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『ガラス瓶の向こう』(1/3) 

「………………」

 さざなみに似た音が聞こえる。
 寄せては引き、引いては寄せる。
 まるで、一度手から離れた物は二度と取り戻せないと告げるように。

(何も、見えない……)

 ルナは不思議な浮遊感に身を委ねていた。
 暗く、冷たい空間に一人きり。

 そういえば、誰かが一緒にいたような気がする。
 その誰かを探すべく身体を動かそうとしたが、それも無駄な事だった。

(動かない……!?)

 じわりと押し寄せる恐怖に声を出そうとしても、蝶の羽音すらも声が上がらない。
 身の自由を奪われたその事実がルナの心を凍えさせる。

(どうして……、)

 未知の感覚に押しつぶされそうになる。

(――誰か……!)

 助けを求めるように、声にならない声を上げる。
 身体が動かなくても声が出なくてもルナは抗い、もがき続けた。

「ルナ――!」

 引いて寄せる音の向こう。
 確かにルナを呼ぶ強い声が聞こえてきた。

「……、」

 この時になってようやく、ルナは自分が目を瞑っている事に気がついた。
 強い光を感じて、ゆっくりと瞳を開く。
 朝日の柔らかな光であっても、寝起きであれば眩しく感じるものだ。

「ようやくお目覚めか」

 見知らぬ天井から声のするほうに視線を移すと、そこにはよく見知った顔がこちらを見下ろしていた。
 黒を基調としたコートを着込んだ、くすんだ銀髪と真っ赤な瞳の少年。

「……コヨーテ」

「依頼から帰ってすぐに寝てしまうなんて、よっぽど疲れていたみたいだな」

「……、依頼?」

 そういえば二人で依頼を受けていたはずだったが、どういうわけかすぐにはそれが思い出せなかった。
 眉をひそめるルナの前で、コヨーテは今までに見せた事のないような笑顔で、

「本当に、良かった」

 そう小さく呟き、身を翻す。

「オレは帰りの馬車を見てくる。君はのんびりしているといい」

 ルナが口を開く前に、コヨーテは扉の向こうへと姿を消した。
 やけに素早い行動であったが、ルナはそれを不審がるよりも先に重大な問題に気がつく。

「依頼……?」

 記憶が欠落している。
 まずここがどこであるか、眠りにつく前に何をやっていたのか、それすらもぼんやりとした靄がかかったように思い出せなくなっていた。

「そう、そうです……確か、私とコヨーテは依頼を請けて、それで……」

 記憶を遡っていくのではなく、空いた記憶の向こう岸から辿っていく事にした。
 数日前、『大いなる日輪亭』にて妖魔退治の依頼を引き受けたのだ。
 手の空いている冒険者がコヨーテとルナの二人しかいなかったものの、得た情報を鑑みて二人でも十分だと判断した。

 リューンから馬車で移動し、この街――天蓋都市アンレイン――へ到着した。
 アンレインで拠点としたのは『水面の木葉亭』という小さな宿である。
 そして、ここは借りた部屋だというのは思い出せた。

 だと、いうのに。

「だめ、思い出せない……」

 この街に来てからの記憶が曖昧になっている。
 そんなに疲れているのだろうか。
 だとしても、こんな状況で二度寝できるほどルナもずぼらではない。

 寝台から身を起こすと、手早く白い上着に袖を通し、白いリボンで髪を纏め、コヨーテと揃いのルビーのイヤリングを右耳に着ける。
 身支度に余計な時間をかける事は、もはやベテランの領域に身を置きつつあるルナには有り得ない。
 『大いなる日輪亭』と違って軋まない階段を下りて食堂へと出ると、料理人兼店主の女性がルナを見てにっこりと笑った。

「おやおや、今起きたのかい」

 ルナは丁寧に挨拶を返しつつ、店内を見渡した。
 記憶が曖昧である以上、わずかにでも情報を集めるための行動だったが、店主はそうは受け取らなかった様子で、

なら門まで馬車を見に行くって言ってたけど、この様子じゃねぇ……」

「ぶふっ!? ……コホン、何かあったのですか?」

 前半が思い切り崩れたのはもちろん『彼』という言葉に過剰に反応してしまった故である。
 店主はその様子をやれやれと眺めて、

「いや、まぁ、ね……行ってみたほうが納得してもらえると思うよ」

 そう言って店主は宿の出入り口を顎で示した。
 日が昇りきっているとはいえ、まだまだ仕事が残っているのだろう。
 冒険者になって一時期を宿屋で働いて過ごしていたルナは弁えて、足早に宿を出て門へと向かう。

 門から近い宿を取っていただけあって、そこへはすぐに辿り着けた。
 そこに黒いコートの少年を見つけ、名を呼んで傍まで駆け寄る。
 こちらに気づいて振り返ったコヨーテはいつも通りの静かな表情を浮かべている。

「ああ、もう来たのか。ゆっくりしていて良かったのに」

「いえ、そんな事より、これは……」

 ルナが指差した門の向こうは乳白色の霧が立ち込めていて何も見えない。
 まるで何も描かれていないカンバスのように真っ白だ。

「どうにも、霧がいつになく深く出てしまって馬車が出せないそうだ」

「霧が……」

 アンレインと外部とを分かつこの門の正式名称は『霧断ちの門』というらしい。
 それを鑑みれば、この街の近くはこういった霧が出る事は珍しくないのだろう。
 何にせよ、これでは帰れない。

「霧が晴れるのを待つしかありませんね」

 コヨーテは「そうだな」と相槌を打ってから、

「……辛くなるだけなのにな」

 そう笑って、ルナの肩を叩いた。
 長い前髪が邪魔でその表情は見えなかったが、彼は本当に笑っていたのだろうか。

「宿に戻ろう。一人で歩けるか?」

「う、うん……」

 思わず、返事を詰まらせてしまった。
 ルナの心臓が激しく鼓動する。

 ――様子が変だ。

 何か大変な事が起きている。
 そう感じてはいたが穏やかなコヨーテの顔を見ると何も言い出せなかった。



 時間が空いてしまった。
 件の濃霧はちょっとやそっとでは晴れないだろう。
 その間、どうにかして時間を潰す必要がある。
 結局、見知らぬ土地での時間潰しといえば観光ぐらいしかない。

 が、

「少し疲れたから、オレは部屋で休んでいるよ」

 ルナが眠っている間に何をしたのかは知る由もないが、まだ昼前である。
 門から宿までの移動で疲れて休むというのは、やはりいつものコヨーテらしくない。
 しかし、だからといって追求したり無理やり付き合わせる事はできない。
 そんなものは水掛け論にしかならないのだ。

「いってらっしゃい」

 コヨーテの笑顔に、どこか不安定さが見え隠れしている。
 門で気づいてからずっと、こういう小さな違和感をいくつも覚える。
 これも、結局はそう感じただけに過ぎない。

「……行ってきます」

 こうまで気乗りしない観光というのも珍しい気がする。
 濃霧の影響で無理やりに暇を潰しているのだから仕方がないのかもしれないが。
 特にやりたい事もなく、人の流れに乗るようにしてアンレインの中央広場までやって来た。

「……、」

 欠けた記憶。
 様子のおかしいコヨーテ。
 拭えない暗い不安。

 ――何かが、壊れそうになっている。

 漠然とした、しかし信頼できる、自分の冒険者としての勘。
 このままでは取り返しがつかない事になる、という確信めいた焦り。
 観光なんてしている場合ではない。
 何かが始まる前に――否、何かが終わってしまう前に――動かなければ。

 ルナは拳を強く握り締めた。
 再び記憶を辿り、まるで霧を払うように欠落した部分を探っていく。
 そうしている内にまるで何かに導かれるようにルナの足は動き、一軒の屋敷へと辿り着いた。

 この家の前に立った瞬間、ここを二人で訪ねたという記憶が鮮明に蘇る。


「――墓場に巣食うアラクネ、ですか?」

 豪奢な応接室だった。
 『大いなる日輪亭』では触れる事すらなかったほどに柔らかな感触を返してくるソファに、コヨーテとルナは座っている。
 その向かいにはひと目でこの屋敷の主と判別できるほどに立派な装いの男女が座っており、依頼の内容を反芻したルナの言葉に眉根を寄せて反応したのは女性のほうだった。

「人の上半身に蜘蛛の身体――噂には聞いておりましたが恐ろしい化け物ですわ」

「退治の依頼、という事で間違いありませんか」

「ええ、あんなものさっさとこの街から消してしまわなければ」

 依頼人の女性は未だに眉根を寄せたまま、次第に語気が強くなっていく。
 そんな興奮気味の女性を宥めたのは、隣の物腰柔らかそうな男性だった。
 彼らは夫婦なのだそうだが、初見の感想は良くも悪くも正反対の二人、であった。

「まあまあ、落ち着いて。そんなに興奮すると身体に悪いよ」

「もともと余所者である貴方には分からないでしょうけど。この街の素晴らしさを汚すような存在なんて即刻消してしまわなければいけないのよ」

 フン、と鼻を鳴らす奥さんと、苦笑いを浮かべる旦那さん。
 見事なまでに尻に敷かれている様子だった。

「ああっ! 自警団があんなに役立たずだったなんて……早急に改革を申し入れなければ!」

 苛立ちが最高潮にまで達した奥さんは、金切り声で喚く。
 こうも情緒不安定に喚かれては会話も何もあったものじゃない。
 気まずい沈黙が落ちる。

「……あの、」

「まだ何か?」

 じろり、と射殺すような鋭い視線をぶつけられてルナは息を呑んだ。
 完全に出鼻をくじかれてしまい、続く言葉が出てこない。
 そんな様子を見かねたのか、旦那さんのほうから助け舟が出される。

「君、報酬の話がまだだよ」

「ああ、そうね、そんな話もしなければならないのね。これだから冒険者は……」

 不機嫌な表情で奥さんは呆れたようにため息をつく。
 その言動にさすがのルナも眉を平坦にせざるを得ない。
 それを察したのか、隣にいるコヨーテの手がそっとルナの手に触れた。

「……、」

 抑えろ、という事だろうか。
 そんなに腹を立てたつもりもなかったが、コヨーテの手が触れているというだけでそれどころではなくなる。
 少し、顔が熱かった。

「報酬は完全成功のみ。つまり討伐できた場合のみ銀貨一〇〇〇枚を支払うわ」

「十分です」

「じゃ、さっさと行ってきて頂戴!」

 再び騒がれてはたまらないと、半ば追い出されるように二人は屋敷を後にした。

「……あの態度はあんまりですね。旦那さんも大変そうです」

「アンレインが資産家の街だとは聞いていたが、想像以上の高慢さだったな」

 半ば独り言のような言葉に、コヨーテが苦笑混じりに返してきた。
 決して良いとは言えない依頼人に当たった事を笑い話にできないようでは冒険者なんてやっていられない。
 ルナは先ほどの苛立ちを恥じた。

「……場所は墓場でしたね。準備はいいですか?」

「ああ、手早く終わらせてしまおう――」


 確か、そんな会話だったはずだ。
 しかしその先がどうしても思い出せない。
 何か少しでも情報が得られればと、ルナは依頼人の屋敷のベルを鳴らす。
 ドアを開いて顔を出したのは、記憶にもあった依頼人の男性だ。

「ああ、君は……」

「突然お伺いして申し訳ありません」

「いやいや、なかなか取りに来ないんで心配していたところだったんだ。ちょっと待ってて」

 そう言うと、男性は踵を返したと思うと、すぐに戻ってきてルナに銀貨の詰まった袋を差し出した。

「……これは?」

「報酬だよ。取りに来ないからどうしようと思っていたところだったんだ」

「……、」

「そういえば、大怪我したって聞いたんだけど大丈夫だったのかい?」

「!? 怪我を……、私が?」

「ああ、噂になってたけど……?」

 報酬の受け取りを忘れてしまうなんてどうかしている。
 一緒に依頼を請けていたコヨーテも忘れていたのだとすれば、やはり何かがあったのだ。
 だが、ルナの怪我がコヨーテにどんな影響をもたらしたというのか。

「……すみません、ちょっと記憶が曖昧で」

「そうか……それはきっと大変だったんだろうね。君のお連れさんにもお疲れ様と伝えてください」

「はい、ありがとうございます……」

 依頼人の屋敷を後にしたルナは、さらに深まってしまった謎に思わずため息をついた。
 怪我をしたと言われても、ルナの身体には痛みはないしそれらしい傷もない。

 だが、別の収穫はあった。
 怪我が噂になったという事は、アラクネとの戦いで尋常でない何かが起こったという事だ。

 ルナの足は件の戦いのあった墓場へと向いていた。
 依頼人の屋敷から墓場まではそう遠くない。

「……っ、」

 足を踏み入れてすぐに分かる。
 ここで確かに戦闘があったのだと物語るような、濃密な血の臭い。
 戦いから幾日か経っているはずなのに、未だに不快なそれが色濃く残っている。

「……おまえ。ぶじ、だったんだな」

 のそり、と木陰から姿を現したのは犬頭の獣人だった。
 反射的に身構えようとするのを何とか押しとどめる。
 この獣人は、敵ではない。

「あっ……」

 まるで稲妻が走ったように、ルナの記憶が光を発した。
 一筋の閃光がもやを振り払うように、墓場での出来事を鮮明に思い出させる。


「――街の中と違って質素な墓場だな」

「大方、ここまでお金が回らないのでしょう。あるいは、死後には興味がないのかもしれません」

「かも、な……ん?」

 湿った土を踏みしめる音がかすかに聞こえ、コヨーテは足を止める。
 音のした方向へ振り向いてみれば、犬頭の獣人がこちらへと歩み寄ってきていた。

「……おまえたち。ここ、きけん」

「妖魔、か?」

「ちがう。おれ、はかもり。ここの、かんりにん」

 墓守。
 コヨーテらとて人の姿を取らない存在と関わった事は両手の指じゃ収まらない。
 世界のどこかには犬頭の獣人が墓の管理を任される事だってあるかもしれない。
 あまり深く考えないほうがよさそうだ。

「私たちはアラクネ退治を任された者です」

「……ん、ぼうけんしゃ。ありがたい。たすかる」

 獣人の墓守はわずかにも表情を変えずに――そう見えているだけで実は変化しているのかもしれないが――墓場の奥を向いて、

「あいつ、このおく。ねてる。ひるま。でも、すぐきづく。よれない。ぼうけんしゃ。つよいか」

「ええ、すっごく」

 ね、とコヨーテのほうへ笑顔を向けるルナ。
 少しだけ驚いたような表情を作ったコヨーテは、すぐにそっぽを向いて鼻の頭を掻く。
 気恥ずかしいだとか、照れるだとか、そんな時にする彼の癖だった。

「……勝算がなければこんなところまで来たりはしないさ。忠告、感謝する」

「ん。きをつけろ。おまえたち、おれ、うめたくない」

 獣人の墓守は二人に会釈をしてその場を立ち去った。
 その背を見送って、コヨーテは銀の髪を纏めている『真紅のリボン』から【レーヴァティン】を具現化する。

「行こう」

 コヨーテは【レーヴァティン】を片手で担ぎ、墓場の奥を睨めつける。
 墓場の湿っぽい雰囲気を演出するような生ぬるい風が木々を揺らす中、コヨーテとルナは粛々と歩き続ける。

 やがて空も曇り始め重苦しさを増す墓場の最奥に、『それ』はいた。
 くすみきった緑と灰色がかった墓場に似つかわしい、灰みがかった白。
 そして、あまりにも禍々しく無機質だ。

 陰鬱な墓場の木々の下。
 そこに鎮座している大蜘蛛は静かに、まるで死んでいるかのように生命を感じさせない。
 しかし、ルナは気づく。

 その硬質な腹部から生える女を模した頭部、その瞳はしっかりとこちらを見つめている事に。

「こいつは……!」

 コヨーテが声を荒げるのも無理はない。
 『それ』が纏う、ねっとりとした悪意。

 アラクネ。
 旧き物語に伝えられる神の怒りを受けた美女。
 その名を冠する魔物としては、『それ』はあまりにも禍々しすぎた。

「くっ……!」

 自然と表情が険しくなる。
 こんなモノが、なぜこの街に。

 しゃきん、しゃきん、と。
 アラクネの八本脚が擦りあう度に硬質な刃物じみた音が響く。
 まるで威嚇か、あるいは舌なめずりのような嫌な音だ。

「ルナ、援護頼む」

 厄介そうな相手だと愚痴をこぼす間もなく、コヨーテは【レーヴァティン】を構えて走り出した。



(――そう、確かに戦った)

 死闘と言って差し支えないほどに激しい戦いだった、はずだ。
 コヨーテもアラクネも目にも留まらないほどの素早さで剣戟を交わしていたのだから、素人のルナでは状況を把握するのが難しかった。
 数十合打ち合った末、コヨーテはアラクネの脚を数本斬り飛ばし、黒翼で威力を底上げした【既殺の剣】で外殻に穿ったわずかな穴から黒狼を撃ち込み、柔らかい内側から食い破らせていた。
 どす黒い血が噴水のように吹き出て周囲を赤黒く染めた光景は思い出した事を後悔するほどだ。 

 しかし、それでも大怪我と表現するほどの怪我を負った覚えはない。

「だいじょうぶか」

「え、ええ。大丈夫、です……」

「しんぱい、してた。おまえ。ぐったり。あせる」

「私が怪我をしたのは間違いないのですか」

 獣人の墓守は不思議そうに首を傾げた後、確かに頷いた。

「ん。でも、よかった。おまえ、げんきそう。うれしい」

「……、」

 だとすれば、どうして今は傷がないのだろうか。
 半吸血鬼のコヨーテならともかく、ルナは取り立てて際立つところのないひ弱な人間である。
 自力での治癒は望めなかっただろう。

(だとすれば、きっとコヨーテが……)

 助けてくれたのだろう。

(――でも、どうやって?)

 嫌な予感がした。
 コヨーテは誰かのために身を削る人だ。
 もしかしたら、また五月祭や聖堂襲撃事件の時のように無茶をしたのかもしれない。

 獣人の墓守に別れを告げると、ルナは細い路地を歩きながら右の耳に触れた。
 正確には右耳にのみ飾られたルビーのイヤリング。
 『空間を超える魔法』をかけられた品であり、もう片方のイヤリングと声を繋げる事ができる。
 イヤリングの片割れは、コヨーテの左耳にある。
 七月七日、コヨーテの誕生日に巻き込まれた聖堂襲撃事件でその効力は実証済みだ。

「コ、コヨーテ……聞こえますか?」

 何も知らない周囲から見れば独り言に見えているだろう。
 その為に細い路地を選んだのだが、やはり少し気恥ずかしい。

「……コヨーテ?」

 返事がない。
 そういえば疲れたから休むと言っていたはずだ。
 となればイヤリングは左耳から外されているだろう。

(……直接聞いたほうがいいですね)

 細い路地から大通りに出て、ルナはまっすぐに宿へと戻る。
 あちこち歩いた割にはそう時間は経っていなかったが、正午過ぎということもあってやたらと人が多かった。
 忙しそうに店内を駆け回る店主の姿を横目に、ルナは階段を昇っていく。

「コヨーテ……、眠っていますか?」

 部屋に入ると、ベッドで横になっているコヨーテの姿があった。
 その声に反応するように、コヨーテは目を開いてその身を起こす。

「……え?」

 ルナは身を強張らせる。
 今朝別れる前のコヨーテとは更に違った様子だった。
 ゆらり、と立ち上がった彼の瞳は虚ろなままに、無遠慮にルナに接近する。

「コヨーテ!? 痛っ……!」

 咄嗟に避けようとするルナの細腕をコヨーテの腕が掴む。
 思いがけず、強い力で。

「うあっ……!?」

 予想外の行動に驚愕したルナは足を縺れさせ、近くにイスに引っ掛けて倒れこんだ。
 まるでそれを利用するように、コヨーテはルナの上に乗っかかり、今度はその両腕でルナの首を掴む。
 掴むどころじゃない、まるで押し潰すような遠慮の欠片もない力で絞められている。

「――っあ、やめ、……て……!」

 見慣れた手が。
 共に戦ってきた手が。
 何度となく触れてきた手が。

 今、首にかけられている。

(彼、は――!)

 コヨーテではない。
 コヨーテであっていいはずがない。
 その直感が、ルナの頭を冷やした。
 
「……っ!!」

 ただでさえ半吸血鬼の力を持つコヨーテだ。
 ルナの細い首なんていつ捻じ折れるか分からない。
 だからこそ、行動は迅速に的確にしなければ。

(振りほどかないと……!)

 死ぬわけにはいかない。
 生きなければ、他でもないコヨーテに人を殺させる事になる。
 それだけは阻止しなければならない。
 例えコヨーテにとって非道な事をしようとも。

「っ……!?」

 彼の腕には、ルナが常に携帯している十字架が触れている。
 ただそれだけで半吸血鬼であるコヨーテにとっては火傷するほどの苦痛らしい。
 コヨーテがコートを着ていなかった事も幸いした。
 もし素肌を晒していなければ、十字架を彼の腕に突き立てなければならなかったのだから。

 力が緩んだ隙を突いて、ルナは身をよじって脱出を図る。
 するりと抜け出したルナは、転がった勢いそのままに壁に背中を打ち付けて止まった。
 首を絞められて呼吸もままならない状態で背中を打ったため呼吸が止まるかと思ったが、どうにか持ちこたえられたのは幸いだった。
 激しく咳き込み、荒い呼吸を繰り返して酸素を求める。

「ルナ……オレ、は……」

 ちかちかと瞬く目の前には呆然と座りこむコヨーテの姿があった。
 先ほどとは違って瞳には理性の色を宿し、しかし青ざめて震えている。
 思いのほか簡単に拘束から逃れられたのは彼が理性を取り戻したからだったのかもしれない。

「コヨーテ……」

「――すまない」

 待って、という声すら出なかった。
 ただ唖然とするルナの脇を通り抜けて、コヨーテは扉から外へ走り去っていく。

 首も背中も痛いし苦しいが弱音を吐いてはいられない。
 コヨーテが謝ったという事は、すなわち自分の犯した罪を認めているという事だ。
 彼にとって人間を傷つけるという事の重大さは、ルナは痛いほど知っている。

(見失った……)

 何とか呼吸を整えて急いで跡を追ったものの、宿の周辺にコヨーテの姿は見当たらなかった。
 ともかく、彼を探し出さなければならない。
 何があったのか問いただすためよりも、彼の精神状態のほうが心配だった。

 脳が酸素を求めている中で、ルナは必死に思考を走らせる。
 コヨーテもルナと同じくこの街には来たばかりで、衝動的に駆け出したのだとしても無闇に地理に明るくない場所へは向かわないはずだ。
 二人で立ち寄った場所のどこか、あるいはルナが眠っている間にコヨーテが訪れたであろう場所のどこかだ。

(……と、なれば)

 呼吸を整える暇もなく、ルナは駆け出す。
 人ごみを縫うように走りに走って、たどり着いた目的地にはコヨーテの後姿があった。
 コヨーテは門の傍の詰め所に立つ門番となにやら話し込んでいる。
 声の大きい門番の話によれば、どうやらこの視界を覆う霧が晴れつつあるらしい。

「コヨーテ……」

「――っ!!」

 何故ここに、とでも言いたげにコヨーテは一瞬怯えたような表情を見せた。
 原因は分からないが、コヨーテがルナを傷つけた事実は彼の心を抉ったに違いない。
 となれば次に彼が考えるのは、どうやってルナと距離を取るかに尽きる。
 もし霧が晴れていれば馬車は出るし、もしかしたらそのまま街の外へ、という展開もあったかもしれない。

「あの、何がどうなっているんですか? 私が怪我をしたとか、それが治っているとか、コヨーテの事とか……」

 コヨーテは押し黙ったままだ。
 その視線はルナから逸らされている。

「教えてもらえませんか?」

「……、ルナ」

 長い沈黙の後、コヨーテは目を閉じた。

「何も聞かずに、一人で馬車に乗って『大いなる日輪亭』に帰ってくれないか?」

「――え?」

「頼む……」

 半ばまで予想はしていたはずの言葉だったが、それでもルナは衝撃を受けた。
 疑惑が確信に変わる瞬間である。

「冗談ではありません!」

 コヨーテは何かの事件に巻き込まれたか、あるいは関わっている。
 そのきっかけはおそらくルナが怪我を負って倒れた件と関係しているはずだ。
 先ほど並べた疑問について、何一つ回答がなかった事がそれらを裏付けている。

「辛そうなコヨーテを置いて、何も分からないままでこの街を去るなんて、出来るわけがないでしょう!!」

 気がつけばルナの視界がぼんやりと滲んでいた。
 自分の存在が、またコヨーテを追い詰めていたのだ。
 傷ついてほしくない、苦しんでほしくないと思っているのに結果が伴わない、それが何よりも悔しかった。

「私たち、仲間でしょう……? 違うのですか?」

「………………」

 コヨーテは目を丸くしてルナを見つめた。
 そして不意に表情を崩して、

「そう、だよな……簡単に納得するようなルナじゃないよな」

 少し嬉しそうに目を細めた。
 しかしそれも束の間で、次の瞬きの後には苦しそうに顔を歪める。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫、とは言えないな……宿に戻るよ」

 踵を返すコヨーテに、ルナはその袖を掴んで引き止める。

「結局……教えてはもらえないのですね」

「あまりルナに心配ばかりかけられないからな」

 袖を掴むルナの手を優しく解くと、コヨーテは不安げな足取りで帰路についた。
 彼の後姿を眺めるルナは、滲んでいた涙を乱暴に拭い、頬を強く叩く。
 その音で通行人が何事かとこちらへ好奇の視線を向けるが気にしない。

「……ひどいですね。余計心配させるような事を言って、その自覚もないのですから」

 いつもいつも誰かのため、誰かを守るために動いて、ボロボロに傷ついて、見返りなんてなくっても、理解されなくても、それでも笑っている。
 そんなものは多少彼を知っている者なら誰だって知っている事であり、騒ぎ立てるような事じゃない。
 しかし、自分の与り知らないところで自分のために傷つき苦しむというのなら話は違う。

「コヨーテが教えてくれない以上、自分で何とかするしかありませんね」

 もうコヨーテだけに辛い思いはさせたくない。
 コヨーテが彼以外の誰かを守るのなら、誰かが彼を守ってあげなくてはならない。
 それをできるのがルナでないとしても、やらなければ可能性はゼロのままだ。


To Be Continued...  Next→
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周摩

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