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第四〇話:『深き淵から』 (1/3) 

 ハマオ村を離れて幾日か経った快晴の日、『月歌を紡ぐ者たち』は木陰を選んで思い思いに休憩していた。
 雲ひとつない空から照りつける日差しはうんざりするほど強く、昨晩の通り雨のせいで蒸し暑い。
 時折吹いてくる風で何とか涼は取れるものの、海が近いせいで肌がべたついて仕方がない。

「……水浴びがしたいです」

「近くには海しかないけどね」

 レンツォもすっかり参った様子で木の幹にもたれかかっている。
 霧が出ていたためむしろ肌寒いくらいだったハマオ村がもはや懐かしい。

 とはいえ愚痴っていても涼しくなるわけもなく、肌のべたつきが消えるわけでもない。
 『月歌を紡ぐ者たち』は手持ちの道具でただひたすらに耐えるのだった。
 すっかり温くなった革袋の水でも手拭いを湿らせるくらいの役には立つのだ。

 それから半刻ほど経った頃、リューン行きの乗合馬車が到着した。
 普段であれば贅沢な帰路となるが、無理して歩くほどでもない。
 日差しは暑いが懐は暖かいのだ。

「待って! ちょっと待って! そこのリューン行き! ついでにそこの人たち!!」

 唐突にコヨーテたちを呼び止める高い声が聞こえた。
 何事かと声のほうへ向き直ると、大きな瓶を抱いた少女が馬車に駆け寄ってきている。

「ねえ! 突然で悪いんだけど、リューンへ行くんでしょ? ひとつ、頼まれてくれない?」

「いきなりだなぁ。誰、きみ?」

「あ、ごめん。不躾だったね。あたしはマリナ。この近くで海女をしているの」

「僕はレンツォ。んでリューンの冒険者『月歌を紡ぐ者たち』さ」

 レンツォが自己紹介を済ませるとマリナはぱあっと表情を明るくした。

「やっぱりリューンの人なんだ。ねえ、届け物をお願いしたいの。もちろん、お礼はするわ!」

「だってさ。コヨーテ」

「……内容による。あまり大掛かりな仕事になるなら、『コレ』だしな」

 コヨーテは手に抱えていたレーヴァティンを軽く掲げた。
 道中での夜営で火を熾して以来、ずっとレーヴァティンは沈黙を続けている。
 バリーの見立てによれば単に内包していた魔力が枯渇した事で炎が出せなくなっただけだという。
 だが火炎が使えなければコヨーテは精気変換の術を失い、大きな戦力ダウンとなる。
 よって、コヨーテだけは道中で別れてフォーチュン=ベルへ向かうつもりなのだ。

「簡単よ。リューンの精霊宮にこれを届けてほしいの。一応、生モノだからなるべく早くお願いね」

 マリナは手に持った瓶を差し出した。
 水の張られた瓶の中にたゆたうのは黒くて丸い何かを包む半透明の膜、端的に表せば見慣れない何かだった。

「なにこれー、何かの内臓? たまご? ちょっとぐろーい」

「こいつァサメの卵だな。俺もこの眼で見るのは初めてだが」

「その通りよ。あたしたちは『人魚の財布』って呼んでるわ。真ん中の黒いのが段々とサメの形になるんだけどね」

 真ん中の黒いものが卵の核であり、それを覆う半透明の膜が卵殻である。
 見た目では分かりづらかったが卵殻は驚くほど丈夫だという。

「しかし、どうしてサメの卵なんか精霊宮に届ける必要があるのよ?」

「サメの卵自体はそう珍しいものじゃないわ。でもね、これ海の中でぼーっと光ってたのよ」

「……、なるほど。弱いけど精霊の力を感じるわね」

「はっ? ミリアお前いつから精霊力を感じられるようになってんだ。デタラメ吹いてんじゃねぇだろうな」

「失礼ね、昔っからよ。といってもこうして間近でじっくり観察してようやく、ってところだけど」

 バリーは魔力に関してはエキスパートだが、精霊力に関しては門外漢だ。
 魔力に匹敵するほどの精霊力ならまだしもこうまで微弱では感じられないのも無理はない。

「海の底でね、すごくきれいだったの。思わず拾ってきちゃったんだけど、村長が聞きつけてね。何か胸騒ぎがするらしくて」

「胸騒ぎ?」

「うん。あたしは数日、瓶に入れて眺めてたけどなんともなかったわ。弟も珍しがってたし……でも、村長の勘は当たるのよね」

「まぁ、光る卵なんて不気味ではあるけど……」

「そこで、リューンの精霊宮に知り合いがいるからって伝書鳩で相談したらすぐ届けてほしい、って」

 だからこそ彼女は乗合馬車の停留所に駆けてきたのだろう。
 ここから馬車を乗り継げば明後日にはリューンに着く。

「精霊宮にはもう話はつけてあるから、卵と村長の手紙を渡せば銀貨三〇〇枚って約束なの」

「ふぅん。どうする、コヨーテ? 私たちにとっては帰り道だし、悪くない依頼じゃない?」

「そうだな、請けてもいい」

「何か歯切れ悪くない? まさか、あんたも……」

「まぁ、な。それにオレは最後まで面倒見られないわけだし」

 胸騒ぎを覚えたという村長も勘は当たるほうだそうだが、コヨーテの勘もよく当たると『大いなる日輪亭』では有名だ。
 引っかかるものがあるというのに途中で依頼から外れるとあっては、リーダーとして気が気でない。

「この件、決定権はミリアに一任するよ。違和感があるとはいえリューンまではたった二日だ。精霊力も微弱だというし、取り扱いに気をつけてさえいれば大事にはならないかもしれない」

「そうねぇ……」

 ミリアは逡巡の後、マリナに向き直る。

「ねえ、あなたはどうして自分で行かないの? 複雑な道程ではないし、銀貨三〇〇枚なら割のいい仕事だと思うけど」

「う~ん。確かに銀貨三〇〇枚は大金だし、都会を見てみたい気持ちはあるわ。でも往復だけで五日かかるのはどうしようもないの。今は大事な漁の季節だし、あたしは海女。漁を放り出しては行けないわ」

 あまりにも真っ当な意見だった。
 その言葉に何かを誤魔化すような澱みやつかえは一切見られない。
 どうやら信じてよさそうだ。
 少なくとも彼女だけは、だが。

「決めたわ。依頼を請ける。運ぶモノはちょっと変わってるけど、リューンの精霊宮までならいつもの帰路とそう変わらないからね」

「ありがとう! それじゃ、はいこれ」

 マリナが渡してきたのは一通の手紙と、背中に背負っていた大きな皮袋だった。
 手紙のほうはさっき話していた精霊宮へ宛てた村長の手紙だろう。
 だが皮袋のほうは正体が分からない。

「海水よ」

「……なんでまた海水?」

「だって生モノだもの。毎晩、半分ずつお水を替えてね。そうすれば明後日ぐらいまでなら生きたまま運べると思うわ」

「世話が要るなんて聞いてないんだけど」

「生きたまま運ばなきゃ意味がないでしょ? とにかく、よろしくね」

 肩の荷が下りたからか、マリナは表情を明るくして駆け去っていった。
 残されたのはサメの卵と手紙と海水である。

「……担当を決めておきましょうか」

「そうだね。僕はミリアが適任だと思うけど」

「ちょっと。どうしてそうなるわけ」

「だって僕らじゃ精霊力の云々なんて分からないし」

 うぐ、とミリアは言葉を詰まらせた。
 こういう状況になった場合、大抵はコヨーテが何かと理由をつけて引き受ける場面が多かったが、今回ばかりはそうもいかない。
 吸血鬼にとって海水は弱点のひとつでもあり、それに触れろというのは酷すぎる。
 それにコヨーテは途中で別行動するのだ。
 卵の世話などできるはずがない。

「……くっそー、分かったわよ。私がやるわ」

 半ば渋々といった様子でミリアは荷物を受け取った。
 話がつくまで待っていてくれた御者に礼を述べて、『月歌を紡ぐ者たち』は馬車へ乗り込んだ。



 『月歌を紡ぐ者たち』を乗せた馬車は順調に街道を進み、やがて小さな宿場町に辿りついた。
 贅沢な馬車の旅ではあるが、一日中揺られるだけというのも身体に堪える。
 一行はそそくさと手近な宿に入った。

「可もなく不可もなくって感じかなー?」

「思ってても口に出すなよ。値段のほうはリーズナブルなんだから」

 不味くはないが取り立てて美味くもない食事を済ませると、すっかり夜も更けてしまっていた。
 宿屋の一階には『月歌を紡ぐ者たち』しかいない。

 明日も再び馬車に揺られるだけの帰路である。
 多少羽目を外しても構わないのだが、どうにもそんな気分にはなれなかった。
 明日の仕込みのためか宿屋の主人はほとんど厨房に引っ込んでいて注文しづらいというのもあるが。
 そこでチコがむにゃむにゃ言い出したので、自然と解散の流れになってしまった。

「ミリア、例の卵の世話忘れないようにね」

「分かってるわよ」

 ミリアは渋々といった様子で件の瓶と皮袋をテーブルに載せる。
 そうしている内に一人また一人と部屋に引き上げていき、やがてコヨーテだけが残った。

「明日から任せたぞ」

「ん。任されたわ。とはいえ帰るだけだし、そんなに心配しなくても大丈夫よ」

「もし何かが起こったらお前がまとめるんだぞ」

「リーダー代理でしょ。重いわね」

 ミリアは肩を竦めた。

「あんた、ほんっと良くやってるわよ。私が言うのも何だけど、結構なひねくれ者だったりフリーダムだったりなのがいるじゃない。そんなのをまとめあげて引っ張っていくなんて、まぁ、その、面倒そうだと思うわ」

「……否定はしないが。言うほど大変じゃないさ」

 もう慣れたよ、とコヨーテは付け加える。

「だからこそ、というべきか。今回みたいな状況はある意味では好ましくもある」

「サブリーダーの育成ってわけ?」

「役割が定着化すると不慮の事態に弱くなる。技術的な分野、つまりルナの秘蹟を用いた治癒やレンツォの盗賊技能による調査や解錠といった技術は難しいとしても、リーダーや参謀といった役割なら割り振れるからな」

 この考えを意識していたわけではないが、『月歌を紡ぐ者たち』は結成当時から参謀がバリーに固定されないよう話し合いの場を設けている。
 主にメンバー間での認識の齟齬を防ぐため、個々人の発想力を引き出すために行ってきていたものだ。
 そうした話し合いを積み重ねていく内に『仲間ならこう考える』といった思考の向き先、組み立て方を自然に身につけていた。

 『月歌を紡ぐ者たち』も結成してもうすぐ一年になる。
 駆け出し時期の死亡率が高い冒険者パーティとしては割と長いほうだろう。
 だが、いつまでも同じメンバーでやっていけるとは限らない。
 経験を積んでおけば仮にパーティが解散したとしてもただひとつの役割に固執せずに済む。

「……まさかサブに私を、って考えてる?」

「実力は申し分ないし信頼もできる。素質は十分にあると思うぞ」

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。自侭だとは思うんだけど、私はまだしばらく『戦士』でいたいの。統率者、っていうか集団の上に立つのはもう少し後にしたいのよ」

「……驚いたな」

「何よ?」

「いや、以前の君ならガラじゃないって突っぱねると思ったからさ」

「あー……そういえばそんな感じで断った気がするわ」

 『月歌を紡ぐ者たち』が結成したその日の出来事である。
 様々な色濃い体験をしてきたとはいえ、まだまだ記憶に新しい。

「ま、色々あってね。心境の変化があったのよ」

 少し照れたようにミリアは頬を掻く。

「いくら目を逸らしてても、この前みたいに無理やり表に出てくる事もあるみたいだし。少しは自分と向き合う必要があると思ったのよ。いずれキルヴィの里を引っ張ってかなきゃいけないらしいし」

「里とは和解したと聞いてはいたが、そっちは初耳だぞ……」

「そうだったかしら?」

 ミリアがキルヴィの里のエルフと和解したのはロスウェル五月祭、通称『紅蓮の夜』での一幕だ。
 当時はコヨーテも吸血鬼関連のゴタゴタを抱えていた上に祭の主役とも言うべき立ち位置で吸血鬼との戦いを終えた直後だった。
 ミリアの説明が簡素になったのも、割とプライベートに関わる事情が報告されなかったのも、責められるものではない。

「しかし、そうなると誰を……」

「適任とまでは言わないけど、務められそうなのはいるじゃない」

「もしかしてルナを指しているのか?」

「おや、分かってるじゃない」

「確かに彼女は気が弱いところはあっても土壇場で間違った判断は下さないだろうが……」

「以前とは違って押し流されるほど弱くはないわ。仲間内で物怖じしなくなってるし、外に向けてなら私やバリーに任せればいい。あの子ね、たぶんあんたと似たようなタイプよ。周りがリーダーを支えるために『何かしよう』って思えるタイプ。ルナの場合はそれが少し大きくなるでしょうけど」

 コヨーテは自らが先頭に立つ事で周囲を引っ張り、仲間の支援を得てパーティをまとめ上げるタイプである。
 一方のルナは周囲を引っ張る力はないが、自身が仲間を支える事で必然的にパーティがまとまるタイプである。

「ちなみに、ミリアの評価として他のメンバーはどうなんだ?」

「他人を評価できるほど自惚れちゃいないつもりだけど……ま、個人の意見って事で聞き流してもらえたらいいわ。まずはバリー、彼は最も合理的で現実的な解を導き出せる存在ね。ただ、それが本当にパーティとして正しいか、やりたい事なのか、という点は保証できない。世の中正しければそれでいいってものじゃないでしょ?」

 頭の冴えでバリーの右に出る者はいない。
 逆に彼以上に状況を多角的に判断できる者が少ないのだ。
 その判断を否定できるだけの材料を集められない場合、彼の独断で物事が進んでしまう可能性が高くなってしまう。

「次にチコ。あの子もルナのように周囲がどうにかしよう、って気持ちが強くなるタイプだと思うけど、たぶん子供だからって要素が強いわね。気まぐれなところがあるし、自身の手に負えない相手に対しては臆病になりすぎるきらいがある。判断力に欠けると言い換えてもいいわ」

 チコは戦いの場においてはルナよりも精神的な面で勝る。
 だがそれも経験や自信から来るもので、わずかでも実力が上の相手が現れると委縮してしまう。
 大切なものを喪った彼女のトラウマが深く影響しているのだろうが、これを乗り越えられないと良い方向への判断は下せない。
 逆に、心身が成熟していくとともに克服できる場合もあるため、長い目で見れば素質はあるはずだ。

「最後にレンツォだけど、あいつは自身をわきまえてるって言うのかな。リーダーに必要な素質が足りない事を自覚してる。だけどそれでいいのよ、盗賊なんだから。他のメンバーが口に出しづらい道筋を提案できるのも彼の強みだし、状況に応じてあれこれと意見を変えられる身の軽さもリーダーには不要でも盗賊には必要よ。だからあいつはそれでいいの」

 レンツォは生粋の盗賊だ。
 剣が振れなくても魔術が扱えなくても奇蹟を起こせなくても、彼には盗賊の技術と知恵がある。
 リーダーとして矢面に立つ事はできなくてもその背を支えるには十分で、同時に必要不可欠な技能を持っているのだ。

「とまぁ、こんな感じ。概ねはあんたの考えと同じだと思うけど」

「……そういう点も含めて君をサブに推しているんだがな」

「今回の依頼ではやったげるから諦めなさいな。とにかく私が推すのはルナよ。次の機会にでもあの子を試してみたら?」

「考えておくよ」

「そうしなさい。……さ、あんたももう寝なさいね」

 何だかんだで話し込んでしまって、夜もいい時間になっていた。
 どうせ明日も移動に費やすのだろうが、無闇に睡眠時間を削る意味もない。

「卵の世話、頼んだぞ」

 コヨーテはそれだけ言い残して階段を昇る。
 背中には「だから分かってるって」とミリアの声が投げかけられた。
 二階の部屋のドアノブに手をかけたその時、

「――きゃあぁぁぁっ!!」

 階下から絹を引き裂くような女性の悲鳴があがった。
 否、聞き間違えるはずもない、ミリアの声だ。

「ミリア!?」

 コヨーテは一足飛びで階段を飛び降り、一階へと視線を巡らせた。
 ミリアが座っていたはずのテーブルとその周囲は水浸しになっていて、誰の姿もなくなっている。
 ただぽつんと取り残されたようにテーブルの上には水が詰まった瓶と、その中でサメの卵が強く光を発していた。

「……ッ! なんだ、これは」

 単なる発光ではなく、まるで鼓動のように一定のリズムで明滅している。
 その様子に、背中にぞわぞわとした悪寒を感じる。

 コヨーテに流れる吸血鬼の血が告げるのは魔なるものの気配。
 しかし吸血鬼や魔族のように濁った魔力ではない。
 澄み切っているのに、それでいて威圧感ともいうべき力の片鱗を感じ取れる。

「精霊の……力……?」

 卵を受け取った際、ミリアは精霊力を感じると言っていた。
 コヨーテでは感じ取れなかったそれは、今この場において空間を支配するほどに大きなものとなっている。
 だが、それも長くは続かなかった。
 光は明滅の度に弱くなり、それに伴って辺りを支配していた威圧感――おそらくは精霊力――も淡くなっていく。

「――待てッ!」

 直観的に、コヨーテは足を踏み出した。
 ミリアがどこかへ消えてしまった事と、この精霊力は無関係にはとても思えない。
 微弱な精霊力を唯一感じ取れたミリアが独りになったタイミングを狙っての攻撃。
 この事態に対してコヨーテの直感はそう結論付けていた。

 瓶へ――正確にはその中に漂う卵へ――手を伸ばしたコヨーテは、再び膨大な威圧感を真正面から受けた。
 同時に卵はかつてないほどの光を放ち、 

「ッ――!?」

 突然、コヨーテの視界の全てが蒼い波に覆われた。



 始まりはやはり泡だった。

(……、なにこれ。夢でも見てんのかしら)

 目の前が宿屋の一階から仄暗い水底へ変わっていて口から泡を吐き出すという異常事態に、ミリアは驚愕を通り越して現実を疑った。
 試しに唇を噛んでみたが明確な痛みを感じたので夢ではないのだろう。

(でも息苦しくない、っていうか呼吸はできてるみたいだし)

 水の中にあっても呼吸に不自由しないというのは不思議なものだ。
 あんまりな異常事態にミリアは呆然としていた。

(手足は……動かない。感覚はあるのに)

 それどころか身じろぎひとつできそうになかった。
 辛うじて視線を巡らせるくらいだが、光が差していないためほとんど何も見えない。 
 地上と違って勝手が分からないまま探ってみたが、どうやら近くに人の気配はないらしい。

(そうだ私……預かったサメの卵を世話しようとしたんだっけ。それが光って……ちっ、貧乏くじ引いたみたいね)

 今後は迂闊な手の内晒しは控えようと心に決めるミリアであった。
 ともかくいつまでもうじうじと引きずってはいられない。
 どうにかこの場を抜け出そうと考えを巡らせ始めた、まさにその時である。

「………………」

 一体いつからその場にいたのか。
 まるで水の中に溶けていたかのように、はミリアのすぐ近くに漂っていた。

(……誰?)

 まだ暗さに慣れないミリアの眼には、それが単なる魚やクラゲの類でない事だけしか分からない。
 ただそれが人型をしているのは間違いない。

「……、……いて」

 それは口を開いた。
 水の中だというのに、当たり前のように声を発し、その振動はミリアに届く。

「……、聞いて……」

(……この、声!)

 ミリアはかっと目を見開いた。
 声に聞き覚えがあっただけではない。
 サメの卵が強く光を発し始めた際、ミリアは自身を呼ぶ声を確かに聞いていた。
 その直後にミリアは水の中に引きずり込まれ、気を失うに至っている。
 つまりは元凶だ。

『――あなたね、あの声の主は!』

 声を張り上げると、確かに相手に届いたようだ。
 一瞬だけ身を強張らせるも、すぐに頭を振って静かに言い放つ。

「……、眠って」

 指示、あるいは命令。
 魔術や精霊術の素人であるミリアから見ても、その言葉がそういった術式の一部である事は理解できた。
 そして理解できたからこそ、相手の言葉通りに深く眠らざるを得なかった。



 あまりにも不思議な光景だった。
 ぼんやりとした視界はやたらと暗いのだが青く染まっていて、壁の隙間から生えている草のようなものがゆらゆらと揺れている。
 そしてひどく寒い。

「……ッ!?」

 ため息をつこうとして、ゴボリと口から気泡が漏れ出た。
 思わずコヨーテは息を呑んだ。
 いや、実際に飲んだのは水だったのだろうか。

(なん、だ、これは……!?)

 横たわっていた身体を起こそうとするも、いつもと勝手が違う。
 痛みはないのに全身がだるくて腕一本動かすのすら億劫なのに、奇妙な浮遊感によってたすけられた。

 一度も経験がなかったためすぐに気づけなかったが、コヨーテは理解しがたい事実を理解した。
 間違いようもなく、今この場はだった。
 それも、口の中に感じる不快なまでの塩味からしてどうにも海の中らしい。

 コヨーテ・エイムズは半吸血鬼である。
 吸血鬼にとっての弱点である『流水』、その最たるものである海水に全身浸っておいて無事であるはずがない。
 普通の吸血鬼であれば全身がドロドロのグズグズに爛れて原型を留めないのだろうが、コヨーテが受けている影響は半分である事を差し引いても軽い気がした。

『だ、大丈夫ですか?』

 ふと気が付けば、傍にはルナが漂っていた。
 決して描写を誤ったのではない。
 彼女は海水の生み出す流れの中を上手くバランスを取っているようで、すでに水中の浮遊感をモノにしているようだ。

『……少しつらい、が。まだ大丈夫そうだ』

 頭の中の疑問符は一切片付いていないが余計な心配をかけさせても仕方がない。
 半吸血鬼でもあるコヨーテが自分の身体について分からない事を、ルナが知っているはずがないのだから。

「……気づかれたか、陸の民よ」

 一体いつからそこにいたのか、コヨーテの背後にはこれまた青が目を引く男が漂っていた。
 髪も、瞳も、肌も、耳の辺りから生えている魚のようなも、青を基調とした色合いをしている。
 明らかに人間ではないが、どうも敵意や害意といったものはなさそうだ。
 害を成そうと思えば目覚める前にやっているだろう。

「まだ意識がはっきりとしないか。あなた方に施した加護の術は問題なく発動しているようだが」

 よくよく辺りを見回してみると、『月歌を紡ぐ者たち』のメンバーも同じように漂っていたり座り込んだりしていた。
 どうやら彼らも目覚めたばかりのようだ。
 水中でも生存できている様を見せつけられている以上、彼の言う『加護の術』とやらが『月歌を紡ぐ者たち』を護っているのは間違いない。
 もしかしたらコヨーテへの吸血鬼の弱点による影響すらも軽減しているのかもしれない。

「全員、目覚められたようだな。混乱もあると思うが聞いてほしい。陸の民よ、ここは水の眷属の集落だ」

『……だよな。夢じゃないならそう来るのが最も合理的だ』

 バリーも飲み込みきれない事態をどうにか咀嚼している様子だった。

「私は族長のマーレウス。ここは深い海の底。本来なら陸の民は生きられぬ。だが、私の術によって陸と同じように行動できる。安心してほしい」

 すでに陸と同じように動けていないのだが、彼も陸上の生活に関しては深く知らないのだろう。
 とにかう浮遊感と水の抵抗に慣れなければとてもじゃないが陸と同じようには動けない。

『あんたがオレたちをここへ……、いや』

 言いかけて、コヨーテは思い出した。
 先に姿を消したのはミリアだ。
 コヨーテたちは彼女を追うように水中に誘われたに過ぎない。
 目覚めたら水中というショックと弱点からくる倦怠感によって頭の回転が相当鈍っているらしい。

『オレの仲間が一人、先に来ているはずだが……どこへやった』

「そのように思うのは自然だが、それは間違いだ。最初の一人も含め、あなた方を呼び寄せたのは私ではない」

『だったらいったい誰が』

 マーレウスはコヨーテから目を逸らし、ややあって口を開いた。

「……あなた方が再び土を踏むまで身の安全は保証しよう。我らの宝物も譲る。……これ以上何も聞かずにここを去ってはくれまいか」

『何を、言っている? 仲間を置いて帰れと?』

「……、」

『ダメに決まってるだろ!!』

 コヨーテが拒否するよりも早く、レンツォが叫んでいた。
 仲間内ではミリアと最も親しく接していたのは彼だ。
 常人の理解が及ばない事象の前に、明確に仲間が連れ去られたと告げられたのだ。
 取り乱してしまうのも不思議ではない。

「……そうだろうな。そうあるべきだ。すまぬ、私は無茶を言った」

 要求を断られたというのにマーレウスは少しも頓着しなかった。
 むしろそうあってほしいとも願っていたかのように。

「まず非礼を詫びておこう。先にあなた方の仲間をこの水底へ攫ってきたのは我ら水の眷属の一人だ」

『では、すぐにその方からミリアを取り戻してください』

「できない」

『んなっ――!』

「彼女は水の眷属だがこの集落のものではない。私の力の及ばぬところで贖罪を続ける罪人だ」

『族長の力が及ばないって……!』

『つまりミリアを攫ったのは犯罪者って事か?』

「そう言えるだろう。彼女は、メロアは罪人だ。我らも立ち入りを禁じられた地で、独り贖罪を続けている」

 ただでさえ水底で体温が奪われているのに、更に背筋が凍るような寒気がした。
 水の眷属と人間を同列に扱うなどできないが、それでも罪を犯した者に仲間が攫われたという事実は認めたくないほど最悪だった。

「あなた方がこの近くまで運ばれてくる少し前、同じように渦に巻かれて水底へ沈んでくる人影を見た。その渦はメロアが贖罪を続ける『溺死者の祠』のほうへと消えていった。その魔力が残っている内にあなた方も巻き込まれたのだ」

『犯罪者がどうやってミリアを攫う? 人違いの可能性はねぇのか?』

「……メロアは孤独だ。彼女が孤独に耐えかね、陸の民を無理に呼び寄せたのだと私は考えている。そのような技が、かの地には封印されていた」

「罪人を幽閉する場所にそんな危険な術式が封印されてンのかよ……』

 呆れ果てたとばかりにバリーは気泡を吐いた。
 おそらくため息だろう。

『だけど、その罪人がミリアを攫ったのは間違いないんでしょ? だったら完全にそっちの不始末じゃないか。あんたらでその罪人からミリアを取り戻すのが筋ってものじゃないのかい』

「溺死者の祠は禁忌の地だ。我々が踏み込む事はできん。我が名において最大限の手助けはするが……、どうかご理解いただきたい。掟を破った者が罪人を裁く事はできぬ」

『ふざけんなよ……! 自分がまとめてる連中の尻も拭えないような奴の名前なんて何の役に立つんだよ! どこまでも他人事のように言いやがって、ミリアに何かあったら僕はあんたを一生許さないからな!!』

『レ、レンツォ、落ち着いてください!』

 掴みかかる勢いで吼えるレンツォを、どうにかルナが押し留める。

「……あなた方は急がねばならない。メロアは本気だ」

『本気?』

「メロアはおそらく……あなた方の仲間を水の眷属に変えるつもりだ。そうなれば陸では生きられぬ」

『なん、だそりゃ……!』

「メロアには贖罪者としての務めがある。祠にやってくる溺死者の魂から悩みや苦しみの記憶を取り出し、糸として紡ぎ、織り上げる。……メロアはあなた方の仲間の陸の民としての記憶も糸として取り出し、代わりに水の眷属の記憶を織り込むのだろう。それが成されてしまえば、ミリア殿はもはやあなた方の友ではない」

 まるで初めから水の眷属だったように。
 森に生きるエルフとしての記憶も、類稀なる双剣の使い手としての記憶も、『月歌を紡ぐ者たち』のミリアとしての記憶も、何もかもが不要なものとして棄て去られる。
 本人の意思などお構いなしに行われるそれは、あるいは死よりも残酷な仕打ちだ。

『……そのメロアってのはどこにいる?』

 地を這うような低い声。
 それがレンツォの喉から発せられたものだと理解するのに、少しの間を要した。
 火晶石が爆発する寸前のような限界を感じさせる様子だ。

『レンツォ、落ち着いてください』

『落ち着いてるさ。心配ない。むしろ頭が冴えてきたくらいだよ。ミリアが別のモノに変えられてしまう前に連れ戻せばいいんだから、急がないと。……で、どこだい?』

「地理の他にも陸の民であるあなた方には勝手が分からぬ事も多いだろう。ペルナ、ここへ!」

 ゴボゴボ、と泡が噴き出したかと思うと、マーレウスの傍らに長い青髪が目を引く女性が現れた。
 彼女も同じく水の眷属なのだろう。
 その身体はマーレウス同様に輪郭がはっきりしない。

「これは水精のペルナだ。彼女を供につけよう」

 ペルナと呼ばれたウンディーネは恭しく一礼した。

「ペルナ、この方たちは私の客人だ。不便のないよう仕えなさい。溺死者の祠の鍵を預けるが、お前は決して門をくぐってはならない」

「心得ております。では皆さま、参りましょう」

 コヨーテとしてもこんな場所には一秒でも長く居たくない。
 マーレウスの術が効いている内はいいのだろうが、それが効果を失くした瞬間に死を迎えるからだ。
 早急にミリアと合流して陸に上がらなければコヨーテどころか全員の命がない。


To Be Continued...  Next→
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周摩

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