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『お嬢様と伯爵』(2/3) 

 今でも後悔している。
 あの日、興味本位に覗いた廃教会。
 あそこに行かなければこんな事にはならなかった。

 この街にある吸血鬼伝説のゆかりの場所。
 軽い気持ちで訪れた教会にいたのは、――怪鳥の仮面で正体を隠してはいたものの――本物の吸血鬼だった。
 気づいた時にはすでに逃げ道は失われ、残るは戦って切り抜ける道だけだった。

 しかしマリナの修めた技はすべて対人間用に研いだ暗殺の技だけしかない。
 闇に紛れる事も不意を突く事も、ましてや鋼線で首を絞めるなどというあまりにも遅すぎる技では吸血鬼の前には無力でしかなかった。
 あっという間に吹き飛ばされ、なすすべもなく壁に叩きつけられる。
 衝撃が肺を貫き、その中の空気が絞り出されて、マリナの意識が遠のいていく。

 それでも、マリナは死ぬわけにはいかなかった。
 奥歯を噛み締めて踏みとどまり、眼光だけを吸血鬼に向けて放つ。

『いい加減、諦めたらどうだ。貴方はよくやった。もういいだろう』

 朦朧とする意識の中、吸血鬼の腕が自分に伸びてきたのが見えた。
 酸欠でガタガタになった脳みそは吸血鬼が発する言葉の意味も理解しなかったが、それでも差し出された腕が自分の命を刈り取らんとする死神の鎌である事は理解できた。

 惜しむほどの人生じゃない。
 むしろ続けている意味すら失っているはずの人生だ、消えてしまっても構わない。
 はず、だった。

 この瞬間において、マリナはただひたすらに死にたくなかった。
 人生の価値だとか意味だとか、そんな小賢しい言葉で誤魔化せないほどに、マリナは生きたかった。
 ここで死ぬわけにはいかない。
 たとえ這いつくばって泥を啜ってでも生き延びられるなら、マリナは喜んでその道を選ぶ。

 ふと、右手に硬く冷たい金属が触れた。
 重たい剣だ。
 吹き飛ばされた際に巻き込まれて砕かれた鎧が手にしていた剣。
 普段なら無駄な足掻きだと貶し、潔く美しい死に方を選ぶのだろう。
 だがマリナは醜い足掻きをするため一切迷わずにその剣に全てを賭けた。

 間違いなく不意を突けた。
 吸血鬼の最も有名な弱点である心臓。
 勝利を確信できる唯一の位置にマリナは剣を突き立てていた。

『――!?』

 手応えが一切ない。
 普段鋼線を用いた暗殺を得意とするマリナとて人を刺し殺した経験くらいある。
 だのに、この手応えの無さは、一体。

 ここでマリナの記憶をぷっつりと途絶えた。
 酸欠の身体で派手に動きすぎたのだろう、すでに体力の限界だったのだ。
 その後、目を覚ましたマリナの前に現れた男が告げたのは、自身が伯爵と呼ばれるあの吸血鬼の血を受けた事、そしてこれから伯爵との遊戯を行う事だった。

『お初にお目にかかります。私はビクター……フランケンシュタイン家の現当主でございます』

 執事姿の老人の淡々とした説明も、ほとんどマリナの耳には入らなかった。

『私は伯爵様付きでございます故、お嬢様には我が孫であるジャックに世話係を任せました』

 自分が化け物に殺されかかった事実すら夢であれと願うばかりなのに、よりにもよってその化け物と同じ存在にさせられたなどと、到底信じられるものではなかった。

『この街は貴方も知っての通り水に囲まれております。貴方は外へ出る事は叶いません。そのため、我々がいるのです。昼間やお嬢様の行けない街の外、そういったところで働く我々が』

 しかし流れる水に対して異常なまでの恐怖感、日光に対しての忌避感は否応なくその事実を突きつけてくる。

『分からない事があればジャックにお訊ねください。それでは失礼させていただきます』

 たとえ望んでいなくとも、この時からマリナはお嬢様と呼ばれる吸血鬼となった。
 執事ジャックを従え、血を啜る化け物に。

(……、)

 マリナは再びそんな夢を見ていた。
 二夜目に見た夢は吸血がトリガーとなったのだとぼんやりと考えていたが、今回のこれは一体何が原因だったのだろう。
 寝起きの頭ではあるが、マリナは考えを巡らせる。

 光陰矢の如しとは言うものの、今思い返せば遊戯の折り返しである四夜目まではあっという間に過ぎ去った印象だった。
 相変わらず伯爵には裏をかかれっ放しで、結局一夜目より後の三日は一度たりとも妨害できずじまいで終わった。
 そもそもこの広いカプーチュの街でピンポイントに居場所を突き止める術はただひとつしかない。

 『先読み』の力。
 眷属となったターゲットとジャックはその力をそう呼んでいた。
 どうやらその特異な力を用いれば伯爵の居場所が分かるのだという。
 この力があれば夜毎に伯爵の邪魔をする事が可能となり、すなわち伯爵はこれ以上自身の眷属を増やせないという事である。

 四夜を経て妨害が成功したのは一度きり。
 今後は『先読み』の力で毎夜妨害できるとしても、伯爵はすでに三名の獲物を眷属としている事になる。

(――あぁ、そうか)

 あんな夢を見たのは予想が的中して安心したからではない。
 むしろその逆。
 マリナが一度唾を付けた獲物を容易に奪い去られるという、当初考えていた最悪の事態を迎えたからか。

(思い出せ、という事かしら)

 遊戯に敗北すればマリナは心臓を失う。
 それは人間としての生を完全に奪われてしまう事に他ならない。
 だからこそマリナの身体が、精神が、あの時を思い返させたのか。

 恐怖と絶望。
 ないはずの猶予が与えられ、目の前に勝利がちらついただけで浮かれてしまうなんて、救いようのない馬鹿だ。
 泣いても叫んでも、残りはあと四夜、行動にして八回しかない。
 その内の半分を伯爵の妨害に費やしたとしても、大きくリードされている現状を変えるためにはより眷属数の多い獲物を仕留めなくてはならない。

(現在唾をつけた獲物は……一名。四回のチャンスでモノにできなくては……、いいえ。伯爵はすでに三名の吸血に成功している事を加味すればこちらも同数の吸血に成功しなくては勝ち目は薄い)

 マリナが最初に目を付け眷属とした『先読み』の力をもつ獲物は天涯孤独の身で、他に捧げる眷属が存在しなかった。
 力の代償といえばその通りなのだが、すでに吸血数で劣るマリナにとっては手痛い状況である。
 眷属とするのに二回の吸血が必要であれば、伯爵を完璧に妨害できたとしても勝ち目はひどく薄い。

(……失敗できるのは一度限りね)

 光が見えたかと思えば、すぐに遮られる。
 マリナはどうしても闇の中から、陰の中から出られない身なのか。

 それでも全力を尽くすべきだ。
 四夜目終了時点で三名、合計にして四度の吸血を行っている。
 ここで折れてしまっては彼らに行った何もかもが無駄になってしまう。
 何のためにもならないのに危害を加え、生き血を啜るなんて弁明の余地もない化け物の所業だ。
 そんなものを許してはいけない。

 億劫そうにマリナは棺桶の蓋を押し開け、ゆっくりと外へ出た。
 新たな夜が始まる。

 その日、第五夜にして初めてマリナはまっすぐ目的地に向かい、伯爵を待ち構えた。
 すでに『先読み』の力をもつ眷属から情報を得ている。
 伯爵ともあろう吸血鬼が即断即決で獲物に手をかけるとは思えないが、それでも行動は早めに行っておいたほうが良い。

「……マリナか。貴方に会うのを楽しみにしていた。これは運命だな」

 突如として背後からかけられた声。
 お嬢様たるマリナに対してこうも気安く声をかけてくる存在を、マリナはただ一人しか知らない。

「伯爵……!」

 相も変わらず酔狂な怪鳥仮面の姿で伯爵は闇からぬらりと出でた。

「貴方のために用意しておいたモノがある、受け取れ」

 そう言って伯爵が差し出してきたのは、古典的な吸血鬼の服装――襟立の黒マント――と伯爵がつけているような歪な仮面だった。
 まるでハロウィンの仮装である。
 そうさせた張本人が飛ばすにはあまりにも腹立たしいジョークだ。

「……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのかしら」

「気に入らないと突き返す、か。格式美というものがわからないようだな」

 まるで冗談ではなかったかのような物言いに、マリナは逆に肝を冷やした。

「しかし、今や貴方も吸血鬼なのだ。それは動かしがたい事実。……忘れるな」

 それだけ言い残すと、怪鳥の仮面は再びぬるりと闇へと溶けていった。
 あれだけ奇抜な恰好をしていても、闇に溶けて後は一切の気配を感じられない。
 
(……、)

 ぱしん、と両手で軽く頬を叩いた。
 遊戯において伯爵と相対するのはこれで二度目だ。
 相変わらず自身が窮地に立たされている事実は変わらず、やるべき事も見えている。
 固まった足の呪縛はすぐに解け、マリナもまた夜に溶けて獲物を探しゆく。

 早めに伯爵を妨害できたとはいえ夜は長くない。
 あっという間に夜は進み、やがて東の空が白む気配を感じたマリナはお嬢様の屋敷へと戻った。
 いつものようにバルコニーから屋敷へ入ると、出迎えたジャックがぎょっと目を丸くしている様子が見えた。

「お嬢様……そのご様子だと伯爵様に会われたのですね」

「あぁ、……はらわたが煮えくり返るという言葉の意味をよく理解できたわ」

「お、お嬢様。落ち着いてください」

 マリナのただならぬ雰囲気に、ジャックはひたすら気圧されていた。

「兎にも角にも、お嬢様は伯爵様の邪魔をしたのです。勝利に一歩前進したと思いましょう」

「分かっているわ。そんな事より――」

 マリナが本当に腹を立てているのは伯爵に会った事ではない。

「『あれ』の説明はしてくれるんでしょうね?」

 この夜、マリナは唾を付けていたもう一人の獲物に二度目の吸血を成功させた。
 それだけなら単に喜ばしい事なのだろうが、問題はその獲物が口走った言葉のほうだ。

「……ええ、分かっています。父の事ですね。なぜリストに入れたのかと仰りたいのですね?」

 意外なほど素直に、あるいは観念したように、ジャックは語り始める。
 伯爵をサポートし続けるフランケンシュタイン家の永続のため、彼の父は貴族の娘に婿入りした。
 いわゆる政略結婚というものだが、それによって彼の父は代々の役目を継げず、やがて生まれたジャックは現当主である祖父ビクターに奪われてしまう。
 外面も内面も醜い妻と結婚させられた反動か、ストレス発散のはけ口を求めて彼の父は次第に酒と女に溺れてゆく羽目になるのだった。

「そんな父の望みはお嬢様の眷属となる事でした。……どうかお許しください」

「……、」

 ジャックの話を聞いていれば、彼の父の本当の願いがフランケンシュタイン家に対するささやかな反抗である事くらいすぐにわかる。
 おそらくは彼自身もそれを理解しているだろうが、しかし父親の尊厳とフランケンシュタイン家の時期当主として、それに触れられないのだろう。

(……だけど、だとしても。肉親を吸血鬼に差し出すなんて理解できない)

 肉親を遊戯を構成する駒のひとつとして無機質に捉えている事実に変わりはない。
 ターゲットリストをつくる際、彼はどんな気持ちで父親の名前を連ねたのだろう。
 それを親子の情だと表現するのならば、フランケンシュタイン家はどこか歪んでいるような気がしてならない。

(まるで伝染病ね)

 マリナもまた伯爵自身から直接『感染』させられた身だ。
 彼らが事実としてねじ曲がっている事は明白に理解できる。

(あたしはああはならない……!)

 それが良き方向に向かうのか、それとも二度と這い戻れぬ谷底へ落ち行くのかはともかく、マリナは再び初志を胸に遊戯に臨むのだった。



「今夜もまた出会うか……なるほど、意図的に私を妨害しているのだな」

 六夜目。
 今宵も『先読み』の力をもつ眷属から伯爵の居場所を割り出している。
 順調に伯爵の邪魔ができている状況に、マリナの心にもわずかな余裕ができ始めている頃合いだった。

「その努力に免じて、今は貴方に花を持たせてやろう」

 伯爵は一歩身を引き、「だが――」と言葉を続ける。

「儚い希望を紡ごうともがく貴方の手は純白ではない。ひたすらに真っ赤なのだ。私と同じく、な。それを忘れている貴方はすでに化け物なのだ」

「……!?」

 まるでがつんと頭を殴られたように、マリナは衝撃を受けた。
 伯爵は、何を、言っている?
 単なる負け惜しみでない事が、なぜかマリナには理解できた。

「そ、そんなの……、あたしは忘れてなんか――!」

 果たしてそうか?
 本当に、は忘れていないのか?
 この手が清くなくとも掴める何かがあると思っているのか?

「!?」

 その疑問は誰あろう、マリナ自身の心の裏より湧き出ていた。
 自分の手が汚れている事くらい知っている。
 純白などと夢見た事すらない、自分のものとも他人のものとも分からぬまでに混じりあった、しかし同じく血液によって赤黒く汚れているなど百も承知だ。

 しかし、ならば、なぜその手をすすがない?
 なぜ汚れ切ったままで良しとしている?

 ――そんなのは決まっている。
 マリナはその汚れた手を自分のものとは認めたくなかったのだ。
 どれだけ汚れようと、どれだけの清い命を奪おうと、その赤黒く染まった手はマリナのものであるにも関わらず、マリナ自身は認知しようとはしなかった。

 だからこそランプの火に吸い寄せられる羽虫のように、マリナは光に誘われた。
 見るに堪えない赤黒い手とは比べるべくもなく清く美しい純白の手。
 それはが持つ純潔性ゆえであるが、あまりにも強い光に、マリナにそれが自分の汚れた手を浄化したように見えた。
 むろん、そう見えただけだ。
 本質は何も変わっちゃいない。

(だのに、あたしは……!)

 その輝く手が羨ましくて、欲しくて、しかし手に入らなくて、それでも。
 いつか自分もこうなれるのではないか、という淡い期待を抱くに至った。
 汚れた手から目を背け、やがて訪れると信じた浄化の時を待ち続けた。
 そんなものが来る未来など存在しないというのに。

「伯爵は……」

 すでに目の前に怪鳥の仮面は存在しない。
 それでも、マリナはその疑問を口にせざるを得なかった。

「見抜いて、いる……の……!?」

 どっと冷や汗が噴き出し、マリナは身体を震わせた。
 他人がどうかは知らないが、少なくとも自身がより多くの秘密を抱え、その内を明かさず生きてきたという自覚はある。
 それを、あろう事か伯爵などという化け物に見透かされ、あまつさえ揺さぶりに利用されてしまった。

 所詮は単なる陽動だと笑い飛ばす事もできた。
 しかし、マリナにとっては到底看過し難い大事であった。

 それからカプーチュのどこをどう巡ったのかも記憶にない。
 気が付けば夜は更け、少しもしない内に空が白み始めるだろう。
 忘我の内にあっても獲物を探しに街を練り歩いたのだろう疲労感だけを抱き、マリナは屋敷へと戻った。

「……あの、お嬢様。如何なされたのでしょう……?」

 帰ってから、マリナはずっと布で手を拭いていた。
 狂ったように何度も何度も、傍目からは汚れなんて見えないというのに。

「なんでもないわ……」

「……何があったかはわかりません。ですが、お嬢様……お嬢様のお手は綺麗ですよ」

 擦りすぎて赤くなった手をじっと見る。
 マメが潰れて硬くなった暗殺者の手だ。
 お世辞にも綺麗には程遠い。

「ふっ、ありがとうね。あなたの下手な嘘のおかげで大事な事を思い出したわ」

「嘘をついた覚えはありません。お嬢様の手は綺麗ですよ」

 血に染まっていて当たり前なのだ。
 マリナは暗殺者であったが、今は冒険者なのだから。
 自分のために戦う事を決めた冒険者なのだから。

 欲しいと願って何が悪い?
 羨ましく思う気持ちの何が悪い?

(伯爵が心臓を求める事と、どれだけ差があるというのよ)

 マリナはただ羨望を抱いて夢想したに過ぎない。
 だが伯爵は他人を化け物に変えておいて、その上で心臓を要求している。
 何の事はない、事の大小はあれど同じ穴の狢だ。

(――であれば何も遠慮する事なんてない)

 どっちを向いてもクソ野郎しかいない。
 今さら相手を蹴落としたとしても非難されて省みるほど清くないのだ。
 ならば勝つべきだ。
 勝って自らの望みを果たすべきだ。

 結局、忘我の内に廻った夜は獲物を見つける事はできなかったようだ。
 いよいよもってただの一度も失敗が許されない局面まで追い詰められた。
 残り二夜しかない状況でなんだか時間の進みも早く感じられる。

 精神的なダメージは深いが、ともあれマリナは棺桶に潜り込み、次の夜を待つ事にした。

 しかしこの夜もまた夢を見た……否、今まさに見ているところだ。
 いわゆる明晰夢というやつだが、夢の主導権を握っているのはどうやらマリナではないらしい。
 マリナは暗闇の中にただ一人、椅子に座らされているだけで、眼前にはぽっかりと開いた四角い『窓』の向こうで展開される物語を見せられているだけなのだ。

 『窓』の向こうもまた暗闇で、そこでに二人の人影が相対している。
 白髪の少女と、その向かいには見慣れた怪鳥の仮面が立っている。
 よくよく見やれば少女は驚愕に目を見開いており、反対に伯爵は小刻みに震えながら大笑いしている。

『ふはははははは!! 現実とは常に残酷で無慈悲なもの……!』

『……っ! ……負けた!? そんな、嘘でしょ……あれだけの人を眷属にしたのに!!』

『私のほうが一枚上手だった。それだけの話だろう』

『そんな……!』

『――約束は覚えているだろう?』

 ぴたりと笑い声を止め、伯爵は真剣な声色でそう言った。
 その言葉の意味を飲み込んだ少女は、一転して恐怖の表情を浮かべる。

『ひっ……、嫌……嫌よ!!』

 少女はじりじりと後ずさる。
 しかしすぐに壁に追いつめられて身動きが取れなくなってしまった。

『さぁ差し出したまえ! 捧げたまえ! 私がもらい受ける!!』

『わ、私はただ、ヒトに戻りたかった……誰も傷つけたくなかった……吸血なんか、したくなかった……!』

 眼前に迫る伯爵の手は死神の鎌を思わせる禍々しさを放っている。

『……でも、それでも!! 思いを押し殺して頑張ったのに!!』

『痛み、悲しみ、怒り、無力感、絶望……貴方の心に湧き上がる負の感情はよく分かる。だが、勝負は勝負。そしてすでに遊戯の決着はついた。貴方は私に敗北したのだ!』

『来ないで! 近寄らないで!』

 少女は必死に叫ぶも、伯爵は止まらない。
 その右手がゆっくりとゆっくりと少女へと迫り、

『――!!!』

 少女の叫び声が響く。
 引き抜かれた伯爵の手にはまだ脈動を続ける心臓が握られていた。

『ふっ……はははははははっ!!!』

 少女のすすり泣く声と、仮面のせいでくぐもって聞き取り辛い笑い声。
 そして、もうひとつの声。

『お嬢様、お嬢様! しっかり!!』

 若い男の声。
 そして水の音。
 街を囲む忌々しい川の流水音じゃない。

『お嬢様、お嬢様!』

(これは……雨音?)

「――お嬢様!」

 唐突に夢は醒め、マリナはその両目を開いた。
 視界に入ってきたのは黒髪で眼鏡の青年、ジャックだった。

「よかった……酷いうなされようだったので……一体どのような悪夢を?」

「悪夢……」

 マリナがさっきまで見ていた夢の話をしたら、ジャックは何やら考え込んでしまった。
 そして何か決心するかのようにゆっくりと顔を上げて話を切り出す。

「……もしかすると、伯爵様の記憶を共有してしまったのではないでしょうか?」

「共有?」

「お嬢様は伯爵様が血を分けられた存在です。この遊戯を通してお嬢様が吸血鬼として成長し、その結果として伯爵様と感覚を共有……」

「分かった。もういいわ」

 まるで的外れとも言えない憶測に、マリナは背筋がひやりとして言葉を打ち切らせた。
 血を吸えば吸血鬼の力は自然と高まっていく。
 遊戯の終盤、いよいよ心臓を奪われるか否かという局面に差し掛かった段階で記憶の共有が行われるのであれば、それは悪趣味としか言いようがない。

(それに、伯爵はあたしの心を見抜いているようだった)

 あちらは最初から万全なる吸血鬼だ。
 血液から記憶を引きずり出すのなんてたやすい事なのだろう。

(どちらにせよ、これは伯爵からのメッセージ……『次はお前だ』、か)

 あの意地悪そうな伯爵のやりそうな事ではある。
 しかし、その中でもマリナには一つだけ気にかかる点があった。

(遊戯に勝利した伯爵は……あの心臓をどうしたのかしら?)


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周摩

Author:周摩
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