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ウーノの追想 

 深緑都市ロスウェルから南に少し下った辺りにアルタロという集落がある。
 アルタロはロスウェルが『陰の街』と揶揄される以前よりキルヴィの森の片隅でひっそりと存在していた。
 大昔にはキルヴィのエルフより狩りの仕方を教わるなどの交流もあり、そんじょそこらの集落よりは技術的に栄えていたのだろう。

 そんなアルタロ村の外れには村や森とは到底そぐわないであろう、場違いな雰囲気の屋敷が建っている。
 村や森どころかリューンやそれこそロスウェルのような中規模以上の街でしか見られないような豪奢なものだ。
 乳白色の外壁には至る所にひびや劣化が見られ、全体に蔦が巻きつき自然な緑色で調和が成されている。

 しかし見落としてはならない。
 この屋敷はここアルタロの地に建てられてわずか数年しか経っていないのだ。
 ひびや劣化、外壁を這う蔦も全てカモフラージュだ。

 それらは全て屋敷に住まう魔術師・グリスの仕業である。
 老年といっても差し支えないほどに老いさらばえたグリスは、それでも一流の魔法の使い手だ。
 地下の遮光研究所で魔法生物の研究に精を出しているらしい。

 そしてあの屋敷に住まうもう一人。
 アルタロを包むキルヴィの森を必死に走り続け、川に行く手を阻まれて途方に暮れている少年がそれだ。
 別に何かに追われている訳でも何かから逃げている訳でもない。
 ただ、猛烈な違和感に対して自分の出した結論が『外へ出る』だったに過ぎない。

「チィ……」

 ひたすらに走っていたためか、靴の底が破れてしまっている。
 それどころか足の裏には石か何かで切ったような傷があり、血が滲んでいた。

 思えば無茶が過ぎる逃走計画だった。
 あちこちに綻びが見られ、終いには破綻した末に立ち止まっている。
 もう少し冷静だったならば成功しただろうか。

「……ンな訳ねェだろ」

 逃走という根底が不可能なのだ。
 そもそもどこへ逃げようというのか。
 少年にとっての『世界』とはあの場違いな屋敷だけなのに。

 やれる事がなくなったので、少年はその場に寝転がった。
 もはや押すも引くもできない。
 後は野となれ山となれ、だ。

「いたいたー! ウーノさまこんなところまで逃げるなんてー!!」

 ふと、近くの茂みをがさがさと揺らしながら甲高い声が響き、ウーノと呼ばれた少年の耳を打った。
 眉をしかめて視線を動かすと、そこには葉や枝や植物の種をあしらった独創的なメイド服を身にまとった褐色肌の少女が顔を出したところだった。

「まったくもう、これで何度目かなウーノさま。旦那さまに叱られてしまうのはランなんだよっ!」

 全身にくっついた植物の欠片を叩き落としながら、ランはぶちぶちと文句を言う。
 メイドキャップからあふれる茶髪にはオナモミがびっしりくっついていて、ランは若干涙目になっている様子だった。

「オマエの給金がどこまで減っていくか挑戦中だからな」

「――もう、ウーノさま!」

 頬を膨らませて怒った様子を見せるが、その間もしつこく髪に絡まるオナモミに苦戦しているので迫力に著しく欠ける。

「あぁうざってェ! 取ってやるからじっとしてろ!!」

「え、本当ですかやったお願いしまぁす! ほんっと取れなくて、これ!」

「……千切るか」

「か、髪を!? やめ、やめてギョエエエエエエ!?」

 ブチブチとオナモミを剥がしては捨てを繰り返すウーノはどこまでも無表情だった。
 ちなみにランの言葉尻がコミカルな悲鳴じみたものになったのは本当に引きちぎったわけではなく、単に引っ張られて痛かっただけである。

「ちょ、もうちょっとゆっくり取ってぇイタタタタタタタ!」

「ゆっくりじゃ取れねェだろうが」

「手心を加えてイダイッ! 手心を!!」

「うるせェなぁ……無理にでも取らねェとオマエの頭に種が根付いちまうぜ。そんでじわじわと植物に頭を乗っ取られて終いにゃ身体の自由も利かなくなってだな」

「ええっ、なにそれこわい! と、取ってくださいウーノさま!!」

 ぎゅっと目を閉じて、ランは覚悟を決めたらしい。
 ならばと遠慮しないのがウーノである。
 それから少しの間、ランの悲痛な叫びがキルヴィの森に響いた。

「ひぃーん……痛いよぅ……」

「全部取れてよかったなぁ?」

「良かったけどぉー……女の子の髪は大切なんだよぅ?」

「ハァ? ガキが色気づいてんじゃねェよ」

「ウーノさまとラン、同い年だけど……って、違うよ!? 別にウーノさまがお子さまだとか思ってないからね!?」

「一言多いんだよオマエは」

 ウーノは深くため息をついて、

「腹減った。帰るぞ」

 踵を返して歩きだした。
 足の怪我が痛みを発するが、ウーノは無視した。
 追従するように、ランもその後ろを静々と歩む。

「――そう、ランはウーノさまを連れ戻しに来たんだよ! というわけでウーノさま、大人しくお屋敷へ戻りましょー!」

「だから帰るっつってんだろ」

「……というか。どうしてウーノさまは毎度毎度脱走なんてするの? 成功した試しがないじゃない」

「成功してたらここにいるわけねェだろ」

 その軽口に対して、ランはじっとウーノの目を見つめた。
 はぐらかされた事への不満や叱責ではない。
 純粋な疑問とも少し違う。
 言うなればそれは、心配するような眼差しだった。

 どれほどの間、二人は無言だったろう。
 背を向けて歩いているというのに、ウーノの後頭部にはランのあの瞳が向けられている気がしてならない。
 ついに折れたウーノはため息をひとつついて口を開く。

「まぁ、言っちまえばいつもの事なんだがよ。……今回の『実験』はいつもより嫌な予感がしやがる」

「でも旦那さまの『実験』ももうすぐ実を結ぶ、と言ってたから。上手くいけば今回にでも」

「実を結ぶ、ねェ……」

 だから脱走してんだろうが、と言い掛けて、ウーノは口を閉ざした。
 整備された道を抜けた先、あの悪趣味なグリスの屋敷にたどり着いたからだ。
 玄関の扉の前に、黒装束の老人が佇んでいる。

「遅いぞ」

「はっ、はい! 申し訳ございません旦那さま!」

「すぐに始める。用意しろ」

 ウーノには一瞥もくれず、グリスは屋敷へと消えていった。
 相変わらず愛想のない野郎だ、とウーノは心の中で悪態をつく。

「それじゃ、行こっか。ウーノさま」

「あ? 今回の『実験』に俺は要らねェんだろ?」

「何を言ってるの。足、怪我してるでしょ。ちゃんと手当てしないと大変な事になるからね!」

「チッ、気づいてやがったか」

 こうやって構われるのが好ましくないから隠していたというのに。

「はいはい、文句言わずに。ランの部屋に行きましょ?」

 にっこりと笑みを浮かべてランは手を差し伸べた。
 ウーノは小さく息を吐いてからそれを無視して歩き出した。
 今度は先ほどのように隠さず、なるべく傷口が地に触れないような慎重な歩みだ。

「素直じゃないんだから、ウーノさまは」

「うるせェよ……」

 ランは玄関から程近い小部屋を宛がわれている。
 滅多にない来客の応対だとか警備のためだとか理由がつけられているらしい。
 左右を書庫と倉庫に挟まれた、二階の大部屋で生活するウーノにとっては羨ましい限りである。
 だだっ広いだけの殺風景な部屋に一人で生活していると、じわりじわりと世界から離れていくような、そんな奇妙な感覚を覚えるからだ。
 成功しない脱走計画を何度も何度も立てている理由の一つでもある。

「さぁさ、座って」

 部屋に入るなり座るよう促されるものの、ランの部屋には簡素な寝台とボロのデスクのみでまともな椅子がない。
 故に、いつもどおりウーノは寝台へと腰掛けた。

「じゃーん! こんな事もあろうかと、森で色々と薬草を拾っていたんだよ!」

「オイ待てコラ。毒草混じってんじゃねェか」

「ええっ!? う、嘘!?」

「皮膚からでも容赦なく浸透して体内を侵すタチの悪ィ毒草だったか」

「ひえーっ!?」

「冗談だ馬鹿。毒草ってのは嘘じゃねェがな。それとそれ、捨てとけ」

「うわぁんウーノさまのばかー! でもありがとう! 捨てます!!」

 毒草を手に部屋を飛び出したランはしばらくして戻ってきた。
 両手が湿っている辺り、しっかり手も洗ってきたのだろう。
 毒草と薬草の区別もつかないほど鈍い癖に、こういうところは細かいのだ。

 薬草を適切に加工して傷口に宛がい、包帯できつすぎないように固定する。
 その手際は見事なものだ。
 おそらく、そうやって手馴れるほどに怪我をしてきたのだろう。
 女だというのに。

「はい、これでもう大丈夫!」

 この笑顔の裏ではどれだけ涙を流してきたのか、ウーノに分かるはずもない。
 分からないが、それでも笑顔でいられる彼女の強さを垣間見た気がした。

「と、いうわけでランは『実験』に向かうからね! ウーノさまはおとなしくしててね!」

「オマエ、俺を犬か何かと勘違いしてねェか?」

「いえいえ、ウーノさまはどちらかというと気まぐれにゃんこ」

「どうでもいいんだよンな事ァ。さっさと行っちまえ」

 処置した怪我の調子を確かめるように立ち上がり、足早にランの部屋を出た。
 グリスはウーノの治療に関しては特に言及する事はないだろうが、それでも実験の開始を宣言していた以上、あまりにも遅くなってはランが不利益を被りかねない。
 そこまで思考してウーノは頭を振った。

「……腹ァ減ったな」

 誰も聞いていないというのにごまかすように呟き、ウーノはキッチンへと足を向けた。



 唐突な衝撃が屋敷を揺らした。
 ウーノは転ぶような無様は晒さなかったものの、それまでかじっていた黒パンを取り落としてしまった。
 これがランだったら『まだ大丈夫、三秒ルールだよウーノさま!』と言って埃を払った程度で食べてしまうのだろうが、ウーノはそんな真似はしない。
 というよりそれどころではない。

「今のは……」

 状況を把握する間にも二度三度と大きく屋敷を揺らす衝撃があった。
 戸棚に収められていた食器やグラス類が軒並み放り出され、床に落ちて割れていく。
 幸い家具が倒れてくるような事態にはならなかったものの、陶器やガラスの破片で床一面が危険地帯と化した。

「どうなってやがんだ、今回は」

 おそらく、いや間違いなく『実験』の余波が響いてきているのだろう。
 以前にも同じように衝撃で屋敷が揺れた事があったが、今回のようにひどいものではなかった。
 ウーノの心はざわついた。

(一体、何をやってやがる?)

 ランは上手く事が運べば今回で『実験』が実を結ぶと言っていた。
 その前兆なのかもしれない。
 実った果実の良し悪しに関わらず、だ。

(俺には関係ねェ……)

 『実験』の内容についてはウーノには一切知らされていない。
 魔術狂いのグリスが勝手にやっている事だ。
 どうせろくでもない内容なのだろうし、出来る事なら関わらないほうがいい。
 しかし、ウーノの身体は思考とは裏腹に地下室へと下る階段へ向かっていた。
 『実験』の内容にもグリスの安否にも興味はないが、それでもあのそそっかしくて鈍くさい馬鹿がマヌケを晒しているかと思うとからかいに行きたい気持ちはある。

 地下室へ向かう階段には一切の明かりがなかった。
 これまで住み慣れたはずの屋敷の見知らぬ場所だ、慎重にならざるを得ない。
 そうこうしている間にも何度か大きな揺れが足元を揺るがしてくる。

(なん、だ……こりゃ)

 ややあって辿りついたのは巨大な鉄製の両扉であった。
 出入口がこれほど大きいのなら、中はもっと広いに違いない。
 しかしウーノが怪訝な表情を表したのは、その扉の隙間から溢れ出る玉虫色の光に対してであった。

 今までに見た事のない光に、ウーノは思わずその場に立ち止まった。
 わずか一瞬後、彼はその無意識の判断に命を救われる事になる。

「――っ!!!」

 炸裂音と共に、扉の片方が恐ろしい勢いで吹き飛んだ。
 蝶番からへし折られた扉はその形を歪ませながらウーノのすぐそばを掠めて飛んでいき、壁にぶつかってようやく止まった。
 鐘の音に似た轟音が鳴り響くも、ウーノはそちらに気を留められない。
 扉が吹き飛んだ事で内部の様子を見てしまい、彼は思わず息を呑んだ。

 地下室の中にはおぞましい光景が広がっていた。
 おびただしい数の死体。
 まだ年端もいかない裸の子どもたちが、血溜まりの中に折り重なるように沈んでいた。
 そして部屋の中で爆発が起こったかのように、四方の壁に向かってありとあらゆるものが叩きつけられている。 
 デスクや書庫の中身、硝子製の容器などは滅茶苦茶に破壊されているが、子どもの死体も例外でなくそのほとんどが四肢か頭のいずれかを欠いていた。
 それほどまでにヒトの命が冒涜され、踏みにじられていた。

「……グリ、ス……!」

 これまで長くこの屋敷に住んでいたが、こんなに大量の子どもの姿を見た事なんて一度もない。
 そしてこんな数の人間を家主に無断で引き入れるなんて不可能だ。
 おそらくはそれを成したであろう老魔術師の姿を探し、ウーノは部屋の中へ足を踏み入れた。
 ばしゃ、と血溜まりを踏みつける感触が不快ではあるが、それでもウーノは構わなかった。

「グリスッ!!」

 ようやく見つけた老魔術師には、いつも漂わせていた傲慢なまでの余裕を一切感じられなかった。
 撫でつけるように後ろへ流していた白髪も振り乱し、額には玉のような汗を滴らせて息を切らせている。
 全身を真っ赤に染め、必死の形相で何事かを叫び、儀式用のナイフ――アサメイ――を振るう。

 

 チカチカッと赤い光が二度瞬いた後、部屋の中で膨大な圧力が弾け、グリスはおろかウーノさえも巻き込んで荒れ狂う。
 視界が歪むほどの膨大な『チカラ』によってグリスとウーノは等しく壁に叩きつけられた。
 一緒に巻き上げられたのだろう、子どもの死体やその破片が二人の上へ降り注ぐ。

「く、そ……何が、どうなってやがる……!?」

「……ウーノ!? 愚か者め、何故降りてきおった……!」

 苦虫を?み潰したような表情のグリスに、ウーノは口を突いて出そうになった文句を飲み込んだ。

『――ぎゃははははっ! はあっははははははははァァァ!!!』

 哄笑が地下室に響き渡る。
 それはおよそまともな人間が出せるような笑い声ではない。
 狂人のそれだ。

『おいおいおい、耄碌爺ィよぉ。万策尽きたかよ、「そんなモン」に頼るなんざ俺様を笑い殺そうってハラかよぉ? なぁ、ええ?』

 それは一本の蝋燭のように見えた。
 しかし先端に灯された火は一切の明かりをもたらす事なく、周囲のどす黒い渦に呑まれている。
 火が揺らめくたびに蝋燭は朧げな輪郭を揺らし、その姿を一定に保つ事はない。

「……悪魔デーモンめがほざきおって!」

『その悪魔に頼ろうとしたのはどこの誰だよグリスちゃーん!? ざァんねェんでしたぁー! テメェのか細い希望はこの通り、テメェが瞬間に粉々のゴミカスになって消えちまったのでしたぁぁぁーーー!!』

「……仕方があるまい。ウーノよ手を貸せ、『奴』を殺すぞ!!」

「ふざけてんじゃねェぞ! その前に説明しやがれ!」

「説明などしている暇があるものか!」

 グリスの言葉通り、次の瞬間には赤い光が膨大な熱量となって二人を襲う。
 火炎が部屋を焦がし、調度品の成れの果てへと燃え移ってさらには子どもたちの死体を焼き尽くしていく。

「――ともかく上へ行くんだ! 『奴』はここに閉じ込める!」

 グリスはウーノを扉の向こうへと突き飛ばすと、何事かを呟いて儀式用のナイフを『悪魔』へ向ける。
 緑色の光が迸ったかと思うと、それは突風へと姿を変えて『悪魔』も何もかもをも巻き込んで地下室の奥へと押しやった。

「……オイ! ランの奴はどうした!? まさかまだ地下にいるんじゃねェだろうな!?」

 首根っこを掴まれ、乱暴に階段から引きはがされながらもウーノは叫ぶ。
 それには答えずにグリスは荒い呼吸を繰り返しながら蹲る。
 よくよく見れば、彼の腹部には調度品の破片が突き刺さっており、そこから赤い染みが広がっていた。
 
「その様子では長くは保たないでしょうね」

「――ッ!?」

 一体いつの間に現れたのか。
 屋敷一階のエントランスには背の低い女の子が一人佇んでいた。
 サイズが合っていないのか、彼女が身に纏う黒いコートの裾は無造作に縛って留めてあり、フードは目深に被っていて顔は見えないものの、首筋からあふれ出る金の髪はやけに輝いて見える。

 その姿を認めてもなおそこには誰も居ないような錯覚に陥り、ウーノは眉間に皴を寄せる。
 ウーノの眼がおかしくなったのではない。
 彼女の存在感が異常なまでに希薄なのだ。

「……来おったか、死神」

「往生際が悪いからそうやって苦しむのですよ」

 死神と呼ばれた少女はそれを否定しなかった。
 異常な雰囲気と風貌から、彼女が『死神グリム・リーパー』である事は疑いようがない。
 なまじ、ついさっきまで『悪魔』と相対していたのだから、信じざるを得ないのだった。

「そんな人形ひとがたまで造ってもわたしの眼は誤魔化せません。逃がしませんよ」

 ウーノを一瞥して、彼女はそう言った。

「人形……?」

「黙れ死神! わしは負けぬ! 貴様にも、悪魔にもなッ!!」

 轟!! と、地下から立ち上った衝撃が一階のエントランスを貫いて、膨大な熱量を撒き散らした。
 支えを失った床が抜け、死神を含めた三人は成すすべなく床下まで落下する。
 グリスの地下研究室は、ちょうど真下に位置していた。

『笑わせんじゃねぇぇぇぞグゥリスゥゥゥゥゥ!!』

 地下から大魔力をぶっ放した張本人である悪魔は、もはや蝋燭の姿をしていなかった。
 茶色の髪を揺らしながら、メイド服を身にまとった褐色肌の少女。
 見忘れるはずもない、まさしくウーノが記憶しているランの姿をしていた。

「……人形製造のみならず悪魔召喚まで行っていましたか、悪逆非道の罪人グリス!」

 死神の少女は身の丈より長い棒を手にしたかと思うと、先端近くから青白く輝く刃を形成させた。
 それはまさしく死神が用いる大鎌だ。
 もはやグリスにもウーノにも気をとめず、瓦礫の上に堂々と立つ悪魔の少女へと飛び掛かっていく。

「――ベル!」

 唐突に、別の赤い影が現れて悪魔へ攻撃する。
 赤い影の手には死神と同じく黒塗りの棒が握られており、こちらは赤黒い刃が形成されていた。
 真紅のコートに身を包み、肩まで伸びた赤い髪を揺らすのは不健康そうなほどに白い肌の女性だった。

「マグ姉さん! どうしてここに……!」

「こいつが例の悪魔――『美食家トップイーター』ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトだからさ!」

「……なるほど。グリスが縋りつきそうな相手というわけですか」

 それだけ会話を交わして、二人の死神は同時に悪魔ヴィルヘルムへと飛び掛かる。

「何がどうなってやがる……!? 説明しろグリス!!」

 グリスは脂汗を滴らせながら「くそ……」と奥歯を噛み、やがて口を開いた。

「……あの死神どもはわしの命を狙っておる。わし本来の寿命はとっくに尽き、今は遮蔽魔術の応用でこの世に残留しておるにすぎん。彼奴はそれが気に食わぬと襲い掛かってきおる。そのための対抗策としてあの悪魔を呼び出し、使役する心算じゃった。死神さえどうにかなればわしの研究を邪魔する障害は何もなくなる」

 その結果がこの様だ。
 異常なまでの生への執着が死神を呼び、死神を追い払うために悪魔を呼んだ。
 それだけの事実だけで断言できる。
 

「人形ってのは……どういう事だ……」

「貴様はわしが造り出したホムンクルス、その……故に貴様は実験番号一番ウーノなのじゃ」

「な、に……!?」

「すでに寿命が尽きたわしに延命術式は効果がない。なればわしの知識と記憶の全てを別の肉体に容れ、新たな人間として生まれ変わったほうが綻びは生じにくい……適合率を上げるためにわしの血肉を用いて培養した貴様は『グリス・エスメラルダ』という魔術師を形成する肉体に過ぎん」

 自分の出生の秘密を知り、その普通でない在り方を知らされればヒトはここまで言葉が出なくなるものか、とウーノの頭は吃驚しながらも冷静に処理した。
 時折、デジャヴのように頭の中に浮かぶ何かの術式や見た事もないはずの毒草の知識などは、すでにグリスの知識が移されていたからか。
 地下室で見た数多の子どもの死体は、実験の失敗作の成れの果てだったのだろう。

「ウーノ、生粋の魔術師としてこの世に生を受けた貴様になら理解できるはずだ……わしの研究がいずれ世界を変えるほどの価値を生むのだと。今はまだ途上だが……時間さえあればいずれ実を結ぶ! 今わしの肉体は滅びつつあるが、最後の記憶転移術式はすぐにでも起動できる……貴様の肉体と我が記憶があれば死神だの悪魔だのに後れを取る事はない!」

「………………」

「さあウーノよ! わしの近くへ来い……術式を始めるぞ!!」

「……行くと思ってンのか? そんな話を聞かされてよ」

「な、何を言って――!」

 たとえ理解ができたとしても、この心が反発するのであれば身体も拒否するに決まっているはずなのに。
 研究の成就という幻に取りつかれ道を誤った魔術師グリスにとっては、それすらも判断できないほど落ちてしまったのか。

「――

 吐き捨てるように言い放ち、ウーノはグリスに背を向けた。
 一瞬の静寂の後、何事かを叫びかけたグリスの周囲を爆炎が包み、そして弾けた。
 死神と悪魔の戦いの余波が、全ての元凶であるグリスの旧い肉体を、現在の記憶を保持した脳を焼いていく。

「ラン……!」

 すでに思考を切り替えたウーノは『さっきまでグリスだった焦げ肉』に背を向けて駆けだした。
 崩落した瓦礫にほとんど圧し潰されているだが、それでもウーノはある一点を目指している。
 たとえグリスの記憶がなくとも、悪魔召喚の術式のために整えられた地下実験場においてランの役割と居場所は決まっている。
 悪魔がランの姿を得ている事からも彼女が召喚のための生贄に用いられた事は間違いなく、それらはグリスからすでに移されていた魔術の知識がそう結論を弾き出していた。

 幸いにも悪魔は階段近くで魔力を爆発させたため、地下実験場の中心――すなわち悪魔召喚の魔法陣の中心――は無事だった。
 そこには胸の前で手を組み、仰向けに横たわるランの姿があった。

「オイ、しっかりしろ!」

 あの悪魔が『何』なのかは知らないが、グリスの知識に存在する悪魔召喚の術式はすべて完全に限界させるほどの『重い』術式ではなく、悪魔を呼び出して知恵を借りる程度のものだ。
 であれば、生贄に人間一人分の血肉を要求するほどのものではない。
 生きているはずだ。

「う……ウーノ、さま……?」

「立てるか?」

「寒い……」

 ランはとても立てる様子ではなかった。
 すでに多量の血液が捧げられたのか、彼女は瞼を震わせるばかりでほとんど動けない。
 いつ呼吸を止めるかは時間の問題だが、まだ生きている。

「……、」

 ここでようやくウーノは場の状況を視た。
 死神二人がかりでも悪魔を相手取るのは難しいのか、どうにも旗色が悪そうだ。
 彼女らの口ぶりからすれば悪魔の命も狙っていた様子だが、もう一人の標的であるグリスはもうこの世にいない。

「――ぐあっ!」

 悪魔の放った魔力の槍が真紅の死神の胴を貫く。
 死神はそのまま吹き抜けから二階の壁にぶつかるほどに弾き飛ばされ、そのまま床をぶち抜かれた地下まで落下して叩きつけられた。
 高所からの落下がなくとも、致命的な一撃に違いない。

「ひゃーーーはははははっ! 歯ごたえねぇぇぇなぁぁぁぁぁ!?」

「くっ……!」

 もう片方の黒の死神は悪魔に首を締めあげられていた。
 彼女の右肩は血に塗れ、力なくだらりと垂れ下がっている。
 すでに大鎌を握るどころか悪魔の手を引きはがす力すらも残っていない様子だ。

 この瞬間。
 死神すらも『悪逆非道の罪人』と評し、自らの視点から見ても人間のクズだと判断したグリスと同じ知識を持つウーノの脳みそは好機を見出した。
 複数の糸を紡ぎ合わせてタペストリーを織るように、あらゆる知識の糸を用いて弾き出した演算結果にそう出ている。
 グリスが死亡した事で知識が逆流しているとでもいうのか、まるで人が変わったようにウーノは冷静に、冷徹に状況を見極めて解を出していった。

「――、」

 ウーノの口が言葉を紡ぐ。
 それは呪文の詠唱であり、すなわち魔術の行使に他ならない。
 一度も魔術師に師事した事がなく、まともにその様子を見た事もないのに、グリスの脳は経験を補って余りあるほどの知識を与えていた。

「あァ?」

 ばつんっ! と悪魔の腕が爆ぜ、派手に血肉を散らす。
 その手が掴んでいた死神は重力に引かれるままに倒れ伏した。
 第一目的である死神の解放は果たした。

「……ウーノだとか呼ばれてたガキじゃねぇか。テメェ何をした?」

「――、」

 ウーノは答えずに更に詠唱を続ける。
 魔力を糧に生み出された白く輝く獣爪が悪魔を襲う。
 その一撃は石造りの床を易々と砕き、大きく爪痕を残すほどだった。

「チッ」

 さすがに無視できなかったのか、悪魔もまた黒に染まった獣牙を生み出して相殺する。
 それでも先んじて詠唱を重ねていたウーノの獣爪は雨のように降り注ぎ、ついには悪魔が立っていた足場を完全に切り崩した。
 地下から一階へ上ったウーノは館の外へ追い出した悪魔と相対する。

「俺様はテメェの脳みそ弄った覚えはねぇぇぇんだけどなぁぁぁ? グリスの野郎が小細工してやがったって事かぁぁぁ???」

「理論自体は出来上がってたんだよ、オマエなんざいなくてもなァ」

「だとしてもテメェの限界はグリスだ。何とかなるとでも思ってんのかぁぁぁ?」

 その問いにウーノは嘲笑で返した。

「――とっくに解析は終わってんだよクソ野郎」

 宣言と共に、屋敷が大きな音を立てて揺れた。
 地震とは違う。
 揺れているのは屋敷だけで、悪魔の立つ屋敷の外は一切揺れていない。

「グリスには遮蔽魔術の知識がある。外界との断絶……知識を持たねぇ奴ならそれこそ永遠に閉じ込められる代物だ。オマエに死神を始末させた後、自分だけ外に出て使う心算だったんだろうな。起動準備はずっと前から済んでいたみたいだぜ?」

「テメェ、まさか――!」

「一歩でも外に出た時点でオマエの負けは決まってたんだよ。これから遮蔽魔法の勉強でもしてみるか?」

 悪魔召喚は死神に対抗するための一手ではあったが、魔術師グリスが何の理由もなく無関係の悪魔を選ぶはずがない。
 記憶転移に関わる力は持ってはいても、時空転移に関しては門外漢なのだろう。
 それは遮蔽魔術の罠の用意から見ても明らかだ。

「……別にテメェらに頓着する理由もねぇからなぁ。せっかく現界できたんだ、好きにやらせてもらうぜぇぇぇ」

「だが覚えておけ。俺はオマエがどこにいようと探し出し、そして息の根を止めに現れるとな……!」

 己の魂に刻み付けるように、ウーノは強く宣言した。
 この狡猾な悪魔が考えなしに暴れるようなマヌケではないとは思っているが、それでも被害がゼロで済むとは一切思っちゃいない。
 悪魔を呼び出し、そして取り逃がした責任はグリス、ひいてはウーノにあるのだから。

「じゃあこっちも面白ぇ情報くれてやるぜ。……生贄のガキと黒の死神だがよぉ、ちょっとしたプレゼントをくれてやったんだぜ」

 悪魔はランの姿のまま凄絶な笑みを浮かべる。
 自らのこめかみを指でつつき、

「――『忘却』の呪いだ。知識があるんだから知ってんだろうが、俺様は『記憶』を捧げた野郎の呼び出しにしか応じねぇんだ。何しろ『美食家』だからよぉぉぉ!」

 確かにグリスの知識の中にはそういった情報が存在する。
 同時に、それが解除不可能に近いほどの難易度を誇るヴィルヘルム・ヴェルフェンバルト独自の術式である事も識った。

「仮に生き延びたところで奴らの記憶はそう長く保たねぇぇぇんだよ! どれだけ生き延びられるか見ものだなぁおい!!」

「……、」

「じゃあな、せいぜい頑張れやウーノちゃーーーん!!」

 ひと際大きく揺れたと思うと、世界が暗転した。
 その瞬間まで己が倒すべき敵の姿を、その声を記憶に刻み付け、ウーノは固く拳を握りしめる。

 遮蔽魔術が完全に起動され、ようやく屋敷に平穏が戻ってきた。
 それが仮初めのものであると理解していても、ウーノは無理やり使い続けた魔術の反動でその場に座り込んだ。



 悪魔の脅威は去った。
 しかし状況は依然悪いと言わざるを得ない。
 迅速に行動しなければ悪魔と再び見える前に死んでしまう。
 魔力が枯渇した身体を億劫そうに引きずりながらも、ウーノは黒の死神に近づいた。

「生きてんだろ」

「……まともに動けはしませんが」

「だったら問題ねェ。状況は分かってるか?」

「意識はありましたから。にしても随分と大胆な方法を選びますね……」

 黒の死神もまたボロボロの身体を引きずり、痛みをこらえて身体を起こした。

「悪ィがオマエらも一緒に閉じ込めちまった。だが安心しろ、遮蔽魔術の知識はあるし足りなきゃ書庫にいくらでもある……いずれ出してやれるんだ」

「……わたしとマーガレットは魔術師グリスを追っていました。自らの天命を越えながらなおこの世にしがみつき、我らを欺く大罪人……彼はもう滅びましたが、彼が生み出したあなたがまだ残っている」

 グリスが人形を造った最大の理由は転生に近い所業を成し得るためだ。
 記憶こそ転移してはいないが、その魔術の知識の大部分を持つウーノは彼女らのルールに反する存在なのだろう。

「俺も殺すのか」

「『大いなる意思』が……そう判断したのなら。わたしたちが決める事ではありません」

「それなら俺がオマエらを助ける理由はあるって事だ」

「……なに?」

 困惑する死神をよそに、ウーノはふらつきながらも立ち上がって真紅の死神に近づいた。
 腹を破られていて出血も尋常ではないが、辛うじてまだ生きている。
 単なる人間ではなく死神ゆえの生命力か。

「治癒すれば間に合うな」 

 ウーノは知識の中から治癒の術式を検索した。
 いくつか該当するものはあったが、やはりその数は少ない。
 こういった術式はグリスには合わないのだろう。

 聖北の奇蹟には劣るものの、魔術的な治癒は早い。
 真紅の死神の傷はみるみる内に塞がっていった。
 他にも小さな傷はあったが、命に関わらないものにまで術式を使う気にはなれなかった。
 何しろさっきから魔力の枯渇が深刻で、ずっと頭痛を抱えているからだ。

「なぜ助けるのです……わたしたちがあなたに害を成さない保証はどこにもないのですよ」

「だとしてもだ。元はと言えばグリスが……俺が蒔いた種だからな。それで俺が殺される運命だとしても自業自得だ、構わねェよ」

 もとより人造のホムンクルスだ。
 生きる目的も何もかもが造り物であるのなら、ウーノにとっては何もないのと同然だ。

「だがランは別だ。あいつはグリスの計画とは無関係な、ただの給仕人だ。ただ雇われただけで理不尽にその命が失われるなんて事は俺が許さねェ。……オマエらだってランの命は狙っちゃいねェんだろ?」

 死神は静かに頷いた。
 ランには何の咎もないのだ、死神に狙われる理由なんて存在しない。

「全部、俺が終わらせる。自分グリスの不始末は自分ウーノでつける。……それが理由だ」

 ウーノは黒の死神に対しても先ほどと同じく治癒の術式で傷を癒した。
 更に頭痛が加速するが、それでも治癒をやり切るだけの魔力は残っていたらしい。

「……クソ、まだだ。まだ呪いが残ってやがる」

 視界が明滅しはじめているが、それでもウーノは折れない。
 悪魔ヴィルヘルムが用いた忘却の術式はどこにも流出していない、完全なオリジナルだ。
 それでも切り崩す隙は必ず存在する。

「これか……」

 術式の解析を進めたウーノはその一部を起動させる。
 黒の死神からじわりと魔力が染み出し、やがて砂時計の姿となった。
 上部には白い砂がいくらか溜まっているが、下部には何もない。
 砂時計として機能していないようにも見えるがその実、オリフィスを下った砂はその端から消失していた。

「この白い砂が……、わたしの記憶……?」

「忘却が思ったよりも早い……クソ、こいつは難儀だ」

 タイムリミットは予想以上に短い。
 ただ解析するだけではなく対処法も編み出さなければ救えないというのに、二人分を同時に行うというのはとても現実的ではなかった。
 だが今さら泣き言を言っても始まらない。
 ウーノはランにも近づいて同様に砂時計を可視化する。

「なッ……!?」

 だが、彼女の砂時計には白い砂――すなわち記憶はほとんど残っていなかった。
 死神のそれと比べても十倍近く差がある。

「どうなってやがる!? この差は一体どこから――!?」

「おそらくは……密度の違いです」

 答えたのは黒の死神だった。

「記憶というものが普段は脳の片隅に格納され、必要な時に参照されるものだという事は理解していますね? 刺激の少ない、思い出すという工程がさほど行われない記憶ほど密度が低く、脆い……忘却の術式はそういった弱い記憶から切り離しているみたいです。怪我をしたとか、命を刈ったとか……そういった強く印象に残る記憶以外がほとんど思い出せません」

「……ランは給仕人だ。グリスの手伝いをしていたとはいえ平穏な生活を送った期間が長い。だから密度が薄い記憶が多いってのか?」

「もちろん、記憶できる容量というのは個人差があります。それに印象に残る記憶というのは個々人で受け取り方は違いますし、何より割合で考えるべきではありますが……しかし、記憶というものは積み重ねです。普通に考えれば一瞬ごとに記憶は一〇〇パーセントに戻るはずですから」

 彼女の言い分はもっともだった。
 自らの記憶を蝕む術式に対して確実な情報を得られるのは彼女だけであり、そんな最後の希望が未だに冷静であってくれるのはこの上なくありがたい。

「だが、それだとランは……たった十数年生きただけのあいつは……」

 もはや記憶が完全に忘却されるのも時間の問題だ。
 悪魔の術式に常識が通用しないのはすでに証明されている。
 仮にすべての記憶を失ったとしたら、人間の身体はどうなってしまうのか。
 少なくともまともなままではいられない。
 現に記憶を更新しているはずに死神ですら砂時計の残りは目に見えて減っているのだから。

「……ウーノ、と言いましたか。あなたの名」

「? あぁ、……それがどうした」

「いえ、そういえば互いに名乗りもしなかったと思いまして……わたしはベルフロウ・ヤンガーと申します。あちらの赤毛の死神はマーガレット……わたしの実の姉です」

「オマエ……何を?」

 なぜこの状況で自己紹介を始めたのか、心情を図りかねるウーノは困惑する。
 しかし黒の死神ベルフロウは淡い微笑みを浮かべていた。

「ウーノ、取引をしませんか」

「なに……?」

「こちらの要求はふたつ。ひとつは悪魔ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトの討伐……それをマーガレット・ヤンガーと共に成し得てほしいのです。そしてもうひとつは、」

 困惑するウーノをよそに、ベルフロウはお構いなしに言葉を続ける。

「その女の子……ランの命と魂を救ってあげてください」

「何、言ってんだ……オマエ。そんなモン、オマエらの力を借りなくたってやるって言ってんだろうが!」

「わたしはともかく、ランにはもはや猶予はありません。魔力が枯渇しきったあなただけで救えるとはとても思えません」

「違うんだよ! 問題はそこじゃねェ! ……どうして今、そんな遺言じみた言葉を吐いてんだよ!」

「――

 ベルフロウが告げた言葉に、ウーノは言葉を失った。
 外界と断絶された屋敷に一瞬の静寂が流れる。

「グリスが用意していた転移術式を用いてわたしの身体にランの記憶を転移させれば、わたしが持つ決してアクセスされない記憶が先に忘却されていくはずです。その分だけ猶予が生まれる……」

 つまりは記憶のかさ増しだ。
 ウーノの知識と照らし合わせても理論上は可能なはずではある。

「理解してモノ言ってんのかオマエ……」

 ただ一点にして最大の問題点に目をつむれば。

「もしそれが成功しても、オマエの人格は消えるんだぞ?」

 いくら元は同じ人間であるとはいえ、これまで生きてきた人格を捨て去れと言われて戸惑わない人間はいない。
 記憶転移に関してグリスが土壇場までウーノにひた隠しにしていた理由がそれだ。

「わたしたち姉妹に残された使命はヴィルヘルムの討伐のみ。それが成し得られるのであれば、たとえ命を失っても構いません。だからこそ『取引』と申しました」

「グリスがオマエらに狙われたのは禁忌を犯したからじゃねェのかよ……!」

「そう、ですね……あるいは咎められるかもしれません。ですが、この他にランを生き延びさせる方法はありません」

 ウーノはうなだれた。
 単純な損得勘定だけで安請け合いできる取引ではない。
 もとより自分が蒔いた種は自分で刈り取る心算ではあったが、そのためにベルフロウが命を落とす事は許されない。

 ランのタイムリミットの内に解呪か凍結させる手段が見つかるか、あるいは幸運にもヴィルヘルムが死滅するか。
 どう計算してもどちらの可能性も小数点より低いと言わざるを得ない。
 選択肢はひどく狭まっていく。

「どうしますか?」

 悩みに悩んだ末、ウーノはひとつの決断を下した。



 真紅の死神マーガレット・ヤンガーは真っ暗な空間に浮かんでいた。
 それだけで彼女はここが夢の中であると断定した。
 彼女にとってこういう明晰夢を見るのはそう珍しい事ではない。

『――マグ姉さん』

 ふと見れば、傍には妹ベルフロウが立っていた。
 フードを目深に被り、黒いコートの裾を縛って留めている、いつものスタイルだ。

『ベルが夢に出るとは珍しいね』

『そうかもね。マグ姉さんは活動的だったから、夢の中で好き勝手する分には内向的なわたしは不向きだったから』

 どことなく、マーガレットは違和感を覚えた。
 夢というのは記憶の整理のため脳が見せる幻覚のようなものだ。
 故にベルの言葉もすべてマーガレットの記憶の中の彼女が言っているだけのはずだ。
 だのにここまで自虐的な言葉を吐くとは、マーガレットがそう思っていなければ出ない言葉のはずなのだ。

『マグ姉さん。わたしたちの悲願、忘れてないよね?』

『当たり前じゃあないか。魔術師グリスと悪魔ヴィルヘルムの討伐、そして……

 穏やかな表情でベルフロウは頷いた。
 その中にほんの少しの切なさを交えている事に、マーガレットは目敏く気づいた。

『ベル?』

『……すぐには飲み込めないかもしれないけど、わたしはわたしのやりたいようにやったんだよ。そこに他者の意思は介入してなんかいない……それがわたしが願った事だから』

『何を、言って――』

『どうか……どうか、ウーノとランをお願いします。勝手かもしれないけど……あの二人の命は、希望の灯火は、決して消えさせてはいけない――!』

 マーガレットは光を感じた。
 明晰夢が終わろうとしている、そんな感覚だ。

『そろそろお別れだね』

『ベル……!』

『マグ姉さん、後の事はお願いします。お説教はいずれ遠い未来で謹んでお受けしますから』

 そう言って、ベルフロウは笑顔を湛えたまま振り返った。
 そのままマーガレットから離れていく。
 夢の終わりに近づいた事でマーガレットはもはや自由には動けない。
 どんどんベルフロウの姿が遠くなり、やがて見えなくなりそうで、

「――ベルッ!!」

 マーガレットは起き抜けにそう叫んでいた。
 まるで悪夢を見た後のように荒い呼吸を繰り返す。
 頬を冷や汗が伝っていく感触が気持ち悪い。

 一も二もなく、マーガレットは辺りを見回した。
 見覚えのない簡素な客間にはベッドの他はデスクとクローゼットしかない。
 やがてここが魔術師グリスの屋敷である事を思い出し、同時に悪魔ヴィルヘルムと相対していた事を思い出した。

「――ッ!!」

 手の中に赤黒い刃の大鎌を出現させて、臨戦態勢に移る。
 しかしいくら待っても何も起きず、気配を探ってみても悪魔はどこにもいなかった。
 そこでようやく、マーガレットは自身が戦いの中で気を失った事実を認識した。

 夢見が悪かったせいか、やたらと不安が募る。
 ハンガーラックに掛けられていた真紅のコートを羽織り、マーガレットはすぐに部屋を出た。
 もともとは魔術師の屋敷、すなわち工房アトリエだ。
 警戒は十二分にしておかねば命がいくつあっても足りない。

「……あれは」

 廊下を進んでいく内に中庭に誰かがいる事に気が付いた。
 よく観察してみると、小柄な少女が跪いて庭の植物を眺めている様子が分かった。
 薄黄色のシャツに七分丈のパンツという簡素な衣服ではあるが、その背丈に金の髪は見まがうはずもない。

「ベル……!!」

 思わずマーガレットはその少女に駆け寄った。
 近づいて真正面から少女の顔を改めると、ベルフロウに違いなかった。

「無事だったかい、良かった……!」

 少女は答えず、驚きに目を丸くしてマーガレットを見ている。

「ベ、ル……?」

「ど、どうしたんだい? どこか具合でも悪いのか?」

? ?」

 マーガレットは雷に撃たれたように硬直した。
 夢の中に現れたベルフロウは別れを告げていて、現実のベルフロウは姉も自分をも認識しない。
 何が起こっているかは理解できなくとも、何か異常な事態が起こった事は間違いなかった。

「そいつはベルフロウじゃねェ」

 向かいの廊下には、目の下のくまが色濃い少年が立っていた。
 その顔には見覚えがある。
 この屋敷に乗り込んだ際、魔術師グリスの傍にいた少年だ。

「君は……、いや待て。なぜベルを知っている!?」

「――ベルフロウは死んだんだ」

 少年は事も無げに言い放った。
 それが逆に冗談のように聞こえて、マーガレットは呆けたように言葉を失う。
 やがて余計な装飾のない嘘偽りない真実の言葉であると認識し、歯の根が合わなくなるほどに震えが襲った。

「う、嘘だ……!」

「嘘じゃねェ」

「だってここに! ベルはここにこうして生きているじゃないかッ!!」

「違うんだよ。ベルフロウは、あいつは全てを俺とオマエに託して……全てを受け入れて逝っちまったんだ。

 呼吸が荒くなり、マーガレットはぶんぶんと頭を振った。
 要領を得ない少年は放っておいて、ベルフロウの姿をした少女の両肩を掴んで、必死にまくしたてた。

「なあ! 冗談はやめておくれよベル! いい加減にしてくれないと、ボクは……ボクは……! ――なあ、お願いだよ! 呼んでくれ! ボクを……『マグ姉さん』と呼んでおくれよ!!」

「ぇ……、ぁ……!?」

「頼むから……!!」

 どれだけ声を上げてもどれだけ訴えかけても、目の前の少女は困惑するばかりで何も変わらない。
 冗談なんかではなかった。
 嘘や偽りもなかった。
 声を荒げて耳をふさいで事実から顔を背けても、少年の言葉通りベルフロウ・ヤンガーという存在そのものの気配が、この少女からは一切感じられなかった。

「どうして……こんな事に……!」

 訳の分からぬ内に、妹が何者かに乗っ取られた。
 その事実がマーガレットの涙腺を破壊し、涙を止め処なく流させる。
 もはや身体に力が入らず、少女を掴む腕も離れてその場に座り込んだ。

「ベルフロウは最期に……オマエに挨拶をすると言っていた。伝わってねェのか?」

 少年の言葉に、混乱を極める頭の中でマーガレットは気づく。
 あの明晰夢がベルフロウが介入したものだとしたら。
 彼女の言葉はそのまま彼女の意思で発せられたものだとしたら。

「どうして独りで決めて逝ってしまうんだ……ベルの馬鹿……!」

 長年連れ添った妹の死。
 それは到底受け入れがたく、噛み砕くにも苦痛を伴うものだ。
 おそらくこれから先、どこまでも悲しみは襲ってくるだろう。

 しかしいつまでもそうしてはいられない。
 なぜならマーガレットは姉であり、ベルフロウが最期を託した『マグ姉さん』であるからだ。
 彼女は自分ならすぐに立ち上がると信じたからこそ、ああやって言葉を残したに違いないのだから。

「……ボクはマーガレット・ヤンガー。ベルから話は聞いているかい?」

「あァ、一通りはな」

「……君はウーノ、でいいのかな?」

「――俺を実験番号一番ウーノと呼ぶのはやめろ!」

 思いのほか強い拒絶に、マーガレットは眉を平坦にした。
 何か隠し事をしている気がする。

「……俺は。……レギウス・エスメラルダ。そう名乗る事にした」

「では、そっちの少女は?」

だ。姓はねェ……」

「……なぜ名を変える?」

「理由は言えねェ。少なくとも今はな」

 ウーノとランはレギウスとステラに名を変える。
 だが、そんな話はベルフロウからも聞いていない。
 そうしなければならない理由があったとしても、警戒すべき事態に発展する恐れはあった。

「レギウスにステラ。妹の遺言に従ってボクは君らをたすける事にする」

 だが、とマーガレットは強く言葉を区切った。

「力にはなるけど味方にはならないよ。隠し事をするような相手をどう信じればいいか分からないからね」

「……それでいい。オマエは俺を信用するべきじゃねェ」

 ふん、と鼻を鳴らしてマーガレットは引き下がる。

 やるべき事はやった。
 話すべき話も終わった。
 であれば、妹と同じ顔を持つ相手をこれ以上見ていたくなかった。
 どこか別の場所で、思い切り泣き喚きたかった。

 心の整理をするにも時間は必要だ。
 今はただ、妹を喪った悲しみを時間が癒してくれる事を願うしかない。



 その日、深緑都市ロスウェル近郊アルタロ村の外れから、一件の屋敷が消失した。
 跡地とも言えるその場所にはまるで初めから何も存在しなかったかのように短い草が生えているばかりであった。
 しかし、アルタロの民は誰もがそれを不審には思わなかった。
 否、それどころではなかったのだ。

 同日、アルタロの幼き狩人が森の主である羆にちょっかいをかけた事で逆襲を受け、村自体が壊滅したからだ。
 村の人間のことごとくが打ち殺され、生き残ったのは滝壺から落下し、命からがら逃げ伸びた幼き狩人一名のみであった。
 散々暴れまわった羆はアルタロの狩人が放った決死の攻撃によって相打ちに倒れた。

 その裏に何があったとしても、幼き狩人が見た光景がそのまま伝えられる事になる。
 例えば屋敷から締め出されて自由の身となった悪魔ヴィルヘルム・ヴェルフェンバルトが渇きを満たすために手頃な生き物の記憶を喰らい、前後不覚のままに暴れさせたのだとしたら。
 あるいは幼き狩人の少女すらもその魔の手にかかっていたのだとすれば。
 いくら論じても、これらは全て歴史の闇に消えたものである。

 死神マーガレット・ヤンガーは妹の死を半ば受け入れつつも、あまり前向きに考えられなくなってしまった様子だった。
 レギウスの頼みもありステラに武術を仕込む役回りを与えられたため、いっそ大鎌術でもとは思ったが、逆に自分が辛くなるだけなので、生前の妹が次に得意としていた槍術を教えるに至る。
 さすがに元は死神の義体なだけあって飲み込みは早く、しかし他の物事に関しては忘れっぽい風であり、事情を深く知らされていないマーガレットはやたら不思議がる事になる。

 魔術師レギウス・エスメラルダは少女ステラに掛けられた忘却の呪いの研究を進める傍ら、屋敷に施した遮蔽魔術の解除方法を探った。
 悪魔を閉じ込める目的で遮蔽魔術を用意していただろうグリスは逆に籠城戦になる覚悟もしていたらしく、屋敷に残された食料はおよそ二年分に及び、地下の井戸も生き残っていた。
 並行しての研究はあまり進みは良くなかったものの、ステラの魂に魔術防御の術式を仕込み、さらに食事による魔力供給およびわずかにではあるがレギウスの記憶の断片を渡す方法を編み出していく。

 屋敷が再びアルタロ外れに戻ったのは、アルタロ村が地図から消えておよそ三年後の出来事である。
 その間にすっかり成長したレギウスと外見的には一切成長しないステラとマーガレットは、久方ぶりの現実へ足を踏み出した。
 止まっていた時が動き出したのだ。

 レギウス・エスメラルダ、ステラ、マーガレット・ヤンガーが揃って交易都市リューンに赴き、『大いなる日輪亭』の扉を叩いたのは理由がある。
 もとよりステラに武術を収めさせたのは、術式への対処に加えて冒険者として生き抜くための術を与えるためでもあった。
 ベルフロウ・ヤンガーの考察を考慮すれば、より色濃い経験をもって記憶に刻み付ければ術式の進行を鈍らせる効果が得られる可能性があるからだ。

 そんな重い過去を抱えた彼ら三名が、陽気な盗人少年や貧乏吟遊詩人と出逢うのはもう少し先のお話である。



【あとがき】
ウーノの追想、いかがでしたでしょうか。
実験番号一番、『ウーノ』という名をつけられたレギウスと『ラン』ことステラ、そして死神時代のマーガレットの過去話でした。
そして『美食家』こと悪魔ヴィルヘルム、そしてマーガレットの妹であるベルフロウが関わる、まさに物語の起点とも言うべき場面を描いています。

ある意味では『星を追う者たち』の結成秘話に近いものにはなりますが、彼ら三人は最初からある一方向を目指しているところが他のパーティとは違う、意志の強い部分になっています。
結果的に彼らのパーティが五名となったのも、最後の一枠はベルフロウが入るべき場所だったのかもしれません。
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