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『迷宮のアポクリファ』(3/4) 

 ふと気が付けば、視界はがらりと変わっていた。

「っ……!」

 空は立ち込めた雲で閉ざされ、足元は切り立つ崖になっていた。
 崖の底は白く流れる霧で覆い隠されている。
 どこを見渡しても宿の屋根裏部屋も、あの経典も、魔術師バンディッシュの姿も見当たらなかった。

「……どうやら侵入できたようだな」

 魔術的空間という話だったが、信じられないほどリアルな空気を感じる。
 まるで単純にどこか遠い地へ転移させられたかのような錯覚に陥った。

「コヨーテ、向こう。何か見えるよ」

 レンツォが指した先に、コヨーテたちは目を凝らした。
 色褪せた影絵のような世界の先に見えたのは、

「塔……?」

 五つ――いや、六つの古ぼけた塔が天を衝いて聳え立っている。
 そしてその塔はそれぞれ霧の海の上で細い空中回廊によって繋がれていた。

「すげー、言われたとおりじゃん。『本の中の牢獄』……」

「何が待ってるんだろうね……でも、進むしかないんだなぁ」

 『月歌を紡ぐ者たち』は注意深く霧の中を進み、もっとも手近な塔へと辿り着いた。
 とはいえ他の塔へは陸が続いていないため、空を飛ぶでもしなければ侵入できない。
 塔は青く冷たい、見た事もない石で組み上げられている。

「何か彫ってあるね……『召喚術師カナーリォが造りし七塔の迷宮』、『四つの色を、虚ろなる空に取り戻せ』?」

「七塔、か。ここに来る前に見た塔は六つだけだったが……」

「ともかく情報、情報だよ。たくさん集めないとその辺の言葉も意味わかんないからねー!」

「了解、参謀殿」

 メンバーを一人欠いているが、チコはもともと後衛だったためいつも通りの隊列を守って歩を進めた。
 塔の中は牢獄の名の通りというべきか、ひどく殺風景だった。
 空間そのものが牢獄になっているのに上も下もないだろうが、他の塔に移動するためには空中回廊を目指す他なく、必然的に塔の頂きを目指す事になる。
 長い長い螺旋階段をひたすらに昇り、やがて塔の最上階に辿り着いた。
 部屋の前には見慣れない金属でできたプレートが掛けられており、『静謐の間』と刻まれたそこには続けてこう刻まれている。

『静謐の空から、眠りの青は失われた』

 そこは今までの殺風景な階段とは違い、ようやく開けた場所になっていた。
 青を基調とした部屋で、床には物音が立たない素材が使われているのか、これまでとは違って靴の音が一切反響しない。
 これまた青いシーツが目を引く寝台が置かれている以外には特にこれといった調度品はなく、壁には星空を描いた絵が掛けられている。

「灰、黒、白……いわゆる無彩色しか使われてない」

 結局、『静謐の間』で得られた情報は少なかった。
 しかし、塔は六つ――名前から読み取るのであれば七つ――あるのだから、最初の塔ですべてが解明できるとは思っていない。
 この部屋も謎を解明するために必要な鍵であるかもしれないが、今はともかく取っ掛かりを見つける事が先決だ。

 『静謐の間』からは北と西、二つの塔への空中回廊が伸びていた。
 しかし北側の回廊は長い年月に耐えられなかったのか、途中で完全に崩落しており、とても向かいの回廊へは進めない。
 すぐさま引き返し、西側の回廊を通って次の塔へと向かう。
 空中回廊も年季の入った朽ち方をしているものの、北側の回廊のようにすぐに崩落するような事はないだろう。

「うわわ、高いですね……」

「怖いならあんまり窓側に寄るなよ。風は吹いているんだから」

 白い霧で覆われた地上が存在するのかはさておくとしても、落下して死なない保証はどこにもない。
 何が起こっても対応できるよう、気を抜かずに回廊を進んでいく。
 ややあって、次なる塔に辿り着いた。
 ここにも同じくプレートが掛けられており、『黄昏の間』の文字と共に一文が刻まれている。

『黄昏の空から、黄金の残光は失われた』

「うーん、ここもやたらと年月を感じさせるね。装飾品もところどころ風化しちゃってるよ」

「こちらにも絵がありますね。これは……夕暮れでしょうか?」

 元は鮮やかだった様子が、今はすっかり色褪せている。
 夕暮れ、つまりは黄昏だ。
 どうやら部屋の名と絵画のモチーフは連動しているらしい。

「チコ、どうです? 何か分かりますか?」

「静謐に黄昏。塔ごとに記号が埋め込まれているのは間違いないねー。塔が七つというなら、あとひとつ見たらだいたい分かるかも?」

「本当ですか、頼もしいです!」

「……チコに対して甘いのは君もじゃないのか?」

「わ、私はチコの成長を褒めただけですので!」

「はいはい、漫才はその辺で終わってね。ええと、次は『虹の間』だってさ。……お? なんかさっきまでと雰囲気違うね」

 話している間にも『月歌を紡ぐ者たち』は歩を進め、三つ目の塔へと辿り着いていた。
 『虹の間』のプレートはこれまでの定型文のような記述ではない。

『空より光は還る。人の子と、人ならざるものの子が、心に真実を持つならば』

「ここは特別な場所みたいだね。名前からして七塔の中心なのかも」

 確かに『虹の間』はこれまでの二つの塔とは造りが異なっていた。
 天井はひときわ高く、天辺はガラス張りで空の光が差し込んでいる。
 まるで科学の実験でもしていたかのように、机の上に空のガラス瓶がいくつか置いてある。

「これは……プリズム?」

 部屋の一段高いところに水晶でできた三稜鏡プリズムが設置されていた。
 東西南北に四つ、それぞれ赤、青、黄、紫の四色がある。
 明らかに魔術的記号だ。

「……っ!」

 チコと一緒に手近な黄のプリズムに近づいたコヨーテは息を呑んだ。

『醜きもの、人にその身を捧げるもの、心しずけきもの、多くを願うもの――そして、空を行く竜の子が触れよ』

 コヨーテの頭の中に、男とも女とも分からない無機質な声が響いた。
 チコも頭に手をやって思案顔をしている。
 罠というには大げさだが、プリズムに近づいた者に無差別で発動する魔術のようだった。

「……触れれば何かが起きる」

「うん。『声』の通りに資格を持つ者が触れれば『光は還る』……はずだよ」

「資格を持たなければどうなる?」

「……きっと死にはしない。けど厳しめのペナルティが降ってくるだろうね。まだ触んないほうがいいよ」

「どこから読み取ったんだ、それ」

 チコは悩むように一頻り唸った後、おもむろに口を開いた。

「まだ半分も塔を見てないからちょっと想像も入ってるけどね。色とかプリズムとか、たぶんこれって『鍵』だよ。なんかそういう勿体ぶった言い方じゃなくて、そのままなんだ」

「そうなのか?」

「虹って橋みたいに見えるでしょ。空にかかるところからも地上と天界を繋ぐ架け橋みたいな解釈がされる事もある。有名どころでは北欧神話、神々が渡る橋ビフレストがあるよね」

「あるよね、って言われても知らないんだけど……くっそぉ、チコに知識で負けたみたいでちょっと悔しい」

 レンツォは本気でショックを受けている様子だったが、チコは構わず話を続ける。

「静謐が青、黄昏が黄を失ったのなら、それは虹――外との懸け橋――が欠けているって意味だよ。色を戻してやれば橋が造られ、外への出口が現れるはずだよ」

「となれば紫と赤を失った塔もあるのか。だが、バリーを惑わした方法に関しては……」

「今のところ手がかりはないね」

 しかし出口をこじ開ける方法が見つかったのであれば何よりだ。
 まだ塔の全てを調べたわけでもなし、色に関する情報以外も出てくるはずだ。
 念のために全てのプリズムに近づき、おそらくは脱出の鍵となるであろう言葉をメモに取った。

「ひとまず、ここのプリズムは全部の塔を回った後だね」

 チコの言葉に頷き、『月歌を紡ぐ者たち』は更に迷宮の奥へと歩を進めていく。



「ありゃ、ダメじゃん」

 『虹の間』から北に位置する空中回廊は長い年月の重みに耐えられなかったのか、途中で崩落していた。
 最初の塔にも崩落した回廊があったが、これで北のルートは完全に孤立している事になる。

「向こうに致命的なヒントがあったらどうしましょう……」

 回廊の崩落が昨日今日のものでない可能性もあるため、色を失った絵画がある塔ではないかもしれない。
 しかし、わざわざ本の中の牢獄に足を踏み入れたのはバリーを惑わす何かを調査するためだ。
 そこに重要な何かが眠ったままになってしまうのはとてもよろしくない。

「ねーコヨーテ、コヨーテって飛べるんだよね?」

「ああ、少しくらいなら」

「あれ見てあれ。こっちは崩落が大きくて空が見えるでしょ? あそこから飛び出せない?」

 チコが指さした先は天井に大きめの亀裂が走り、そこから曇天が覗いている。
 確かにコヨーテの叛逆の翼があればそこから飛び立ち、向こう側へ辿り着く事ができるはずだ。

「分かった。調査してくる――って、おいチコ。どうして背中に張り付いてくるんだ」

「私がいかないと魔法的な仕掛けは分かんないでしょー。大丈夫大丈夫、私ってば超軽いし」

「確かに一人くらいなら飛べるだろうが……翼ってのは背中に生えるものだからな?」

「つまり前から抱き着けと言いたいんすね? やだーコヨーテのえっちー」

「……足にでもしがみついてればいいんじゃないか」

「わー、うそうそ! ごめんってばー!」

「先に言っておくが、飛ぶのにはあまり慣れていない。あまり暴れるなよ」

 ひと悶着あったものの、得物はすべて真紅のリボンに格納し、コヨーテはチコをお姫様抱っこした。
 そのままでは不意の事態に取り落としかねないので、チコの両腕は首に回してもらう事で安定性を高めた。

「軽く調査したら戻る。何があっても深入りはしないから、皆は休憩でもしていてくれ」

「くれぐれも無茶だけはしないでくださいね」

 コヨーテは頷いて、背中から漆黒と純白の翼を展開する。
 【黒翼飛翔】により生まれた蝙蝠の片翼と『叛逆者』による鳥類の片翼で大気を叩き、空中へと飛び出した。

「わぁ――」

 チコは感嘆の声を漏らした。
 地上は相変わらず白い霧に覆われているが、それでも数十メートルはあろうかという塔の空中回廊から飛んでいるのだ。
 絶景というには恐ろしいものの、六つの塔が空中回廊で繋がっている様が良く見える。

「これは……!」

 そう、良く見えた事で知ってしまう事実があった。
 『静謐の間』のあった最初の塔、そして『虹の間』のあった塔から伸びていた空中回廊がどちらも崩落していたのは偶然ではなかったのだ。
 回廊が繋ぐ先、おそらくは七つ目の塔へ向かっていたはずのそこには、

「もしかして……老朽化で倒れた? あるいは何らかの目的があって壊された?」

 だとしても折れた先を探すにはあるかも分からない地上へ降りなければならない。
 そうするにはとてもじゃないがコヨーテの翼がもたないだろう。

「……残りの塔に謎が残っているといいが」

「待ってコヨーテ、諦めちゃダメ。あっち見てよ」

 チコはなぜか頬をつねってコヨーテの顔の向きを矯正した。
 そこは何らかの魔力の影響でもあるのか、大きな岩場が空中に漂っているように見える。
 いや、事実浮遊しているのだ。

「――行ってみよう」

 このまま無手で戻っても特に進展はない。
 であればおそらくは七つ目の塔と隣接していたであろうあの岩場に何かが残っていると希望を抱かずにはいられない。
 岩場には小さな石造りの建物があり、鉄格子の降りた門があった。

 門は固く閉ざされている。
 それを開く仕掛けのようなものも、鍵穴すらも見当たらない。
 これではいくら本職のレンツォを連れてきてもお手上げだろう。

「……うわぁ、すげー。この門、やばいくらい硬いよ。何重にも硬化の魔法がかけられてる」

「……魔法的な罠がある可能性は?」

「ないね。殴ってみなよ」

 お言葉に甘えて、とコヨーテは【レーヴァティン】を思い切り振りかぶって鉄格子に向けて振り落とす。
 凄まじい金属音が鳴り響くが、摩耗しない真なる魔剣【レーヴァティン】はともかく、それよりもずっと細いはずの鉄格子にも傷ひとつついていない。

「これを壊すには相当数の攻城兵器か、ドラゴン数匹がいないと無理だねー」

「魔法の解除はできないか?」

「ダメ。専門外。つーかたとえできたとしても何十にも折り重なってるから、解呪だけで数日かかるよ」

「そこまで厳重なのだとしたら、この先にこそオレたちが求めている答えがある気がするな」

 これだけの手間と魔法をかけて守っているものとは一体何なのか。
 おそらくは万が一にでも外に出す事があってはならない、教団の急所のようなものなのだろう。
 あるいは門を開けるための何かが消えた塔にあったのかもしれないが、それでも他の塔に可能性が残っていないとは限らない。
 コヨーテとチコは岩場での調査を打ち切り、元の回廊へと再び飛んで戻っていった。

「たーだいまー!」

 合流した仲間たちに得た情報を共有すると、『虹の間』まで引き返して次の塔を目指す事にした。
 次なる塔へと進もうとするが、塔と塔とを繋ぐ空中回廊の向こう側からは強い風が吹きつけてきた。
 進むのも困難なほどの強い向かい風だ。

「これは自然の風じゃないよ。この先にある魔法的な装置が吹かせてるね」

「でも、何のために?」

 冒険者たちは顔を見合わせた。
 通路の手前側、門扉の横に白骨が転がっている。
 随分奥から風で飛ばされてきたようだった。

「この白骨、妙だね。胴体や首の骨が鋭利で重い何かですっぱりと斬られている」

「……剣や斧ではこうはならないわ。たとえコヨーテ以上の膂力があったとしても無理よ。技術的な問題でなく、相当の質量と速度が必要ね」

「しかもこの白骨、一人じゃない。何人かの遺骨がから飛ばされてきたんだ。一体、この風は――」

「――レンツォ! 止まりなさい! それ以上動かないで!!」

 調査のためじりじりと歩を進めるレンツォを、ミリアが鋭く静止した。
 反射的に身構える冒険者たちの、その鼻先を。

「――ッッッ!?」

 轟! と低く唸る何かが横切って行った。

「こいつ、は……!!」

「そう、こいつよ! さっきの白骨死体をバラバラにしたのは!」

 二度三度と振り子のように通路を横切り続けるそれは、巨大なギロチンであった。
 魔法的な突風で視覚と聴覚を鈍らせ、物理的なギロチンによる必殺という二重の罠。
 どちらか一方にのみ精通していたとしても無事には通れない、そんな道だった。

「このまま突っ込んでいたら今頃全員真っ二つでしたね……」

風精シルフの動きが妙なのに気づかなかったら危なかったわ」

「うへぇ、悪趣味……助かったよミリア」

 罠の様子を見守っていたレンツォはチコを手元に呼んだ。
 突風の中で音が掻き消されるもののどうにか意思を伝えると、チコはすぐに弓に矢を番える。
 巨大な刃が往復するタイミングを計り、合間を縫うように矢を放つよう指示を出した。

 ヒュガッ! と矢は敷石の隙間に突き立つ。
 それと同時に、数多の人間を殺めた無慈悲なギロチンは動きを止めた。
 突風に邪魔されながらもレンツォは罠の停止装置を見抜き、そこを狙撃させたのだった。

「この手の罠は維持管理のためにすぐそばに停止装置がある事が多いんだ」

 蛇の道は蛇。
 戦う力がなくてもレンツォは『月歌を紡ぐ者たち』にとってなくてはならない存在なのだ。

 その後も三重の罠がないか警戒しながらも、一行は着実に回廊を進んでいった。
 ややあって現れる回廊の終わりにして部屋の入口にはお決まりとなったプレートが貼りつけられていた。
 『嵐の間』と刻まれたプレートには共にこう刻まれている。

『嵐の空から、紫電の雷光は失われた』

 天井の中ほどに天窓があり、そこから強い風が吹き下ろしてきている。
 どうやら途中の回廊に吹き込んでいた突風はここから供給されていたようだ。

「おおー、この突風の術式って塔そのものに組み込まれてるタイプだよ。すげー!」

「つまり?」

「解除不可能! 無理やり解除しようとすると塔も一緒に崩れるよ! てゆーかそれ以前に解除するほどの腕がなーい!!」

「楽しそうに言う事じゃないでしょ」

 何はともあれ、突風は直接的な害を与えない罠だ。
 風の音が鬱陶しいものの、解除できないからといって致命的な要因にはならない。
 気を取り直して調査を再開すると、ここにも今までの塔と同じく壁に絵画が掛けられていた。
 無彩色ではあるが嵐の空を描いたもののようだ。

 『嵐の間』にも脱出の鍵以外の情報はなく、『月歌を紡ぐ者たち』は次なる塔へ進んでいく。
 突風は『虹の間』とを繋ぐ空中回廊にしか吹いておらず、別の塔へ向かう回廊は風がないだけで快適に思えるほどだった。

「むっ」

 レンツォが何かに気づいて立ち止まる。
 ズッ、ズッ、と何かを引きずるように迷宮の闇の奥から何者が近づいてくる音がする。
 採光窓から溢れる光に照らされたそれは、人の姿をしているが、およそその生命を感じ取れるような形をしていなかった。

「ゾンビか……」

 かつては信者だったのだろう。
 空色教団の僧服に身を包んだ動く屍たちは無残な姿で冒険者に襲い掛かった。
 が、次の瞬間には魔剣と神剣が閃き、ゾンビたちの首を残らず刎ね飛ばしてその動きを止めさせた。
 ゾンビの亡骸を回廊の端に寄せ、コヨーテたちは思索する。

「なんだって牢獄にゾンビが? いや、それよりもあの僧服、空色教団の信者で間違いないと思うが……なぜ信者がゾンビに?」

「空色教団があらゆる非道を行ってきた事は周知の通りですが、信者までも実験に使っていた……というのも苦しいですね」

「信者の中でも罰せられるような人間だったとか?」

「処刑場に使っていたのかも」

 結局のところ、本の中の牢獄がどんな目的で使われていたかははっきりしていない。
 しかし突風の罠を越えた先にゾンビがいたとすれば、あるいは番犬代わりに放ってある可能性もある。
 心臓部が近いのかもしれない。

『夜明けの空から、始まりの赤き輝きは失われた』

 次の塔は『暁の間』、そしてプレートにはそう刻まれていた。
 同時に、例のごとく無彩色で描かれた絵画も壁にかけられている。
 それよりも目を引いたのは、空中から大きな檻がいくつもぶら下がっており、その中には粗末な身なりの老人が入っている事だった。

「……騒がしいのう。なにごとじゃ?」

 どうやら意思の疎通は可能なようだ。
 ついさっきゾンビを倒した得物を抜いたままだったので説得力がなかったかもしれないが、どうにかこちらに敵意がない事を伝えた。

「何者なんだ、あんた」

「色々あったが忘れてしまったよ。ここでは腹も減らん、記憶も曖昧になる。覚えとるのは……教団の司祭に言葉巧みに誘われてここにやってきたが、最後は魔神の生贄にされるちゅうてここに閉じ込められた事だけじゃ」

「魔神の……生贄!?」

 突拍子もないワードが出てきて、思わずチコは声を上ずらせた。
 空色教団の者と思しきゾンビがどうして現れたのか、その謎が一気に解けそうな予感がする。

「この迷宮を作った魔術師は異界から呼んだ魔神をここに閉じ込めようとしたのじゃ。じゃが魔神は魔術師を喰らい、ここから脱出した。今にして思えば……空色教団とは創造主の意に従う教団ではなく、魔神の口車に踊らされた者たちだったのかもしれぬ」

「……その魔神は一体どこにいるのです?」

「『司祭の下に連れて行かれた信者は誰も帰ってこない。あの司祭こそ、魔神が姿を変えた者に違いない』……遠い昔、信者の一人がこう言っておった。そやつも司祭に呼び出されてから一度も顔を見ておらんがな」

 コヨーテの心臓が跳ねた。
 あの女司祭がその魔神だというのか。
 もしそれが真実であれば、それに何度も会いに行っているバリーはどうなっているのか。

「思えば若くしてあの落ち着き、それに異様な美しさ――何年も姿が変わらぬのも数々の術を使いこなすのも、魔神の変化というなら道理じゃ」

「……お爺さんはなんでここに?」

「ここは空色教団が信仰心の厚い者を集める特別な寺院だったのじゃよ。いや、司祭からはそう聞かされていたが、実際に来てみればそうではなかった……単なる牢獄じゃ。ここは魔神が欲しがる人間の魂を閉じ込める場所だったのじゃ」

 自分が閉じ込められるはずだった牢獄を、逆に好き放題使いまわしているという事か。
 魔神の名に相応しい傍若無人っぷりだ。

「仲間は皆、魔神に魂を食われ、死人使いに生ける屍にされてしもうた」

「オレたちがさっき葬ったゾンビか……」

「わしもこの檻が壊れて閉じ込められておらなんだら、あの死人と同じ運命だったのじゃろうな」

 もう何十年、下手すれば何百年とここに閉じ込められているのだろう老人は、悟ったような物言いをした。
 その様子に、思わずコヨーテは口を開いた。

「……なぁ、爺さん。ここから出たいか?」

「ほほっ、随分優しい侵入者じゃな」

 そう言って、初めて老人は笑顔を見せた。
 しかしその色もすぐさま薄く寂しさを湛えたものに変わる。

「もはやすっかり身体が弱ってな。ここから出たら長くは生きられんじゃろう。気持ちだけ、ありがたく受け取っておくよ」

 老人は満足げに頷いた。
 それに対してコヨーテは何も言えず、ただ奥歯を噛んだ。

「いや、久しぶりに人と話した。好い気分じゃのう。話をするのは。昔はわしも、絵師として……多くの人間と」

「……ッ!」

 老人が檻に添えていた手が急速に痩せ細り始めた。

「そう、そうじゃった……わしは絵師だったのじゃよ……思い出した――エドゥアルド・カリェーハにあこがれてのう――絵筆をとった」

 彼が話している間にも、変化は起こり続けている。
 夢現で言葉を紡ぐ老人の身体は少しずつ灰となり、崩れ始めた。

「お前さんらが良い眼をした美男美女ぞろいで……絵心が戻ってきたわ……」

「もう……、もう喋るなッ!」

 コヨーテは黒白の翼を羽ばたかせて飛翔する。
 檻だろうが何だろうが、こじ開けてでも老人を外へ出したかった。
 たとえ保たないとしても、檻の中で命を尽き果てさせたくはなかった。

「絵は……絵は良いのう。わしも最後に、お前さんらの絵を……描いて、みたかっ……た――」

 そう言い残し、老人は灰となって檻の底に崩れ落ちる。
 老人の手を取ろうとしたコヨーテの手の中には、一本の絵筆が遺された。

「……くそっ!」

 もはや誰もいなくなった檻が寂し気に揺れる。
 錆びついた鎖が軋む音が、やけに耳障りに『暁の間』に響き渡った。



 『嵐の間』まで戻り、もう一つの空中回廊を進んだ先には大きな門が立ちはだかっている。

「たぶん、ここが一番遠くに見えた大きな塔の真下だよ」

 門の左右には翼をもつ悪魔の彫像が鎮座ましましている。
 ここまであからさまだと、いわゆる守護者としてのガーゴイルである可能性がある。

「ま、たとえガーゴイルだろうが退けるはずがないんだけどね」

「同感だな」

 そう言ってコヨーテは左の、ミリアは右の石像へと歩み寄る。
 次の瞬間、彼らの目の前で二つの石像が羽ばたき、空中へと舞い上がった。

「やはりガーゴイル!」

 十分な警戒をもって歩み寄った二人は奇襲を受けず、そのままガーゴイルと相対する。
 本来なら屋内でのガーゴイルは大仰に飛べないためさほど脅威ではないのだが、この空中回廊は異常なまでに天井は高く、彼らは自在に飛びまわっていた。

「動き回られると厄介だな」

「同感ね」

 ミリアはコヨーテの考えを見抜いたように言った。
 事実、彼女は海神の双剣を頭上に振り上げて、腰を低く構えている。
 コヨーテも【レーヴァティン】を引き絞るように切っ先を相手に向けて構えた。

「はぁぁ――!」

 二体のガーゴイルは飛翔し、鋭い爪を繰り出してくる。
 あのスピードでヒット&アウェイを繰り返されると厳しい。
 ならばその強みである翼を引き裂いてしまえばいい。

「――!!」

 コヨーテとミリアに向かい、ガーゴイルは風を切って迫りくる。
 すれ違う瞬間、二人はそれぞれの得物をそれぞれの技術の粋を集めた技を振るう。
 ミリアの持つ【海神の双剣】の刃から青白い魔力が滲み、それは半実体の斬撃となって放たれた。
 コヨーテの持つ【レーヴァティン】が激しく火花を散らし、炸裂の衝撃で爆発的な超加速を得た一閃が放たれた。

 【斬塊閃】、そして【既殺の剣】。
 ともに『必殺』の名を冠するほどに研ぎ澄まされた一撃は、ガーゴイルの翼を完膚なきまでに破壊して地に墜とした。
 そうなればいかに魔法生物とはいえ鈍重な怪力持ちでしかなく、数で勝る百戦錬磨の冒険者の敵ではない。
 さほど時間を置かず、ガーゴイルは粉々の石塊となった。

 ガーゴイルを倒した事が条件となっていたのか、門がゆっくりと開く。
 門をくぐり、ついに『月歌を紡ぐ者たち』は最後の塔へと足を踏み入れた。
 外から見て最も巨大な塔は『召喚の間』と銘打たれており、更に奥へ進む通路も存在している。

『空に四つの色が還る時、閉じた円環は柱となる』

 プレートに刻まれた文字から読み取るに、やはりチコの推察は当たっていたと言える。
 この牢獄から出るにはそれぞれの塔に色を戻してやる必要があるのだ。

 更に奥へ進んだ先にももう一つの部屋が存在した。
 そこにはこれまでの部屋と同じくプレートが掛けられていたが、その文面はおよそ一致するものではない。

「『生体実験区画』……?」

『薬品精製装置の扱いには十分注意すること。有毒ガス発生の危険あり!』

 これまでの詩的な文章とはかけ離れた言葉だった。
 すなわち牢獄の出口に至る道筋ではないという証左である。
 部屋の中は所狭しとフラスコや薬品が詰まった棚がひしめき合い、ある区画には謎の器具もあった。

「何かの実験に使われていた区画みたいだけど、なんだかよく分からないね……」

「教団本部にあった実験の記録にも合致しないような、そんな類の特別な場所なのかもしれない」

「まだ稼働してそうな器具もあるけど、とりあえず触んないほうがいいよ。マジで毒ガス出るかもだから」

 器具には触れないようにしつつ、レンツォはさらに調査を進めていく。
 すると、近くの本立てに器具類のマニュアル一式が見つかった。
 内容を精査するに、どうやらその器具は古代の秘薬を作り出すためのものだった。

「この装置で人間が異種族になる薬が作れるらしいね。装置に残っている材料がもうわずかしかないから、作れる量にも限りがあるけど」

「……どういう事だ?」

「吸血鬼化、木偶人形化、竜化、獣人化……要するにそれらの秘薬を飲めば身体の構造が組み変わって、まるで元から吸血鬼や木偶人形だったみたいにんだそうだよ」

 それも一昼夜限りだけどとレンツォは付け加えるが、とんでもない事だった。
 確かに人間の肉体を吸血鬼に変える術式は存在する。
 だがそれも相当に高位の魔術であり、とても単なるカルト教団が用意できるような術式ではない。
 それどころか、一昼夜とはいえ魔力から切り離した物体として精製するなんて恐ろしい技術力であると言わざるを得ない。

「……こんなもの、一体何のために」

「ですが、空色教団がそのような魔物を従えていたという記録はありません。何かの間違いでは?」

「相当数の実験が行われた形跡があるわ。これは空色教団の行った非道からも読み取れる事実よ。これを覆さない限り、その器具が生み出す秘薬がそうでないと否定はできないと思うけれど」

「たぶん、全部つながったよ――」

 一人静かに器具のマニュアルを読み続けていたチコは口を開いた。

「きっとこの牢獄自体が空色教団に都合のいいように書き換えられてるんだと思う。だから『七塔の迷宮』には六つしか塔がなく、空に色を取り戻すためにはそれらの薬品が必要なんだ」

 チコは『虹の間』でメモを取った、プリズムが囁く言葉を示した。

「『竜の子』、『獣』、『人の形に作られし命』、『血の祝福を受け、夜を行くもの』……これらがそれぞれの四つのプリズムに対応していて、適応する者が触れれば『空に色は還る』、つまり脱出だよ。って事は、それらの要素を持たない者がここを出るにはどうすればいい?」

 問われるまでもない。
 脱出の方法は空に色を還す他に見つかっておらず、水も食料も存在しないこの世界で長く生きる術はない。
 であれば、得体のしれない薬品だとしても縋るだろう。

「教団は何を考えている?」

「……最初から公言してるよ。『言葉を持つ生き物は創造主が何かを成すための入れ物』だって。そしてこう続く。『それに気づいた人間は世界を変えるだけに十分な力を手に入れられる』」

「――まさか」

 思わず言葉を詰まらせたルナに、チコは静かに頷いた。
 不死者となった教団員、檻の中の老人の言葉がそれらを証明している。

「空色教団の教えの通りに肉体という入れ物を捨て去り、竜や獣、吸血鬼や人形ひとがたとなってでも牢獄を出ようとする強い衝動……きっと魔神はそれを欲しがったから……

 不死者となった信者たちは単なる生贄ではなかった。
 おそらくは彼らも肉体を捨て去るほどの熱心な信者であると見初められて、ここへ閉じ込められたのだろう。
 しかし彼らは脱出しなかった。
 得体のしれない薬品を服用する勇気、あるいは蛮勇を持ち得なかった。
 そんなものがいつまでも牢獄に放置されていては邪魔にしかならない。
 だから魔神はそのままに喰らったのだろう。

「すべては魔神のために……か」

 コヨーテの呟きは塔の中に虚しく響き、そして消えた。
 空色教団は単に魔神に騙された生贄の集団だった。
 魔神の持つたったひとつの悪意が、あらゆる人間を不幸にし、涙を流させていた。
 到底許しておけるものではない。

 一行は『虹の間』に戻った。
 欲した情報はほとんど集め終わっており、この牢獄にこれ以上長居する必要もない。

「さ、まずはコヨーテ。赤いプリズムに触れてみて」

「……分かった」

 かなり軽いノリで言われてしまい、ちょっと面食らいつつもコヨーテは赤いプリズムに近づいた。
 同時に、頭の中に声が響き渡る。

『美しきもの、己の望みに生きるもの、心明るきもの、多くを求めぬもの――そして、血の祝福を受け夜を行くものが触れよ』

 コヨーテがプリズムに触れると、それは微かに赤く発行した。
 やがて空中から一条の赤い光がプリズムに伸び、やがて傍にあった空のガラス瓶に集まると、煌めく赤色の塗料へと姿を変えた。

「『吸血鬼』のプリズムはいいんだろうけどさ……残りの『竜』、『獣』、『人形』はどうすんのさ」

「まぁまぁ、まずはこれ見て」

 チコはメモを広げて説明を始めた。

「四つのプリズムに四つの要素。……だけど、何も『竜』とか『獣』が必要なわけじゃないんだなー、これが。ほら、書きだしを見てよ」

『美しきもの、己の望みに生きるもの、心明るきもの、多くを求めぬもの――そして、血の祝福を受け夜を行くものが触れよ』
『醜きもの、人にその身を捧げるもの、心しずけきもの、多くを願うもの――そして、空を行く竜の子が触れよ』
『神を信ずるもの、約束の王国を望むもの、儚き絆を信ずるもの、未来を恐れぬもの――そして、人の形に作られし命が触れよ』
『神を信じざるもの、変転の未来を望むもの、永遠の栄光を望むもの、未来を恐れぬもの――そして、大地と獣の力を継しものが触れよ』

「……前半と後半が必ずしもつながっているとは限らない?」

「そのとーり! 『竜』とか『獣』は外見でそれと分かる要素なだけで、実際には内面を問いかけているもののほうが多いんだよ」

 プリズムに近づいた時に頭の中に声が響くのもその判定のためだとチコは言う。
 外見にも言える事だが、こと内面を推しはかるには単なる問答では意味がない。
 蝙蝠が反響定位エコーロケーションを用いて周囲を把握するように、声に対して特定の要素にだけ跳ね返るような仕掛けがあったとすれば、判定は可能なのだろう。

「だからさ。青は『約束の王国を望む』意外と秩序派なミリア、黄は『人にその身を捧げる』献身的な性格のルナ、紫は『未来を恐れぬ』楽観的な考えをしてるレンツォがそれぞれ触れれば問題ないんだよー! さー行ってこーい!」

「意外とって何よ失礼ね」

「チコがすごくそれっぽい事言っててちょっと感動的なんですけど……」

「ふはははは、しょうがねぇ。『未来を恐れぬ』レンツォさまがやってやるぜ!」

 半信半疑ながらも、ルナたちはそれぞれ指定のプリズムに手を触れた。
 するとコヨーテの時と同じく、プリズムは光を放った後に近くのガラス瓶を塗料で満たした。
 あくまでバリーがいない間の代わりだと割り切っていたが、ここまでやれるとなればさすがにチコへの評価を改めねばならないだろう。

「もうバリー要らないわね、これ」

「変なところでつまづくのがチコだよ。あんまりおだてないほうがいいよたぶん」

「ぶー! こんな時くらい素直に褒めてよねー!」

 一端の魔術師であると証明したチコだが、そうやって頬を膨らませて拗ねている分にはいつも通りだ。
 レンツォの言い分も取り入れて、コヨーテはただ黙ってチコの頭を撫でた。
 とはいえバリー不要論は即座に撤回されるべきであるが。

「あとは塔にかけられていた色を失った風景画に塗りたくれば『色は空に還る』んだけど……ひとつわがまま言っていい? 『生体実験区画』に変な器具あったじゃん。あれってさ、同じ材料で強酸性の薬品が作れるみたいなんだよね」

「それが欲しいんですか?」

「コヨーテ、あの岩場にあった門の鉄格子おぼえてるでしょ? あの硬化魔法ゴリゴリのやつ」

「まさか薬品で溶かせるのか?」

「マニュアルの記載が正しければ、だけどね」

 コヨーテも最後に残されたあの門の先に興味はあった。
 処分できなかったのか、あるいは別の理由か。
 どちらにせよ魔神が残した最後の手がかりではあるはずなのだ。

「やってみる価値はある、か」

「まぁ、結局は『嵐の間』にも『暁の間』にも戻らなきゃならないんだし、手間じゃないわね」

 こうして脱出のための解錠を済ます傍ら、『生体実験区画』に立ち寄って強酸性の薬品を精製したコヨーテとチコは再び浮遊する岩場へと向かうのだった。


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周摩

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