≪ 2017 05   - - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 -  2017 07 ≫
*admin*entry*file*plugin

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


第三六話:『夢魔』 

「……?」

 誰かに呼ばれた気がしてルナは目を覚ました。
 見慣れた天井で、ここが『大いなる日輪亭』の自室だと気がついた。
 視線を巡らせると、窓際にはコヨーテの後姿がある。

「朝だよ。そろそろ起きたらどうだ」

「そうします……あれ?」

 何かがおかしい。

(……私は自室で眠りましたっけ?)

 自問して、即座に否定する。
 眠りに落ちる前は、そう、ユーシェ学院の正門前にいたはずだ。
 急に眩暈がして倒れ掛かったところをミリアに受け止められたところまでは覚えている。
 それは昼頃だったはずなのだが、まさかほぼ丸一日眠っていたのだろうか。

「あの、コヨーテ……仕事のほうはどうなりました?」

「失敗した」

「……え?」

「だから、失敗したって言っているだろう。そうだよ、

「そんな、――!?」

 顔から一切の表情を消したコヨーテがこちらを向いている。
 その瞳にこもるのは、今までに見た事がないほどに鋭く放たれる殺気。

「お前が! 下手を踏んだせいで!」

「あっ――!」

 一瞬で距離を詰めたコヨーテはルナの首を掴んで無理やりにベッドに叩きつけた。
 後頭部に鈍い痛みが走るが、喉を絞めつけられているためにろくに声も出せない。

「お前なんか……!」

 首がみしみしと嫌な音を立てている感覚がする。
 半分といえどコヨーテには吸血鬼の血が流れている事を実感させられた。
 ルナの細腕では振りほどく事はおろか、些細な抵抗ひとつできる気がしない。

「お前なんか……!!」

 死ぬ事は怖い。
 だが、それよりも憎悪の感情を隠そうともしないコヨーテの表情が恐ろしかった。

「――生まれて来なければよかったんだ!!」

 心も身体も苦しかった、痛かった。
 涙でぼやけた世界を、瞼を閉じて暗闇で塗りつぶす。



「……ごめ、……なさ……」

 次に瞼が開いた時には、目の前に恐ろしいコヨーテはいなかった。
 首も苦しくないし頭も痛くない。
 ただ、やけに頭がぼうっとして身体が熱かった。

「ゆ、め……?」

 固く身体を抱きしめて、ルナはようやくそれだけ呟いた。
 身体が震えるのは熱のせいではない。

(怖かった……彼があんなに怒るなんて……) 

 コヨーテに叱られた事はあっても、怒られた事はなかった。
 彼が感情を爆発させるきっかけのほとんどは吸血鬼がらみである事もあって、人に向かって声を荒げる場面はひどく少ない。

(『生まれて来なければよかった』なんて……そんな事、思っていませんよね?)

 ありえない、はずだ。
 よりによってコヨーテがあんな事を思っているはずがない。
 むしろそんな疑いを掛けるほうがコヨーテに悪い気さえする。

 気分を入れ替えたくて立ち上がろうとしたが、身体に力が入らない。
 熱のせいか思考も上手くまとまってくれず、じりじりとした頭痛がひどく厄介だ。
 それでも何とか一階まで降りると、大勢の客で賑わう中、いつものテーブルにはコヨーテが紅茶を嗜んでいる姿があった。

「大丈夫か?」

 恐る恐る近づいてみたがコヨーテはいつも通りだった。
 やはりあんなのはただの悪い夢だったのだ。
 それが無性に嬉しくて、ルナの身体に少しだけ力が戻った気がした。
 ほんの、少しだけ。

「……すみません」

「気にしないでいいから、ゆっくり休んでくれ」

「でも、仕事の途中ですし……」

「いいから寝ていろ。そんな状態でついて来られても、たぶんミリア辺りが迷惑がる」

 大仰に肩を竦めてコヨーテが言う。
 気を使ってくれたのだろうが、事実ユーシェ学院の件でミリアに迷惑を掛けた身としては恐縮するばかりだ。

「あの、仕事のほうは……、っ」

 何の気なしに言いかけて、ルナは言葉を詰まらせた。
 先ほど見た悪夢の中で訊ねた事とまったく同じだったから、次の瞬間にはコヨーテが首を絞めてくると錯覚したのだった。

「日が暮れたからな、今日の行動はほとんど終了だ。レンツォは盗賊ギルドに情報収集。他の面々はその付き添いだよ」

 盗賊でないルナにはどの辺りに盗賊ギルドが存在するのかは知らないが、とりあえず窓の外を見た。
 どれだけ眠っていたのか正確な時間は分からないものの、すっかり日が沈んでいるところを見ると相当長い時間を眠っていたようだ。

「食欲はあるか?」

「……あんまり」

「少しでもいいから腹に収めておけ。トンビ豆のスープだ、温まるぞ」

 言うなり、『大いなる日輪亭』の亭主エイブラハムは木皿をカウンターに置き、それをコヨーテが受け取ってルナの前に供された。
 熱々の湯気を立てる具沢山のスープは豆とブイヨンの優しい香りを漂わせている。

 思い返せば朝からあまり体調が芳しくなく、朝食もあまり口にしていない身だ。
 亭主エイブラハムの言うとおり多少無理してでも食べておいたほうがよさそうだ。
 控えめに掬って、少しずつ口に運ぶ。
 味はあまり分からなかった。

「……無茶をさせすぎたな、すまない」

「え?」

「本来であればリーダーのオレが休養の調整もするべきだったんだが」

 何を言うかと思えば、そんな事。
 即座に否定したい気持ちではあるが、口の中にものを入れたまま喋ってはいけない。
 なので、ひとまず首を横に振っておいた。

「君も優しいからな……そう思ってくれるのは嬉しいけど、これはオレの自覚の問題だから」

 どれだけの言葉を尽くしてもコヨーテが自分の役割を怠ったという自責の念は消えない。
 こんなに近くにいるのに何もしてやれない。
 それがひどくもどかしかった。

「だからさ。オレがいつまでもうじうじしないで済むように、早く風邪を治してくれ」

「そうきましたか」

 なるほど、いつまでも昔のコヨーテではないのだろう。
 確かに過ぎた事を後からぐちぐち掘り返すのも時間の無駄だ。
 失敗したとしても原因を突き止めて反省し、次に活かす事ができればそれは大きな糧となる。

「ちなみに、そのスープは本当に効く。宿の娘アンナが風邪を引くたびに親父をそれを作っていたが、二日以上寝込んだ事はないんだ」

「コヨーテは?」

「……そもそも風邪を引いた事がない」

 コヨーテは苦笑した。
 彼に半分だけ流れる吸血鬼の血がそうしているのだろうか。

「……でも、ごめんなさい」

 ルナはスープを完食できなかった。
 半分ほどしか口にしていないのに、やたらと胃が重たく感じられる。
 これ以上詰め込んでしまえば吐き出してしまいそうだ。

「仕方がないさ」

 コヨーテは微笑を浮かべたが心配そうな表情は相変わらずだった。
 部屋に戻ろうと立ち上がると、ふらついてカウンターに寄り掛かってしまった。
 その様子を見かねてか、コヨーテは無言で手を差し伸べる。

「……ん」

 申し訳なく思いながらも、その手を取った。
 支えられていなければ階段すら昇れなかっただろう事を考えるとぞっとしない。
 こんなに体調が悪くなるのは久しぶりだった。
 部屋に辿り着いた頃には、すっかり息が上がってしまうほどには最悪だ。

「何にせよ、風邪の時は思い切り他人に甘えていいんだぞ」

「……はい。お世話になります」

 コヨーテは頷いて、柔らかな笑みを浮かべた。
 ルナをベッドに寝かせてから、水を持ってくると言ってコヨーテは桶を片手に部屋を出る。

(やっぱり優しいですねコヨーテは……)

 さっき見た夢なんて、やっぱりただの夢でしかなかった。
 考えるまでもなく当たり前の事なのだがそれでも不安になったのは、あれがやけにリアルだったからか。
 目を閉じて、すぐに戻ってくるだろうコヨーテに疑った事に対する謝罪と、看病してくれる事に対する感謝の言葉を贈った。



 少しも経たないうちに部屋のドアが開いた。
 視線を巡らせると、コヨーテが後ろ手でドアを閉めている姿が見える。
 その手には何も持っていない。

「……ルナ、オレやっぱり思ったんだけどさ」

「? 何でしょう?」

 ベッドの上でルナは何とか身を起こすが、コヨーテに肩を掴まれて止められた。
 寝ていろという事だろうか、と思ったが、違う。
 寝かせるなんて生易しいものじゃない。
 ルナは、強引に押し倒されたのだ。

「え? え??」

 心臓が跳ねる。
 あろう事か、コヨーテはそのままルナの上にのしかかってきたのだ。

「な、な、何を……」

「オレ……、ずっと前からルナの事……」

「――!?」

 これからコヨーテが何をしようとしているのか、容易に想像はついた。
 想像はついても、そこに行き着いた時点でルナの頭は混乱の極みに達したのでひどく混乱するばかりだ。
 いっぱい汗をかいて拭いていないとか、そういえば風邪引いてるのに、でもコヨーテは風邪引かないからうつらないんだっけ、だとか余計な事ばかり浮かんでは消えていく。

「その、あの、まだこういうのは早いというか……!」

「ずっと前から……」

 しかしコヨーテは止まらない。
 上にのしかかった状態から右手を上げて、

「――憎くて憎くてたまらなかったんだ!!」

「……、え?」

 振り上げられた右手が、ルナの左頬を打った。
 以前に叩かれた時とは違って、固く握り締められた拳で。
 混乱していたルナの頭の中が一気に冷めて真っ白になった。

「っ、ぁ、あぅ、」

 言葉すらまともに紡げなくなったルナに、拳はまだ振り下ろされる。
 痛みよりもぐらぐらと揺らされる頭のほうが深刻だった。
 混乱と恐怖で呼吸すらままならず、ただひたすらに両手で顔を守るしかできない。
 両手があろうが、引き剥がす事なくコヨーテはお構いなしにそこへ拳を叩きつける。

「何で……、どうして、こんな……」

「イラつくんだよ。お前は常日頃からオレの事を化け物扱いしやがって」

「そんな事、思っていません……」

「口答えするなッ!!」

 怒りに任せた拳が、今度は胸に突き刺さった。
 まったくガードしていないところへの一撃に、ルナはひどく咳き込んだ。

「お前なんか大嫌いだよ……」

「わ、たし、だって……、――私だって!」

 あまりにも惨めすぎる言葉をそこまで言いかけて、ルナは口をつぐんだ。
 下唇を噛み締めてじっと耐えるようとするが、我慢の限界は近かった。

「――私だって、私が大嫌いです……!!」



「ルナ!? 大丈夫か!?」

 コヨーテの声に起こされ、ルナは目を開けた。
 ランタンの乏しい明かりの中でも、天井を見れば自分の部屋だって事くらい分かる。
 そして、すぐそばにコヨーテがいる事も。

「――ひっ! いや、いやぁあああ!!」

 状況を理解する前に防衛本能が働いた。
 その場で後ずさり、すぐに壁に背中を打ちつけたルナは膝を抱えて丸まった。
 恐怖で膝ががくがくと震えていてとても立って逃げられるような状態ではない。

「どうした、悪い夢でも見たのか!?」

「……ゆ、め?」

 息を荒くしながら、ルナは恐る恐る自分の顔に触れてみる。
 殴られた痛みはないし腫れてもいない。
 ルナの様子に狼狽するコヨーテの姿を見ても、とてもさっきの彼と同一人物とは思えない。
 信じがたい事だが、あの出来事は夢だったようだ。

 頭ではそう理解していても震えは止まらない。
 痛みがなかった事になっても、コヨーテの顔で、声で言われた言葉は消えないからだ。
 じくじくと痛む心はどうやったら治療できるのだろう。

 早鐘を打つ心臓を落ち着かせるのにどれだけかかったのかは分からない。
 その間、コヨーテは何も言わずに待っていてくれた。

「……私、いつの間にか眠っていたんですね」

「オレが戻った時には。面倒な客の相手をさせられたから少し遅くなってしまったが」

 もう少し早く起こしてほしかった。
 彼の語る『面倒な客』がひどく疎ましく思う。

「……夢。嫌な、夢を見ました……とても嫌な……」

「……そんなにか」

 ルナは言葉にせずに頷いた。
 あの夢の過酷さは思い出したくもないほどだ。

「コヨーテ、もし私が眠ったら起こしてもらえませんか……?」

「馬鹿な。君は病人だぞ。眠らなくちゃ治るものも治らない」

「眠りたくないんです。もう、夢は見たくありません。お願いします……、お願いします」

 熱で頭がくらくらするし全身がだるくて仕方がない。
 夢さえ見なければ今すぐにでも眠ってしまいたいくらいに、つらい。

 それはできない、とルナは感じていた。
 夢の中の出来事が現実に影響を及ぼす事はないにしても、心が死んでいく。
 心の死は体の死よりも惨い。
 このまま夢を見続けたら、いずれ夢の中のコヨーテに殺されてしまうと感じたからだ。

「分かった。じゃあオレがとっておきのまじないを教えてやろう」

「おまじない?」

「そう、悪い夢を見なくなるまじないだ」

 手袋を脱いで、コヨーテは右手を差し出す。

「握って」

「え? は、はい……」

 言われるままに手を握る。
 握ってから気づいたが、手に汗をかいていたような気がして後悔した。
 しかし、彼の手を握っていると不思議と心の重圧が軽くなったような気がする。

「……それから?」

「これだけだ。オレの手を握ったまま眠ればもう悪い夢は見ない」

「本当ですか?」

「ああ、本当だ」

 やけにきっぱりと言い切るものだからルナもそんな気になってきた。
 もしそのおまじないが本当だとしたら、誰か実体験した人がいるはずなのだが、それもきっとアンナなのだろう。

「……眠ります」

 改めてベッドに横になり、コヨーテの手を握る。
 いつもなら赤面して眠れやしないのに、今は心身ともに疲弊していてそれどころじゃない。

「おやすみなさい」

「おやすみ、ルナ」



 少しもしない内にルナは静かに寝息を立てて眠りについた。
 コヨーテも安心して、大きくため息をつく。

(眠るのが怖い、だなんてよっぽど怖い夢を見たのか)

 それはコヨーテにも覚えがある。
 ほんの一年前までは悪夢にうなされて眠れない夜が頻繁にあった。
 その度に件のおまじないを教えてくれたドロテアを思い出しては無力感に打ちひしがれていた。

(もう誰もオレの手を握ってくれる人はいないと思っていたのに、オレが握る側になるなんて思いもしなかった)

 繋いだ手は早くも汗ばんできている。
 熱っぽいルナの手は細く柔らかく、そして小さかった。

「……、」

 コヨーテはあの言葉を思い出していた。
 悪夢にうなされたルナが目覚める直前に放った、あの言葉を。

(自分が嫌い、か……)

 それは聞き捨てならない言葉だった。

 これまでルナが我褒めする姿を見た事はひどく少ない。
 一年近く一緒に冒険してきて知ったが、彼女は自分に自信が持てていないのだ。
 コヨーテはそれが柱となるべき経験を得ていない事が原因でないとおぼろげながら理解している。

 それは、聖誕祭の日に起こった事件だ。
 ルナの生家に吸血鬼が出現し、彼女と彼女の叔父が襲われた。
 コヨーテはすんでのところで駆けつけて吸血鬼と対峙したのだが、その時のルナの様子は命を狙われて恐慌状態だったとしても異常だった。

(ルナは不幸を引き寄せたのは自分だと言っていた)

 何の根拠もない言葉だ。
 混乱を極めた頭が短絡的に不幸と不幸を結びつけただけだ。

(だが、そうじゃないんだろう)

 一蹴できないからこそ、コヨーテは焦る。
 ルナには何らかの根拠あるいは心当たりがあったのだ。
 不幸を呼び寄せるという目に見えない事象では、答えは過去にしかない。

(オレは、ルナの事をほとんど何も知らないんだな……)

 誰にだって話したくない過去はある。
 引っ込み思案なルナが積極的に自分を語ろうとしないのも無理からぬ事だ。
 強引に聞き出そうとしても、そもそも過去を探る事自体が無礼極まりない。

 しかし、このままでは大切な何かを失いかねない気がする。

(オレは……、)

 コヨーテの直感は外れる事のほうが少ない。
 もしこの予想が当たっているとしたら、なるべく早く動いたほうがいいのだろう。

「………………」

 ちらりとルナの寝顔を見る。

(……寝顔といえど、ルナの顔をこうしてじっくり見る機会もなかったな)

 閉じられたまぶたに長い睫毛、さらさらと流れる銀の髪。
 白い肌は熱のせいか紅を差したように赤く染まっている。

 あまり意識する事もなかったが、確かにルナは可愛らしい顔立ちをしていると思う。
 美人というよりは歳相応に可愛らしいと言ったほうがしっくり来る。
 だのに儚げな雰囲気が見て取れるのは彼女の控えめな性格を知っているからだろうか。

「くっ……」

 ルナがもらした小さなうめき声に、コヨーテは我を取り戻した。
 見ると、ルナの眉間にはわずかに皺が寄っている。

(まさか、また悪夢を見ているのか?)

 その予想を裏付けるように、握っていたルナの右手にわずかながら力が篭った。
 騙すつもりはなかったが、コヨーテのおまじないは単なる気休めである。
 しかし夢というのは心や精神状態に左右されるものだから、それでも十分に効果はあるはずなのだ。
 事実、かつてのコヨーテはその気休めだけで安心して眠る事ができていた。

「あぐっ……!」

 苦しげな声。
 ルナの額にはみるみる汗が浮かんできた。

(……、様子がおかしい!)

 その瞬間、コヨーテは異物の存在を知覚した。
 人外の気配を頭上に感じる。
 まるでずっとずっと以前からそこにあったとばかりに、紫色の肌の魔物が天井にへばりついていた。

 コヨーテと視線が合った途端、その魔物は耳障りな笑い声を響かせる。
 やがて口の端を吊り上げて、その赤い双眸をルナへと向けた。

『この苦痛に歪んだ表情……たまらんのう』

「……お前は何だ」

『ん~? わしは夢魔インキュバスじゃ』

「ルナに悪夢を見せていたのはお前だな」

 努めて冷静に、あくまで淡々とコヨーテは問いただした。
 夢魔と名乗った以上、答えは明々白々なのだが、どうやら冷静になりきれていないらしい。

『左様。この娘の悪夢はわしが見せておる。この娘はな、今もっとも自分が見たくない夢を見ておるのだ』

「貴様の目的は、」

 コヨーテは言葉を詰まらせた。
 ここから先は想像でも言葉にしたくない。
 察したのか、夢魔は再び耳障りな笑い声を上げた。

『無論、この娘を我が物にするためよ。病で身体が弱っている時を狙い、悪夢を見せ続ける。そうしてこの娘を食い潰すのだ!』

「……、」

『見よ、この可愛らしい寝顔を』

 けたけたと笑い続ける夢魔を無視して、コヨーテはルナの身体を揺らした。
 苦しむ様子は一向に変わらず、起きる気配が全くない。

『もう遅い! この娘が目を覚ます事はない! 悪夢にもがき苦しみ、精神をすり減らし、廃人同然となった娘が次に目を覚ますのは、我が奴隷となる時なのだああ!!』

「……黙れ」

『せいぜい可愛がってやるわい!』

「黙れと言っている!」

 コヨーテは思わず叫んでいた。
 耳障りなのは笑い声だけではなかったのだ。
 夢魔の存在そのものが、ひどく鬱陶しくて邪魔だった。

「何を勝ち誇ったような面をしている……貴様の語った目論見は全て夢物語だ」

『あ?』

「自分が夢魔である事を呪え……」

 自分でもぞっとするほどの冷たい声だった。
 冷静になろうとしすぎて声まで冷え切ってしまったのか。

『……フン、ならばお前から始末してやるわい!』

 天井から身を離し、夢魔はコヨーテ目掛けて鋭い鉤爪を振り下ろす。
 対するコヨーテは依然としてルナの手を握ったままである。

「――翼を」

 一瞬にしてコヨーテの背中から漆黒の片翼が噴き出した。
 【黒翼飛翔】により生まれた半実体の片翼は夢魔の鉤爪を難なく受け止める。

『何っ!?』

「――喰らえ、黒狼」

 コヨーテの左手がもぞりと蠢く。
 態勢を立て直される前に、【天狼突破】によって左手を変換した黒狼が夢魔の翼を食いちぎっていった。

『ギャアァァァ!? お、お前は、まさか……!!』

。言っておくが、最強の夜の眷属はこんなものじゃない」

 コヨーテはこれまで何人もの吸血鬼と敵対し、その度に戦いを潜り抜けてきている。
 彼らと比べれば夢魔の攻撃なんてまるで遅い、まるで温い。
 人をじわじわ弱らせてからでなければ食事もできず、奴隷も拵えられない夢魔ごときが太刀打ちできる相手では決してない。

「貴様の無知を呪え……!」

 黒狼を左手に戻したコヨーテは、弾かれて空中にあった夢魔の頬に強烈なフックを叩き込んだ。
 声にならない声を上げながら夢魔は成す術もなく吹き飛ぶ。
 しかしコヨーテの攻撃はそれだけで終わらなかった。

『なあぁぁぁ!?』

 黒い片翼を伸ばし、夢魔の身体を受け止める。 
 強引にコヨーテのもとへ引き戻された夢魔は再びコヨーテの左拳で打ち据えられる。
 吹き飛ばされた夢魔は再び片翼で引き戻され、左拳が炸裂する。

「よりにもよってルナを狙った、貴様の不幸を呪え!!」

 最後の一撃が胴を打ち据え、夢魔はあらゆる体液を振りまきながら部屋の隅へと吹き飛ばされた。
 もう何度殴ったか覚えていないが、半分とはいえ吸血鬼の全力で、殺すつもりで殴ったのだ。
 何度か骨が砕け、内臓が潰れるような感触がした気がする。

 床や壁に叩きつけられた夢魔は、少しだけもがいた後は二度と動かなくなった。
 その身体はまるでポップコーンのように弾けたが、おそらく体内の魔力が行き場をなくして爆ぜたのだろう。
 夢魔の破片や体液は、すぐに溶けるように消え去った。

「……、」

 驚くほどに冷静な頭で、まだ感触が残る左手を握り締める。
 こんなに激昂している自分に少なからず困惑しながらも、コヨーテは頭を振った。
 これでルナの悪夢も終わるはずだ。

「――あう……、ぐっ……」

 ルナの顔は未だ苦悶に歪んでいる。

「ルナ……? ルナ!」

 名前を読んで何度も揺するが、一向に目を覚ます気配がない。
 この娘が目を覚ます事はない。
 夢魔の言葉が頭をよぎる。

「コヨーテ……たす、けて……」

 熱い吐息と共にか細い声が吐き出された。
 ルナは夢の中からコヨーテに助けを求めている。

「……ルナ!」

 コヨーテには手段なんて残されていなかった。
 できる事といえば気休めくらいしかない。

「……っ、」

 コヨーテは意を決してルナの柔らかい唇に触れた。

 別に変な下心があった訳じゃない。
 とにかくルナを救おうと必死だった。
 その根拠が幼い頃に聞いた童話が元なのだから笑えない。

「………………」

 しばし無音の状態が続いた。
 コヨーテはゆっくりと、ルナの唇から離れる。

 心臓が不気味なほどに早くリズムを刻んでいる。
 それはどっちの意味でそうなったのだろうか。
 考える事すらできずに、ただじっとルナの様子を見守る。

「あ……れ……?」

 ルナは目を覚ました。
 胡乱な視線を彷徨わせて、やがてコヨーテを見た。

「……良かった。心配したよ」

「コヨーテ……? ……、ああっ!?」

「どうした!? まだ何かあるのか!?」

「あーーーもーーー!! いいところだったのにぃ!!」

「……、………………ん?」 

 両手で頬を包みながら、ルナは震えている。
 しかし、どうにもそれは悪夢の恐怖からくるものではなさそうだった。

「せっかくいいところだったのにっ! どうして起こしちゃうんですかぁ……!!」

「どうしてって……」

「……ま、結局夢は夢ですし、仕方ないですかねぇ」

「オ、オレがどれだけ……!」

 張り詰めていた空気が弛緩し、同時にコヨーテは一気に疲れを感じた。
 だが、ようやく危機が去った事を告げる疲労感は案外悪いものではない。

「はぁ、なんだかお腹が空きました」

「食欲が戻ったのは結構だが、今から食べるのか? 寝る前に食べたら太るぞ」

「……我慢します」

 しょんぼりしたルナの額に触れる。
 もしやと思ったが、やはり熱は引きつつあるようだ。
 あの体調不良も夢魔によるものだったか、あるいは悪夢から解放されて精神的に余裕ができたためか。

「じゃあ、また眠るといい。朝食は少し豪華にしてやるから」

 握っていた手を離すと、ルナは名残惜しそうに右手をさすった。
 悪夢を見せていたのは夢魔だった事、そしてそれがすでに消滅した事実を知らない彼女はまだ不安なのだろうか。
 大丈夫だ、と短く声を掛けてやるとルナははにかむように笑った。

「コヨーテ」

 ランタンの灯りを落とそうとしたコヨーテの背に、ルナの声がかかる。

「コヨーテのおまじない、よく効きますね」

「え? ……ああ、あれか」

 効いていないように見えたが、結果的には悪夢にならずに済んだという事だろう。
 コヨーテは本当の事は言わないでおく事にした。

「いいまじないだろう?」

「はい。コヨーテの手を握っていたら、とってもいい夢が見られました」

 少し照れたように頬を染めて、ルナは嬉しそうに言う。

「どんな夢だったんだ?」

「え、えっと……別にそんな取り立てて話すようなものでは……た、たぶんコヨーテが聞いたって面白くないと思いますし!」

「面白いかどうかなんて聞いてみないと分からないだろう」

「だっ、だめですっ! 秘密です!」

「そんなにか……」

 そこまで頑なに断られてはコヨーテも深く追求しない。
 何にせよ、ルナにとっていい夢が見られたのならそれでいい。



(……そんなの言えるはずがありません)

 コヨーテが部屋を出て、ルナは静かに目を閉じた。
 もう一度続きを見るために、さっきまで見ていた夢を思い出す。

 魔物に襲われているルナを白馬にまたがった王子然としたコヨーテが颯爽と助けに来てくれて、挙句に最後にはキスまでしてしまう夢を。

 誰も見ていないにも関わらずルナは両手で頬を覆った。
 顔が熱いのは熱のせいでは決してない。

(つ、続きを期待しているなんて……言えません)

 それからしばらくの間、ルナは眠れずにベッドの上でじたばたごろごろしているのだが、翌朝には元気な姿を見せるのだろう。
 果たして夢の続きが見られたのかは、彼女のみが知る事である。


To Be Continued...  Next→


【あとがき】
今回のシナリオはナギンさんの「夢魔」です。
体調不良の女性PCと、それを看病する男性PC、というとても美味しいシチュエーションの恋愛系シナリオです。
初々しい関係の二人でどうぞ……!

女性PCに見せるやさしさとか黒幕さんにキレる男性PCの姿はすばらしいですね!
しかし何と言っても悪夢の内容がえぐい!(褒め言葉)
持ち上げて落とす、基本ながらきっついです……!
タイトルからえっちいほうを連想した人は容赦なく叩き落されます。

さて、今回のリプレイは時系列としては第三五話の間になりますね。
一日目の途中でルナが離脱した後から夜までの間で今回がスタートしています。
そして今回はいつもと違ってコヨーテの様子が少し変です。
その辺りは彼の言葉遣いにも変化が現れているので気づいてもらえたら嬉しいですね。

さて、次回は第三五話の続きです。
乞うご期待!

【コヨーテのハメ技はおれらのシマじゃノーカンだから】


☆今回の功労者☆
コヨーテ。ずっと右手が使えないながらもがんばってくれました。

報酬:
なし


銀貨袋の中身→7477sp

≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『夢魔』(ナギン様)


今回使用させて頂いた固有名詞
『ユーシェ学院』(出典:『Criss×Cross(後編)』 作者:ほしみ様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。
スポンサーサイト


この記事へのコメント

この記事へコメントする














(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

周摩

Author:周摩
しがないリプレイ書きのブログです。

Info.
当ブログはリンクフリーです。報告は不要ですが、あれば相互リンクさせていただきたいと思います。

周摩のシナリオはこちらへどうぞ。

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。