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『迷宮のアポクリファ』(2/4) 

 翌日、勢いのある雨音にうんざりした様子で、コヨーテは曇天を恨めしそうに睨んだ。
 昨日の午後から降り始めた雨は夜が明けても降り続けていた。
 コヨーテのように半吸血鬼でなくとも、こんな雨の中でわざわざ外出しようなどと思う人間はいないだろう。
 冒険者のようにある意味では仕事を選べる人種であるならなおさらだ。

「この分だと、今日も依頼に出る目はなしかな……」

 などと考えながら、コヨーテは自室を出て階下へ降りていった。
 いつもの席に腰を掛け、酒場を見渡す。
 昨日よりも遅い時間だ。
 仲間たちもそれぞれ朝食を摂ったり窓の外の天気を窺ったりしている。

「おはようございます、コヨーテ。今日も雨ですよ」

「おはよう。そうみたいだな」

 挨拶を交わし、コヨーテはカウンターへ向かう。
 カウンターの向こうでは宿の亭主が忙しなく動き、朝食時の注文を捌いている。
 そんな中で話しかけるのは心苦しいが、おそらくは彼が最も情報を持っているに違いない。

「バリーを知らないか?」

「わしはまだ見ておらんが……」

「あ、バリーさんでしたら朝早くに戻ってきて、また出かけるからってパンの包みだけ持ってまた出ていきましたよ?」

「……、昨日は戻っていなかったのか」

 やはりか、とコヨーテは怪訝な表情を見せる。

「確かに夕食どきも見なかったが……おいコヨーテどうした。顔が険しくなってるぞ」

「そうですよ。なんか、娘が夜遊びしていたのを知ったお父さん! みたいな顔で怖いですよ」

「どんな喩えだ……なんでもないよ」

 適当にあしらって、コヨーテは仲間たちが集まるテーブルへと移動した。
 ちょうど依頼の貼り紙を吟味してきたらしいルナと合流したが、彼女の表情は明るくない。
 やはり、あれからまともな依頼はなかったようだ。

「そういえば、昨日バリーは仕事を探しに行ったのですか?」

「いや、違う。おそらく……」

 コヨーテは仲間たちに昨日の話を伝えた。
 多分に第六感が入り込んだ部分は話さなかったものの、やはり皆も少しおかしいとは感じたらしい。

「……そんなに気にするようなものだったのでしょうか、あれは」

「分からない。だが、よほどにご執心の様子だからな」

 とはいえバリーの書物狂いは今に始まった事じゃない。
 取り立てて目立った異常がない今、これ以上議論する事もなくなった。
 ともかくバリーの帰りを待って事情を詳しく聞くしかない。

「あーもう、雨止まないねー」

「依頼でもないのに雨の中を歩きたくはないよね。でもあんまりこういう日が続くと財布の中身が心配になってくるよ」

「そうなりゃもう酒場で演奏でもして聴衆から銀貨を稼ぐくらいしか思いつかないわね……で、チコ。あんたはどうしてリュートなんかを持ち出してきたの」

「出番が来たかな、と。てへへ、最近いろいろやってんだー!」

 かつてないドヤ顔を見せつつ、チコはリュートを抱える。

「リュートの弾き語りなんてできるのか?」

「もち! サーガだって自作したしー!」

「本気か」

「まーじまじ!」

「……神に誓って期待していませんが、ちょっと歌ってみせてくれますか」

「よっしゃ、リクエストいただきましたー!」

 張り切って、チコはリュートを奏で始めた。
 たどたどしい手つきで始まった演奏は、しかしそれなりに練習したであろう事が覗える出来ではあった。
 しかし、肝心のサーガのほうはと言うと。

「チコ……なんだその『呪われし英雄ミリアのサーガ』って」

「えーと、細かい設定は別にあるんだけどー、このサーガでは――」

「設定とかは聞いていません。どうして私たちの実名がそのまま出ているんですか」

 こうしてチコは仲間たちから自作のサーガの不明瞭な点について、極めて厳しい追及を受けた。
 唯一評価されたのはコヨーテが半吸血鬼である事を明かさなかったその一点だけである。

「まったくと言っていいほどフィクションの要素しかない……」

「そ、そんな事ないもん! ちょっと魔族の血を引いてて、いい感じの秘儀を使いこなし、最後には竜殺しになったりするだけ!」

 日頃の行いがそうさせるのか、チコの抗議は『月歌を紡ぐ者たち』の誰にも受け入れられる事はなかった。

「まぁ、演奏は良かっただろう。それにサーガも自作となればすごいとは思うが」

「わぁーん、そう言ってくれるのはコヨーテだけだよー!」

「……コヨーテはちょっとチコに甘すぎなのでは?」

「そう言うなって。多方面に興味を持つのは悪い事じゃない。特にチコはまだ若いんだし、無限の可能性が眠っているかもしれないんだから」

 チコが幼少期に負ったトラウマは彼女の成長を酷く阻害していた。
 未来への展望が一切なく、今の技術を磨く事はあっても新しい何かに挑戦する事は少なかった。
 だからこそ、これらはいい傾向だとコヨーテは感じている。

「『この物語はフィクションです。実在の人物、宿などとは一切関係ありません』って書いとくのはどうかなー?」

「まだ言ってんのあんた……ん? チコ何か落としたわよ」

「あっ」

 彼女が落としたのは羊皮紙の束だ。
 しかしその表紙には『創作ノート(部外秘)』とでかでかと書かれており、更にはミリアが拾うほうが早かったのが悲劇だった。

「っあああああああああああああああああああ!!!!!」

 本来、チコが個人として楽しむなどの他は公開される予定がなかった創作ノートがよりにもよってミリアの手に渡った事により、『月歌を紡ぐ者たち』の創作環境は厳しい冬の時代を迎えた。
 若気の至りとは恐ろしい。

「おとりこみ中もうしわけない。私のリュート返してねチコちゃん」

 そこへ『星を追う者たち』の吟遊詩人ターニャが現れ、さっさとリュートを持ち去ってしまった。
 さすがにチコが個人的な趣味で即座にリュートを用意できるはずがなく、本職の彼女に借りていたものらしい。

「うおおおおおお……!!」

 最後の望みである楽器すらも失ったチコは膝から崩れ落ちる。
 こうして『月歌を紡ぐ者たち』から表現の自由は失われてしまった。
 その後チコは片付けが終わらないからと宿の娘アンナに酒場の片隅に追いやられ、以上で茶番は終了である。

「アンナ、バリーがどこに出かけて行ったか分かるか?」

「確か治安隊詰所だったかと。バリーさん、転職するんですか?」

「それはないと思うが……ともかく、ありがとう。オレも少し出かけてくる」

 いつもの黒い外套を羽織り、フードを被ったコヨーテは雨の降りしきるリューン市内へ足を踏み出した。
 治安隊の詰所はそう遠くない。
 とはいえ雨脚も弱くはないので外套だけでは防げないのだが、そこはモーガンの踏み倒しが効いているのか、まったく消耗を感じない。
 ともすれば不気味にさえ思えるが、これが正常なのだと無理やり自分を納得させた。

 治安隊詰所に着くと、先の依頼で顔見知りとなった隊長を訪ねた。
 一昨日の仕事でコヨーテの顔は知れていたようで、すんなりと通された。

「――ん? 『月歌を紡ぐ者たち』の……たしか」

 依頼を請ける際に自己紹介は済ませたはずだが、コヨーテはもう一度名乗った。

「そうだった。一昨日はご苦労だったな。何かあったのか?」

「昨日と今日、うちの仲間がここに来なかったかと」

「ああ、来たよ。囚人に面会したいというから、部下の立ち合いの下で話させた」

「囚人に、面会――?」

 よくない予感が当たっている。
 バリーは経典の謎を解き明かして情報を流すために治安隊に行ったのではない。
 むしろその逆、謎を解き明かすピースを得るためにここへ足を運んだのだ。

 コヨーテもまた件の囚人に面会を希望すると、意外とすんなりと通った。
 隊長自らが牢獄まで案内してくれた。
 丸一日経過しているのに尋問がうまく進んでいないのだろうか。
 あるいは以前のバルムスが起こした不祥事の件が効いているのか。

「おい、面会者だ。千客万来だな」

 薄暗い牢獄にはバリーの姿はなく、口数の少ない陰気な牢番が一人だけしかいない。
 入れ違いになったのかもしれないなと、と治安隊隊長が呟いた。

「あまり長時間はいかんが、訊きたい事があるなら話せ。存外口が堅くてな。係の者も手こずっているようだから、お前に何か漏らすようなら儲けものだ」

 隊長の後半の言葉は囁きに近かった。
 帰りは牢番に声をかけろ、とだけ残して隊長は去っていく。
 牢番の小柄な男は彫像のように微動だにせず壁際に控えている。

「貴方は、あの時の――」

 牢に沈殿した闇の中、青い服を身に着けた女司祭は人の気配に顔を上げた。
 女司祭を前にして内面を顔に出さないよう、コヨーテは考えを巡らせる。
 バリーがここに調査に来たのは間違いない。
 この女司祭こそがあの書物について多くを知っている可能性は高いのだから。
 だが、この司祭は危険だ。
 慎重に、慎重に交渉しなければ確実にバリーに害が及ぶだろう。

 この女から、どれくらいの情報を引き出すべきなのか?
 禁断の果実を手にして、自分たちに得るものはあるのか?
 なんだってコヨーテは何の考えもまとめずにここに立っているのか?

「冒険者様」

 コヨーテの内心を知ってか知らずか、女司祭は静かに呼びかけてきた。

「命乞いをする気はありませんが、冒険者様と、あのお仲間の方なら……わたくしの話を聞いていただけるのでは、と思うのです」

「どうしてそう思う」

「あの方は仰っていました。冒険の中、何度も死ぬような思いをした、と。視線を潜り、何度も生きる意味を考えた人になら、教団の教えに真実がある事を分かって頂けると――」

「――オレは空色教団に真実があるとは思わない」

 きっぱりと否定した。
 伝え聞く所業の数々を思い返せば共感の余地はなかった。

「……それは冒険者様が外側しか見ておられないからです」

 だのに、女司祭は構わず話を続ける。

「外側? ……どういう意味だ」

「人々は教団を邪悪と言う。では、おのれの所業を全て自分の意思で為し、受け入れているものなどいるでしょうか?」

 半分はヒトならざる者の血が入っているコヨーテにとってはとても答えられるものではない。
 ことさら吸血鬼という種は運命に翻弄される種族なのだから。

「生まれ、育ち、生き抜くために。人は与えられた役割を演じます。人の言う正義も、その役割のひとつです」

 耳を傾けるな、と思う。

「教団はこう考えています。人は創造主の造り出した入れ物にすぎない」

 狂った世界の言葉は特に独特のリズムを持って正常な心を侵す。

「入れ物である我らが為す事も、創造主が書かれた筋書きの上の事。一つ一つに正邪はない」

「……っ、違う!」

 屋根裏部屋で触れた、あの書物の不気味な手触りがコヨーテの警戒心を呼び戻した。
 顔も知らない創造主が書いた筋書き通りに生きているなど、認めるわけにはいかない。
 コヨーテの吸血鬼としての生を操ろうとする存在に心当たりがあるだけに、コヨーテの心は強く反発した。

「私は――」

 女司祭は囁くように言った。

「遠からず処刑されるでしょう。それに後悔はない。ただ、貴方やあの方のような、真実を見る勇気のある方に一抹でも……教団の想いを伝えたいのです」

「バリーを……! お前の歪んだ世界に引きずり込むな!」

 氷のように冷静であろうと努めたのに、できなかった。
 憤りが心を揺らした。
 
「言葉だけは綺麗で、人を思い通りにしようとする連中をたくさん見てきた。オレたちはもうそんな奴らの思い通りになんかならない……!」

 女司祭の瞳は昏く陰り、コヨーテの言葉に顔を俯かせる。

「それでも。貴方とあの方はもう一度ここへ来るでしょう。それが、創造主の書かれた筋書きなのですから――」

 俯いたままで女司祭は呟いた。
 声音は変わっていないのに表情が見えないだけでやたらとうすら寒い何かを感じる。

「おい、冒険者。時間だ。これ以上の面会は許されない。日を改めろ」

 牢番の声にハッとしたコヨーテはなおも俯き続ける女司祭から目を逸らす。
 そのまま牢獄から出て治安隊の詰所からも離れる。
 篠突く雨が降り続く路地を歩く。

 自分があの女司祭に言った事は真実だろうか?
 自分はバリーの事をどれほど分かっているのだろう。

 経典に没頭し、あの女司祭に会いに行ったバリー。
 『いつもと違う』と感じたバリー。
 いつものバリーと今のバリーと、その境目はどこにあって、自分はそれを見極め切れるのか。

「………………」

 あの女司祭が何を心に秘めていようと、バリーに害が及ぶような事は止めなければならない。
 そう心に決める。
 それを成し遂げるには、どうすればよいか。

「――決まっている」

 仲間が危険に踏み込もうとしているなら、その傍で罠を見張る役目が自分だ。
 どんな罠が潜むか分からない場所であっても誰かの目、耳になる事はできるし、この身体を盾に出来る。
 取るべき道が決まれば、思考は澄み渡り、いつもの調子が戻ってきた。

 鬱陶しくまとわりついてくる雨を押しのけて、コヨーテは宿への帰路を急いだ。



 篠突く雨が煙る中、治安隊の牢獄へ足を踏み入れたバリーは静かに歩を進めていく。
 任務に忠実な牢番の男は壁際に控えて、決して目を離す事無く牢を見張っている。
 しかし、その目は焦点を結ばず、その耳には何の音も届いていない。

「また、来てくださったのですね」

「……気持ちの悪い言い方だな。好きで会いに来たわけじゃねぇ。そろそろ治安隊への面会の言い訳も尽きてきた。あと一回が限界だろォな」

 女司祭は薄く笑った。

「牢番の方も、そろそろ率直なお話をしても問題はありませんわ」

「……、」

「好きでもないわたくしに会いに来てくださる目的――お読みになったのでしょう、経典を」

「ああ。創造主の『入れ物』、自由意志の幻想。真実を受け入れ、得る力……」

「興味がお有りですか。真実の世界に。創造主の筋書きに」

 厚い雲に遮られながらも弱弱しく届く西日が陰影を作った。
 バリーの表情は闇に沈んでいる。
 女司祭の眼は澄んでいて、西日を反射している。

「貴方様に真実をお見せする方法がひとつだけあります」

「ほう?」

「わたくしと空色の教えを信じ――ここから解放してくださいませ」

「そりゃあ不当に高い取引だ。こちらが得るモンが何もねぇ」

 それに、とバリーは背後の壁際に佇む牢番を一瞥した。

「牢の中からこれほどのを使いながら、一人では逃げられませんなんて言うつもりか? ネコかぶりもいい加減にしろ」

「……教えなど……一人では、力弱く儚いものなのです。あのお仲間の方も大層怒っておいででした。あなたを巻き込むな、と――」

 コヨーテか、とすぐにバリーは理解した。
 それからしばらく考え込み、時折石の床に触れて暗闇の中でなぞってみたり、扉に触れてみたりした。

「コヨーテはまっすぐだから死ぬまで……いや、たとえ死んでも是とは言わねぇだろう。誘惑するなら、まだ俺のほうが分があるぜ」

 再び、女司祭はうすく笑った。

「……あんたの名は?」

「それは貴方の願いが叶う時にお教えしましょう――」



 宿に戻ってもバリーの姿はなかった。
 好都合とばかりに彼が屋根裏部屋に残していった経典の翻訳メモを拝借し、自分なりにまとめ、写しを作ってみた。
 専門外の仕事は苦痛でしかなかったがやむを得ない。

 窓の外を見てみると、相変わらずの雨で正確な時刻は分からない。
 しかし夜通しかかってしまった事は間違いなさそうだ。
 寝不足ではあるが休んでいる暇はない。
 一夜漬けでまとめた資料を手に、コヨーテは階段を降りる。

「コヨーテ、おはよ……って、なんかやつれてない?」

「そんな事はない」

 仲間たちは変わらずいつものテーブルを占領している。
 しかしやはりその中にバリーの姿はない。

「親父、バリーを知らないか?」

「屋根裏を片付けて出かけて行ったよ。帰りは遅くなるらしいが」

「そうか……」

「お前さんらは『大いなる日輪亭うち』じゃベテランだからな。言わずもがなだろうが、意見の不一致やら仲違いやら……そういうものは仕事の前に片付けておくんだぞ」

「……んっ? ああ、そっか」

 言われて、バリーの事なのだと気付いた。

「そんなのじゃない。ちょっと入れ込んでて気になっているだけだ」

 ならいいが、と宿の亭主は頷いて、人数分の朝食をテーブルに置いた。
 白パンに炙ったソーセージ、あまりもののスープという無難なラインナップだった。
 腹ごしらえは大事だ。
 コヨーテはひとまず皆と一緒に朝食を頂いた。

「……これを見てほしい。みんなに相談したい事がある」

 食事がひと段落した辺りでコヨーテは本題に入る。
 経典についての資料を広げ、昨日までの出来事を話した。

「これがその経典の一部という事ですか」

「確かに、何か危険な感じがするわね。邪悪な儀式について書いたような……」

「バリーがどういうつもりか知んないけどー、これの解読に必死になる理由がわかんないねー?」

「でも、らしくないですね……治安隊の仕事に首を突っ込んで、しかも私たちにも何も言わず」

 やはり彼女らも伊達に長く同じパーティで冒険していない。
 ここまではコヨーテも同じ思考をしている。
 しかしおよそ一日分の思考時間があるコヨーテは、更にその先に進んでいた。

「……治安隊のためではなく、自分のためですらないのだとしたら?」

「それは……どういう?」

「昨日、チコの話を聞いていて思ったんだ」

「えっ、えっ、えっ!?」

「チコ、話の流れ的にあなたに才能があるって方向じゃないですから動揺しなくていいです」

「いいから座ってな、ほらほら」

 チコは唇を尖らせて不機嫌そうに椅子に座り直す。

「それだけじゃなくて、写しのメモを作っての仮説なんだけどな」

「で?」

「抜くと呪いに支配される魔剣、邪な意思に憑りつかれる宝石……物語によく出てくるだろう?」

「そういえば呪いの道具ならコヨーテも引っかかったよね。で、バリーが持ち帰ったあの経典が呪われた品物だっていうの?」

「オレはそう考えている。人の心を操作するような魔法の品かもしれない」

 あの女司祭と直接会って話した経験がなければ至れなかったかもしれない結論だ。
 思えば彼女の語り口は非常に巧妙で、ともすれば会話だけで掌握されかねないほどの不思議な魔力を持っていた。
 だが、バリーがおかしくなったのは経典を読んでからで、女司祭に会って話をしたのはその後だ。
 強弱はともかく、あの経典に何らかの細工がしてある可能性は大いにある。

「世界にはこの世の法則とは違う文法で書かれた本もあって、そういうのは読み進めていくだけで正気でいられなくなる……と聞いた事もある」

「話を聞いていると、むしろバリーが言い出しそうな説ですね……」

「推測だから裏付けが必要だ。クロエの知り合いに信用できる魔術師がいると聞いている。そして魔法の品にも通じているらしい。その魔術師に助言をもらおうと思う」

 『大いなる日輪亭』で最も他の魔術師と繋がりを持っているのは『陽光を求める者たち』の魔術師にして最年少のクロエである。
 なお宿内で随一の腕を持つ魔術師といえば『星を追う者たち』のレギウスだが、彼はそういった交流をほとんど断っているようだった。

「魔術師の名はバンディッシュ。ただし昼は寝ているらしいから、会えるのは夜だ」

「了解」

 冒険者たちは頷き合った。
 蛇の道は蛇、こういった手合いは専門家に見てもらうのが一番手っ取り早い。
 魔術師バンディッシュへの連絡は夕方からになるため、コヨーテはいったん仮眠を取る事にした。

 そして厚い雲の向こうで陽が沈んだ時分。
 バリーを覗いた『月歌を紡ぐ者たち』は酒場の隅、壁に囲まれ、声が漏れにくいテーブルを選んで魔術師を待った。

「――来た」

 撫でつけたような茶髪が特徴的な長身の男こそが魔術師バンディッシュであった。
 余談だがどことなくバリーに雰囲気が似ている気がする。
 それはともかく、早速バンディッシュを二階の屋根裏部屋に案内した。

「うーん、想像以上にむさくるしい場所だ」

 最初はかなり面倒そうな顔をしていたバンディッシュは、コヨーテから事情を聴き経典の写しに目を通すうちに何かに心惹かれた様子で、実物の経典を見せてほしいと言った。
 かくして、この魔術師は『大いなる日輪亭』まで押しかけて来たわけである。

「バリー……やはりまだ帰っていないんだな」

 魔術師バンディッシュは顎に手を当てて、何かを思索するように辺りを見回す。
 そしてテーブルの上に放置された経典を見つけ、それを手に取った。

「それが話して聞かせた問題の本だ」

 冒険者たちが見守る中、バンディッシュは経典を持ち上げたり明かりにかざしてみたり、注意深く指で触れてみたりした。
 その後、ほうほうだとかなるほどだとか独りごちながら、胸ポケットから鋳掛眼鏡を取り出す。

「ああ、ちょっと本を開いて持っていてくれ」

「は、はい」

 経典をルナに持たせて、おもむろに中身を検分し始めた。
 ややあって鋳掛眼鏡を仕舞いこむと、彼は小さく肩から力を抜く。

「何か分かったか?」

「――しっ、息を吹きかけないように」

 ルナに経典を閉じさせて、バンディッシュは顎に手を当てて唸った。

「驚いた。君たちの言う通り、これは強力な魔法の品だよ」

「それだけでどういうものなのか分かるの?」

 魔術師バンディッシュはしばらく考えていた。
 魔術の門外漢に、どう説明すればいいか言葉を選んでいる様子だ。

「……噛み砕いて言えばこの本には魔法で空間が括り付けられている。引き出しに様々なものを隠すように、この本には……そうだな。大きな城ひとつ分ほどの魔法的な空間が封じ込められているのだ。まさに、本の中に作られた牢獄だよ!」

「城一つが本の中に……そんなこと――」

 ハッとして、ルナは口を噤んだ。
 有り得ないとでも言いかけたのだろうが、それとよく似た魔具をすでにコヨーテが手にしている事を思い出したのだろう。
 現実味が薄くて絶句したと思ったのか、バンディッシュは言葉を重ねる。

「古い魔法は時に想像を絶するのだ。わたしの専門分野だから間違いはない……さて、さらに興味深いのは君たちが唱えていた説。この本に人を操るような効果があるか……結論から言うと、分からないな。だが、本の中の空間には大きな魔力を感じる。真相を知りたいのなら、これをわたしに預けてくれれば三日ほどで完全解明してみせよう。あるいは――」

 バンディッシュは経典を指し、

「この書物の中に入り込んで調査する以外にないだろうね」

「そんな事ができるのか?」

「もちろんだとも。言わなかったか? この辺はわたしの得意分野なのだ」

 ふん、とバンディッシュはドヤ顔を決める。

「さて、珍しいものを見せてもらったから出張料はサービスしておくが、どうする冒険者? この本の中の世界に入ってみるかね?」

 『月歌を紡ぐ者たち』は顔を見合わせた。
 予想外の展開ではあったが、想像以上の手がかりだ。
 しかし専門の魔術師が外からではこれ以上の情報が得られないと断言するのであれば行くしかない。
 虎穴に入らざれば虎子を得ず、というやつだ。

「分かった。中を調べてみたい。どうすればいい?」

「単純な魔法で入り口は開ける。君たちを送り込むのも簡単だ」

「……出る方法は?」

「そこは君らで探してもらうほかないな。何しろ外側からじゃ内側を覗けないのだから」

「待ってよ、それじゃあ魔術師抜きで魔術の迷宮に挑戦するの? それはいくらなんでも無謀じゃない?」

 レンツォの言う事ももっともである。
 かくなる上はレギウスかクロエに協力を仰ぐべきか、とコヨーテは思い至ったが、彼らはどちらも外出しているため帰りを待たねばならない。
 そうこうしている内にバリーが手遅れになってしまっては仕方がない。

「ん? 魔術師ならそこに居るだろう」

 なのだが、しれっとバンディッシュはチコを指して言ってのけた。
 突然指名されたチコはというと、表情を強張らせて汗を流し始めている。

「……は? いや、何かの間違いでしょ。そいつは狩人だよ、魔術とかはド素人の」

「そんな事はないはずだ。事実、クロエ嬢から聞いた話だ」

「い、いや……え? マジ? マジなのチコ?」

「えーっと……、クロちゃんなんでばらしちゃうかなぁー……」

 観念した風にチコは肯定した。

「嘘だろ!? いつの間に!? ってか教団の本拠地で魔術書読んでたのって……まさか!?」

「だから最近いろいろやってるって言ってたでしょー。正しくは五月祭の後くらいからだけどさー、みっちり勉強してー、クロちゃんやレギウスにも手伝ってもらっててさー、ちょっとしたサプライズのつもりだったんだよーーー!」

 図らずも最悪の形で成果をバラされたチコであった。

「腕前を見ていないからオレは判断できないな……チコ、いけるか?」

「あーもう! だいじょーぶ! バリーの代わりくらいやってやるよぉー!」

「そこはかとなく……いや、明確に不安なんだけど。いくら二ヶ月間勉強したって言っても知識量が足りないでしょ」

「別に問題ないだろう。さっきも言ったがこいつは『牢獄』なのだ。そこに自由に歩き回れる人間が五名もぞろぞろ入り込むなんて想定されていないはずだ」

 専門家バンディッシュが言うのなら間違いはない、のだろう。
 内側を窺えないとは言っているが、牢獄の性質についての知識はやはり大したものだ。

「まー、実は『真紅のリボン』についてもレギウスから理論は聞いてたから、に関してはたぶんバリーよりちょっと詳しいっていうか」

「なんだ、それなら迷う必要はないじゃないか」

 少なくとも現状ではチコほど本の中の牢獄に向くメンバーはいないだろう。
 事は一刻を争う状況で、これ以上は望めるべくもない。

「決まったか。ではこの本の上に手を置いて、呼吸を楽にするんだ」

 言葉通りに全員でテーブルを囲むようにして経典の上に手を重ねる。
 二度三度と呼吸をするうちにバンディッシュのカウントダウンが始まり、やがて視界は闇に閉ざされた。


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