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第三二話:五月祭 アイランズ編(1/2) 

 横たわるコヨーテが繰り返す荒い呼吸音と、むせ返るような血の臭いだけがその部屋を満たしていた。

「………………」

 もう、この部屋にはコヨーテとルナしかいない。
 まともに意識を保っているのはルナしかいない。
 皆、それぞれが自分のできる事をするために部屋を出て行った。

 では、ルナにできる事とは何か。
 僧侶たるルナが、重傷人を前にすべき事とは何か。
 言うまでもなく、傷を癒す事だ。

(……聖北の秘蹟が届かないからって、諦めていい理由にはなりません)

 人体からの流血を止めるにはいくつか方法がある。
 流血とは血管が破れた結果起こる現象であり、そもそもの血の流れを止めてしまうか、破れた箇所を塞げばいい。

 コヨーテの傷は腹部の貫通創である。
 血の流れを止める方法はあまり期待できない。
 血管の破れた箇所を塞ぐにはやはり治癒の奇跡か魔法が有効だろうが、ルナにはどちらの手段も取れない。
 衣服を修復するように針と糸で強引に縫ってしまうという乱暴に過ぎる考えも頭を過ぎったが、そもそもの血管を縫えるはずもなく、結局は腹の中で出血が続くだけだ。

「……いいえ、」

 まだ手はある。
 焼灼止血法という、焼きごてを用いて破れた血管を塞ぐという原始的な手法だ。
 止血の代償に火傷を負わせる事になり、最悪の場合は感染症を引き起こす恐れのある止血法である。
 だが、今のルナに残されているのはこれしかないように思われた。

 そこではたと気づく。
 コヨーテの全身に残された傷跡は今ではもうすっかり目立たなくなっている。
 彼の吸血鬼としての治癒力は確かに働いている。

 身体の欠損を修復するのが治癒ならば、治らない傷を焼いたらどうなる?

「……?」

 がつんと頭を殴られた感じがした。
 もっと思考を先へ先へと進めなければ。

 焼灼止血法とはどういう方法だっただろうか。
 人は火傷をするとその箇所が変質する、端的に言ってしまうと固まる。
 その性質を用いて破れた血管を焼き潰して塞いでしまう方法だ。

 

「まさか」

 そう、変質だ。
 火傷も立派な『外傷』であり、コヨーテの治癒はその変質も修復するはずだ。

 コヨーテの全身の治る傷と腹部の治らない傷の違いはどこにある?

 きりきりと痛む胃を恨めしく思いつつも、じっくりと傷の様子を検分する。
 全身の傷は鋭い何かで突き刺されたものとえぐられたようなものが存在する。
 治りかけではっきりとは分からないが、これらはおそらく爪牙によるものだと推測できる。
 コヨーテが戦った相手は吸血鬼という事だったし、狼の使役か変化くらいはやってのけたのだろう。

 そして肝心の腹部の傷だが、こちらは血で真っ赤に染まってはいるものの、その跡ははっきりしていた。
 鋭利な刃物で突き刺されたものに違いない。
 明らかに人工物、それも剣や槍といった武器によるものだ。

 コヨーテは爪牙に耐性があり刃物には耐性ない、なんて事は有り得ない。
 だとすれば、この傷が治らない原因は魔術あるいは呪いのような何かではないのか。
 爪牙の傷が治癒されているところを見ると、その呪いは刃に付与されていたのかもしれない。

「………………」

 確信は得られない。
 ルナは魔術に疎く、医術にも疎いのだ。
 それでも、だとしても。

「やらずに諦めるよりも……当たって砕ける!」

 レギウスに治療法を探すよう頼んではみたが、期待はできない。
 それでなくても誓ったのだ、決して諦めないと。

 まず、ルナは大量の湯を用意した。
 宿屋の主人より沸騰するそれを鍋に用意してもらい、数本のナイフと空瓶を浸す。
 そして言われて気づいた両手の血も洗い流した。

 ずっと冒険に出ていて薄汚れてしまった修道服を脱いで、新たな衣服に着替える。
 夕暮れ時にコヨーテが服を選んでいる間に、ルナも別の店で買っていたものだが、まさかこんなに早く着る事になるとは思わなかった。
 コヨーテが似合うと言って渡してくれた白のリボンに合わせた、真っ白なワンピース。
 本当はコヨーテに真っ先に見て欲しかったのに、まさか真っ先に無駄にしなければならないなんて予想できるはずがない。

 だが、悲しんではいられない。
 ここから先は、ルナにとっても命がけなのだから。

 白のリボンを解いて、代わりに適当な紐で髪を高い位置で括る。
 リボンは丁寧に畳んで、コヨーテの外套と一緒に離れた場所に置いた。
 さすがに、こちらだけは汚してしまう訳にはいかない。

 消毒が済んだナイフを手に取ると、手が震えた。
 迷っている暇なんてないというのに。
 覚悟を決める為に、ルナは荒い呼吸を繰り返すコヨーテを一瞥した。

 深く息を吐いて歯を食いしばると、左の手首に刃を刺し入れる。
 焼け付くような鋭い痛みが迸り、刃はさほど抵抗もなく肉の中へと沈んだ。
 予想以上の切れ味にぞっとして、ルナはすぐさま刃を引き抜いた。
 しかし、直後にそれは間違いだと気づかされる。

「――っ、」

 あまりにも浅すぎる。
 こんなものでは満足な量にはとても足りない。
 痛みと恐怖に耐える為に、今度はハンカチを丸めて噛んだ。
 一度切って神経が過敏になっている箇所に再び刃を入れるのだ。

「――ッッッ!!!」

 声を押し殺して、じくじくとした痛みに耐える。
 勢い良く血が噴き出して、痺れるような感覚が左手全体を覆った。
 今度こそまずい血管を切ったのではないかと死の恐怖に怯え、またしても刃を放してしまう。
 派手に血が流れ出したから良かったものの、これでもまだ足りなかったのならもう一度同じ事を繰り返す自信がない。

 滔々とうとうと流れる血液は消毒された空の瓶に流し込まれ、コルクで栓をしていく。
 ルナの血液は都合三つの瓶にそれぞれ詰められた。
 即席の輸血、コヨーテに飲ませるという意味では給血といったほうが正しいか。
 血液には凝固作用があり、ただ単に瓶詰めしただけではすぐに使い物にならなくなる。

 続いて、ルナはコヨーテの四肢を寝台の四隅の脚にロープで縛り付けた。
 これからの事を考えると、絶対に行わなければならない手順だったが、どう考えても順番を間違えた。
 何故血を抜く前にやらなかったのか、後悔は先に立たないものである。

 急がねば、と立ち上がった瞬間、膝が折れて大勢を崩した。

「――きゃっ!」

 コヨーテが横たわる寝台にどうにか手をついて、苦労して詰めた瓶を割るような事態は阻止できた。
 すでに精神的に追い詰められていたところにこの出血だ。
 ルナの心と身体はボロボロだった。

(――だから、何だというのです)

 ボロボロなのはコヨーテだって同じだ。
 誰も知らないところで強大な敵と戦って、血を流して、誰かの盾になっている。
 彼はいつもそうだ。

(私には何もできなかった)

 何かしたいと思っても、彼はそれを受け取らない。
 いつもいつも誰かの為に、誰かを守る為に戦っている。
 自分がどれほど傷つき、倒れ、身も心も削られたとしても。

「コヨーテ……私ね――」

 左手の傷に短く癒しの聖句を施し、最低限の血止めを行ってから荒っぽく包帯を巻く。
 痛みはあるが、これをじっくり治すほどの暇もない。

「あなたの事が、好きなんですよ……?」

 卑怯だなんて分かっている。
 意識のないコヨーテにこんな事を言っても耳に入らないのだから。
 それでも、ルナはそう伝えたくなった。

「……絶対にあなたを諦めません」

 半ば以上に自分に言い聞かせるような言葉になった。
 手が震えている。
 馬鹿な、とルナは硬く拳を握って膝を叩いた。

 瓶のコルクを空け、中身を口に含む。
 自分の手首から流れ出たものとは思えないほどに、生臭い鉄の味が口の中を蹂躙する。
 思わず吐き戻しそうになるのを堪えたルナは、

「っ……、ふ……」

 コヨーテの唇に、自らの唇を重ねた。
 舌を使って道を確保し、口内の血液を少しずつ流していく。
 こくり、とコヨーテの喉が動いた。
 さすがに血液の口移しなんて初めてだったが、どうやらうまくいったようだ。

 更にもうひとつの瓶も空け、同じ方法でコヨーテに飲ませた。
 口を濯いで改めてコヨーテを見やると、もう腹部以外の小さな傷はすべて跡形もなくなっていた。
 その様子から、ルナは少しだけ自信を取り戻す。

「コヨーテ……」

 十字を切ろうとして、やめた。
 コヨーテは半吸血鬼だ、神の威光が届かない相手だ。
 気休めにもならないのであれば意味がない。

 丸めたタオルをコヨーテの口に押し込む。
 これで、準備は完了だ。

 深く息を吸って、そして吐く。
 心臓の鼓動が早い。
 緊張とこれから起こる赤い未来を想像して、再び胃が悲鳴を上げだした。
 それらを歯を食いしばって押し殺す。

「私は信じています。あなたがこんなところで死ぬはずがないって。また、私やみんなに笑いかけてくれる、って」

 前を向く。
 コヨーテに向かう。
 その手には、研ぎ澄まされた一本のナイフがあった。

「だから……」

 もう、ルナの目には涙はない。
 そんなものを流していたら、確実に手元が狂う。
 覚悟をもって涙を殺し、ルナはひたすらにコヨーテに向き合った。

「――私を、信じてください」

 ルナの持つナイフがコヨーテの傷を抉る。
 血を吐くような叫びが、痛みに跳ね上がった四肢が、事前の準備で押し殺された。



 後ろ手でドアを閉めて、ルナは膝から崩れ落ちた。
 純白だったワンピースはすっかり真っ赤に染まっていて、自身の白い肌も銀の髪も赤い血でべとべとだ。
 知らない内に双眸からは涙が溢れて止まらなくて、脚にも手にも力が入らなくて震えだしている。

「はっ……はっ……」

 まだ心臓がバクバクと動いている。
 部屋中を真っ赤に染めてしまった今でもちっとも恐怖は拭いきれない。

(――終わった)

 そう心の中で繰り返したものの、何が変わる訳でもなかった。
 膝を抱きしめて顔をうずめ、嗚咽を堪える。

 そう、終わったのだ。
 コヨーテの腹部の傷から流れ続けていた血は止まった。

(コヨーテは、助かった)

 はず、だ。
 部屋中を血まみれにするほどにコヨーテを切り刻んで、ぐったりと動かなくなった彼がまだ生きている事が『助かった』と形容できるなら。

 コヨーテの傷が塞がらないのは呪いによるものと仮定し、ルナはたった一つの荒療治を行った。
 全身の噛み傷が治癒されたところを見れば、この呪いが腹部の刀傷のみに機能しているものだと仮定するのは簡単だ。
 だが、それからが地獄だった。
 ルナにとっても、コヨーテにとっても。

 まずはこの仮定が本当に正しいのかを証明するところから始めた。
 呪いの影響を受けているのはどこまでなのか、その傷を抉り返して治癒できる限界を見極めなければならない。
 そのおかげで部屋中を血まみれにしなければならなくなり、コヨーテにも多大な苦痛を与えてしまう羽目になってしまった。
 呪いが適用された範囲はごくわずかの層だったので、貫通創を除去する際に内臓を傷つける事がなかったのは幸いだった。

 もしかして、と思わなくもない。
 血が止まったのは傷の呪いを剥離できたからではなく、ショック症状を起こして心臓が止まってしまったからではないのか、と。
 動かなくなってしまったのも、ともすれば。
 そう思うとひどく怖くなって、とても傷口に目を向けられなかった。
 最後の瓶の血を飲ませておいたのでもし呪いの除去ができていたのだとしたら、きっと傷は塞がってくれるはずだ。

「う、ううう……!」

 堪えきれなくなった涙が止め処なく流れていく。
 やりきったという安心感と、本当にやりきったのかという不安が同時に襲い掛かってきて、もはやどうして涙が流れるのかすら分からない。

「……、」

 どれだけの間そうしていただろうか。
 知らない内に眠ってしまっていたようで、ふと気がつけば目を覚ましたところだった。
 胡乱げな瞳で廊下の窓の外を見やれば、まだまだ夜の帳が下りたままだ。
 どうやらさほど時間は経っていないらしい。

「!!」

 血が乾いてくっついてしまった両手と膝をベリベリとはがして、急いで立ち上がる。
 時間が経ったという事は、コヨーテの容態にも答えが出たはずだ。
 それが生でも死でも。

 恐れを感じる間もなく、ルナはドアノブに手を掛け、一気に押し開ける。

「……え?」

 ルナは自分の目を疑わずにはいられなかった。
 ドアの向こうには紅く染まった寝台が目を引く宿の内装と、コヨーテが横たわっていたはずだ。
 だのに目の前には紅どころか、内装すら見て取れないしコヨーテの姿も見当たらない。

「何、これ……」

 そこはまるで奈落だった。
 宿屋の一室が描かれたカンバスに黒のインクをただひたすらに塗りたくったような、のっぺりとした闇しかない。
 その黒は何もかも飲み込み、コヨーテすら塗りつぶしてしまったのか。

 驚愕で呼吸が止まりかけたルナは握りっぱなしだったドアノブを思い切り引いた。
 年季の入ったドアが悲鳴を上げたが、そんな事に構っていられない。
 バクバクと激しく鼓動する心臓を静める事も忘れ、ただ荒い呼吸を繰り返すばかりだった。

 唇を噛み締めて、再び室内の様子を確認しようと決意したルナは、

「目を覚ましたかね」

「――ッ!?」

 唐突な見知らぬ男の声に、その身体を硬直させた。
 その姿を検めた訳でもないのに、指一本動かせない。
 まるで蛇に睨まれた蛙のようだ、とルナは感じた。

「我輩は紳士であるが故に、女人の眠りはむやみに妨げぬのである」

 全身から汗が噴き出す。
 ドアノブに掛かった手は震えるばかりで、どれだけ力を入れようとしても動かない。

「しかし、何だ。貴様は存外寝汚いのであるな」

 枯れるほどに涙を流したはずなのに、それでもなお視界を滲ませる。
 この声の持ち主が明らかに異質である事は感覚や雰囲気で分かる。
 だからこそルナは声を上げない。

 この男が、コヨーテを刺した人物なのだと直感で確信したから。

「ふむ、赤と白とは素晴らしい。なかなかに美しい出で立ちである」

 ルナの白い肌とワンピースは真っ赤な血で染められている。
 こんなものが美しいはずがない。
 もし仮にそう受け取る存在があるとすれば、ルナにはひとつだけ心当たりがあった。

「こちらを向きたまえ、マドモアゼル」

 まるで操り人形のように、ルナは動いた。
 いや、動く事を
 ぎくしゃくとした緩慢な動作で、ルナは振り返る。

 二メートルを越える長身の男だった。
 腰よりも長い金色の髪を揺らしながら、余裕の笑みを浮かべている。
 何度となくその存在と関わってきたルナだからこそ分かる。
 彼は吸血鬼だ、と。

「黙っていられるのもつまらん。口を利く事を許そう」

「………………」

「どうした? 元より口が利けない訳でもあるまいに」

「……あなたは何者なのです」

「我輩はアイザック・グルージー、吸血鬼の『王族ロイヤル』である」

 その名前には聞き覚えがありすぎた。
 エッタが語った、ロスウェルの街を破壊しようと企む吸血鬼にして、コヨーテに癒えない傷をつけた張本人だ。

「私に、何の用ですか」

「面白い事を訊ねるのであるな。吸血鬼が処女に用があるとすれば食事以外に他あるまい」

「……!」

 彼の言う食事とはそれそのままの意味ではない。
 人の血を喰らい啜る、吸血鬼としての食事。

 アイザックの手が迫り来るも、ルナは指一本すら動かせない。
 ゆっくりとした動作が逆に彼女の心臓の鼓動を加速させた。
 胸元のボタンを外される嫌悪感で身体が強張るものの、やはり動けない。

 ぎゅっと目を瞑って恐怖に耐えるしかなかった。

「む?」

 ルナの首筋を露出させたアイザックは、訝しげな声を上げる。

「なんと。貴様は

「けが……れ……?」

「大方、どこぞの若い吸血鬼なりたてにでも唾をつけられたのだろう。まったく、これだからはしゃぎたい年頃を吸血鬼にするのは反対なのだ」

 ルナは自らの首筋へと意識をやった。
 そこには未だに『血も滴る』ジェベータにつけられた噛み跡が生々しく残っている。
 あの時、『何か』が身体の内に入ってくる感覚がしたのは記憶に新しく、屍食鬼グールになりかかったのも間違いない。

「しかしだ、だとしても貴様の価値は別にもある。安心するがいい」

 まだ利用価値がある、とアイザックは言っている。
 だとしても砂粒ほども安心できる要素はなかった。
 吸血鬼に利用されるなんて末恐ろしい結末を辿る瀬戸際なのだ。

「それには準備が要るのでな。起きしなに悪いが、またしばらく眠っていたまえ」

 アイザックの声を知覚した瞬間、ルナは強烈な眠気を覚えて全身から力が抜けた。
 身体が冷たい床の感触が頬に当たる。
 これから訪れる得体の知れない恐怖を前にしても、アイザックの許した『闇』がルナを飲み込んだ。



 ふと気づけば、コヨーテ・エイムズは何もない真っ白な空間に立っていた。
 先ほどまで苦しめられていた腹の傷は跡形もなく、それどころか衣服に汚れすらない。

「……また、何かの魔術か?」

 この空間はどこを見渡しても、遠近感が狂うほどに白一色だった。
 こうして立っていられるという事は辛うじて地面は存在するらしい。
 靴の底で地面を叩いてみると、岩石を蹴ったような硬質な音が返ってきた。

「くそっ、こんなところでもたもたしている時間はないのに!」

 現状が把握できない事で苛立ちが増して、コヨーテは硬く拳を握り締める。
 しかし振り下ろす先も見つからずに歯を軋ませるだけしかできない。

「――落ち着けよ。慌てる馬鹿はもらいが少ねえって話は有名だろ?」

 背後からの声。
 こんな異常な空間で声を掛けてくる相手がまともである可能性は限りなく低い。
 相手を確認する前に剣を抜いたコヨーテは、振り返り様に一閃を放つ。

 しかし、

「おっと」

 声の主はわずかばかり上体を反らして、まるで測ったような紙一重で一閃をやり過ごした。
 元々が不安定な体勢からの一閃だったため、コヨーテはバランスを立て直すので精一杯である。
 左腕を差し出す覚悟を決め、反撃に備えるものの、声の主は一向に行動を起こす気配がない。

 異常な世界で異常な行動を取ればそれは正常だ。
 身体の制御を取り戻したコヨーテは後退して距離を取る。
 そこでようやく、コヨーテは声の主の顔を見た。

「……え?」

 そこにあったのは病的なほどに白い肌、くすみかけた白い髪、血のように毒々しい赤い瞳。
 笑みを形作る口の端には鋭い犬歯が見て取れる。
 疑う余地もなく吸血鬼である。
 だのに、ここまで接近されておきながらコヨーテがその気配に一切気づけていなかった。

「悪くねぇ反応だ」

 違う。
 何をトボけているんだ。
 この男は、

「だがな、仮にもだぜ? 片方だけでいいから涙のひとつでも流して見せろよ」

 アルフレド・アイランズ。
 コヨーテの実父であり、十数年前に消滅した『不死の王ノーライフキング』の吸血鬼である。
 もはや在るはずのない存在が、そこにいた。

 この空間を構築し、ここへ誘ったのは『組合』の吸血鬼の仕業だと、コヨーテは確信した。
 そうでなければコヨーテとアルフレドが父子である事を知る者はいないのだから。
 そして、その中でも古参の吸血鬼でなければアルフレドの姿すら知らないだろう、とも推測できる。

「お前は何者だ」

 油断なく剣を構え、コヨーテは当然の問いを発した。
 無論、目の前のアルフレドにではなくその背後にいるであろう吸血鬼に対してである。

「ハッ、分からんでもないがな」

 アルフレドはくぐもった笑い声を上げて、

「何者かと問われたのなら答えてやろう。最強の『不死の王』にして『吸血鬼の組合』の創始者、我が名はアルフレド・アイランズ――」

「戯れ言を! アルフレドはもう死んだんだ!」

「いかにもお前が殺した……って、そうだ、お前! すげえ痛かったぞこの野郎!!」

 何とも要領の得ない会話であるが、それでも分かった事がある。
 目の前のアルフレド・アイランズの姿をした吸血鬼には一切の害意が感じられなかった。
 あるいは、この空間に誘い出した時点で目的は果たされているのかもしれない。

「……ああ、くそ。違ぇ、こんな無駄話してる暇はこれっぽっちもねぇぞ。俺様がこうしていられる時間にも限りはあるんだよ」

 眉間に手を当てて、アルフレドは舌打ちする。
 彼に敵意がない事はほぼ疑いようがなく、隙だらけではあるがコヨーテは攻撃する気になれなかった。
 構えていた剣を下ろし、接地させてから、これが代替の剣ではなく【レーヴァティン】である事に気がつく。

「お前に話がある。……が、お前の事だ。素直に吸血鬼の話を聞くとは思っちゃいねえよ。だからまずはお前の疑問に答えてやる、ただし三回までな」

「……ここはどこだ」

「お前の『記憶』の中だ。ニュアンスが分かりづらいなら精神世界って感覚で捉えろ。……つうか、本当に真面目だなお前。こんなしょうもない質問で貴重な質問の権利潰してんなよ」

「お前の目的はなんだ」

「だから言ったじゃねえか、お前に話があるんだよ。だからこうしてお前の『記憶』に細工して出てきたって訳だ。これでふたつ潰れたぞおい」

「ここから脱出する手段を教えろ」

「そんなモン、俺様の話が終わったら勝手に意識が戻るさ。……お前馬鹿だろ。全部要らねえ質問で潰しやがって」

 あからさまに呆れた風で、アルフレドはため息をつく。
 しかしその口元は笑っていた。
 興味や嘲弄でなく、ただ純粋に楽しんでいる様子で、だ。

「今更お前に聞く事なんて何もない。それよりもオレにはやる事がある!」

「ここはお前の『記憶』の中だからお前が感じているより時間も経たないんだが……まぁいい、そんじゃ俺様のターンだ」

 アルフレドはわざとらしく咳払いして、

「お前、『吸血鬼の組合』に狙われているのは知っているな?」

「……どうやらそうらしい。『魔狼の証インセインハウンド』アイザックが、オレを狙ってロスウェルの街を、人を襲おうとしている……だからオレは急いでるんだよ!」

「おいおい、落ち着けって。奴らの狙いがお前である以上、そんなに急ぐ必要もねぇんだよ。主役がいねぇのに勝手に幕を上げる馬鹿がどこにいるんだって話だぜ」

「……オレはアイザックに敗れたんだ。仮にオレを狙っていたとしても、オレに利用価値なんて見出すと思うか? あいつのやる事なんて誰が確約できる!?」

「だったらどうしてお前は生きてるんだ? 言っておくがな、俺様も『魔狼の証』の事はよく知っている。奴に限って手違いで殺しそびれるなんて有り得ねぇ。生かしておく理由があったんだ」

「理由、だと?」

「黒幕が背後で糸を引いてやがる。それも強大な奴だ、そいつの名は――」

 アルフレドの口が人名を紡ぐ。
 それはおよそコヨーテにとってなじみの深い名前ではなかった。

「………………は?」

 しかし、コヨーテの心臓を跳ねさせる程度の威力を秘める、そんな名前である。



「……ここ、どこです?」

 ヒラギは真っ暗な空間にぽつりと佇んでいる。

 およそ一刻前。
 感知魔術によって『魔狼の証インセインハウンド』アイザック・グルージーの所在を突き止めたというエッタの先導の下、移動を開始していたヒラギだったが、彼女の跡を追って何の変哲もない街角を曲がった先には、文字通り何もなかった。
 前を向いても横を向いても上を向いても下を向いても、先ほど曲がったはずの角すら消えていて、ただ距離感のつかめない真っ暗な空間にヒラギはぽつんと立ちすくむ。

 ヒラギは吸血鬼である。
 【夜目】の力は備わっており、たとえわずかにも光のない空間であってもその全容を見通すのは簡単だ。
 だのに、見えない。
 どこまでも平面的であり、壁や天井との距離感が全く掴めず、『立っている』という事実が地面の存在を知らしめるのみだった。

「エッタおねーちゃーん!? どこ行っちゃったですー!?」

 大声で呼んでみても応えはない。
 ヒラギにはこのようなイレギュラーに遭った記憶は一切ない。
 ゆえに対処法も分からず、とりあえずエッタの名を呼びつつ歩き続けるしかなかった。

 真っ暗で無音の空間では時間の感覚も狂ってしまう。
 ヒラギは自分がどれだけの時間を歩いたかすらも分からなくなっていた。

「むー、おかしいです。いくら歩いても何もないです……?」

 痺れを切らしたヒラギはその小さな背に巨大な翼を生やし、地を蹴った。
 街の中心から郊外までひと飛びできるヒラギである。
 天井にぶつかってしまわないように多少の加減はしたが、それでも天井に近づいた気配すら感じられない。

「ええー! ど、どうなっちゃってるです!?」

 飛べども飛べども何も起こりやしない。
 このまま飛び続けても意味はないと察して、ヒラギはゆっくりと高度を落とす。
 すると明らかに飛び上がった高さに見合わないような短い時間で着地した。

 明らかにこの空間は普通じゃない。

「どうしよう……出られないです……」

 ヒラギはぺたんとその場に座り込み、項垂れた。
 いっそ地面でも掘ってみようかと考えたところで、

『余計な事は考えずにもうしばらくそうしていろ』

 不意に響く声。
 平坦な声質であるが、出所が分からないほどに全方向から聞こえていて不気味な重々しさを感じる。

「誰です?」

『私は「吸血鬼の組合」を束ねし者。「運命を操る魔物」とでも言おうか』

 闇から滲み出したように現れた濃紺のローブをまとう一人の影。
 目深に被ったフードによって顔どころか肌すらも見えず、中肉中背といった容姿で性別すらも分からない。

「はぁ、『吸血鬼の組合』の『運命を操る魔物』さんです?」

『あなたが暴れると面倒だ。しばらくこの世界で大人しくていてもらう』

「でも、私は行かなきゃいけないです……らしいです」

『であれば、あなたに刃を向けねばならなくなる。「組合」と事を構える覚悟がお有りか』

「私は――」

 ヒラギが口を開きかけたその時、

「――ッあああっ!!」

『……?』

 唐突に呻きだした。
 両手で頭を抱えて、膝を折って蹲ってしまう。

「……あ、あぁぁあああ……あ、はっ……くはっ、はははは……!」

 呻いていたかと思えば、今度は不気味な笑い声を発した。
 突然の奇行に出方を伺う運命を操る魔物の前で、ヒラギは静かに立ち上がる。

 

「……よう、久しいな」

『何……?』

 運命を操る魔物が、初めて動揺した。
 声も姿もヒラギのままのはずなのに、その喋り方は決して彼女のものではない。

「運命を操る魔物、だとか呼ばせてんのか? やれやれだ、のほうはもう少し健康的だったはずだがな?」

『何を……、何を言っている……!?』

「確かに俺様の外見はヒラギのままだが、一応は感動の再会って奴だぜ? お前もその七面倒くせえ『ハリボテ』を取っ払っちまえよ、なぁ?」

 明らかに狼狽する運命を操る魔物に対し、ヒラギはニヤリと口角を吊り上げて笑う。
 運命を操る魔物は文字通り固まった。
 濃紺のローブはまるで命を失ったように動かない。

「なるほど。どういう手を使ったのかは知りませんが――」

 運命を操る魔物の声が、平坦な低い声から一転、ソプラノへと転じる。
 ガラスの砕けるような音と共に運命を操る魔物の身体は粉々に崩れ去った。
 その向こう側の空間に立つのは、緑髪で分厚い眼鏡が特徴的な少女。

「『理解者コンパイラー。……、お久しぶりです」

「『完成者コンプリート。何、こちらこそだぜ」

 アルフレドとヘンリエッタ、『吸血鬼の組合』の創始者と現在のトップ。
 本来有り得ないはずの両雄の再会が、一〇年振りに果たされた。


To Be Continued...  Next→
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周摩

Author:周摩
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