにならない事はゼロにも分かる。
 しかし大人は屋敷の方にしかいない。

 そこまで思考してゼロは跳ね起きた。
 彼女が走り去った方向は、紛れもなく悲鳴が聞こえてきた屋敷を向いている。

「……ッ!」

 ゼロは唇を噛んだ。
 何が起こっているかは分からない。
 だが、自らの世界が変わるような何かが起こっているのは明白だ。

 あるいはそれは『転機』というものだ。
 転機はすべからく、覚悟を伴って立ち向かわなければならない。
 ゼロはその機を何の覚悟もなしに迎えている。

 駆ける。
 さっきまで感じていた倦怠感を無視して、ひたすらに脚を動かす。

 玄関口から廊下やその天井に至るまで、バケツの中身をぶちまけたような大雑把な赤の塗装が施されていた。
 それを作り出すのはいたるところに転がっている、切り刻まれた人間の死体。
 ゼロは人間の死体を見た記憶はなかった。
 だとしてもそれがとんでもなく異常な光景である事は直感として理解できている。

 今のゼロに倒れた人を介抱したり生存者を探す余裕なんてない。
 ドロテアの姿を見つけ、二人で逃げ出したかった。
 この赤一色の世界から逃れられるなら、他には何も要らなかった。

 

「あぁ?」

 豪奢な食堂の片隅に、人相の悪い大柄な男が立っている。
 その手には血に塗れた片刃の剣。
 そして、その足元には女の子の身体が横たわっている。

「……嘘だ」

 思わずゼロは呟いていた。
 あの美しかった金の髪が、真っ赤な色に塗りつぶされている。
 健康的だった彼女の身体は肩口が大きく裂け、赤色がそこから噴き出していた。

「何だクソガキ、死にに来たか?」

 男は下衆な笑みを浮かべて心底嬉しそうに訊いた。
 ゼロはそれには答えず、ドロテアの傍に膝をつく。
 蒼白に染まりつつある彼女の頬に触れてみると、気味が悪いほどに冷たい。

「……ドロテア」

 かすかな望みをかけて少女の名を呼んだ。
 辛うじて死の淵に手をかけている少女は答えられない。
 ただ涙を湛えた虚ろな瞳をゼロに向けていた。

「おらッ!」

 脇腹に鈍い痛みを感じた。
 その衝撃は子供のゼロの身体を壁に叩きつけた。
 男は蹴り上げた足をそのまま前に踏み出して、ゼロに近づく。

「可哀想になぁ、お友達が死んじまって悲しいなぁ?」

 げらげらと笑いながら男はゼロの腹を再び蹴りつけた。
 ゼロの背後には壁があり、衝撃の逃げ場はない。
 腹に突き刺さった衝撃は蹴り上げられた事で肺を叩く。

 ゼロは激しく咳き込み、同時に赤い唾を吐く。
 男の容赦の欠片もない蹴りがゼロの内臓を傷つけていた。

 ふと、腹に熱いものを感じた。
 それは蹴られた衝撃などではない、別種の熱だ。

「お前もお友達のところに行きたいか、なぁ?」

「……うるさい、黙れよ下衆が」

 腹の熱が、ゼロの思考を乗っ取り始めた。
 よろよろと立ち上がったゼロは思い切り歯を食いしばり、男に渾身の力を込めてぶつかっていく。
 不意の体当たりに、男はたたらを踏んだ。

 ゼロはドロテアの傍に行きたかった。
 行って何をしようとは思っていない。
 ただ、傍にいたかった。

「……クソガキが」

 がくん、と視界が揺れた。
 今度は肩の辺りに熱を感じる。
 そこから血が噴き出ている事から、どうやら斬られたようだ。

 それを感じてもゼロは何も思わなかった。
 痛みは感じたが不思議とごく薄いものだ。
 傷を意に介さず、引き剥がされたドロテアとの距離をゆっくりと詰めていく。

 ゼロはドロテアの傍に膝をつくと、その身体を抱きしめた。
 ひどく冷たい。
 絞り出すような声で、ゼロは彼女の耳元で囁くように言う。

「ドロテア……行こう、外へ行こう……二人で、外へ」

 答えは返ってこなかった。
 それでもいい。
 ゼロは答えを期待していなかった。

「ハッ、ここで仲良く眠ってな」

 再び男の声が、今度は頭上から聞こえてくる。
 その声に混じって風を切る音が聞こえてきた。

 それと同時に腹の熱が爆発した。
 男の剣が到達する前に、ゼロの姿は消失する。
 ゼロはドロテアを抱えたまま、一足飛びに壁際まで移動していた。

 男は驚愕の表情を浮かべ、床を傷つけた剣とゼロを交互に見やった。
 とても子供の、人間の動きとは思えない超人的な体捌き。
 
「……あっ」

 両膝をつき、ゼロは場違いすぎる間抜けな声を上げていた。
 それはドロテアを抱えているせいではない。
 身体に力が入らなくなっているのだ。

 反対に、腹の熱は荒れ狂うようにうねっている。

(行かないと……、外に出ないと……!)

 その言葉だけがゼロの頭で反芻される。
 しかし拒否するかのように、足は動かない。

 ドロテアの首ががくんと揺れる。
 腕にも力が入らなくなってきたようで、危うく彼女を取り落としそうになる。
 そして、ゼロは見てしまった。

 彼女の白く、美しい首筋を。
 それから先は覚えていない。



 吸血鬼とは『血の力』なしには生きられない。
 人間が食事を必要とするように、吸血鬼も血を飲まねば身体は機能しない。
 半吸血鬼であるコヨーテ=アイランズは吸血鬼の『貴族ノーブル』たるラクスマン=クレヴァーからそう学んだ。

「だったらどうした」

 ラクスマンから勧められた血液を、にべもなくコヨーテは突っぱねた。
 コヨーテは自分の身体に流れる吸血鬼の血を嫌っている。
 父である『不死の王ノーライフキング』の姓、アイランズを名乗る事すらおぞましく感じているのだから相当だ。

 無理やり飲ませようとした事もあった。
 その度にコヨーテは血を吐き出し、激しく抵抗した。

「……どうなっても知らんぞ」

 ラクスマンは遂に匙を投げた。
 最初に突っぱねられてからおよそ半年が経過している。
 彼も相当に我慢強い男だったのだが、堪忍袋の緒が切れたというやつだろう。

 吸血鬼の体内に流れる血の力は日々わずかずつ消耗していく。
 人間で言う食事が吸血であるが故に、必要なエネルギーを補給せねば存在を保てない。
 半吸血鬼であるコヨーテは人間の食事だけでは吸血鬼の力は回復せず、いずれは半身を失ったように身体が壊れていくはずだ。

 だが、現実にコヨーテは血を飲まずとも生きられた。
 ラクスマンは大層不思議がったが前例がないのでは答えは出ない。
 彼はもともと単独で吸血鬼の研究を行い、技術の発展を追い求める性分だった故に、それはもう様々な調査を行い幾度ものテストを行った。
 研究で更に半年が経過した後、最終的にこう結論を出した。

「おそらく君の母親……彼女の血が、アイランズ様の血に勝ったのだろう」

 それを聞いたコヨーテは喜んだ。
 毛嫌いしていた父の血を、人間である母の血が勝ったのだ。
 そしてコヨーテは血を飲まなくて済む事を、見た事もない母に感謝した。
 血を飲まなくても生きていけると分かれば、父と同じ吸血鬼であるラクスマンと一緒に生活する必要もないのだ。

 しかしその後、コヨーテの記憶は一度途切れる事になる。
 気づいた時にはコヨーテはコヨーテでなく、名もなき誰かとなっていた。
 そして名もなき誰かはゼロという名を得る。

 ゼロはやがて一人の少女と出会う。
 少女はその命を散らす。

「………………」

 少女の名はドロテアといった。
 彼女は死んだ。
 取るに足らない下衆に襲われて死んだ。

「誤魔化すなよ」

 そう呟いたのはコヨーテだったのかゼロだったのか。
 失っていた多量の記憶が一気に戻ってきた影響か、自分が何者なのかを見失っていた。

「彼女を、ドロテアを殺したのは……オレなんだ……」

 すっかり静まり返った室内に、生きている人間は一人もいなかった。
 いるのは半吸血鬼の化け物が一体のみ。
 ドロテアも、彼女を害した大柄な男も同じように血溜りの中に沈んでいる。
 二人ともさっきまでにはなかった首筋への傷を増やしていた。

「………………」

 ゼロは自分の口元に触れた。
 乾ききっていない血液がべったりと手に付着する。
 何故口元だけに血がついているのか、ゼロはもう理解していた。
 いいや、ゼロではなくコヨーテだ。

 コヨーテがドロテアの血を吸い、男を殺した。
 殺しただけでは飽き足らず、その男からも血を吸った。

 嘘だと叫びたかった。
 夢で終わって欲しかった。
 幻想として逃避したかった。

 しかしそれら全てがコヨーテには許されない。
 純然たる事実としてドロテアと大柄な男、二人の命は確実に失くなっているのだ。

 痛いほどの静寂が、その場を流れていた。

「――あああああああああああああああああああ……!!」

 コヨーテは狂ったように叫んだ。
 そこらに散らばった長テーブルや椅子を力任せに殴りつけ、蹴りつける。
 小枝でも折るようにバラバラになって吹き飛ぶ調度品は、とても子供の力で破壊できるものではない。
 腹立ち紛れに行ったそれはコヨーテに半吸血鬼の事実を突きつけただけに終わった。

 もう、どうやってもドロテアの命は返ってこない。
 彼女は二度とコヨーテに笑みを見せてくれないし声をかけてくれる事もない。
 美しかった金の髪も、今ではくすんで見える。

 コヨーテの頬を熱いものが流れていく。
 それが涙であると理解したのは、流れ落ちたそれがドロテアの頬に落ちてからだった。
 感情で涙を流すのは人間の証だ。
 吸血鬼は涙を流せない。

 コヨーテは人間に、へと戻っていた。
 だが今更戻ってきても何もかも遅い。

 恐ろしく冷たくなったドロテアの身体を抱きすくめ、しばしコヨーテはその場に座り込んだ。



 コヨーテはドロテアの肉体を抱えて裏路地を歩いていた。
 屋敷の人間がどうなったなんてもはや頭になかった。
 絶望と恐怖から逃れるように、足早に裏路地を歩く。

「うあっ……!」

 何かに蹴躓いて、一気にバランスを崩したコヨーテは倒れた。
 その際に割れた瓶の欠片が腹に突き刺さったが、あまり痛みは感じない。

 コヨーテはそれを億劫そうに引き抜いた。
 すると血はすぐに止まり、皮膚は何事もなかったように再生した。
 今しがた飲んだ処女ドロテアの血が効いているのだ。
 大柄な男に斬られた肩口の傷などはすでに再生している。

「……どうして、オレばっかり……こんな目に遭うんだ」

 弱音を吐いた。
 余りに理不尽な彼の運命は、彼から全てを奪っていった。
 まだ子供であるコヨーテにその運命は余りにも重すぎる。

「ドロテア……」

 コヨーテは彼女を背負いなおす。
 彼女は静かに目を閉じて、眠っているようにも見えた。
 生気のない青ざめた肌の色と、真っ赤な大量の血がなければ、だが。

 何処へ向かっているのだろう。
 自問しても、答えは返ってこない。

 コヨーテが外に出よう、と考えたのはドロテアがいたからだ。
 今はもう彼女の魂は何処にもない。

 ゼロには彼女しかなかった。
 記憶が戻ったとしても、コヨーテにも何もない。
 彼女がいなくては、生きている意味なんてありはしない。

 彼女はゼロにとっても、コヨーテにとっても途轍もなく大きな存在となっていた。
 そこに居るのが当たり前の存在。
 それを失ったばかりのコヨーテに、冷静な思考などできるはずもない。

 ふと、コヨーテは路地に転がる錆びた鉄片を見つけた。
 元々はナイフだったのか、ご丁寧に柄までついている。

 生きている意味がないのなら、

「いっそ死んでしまおうか」

 虚ろな笑みを浮かべてコヨーテはそう呟き、錆びたナイフを自らの心臓に突き刺した。
 以前父親のアイランズを殺したときと同じく心臓を穿てば死ねるはずだった。
 錆びて切れ味が鈍っている事など関係なかった。
 吸血鬼の膂力ならこの程度でも人体は穿てる。

 コヨーテが父親を殺したときと、相違点は三つ。
 一つ、得物の長さ。
 この程度のナイフでは心臓を貫くほどの傷はつけられない。

 二つ、銀の武器ではなかった。
 銀製品でなければ吸血鬼の身体はすぐに再生する。

 三つ、コヨーテが処女の生き血を飲んだ直後であった。
 言うなれば万全の状態である。

 それらの相違点が、吸血鬼としての記憶を取り戻したコヨーテには理解できていた。
 しかし理解できていたからといって納得している訳では決してない。
 あまりにも無意味な自傷行為である。

「……なんで」

 コヨーテは何度も何度も自らの胸を突き刺す。

「……どうして!」

 突き刺しては再生し、突き刺しては再生を繰り返す。

「ふざけるなあッ!!」

 怒りのままにナイフを投げつけた。
 ナイフは壁へとぶつかり、錆びていた事もあって粉々に砕かれ欠片を散らす。
 それでも怒りは収まらずに拳で地面を何度も何度も強く殴る。

 かつてドロテアから聞いた、神様の話。
 ドロテアは神様とやらを信じているのだと言っていた。
 神様は皆を見守ってくれている偉大な存在だそうだ。

「何がッ――!」

 何が皆を見守る偉大な存在だ。

 コヨーテは憤怒の形相で空を見上げた。
 音を立てて歯を軋ませて、その向こうの神様とやらを睨みつける。

 ドロテアを救ってくれず、自分は死なせてもくれない。
 皆を見守っているというのなら、ドロテアを助けてくれても良かったじゃないか。
 コヨーテなんて化け物のなり損ないを生かすくらいなら彼女を生かしてくれればよかったんだ。

 そう思っても、口には出さない。
 答えなど返ってこない事は、幼いコヨーテの頭でも分かる。
 空はどんよりと曇り、昼間の快晴が嘘のようだった。

(疲れた)

 コヨーテは後ろ倒れこみ、寝転がった。
 何処へ行く当てもなく希望もない。
 ならばいっそ、ここで朽ち果ててしまってよかった。

「……おい、大丈夫か」

 裏路地への入り口、大通りに面する場所から男がこちらを見ていた。
 何が起こっても身を守れるような立ち位置にその男は立っている。
 コヨーテとその傍のドロテアを見やって、少しだけ眉をひそめた。
 しかしその男は取り乱すような事はせずにただコヨーテの返答を待つ。

「………………」

 コヨーテは自分がどんな状態なのか分からず、質問に答えられないまま押し黙る。
 だが、寝転がっているのは相手に失礼だと思った。
 身を起こして、しかし立ち上がる気力もないので座り込んだ形のまま男の方を向いた。

「親はいないのか?」

 コヨーテはこくり、と頷いた。
 記憶が戻った今、両親の死は思い出せている。

「……そっちの子は?」

 どうやらドロテアを指しているらしく、コヨーテは頭を振った。
 男は改めてコヨーテとドロテアの服装を観察する。
 やがて察したのか、男は目を伏せた。

「そうか……」

 男はそれ以上何も言わずに自分の外套でドロテアの身体を包み込んだ。
 そしてその冷たい身体を抱き上げる。
 奪われると思ったのか、思わずコヨーテは立ち上がった。

「こんなところに野ざらしにされたらこの子が可哀想だろう。
 きちんと埋葬してやらないと……な?」

 優しく言い聞かせるように、男は言った。
 可哀想、という言葉に反応したコヨーテは、ただ黙って頷く。

「ついて来るんだ。少し歩けば市営墓地がある」

 そう言って男は歩き出した。
 言葉通りにコヨーテは後ろをついていく。

「……どうして、ここまでしてくれるんだ」

 コヨーテは思わず訊いていた。
 理解できなかったからだ。

 今まで生きてきて、ドロテア以外の人間がコヨーテを助けた事なんてなかった。
 そのドロテアが居なくなった今、誰も自分たちを助けてくれない。
 彼女が信じていた神様ですら見向きもしなかった。

「見ず知らずの他人だろう。何もメリットなんてないはずだ」

 人間の暗い部分を幼いながらに見せ付けられたコヨーテにとって、救いはありえないものでしかなかった。
 男の申し出も、何かの罠なのではないかと勘繰ってしまう。
 人を信じて生きてきたドロテアとは全く逆の発想になっている。
 そう感じていても、コヨーテは問わずにはいられなかった。

 男は少しの間、顎に手を当てて考え込んだ。
 やがてコヨーテに向き直ると、とても短い一言を発する。

「……なに、ただの気まぐれさ」

 そのたった一言でコヨーテの疑いの心は消え去った。
 それが建前である事はなんとなくでも理解はできたが、その奥に存在するだろう本音が邪なものではない事ははっきりと理解できたからだ。
 コヨーテにとってこの男は神様以上の存在に思えた。

「そういえば聞いていなかったな。君の名は?」

「……コヨーテだ。その子は、ドロテア」

「コヨーテにドロテアか。俺の名は

 エイブラハムと名乗った男は右手を差し出した。
 それが何を意味しているのか分からないコヨーテは訳もわからず左手を差し出すも、それから先はふらふらと彷徨わせるだけだった。
 見かねたエイブラハムは代わりに左手を出して、コヨーテの左手を握る。
 コヨーテは握手すら知らなかった。

「エイブラハム=エイムズだ、冒険者をやっている」

「冒険者?」

「平たく言えば自由と理想を追い求める大馬鹿野郎の集まりだよ」

 エイブラハムは大雑把にすぎる説明をしたが、コヨーテにとってはあまりにも新鮮すぎる言葉だった。
 コヨーテにとっての自由とは自由ではなかったから、理想を抱く事すらできなかったから。
 彼がエイブラハムという男に、冒険者という職に憧れるのは無理もない。

 ドロテアはエイブラハムの顔が利く市営墓地の片隅に埋葬された。
 いくら顔が利くとはいえ馬鹿にならない費用が掛かったはずだが、全てエイブラハムがもってくれた。
 着の身着のままのコヨーテが無一文である事は誰の目にも明らかだったため、そうならざるを得ないのだが。

「いつか、ちゃんと返すよ」

「気にするなって。俺の気まぐれなんだ」

「返させてくれよ。オレがそうしたいんだ」

 そんな短いやり取りを終えた後、コヨーテは糸が切れたように倒れこみ、眠った。

 行く当てのないコヨーテは直後にエイブラハムに引き取られ、彼の姓たるエイムズを与えられる。
 そしてしばらく後、冒険者を引退したエイブラハムが開業した冒険者の宿で彼は手伝いをしながら冒険に対する知識を深めていく。

 コヨーテ=エイムズが自由と理想を求める冒険者となるのはそれからしばらくしてからである。



【あとがき】
ゼロの追想、いかがでしたでしょうか。
実際は何も記憶を持たない『ゼロ』という名をつけられたコヨーテの過去話でしたけども。
本編でもドロテアの名がちょくちょく出していたのを回収できて少し安心です。

ついでのようにエイブラハム親父さんを出しています!
この頃ふっさふさなのかもなぁ……(特に考えていない)
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周摩

Author:周摩
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