FC2ブログ
≪ 2019 10   - - - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  2019 12 ≫
*admin*entry*file*plugin

第四〇話:『深き淵から』 (2/3) 

『――せいやっ!!』

 ごぼっ、と気泡が立ち上る。

(よおおっし、気力で眠気を振り払ったわ! 私を甘くみないでよね、あんたの好きになんかさせないわよー!!)

 眠気を飛ばすためにやたらとテンションが高いミリアであった。
 しかし相変わらず身体のほうはさっぱり動かず、低い水温にすっかり熱を奪われている。

(手足が動かせないのは凍えてるからってわけじゃないんだろうけど……あぁ、もう。ここまで冷えたら水浴びは十分なのに)

 暑い暑いと唸っていたつい先日の昼間が――時間の感覚はなくなっているが――すでに懐かしい。
 ともあれ、長時間を仄暗い水の中で過ごしたのは間違いない。
 いい加減に暗さにも慣れたかと視線を巡らせるが、しかしほとんど視界の聞かない場所のようだった。

『……っ!!』

 元凶の人影はまたしても暗がりから不意に現れた。
 ミリアは息を呑みながらも、先刻よりも冷静になった頭で言葉を探る。

『あんた、何なのよ。私をどうするつもり……』

「――水よ」

 ミリアの言葉を遮るように、元凶は言葉を紡ぐ。

「漂い、流れ、凍え、変わりながら巡り続けるものよ」

 否、あれは単なる言葉ではない。

『あっ……、あ、あああ……!』

 どくん、どくんとやたらと鼓動を近くに感じる。
 その度に得体のしれない何かがミリアの内側に湧き起こっている。
 強烈な不快感を覚えつつも体は動かず、わずかに身をよじらせるだけしかできない。

「この者を汝と近くせよ。この深き淵の住人とせよ」

『ああ、あ……! が、ぁ……!!』

 不快感が痛みに変じる。
 内側から外側へ抜け出ようとする何かがミリアの体内をめちゃくちゃに暴れだした。
 身体がバラバラになりそうな激痛に耐えかねたミリアは意識を手放さざるを得なかった。

「……ごめんなさい」

 意識が吹き飛んでいく刹那、その言葉は確かに元凶の声で発せられていた。



 異常な事態に陥った冒険者の行動とは画一的なものだ。
 大きな行動に移る前にまず情報収集、これに尽きる。
 最善を選択しているという点では文句のつけようもない行動であるが、人質を取られている状況ではどの程度まで情報を集めるか、加減を調節しなくてはならない。

 族長マーレウスおよび水精ペルナから得られた情報は粗放ではないがやや不足があった。
 どうにも彼らは全体を統括する立場にあって現場に赴かないタイプのようで、溺死者の祠やメロアについて概要を話せてもより深く質問すると答えあぐねるといった具合だ。

 初見の、しかも海中という地理に疎いにもほどがある『月歌を紡ぐ者たち』にとって道案内は必要不可欠であるにも関わらず、水精ペルナはそこに近づいた事もないらしい。
 もっとも、マーレウスの集落の者は誰も彼も似たようなもので、本来は禁忌の地である溺死者の祠に近づこうという者はいないのだという。
 彼女は癒しの術を得意とするが故に族長に見込まれたと言っていたが、事ここに至っては何よりも情報が欲しかった。

『で、バリーの意見としてはどうなの?』

 レンツォは水圧に耐えきれずに割れてしまった薬瓶を皮袋に選り分けて荷物袋の底のほうへ追いやり、まだ無事なものだけを選びつつ問いを投げかけた。

『本来なら魔術と精霊術の間に明確な差はねぇ……が、この場合は例外だ。魔術において記憶の操作は禁呪クラスの難易度だ。いくら精霊といえどそんなモンに手を出せるほど高位の魔術師とは思えねぇ。……だな?』

 ペルナは静かに肯定した。

『つまりは精霊術だろ。俺にも分からん』

『これっぽっちもかい?』

『気休めが欲しいんなら希望的観測に満ち溢れた非現実的な言葉でも吐いてやるが?』

『……いい。僕も君と同じく現実主義者だからね』

 危険を冒す者と書いて冒険者ではあるが、好き好んで危険に身をさらすのはただの愚か者だ。
 彼らは危険の度合いを調べ、吟味し、知識と知恵によって判断を下す事で乗り越えてゆく。
 現実を見ない者では冒険者は務まらない。

『となれば行動あるのみだが……、コヨーテの具合はどうだ』

『過去最悪と言っていい』

 もはや単独では立っていられないほどに、コヨーテは消耗している様子だった。
 ルナに肩を借りて直立してはいるもののまぶたを閉じて指先はだらんと垂れている。
 水中でなければこうまで消耗しなかっただろうが、浮力がなければルナ一人では支えられなかっただろう。

『無理はするな。ミリアを助けるためにお前が死んじまったら意味ねぇんだからよ』

『……状況のマズさは正しく理解しているんだろう? 泣き言を言っている場合じゃない』

 陸上なら『月歌を紡ぐ者たち』に対処できない事態というのはそう多くないだろう。

 だが、水中では普段の実力の半分すら出せるかどうかも分からない。

 パーティで唯一水中に適応できそうなミリアは敵方に囚われ、コヨーテは著しく弱体化、バリーの得意とする火炎術式や催眠術式は封じられている。
 チコの射撃は辛うじて使えるだろうが射程や精度はガタ落ちしているはずだし、残りのメンバーは戦闘要員ではない。
 つまり荒事になってもまともに戦えるメンバーがいないのだ。

『分かってねぇなァ。今のお前じゃ足手まといだっつってんだよ』

『ッ……、』

『何をそんなに焦ってんのか……まァだいたい想像はつくが、お前が責任を感じる事ァねぇよ。こんなモン回避不可能な異常事態だ』

 図星を突かれたコヨーテは言葉を詰まらせてまま黙り込んだ。
 今回の一件に関して、コヨーテは決定権をミリアに預け、一任している。
 もしも立場が逆だったなら、この場には海水に苛まれず、戦力として申し分のないミリアが立っていたはずなのだ。

『もしミリアが攫われた事を自分の責任だって思ってんなら見当違いだよ。精霊力だとかいう訳の分からないものに対して無関心なままその危険をミリア独りに背負わせたのは僕らだって同じだ』

 一刻を争う状況で後悔している暇なんてない。
 責任の所在もすべて終わった後で問えばいい。
 今成すべき事は何か、そのために自身が何を成せばよいか、考える必要があるとすればそれだけだ。

『はぁ、まさかこんなに早く「次の機会」が来るとはな……』

 独白のような呟きの後に、コヨーテは自身を支えてくれていたルナから離れた。

『今回、オレはリーダーから外させてもらう。オレの代わりはルナに任せたいが、どうだ?』

『ええっ、私ですか!?』

『代理なら俺がやってもいいが?』

『いつものような前衛後衛の概念がないんだぞ。敵が現れたとして、それの眼前で術式を展開させながら周囲に目を配れるのか?』

『しかし普段の実力を発揮できるかも怪しい未知の領域だぜ。セオリーなんかあってないようなモンだ、ルナには少し厳しいんじゃねぇか?』

『だとしてもバリーの術式は数少ない武器だ。可能な限り攻撃に集中してほしいし、何より魔法に関しては代わりが利かないだろう』

 それに、とコヨーテはルナに向き直って続けた。

『ミリアも君を推していたし、おそらくルナが一番オレに近い思考をしている、と思うから……』

 コヨーテの言葉尻が萎んだのは疲労のせいだけではないだろう。
 その風貌からも察せるほどにルナは押しに弱く、おまけにプレッシャーにも弱い。
 あまり強く押しすぎると却って逆効果だ。

『……分かりました。どこまでやれるか分かりませんがやってみます』

 こうしてルナを中心とした臨時体制を組み上げる運びとなった。
 海中というイレギュラーなフィールドにどう適応するかの議論もそこそこに、ルナ率いる『月歌を紡ぐ者たち』は溺死者への祠へと向かう。

 タイムリミットは刻々と迫りつつある。



(……、う……)

 ゆっくりと瞼を開けても、見えるのは薄暗い海底だけだ。
 ミリアは靄がかかったようにぼんやりとする頭を唇を噛んで覚醒させようとするが、うまく力が入らない。

(っ、……自分の身体じゃないみたい。いきなり行動の自由が持ってかれたわね……)

 その感覚とどれだけ格闘していたのだろうか。
 気が付けば周囲の薄暗い闇が少しだけ和らいだ気がする。
 目が慣れてきたのだろうか。
 青とも黒ともつかなかった闇が、今では遠くまで見渡せるようになっていた。

「……まだ、痛みますか?」

 いつの間に現れたのか、元凶の人影が目の前に漂っていた。
 今ならその人影が女性の姿をしている事も、彼女が人ならざる者――おそらくは水精――である事も見て取れる。

「息は苦しくないですか? ……怖いって、思ってますか?」

「ぁ、……! ……、……!?」

 冗談じゃないわ、と叫んだつもりだった。
 だがどれだけ口を開けて舌を動かしても声らしい声は発せられなかった。
 もはや声すら出なくなってきている。

「……あなたが、」

 水精はそっとミリアの頬を撫で、

「あなたがそんなに苦しむなんて思ってなかったの。でも、言い訳ね……」

 まるで慈しむように、悲しげな眼差しでミリアを見つめた。
 彼女の瞳に後悔の色はない。
 が、少なくとも申し訳なさだけはどうしてか感じられた。

「今のあなたとお話するのは辛いんです……もうすこし、我慢してください。もうすこし……そうすれば、水の温度にも慣れるわ。恐怖も不安も消えるでしょう」

 もしかしたら彼女はミリアを助けてくれていたのかもしれない。
 水の中に引きずり込んだ元凶は別にいて、水中に適応できるように術式を施していて、それが思っていた以上にじゃじゃ馬なだけだったのかもしれない。
 そんな考えを抱いた次の瞬間、水精は薄く引き伸ばしたような笑みを浮かべて、

……」

 そう言い残してその姿を消した。
 一瞬前の自分をぶん殴ってやりたい気持ちに駆られるほどにミリアは自らを恥じた。
 コヨーテに対して甘いだの何だのと言っておきながらこのザマか。

(……とにかく。自分が置かれている状況をまとめてみましょうか)

 今は強制的な眠気や痛みもない。
 頭のほうは相変わらず薄ぼんやりとしているが、何もしないよりはマシだ。

(命を取るつもりはない、かな。でも、この身体の違和感……それにさっきの言葉。案外、似たようなものなのかも)

 ヒト一人を水中まで転移させる術式に、水中に適応させる術式、そして現在進行形でミリアの身に起こっている現象。
 これらの大掛かりな術式を用意していたのだ、洒落や冗談で済まされるような結末は待ってはいないだろう。

(このままここにいれば私は私でなくなる……にわかには信じられないけど。正直、冗談キツすぎるわね)

 もし身体が自由に動くのならあの水精の首をすっ飛ばしてでも阻止するところだが、出来もしない事をぐだぐだ考えていても仕方がない。
 ミリアは怒りを鎮め、まずは冷静さを取り戻してから次の行動を考える必要がある。

(そう簡単には……、負けてやらない……!)

 決意を新たに、ミリアは小さく泡を吐いて心を研ぎ澄ませる。

 ミリアが再び目を覚ました。
 自らが気絶していた事にしばらく気づけないまま、ただぼうっと緩やかな潮流の中で漂っていた。

(……、短い夢をいくつも見た気がする……何だったかな……?)

 眠くはないのに寝ぼけている感覚。
 何故かとても時間がゆっくりと動いているような感じがした。

(……この状況で見ていた夢が、最近宿の娘さんが開発した新しいメニューだとか、鏡とにらめっこしている親父さんだとか……とても言えないわね)

 ようやく夢の内容を思い出せた時には、目覚めてから相当の時間が経っていたのだがミリアは気づかない。
 光もおぼろげな深海では時間の感覚なんて持っているほうが異常だ。
 だが、ミリアの感覚が狂っているのはそれだけでは決してない。

(みんな、どうしてるかしら……私がいなくなった事にはもう気づいてるといいんだけど)

 しかし場所が場所だけにコヨーテだけは来たくても来れそうにないな、と思い直して、ミリアは少しだけ笑みを浮かべた。

(旅の宿から海の底、ってね。突飛な話ではあるわよね)

 それでも『月歌を紡ぐ者たち』の諦めの悪さはミリア自身がよく知っている。
 コヨーテの不撓不屈の精神を、叛逆の魂を知っている。

(……私が諦めるには早すぎるわ)

「………………」

 再び、あの水精がどこからともなく目の前に現れた。
 これで二度目だ。
 ミリアはあからさまに驚くような真似はしなかった。

「あんた――ッ!」

 しかし自らの喉から声が出た事に驚いて、ミリアは次の言葉を紡げない。
 声が出せないほど何らかのダメージを負っていたのだ、普段なら快復の兆しかもしれないと喜んだだろう。
 だがここは海中だ。
 陸の民であるミリアが生存できている以上、何らかの魔術で適応させられているのだろうが、その中で声が発せられる事が果たして良い方向に向かっていると誰が断言できるだろう。

「………………」

 そんなミリアの葛藤も水精には一切届かない。
 彼女の青褪めた華奢な手が静かにミリアに伸ばされる。

「触らないで! ――痛ッ!」

 咄嗟に声を出してもその手が止まる事はなかった。
 彼女の手にしていた藍色の針が鎖骨の傍に突き立てられ、ミリアは痛みにその身をよじるが、依然身体の自由は利かないままだ。
 磔刑のごとくそのまま貫かれるのかと危惧したが、小指の爪ほどをミリアの肉に食い込んだところで止められた。

「――我が待ち人、アウディトゥアに」

 どうやら針を刺すためだけに現れたらしい水精は、それだけ呟くと泡と共に消え去った。

「く、そ……逃げるんじゃ、ない……わよ……!!」

 じりじりとした痛みが不快で、とにかくこの針を抜き去ってしまいたかった。
 身体の自由が利かない以上それも叶わず、ミリアはただその針を恨めしそうに睨めつけるしかない。

 ふと、ミリアは気づいた。
 針の尻に小さな穴が開いている。
 拷問用の針じゃない。

「……裁縫針?」

 それを刺す事にどんな意味があるのか。
 魔術に疎いミリアにはさっぱりだが、意味の分からない行動ほど怖いものもない。
 猛烈に嫌な予感に襲われたミリアは、ともすれば発狂してしまいそうな不快感に身をよじりながら、必死にそれらに抗った。



『……、』

 レンツォは思わず胸を押さえた。
 得体の知れない予感が胸騒ぎどころか針で刺したような痛みとなって襲っていた。

 すぐそばでやや首を傾げながらルナが立ち止まる。
 ハンドシグナルと勘違いしたのだろうか。
 なんでもない、とすぐさま返してレンツォは再び前を向いた。

(きついな……)

 レンツォは目を細めて谷の奥を睨めつけた。
 谷のほうからは単なる潮流だけでなく水の精霊力が情け容赦なく叩きつけてくる。
 水の流れで生まれる波紋や泡が視界を狭めてきて、陸での向かい風以上に厄介だった。

 後悔の谷は北へ伸びる底深い谷だ。
 しばらく北へ進んだその谷底に溺死者の祠があるらしいが、強い潮流が行く手を阻んでいる。
 また、谷は南流しており南下は易く北上は難いという。

『谷の流れはただの潮流ではない。溺死者の嘆きが混ざり、俺たちにさえ苦く感じられる』

 後悔の谷の入り口を見張る水精――オルクスと名乗った――の言葉だった。
 生粋の水精である彼らですら堪えるという潮流に真っ向から立ち向かわなければならない。
 しかし、

(くそ……負けるか!)

 ぐっと奥歯を噛み締めて全身に力を込め、潮流に抗う。
 こうしている間にもミリアの眷属化は進んでいるはずだ。
 死者の嘆きが心を削るというなら一刻も早く溺死者の祠に辿り着き、体力の残っている内に救出すべきである。

 それらが成功するか否かは先導するレンツォの手際にかかっている。
 せめて水中でなければどれだけ気が楽だった事か。

 ちら、と左手を見た。
 そこに握られているのは【捕縛の縄】という盗賊王バルセルミの用いていた道具のレプリカである。
 普段であれば脱出困難な捕縛縄として活躍していただろうそれは水の抵抗によってろくに投げつける事もできず、ただ強い潮流にメンバーが流されないよう握らせているだけである。
 ただ、この場で誰よりも消耗しているコヨーテだけは流されないよう抗うだけでも難しく、半ばロープに捕まらせているだけで引きずっている形となっている。

(盗賊王の七つ道具が形無しだなぁ)

 だが使い道があるだけでも贅沢は言えない。
 時間に余裕がなく、消耗が激しいと分かり切っている場所に向かうのだ。
 デッドウェイトになるような荷物は捨てるしかない。
 仮にも盗賊王が用いていた道具のレプリカゆえにそう簡単に千切れはしないだろうが、もし壊れてしまったらと考えるだけでも怖い。
 買値にして銀貨二四〇〇枚也。

『……っと』

 黙々と進んでいる内に前方に見慣れないオブジェを発見した。
 海底から突き出ているそれは曲線を描きすぎたフォークの先端のような形をしている。

「船の錨がありますわ。ちょうど谷の中央辺りです」

『え? あれ錨なの?』

 言われてみれば確かに聞き及ぶ錨の形状をしているように見えるが、船と繋がっている綱や鎖を通す環がどこにも見当たらない。
 と、そこまで思考してレンツォはようやくそれが海難事故の残骸であると思い至った。
 水精オルクスもこの辺りには沈没船があると言っていたはずだ。

『こんなでかい錨を使ってるなんて相当の巨大船だったんだろうけど……』

『錨があるのならこの辺りに沈没船もあるのでしょうか?』

『それはないね。この辺りは岩場だから船も錨を下せないし、もし錨が破損したら船はもう止まらない。その場で転覆するなりしてれば沈むだろうけど後悔の谷はずっと南流してるんだろ、たぶんずっと南のほうに流れていったさ』

 集落を出てからこれまでずっと潮流に逆らい続けて一本道だ。
 おそらくはこの錨を繋いでいた船は原型を留めないほどに海の藻屑と化したのだろう。

『下手に沈没船なんかがあったら余計な死角ができるって事だからね。なくて良かったさ』

『何か物資が得られればと思ったのですが』

 自分じゃあるまいし、とレンツォは笑いそうになった。
 が、すぐに思い直して、

『当てにしないほうがいいよ。探索に使う時間ももったいないし、付け焼刃の道具より使い慣れたモノが一番だからね』

『そう……ですね』

 ごぼり、ルナは泡を吐いて自前の杖を握り直した。
 普段では考えられないようなイレギュラーな環境下で慣れないリーダー代行である。
 傍目から見ても一目で分かるくらいにはひどく緊張している様子だった。

『ま、不安なのは分かるけど腹決めてかかるしかないからさ。今日ばかりは頑張ろうぜ』

『軽く胃が痛いですけどね……レンツォは平気なんですか?』

『不安で吐きそうだよ。だけど弱音吐いたって今回はコヨーテもミリアも助けてくれないんだぜ。バリーもチコも普段の実力の半分出せるかどうか……』

『あーもうやめやめ。やめなよ、そういう気分が沈むだけの会話ぁー』

 気づけば後方からチコがぐいぐい進んできていた。
 何気なく会話しているように見えてレンツォはしっかり周囲の索敵を済ませて移動している。
 普段ならくだらない会話を交えつつ索敵するなんて朝飯前なのだが、やはり水中だと精度が落ちるらしい。

『ルナ、杖かしてー。先っぽだけでいいから』

『え? えぇ、いいですけど……何するんです?』

 チコは杖の先端にナイフを紐で括り付けていた。
 片手でロープを掴んだままだというのにさすがの器用さである。

『ほいっと。水中じゃ何にしても振りぬくなんて無理だから、槍を扱うように突いてねー』

『ん? チコ、きみ弓はどうしたの?』

『あれもナイフくくりつけてバリーに渡しといたよー、念のためだね。レンツォもいる?』

『んー、いや僕はいらない。こいつがあるから』

 言って、レンツォは腰に括り付けていた白鞘のショートソード二振りを軽く叩く。
 宿屋でミリアの悲鳴を聞いたあの一瞬の間に彼女の得物を咄嗟に掴んで駆け出したのは、レンツォにとって大いに我褒めしたい行動だった。

『借りるだけさ』

『盗人の言い訳みたいに聞こえますよ』

『命のほうが大事だってミリアも分かってくれるって』

 何も壊れる前提で使う訳じゃなし、とレンツォは少しだけ笑った。

『これでなんちゃって戦士が一気に三名増えたよ。なんかやれる気がしてきたね』

『……限りなく不安なのですが』

『狩人が鉈持ってんのはまだしも普段クソザコヘタレな盗賊が双剣持ち出して戦うんだぜ。頼もしいだろ?』

『どうしてそれで安心できると思ったんですか』

『私はともかくー、モブキャラ同然のあんたが双剣もっててもどーしようもないよね』

『温和で心優しいシスターさんが即席槍で暴れる様なんてここでしか見られないだろうぜ』

『わー、それは超観たい。一歩引いたところから観たいなー』

『たぶんしませんっていうかできませんからね!?』

 ぎゃーぎゃー騒いでいたらレンツォの心も少しだけ軽くなった気がした。
 心なしかルナも余分な緊張が取れたような表情をしている。
 ちょっと騒ぎすぎてバリーから睨まれたが、索敵に抜かりはないから気にしない。

 それどころか、

「皆さま! 谷を抜けましたわ。この先が溺死者の祠です」

 谷は抜けた。
 もうあの心を折ってくる強烈な潮流は向かってこない。

『さぁ、モブキャラたちの反撃を始めようぜ』



 どれだけの時間が流れただろう。
 じくじくとした小さな痛みはやがて膨大な不快感と化してミリアを苛み、やがて目覚めているのか眠っているのかすら定かでない。

(く、び……に、何か……刺さって……?)

 もはや直近の記憶すら曖昧になっていた。
 ただ首元にひどく深いな何かがくっついている、という認識しかなく、ミリアは気だるげな瞳でどうにかそれを見ようとする。

(……、あ……あ、あ、……ア……)

 そこにあるのは藍色の針だった。
 正確にはその針の尻からは細長い糸のようなものが揺らめいていて、その端はずっと遠くの暗闇の中に消えている。

 しかしそのを視界に移した瞬間。ミリアの思考は爆発的に加速した。
 否。思考が、ではない。

(祈り、時間がくる、銀貨が落ちた、貼り紙を、眠る。リューンの、右へ進む、あれを、気配がある、もうひとつ、確認する、聖印の。許す。小さな音、いつもの席、走れ、はい。いいえ。福音を、煙が、司祭、においが、削る、金色の、読む、距離が――)

 種類も時系列も関係ない。
 かつてミリアが歩んできた人生そのものが、ポップコーンのように弾け、それを無理やりにツギハギにしたような、そんな映像。

(ある。ない。そ の、子供 の声。瓶の、丸 い、使  い魔。上へ、何 を。説教。チャンス   が、冷た  い。長い  橋、回れ。この 本を。   星。  注文に。    海、水。       浄化。 塩。返 す。 帰る、帰る、か   え     る、……)

「ガボッ! ……ゴホッ!!」

 頭が焼き切れそうなほどに痛みを発した。
 幸いな事に痛みがミリアを現実に引き戻し、止まっていた呼吸を再開させた。
 しばらく咳き込んでいたミリアだったが、やがて荒い呼吸を繰り返しながら、針と糸を視界に入れないように目を伏せる。

(頭が……どうにかなりそう。一体何なの……この、針のせい、なの……?)

「………………」

「また、あんたね……!」

 目の前に例の水精の脚が見える。
 もう何度目かの登場ですっかりリアクションもしなくなった――というより現状ではする気力もないのだが――ミリアは、今度ばかりは声を荒げざるを得なかった。

「高みの見物? ハッ、いいご身分ね! 説明のひとつでもしたらどうなの!」

「……、」

「こっちの身にもなりなさいよ! 私をどうしようっての!?」

「……、」

「答えてよ、!!」

 その叫びが効いたのか、水精はようやく反応らしい反応を見せた。
 目を丸くして驚いたように見えたが、すぐにそれは別の感情に塗り替わる。
 興奮冷めやらぬといったような、歓喜の表情だ。

「い、いま! 名前! 呼んだよね? あたしの!」

「……は?」

 この水精は一体何を言っているのだ。
 出会ってから終始無言で、口を開いたかと思えば呪文の詠唱で、自分の事なんて何一つ話そうとしないメロアの名前なんて知る由もない。

「――う、ううん、いいの。いいんです。気にしないで。ちゃんと聞こえたし。ね、アウディトゥア?」

「ア、アウディ……トゥ……? 待ってよ私はそんな名前じゃない。まさか人違いとか言うんじゃ――!」

「あ……まだダメか」

 メロアはあからさまにがっくりと肩を落とした。
 再びミリア向き合ったメロアはさっきまでの歓喜や落胆の表情をすべて掻き消して、強い感情が籠った双眸でミリアを貫く。

「いいえ。人違いじゃありません。でも……ごめんなさい」

 メロアが踵を返す。
 それはもう何度も見てきた、彼女がこの場を去る時に用いる振る舞いだ。

「待ちなさい! 説明もせず逃げるなんて卑怯よ!」

 すぐにでも後を追いたかったが、意識がはっきりしたところで身体の自由は未だにメロアに握られている。
 何もかもが思い通りにいかない状況にミリアは苛立っていたが、ここで暴れても状況が好転する事はなさそうだ。
 熱された頭をどうにか冷やし、努めて冷静に気持ちを入れ替える。

(……好きにはさせないわ。あの人がああ言っていようが、人違いの可能性もあるみたいだし)

 もし人違いだったらと考えるとまた暴れだしたくなったが、その考えは遠くへ放り捨てる事にした。

(こんな時、バリーだったらどうするのかしら。動けない今、出来る事と言ったら考える事だけ……しっかりしなさいよミリア・アドラーク・グラインハイド!!)


To Be Continued...  Next→
スポンサーサイト





この記事へのコメント

この記事へコメントする














(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

周摩

Author:周摩
しがないリプレイ書きのブログです。

Info.
当ブログはリンクフリーです。報告は不要ですが、あれば相互リンクさせていただきたいと思います。

周摩のシナリオはこちらへどうぞ。

QRコード