≪ 2017 07   - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - -  2017 09 ≫
*admin*entry*file*plugin

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


第三二話:ロスウェル五月祭 叛逆者編(1/2) 

 ロスウェル五月祭はまだ終わらない。


 キルヴィの森、アルタロ村にてチコは佇んでいた。
 夕陽に照らされるかつて村であった場所を眺めているその双眸からは雫が溢れて止まらない。
 心から待ち望んでいたが、しかし聞いてしまっては後戻りのできない言葉をもらって、罪を盾に自分の時間を止めていた事に気づかされたのだ。

 涙を乱暴にぬぐって、チコは遠いロスウェルの街を見据えた。

「忘れちゃいけない。だけど、過去に縛られるのとは違うんだね……」


 深緑都市ロスウェル、冒険者の宿『蒼天の雫亭』。
 血塗れで横たわるコヨーテ・エイムズを前に、ルナ・イクシリオンは何を犠牲にしてでも必ずコヨーテの命を繋げてみせると決意する。
 心も身体もボロボロに切り崩しながらもルナは前に進む。

 服を着替え、髪をくくり、準備を万端に整えたルナは静かに息を吐いた。

「やらずに諦めるよりも……当たって砕ける!」


 同じく深緑都市ロスウェル、冒険者の宿『蒼天の雫亭』。
 コヨーテの傷を荒療治で塞いだルナは吸血鬼の『王族ロイヤル』にして『魔狼の証インセインハウンド』アイザック・グルージーと相対していた。
 蛇に睨まれた蛙のように身動きの取れないルナに対し、アイザックはルナがすでに穢れていると気づく。

 興が殺がれたアイザックは食事を取り止め、しかし更なる絶望の言葉をルナに告げる。

「しかしだ、だとしても貴様の価値は別にもある。安心するがいい」


 深緑都市ロスウェル、賢者の塔。
 手に入れた『神族の帆船スキーズブラズニル』の仕様書解析のため、塔の書庫を目指していたレギウス・エスメラルダは火光獣の背で違和感を覚えていた。
 五月祭にあって異常に静かな塔の敷地内の静寂を打ち破ったのは巨大な火柱を立ち上らせる爆発だった。

 連続して追尾する爆発を火光獣が避けていく間に、状況の分析を終えたレギウスは眉間に皺を寄せて舌を打つ。

「……迎撃かよクソッタレ」


 深緑都市ロスウェル、孤児院。
 突如として現れた狼の大群に襲われ、孤児院は半ば陸の孤島と化していた。
 そんな時、迅雷のように現れた赤い髪の青年が鉄槌を手に狼たちを蹴散らしていく。

 恐怖に震える子供たちを助けるべく、正義の味方エリック・ブレイバーは変身する。

「さぁさぁ! 矯正の時間だ!!」


 キルヴィの森、グラインハイドの集落。
 ロスウェルの街を襲撃する吸血鬼アイザックと彼の持つ『神族の帆船』の脅威の警告と協力の要請のため里に向かったミリア・アドラーク・グラインハイドは、同じ一族のエルフの戦士数十名に囲まれていた。
 彼らは皆一様にミリアの左目、正確にはその周囲に刻まれた『黒化の刻印』を怨めしそうに睨めつける。

 族長との話し合いにうんざりしたミリアは双剣を抜き放ち、堂々と宣言する。

「あぁもうごちゃごちゃうっさいわね! 要するに言う事聞かせたいなら力尽くでやれって事でしょうが! やってやるわよ!!」


 同じくグラインハイドの集落ではもうひとつの戦いが始まる。
 エルフにとっての罪人となったミリアが心配でついてきたレンツォ・ディ・ピントは自身の無力に打ちひしがれながらも決して膝を折らなかった。
 義理とはいえ姉妹であるキロル・グラインハイドと命がけの決闘を行うミリアの前で、レンツォはただ指をくわえて見ているわけにはいかない。

 魔術を扱う知恵がなくとも、剣を振るう力がなくとも、レンツォにも戦う術はある。

「賭けをやろうぜ族長、あんたの好きなギャンブルだ!!」


 深緑都市ロスウェル、冒険者の宿『蒼天の雫亭』。
 吸血鬼アイザックに対抗できる戦力であるヒラギと、アイザックの現在地を特定するはずだったエッタが共に姿を消した事で、手がかりを失った。
 刻々と迫る襲撃開始の時を前に焦りを隠せず浮き足立つ冒険者たちの前に、赤髪の魔術師が資料を手に現れる。

 先立って街中の魔力の流れを調査していたバリー・フィッツジェラルドはロスウェルの鳥瞰図を広げた。

「お前らの持ってる情報も出せ。統合して解を導き出すぞ」


 同じく深緑都市ロスウェル、冒険者の宿『蒼天の雫亭』。 
 その一室で魔術師クロエ・キャンベルは孤児院長ミュール・クラフトの操る精神感応テレパスによって、『神族の帆船』を止めるべく宿を発ったレギウスへと情報を届けていた。
 普段ならもう眠っている時間であり、眠気で重いまぶたを擦りながら、クロエはふと窓の外、西の空を見る。

 その馬鹿馬鹿しくも笑えない光景に眠気が完全に吹き飛んだクロエははしたなく噴き出してしまいつつも、その最悪の状況を師匠たるレギウスへ伝えた。

「ししょー! ふ、船っ、うごきだしちゃったですのー!」


 深緑都市ロスウェルのどこか。
 夢にも似た精神世界で父親である『不死の王ノーライフキング』たる『理解者コンパイラー』アルフレド・アイランズとの再会を果たした後、コヨーテは目を覚ました。
 穿たれた傷も癒え、相棒である魔剣レーヴァティンもその手に収まっている。

 進撃を開始した『神族の帆船』を見据え、コヨーテは静かに、だが強く宣言する。

「すぐ……迎えに行くよ、ルナ」



 五月祭の日にあって深緑都市は眠らない。
 深緑都市に漆黒の夜が訪れたとしてそれを忌避する者はいなかった。
 賢者の塔が提供した魔導ランタンが街中に配備され、昼間ほどとは言わないまでも遊び歩く分には支障はなかった。

 しかし、人々は気づくだろう。

 『それ』は魔導ランタンが見せた陽炎などではなく。
 『それ』は五月祭を沸かせるための行事などではなく。
 『それ』は回りに回った酒が見せた幻覚などではなく。

 星々の輝きを遮り、西の空に浮かぶ『それ』は、紛う事なき『帆船』であった。

 『吸血鬼の組合』が開発、運用する超大型移送魔具『神族の帆船』が起動して一刻半。
 真っ赤な帆を翼のように広げた『神族の帆船』はすでに交易都市リューンの闘技場をひと呑みにするほどの大きさまで膨れ上がっていた。
 質量の増加に伴い徐々に速度を落としているものの、わずかにずつでも確実に、『神族の帆船』はロスウェルの街へと進撃を開始している。

 船首に立つは『魔狼の証』アイザック・グルージー。
 その真っ赤な双眸に静かな狂気をたたえ、眼下に広がるロスウェルの街を睥睨する。

「踊るがいい、人間どもよ。我輩の舞台を恐怖と絶望の歓声で彩るのだ」

 漆黒の夜は終わりを告げる。
 十六夜の月から受けた光によって、夜空のカンバスに紅蓮を塗りたくる『神族の帆船』によって、この日この瞬間をもって、

「紅蓮の夜の幕開けである――!」

 そう、命名された。



 背の高い木々の隙間からも、十六夜の月が照らす『神族の帆船』の威容は見て取れた。
 山中を駆け下りる火光獣の背でレギウス・エスメラルダは舌を打つ。
 情報が少なすぎたとはいえ後手を取ってしまった事に変わりはない。

『ししょー、まずいですの! もう街にはいっちゃうですの!!』

「分かったからそう声張り上げてんじゃねェよ。オマエの金切り声はキンキン響きやがる」

 足で火光獣に加速の指示を出しつつ、レギウスは辟易した様子で返した。
 孤児院長ミュール・クラフトの精神感応によって届けられるクロエの声はかなり近い。
 言われなくても目の前で起動し、即座に追いかける立場になったのだから大方はこの目で見ている。

「ったく……どんな魔力炉積めばあんな馬鹿でけェ代物飛ばせんだよクソッタレ」

『魔力炉については仕様書にもありましたの。読んでいないですの?』

「そうじゃねェよ。仕様書にあった魔力炉のスペックじゃ明らかに足りねェっつってんだよ」

『……たしかに、ですの。でもそれは、「燃料」のほうでおぎなっているのではないですの?』

「それにしたってありゃやりすぎだ。ただ飛ばすだけならまだしも、膨張を続けながらだぜ? どんなゲテモノ燃料使ってやがんだか」

『うーん……あまりそうぞうしたくないですの……』

 クロエの声が萎んでいった。
 いくら才女だの持て囃されていようと、クロエはまだまだ子供だ。
 本来ならサポート役であっても戦いに関わらせる事は避けたかったのだが。

 どのタイミングで彼女を避難させるか考えを巡らせようとした矢先、視界が開け、ロスウェルの街がすぐそこに迫っていた。
 船はもはや落下するだけで街を壊滅させてしまいかねないほどの大きさにまで膨張している。
 すでに門を越えた船を外部から撃ち落とす方法は却下せざるを得ない。

「追いついたな」

 やはり、船は膨張を続ける毎に速度を落としているようだ。
 もはやわずかの猶予もなく火光獣は船と併走するだろう。

『主よ、どうする』

「その問いに答える必要あるかよ?」

『無い。しかと掴まれ、主よ』

 言葉と同時に火光獣は強く地を蹴った。
 ひと跳びで門を越えて民家の屋根へ着地、勢いを殺さずに続けて駆ける。
 目指すは旧聖北教会の使われなくなった鐘楼だった。

「――ここしかねェぞ! 行け!」

『応!!』

 鉤爪で鐘楼を駆け昇った火光獣は飛び上がり、すぐ横を飛行する『神族の帆船』へとその前足を伸ばす。
 しかし、引っ掛けただけだ。
 いくらレギウスが痩せ型だとしてもひと一人分を背に乗せたままの火光獣は駆け上がれない。

「《舞い踊る白刃よ疾殺を歌え、荒れ狂う隼の飛翔の如く》……《切り裂け》!」

 が、即座に【操刃の舞】の詠唱を完了したレギウスの懐から数本のナイフが飛び出し、船の外壁に突き立っていく。
 即席の足場を組み立てた事で、最悪の事態を免れた火光獣は鉤爪を食い込ませて一気に飛び上がった。
 落ちるよりはマシだと張り切りすぎたのだろう、体勢を崩した火光獣はその背に乗るレギウスを振り飛ばして船の上を転がった。

『ぬう、済まぬ主よ。無事か』

「気にすんな。上出来だぜ火光獣ポチ

『この働きに免じて改名を要求す……』

「却下だ」

 いつものやり取りを終えてレギウスは立ち上がる。
 背を強く打ったが、多少呼吸が乱れただけで行動に支障はなさそうだ。

 改めて周囲を見回してみるが、とても船の上だと思えないほどに広大な平地だった。
 足元は土のような感触だがその色は白く、船の赤い帆が反射する月明かりで赤く染まり、さらに気味悪さを加速させている。

 レギウスが飛び乗った場所は流線型の船の後方であり、船首へ目を向けるとなだらかな円錐形の建物じみたオブジェクトが見える。
 建物だと断定できないのは、それが継ぎ目もなく船から生えているように見えるからか。
 何にしてもあの建物のようなオブジェクトの中あるいは陰を除けば、船の上にいるはずの吸血鬼アイザック・グルージーの姿はない。

「予想通りだが、膨張の影響で主要施設の位置が変わってやがるな」

 独り言のようなその言葉は精神感応で繋がったクロエに向けられたものだったが、返事がない。

「クロエ?」

 まさかクロエの身に何かあったのかと身構えるが、集中すれば途切れ途切れに彼女の声が聞こえている。
 砂嵐の中にいるような雑音が混じっている辺り、強力な力場がミュールの精神感応を乱しているのだろう。
 だとすれば、やはりあのオブジェクトが機関部か魔力炉なのだろうか。

「調査も自力か……やれやれ、面倒事ばかりが俺に回ってきやがる」

「ふむ、そう言うな。せっかく舞台に昇ったのだ、我輩を楽しませよ」

「あン?」

 一体いつからそこにいたのか、レギウスの視界の隅には、船の縁に立ちロスウェルの街を眺めている長身の男がいた。
 この場に無関係の人間がいるはずもなく、となればこの男はアイザック・グルージーに間違いない。
 何より、肌を突き刺すようなピリピリとした威圧感が彼の正体が化け物であると裏付けているようだった。

「クソが、早速見つかっちまってんじゃねェか」

「当然だ。この船は我輩の管理下にある。異物の侵入に気づかぬほど甘くはない」

 悠々と話す男が振り返ると、やはりその瞳は赤かった。

「自己紹介は必要か?」

「要らねェよ。どこに馴れ合う必要があるってんだ」

「ふむ。殺した相手の名も知らぬというのは存外、不便であるぞ。話のネタにしづらいではないか」

 知らねェよ、と吐き捨てるように言って、レギウスは【理知の剣】を抜いた。
 刃が砥がれていないこの長剣は儀式用の剣であり、魔術発動のプロセスの一部を省略できる魔具だ。
 すなわち、文字通りに剣を抜いたという事だ。

「そう慌てるな。なかなかに愉快な見世物があるのでな」

 そう言って、アイザックは再び船の縁から街を見下ろす。
 怪訝な表情のまま、レギウスは横目でそちらを確認すると、街中を飛ぶように移動しているエリックの姿があった。

「うおおおおおおお! 待てっ! このっ! 止まれっ! 止まれよっ!!」

 両手から紫電を迸らせ、建物や鉄塔へ投げつける事で磁力を擬似的なロープのように操って高速移動を実現しているらしい。
 鉄材の多い街中でしかできない荒業なのだろうが、呆れ返るほどの無茶だ。
 というか、馬鹿だ。

「人間とは不便なものであるな。何せ、翼がないのだから。我輩こう見えても翼は専門外であるが、空が飛べぬわけではないのだ」

 唐突に語りだしたアイザックに対し、レギウスは奥歯を噛んだ。
 余裕綽々といった態度のくせに自らの心臓を曝け出さないような立ち位置だった。
 直線的に心臓を狙ってもいくらでも対処されてしまうだろうし、そのままでも腕や肘が邪魔で貫けない。
 そして死にさえしなければその傷は吸血鬼特有の治癒力で回復されてしまう。
 試したところで魔力の無駄遣いになる。

「翼を得られる人間は限られている。凡人には無理だ。こと『選定』という意味ではこの船は素晴らしい、そうは思わんか?」

ふるいにかけるって意味なら間違っちゃいねェかもな」

「我輩が求めるのは真の強者との戦い、それのみに尽きる。翼を持たぬ弱者などこの舞台に上がる資格はない」

「へェ? だったらよぉ……」

 レギウスは【理知の剣】を構えて呪文を紡ぐ。
 その様子をただ眺めるだけでアイザックは何もしない。
 どんな術式を使われても対処できるという自信の表れだろうか。

「……《切り裂け》」

 詠唱を終えると、レギウスの周囲に幾本ものナイフが浮かんだ。
 突入にも使った【操刃の舞】によって操られたナイフはロスウェルの街に降り注ぐ。
 それらは樹の幹や建物や塔の外壁などに擬似的な足場として突き立った。

「邪魔者増やしてやんぜ」

「うっひょー! ナイスだレギウス! とぉぉぉぉおおおおおう!!」

 レギウスの作った刃物の足場に磁力を引っ掛けながらエリックは徐々に高度を上げていく。
 旧教会の屋根に乗り、レギウスの突入時に突き立ったままのナイフを利用して、エリックはフルパワーで飛び上がった。
 華麗な着地を見せたかと思えば直後に足元をもつれさせて転んだものの、即座に立ち上がってビシッといつものポーズを決めた。

「正義の味方! エリック参上!!」

「これはこれは。なかなかに見事な連携ではないか。感心したぞ」

 アイザックは白々しい拍手で迎える。
 どうも全力で昇ってきたらしいエリックは呼吸を整えるのに必死でその皮肉じみた拍手にも反応しない。
 やがて立ち直ったエリックはアイザックを指差してがなりたてる。

「さぁさぁ! こんな魔具を使って何をするつもりか、吐いてもらうぞ!」

「ふむ。『神族の帆船』はひとえにコヨーテ・エイムズを釣るためだけの餌である。それ以上でもそれ以下でもない……が、仮にも『組合』の魔具を持ち出すのだ。何の戦果もなしでは開発者が少々気の毒でな」

 アイザックはロスウェルの街を眼下に見下ろし、

「多少無理やりだろうが力を示させてもらう。この深緑都市を朽葉くちば都市にしても構わん。新たな戦いの火種が広がるのなら、どこであろうと変わりはない」

「ふざけんな! 人が大勢住んでるんだぞ!!」

「であるからこそ、だろう?」

「……クソが。化け物の王だけあって話が通じねェ事この上ねェな」

 元より会話など不可能だったのだ。
 吸血鬼と人間とでは価値観が違いすぎる。

「ではどうする、若き英雄に賢者よ。今この瞬間に至っては選択肢は無数にあるが?」

「どうするだァ? そんなモン決まってんだろうが!」

「同感だなレギウス! 変ッ身ッ!!」

 それぞれ【理知の剣】と【七色の七つの魔石】を手に、言葉を紡ぐ。
 レギウスの周囲には星を模した魔力の盾を配置する【孤高の王】を展開し、エリックはその身に魔法の全身鎧である【不撓の魔鎧】を召喚する。
 戦いのための装いである。

きかな。それでこそ『人間』というものだ」

 大仰な拍手と共にアイザックは何度も頷いた。

「もう黙れよ。ここからはよりにもよってこの街を狙ったオマエ自身の愚かさを後悔するだけの時間だ」

「そして矯正の時間でもある! お前のその腐った根性、叩き直してやる!」

「後悔? 矯正? 何を言っている。これからは我輩の時間が始まるのだ」

 アイザックが両手を広げる。
 ただそれだけで空間に裂け目が発生し、その漆黒から生まれ出でるは不死身の魔狼だ。

「――すなわち、戦いの時間である」

 無数の魔狼が飛び出し、一直線にレギウスとエリックへ襲い掛かる。
 二人の対応はそれぞれ違うものだった。
 レギウスは火光獣の腹を蹴って指示を出し、その場を離脱した。
 エリックは体内の気を練って電撃を精製し、その力でもって魔狼を迎撃した。

「《樹海の影もて降り注げ惑わしの種、抱きて眠れ茨姫》――《掻き抱け》!」

 レギウスの正確無比な呪文詠唱が完了すると共に、紛い物の大地である『神族の帆船』から精霊界の茨が召喚される。
 【茨の海】と呼ばれる術式は多勢に対して絶大な効果を発揮する。
 術者の意思に従って蠢く茨は足を絡め取り、それらが噴き出す催眠作用のある花粉は足止めには最適だった。

「む? おい、我輩を放って何処へ行く」

「決まってんだろ、この船を止めんだよ!」

「えっ、ちょ、はぁ? そんな事できんのかよレギウス!?」

「何のためにクロエに解析させたと思ってんだ馬鹿!」

 エリックが追従して駆け出す姿を横目で確認しつつ、

「機関部か魔力炉を押さえりゃとりあえず街への被害は食い止められる! その吸血鬼よりも優先すべきはこっちだ!」

「ふむ。本来そちらはどうでもいいのだが……貴様らがそれを優先するのなら、我輩は喜んで邪魔するぞ?」

 指を鳴らしたアイザックの周囲には無数の虚空が生まれ、その奥から狼たちがその赤い瞳を光らせる。
 まるで横殴りの豪雨のような攻撃だった。
 単純に魔力で起動した術式だとしても魔術師のひとりやふたりが絶命するほどの物量を生み出してなお、アイザックは一切の余裕を崩さない。

 一方、レギウスやエリックは既に地上で一戦交えた後であり、ただでさえ消耗していた。
 船を止める事が第一目標とはいえ、うかつに背を向ければ風穴が開きかねない状況だ。
 呆れるほどの物量でかつ不死とあっては、致命傷を避けるために捌く事しかできない。
 風刃が、雷撃が、白刃が、体術が魔狼を何度も何度も退けるも、不死の化け物はすぐに立ち上がってしまう。

「おいおいおい、やべえぞ! 何か策はねえのか!?」

 襲い掛かる魔狼を殴り飛ばしつつ、エリックは肩で息をしている。
 もともと多数との戦闘に慣れていないようだが、多少の心得があったところで相手が不死の魔狼であれば同じだ。
 彼とは反対に多数を相手取る術式を多く修めているレギウスも防戦一方なのだから。

「……今はねェ。機関室か魔力炉か、どちらでもいい。そこに辿り着けりゃあ策はある」

「目的と手段が入れ替わってるじゃねえか! どうやって――」

「おしゃべりしてる暇も与えちゃくれねェらしいぜ」

 半ば呆れたような息を吐きながら、レギウスは新たに現れた裂け目に対抗するべく呪文を紡ぐ。

「《舞い踊る白刃よ疾殺を歌え、荒れ狂う隼の》――!」

 しかし、その詠唱が結ばれる事はなかった。
 急激な浮遊感と天地がひっくり返った異常事態に喉が引きつり、言葉を詰まらせてしまったのだ。
 反転した世界で辛うじて認識できたのは火光獣の脚に魔狼が噛み付いている姿だけだった。

「ごッ、はッ……!」

 民家の屋根ほどの高さから落ちて背中を強く打ちつけた。
 頭から落ちなかった事を幸運とするならば、よりによって背中だった事が不幸である。
 肺の中の空気を吐き出し、レギウスは激しく咳き込む。

 立ち上がろうにもろくに呼吸もできず、呪文詠唱なんて当然できるはずもない。
 相も変わらず雨のように襲い掛かってくる魔狼は手を緩める事などなく、レギウスはただ爪牙が自らの体を貫く瞬間まで睨めつけるしかなかった。

「――レギウスッ!!」

 その間に割り込んできたのはエリックだった。
 数多の魔狼の突進を受け、レギウスの頭上を飛び越えて吹き飛ばされる。
 おまけに、さしもの不撓の魔鎧といえどもその形状を保てずに四散した。

 彼は正義の味方を自称するほどに、『弱いものの味方』だ。
 そんな彼の前で命が失われるような状況を用意すれば、こうなる事は火を見るより明らかだ。

「っ……!」

 歯軋りせずにはいられなかった。
 自身は呼吸が整うまで無能と成り果て、エリックは変身を強制解除されるほどのダメージを受け、火光獣は動きが鈍った隙に魔狼の群れに押しつぶされている。
 チェックメイト、というやつだ。

「ふむ。思っていたよりは粘ったな。なかなかの見世物であった」

 満足げに頷きながら、アイザックは言う。
 そのまま視線を眼下のロスウェルの街へ向け、芝居がかった動作で両手を広げた。

「見るがいい、もうじき街の中心だ。賢者の塔が見えるだろう、……む?」

 アイザックの怪訝な声。
 そちらを見やれば、十六夜の月を背にした賢者の塔のシルエットが浮かんでいた。
 しかしシルエットは塔だけのものではない。

「あれは……鳥? いや蝙蝠か?」

 塔の天辺のシルエットはそのどちらでもなかった。
 何しろ片翼だ。
 翼とは両翼があってこそ空を飛べるものである。
 片方だけの翼で大気を叩き、大幅に距離を稼いだそれは飛行ではなく跳躍だったのだろう。

 蝙蝠のようで蝙蝠でない、それは人間だった。
 正確には半分だけ人間の少年である。

「……ようやくだ」

 『神族の帆船』に降り立った銀髪赤眼の少年は呟く。

「ようやく辿り着いたぞ、アイザック!」

 コヨーテ・エイムズは叫ぶ。
 既望の光を背に、希望の光を届けるために。

「……ったく、遅ェんだよ」

 アイザックの興味がコヨーテへ向いた事で呼吸を整えたレギウスは、悪態をつきながらも口元にも笑みがこぼれていた。
 しかし、それもすぐに引っ込める。
 たとえコヨーテが辿り着いたのだとしても、状況が改まるわけではない。

「ほほう!」

 アイザックはことさら楽しそうな声を上げる。
 敵同士だというのに、まるで旧友と再会したような気軽さでコヨーテに話しかけていた。

「腹の傷は塞がったようだが、どうであった? 珠玉の痛みだっただろう」

「……とんだマゾヒストだな」

「ふむ。刺激のない日々の苦しみを理解するには貴様はまだ若すぎるか。しかし、貴様もいずれ気づくだろう」

「お前と一緒にするな……吸血鬼なんかと、一緒にするな」

 コヨーテはレーヴァティンを抜き、今にもアイザックに飛び掛ろうとする意思を見せる。

「待て! 今はそれどころじゃねェんだ!」

 激高しているように見えたが、コヨーテは思ったよりも冷静な様子で振り返った。
 手短にであるが要領だけかいつまんで状況を伝えた後、レギウスは一呼吸置いてから口を開く。

「二手に別れるべきだ」

「我輩もその案に賛成である」

 答えたのはなぜかアイザックだった。
 戦いの事しか考えていないのかと思えばそうでもないらしい。
 もはや彼の考えが読めない。

「コヨーテ・エイムズよ、貴様だけならば船の機関室に入る事を許そうではないか」

「……そこにルナが囚われている、と?」

「ほう?」

 まるで全てを見透かしたようなコヨーテの物言いに、アイザックはひどく興味をそそられたらしい。
 その驚いた様は芝居がかったものでは決してなかった。

「オレが目を覚ましてからの状況があまりにも整いすぎている。誰かが作り出さなければここまで上手くいくものか」

「ふむ。それは我輩ではない。大方、ヘンリエッタ辺りが気を利かせてくれたのだろうよ」

 一切否定しないアイザックに対して、コヨーテはレーヴァティンを鞘に収めた。
 予想が悪い方向に的中した事で多少なりとも取り乱すかと思えば、逆に冷静になっているような気さえする。
 いや、そうでなければ困る。
 わざわざコヨーテを招き入れるのだ、どんな罠が待ち構えているか分からない。

「レギウス、エリック。少しの間、アイザックを頼めるか?」

「罠と知ってて、策もねェのに行くんだな?」

「そこにルナがいるんだ。ルナの命が、奴に握られているんだ」

 恐らくアイザックには人質を使うという狙いはないのだろう。
 しかしコヨーテにしてもレギウスにしても、その事実を蔑ろにはできない。
 それを分かっているからか、コヨーテはあえてこの状況を利用しているようにも感じられた。

「いいじゃねえか、行かせてやれよレギウス。どのみち、二手に別れるつもりだったんだろ」

 エリックはコヨーテに賛同した。
 ほとんど考えなしのくせに、間違っていないのだから始末に負えない。

「虫のいい話だと思う。だけど、信じてくれ」

 他に方法もなく、かといって未知の罠に対する策なんて練られるはずもなく。
 結局はコヨーテのその言葉が決め手となってレギウスは折れた。

「では我輩の気が変わらぬ内に行け。入り口はすぐに見つかるだろうよ」

 やはりというか、アイザックが指したのはあのなだらかな円錐形のオブジェクトだった。
 そちらへ駆け出したコヨーテの背に向け、

「せいぜいに可愛がってもらうがいい」 

 アイザックは不吉な言葉を残した。



 神殿のような建物へ接近したコヨーテは、白が赤く染まった壁面の一部に水面のように波打つ箇所を見つけた。
 どうやらここが出入り口らしいが、明らかに魔術的な扉だ。
 アイザックの言っていた入り口とはここの事だろう。
 逡巡の間もなく、コヨーテは波打つ門へとその身を躍らせる。

「なん、だ……ここは」

 神殿の内部は黒い闇に包まれていた。
 もともとが吸血鬼のために遮光性を重視したつくりなのだから当然なのだが、その中に一点だけ淡く光る場所があった。
 青白いオーロラのようなヴェールに包まれたその中心に立つのは女性のシルエット。

「……月姫、か」

 胸元が大きく露出している真っ白な装束に身を包み、髪を下ろしたルナ・イクシリオンは虚ろな眼で忙しなく両手を動かしている。
 彼女の周囲にはのっぺりとした灰色で半透明の板のようなものが何十枚も浮かんでいた。
 それらにはびっしりと記号や文字が光として浮かび上がり、ルナはそれらの記号を指で突いて動かしているように見える。

 最初の襲撃の際、ヘントウ山に向かう馬車の中で『神族の帆船』の仕様書に軽く目を通しておいたおかげで、コヨーテはそれが制御装置の入出力盤だと即座に理解した。
 どうにも、この船には物理的な制御機構は一切用いられていないらしい。
 もともとが一冊の本から展開する以上、細かい機構が再現できない故だろうが、よもやあれほどの情報量をたった一人で処理できるようなシステムとは驚きを隠せなかった。

「聞こえていないのか、ルナ!」

 いくら呼びかけてもルナは一切の反応をしない。
 その間にも灰色の板のような入出力盤に指で操作を加え、展開と消失を繰り返させている。
 碧色の瞳が毒々しい赤に染まっているところを見ても、彼女が操られている事は明々白々だ。

「くっ……! とにかくこの場から連れ出さないと!」

 近づいてアクションを起こさねばどうしようもないと、コヨーテは青白いヴェールに包まれた機関室へ向かう。
 が、その途中でルナが急激な反応を示した。
 視線をこちらへ向け、周囲には紅色の入出力盤が新たに出現する。

「――ッ!」

 ルナが紅色の入出力盤を軽くなぞったその瞬間だった。
 闇の中にちかちかとした光が瞬いたかと思うと、コヨーテの足元が赤く爆ぜた。
 一瞬早く背筋に殺気を感じたため辛うじて回避できたものの、あまりの衝撃に足が吹き飛んだような錯覚さえ覚える。

「地下から……? いや、狙撃か!」

 回避の最中でも白い地面がえぐられた様子を観察したコヨーテはそう結論づける。
 二度三度と繰り返される爆発を転がるように避けるも、体勢を整えようとすれば即座にその身体は撃ち抜かれるだろう。
 故に、コヨーテが取れる手は守りを固める、ただそれだけだった。
 覚えたてではあるが、すでに二度用いているだけあって黒翼の展開はスムーズに行われた。

「耐えてくれよ、オレの翼……!」

 【黒翼飛翔】という吸血鬼の組合の秘術は、翼による行動の補佐に加えてそのまま盾としても扱える。
 それでも、最初の襲撃の際に呪いの魔剣ダーインスレイヴによって斬り飛ばされた右の翼は再生していない。
 左の翼一枚で真正面から受け止めてはそのまま貫かれかねなかった。

 故に、コヨーテは直線の攻撃に対して鋭角になるように翼を構え、受け流す。
 真っ暗な闇であろうとも、コヨーテのみならず吸血鬼に備わっている【夜目】であればその程度の暗視は可能だった。

 よくよく観察してみれば、闇の中から撃ち出されるそれは血の塊のようだった。
 言うなれば『鮮血の矢』であろうか。
 飛び道具の使用を嫌う吸血鬼が開発した『神族の帆船』であれば、この防御機構も納得である。
 何しろ血液は身体を変化させて生み出す黒狼と同様に、あくまでも『身体の一部』として認識されているからだ。

(だったら、威力を殺してしまえばこの翼は貫けない!)

 まるで闘牛士のマントように翼を扱い、時にはステップで回避しつつルナの元へ走る。
 虚ろな赤い瞳でこちらを観察するように見つめるルナは、軽く右手を振るった。
 その動作に反応するように再び彼女の周囲に新たな紅色の入出力盤が現れ、ルナはそれを軽く指先でなぞる。
 今度は青白いオーロラに虚空の裂け目が生まれ、そこから漆黒の狼が現れてコヨーテを襲う。

「ッ、今度はこいつらか!」

 鮮血の矢では貫けない黒翼も、黒狼の爪牙であればいずれ貫けると判断したのだろうか。
 あるいは直線的な動きしかできない鮮血の矢よりも、独自の行動ルーチンを持つ黒狼のほうが隙を突きやすいと判断したのか。
 どちらにせよ、その判断は正しかったと言える。

 コヨーテはレーヴァティンを振るい、近寄る黒狼を薙ぎ倒す。
 それらはアイザックが使役する不死の魔狼ではあるようだが、どこか再生速度が鈍い様子だった。
 防御機構に宛がうのに質の悪い魔狼を使うアイザックではない。
 となれば、それは魔剣レーヴァティンの持つ『邪なものを祓う力』が効いているのだろう。

「――邪魔だ!」

 左手を変換した黒狼が遠ざけ、左の黒翼が弾き、レーヴァティンが切り裂く。
 魔狼の展開も、歩みを多少鈍らせるだけに過ぎなかった。
 ひたすらに距離を詰め、コヨーテはついに機関室の中心、ルナの元へと辿り着いた。

 青白いヴェールは入り口と同じように、物理的な障害ではなかったようだ。
 押し進んだコヨーテは一度だけ振り返ると、一斉に飛び掛ってきた魔狼をレーヴァティンによる一閃を加えて遠ざけた。

「ルナッ!」

 防御機構を操るルナの両腕を掴んで止める。
 虚空に描かれた紅色の入出力盤が崩壊し、溶けるように消えていった。
 それでもルナはわずかにも表情を崩さない。

「防御機構の展開、口頭操作へと移行――完了。『ジェラルド』をJの九へ」

 月姫の歌声は高く高く、ひたすらに高く響いた。

「なッ!?」

 操作を止めても無意味だった。
 鮮血の矢が放たれ、コヨーテの頬を掠めていく。
 さすがに手動操作よりも遅く、管理者を巻き込まないように消極的な攻撃にはなるものの、それでも根本的解決にはならない。

(どうする……どうすればいい!?)

 コヨーテの腕は二本しかない。
 口を塞ごうとすれば、空いた手で再び手動操作に切り替わるだろう。
 管理者であるルナを無力化するなど論外だ。
 ルナを傷つけずに両手と詠唱を止めるには、どうすれば。

「再度『ジェラルド』をJの九へ」

 鮮血の矢が髪の数本を吹き飛ばす。
 唐突に、コヨーテはアイザックが自身をわざわざ招きいれたその魂胆を理解した。
 あの吸血鬼は、この状況でのコヨーテの決断を知りたかったのだ。
 ルナとロスウェルの街とを天秤にかけさせ、心が壊れる様が見たかったのだ。

 あからさまな誘導から、罠だと分かっていたはずなのに。
 その罠がたかが黒翼と魔剣を振るっただけで切り抜けられるはずがないのに。
 コヨーテはルナの姿を認めた瞬間に、それらを忘れてしまっていた。

「ッ……!」

 怒りが湧く前に、コヨーテは奥歯を噛んで押さえつけた。
 今はそれどころじゃない。
 ただ目の前の問題にのみ傾倒するべきだ。

 しかし、コヨーテにはもう考える余裕なんてない。
 背後からいつ魔狼が襲い掛かってくるかも分からない状況で、両手と詠唱を止めるにはこの方法をおいて他に考え付かなかった。

「再度『ジェラルド』をJの――」

 手で手を防ぐのなら、口は口で塞ぐしかない。

 時間が止まったような感覚。
 柔らかくて温かい唇の感触だけが頭の中を支配し、全身が熱くなってくる。
 ふと気づけば、ルナの両手からは抵抗する力が抜けていた。

「っ、は」

 唇を離すのと同時に、まるで糸が切れたようにルナがしなだれかかってきた。
 受け止めると、どうやら気を失っているらしく全身に力が入っていない。
 もう、歌声は止まったのだ。

「ルナ……」

 彼女の華奢な体を強く抱いた。
 もう二度と離さないとばかりに、強く。

「……、……コヨーテ?」

 強く抱きすぎたのか、ルナは目を覚ましているようだった。
 だが、コヨーテは構わずに抱きしめ続ける。

「良かった。本当に、良かった……」

「コヨーテこそ。傷、ちゃんと治っていたんですね……良かった」

 ルナの腕が背中に回された。
 そのままコートを掴んだ手は、かすかに震えていた。

「……怖かったんです。コヨーテが死んじゃうんじゃないか、って。ずっと、ずっと……!」

 震えているのは声も同じだった。
 涙が零れるのを我慢している様子だったが、それも時間の問題だろう。

「だから、コヨーテ……もう――」

「ダメだ」

 びくり、とルナがひと際大きく震えた。
 コヨーテにはもう、ルナが何を言わんとしたのかが分かっている。
 肩を掴んで身体を離してみると、ルナの大きな瞳からは涙が零れ落ちていた。

「オレは逃げない。逃げちゃいけないんだ」

「どうして……? どうしてコヨーテばっかりがこんなに辛い目に遭わなくちゃいけないんですか……?」

「……ルナ」

「半吸血鬼だからって、こんな、こんなに苦しむなんて……そんなの、ひどいです……」

 ルナの声に混じって、魔狼のうなり声が背後から聞き取れた。
 思った以上に復活が早い。
 飛び掛ってくる魔狼に対してコヨーテは左だけの黒翼を展開して防御する。

 空いた右側はレーヴァティンを盾にして防ぐが、無防備な右腕には魔狼の牙が深々と突き刺さった。
 どうやらルナが正気に戻っても機関室の管理者は未だにルナであるらしい。
 忌々しくも最後の命令を忠実に守っている。

「ッ、コヨーテ!」

「……オレも昔はそう思っていたよ」

 痛みに構わず、コヨーテは言葉を紡いだ。
 これよりも重要な事はないとばかりに、声色を変えずに。

「正直、今でも心の片隅ではそう思っている。だけど悲観するだけじゃ何も変わらないと悟らされた」

 めき、と骨が軋む音が響く。

「ッ……、オレは抗うと決めた。たとえそれが暗闇に辿りつく道だとしても、誰かを、いや――君を守れるのなら!」

 抱きしめる手に力がこもる。
 手先に触れたのはルナの背中に刻まれた刀傷。
 かつてコヨーテを守って傷つき残ってしまった、コヨーテにとっては戒めの傷だ。

 あの頃と比べてコヨーテは前に進めただろうか。
 吸血鬼の秘術を得て、何が変わっただろうか。
 魔剣レーヴァティンを得て、何が変わっただろうか。
 精気オド変換の術を得て、何が変わっただろうか。

 ――何も変わってなんていなかった。

 誰かを守りたいと願ったところで、それらは常に吸血鬼によって踏みにじられる。
 日を経るごとにルナの笑顔は曇り、彼女の涙を目にする回数も増えた。
 死に掛けた事もあった。
 命を救う事ができても、心は救えなかった。

 健闘したから何だというのだ。
 半吸血鬼だから、精一杯やったから、それが何だというのだ。
 コヨーテはただ誰かを救った気になりたかったわけでは決してない。

 弱いままでは何も語れず、何も遺せずに死んでいく。
 理想を語るにはそれ相応の力が必要だ。

 己のを自覚しろ。
 己のを自覚しろ。

 自身が単なる人間でなく吸血鬼でもなく、半吸血鬼という異端である事を理解しろ。
 かの吸血鬼と、半吸血鬼である自分との差異を見出せ。
 魂を燃え上がらせる源泉を知り、逆境を跳ね除け得る方法を模索しろ。

 ――たったひとつの、何物にも変えられない願いを再認識せよ。

「が、ぁ……、あああぁぁああああああ!!」

 コヨーテの声が響く。
 同時に真っ白な光が爆ぜた。 
 迸る衝撃に吹き飛ばされそうになるコヨーテは一緒に押し流されそうになるルナを抱きすくめてひたすらに耐える。

 白い力の奔流は二人に群がっていた魔狼を文字通り
 不死の魔狼を、跡形もなく。

「コヨー、テ……?」

 何が起こったのか分からない様子のルナに対し、コヨーテは自らに沸き起こった力の正体を深く理解した。
 彼が最も欲した力ではあるものの、それを得た事で自らが望んだ未来を否定している事も含めて、である。
 一抹の寂寥感を覚えつつも、コヨーテはあえて笑みを作った。

「……そうか。

 記憶の中にある情報と照らし合わせても類を見ない、たった一つの自分だけの力。
 コヨーテはついにそれを得た。
 誰にも頼らず、誰にも利用されずに得た、唯一の力だ。

 それでも、この力だけでアイザックに勝てると考えるほどコヨーテは楽天家ではない。
 もしアイザックが自らの特異能力のみを頼っているのだとすれば勝機はあるかもしれないが、彼にはまだ呪いの魔剣ダーインスレイヴが残っている。
 あれは正真正銘の『魔剣』だ、対処のしようもない。

「ルナ」

 まっすぐにルナを見据え、コヨーテは心を落ち着かせた。
 今生の別れになるかもしれないと考えているつもりはなかったが、それでも伝えたい願いがある。

「オレは人間から離れてしまうかもしれない。だから、ルナはそのままでいてくれ」

 コヨーテは外套を脱いで、ルナに羽織らせた。
 そして言い聞かせるように言葉を繋ぐ。

「もしもオレが迷った時、その道標になるように。淡くてもいい、素朴でもいい。月の光のように、闇の中にあっても、その光をオレに届けてくれ」

「コヨーテ……」

「君の光が見守っていてくれるなら、オレは必ず君の下へ帰る。……絶対にだ」

 ルナは静かに頷いた。
 彼女がどう受け取ったかは分からないが、それでもコヨーテは満足だった。

 あとはこの言葉を現実にするのみである。


To Be Continued...  Next→
スポンサーサイト


この記事へのコメント

この記事へコメントする














(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

周摩

Author:周摩
しがないリプレイ書きのブログです。

Info.
当ブログはリンクフリーです。報告は不要ですが、あれば相互リンクさせていただきたいと思います。

周摩のシナリオはこちらへどうぞ。

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。