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第三二話:ロスウェル五月祭 ヒラギ編(2/2) 

「美味しいです!」

 ヒラギは小さな口を一生懸命に動かして三種の串焼き――少しお高い――に噛り付いている。
 コヨーテとルナも牛肉の串焼きを注文して口にしているが、屋台の味とは思えないほど口に合う。
 串焼きの屋台は酒場の隣に配置されていて、どうにも大半の客は串焼きを肴に一杯やっている様子だ。

「香りの誘惑が凄いです……」

 辺りには串焼きやフライの匂いが漂っていた。
 先ほどの屋台を見る限り配置はしっかり考え抜かれているらしく、匂いが混じってしまわないように、かつ引き立つように選ばれているようだ。
 食欲を刺激するスパイシーな匂いが漂うエリアを抜けると、その先はふわりと甘い匂いに満ちていた。

「わぁ……」

 そこにはクレープやワッフル、飴玉などのお菓子類の屋台が立ち並んでいた。
 ヒラギは歳相応のキラキラとした瞳で、屋台に駆け寄って飴玉の瓶を眺めている。

「とってもきれいです!」

「そんなに珍しくもないだろう」

「そうなのです? 初めて見たです」

 そういえばヒラギは記憶を失くしているのだった。
 まさか飴玉すら知らないとは思わなかったが、普通に冒険者やっていたら街で見かけないものだろうか。
 コヨーテは飴玉の瓶を一つ選び、店主に銀貨を渡して購入した。

「わ、ありがとです!」

 眩しすぎるほどの笑顔を振りまいて、ヒラギは笑った。
 しかし一向に口にしようとしないので不思議がっていると、どうやら開け方が分からないらしい。
 そもそもそれが食べ物だと理解しているのかも怪しいものだ。

「貸してみろ」

 飴玉の瓶を受け取ったコヨーテは包装のリボンを解いて蓋を開ける。
 そしてヒラギの小さな手に赤い飴玉をひとつ落とした。

「はわー、きれい……」

 手の中の飴玉をまじまじと見つめ、ヒラギは再び目を輝かせた。

「ヒラギ。それは飴玉、要するに菓子だ。食べてみろ、甘いぞ」

 ヒラギは目を丸くして驚き、飴玉へと視線を落とした。
 やがて意を決したのか人差し指と親指で飴玉を摘み、

「うー、ちょっともったいないですけど……いただきますです!」

 小さな口を目いっぱい開けて、放り込んだ。
 ころころと舌の上を転がすのかと思いきや、ヒラギは音を立てて飴玉を噛み砕いてしまった。

「――あっ、しまっ……ヒ、ヒラギ、それは噛むものじゃないんだ。舐めて少しずつ溶かして食べるものなんだよ」

「ヒラギちゃん口の中は大丈夫? 噛み砕いて怪我とかしていませんか?」

「ぼりぼり……だいじょーぶです。でもこれ……あんまり甘くないですー?」

 あれ、とコヨーテが不思議がったその時、ヒラギの咀嚼も同時に止まった。
 口元を手で覆って、何かを堪えるように震え出す。
 もしかして怪我をしたのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

 声を掛けようとした瞬間、ヒラギは抑えつけていた何かに耐えられなくなったように、その身体を仰け反らせた。

「――う、あぁぁぁああああぁぁあああああああああああああ!!!」

 ヒラギの背からは膨大な量の魔力が吹き出している。
 それらは分散する事なくヒラギを包み込むように展開し、真っ黒な翼となって実体を得た。
 まるで漆黒のカーテンのように閉じられた翼が、ゆっくりと開いていく。

「ヒラ、ギ……?」

 突然の出来事に事態を飲み込めないコヨーテは、ただ彼女の名前を呼ぶ事しかできない。
 二メートルにも及ぶ巨大な翼を大いに広げたヒラギは、両手で自らの顔を覆っていた。
 指の隙間からは表情こそ見えないが、その眼は毒々しい赤に染まり、瞳は輝く金に変色している事は見て取れる。
 それはさっきまでのヒラギとはあまりにも違いすぎた。

「……ぁ、」

 意味のある言葉ではなく、搾り出すようなヒラギの吐息。
 彼女の背の翼が突如として振るわれた。
 端から見れば、それはまるで調子を確かめるような一振りである。
 しかし実体を得るほどの高密度の魔力によって形作られた黒翼は、触れただけで屋台の屋根を粉々に砕き、触れずとも膨大な風圧によって人すら吹き飛ばした。

「きゃああああ!?」

 位置が悪かったルナは数人の歩行者に混じって吹き飛ばされ、別の屋台へと叩きつけられた。
 ぬいぐるみなどの雑貨をひっくり返してしまったが、幸いにも死人や重傷人は出ていない様子だった。
 これが高温の油や火を熾す必要のある料理店であったら酷い二次被害が発生していた事だろう。

「――ルナッ!」

「ッ痛……い、けど大丈夫です! コヨーテ、それよりヒラギちゃんを!」

 堪えるような声にコヨーテの心はざわめくも、ルナの言う通り今はヒラギを止めるほうが先だ。
 ヒラギは相変わらず顔を覆ったまま呆然と立ち尽くしていた。
 よくよく見ると震えているようだった。

「う、あ、あ……あ……!」

 顔を覆う手に力が入った。
 爪が皮膚に突き立ち、じわりと血が流れ出す。
 

「ヒラ――くっ!!」

 両手を掴んで止めようとするも、彼女は容易くそれを振り払い、逆にコヨーテの懐に飛び込んだ。
 ヒラギは搾り出すような叫び声をあげながら、そのままコヨーテの腰を抱きしめて黒翼を羽ばたかせた。
 浮遊感を覚えた時には、もう既にコヨーテの両足は地面より遠く離れてしまっていた。

「……、……!!」

 声を上げるどころか呼吸すらもできないほどの強烈な速度。
 腰に手を回してしっかりと掴まれているため、肋骨が酷く圧迫されて嫌な軋みを感じた。
 二度三度、何かにぶつかった衝撃がコヨーテの身体を叩く。
 意図的でないにしても、緩急をつけた衝撃は内臓を不気味に揺らした。

 悪夢のような飛行は、やがて森の木々に突っ込んだ事で終わりを迎える。
 街の中心から一気に郊外まで飛んだのか、辺りに人気は一切ない。
 空中に放り出されたコヨーテは辛うじて茂みのクッションに突っ込んだが、さすがに全ての衝撃を防げるはずもない。
 殺しきれなかった勢いで地面を転がり続け、ようやく大木に身体を打ちつける事で止まった。

「――が、……っ!」

 身体の内側で爆発した熱が猛烈な吐き気となってコヨーテを襲う。
 たまらず吐き出したそれは粘り気のある音と共に地面を赤く濡らした。

 激痛が身体の中に残留している感覚。
 わずかに身をよじるだけでもじくじくとした痛みが胸の辺りで暴れ出す。
 肋骨が折れているのかもしれない。

「ヒラギ……!」

 しばらく休めば吸血鬼の治癒能力が痛みを消してくれるかもしれないが、いつまでも寝ている訳にはいかなかった。
 ヒラギの様子が異常すぎる。
 少しでも動かないように胸を押さえて、コヨーテは立ち上がった。

「あ、ああ……あ、あ……!!」

 ヒラギは両手で顔を覆ったままうめくような声を吐き出す。
 呼応するように、彼女の背中から生えた黒翼はぎちぎちと音を立てて質量を増している。
 その威容はまさしく吸血鬼の王たる翼であった。
 ただ一振りするだけで周囲の木々が薙ぎ倒され、地面すらも抉れていく。

「一体……何、が……!?」

 訳も分からず、しかし激痛から動く事もままならないコヨーテは歯を食いしばって耐える。
 幸いにも周囲は郊外の閑静な森の入り口であり周囲に人はいない。
 先ほどのようにヒラギが暴れる事によって人々を巻き込んで心配はない事だけは救いと言える。

「――――――!!」

 血を吐くような絶叫。

「ヒラギ!」

 痛みをおして、コヨーテはヒラギへと歩み寄る。
 このままでは彼女の何かが壊れてしまう、そんな予感がした。
 わずかずつ歩を進めていくと、顔を覆った指の隙間からヒラギの赤い瞳がコヨーテを射抜いた。
 そう感じた瞬間には黒翼が大きく開き、爆発的な速度で襲い掛かってきている。

「――ッ!!」

 紙一重で避けたつもりだったが、間合いを読み違えたのか肩の肉が抉られていた。
 痺れるような痛みの中で、ヒラギの翼が赤く染まっているのが見て取れる。
 信じられない事に翼の先に翼が、更に幾重にも生み出されていた。
 翼の一閃一閃がまるでノコギリのようにコヨーテの身体を抉っていたのだ。

 黒翼はあくまで蝙蝠の翼への変化のはずであり、それを振るって物を切り裂くなんて聞いた事もない。
 あるいはそれがヒラギ自身の強さなのかもしれない。

 もう片方の翼が振り下ろされ、コヨーテは咄嗟に剣を抜いた。
 運良くその勢いを逸らせたものの、その衝撃は全身を貫いていく。
 先刻のダメージが更に上乗せされたように感じられ、コヨーテはたまらず後ずさった。

 地面を抉り、木々すらも薙ぎ倒す攻撃である。
 まともに受け止めでもしたら押し潰されるのはほぼ間違いなく、これでは迂闊に近づけない。

「う、……あぁ、あ……!!」

 苦しみに呻くヒラギは、自らの黒翼を汚すコヨーテの血をその小さな口へと運び、舐め取っている。
 しかしすぐに咳き込んで吐き出してしまった。
 半分とはいえ、コヨーテには吸血鬼の血が混じっているのだ。
 人間が同族の血に嫌悪感を示す以上に、吸血鬼にとっては耐え難い吐き気を覚えるものである。

 ヒラギの両手が、彼女の背中と同じく魔剣のごとき鋭さをもつ黒翼へと変化した。
 通常、吸血鬼の蝙蝠への変化となれば背中に一対が原則だ。
 両手を翼に変化させるなんて『組合』でも聞いた事がない。

「もうやめてくれ!」

 必死に呼びかけるものの、ヒラギは翼へと変化した両腕をだらりと垂らしたままただ震えるだけで動こうとしない。
 俯いたままの彼女の表情は長い前髪に覆われていて見えなかった。

「これ以上暴れるのなら、オレは君を倒さなきゃならなくなる! だから――ッ!!」

 言い終える前にコヨーテは言葉を詰まらせた。
 ヒラギが顔を上げていたからだ。
 彼女のその顔を見て、雷に打たれたように硬直せざるを得なかった。

 ――ヒラギは涙を流していた。

 その表情は、絶望感を湛えた『恐怖』のように感じられた。
 先刻の言葉に衝撃を受けたのだろうか、と考えて違和感に気づく。

(何故、涙を……?)

 彼女が自らの意思で暴れているのだとすれば今すぐにでも止めてしまえばいい。
 コヨーテの言葉は警告なのだ。
 単に攻撃的な単語だけを抜き取って恐怖しているのだとしても、正気を失っていないのであれば妙だ。

 これまでの通り、コヨーテはヒラギに対して攻撃らしい攻撃は与えられていない。
 それどころかボロボロに一方的にやられているような状況だ。
 力の差は歴然であり、恐怖すべきはむしろコヨーテである。

 では、何故涙を流しているのか。
 何に対して恐怖しているのか。

(もしかして……オレはとんでもない思い違いをしているのか?)

 対処を決めあぐねたコヨーテは、一歩分だけ距離を取った。
 その時、足元から草地では有り得ない硬い感触が跳ね返ってくる。
 砕けるような感じから、それは単なる石ころではない。

 ふと視線を下げた先にはガラスの破片と無数の赤い飴玉が散らばっていた。
 砕けてはいるが、その瓶の装飾と飴玉には見覚えがある。
 屋台で買って、ヒラギが口にした飴の瓶である。
 コヨーテが手に持ったまま一緒に吹き飛ばされてきたのだろう。

「……は?」

 あれを、ヒラギが口にした。
 あの、赤い、飴玉を。

 ――

「なん、で……こんなものが……!?」

 到底信じられない事ではあるが、それは確かにそこに存在した。
 飴玉のように見えたそれは菓子では決してない。
 かつてコヨーテは『吸血鬼の組合』の『貴族』たるラクスマン・クレヴァーから聞いた事があった。

 『血液の結晶』。
 輸送に適した球状に凝固させた血液の代用品である。
 完全な血液ではないものの性質は限りなく本物に近く、吸血鬼の空腹を癒す事ができる。
 つまり、吸血鬼の本能をすら騙せる。

(ヒラギは今まで血を飲んだ事がないと言っていた。あれだけの力を持つ吸血鬼が、わずかにも血液を摂取せずに生きていけるものか?)

 答えは否だ。
 王のごとき力をコントロールするにはそれ相応の補給をしなくてはならない。
 では何故これまで血を飲まずに存り続けられたのか。

(……まさか、)

 コヨーテの思考にひとつの仮説が生まれる。
 材料はいくつもあった。
 ヒラギの過去はわずかながらも聞き、力はこの身をもって何度も確かめさせられた。

(彼女は……)

 吸血鬼の最高位、『不死の王』は他の吸血鬼とは一線を画す能力を持っている。
 王たる威容の黒翼を使いこなすヒラギは、『不死の王』として十分に力を証明している。

 更にあの異常なまでの破壊行動、あれは吸血鬼という器に血液が満たされた事で引き起こされる吸血衝動ではないかと推測できた。
 潤いを求めて人間という血液の器を破壊し、その中身を啜るための衝動に似ている。
 ただ、それが桁違いだという点を除いては。

 そして『不死の王』に親となる吸血鬼は存在しない。
 コヨーテもまたその目で見た訳ではないが、生粋の吸血鬼とは人間とは違ってある程度成長した人型で突如発生するものらしい。
 首筋に血を吸われた跡がない事や吸血鬼となる以前の記憶が存在しない事、力の強さに対して異様に精神性が幼いのも発生して間もない生まれたてだと仮定すれば納得できる。

 今まで血を飲んだ事がないとヒラギは言っていた。
 『不死の王』として生まれた吸血鬼が血を飲まなければどうなってしまうのか、それは見当もつかない。
 こうして滅ぶ事なく存在しているという事は、発生したばかりで血の力の消費が少ないのか、それとも未だに血の力を必要としていないのか。
 どちらにせよ例の『血液の結晶』が何らかの影響を及ぼしている事は疑いようがない。

(もしかして、ヒラギは自分の力を自分で止められない――?)

 そう考えれば、これまでの行動の全てが納得できた。
 所詮憶測だけの推理ではあるが、コヨーテには彼女の心が透けて見えるように感じられる。

「――ヒラギ!」 

 街中で力が制御できずに翼が暴走して人々を巻き込んだ時、ヒラギは強いショックを受けたはずだ。
 何しろこれまで一度たりとも発現しなかった自分の吸血鬼としての力が、人を、ルナを薙ぎ払ったから。

「――人が好きなんだろう!?」

 ヒラギは不安になったはずだ。
 訳も分からない力で人を傷つけた上に、コヨーテに詰め寄られたから。
 だからヒラギはここに逃げたのだ。
 誰かを巻き込む心配のない、人気のない郊外の土地に。

「――共存したいって、言っただろう!? だからオレを頼ってくれたんだろう!?」

 ただ逃げただけではなく、ヒラギはコヨーテを巻き込んで飛んだ。
 それは幼い彼女にとって他に信頼できる人物がいなかったからだ。
 人を傷つける事を恐れて、しかし自分の状況すら飲み込めない彼女の心は張り裂けそうになっていたに違いない。

「――だったら、」

 ヒラギの力は自らの意思でも抑えつけられないほどにどうしようもなく、コヨーテですら手に負えない代物だった。
 暴走する力が次々に放たれ、コヨーテを傷つけていき、ついには敵対するような宣言をされてしまう。
 ヒラギが恐れたのはそれだった。

「――だったら、全部吐き出せ!」

 
 最初から誰かを傷つける事なんて望んでいなかった。
 コヨーテを傷つけてしまったのは、この黒い暴虐に巻き込ませない為に、遠ざける為だったのではないか。

「――吸血鬼の力なんかを人間に向けるんじゃない、オレが全部受け止めてやる!!」

 再び顔を上げたヒラギの表情に恐怖の色はなかった。
 涙でくしゃくしゃの顔で、祈るように目を閉じる。
 背中と両手の黒翼がぎちぎちと音を立ててより巨大に、より強力に変化を遂げた。

 抑え込んでいた力を解放したのだろう。
 黒翼をはためかせ、彼女の身体は中空へと浮かんだ。
 暴走の最中でも少しずつ力の使い方を掌握していっているのだろうか。

 コヨーテの腹はもう決まった。
 『血液の結晶』によって血の力を得て暴走したというのなら、その答えは簡単だ。
 得た分の力を枯渇させてしまえばいい。
 ヒラギが口にした結晶はわずか一個分であり、力の吸収効率の良い『不死の王』である事を差し引いても、これほどの大技を連発すればすぐに枯渇するはずだ。

 コヨーテを遠ざける為の攻撃は、暴走状態にあっても力加減を除けばコントロールできていた。
 あえて対象を自身に向けさせれば周囲への被害は最小限に済むはずだ。
 死ぬかもしれない、とは思わなかった。
 あんな大質量を一撃でも受けたら確実に死ぬ、そう確信していた。

 唯一の頼みの綱といえば、かつて闘技都市で吸血鬼エコマと戦った時に言い放たれた『属性』とやらでしかない。
 闘技都市で一度、シューザー村で二度、そして今も同様に吸血鬼の力によって死の際に追いやられている。
 もしエコマの言う『属性』がコヨーテの死を何らかの法則によって感知し、未然に防ぐシステムなのだとしたら、あるいはヒラギの黒翼を防ぎ得る何かが起こるかもしれない。

(……今更こんな不明瞭なものに頼るなんてどうかしている)

 それでも、コヨーテにはこの状況を見捨てる事なんてできない。
 このまま無差別な暴走を繰り返させていたら誰かが傷つく事になるし、彼女の心だって修復不可能な程に壊れてしまうだろう。
 吸血鬼が人を襲い殺す事を心の底から嫌うコヨーテにとっては、自身の目の前でそれが行われる事、暴走とはいえヒラギがそれを行ってしまう事は許しがたい。

「――コヨーテッ!!」

 呼ばれた声に向き直ると、白い修道服の少女が立っていた。
 全速力で駆けつけて来たのだろう。
 肩で息をしながら、それでもルナはコヨーテの名を叫んでいた。

「離れているんだ。ヒラギの狙いが狂うかもしれない」

「どうしてッ! 他に方法はないんですか!?」

 ほとんど泣きそうな声でルナは叫ぶ。
 もしかしたら、さっきのコヨーテの言葉も聞こえていたのかもしれない。

「……あったとしても、きっと間に合わない。オレに、彼女を止めるだけの力があればよかったのにな」

 自嘲気味に笑うコヨーテに、ルナは再び彼の名を呼んだ。
 もうコヨーテは振り返らず、

「――ヒラギを頼むよ。人間と吸血鬼を繋ぐ橋渡しができるかもしれない」

 彼女になら自身の青臭い理想を引き継げるかもしれない。
 口には出さずに、コヨーテはただ頼むとだけ伝えた。
 いくらなんでも気恥ずかしい。

 中空の黒翼からちりちりとした力の波動を感じ、コヨーテは短く息を吐いた。
 もうルナの声も聞こえない。
 血を失った事で冷たくなりつつあるその手で剣を握りなおし、攻撃が放たれるその一瞬をただ静かに待つ。

「――ッ!!」

 木々を薙ぎ倒し大地を抉る翼の暴虐が振るわれる。
 膨大な質量による攻撃は一切合財の音を消し去り、コヨーテの視界を闇に染めた。



「……うぁ、」

 コヨーテは口の中で小さく呻き声を発した。
 ゆっくりと眼を開けると、土色のもやが周囲を覆っていて何も見えないが、自分が仰向けに倒れている事だけは理解できた。
 両手、両足をわずかに動かして、どこも壊れていない事を確認したコヨーテはここでようやく頭を働かせた。

「生き……てる……?」

 確かにヒラギの最大出力が狙いを違わずコヨーテを襲ったはずだ。
 魔剣でもない安物の剣一本だけのコヨーテにはそれらを防ぐ術はなく、死は確定的だった。
 だのに、何故生きているのか。
 もしかしたら本当に『属性』とやらがプラスに機能したのか、あるいはあの一瞬でヒラギが力のコントロールを得たのかもしれない。

「コヨーテおにーちゃん……」

 くりくりとした甘ったるい少女の声が、すぐそばから聞こえてきた。
 それと同時にコヨーテの腹の上で何かが動くのを感じて、ここでようやくヒラギが乗っかっている事に気づいた。
 急いで身を起こしてヒラギの様子を見てみるが、どうやら意識を失ったり怪我をしている訳ではないらしい。

 もう衝動は収まったようだ。
 コヨーテにもたれかかる彼女からは先刻までの力は感じられない。

「ここ、どこです? 私……どうして寝てたです?」

「お前……覚えていないのか」

 ヒラギは小さく首を傾げるだけで、本当に何も覚えていない様子だった。
 暴走状態の後遺症だろうか。
 コヨーテの名を呼んだところをみると、暴走の直前までの記憶は残っているようだ。

「あ、あれ……立てないです。とっても眠い……」

「……きっと歩き疲れだろう。少し眠るといい」

「分かったです……おやすみなさい、コヨーテおにーちゃん」

 すぐにヒラギは小さく寝息を立て始めた。
 おそらくは急激な力の解放による疲労だろうが、彼女にその事実を告げるのは後にした。
 力を使った事が知れれば、コヨーテの傷にも気づいてしまうだろう。

 そうなれば彼女はきっと自分を責める。
 人間が好きだと言って、共存の未来を信じてくれた彼女の笑顔を曇らせるのは忍びない。
 しかし、事故とはいえ彼女は血を飲んだのだ。
 もう元のように血を飲まない生活が続けられるかどうかは怪しいものである。

 そして、彼女が『不死の王』である事はほぼ間違いないだろう。
 であれば『吸血鬼の組合』が接触してくる可能性が高く、先ほどの暴走の情報が漏れればさらに状況はまずくなる。

(どうするか……)

「――コヨーテェェェ……!」

 地を這うような低い声が正しくコヨーテの背後から聞こえてきた。
 恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは全身を砂まみれにしたルナ・イクシリオンである。
 若干涙目で頬を膨らませているところを見ると、どうにも怒っている風に見える。

「や、やぁルナ。君も無事だったか?」

「私の事はどうでもいいのです! それよりコヨーテ、あとヒラギちゃんも! 大丈夫なんですか、というか何だったんですかぁぁぁ!?」

 ルナは街中で突然吹き飛ばされただけで彼女の与り知らないところですでに解決しており、話にまったくついていけないのだろう。
 しかし、今回の件に対してはコヨーテもほとんど分かっている事はない。
 当のヒラギも訳が分からないまま暴走して、今はコヨーテの腕の中で眠っているのだから説明が難しい。

「ひとまず。ヒラギが寝てるから少し静かにしてくれ」

 ヒラギの様子に気づいたのか、ルナはすぐさま口元を抑えて黙った。
 よほどぐっすりらしく、ヒラギが起きる様子はない。

「……で、何があったんですか」

「何て言ったらいいのか……ひとまず、オレもヒラギも無事だ」

「無事に見えないんですけど」

 ルナはハンカチでコヨーテの頬を拭った。
 赤い染みが純白だったハンカチを汚す。
 抉られた肩はほとんど治癒している様子だが、さすがにまだ痛む。

「生きてるから大丈夫だ。少しすれば――んうっ!?」

「飲んでください」

 目の前で自身の指を切りつけて血を流したルナは、その指をコヨーテの口に突っ込んだ。
 コヨーテの口の中に鉄の味が広がっていく。
 ルナは一度決めてしまうと頑固なところがあるし、すでに流れた血液は戻せない。
 ここは彼女に従うしかなさそうだ。

「んっ……!」

 ルナはくすぐったそうに身をよじるが、コヨーテは手早く終わらせる事を優先した。
 指の腹に舌を這わせ血を舐めとっていく。
 舌を動かすたびにルナは小刻みに震えている様子で、空いているほうの手を口元に宛がった。

「っ――!!」

 びくり、とルナの身体が跳ねる。
 どうにも傷口に舌が触れてしまったらしく、慌ててコヨーテは舌を離して口を開いた。

「……そ、それで、何だったんですか。あの黒い翼は」

 口から指を離した後、ルナはそう切り出した。
 なんだか少し息が乱れているし頬も赤くなっているように見えたが、そっぽを向かれてそれ以上確認できなかった。
 コヨーテも身体に熱を感じるが、それは吸血後の作用だと割り切る事にする。

「オレにも分からないが……おそらくあれは『王』の力が暴走した結果だろう。あれだけ高密度の質量ならほぼ間違いない。ただ、今はもう治まっているから安全だよ、心配は要らない」

「あの、それはどっちのですか?」

「どっちの?」

「その『王』の力って、どっちの翼を指しているんですか?」

「……待て。話が噛み合わない。どういう事だ」

「ですから、どっちの翼を指すんですか?」

「――は?」

 

「見間違いじゃないのか?」

「いえ、あれは確実にあなたの背中から、その……現れているようでした」

「……、」

 本来、半吸血鬼は吸血鬼の秘術を扱う事はできない。
 故にコヨーテは『組合』が扱っている血液記憶を用いて秘術の習得を行っている。
 自身の力だけで黒翼を発現するなんて有り得ない。

 いや、一つだけ可能性があるとするなら、それはエコマの言う『属性』だろう。
 『属性』がコヨーテを死なせない為のシステムだという事は何となく予想はついているが、それが黒翼を生み出したというのか。
 確かにヒラギの黒翼を相殺するという意味ならおかしくはないのかもしれない。
 しかしどちらにせよそれを証明する手段は何もなかった。

「……実を言うとオレも激突の瞬間から記憶が曖昧で、あの時何が起こったのか知らないんだ。君はどこまで見ていたんだ?」

「ヒラギちゃんからコヨーテへ視線を移したら、その時にはもう背中から黒い翼が現れていまして……ヒラギちゃんの翼が振り下ろされた時はものすごい衝撃と土煙で目が開けていられなくて、それからはずっとコヨーテとヒラギちゃんを探していました」

「……そうか、ありがとう」

「いえ、私は……何も」

 そう言ってルナはばつが悪そうに顔を背ける。
 命に関わる状況だったにも関わらず何も情報を得られなかった事に負い目を感じているのか。

「君のおかげで分かった事がいくつかある。助かったよ、ルナ」

 『属性』については分からない事のほうが多い。
 その中でも、コヨーテの背から発生した黒い翼の謎は簡単に捨て置けるものではなかった。
 もしこの力が『属性』によるものなのだとしたら、あるいは強力な武器になるかもしれない。

「何にせよ、ここから離れるのが先だな。故意ではないとはいえ、これだけの騒ぎを起こしたんだ。面倒が起こる前に場所を変えよう」

 あの場にいた人々には申し訳ないが、行方を晦ますしかない。
 一連の出来事が彼女の故意ではない事を証明するのは、ヒラギが吸血鬼である事を隠したままでは非常に難しいからだ。

「……替えの服も欲しいからな」

 そう言って、コヨーテは苦笑した。
 先ほどの戦いで外套の肩口が大きく破れ、さらに血に塗れてしまっている。
 このままの格好で街を歩く訳には行かない。

 少し歩いて、コヨーテとルナは街の中心部へ向かう馬車へと乗り込んだ。
 その間ヒラギはずっとコヨーテに背負われたまま寝息を立てていた。

 中心部へ到着した後、すぐにルナにヒラギを任せたコヨーテは一人で洋服店へと向かった。
 今朝チコに小遣いを渡したばかりでさほど手持ちもない為、『格安の』という絶対条件が付与されてしまったが。

「あらら、また暗い色の服買ったんですね」

「い、いいだろ、別に。この手の色は失敗しないんだよ」

 値段も手ごろだったんだ、と言いたかったが、センスのなさを自ら露呈しているような気がしたので止めておいた。
 外套の抉られた肩口は単純に縫うだけでは修繕できない。
 適当な布を宛がって穴を塞がなければならず、それでは時間が掛かってしまう。
 その為、コヨーテは無難なグレーのシャツに加えて黒いジャケットも同時に購入していた。

「……あれ。コヨーテおにーちゃん、お着替えしたです?」

「起きていたのか。おはよう」

「あっ、忘れてたです! おはようです!」

 ヒラギは律儀に挨拶を返す。
 その様子を見ると、やはりさっきまでの記憶は完全になくなっているようだ。
 そして本人のお気楽――というより何も考えていない?――性格からか、深く追求する事もなかった。

「……少し汚れてしまったし、引っ掛けて破いてしまったからな。少しの間はこの格好だよ」

「よく似合ってるですよ」

 そう言って、ヒラギは無邪気な笑みを見せた。
 間に合わせで買ってルナに呆れられた服であるが、この笑顔が全ての後悔を打ち消した気がする。

「さて、これからどうします? 日も暮れてきましたし、もう宿に戻りますか?」

 馬車待ちで時間を大きく食われてしまったのは痛かった。
 祭りは夜になってからも続くが、コヨーテもルナも昼間の騒動で疲れ果てている。
 年に一度とはいえ、明日の体調には代えられないのだ。

「なぁヒラギ。お前はどこに泊まっているんだ」

「泊まるです?」

「……まさか」

「難しい事はよくわかんないです」

「……、なぁルナ。銀貨にはまだ余裕あるよな? こいつあの宿に泊めてやってもいいか?」

「………………はぁ、仕方がありませんね。本来ならお金も持たない迷える子羊は聖北教会をお勧めするのですが、彼女には酷でしょうし」

 情が移ってついつい子犬を拾ってきた子供とお母さんのような会話をするコヨーテらであった。
 そうしている内に、太陽はどんどんと沈み行く。
 オレンジ色の光は次第に弱くなり、辺りは薄暗くなっていった。

「……悪い。ルナ、ヒラギ、ちょっと野暮用を思い出した。先に戻っていてくれないか? もしかしたら遅くなるかもしれないから夕食は先に摂ってくれてかまわないから」

「コヨーテ!? ちょ、ちょっとぉ!」

 人混みに紛れて、コヨーテはさっさと路地裏に入った。
 ルナとヒラギには申し訳ない事をしたが、こればかりはどうしようもない。
 何しろ時と場合を考えなかったのはだ。

 尾けられている。
 そう感づいたのはつい先ほどだが、それはコヨーテが気づいた訳ではない。
 追っ手が意図的に気配を乱して気づかせたというのが正しいだろう。
 奇襲せずにわざわざ自分の存在を知らせるのであれば、おそらく理性的な話し合いを望んでいるはずだ。

「コヨーテさん……ですよね?」

 そう声を掛けられて、ようやくコヨーテは振り向いた。
 深緑の髪に暗めの色のワンピースの少女が大きな鞄を手に立っている。
 度のきつい大きな眼鏡は頻繁にずれるようで、その度に位置を戻している様はどこか間の抜けた印象を受ける。

「そうだが、君は?」

「ぼくはエッタ。会えて良かった、探しましたよ」

 波乱に満ちた深緑都市ロスウェル五月祭メーデーに、

「――

 再び嵐の前触れが訪れる。



【あとがき】
月歌ではお久しぶりです、大変お待たせいたしました……
とはいえリプレイではなく完全オリジナル回が少なくともあと一話は続きます。
次回がメインイベントで、こちらは前夜祭のようなものですけれどね。
合わせて『ロスウェル五月祭編』という感じです。

今回登場した新キャラ、ヒラギちゃん!
こちらは普段某所でお世話になっているわんころさんちのお子さんです。
元々は『煌々亭』というお宿の冒険者だったのですが、その宿の『彩華』パーティがあまりにも危険すぎてヒラギちゃんが危ない! という事で「うちで引き取ってもいいですか」→「いいですよ」という流れになり、一年近い期間を経て本編にご登場頂けました!
そして色々と話し合って周摩のわがままを押し通し、ついには物語に思い切り食い込むキーパーソンに……
わんころさんごめんなさい、そしてありがとうございます……大事に育てます!

そして作中でヒラギちゃんが食べている栗カボチャプリン、こちらはLeeffesさんよりいただいたロスウェルご飯のアイデアより頂きました!
今回と次回でロスウェルを舞台にするという事で、せっかくなので使わせて頂きました、ありがとうございます!
そして他にもたくさん頂いているので、次回でも出す予定ですよ……フッフッフ……!

最後の最後で新キャラ出ていますが、本格的に動くのは次回です。
某所では既にキャラデザインすら出していますが、そうでない方は乞うご期待!

ただ、次回も本当に長くなりそうなので、どうか気長にお待ちください……今から書きます!
ミリアやチコの話も入れたいのですよね。
あとは吸血鬼組もわんさか出したいです。わんさか。


≪著作権情報≫
今回使用させて頂いた固有名詞
『ブレッゼン』『フォーチュン=ベル』(出典:『魔剣工房』『希望の都フォーチュン=ベル』 作者:Djinn様)
『カンタペルメ』(出典:『劇団カンタペルメ』 作者:柚子様)
『闘技都市』(出典:『闘技都市ヴァンドール』 作者:レイ様)
『シューザー村』『ジェベータ』(出典:『呪われし者の昼と夜』 作者:ほしみ様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。
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