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『迷宮のアポクリファ』(1/4) 

 怒涛の七月七日も終わり、翌八日をはしゃぎすぎたツケを回収する日に充てた『月歌を紡ぐ者たち』は、九日より活動を再開した。

「……暗いなぁ」

 しかし、どうやら請けた依頼がよろしくなかったようだ。
 『月歌を紡ぐ者たち』は今、リューン治安隊の依頼で地下の下水道の暗闇に身を潜めている。

 冒険者ならば周知の事ではあるが、リューンの下水道は古代文明期の遺跡を転用した広大な迷路だ。
 リューン治安隊はこの地下下水道内に、ある過激なカルト教団の拠点を発見した。
 そして今日、雇い入れた冒険者と共にまさに強制捜査を実行に移す段階なのである。

「この時期に下水道を拠点にしているとなればまともな相手とは思えないわね」

「……相手に夜目の利く連中はいるのか?」

「治安隊の話では『終末の空色』は過激さで急拡大したカルト教団らしいが、吸血鬼や人外の類はほとんどいないらしい」

「聞いてた話がその通りだった事ってなぜか少ないんだよね……」

 自らの足で集めていない情報を信頼しすぎるというのも考え物だ。
 世の中そう上手くはできていない。
 時には与えられた情報を頼りに急場に赴く場合もあろうが、しかし度が過ぎるとやはり愚痴のひとつも吐きたくなるものだ。

「だがまぁ、問題はねぇだろ。なぁコヨーテ」

「あぁ、この程度の光量でも十分だ。何が出てきてもきっちりみんなの眼になるさ」

「なんならあんた独りで薙ぎ倒してきても構わないわよ」

「軽く言うなよ、神剣使い殿」

 そう言ってコヨーテは笑い、対するミリアは唇を尖らせて唸った。
 つい数日前にミリアが手に入れた【海神の双剣】はその名の通り神剣と称されるほどの業物であるが、彼女がそれを手に入れるために八〇〇〇枚もの銀貨を支払っている。
 当然ながら個人の財布に眠っているはずもない大金であり、パーティ資金から技術交渉や術式指南のように未来への投資という形で支払われているものの、ミリア当人からすれば単なる借金だ。
 ゆえに、そこを突かれれば痛いのである。

「オレたちの役割は『終末の空色』教団員の逃亡阻止だ。暴れるよりも視界を広く保つほうが重要だよ」

 何しろ広大な地下下水道内は天然の隠れ家である。
 治安隊といえど、教団拠点に踏み込んだ後に信者の逃亡を許せば遺跡探索に長けた冒険者に頼るしかない。
 ゆえに最良の展開は初手で一網打尽にしてしまう事だ。
 そのために『月歌を紡ぐ者たち』は闇の中で息をひそめ、治安隊の合図を待っている。

「『終末の空色』……、一応の説明は聞きましたが実際のところどういう人々なのでしょう」

「下調べする時間もなかったからな。治安隊に聞いた以上の事は噂程度でしかねぇが、昔、ある筋から聞いた事がある――」

 バリーはそう前置いて、

「空色教団の主張はこうだ。『人間などの言葉を持つ生き物は本当は創造主が何かを成すための入れ物であり、「自分」であるとか「自由意志」なんてものは存在しない。それに気づいた人間は世界を変えるだけに十分な力を手に入れられる』――だとよ」
 
 言い終えて、肩を竦めた。

「……正直、何を言っているのか理解できません」

「なんか酒場の酔っ払いが言ってそう」

「近いんじゃねぇの。本当に世界を変えられると信じて人を殺して回ってなけりゃァな」

「それにしても『終末の空色教団』ってさー、ちょっとかっこよくない? 語感がいいよ語感がー」
 
「……、おしゃべりはこの辺にしておこうぜ」

 バリーはちょっと頭痛にでも苛まれていそうな顔をして言う。
 そんな折、遥か前方の暗闇に小さな光が浮かび上がった。
 合図だ。
 コヨーテを先頭に、『月歌を紡ぐ者たち』は一気に迷宮の闇へと身を躍らせる。

「総員突入! 三班は通路を封鎖!! 冒険者――奥への通路がある! 君らはこの奥を頼む!」

 合図を送らせた治安隊員が矢継ぎ早に指示を出している。
 さすがに準備は万全だったらしく、その指示を聞く限りでも順調に包囲は進んでいるようだ。

 治安隊の突入は成功した。
 不意を突かれ、拠点にいた教団の信者たちは慌てふためいている。
 だが、それでも浮足立つ事もなく得物を手に状況を把握しようと努める教団員の姿も見て取れた。

「思った以上に戦える奴らが揃ってやがる。奇襲の効果も長くは保たねぇだろォな」

「――急ぐぞ!」

 号令と共にコヨーテとミリアが躍り出る。
 それぞれが魔剣と神剣を振るい、未だに戦意を保っている教団員を打ちのめし、武器を奪っては戦意を刈り取っていく。

 この場において『月歌を紡ぐ者たち』の役割は何を置いても逃亡の阻止だ。
 遣り手がいようが一撃さえ入れてしまえば後は後詰が何とかするはずだ。
 無為に時間をかけて倒しきる必要はない。

「コヨーテ! あれッ!」

 乱戦の最中、目ざとく地下への脱出口を発見したのはレンツォだった。
 正確には迷いなくある方向へ向かう教団員数名が向かう様子を捉えていた、というのが正しい。
 目の前の相手を手早く切り上げ、『月歌を紡ぐ者たち』はそちらへ走り、そして追いついた。

「……! 貴方たちは――」

 冒険者たちに反応したのは、他の団員よりもやや立派な僧服に身を包んだ少女だった。
 あれが事前の情報にもあった女司祭――実質的な教団のリーダー――なのだろう。
 絶対に逃亡を阻止しなければならない、空色教団の重要人物だ。

「わずかな報酬と幾ばくかの正義感によって立ちはだかる事になった名もない冒険者、ってところだ」

「……そう、ですか。選ばれし次の『入れ物』というわけではないのですね。残念ながら――」

「明かりは足元に落とせ!」

 いつもの通りコヨーテは右から、ミリアは左から切り込んだ。
 女司祭の前には武装した教団員が立ちはだかる。
 しかし真なる魔剣と神剣を操るコヨーテとミリアの前にはわずかな抵抗も無意味だ。
 ほとんど一撃二撃で叩き伏せられ、倒された傍からレンツォが縄で一人ずつ縛っていった。
 出会い頭に形勢が傾いた事で浮足立った教団員は女司祭をどうにか逃がそうと人の壁を作る。

「逃がすか!」

 人の壁だろうがこじ開ける方法はある。
 盾を持って立ちはだかる教団員に対し、コヨーテは【レーヴァティン】での一撃を加え、その刀身から迸る火炎を浴びせた。
 怯んだ隙に盾ごと蹴り飛ばして人の壁に突っ込ませる。
 それだけ足並みが崩れてくれればその合間を縫ってミリアが女司祭へと辿り着けるのだ。

「っしゃ! 挟み撃ちよ!」

 ミリアは即座に女司祭を蹴り飛ばし、レンツォに拘束させた。
 その後も空色教団は猛然と抵抗したが、場数を踏んだ『月歌を紡ぐ者たち』にかなうはずもなかった。
 間を置かず治安隊の救援が駆けつける。

「こっちだ隊長さん、教団のリーダーらしき女を捕えた!」

「いいぞ、手柄だな! 一班続け、目標はここだ!」

 号令によって治安隊が集まり、瞬く間に女司祭は囲まれ、拘束された。
 リーダーが無力化された事で士気がガタ落ちした空色教団は抵抗も弱くなってきている。
 同時に『月歌を紡ぐ者たち』の役割もほとんどやり終えたという事だ。

「………………」

 まだ年若い少女のように見える青い装束をまとった女司祭は黙って床に跪いている。
 すでに武装は剥ぎ取られ、周囲の信者たちももはや抵抗する術もない。

「『終末の空色』教団。ペルージュでの貴族殺害、アルエス城塞都市での殺人教唆、禁呪密売、人身売買への関与、その他多数の容疑で信者全員の身柄を確保する!」

「……、です」

「んっ? 女、今なんと?」

「瞳を持ちながら、世界のほんとうの姿を見ない方は不幸だ――と、そう申し上げました」

 追い詰められ心を壊したか、女司祭は気が触れたような言葉を吐いた。

「……一班、容疑者を連行。簡単に死なせたりなどするなよ」

 女司祭はもはや目立った抵抗を見せない。
 隊長は後処理を部下に任すと、女司祭を含めた幹部連中を連行していった。
 『月歌を紡ぐ者たち』が結んだ契約は教団員の連衡が全て済んだ後だ。
 治安隊の仕事が終わるまで待つ事になる。

「……、」

 連行されていく女司祭とすれ違う時、彼女はコヨーテにうすく笑って見せた。
 邪気のない、少女のような微笑みだ。

 それがかえってコヨーテの心を揺さぶった。
 空色教団は壊滅し、数多の罪状から彼女が死罪を免れる術などない事は誰の眼にも明らかだ。
 だのに、なぜ笑えるというのか。

「ああ、アルコーブに本棚があるぞ。かなりの蔵書だ」

「相変わらずよく見ていますね。しかし、ここから先は治安隊の仕事では?」

 バリーはルナの言葉など耳に入らぬように本棚の蔵書を吟味し始めた。
 急に現実に戻されたような気がして、コヨーテもバリーのほうへ気を向ける。

「……何か気になるものでもありそうか?」

「少し待て。っと……」

 いつもの書痴っぷりを発揮するバリーは放っておくしかない。
 手持ち無沙汰になったコヨーテも適当に本棚の背表紙に目を通す。

 コヨーテが目にした本棚には神秘学の書物が詰め込まれていた。
 人狼、吸血鬼、竜といった類の生命力の秘密を解明し、人間の役に立てようという趣旨のようだ。
 嫌な予感がするものの、一冊を手に取って中を改めてみるが、

「獣人や吸血鬼の子供を攫ってきた記述か……いや、酷いな」

 生命を冒涜するような実験・交配を始めとした残虐非道の数々。
 半吸血鬼であるコヨーテの心胆をすら寒からしめる陰惨なものが記されていた。
 こんな手段で血の呪いを操れるのなら誰も苦労はしない。
 コヨーテは黙って本を閉じ、本棚に戻した。

「こっち医学書だねぇ……んー、これはルナは見ないほうがいい」

「どんな内容なの?」

「人体を腑分けして魔法儀式の部品にするような……まぁ、まともな医者の技術じゃないよ。どうも攫ってきた人たちを犠牲にして教義の実験をしていたみたいだ」

「ひええ……」

 淡々と書かれた医学書の群れは、その全てが生命を冒涜する悪意に満ちていた。
 当たり前だが聖北の教義には思い切り歯向かっているわけで、純粋で敬虔な教徒であるルナにとっては特に刺激が強すぎる。

「あー、こっちはもっとひどいからー、ルナはもう本棚に近づかないほうがいいよー」

 バリーの近くの本棚を漁っているチコはそう言って本のページを捲っていた。
 本棚の背表紙に目を向ければ『死霊術』や『魔神召喚術』の文字があり、もはやそれだけでまともじゃない。
 誰もが一度は耳にした事があるような禁術のオンパレードだった。

「教団には重要な魔具アーティファクトを保管する、とか書いてあるねー。記述から見るに、どうも魔神に関連した祭器みたいだけど……」

「え? マジ? チコそれ読めるの? 適当言ってない?」

「この魔具はどうなったんだろー? 他の拠点に隠されてる、とか?」

「ナチュラルに無視しやがったこの野郎……」

 どちらにせよこれからは治安隊の仕事だろう。
 教団にとって重要なものであるなら迂闊に書物に残しているはずもない。

「――これは教団の経典みてぇだが」

「何かあったのか?」

「奇妙だとは思わねぇか? 空色教団は決して歴史ある教団じゃない。むしろ新しい。だのにこの経典は書かれてから一〇〇年は優に経っていて、しかも魔術師にすら難しい古代語で暗号化されている部分もある」

「つまり?」

「分からねぇ。詳しく調べてみる価値はありそォだ」

 バリーは治安隊の目を忍んで経典を荷物袋に忍ばせた。

「ちょ、それはさすがにまずいでしょ」

「静かに。捜査上有用な情報があれば上手く治安隊に流すさ」

「そうじゃなくて。教団の本拠地なんだから危険なものもあるだろうし、普通に考えたらここから出る前に身体検査あるでしょ」

「……、コヨーテ」

 そう言ってバリーは経典をコヨーテに差し出した。

「片棒を担げというのか……」

「頼んだ」

 小さくため息を吐いて、コヨーテは経典を受け取った。
 自らの銀髪を束ねている真紅のリボンへ意識を集中すると、経典は白い霧と化してその姿を消失させる。

 真紅のリボンは『星を追う者たち』のリーダーにして魔術師であるレギウス・エスメラルダにより超大型移送用魔具『神族の帆船スキーズブラズニル』の帆を用いて造り出された簡易型魔具である。
 吸血鬼の性質を理解した者が身に着ける事で、あらゆるものを白い霧に変換した上でリボンの中へ格納する事が出来る。
 この力で経典は見えない場所に隠されたのだった。

「――撤収!!」

 遠くで治安隊員の声が上がる。
 どうやら全ての教団員の連行が終わったようだ。
 レンツォの予想通り危険物や重要参考物の持ち出しがないか身体検査が行われたものの、見事に経典は隠し通した。

「今回だけだからな」

「分かった分かった」

 こうして『月歌を紡ぐ者たち』はリューン治安隊からの依頼を完了したのだった。



 翌朝、コヨーテはあまりいい寝覚めではなかった。
 地下迷宮の冷気が身体をすっかり冷やしたのか、空色教団の所業が夢見を悪くしたのか。
 ともかく、もう少し惰眠を貪りたい気持ちもあるにはあったが、仲間たちはもう起きているような予感がしてコヨーテは身体を起こした。
 手早く準備を済ませると、コヨーテは階下へと降りていく。

「お、コヨーテ。おはよう」

「おはよう。みんな早いな」

 おおよそいつもの面々が朝食を前に談笑したり、なにやら準備をしたり、貼り紙を眺めたりしていた。
 コヨーテはカウンターが着くと、宿の亭主エイブラハムから紅茶が供された。

「感心感心。昨日は治安隊の仕事で切った張ったがあったというから疲れているのかと思っていたぞ」

「それはそうなんだが、なんだか眠りが浅くてな」

「ほう? いつもと違うと感じる時はことさら気を付けたほうがいいな。些細な差が致命的な状況を呼ぶ事だってあるからな」

「……なんかやけに真面目じゃないか」

 茶化すなよ、と不満げな亭主の声を聞き流しながら、コヨーテは紅茶に口を付けた。
 普段味わい慣れない変わったフレーバーだ。
 どうやら新葉らしい。

「一仕事終えた後なんだ。みんなゆっくりしていると思ったが」

「うーん、そうなんだけどね……依頼って、いわゆる波があるでしょ。昨日までろくな依頼がなかったのに次の日は美味しい依頼が次々来るとか」

「ああ、たまにそういう日もあるな」

「昨日まではろくな依頼がなくて、請けた依頼も冷たい下水道で一日仕事だったから、今日辺りで波が変わっていい依頼が張り出されるかと思ったんだ」

「納得。で、早起きの結果は?」

「全滅だよ。下水道掃除、銀貨二〇〇枚からのゴブリン退治、新薬の実験台。嫌な予感しかしないのばっかりさ」

 だろうな、とコヨーテは頷いた。
 長く冒険者を続けていればそううまくいかない事くらい理解している。
 もちろん、希望を見出したレンツォもあまり落胆している様子がないのも、彼もまた理解しているからなのだ。

「それはそうとコヨーテ。今日は午後から雨になるわよ」 

「今は晴れているみたいだが」

「樹精はそわそわしているし風精は低く空を飛んでいて水精はざわつきだしている。空や森が教えてくれる事はたくさんあるのよ」

 そう言いつつ、ミリアは【海神の双剣】の柄を指の腹で撫でた。
 どうにも水精事件以来、彼女はそういった存在への理解を深めているらしい。
 海神の名を持つ双剣を得た事で拍車が掛かったのかもしれない、と彼女は言っていた。

「……何か嫌な予感がすると思ったらそれか」

 コヨーテはため息を吐いた。
 この感覚はよく当たる。
 どんな仕事を請けても、今日は雨に祟られるという事だ。

 実は七月八日に出逢った吸血鬼モーガン・ツァリによって流水への耐性を付与されているのだが、コヨーテは仲間たちにもそれを明かしていなかった。
 というのも、吸血鬼の言葉に全幅の信頼を置くのがどれだけ危険な事であるかを理解しているだけでなく、彼女が行った『踏み倒し』は呪いの無効でなく先延ばしであるからだ。
 水に濡れた分だけ痛みは蓄積し、いずれ――モーガン曰く一万年後――はその全てを身体に叩きこまれるのだが、問題はその『踏み倒し』が『叛逆者』によって破棄できてしまうという一点に尽きる。
 まだまだ『叛逆者』の制御には慣れていないのだ、いつ切れるとも分からない命綱に頼り続けるのも馬鹿らしい。
 そういった理由で無闇に水を被るわけにはいかないのだ。

「すぐ銀貨に困るというわけでもありませんし、今日は宿で過ごしますか?」

「雨降るんなら僕も外には出たくないねぇ」

 仲間たちにも今日はあまり仕事にかかりたくない空気が漂い始めている。
 ミリアが散在したとはいえ、今はもう『月歌を紡ぐ者たち』の財布はそれほど軽くもない。
 慌てる必要もないだろう。

「そういえばバリーは? まだ起きていないのか?」

「いえ、確か起きていますよ。えっと……」

「バリーなら屋根裏部屋を貸してくれとか言って、本を持って籠っているぞ」

「……本だと?」

 何か引っかかるものを感じて、コヨーテは席を立った。

『いつもと違うと感じる時はことさら気を付けたほうがいい』

 ついさっき宿の亭主が口にした言葉だった。
 そう、のだ。
 いつもであれば他のメンバーが魔法の品を見つけても慎重に扱うよう釘を刺すのはバリーの役回りのはずだ。
 酒場に顔も出さず、書物を持って部屋に籠る。
 些細な事だが、ひどく違和感を覚える。

「……少し様子を見てくる」

「ああ、屋根裏部屋に上がるんならバリーの朝食も持って行ってやれ。洗い物が片付かん」

 トレイに乗った熱々の食事を手に、コヨーテは階段を上る。
 『大いなる日輪亭』に屋根裏部屋は二つある。
 物置兼コヨーテの寝室として使っている部屋と、もう一つは訳ありの人物を匿う際にも利用する部屋だ。
 普段は滅多に立ち入らない屋根裏部屋のドアをノックし、中にいるであろうバリーへ声をかける。

「親父から朝食をもらってきたぞ」

「ああ、入ってくれ」

 ドアを開けると、薄暗い室内で蝋燭の乏しい明かりを頼りに本を読んでいるバリーの姿があった。
 彼がこうして書物に夢中になるのは今に始まった事じゃない。
 だが、それにしたってまるで隠れるように屋根裏部屋を使ってまでそうした事はなかった。

「そこに置いておいてくれ。後で食う」

 彼が指した机の周りにはメモや辞書が散乱していた。
 ブツブツと小声で独り言を続けながらページを捲る姿はいつも通りではある。
 しかしバリーの名を呼んでも手元の書物に没頭し続けて答えを返さないのは少し異常だった。

「……バリー! 聞こえているよな、昨日からずっとやっていたのか?」

 声を荒げて、ようやくバリーは書物から目を離した。

「……ああ、まあ。四刻ほどは眠ったか」

「その本――経典だとか言っていたな。一体何なんだ」

 バリーは即答しなかった。
 顎に手を当てて少しばかり考え込むと、

「難しいな。詩のようでもあるし、歴史のようでもある。長い魔法儀式のようにも思える」

 などと、彼にしては歯切れの悪い言葉を吐いた。

「……危険なものじゃないのか? 治安隊か賢者の塔に預けたほうが」

「いや。もう少し訳してみねぇと危険かどうかは判断できねぇ」

 普段なら何気ないバリーの返答。
 だが、それが強い拒絶のように聞こえてくるのは気のせいで済ませていいのか。
 真意を測りかねるが、だとしたら直感に頼るのが最善だとコヨーテは思考する。

「あの場所から無断で持ち出した、しかもあんなに危険な教団の書物なんだろう!? 聖北教会の過激派にでも知られたら、下手すれば――!」

 続く言葉を飲み込む。
 やはりおかしい。
 いつもならこれは、むしろバリーが言いそうなセリフではないか。

「……ああ、その通りだな。気を付けるぜ」

 いっそしおらしくすらある態度のバリーは、書物をテーブルの上に置いた。
 そして立ち上がり、自前の外套を手に取った。

「だが、あと少しで概要に手が届きそうなんだ。もう少しだけここに置かせておいてくれ」

「どこへ行くつもりだ」

「雨が来ないうちに、治安隊の詰所へな。確かめてぇ事がある」

「食事は」

「悪ィが食欲ねぇんだ」

 そう言い残してバリーは階段を降りて行った。

 独り残されたコヨーテは置き去りとなった経典を手に取り、ページを捲ってみた。
 狂気を感じさせるほど細かい文字。
 どこか異世界の気配を湛えた数々の挿絵、図。

 そして何より、手にしたその拍子の不気味な手触りが、コヨーテの背にうすら寒いものを呼び起こした。
 まるで魔物の肌に触れてしまったかのような、じんわりと不快に纏わりつく感触だった。
 読み解けるような何かが欠片もない事を理解したコヨーテは経典を閉じ、テーブルの上へ戻す。

「いつもと違うと感じる時はことさら気を付けたほうがいい……か」

 そう独りごちて、コヨーテは屋根裏部屋を後にした。


To Be Continued...  Next→
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周摩

Author:周摩
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