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第四〇話:『深き淵から』 (3/3) 

 結論から言えば『月歌を紡ぐ者たち』は溺死者の祠には近づけなかった。
 門自体は水精ペルナが鍵を持っていたが、問題はそれを覆い隠すほど大量の藻である。
 ゆらゆらと揺らめくそれは潮になびいていると見せかけ、近づく生き物に反応して絡みつこうとする怨念じみた何かであった。

「命の気配も、我ら水の精霊の力もないのに襲い掛かってくるなんて普通ではありません……」

 水精ペルナも困惑し、突破口も見つけられないまま出した結論が族長マーレウスの力を借りるため、集落に戻る事だった。
 これに対してレンツォは反対こそしなかったものの渋々といった様子でずっと口を結んでいた。
 無言になったのはせっかくかっこいい台詞で盛り上げたつもりだったのに見事なまでに出鼻をくじかれた反動でもあるのだが。

 集落までの帰路は楽なものである。
 もともと潮流に抗って進んでいたのだ、流れに逆らわなければ身体を動かさなくても自然と集落に向かって進んでいった。
 無論、あまり散り散りになっても困るのでここでも盗賊王のロープが大活躍している。

「祠までは辿り着いたのだな? それで扉に近づけなかったのか?」

 族長マーレウスは自らの家――洞窟――に一行を招き入れると、すぐさま水精ペルナの報告に耳を傾けた。
 いくら帰路は楽だったとしても水精ですら精神が削られる後悔の谷を長時間進んでいたのだ。
 煩雑な仕事は避けられるなら避けたい。

「……祠の門を覆う奇妙なモノ……分からない。遠方だがケリュス老にお聞きするしかないか」

『遠方って。そのケリュス老? ってのをすぐ召喚できる何かがあんのかい』

「いや……、今は時を争う。私が行けば選択肢は増えるだろう。長々と調べていては間に合わぬ」

「マーレウス様! 族長がここを離れられるのですか!?」

「仕方があるまい」

「わたくしは反対です! 何か指示をくださればこのペルナが対応いたします!」

「その指示が出せないから私が行くのだ。それに、もう決めた」

 族長権限による『決定』だ。
 いくら水精ペルナが彼の右腕として働いているとしても、その権限の前では抗えない。

『ところで族長。後悔の谷を抜けるのに族長専用ルートとかってないの?』

「そんなものがあればとっくに知らせている」

『だよね……』

 溺死者の祠は禁忌の地であるがゆえに族長とはいえ足を踏み入れる事はないと言っていた。
 この期に及んで出し惜しみなんてしていなかったのだろう。
 族長マーレウスを加えて七名となった『月歌を紡ぐ者たち』だったが、レンツォの索敵にはほとんど支障を来さなかった。

 とはいえ一度通った道だとしても『敵』は常にその場でじっとしているものではない。
 結局は一度目と同じ程度の時間をかけて溺死者の祠へと至った。
 溺死者の祠を守るはずの門には相変わらず奇妙な藻じみた何かが揺らめいている。

「うむ……門を覆っているもの……見た事のないものだな。藻のように見えるが」

 族長マーレウスがまじまじと観察する中、藻のようなものはざわざわと蠢き始めた。
 近づきすぎたのか、とレンツォは舌打ちして得物に手を伸ばした時、

「――小賢しいわっ!」

 ざざざざざざ、と急激に水の流れが変わった。
 見えない大魚が門の近くを縦横無尽に飛び回っているように水流が駆け巡り、少しもしない内に門にへばりついていた藻のような何かを切り裂き、また水流で彼方へと押し流していく。
 『月歌を紡ぐ者たち』がいた場所の水には干渉せずほとんどその場の水だけを用いて、かつ詠唱もなしにそのレベルの術式を展開しているマーレウスはなるほど族長の器であるといえよう。
 正直なところ『月歌を紡ぐ者たち』は精霊術には全く詳しくないので何となくそう感じただけだが、水精ペルナがあんぐりと大口を開けて言葉を失っているところを見るに、相当のモノらしい事は容易に想像がついた。

「……メロアは務めを怠っている。おおよそ、祠の内のよからぬものが海底の澱と絡みついたのだろう」

『しっかしなんという力業……僕が予想したのとは違う解決法だったよ。ま、通れりゃ問題ないけどさ』

「そう、先に進めさえすればよい。この海域の秩序はミリア殿を救出してから取り戻す事としよう。これ、ペルナ。白目を剥いていないでこの方々を癒しなさい」

 はっとした水精ペルナは即座に佇まいを直し、二言三言の呪文をつぶやくときたきらと輝く水が『月歌を紡ぐ者たち』の周囲に舞った。

「さあ、進まれよ。我々はここで待つ。よい知らせを待っている」

 溺死者の祠はもとより水精の立ち入りを禁じられた地である。
 彼らの助力がここまで頼りになるものであるなら是非とも中まで着いてきてほしいところではあったが、それは叶わない。

「行こう」

 後悔の谷のような広大なフィールドと溺死者の祠のように入り口が狭く先が見通せない場所では隊列も変わる。
 レンツォとルナを先頭に、中央にコヨーテとバリーを置いて殿しんがりにはチコをつける。
 普段と比べればその脆弱性が浮き彫りになって悲しいほどの戦力になっているが文句を言っている場合ではない。

「……これは」

 ややあって少しだけ開けた場所に出たかと思うと、そこは細長い通路のようになっており、その両脇の壁には様々なタペストリーが飾られていた。
 どれもこれも一目見ただけで傑作だと分かるほどに丁寧に織られた品ばかりだ。

 壮麗な聖堂、夜明けの海、砂漠の商隊、霧に煙る森、そして見覚えのある交易都市リューンの風景。
 様々な感情を、情景を想起させるタペストリーには仄かに魔力じみた力が感じられた。

『メロアが課せられている罪人としての務めってのは死者の魂の記憶を糸に紡ぎ、布として織り上げる事って言ってたな』

 重い罪や悩みを持った死者はそうしてもらわねばいつまでも水底に沈んだままだという。
 鎮魂あるいは慰霊の意味で行われるものであり、死者の声にずっと耳を傾けなければならないのは相当の苦痛だろうとは想像がつく。

『……これ全部を死者の記憶から?』

 例えばリューンの街並み。
 リューンに長く住み、その風景を脳裏に刻み付けるほどに見慣れたレンツォたちならば一目でそれと分かる。
 だがこれを織った罪人メロアは海の民だ。
 リューンを見た事はおろか陸に上がった事もないはずの彼女がここまでリューンの街並みを再現できたとなると、それほど深く死者の魂と近しく交わったのだろう。
 楽しい作業ではないだろう、とは易く想像できた。

『頭がおかしくなりそうだね』

 レンツォは吐き捨てるように言った。
 他の種族が定めた掟にどうこう言うつもりはないが、それらが罪人メロアの心身を蝕んだのは明らかだ。
 終わりのない贖罪の旅に絶望し、孤独への恐怖が生まれ、それを紛らわせる方法が手の内にあったとしたら、たとえ相手が陸の民であろうとそれを実行するのに動機は十分に思える。

『しかしミリアを奪っていい正当な理由にはなりません』

 ぴしゃり、とルナが言い放つ。
 まるで心の中を覗き見されたみたいで、レンツォは少し笑ってしまった。

 そうやってタペストリーの通路を進んでいくと、最奥には明らかに天然ものでない重厚そうな扉が現れた。
 もともとは罪人を収容するための施設なのだろうが、レンツォはそれでも入念に罠のチェックを行う。
 ややあって鍵穴すらない扉をそのまま引き開けると、その向こうにはやたらと開けた場所に出た。

『――ミリア!!』

 そこには天を仰ぐような姿勢で漂うミリアの姿があった。
 もともとエルフとしても整った顔立ちに加えて軽戦士として限界まで最適化されたスタイルの良さが相まって、まるで一つの芸術作品のような趣が感じられる。

『やっと……やっと見つけたよ。心配させてくれちゃってさぁ……!』

 彼女に近づいて話しかけるも応えはない。
 どうやらほとんど眠っている様子だった。

『私たちはここまであれだけ泳ぎ回ったのにさー、もう! さー起こして連れて帰ろう!』

 そう言ったチコの表情は明るかった。
 どれだけ苦労しても、どれだけ怪我をしたとしても、間に合わないという最悪の事態は免れたのだ。
 ミリアが無事なのであれば僥倖すぎるくらいだ。

『ん……?』

 彼女の身体を抱えようとして、レンツォは彼女の鎖骨の傍に小さな針が刺さっている事に気が付いた。
 藍色の小さな針には糸が通されていて、その端は祠の奥の暗闇に消えている。

『バリー、これって』

『水精フルクアが言っていた「藍色の針」ってやつか!』

 罪人メロアと旧知だという水精フルクアによれば、贖罪に用いられる道具がミリアに向けられている可能性が高い、との事だった。
 特に『藍色の針』はひと際強大な力を備えており、対象の記憶を抜き出してそれを織り込むのに用いられ、贖罪の儀式の核を成す危険な道具らしい。
 精霊術に詳しくない『月歌を紡ぐ者たち』はもとより、罪人に課せられる技術ゆえにメロア以外の水精もその処理の仕方を知らないという。

 メロアに処理させなくてはミリアは元のミリアでなくなってしまうかもしれない。
 記憶を糸としてタペストリーを織り上げるのだとすれば、彼女に刺さった『藍色の針』から伸びた糸はすでに彼女の記憶の流出が始まっている可能性が著しく高い。
 ミリア自身がそこにあっても、依然人質を取られている事には変わりない状況だった。

「――アウディトゥア!!」

 ごぼぼぼ、と泡柱が経ったかと思うと、必死の形相の水精が警戒した様子でこちらを窺っていた。
 どうやら彼女が罪人メロアであり、祠の異変に気付いたのだろう。

「誰!? あなたたちは! アウディトゥアに触れないで! 出てって! 今すぐ出てって!!」

 罪人メロアはヒステリックに喚き散らした。
 何者かも分からない連中が記憶の処理を現在進行形で施しているミリアを囲んでいるのだ。
 彼女にとっても不都合が起こる可能性が高い状況なのだろう。

『あなたがメロアですね。ミリアは返していただきます!』

『僕らはミリアの仲間さ。ここまで遥々追っかけてきたんだよ』

 その言葉に、罪人メロアはびくりと肩を震わせた。
 「この人だけを呼び寄せたつもりだったのに……」と呟いているところを見ると、族長マーレウスが動いていた事は知らなかった様子だ。

『さあ、観念してください。そしてミリアにかかった妙な術を解いてください』

「……イヤよ」

 罪人メロアは深海底よりも昏く、突き刺さりそうな鋭利な視線で『月歌を紡ぐ者たち』を睨めつけた。

「絶対にイヤ。ミリアなんて知らない。ここにいるのはアウディトゥアよ。アウディトゥアは祠の番人。返す義理なんてない」

『……今さらしらを切ろうってかい? そりゃ通らねえだろう!』

「――スクァルス!!」

 罪人メロアの絶叫はとある名を呼び、祠中に響き渡る。
 祠の奥から現れたのは長身のバリーすらもひと飲みにできそうなほど巨大なサメだった。
 『祠の番人』スクァルス。
 番人にして看守であるはずのスクァルスはメロアに深く同情していると話を聞いていたが、ここまで直接的に敵対する事になるとは思っていなかった。

「陸の民がこの祠を訪れるのを許されるのは、水で満たされた死を自ら得た時だけよ」

『僕らだって好き好んでこんな場所に来たくはなかったさ。ミリアを返してくれりゃ大人しく退いてやるっての!』

「――スクァルス! 秩序を乱すものを追い払って!!」

 もとより交渉が通じる相手ではなかったのかもしれない。
 祠の番人たるスクァルスはその巨体をよじりながら雄大に泳ぎ、いくつもの渦を発生させながら『月歌を紡ぐ者たち』に迫る。



 サメの最大の武器といえばその頑丈な顎、鋭く尖った牙だ。
 特にスクァルスのような巨大な種となれば噛みつかれた時点でその部位とは別れを告げなければならないほど危険な代物である。
 それでなくとも頭から丸呑みされかねないのだから恐ろしい。

 轟! と唸りをあげて突進するスクァルスに対して、『月歌を紡ぐ者たち』は水中での動きに未だ慣れていない。
 ゆえに、互いに互いの身体を突き飛ばしたり蹴っ飛ばしたりして攻撃をどうにか回避するしかなかった。

『いってぇ……! つーか怖すぎんでしょアレ』

『迂闊にやつの身体に触れるな! あの速度だとごっそり皮膚を持ってかれるぞ!』

 サメの体表を覆っているざらざらとした鱗は盾鱗じゅんりんと呼ばれ、いわゆる鮫肌を構成している。
 その名の通り盾の役割を果たし、岩でこすれて怪我しないように発達したものだ。
 種によっては柔らかな人間の身体が触れるだけで血まみれになるものもある。

『ど、どうします!? 対抗手段は!?』

『まともにやってどうにかできる相手じゃねぇ……とにかく時間を稼げ! 俺の魔法でどうにかするしかねぇ!』

 バリーも相当焦っている様子だった。
 水の中では前衛も後衛もない。
 ましてはスクァルスのあの巨体の前では防御などほとんど役に立たないだろう。

 それでもこの場で最も火力を出せるのはバリーの魔法をおいて他にはない。
 【識者の杖】を構え、精神の集中を始めた。

「深く沈み来たる魂たちよ。懺悔の地の静寂を守らせよ! 生ある日々の後悔の記憶を、この者たちに降らせ、黙らせよ!」

 それに呼応するようにメロアが呪文を叫ぶように唱える。
 ぞわぞわとした気配が周囲を包み、水温がさらに下がった気がした。
 周囲の暗闇から滲むように現れたのは青白い人魂のような塊だった。

『こいつ……なんで鎮魂の役目を任されてる奴が霊魂操れるんだよ!?』

『単に鎮魂の術式を解いただけでしょう。もともとそういった類が集まりやすい場所と言われていましたし……』

 普段なら歯牙にもかけないレベルの手合いだが、この場においては厄介極まりない。
 それというのもコヨーテが魔剣を持ち、バリーの魔術で一掃できる場合が多かったからだ。
 この場においてはそのどちらもできない。

『くそっ……!』

 まとわりつく悪霊に集中を乱されたバリーは即座にその場を離れる。
 すでに彼めがけてスクァルスが突撃を仕掛けようと鼻先を向けたところだった。
 メロアの境遇に同情したり、彼女の言葉を理解している辺り、やはり知能はそれなりにあるらしい。

『バリー!』

 レンツォは【捕縛の縄】を放り投げた。
 それにつかまったバリーを、渾身の力で引っ張る。
 水中では素早く動けないとしても浮力があるため真横からの力が働けば素直にそれについていけばいい。

 だが、それは大きな失敗だった。

「――追って、スクァルス!」

 サメはイノシシとは違う。
 スクァルスは移動するバリーを掠めるように泳ぐと、背ビレと尾ビレを巧みに使い、美しいカーブを描きながらレンツォへと迫る。
 涙型と呼ばれる紡錘形のフォルムは水中を泳ぐ上で最も効率的な形態であり、単に一方向へ向かって移動しただけの人間とは根本から違うのだ。

『――くっ、そ!』

 ミリアのショートソードを逆手に構え、何とか致命の一撃を防ごうとする。
 枯れ枝を手にヒグマに立ち向かうようなものだ。
 ショートソードごとレンツォの胴体が真っ二つに引き裂かれる未来は避けられない。

『……!?』

 そう思っていた矢先、レンツォの身体が横合いから弾かれた。
 新手かと目線だけでそちらを追うと、背中から黒白の翼を生やしたコヨーテの姿がある。
 どうやら叛逆の翼で大気を叩くように大きくひとかきしてスクァルスの攻撃からレンツォを弾き飛ばしたようだ。

『コヨ――!』

 悪夢のような速度で目の前を横切る黒い塊は、その大口にコヨーテを確かに捉えている。

『がっ……、ぐ……!』

 しかしあの一瞬で、しかも水中という弱点に晒され続けるフィールドで、コヨーテはそれでも致命的な一撃をもらってはいない。
 すでに叛逆の翼は消失し、背中には下顎の歯が深く突き刺さっていた。
 だが上顎から迫る歯に対しては【黙示録の剣】を盾に防いでいる。

 サメは基本的に泳ぎ続ける事でエラ呼吸する生き物だ。
 コヨーテもまた水精の術によって水中での呼吸を可能としているが、スクァルスほどの巨大なサメであれば二〇ノット近いスピードで水中を駆け回る。
 あまりのスピードとパワーにコヨーテも脱出に苦戦している様子だ。

『ッ……、おおおおぉぉぉぉぉおおお!』

 吼えるコヨーテの握る【黙示録の剣】が輝いた。
 いや、輝いたなんて生ぬるいくらいに白光を迸らせている。

『アポカリプス――!!』

 【黙示録の剣】が内に秘めたエネルギーは白光となり、白光は白刃となって辺り一面を薙ぎ払う。
 その膨大なエネルギーの奔流はスクァルスを吹き飛ばし、さらにメロアが呼び寄せた悪霊を一掃した。
 【黙示録の剣】は斬撃の威力を少しずつ貯め込む性質を持っている。
 さっきの一撃はコヨーテがこれまで【黙示録の剣】を振るってきた期間あってこそだ。

 とんでもない一撃ではあったがスクァルスを倒せるほどの攻撃ではなかったらしく、スクァルスは全身のヒレを使って体勢を立て直し、しかしコヨーテを警戒してか少し距離を取った。
 おまけに無理やり引きはがしたせいでコヨーテの背中はずたずたに引き裂かれ、攻撃の余波で抜け落ちた歯が幾つか刺さったままである。

『くっ……さすがに一発じゃ足りないか』

『あれと同じの、もう一発撃てるかい?』

 それには答えず、コヨーテは口元だけで微笑んだ。
 今はメロアもスクァルスもこちらを窺っているため、不利な情報は与えるだけ損だ。

『どうせ相手もすぐに気づく。というより優先せずにはいられないだろう』

 あの強力な一撃をもう一度もらってしまったら、とメロアもスクァルスも考えているだろう。
 水中では最速を誇るスクァルスのスピードでも光の如き魔力の刃を避け切る事は難しい。
 だとすれば二撃目をもらうより先に、まずコヨーテを潰してしまうべきだと思考するはずだ。

『決めるならその時――!』

「スクァルス!」

 メロアはコヨーテを指して叫んだ。
 読みは当たった。
 問題はそれまでにどれだけ動けるか、だ。

『《貫き砕く光の波動、輝きを束ね疾く放たれよ》――』

「ッ、させない!」

 バリーの呪文詠唱が始まり、レスポンスでメロアが悪霊を呼び出す。
 しかしさっきとは状況が違う。
 コヨーテが生んだほんのわずかな隙は、ルナの祈りを天に届けるのに十分な時間を与えていた。

『――させないのはこちらもです!』

 バリーの周囲に現れた悪霊を、ルナとチコが薙ぎ倒していく。
 即席槍でちくちく突きまくるシスターと鉈を振り回す狩人少女の絵面はとても愉快な光景だったが、それぞれの武器は【聖別の法】によって清められ、対アンデッドとしては十分な効果がある。

『――《抉れ》!』

 バリーが扱う【魔法の矢】はリューンで学べるそれに対して威力をより強化した術式だ。
 水中だろうがお構いなしの威力を誇る魔力の矢は一筋の光となってスクァルスに狙いを定める。
 まさしくコヨーテが再び歯牙に襲われる刹那、スクァルスの下顎を易々と貫いて四散した。

 痛みに耐えかね、スクァルスは血をまき散らしながら身をよじる。
 その口に一本の縄がひっかけられている事にも気づかずに、である。
 それは【捕縛の縄】という盗賊王の七つ道具のひとつにして、今回に限っては命綱のような役割を果たしていた。
 片方の端はコヨーテが固く握っており、海底に突き立てられた【黙示録の剣】によってそこに縫い付けられている。

 そして、もう片方の端を握るのは持ち主たるレンツォだ。
 ショートソードを逆手に構えたまま、グンと右手を引き絞る。
 左手はずっと雁字搦めに【捕縛の縄】で縛っていてあまり感覚がないが、スクァルスが暴れるたびにそちらへ引き寄せてくれる運命の糸となってくれている。
 ぐんぐんとスクァルスに近づくごとに、その巨大な相手にこれから殴り掛かろうとしている自分が馬鹿みたいに思えた。

 斬ろうだなんて考えはなかった。
 剣術の才能なんてこれっぽっちももたない自分では空振りするのが関の山だ。
 突こうだなんて考えはなかった。
 ナイフは使い慣れていてもショートソードとは扱いが違うし、片手では弾かれてしまうだろう。

 自分にできる事は、ただがむしゃらに拳を固めてぶつける事だけだった。
 それで十分だ。
 今その拳には、レンツォが最も信頼している仲間の得物が一緒に握られているのだから。

『――う、おおおおおおおおおおお!!』

 スクァルスのスピードを利用した全力の拳はその鼻先に突き刺さった。
 正確には鼻先の少し下に、である。

 レンツォは知る由もなかったが、サメの鼻先の少し下には弱点とも言うべき器官が存在する。
 ロレンチーニ器官と呼ばれるそれは他の生物の筋肉などが発する微弱な電流を感知するために、日常的に用いられているものだ。
 ここに強い刺激が加わる事はサメにとって大きなストレスであり、失うわけにはいかない器官である。

「――――――!!!」

 弱点を思い切り殴られた事でスクァルスは再びもんどりうってその身をよじる。
 さすがに今度ばかりは耐えかねたのか、そのまま祠の奥へと逃げ帰っていった。

『ッ……』

 レンツォは右の人差し指と中指が鋭い痛みを発している事に気が付いた。
 どうやらさっきの一撃で壊してしまったようだ。
 だが、今はそんなものを表情に出していい時じゃない。

「そ、んな……スクァルス……!」

 目の前の光景が信じられないとばかりにメロアは呆然として言葉を失った。
 そんな彼女に向けて、レンツォは追撃を仕掛けなければならない。
 最後の最後に待つ、本当の戦いはこれからなのだ。

『無駄だよ、メロア。いくら水中が君らの領域だとしても僕らは決して諦めない。何が何でも君からミリアを取り返す!』

「いや――いや、いや、いや! アウディトゥアは誰にも、誰にも渡さないわ!」

 決着がついてもなおメロアは足掻く。
 ミリアの元へ近づきその鎖骨に刺さったままの『藍色の針』に手をかけた。

「来ないで! この針を抜くわよ!」

『……脅しに使うって事は』

「この針はあたしの仕事道具。針穴から糸が出ているのが分かる? これはね、記憶の糸よ。記憶、思い出……そして記録。それらはみな繋がっているの。体験した事、考えた事、自分がどんな姿をしていて、何であるか……」

 悪いほうの予想が当たっていた。
 彼女にしか針が扱えないと聞いていた時から嫌な予感はしていたが。

「あたしがこれを引き抜けばアウディトゥアはすべてを失うわ。あなたたちの事も、自分の事も、形も思考もね」

『そんな事をしてお前に何の得がある!? ミリアを失うのは同じだろう!』

「違うわ。全く違う。あなたたちにはわからない!!」

 メロアは今にも泣きだしてしまいそうなほど湿った声で、

「アウディトゥアはあたしの話を聞いてくれる人! あたしのものにならないのなら誰のものにもさせはしない!」

 その眼は本気だった。
 何が何でもミリアを救い出したいと思う『月歌を紡ぐ者たち』の覚悟もまた本気なら、アウディトゥアを失ったとしても誰にも渡したくないという彼女の執念もまた本気だ。

「これが最後よ。陸に帰って! そうすればこの人はここで生きていけるわ!」

『……いい加減にしろよ』

 だが、メロアの決意が本物だとしたらどうだというのだ。

『黙って聞いてりゃ我が儘放題喚き散らしやがって。そうやってダダこねてりゃ何でもかんでも思い通りになると思ってんのか!?』

 コヨーテに肩を強く掴まれたが、走り出した言葉はもう止められない。
 彼の手を振り払って、レンツォは迸る感情を言葉に乗せてメロアに叩きつける。

『あのサメの卵に触れた人間なら誰だってよかったんだろ!? ミリアじゃなくてもよかったんだろ!? 記憶を抜き出して、弄り回して、あんたの思う通りに書き換えて、それで「アウディトゥア」が出来上がりゃあそれでいいんだろ? だったら、僕が代わりになる!!』

「……ッ!!」

『レンツォ、お前!?』

 当のメロアはもとより、バリーやコヨーテすらも狼狽している様子だった。
 もし人質状態が続いていた場合、どういった交渉をするかはレンツォに一任されていた。
 「それについてはとっておきの方法がある」と主張したのは彼である。

『……聞けよメロア。ミリアはなぁ、重たすぎる責務を果たすために必死に毎日生きてるんだよ。あいつの未来は、もうあいつだけのものじゃない。そう遠くない将来にはひとつの集団の長になって、大勢の生活を引っ張っていかなきゃならなくなる。あいつの無事を願って、ずっと待ち続けてるやつらだっているんだ。誰かの我が儘で勝手に終わらせちゃいけない存在なんだよ!』

「……、」

『反面、僕なら大した未来は待ってない。慕ってくれた連中も一握りだ。いなくなって悲しんでくれる奴らはいるかもしれないが、ミリアに比べりゃ大した事はない。僕くらいの盗賊なら替えも利くだろうさ。おっと、こちらにばかりメリットがあるように言っちまったが、勿論あんたにもメリットはある。僕が身代わりにするなら後ろの連中には手も口も出しさせないし今後一切あんたらとは関わらせない。そういう契約をさせてやる。不服ならあんたんとこの族長を立会人にしてくれてもいい』

 いつもの出まかせではない。
 そんな薄味の嘘を混ぜたところで気づく奴は気づくし、大した効果も得られない。
 つらつらと並べられた言葉は、すべてレンツォの本心であった。

『……むざむざとミリアを失って生き続けるくらいなら、僕は喜んでこの身を差し出すぜ』

 溺死者の祠に静寂が訪れた。
 こういった話にはいつもなら即座に噛みついてくるだろうコヨーテは水中でダウンしているし、ルナやチコはその言葉が本意なのか交渉の一部なのかが判断できずに固まっている。
 あのバリーですら同様なのだから、自分の本気もまだ捨てたものじゃないのかもな、とレンツォは自嘲した。

「――ここまでだ」

「あっ!」

 ざぁぁぁ、と水流が渦巻いたかと思うと、族長マーレウスがミリアとメロアの間を割って現れた。
 『藍色の針』へ手を伸ばすメロアの腕をがっしりと掴み、そのままミリアから引きはがす。

『マーレウス!? ここには入れないんじゃ……』

「そうだ。私は禁を破ってここにいる。ゆえに私はすでに族長ではない。後の事はペルナに任せてきた」

『なんだって?』

「掟は多く破られた。番人が罪人に加担するなど……だが、さらに陸の民の勇気を無駄にするのならそれは我が水の眷属にとって永久の恥。私はあなたがたの覚悟と行動に応えたかった」

 マーレウスが話している間もメロアはどうにか腕を引きはがそうとしていたが、やはり力の差は大きいのかびくともしない。

「なぜ……どうしてあなたが……」

「お前が呼び寄せた召喚の泡を私が目撃していたのだ。お前の所業はすでに知れている。観念するのだ」

「……いや!」

「陸の民、ミリア殿を無理に水の眷属にしたとて、お前のものにはならない。水界の王より裁定が下れば引き離されてしまうだろう」

「うっ……」

 メロアの表情が瞬く間に曇っていき、

「うわあぁぁぁああぁぁっ! イヤよ、イヤ……! ううっ……アウディトゥアと暮らすの……、もう独りはイヤ……!!」

 ついには決壊した。
 水の中だというのに彼女の涙は美しいくらいに光を反射し、その頬を伝っていった。

「……それは許されぬ。お前とてこれまでいくつもの死者の声を聴いていたのだろう。ならば理解できたはずだ。レンツォ殿の言葉の、その重みが」

「……ううっ、……っ……!」

「泣いていないでミリア殿を解放しなさい。儀式はまだ完了していない。正式な手順を踏んで中断すれば効果は消え去るはずだ」

『本当か!?』

 マーレウスは力強く頷いて応える。
 ここにきてようやく確信の持てる情報が得られたからか、レンツォはようやく安堵のため息を吐く事ができた。

「メロアよ。お前の目の前にいるのはミリア殿の友の方々。お前は孤独に苦しんだ。ならば、人の絆を無理に断ち切るのはやめるのだ」

 泣きじゃくっていたメロアは「絆」の一言に反応したかのように涙を押し留めて、レンツォたちへ向き直る。

「……分かりました。陸の皆様……あなたがたの友、ミリアを、今お返しいたします……」

 メロアの指先が『藍色の針』に繋がれる糸に触れた。
 目を閉じ、二言三言の呪文を唱えると糸と化していた記憶は暗闇のほうから手繰り寄せられ針へと吸い込まれていく。
 もともとタペストリーとする予定がなかったためか、はたまた糸を引き切れていなかったからか、ミリアの記憶は滞りなく彼女の下へと戻っていった。

『……もしもーし』

 すべての糸が戻り、『藍色の針』も抜かれたものの、ミリアは目を覚まさなかった。
 試しに額をこつこつと軽く小突いてみたがやはり応えはない。

『まだ夢うつつな感じですね。これで本当に戻ったのですか?』

「手順も解呪も間違いない。だが、短期間に大量の記憶が出し入れされたのだ。負担だったのかも知れぬ」

「しばらく休ませればはっきり目覚めるでしょう。陸の民、ミリアとして……」

「存在をすり替えるような強大な力に晒されていたのだ。衰弱もあるだろう。ここは昏く、水は冷たい。早く陽光の下に返したいが……」

『いや、素直に休ませてりゃいいだろ。もう危機は去ったんだ。無理させる事ぁないぜ』

『ううん、大丈夫だよ』

 水流で乱れるミリアの髪を整えながら、レンツォははっきりと言い切る。

『もう目を覚ますさ。こっちも十分苦労したんだ。これ以上、僕らを困らせるような事はしないよ』

「ほう……」

『信じられない?』

「む、いや……そういうわけでは」

 いいさ、とレンツォはミリアに向き合うと、右手の指でカウントダウンを始める。

『四、三、二、一……ゼロ!』

『……、ハッ……!』

『おかえり、ミリア』

 ありったけの笑顔でレンツォは『ミリア』の帰還を喜んだ。
 果たしてレンツォの宣言通りのタイミングで目を覚ましたミリアだが、それでもやはり頭の回転は鈍っているらしく、目をこすりながら辺りを見回していた。

「……これは驚いた。大したものだ」

『私もびっくりなんですけどレンツォあなたいつの間にそんな技を!』

 技じゃないって、とレンツォは苦笑する。

『ただいま、……でいいのかしら。ごめん、迷惑かけたわね』

『気にすんなって、貸しにしとくから』

『そうして頂戴。……それで、ええとあなたは?』

「ミリア殿、はじめてお目にかかる。私は先の族長マーレウス。あなたのお仲間に微力を貸し、その勇気を見届けたもの。あなたとあなたの仲間の絆……互いを深く理解する者の絆が失われずに済み、深く安堵している。……分かるな、メロア?」

 言葉を向けられたメロアは小さく「はい……」とだけ答えた。
 どんな経緯があっても、最後に改心しようとも、メロアが事を引き起こした事実は変わらない。
 すでに彼女はミリアからのいかなる叱咤も罵倒も受け入れるつもりなのだろう。

「ミリア殿。思う事は多いだろうが、後は我らの法が収めるところ。ここは私に免じ、このまま陸に戻られよ」

『……、……』

『かえろうよ、ミリア』

 チコに促され、ミリアは小さく頷く。
 そのまま『月歌を紡ぐ者たち』は振り返る事なく溺死者の祠を後にした。



 溺死者の祠を出た先にはややテンパり気味の水精ペルナが待っていた。
 突然のマーレウスの掟破りに際して族長代理を任され、未だに混乱しているという。
 無理もないが、彼の助力がなければミリアが戻ってこなかったかもしれないと思うと水精ペルナには悪いが頑張ってもらうほかない。

 深海から海面に浮上していくにつれ、水精ペルナは徐々に水精の術式を再調整していき、無事『月歌を紡ぐ者たち』を地上へと返してくれた。
 これは『月歌を紡ぐ者たち』の案内役を任された時点ですでに手配されていたと言っていたが、もしかするとマーレウスは今回の件は自身の力が必要不可欠である事を知っていたのかもしれない。
 単なる保険だったのかもしれないが、もはや真実は彼にしか分からない。

「ああ、空気がおいしい。やっと帰ってきたわ」

『ミリアさまったら……ふふ。わたくしも嬉しいですわ。やはり誰もあるべきところにあるのがいちばんですもの』

「あっ、ちょっとコヨーテ引き上げましょ。さっさと乾かさないと死ぬわよ」

「うお、忘れてた! ごめんコヨーテ!」

 陸に帰ってきたなりぎゃあぎゃあと騒がしい『月歌を紡ぐ者たち』である。
 当のコヨーテはぐったりと力を失くしているが、命に関わるほどではないらしい。

『ミリアさま。この度の事……どうお詫び申し上げたものか分からないほどですけれども……』

「もういいんですよ、ペルナさん。すべて終わったんです。今後は私たちは私たちで、あなたたちはあなたたちで、折り合いをつけていくものです」

『そう言っていただけると救われます、ルナさま』

 水精ペルナは寂しげに笑うと、表情に気を入れて佇まいを直す。

『名残は尽きませんが、わたくしはこれで失礼いたします。族長……いえ、マーレウスさまの心配の種とならぬよう努めますわ』

「そっか……さよなら、ペルナ。元気でね」

『ええ、みなさまも! さようなら、陸の方々!』

 深々と一礼した後、水精ペルナは身を翻して水の中に返った。
 即座に水と同化した彼女の姿はもう視認できない。
 水面はゆらゆらと形を変えながら太陽の光を映している。

「ふう……」

 誰ともなく息を吐いた。
 すべてが終わったのだと、誰もが実感していた。
 その時である。

『――忘れていました!!』

「わあ!?」

『あ、……す、すみません。お渡しするものがあったのです。谷の見張りのオルクスからです』

 水精ペルナが腕を伸ばして渡してきたものは、小さな錨がデザインされたアミュレットだった。
 どうにも年季が入っているようで、しかし首に下げる紐はちっとも痛んだ様子がない。

『谷の見張りに引き継がれている装備品のひとつですわ。彼曰く「お前らは特殊な陸の民だ」、と。素直じゃないですね』

「ははっ、あいつがね」

『さ、さぁ今度こそお別れです。みなさま、ごきげんよう。ミリアさま、お元気で!』

 再び水の中に身を投げた水精ペルナはもう戻ってくる事はなかった。
 あのそそっかしい水精が族長代理なのだから、きっとまだしばらくはマーレウスの心配の種であり続けるのだろう。

「……さすがに疲れましたね」

「ちょっと休んだら昨日の宿に戻るよ。僕らはともかく、ミリアの荷物は双剣以外置きっぱなしだし」

「えっ、ちょっと私の双剣なんであんたが持ってんのよ。水の中に持ってったわけ?」

「しょーがなかったのさ。許しておくれよ、手入れぐらいは手伝うからさ」

 不可抗力だったんだし、と付け加えてレンツォは笑った。

「……ま、いいわ。あんたにもすごく迷惑かけちゃったみたいだし」

 レンツォはミリアの視線が自身の右手――そこに適当に巻いた包帯――に向けられている事に気が付いて、すぐに背に隠した。
 彼女が負い目を感じる事はない。
 仲間の誰かがミリアと同じ状況に置かれても、誰かがレンツォと同じ事をしただろう。
 それがたまたまレンツォだっただけだ。

「帰りましょう。今回の件、みんなの武勇伝を聞かせてほしいわ」

「うげ……ま、まぁいいさ。その代わりミリアの奢りだからね?」

「何を細かい事言ってんのよ! あったりまえじゃない、それくらい!!」

 そう言って、ミリアは満面の笑みを浮かべた。
 誰もが失いたくないと思った存在が、最高の笑顔を引っ提げて戻ってきてくれた。
 それだどれだけありがたい事か。

 冒険者は死と隣り合わせの存在である。
 時には仲間を失いかける事だってあるだろう。
 だからこそ、それを乗り越えた先には固い絆が生まれる。

 これは連綿と紡がれてきた絆が更に固く、より強くなった物語である。



【あとがき】
今回のシナリオはcobaltさんの「深き淵から」です。
リューンに帰ろうとしていた冒険者たちが気づけば海の中で……という巻き込まれ型の中編シナリオでした。
唐突に囚われる仲間と、仲間を取り返そうとする冒険者に別れてストーリーが進行し、時間経過による浸食も緊張感があってスリリングです。
なお筆者は大抵最速で助け出そうとするためあの場所に眠るお宝とかにお目にかかった事もなければいわゆるバッドなエンディングを見る事もなく……仲間想いなやつらが多いだけって思いたい!
ともあれ豊富なエンディングは「まさか!」と思うものもありますので、ぜひ実際にプレイしてみてください。

また、冒頭で配布できる関係クーポンに反応しますので、誰を『その一人』にするかギリギリまで悩みました。
迷った挙句に本文のような事になり、結果的に戦闘が辛くなりすぎた感じがありますね……
いつぞやの三一話を思い出す……学習しない筆者である!
実際、最終的に火晶石で大爆発というハリウッド的解決を図ろうとしたら無理だと知ってかなり苦労しましたね。
大きく時間がかかったのも「これ勝てない?」「いや勝てる」「でも勝てない」「省略する?」「いくらなんでもそれはない」と、いろいろ葛藤していたというのもありまして……言い訳見苦しい!

さて今回、吸血鬼という種を少しでもご存知の方なら違和感バリバリだったと思うのですが……
ある意味では一度はこういった話をやってみたかったというのもありまして、今回はコヨーテに我慢してもらう事にしました。
一応、以前から純粋な水でなければある程度は耐えられるような話をしていたのと、あとは気合いと……族長殿の秘術がすごかったんだと思います。

あまり道中でわいわいできなかった事もあり、没になった台詞も今回は多かったです。
シナリオ中のNPCとの絡みだったりは極力削ぎ落とす方向になってしまったのは少しもったいなかった気もします。
『口の中がしょっぱい』
『あぁ、塩分が気になるな……』
『現実的な話はやめろよ。血圧とか俺が一番やばそうで怖ぇんだよ』
『不摂生だもんね、バリー』
……みたいな!

また、今回でついにコヨーテとルナがレベル6の大台に乗りました。
少し遅れて他のメンバーもレベルが上がるでしょうし、次々に名作シナリオが存在するレベル帯なので楽しみです。

【ないない尽くしだとしても拳を握って立ち向かうくらいならできるのさ】


☆今回の功労者☆
レンツォ。お前頑張ったね本当に……


LEVEL UP
コヨーテ、ルナ→6

報酬:
なし

戦利品:
【藍色の鱗】→ミリアのバックパック
【精神の錨】
【歌う貝殻】

銀貨袋の中身→10517sp


≪著作権情報≫
今回プレイしたシナリオ
『深き淵から』(cobalt様)

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基に周摩が製作したリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。


第四〇話:『深き淵から』 (2/3) 

『――せいやっ!!』

 ごぼっ、と気泡が立ち上る。

(よおおっし、気力で眠気を振り払ったわ! 私を甘くみないでよね、あんたの好きになんかさせないわよー!!)

 眠気を飛ばすためにやたらとテンションが高いミリアであった。
 しかし相変わらず身体のほうはさっぱり動かず、低い水温にすっかり熱を奪われている。

(手足が動かせないのは凍えてるからってわけじゃないんだろうけど……あぁ、もう。ここまで冷えたら水浴びは十分なのに)

 暑い暑いと唸っていたつい先日の昼間が――時間の感覚はなくなっているが――すでに懐かしい。
 ともあれ、長時間を仄暗い水の中で過ごしたのは間違いない。
 いい加減に暗さにも慣れたかと視線を巡らせるが、しかしほとんど視界の聞かない場所のようだった。

『……っ!!』

 元凶の人影はまたしても暗がりから不意に現れた。
 ミリアは息を呑みながらも、先刻よりも冷静になった頭で言葉を探る。

『あんた、何なのよ。私をどうするつもり……』

「――水よ」

 ミリアの言葉を遮るように、元凶は言葉を紡ぐ。

「漂い、流れ、凍え、変わりながら巡り続けるものよ」

 否、あれは単なる言葉ではない。

『あっ……、あ、あああ……!』

 どくん、どくんとやたらと鼓動を近くに感じる。
 その度に得体のしれない何かがミリアの内側に湧き起こっている。
 強烈な不快感を覚えつつも体は動かず、わずかに身をよじらせるだけしかできない。

「この者を汝と近くせよ。この深き淵の住人とせよ」

『ああ、あ……! が、ぁ……!!』

 不快感が痛みに変じる。
 内側から外側へ抜け出ようとする何かがミリアの体内をめちゃくちゃに暴れだした。
 身体がバラバラになりそうな激痛に耐えかねたミリアは意識を手放さざるを得なかった。

「……ごめんなさい」

 意識が吹き飛んでいく刹那、その言葉は確かに元凶の声で発せられていた。



 異常な事態に陥った冒険者の行動とは画一的なものだ。
 大きな行動に移る前にまず情報収集、これに尽きる。
 最善を選択しているという点では文句のつけようもない行動であるが、人質を取られている状況ではどの程度まで情報を集めるか、加減を調節しなくてはならない。

 族長マーレウスおよび水精ペルナから得られた情報は粗放ではないがやや不足があった。
 どうにも彼らは全体を統括する立場にあって現場に赴かないタイプのようで、溺死者の祠やメロアについて概要を話せてもより深く質問すると答えあぐねるといった具合だ。

 初見の、しかも海中という地理に疎いにもほどがある『月歌を紡ぐ者たち』にとって道案内は必要不可欠であるにも関わらず、水精ペルナはそこに近づいた事もないらしい。
 もっとも、マーレウスの集落の者は誰も彼も似たようなもので、本来は禁忌の地である溺死者の祠に近づこうという者はいないのだという。
 彼女は癒しの術を得意とするが故に族長に見込まれたと言っていたが、事ここに至っては何よりも情報が欲しかった。

『で、バリーの意見としてはどうなの?』

 レンツォは水圧に耐えきれずに割れてしまった薬瓶を皮袋に選り分けて荷物袋の底のほうへ追いやり、まだ無事なものだけを選びつつ問いを投げかけた。

『本来なら魔術と精霊術の間に明確な差はねぇ……が、この場合は例外だ。魔術において記憶の操作は禁呪クラスの難易度だ。いくら精霊といえどそんなモンに手を出せるほど高位の魔術師とは思えねぇ。……だな?』

 ペルナは静かに肯定した。

『つまりは精霊術だろ。俺にも分からん』

『これっぽっちもかい?』

『気休めが欲しいんなら希望的観測に満ち溢れた非現実的な言葉でも吐いてやるが?』

『……いい。僕も君と同じく現実主義者だからね』

 危険を冒す者と書いて冒険者ではあるが、好き好んで危険に身をさらすのはただの愚か者だ。
 彼らは危険の度合いを調べ、吟味し、知識と知恵によって判断を下す事で乗り越えてゆく。
 現実を見ない者では冒険者は務まらない。

『となれば行動あるのみだが……、コヨーテの具合はどうだ』

『過去最悪と言っていい』

 もはや単独では立っていられないほどに、コヨーテは消耗している様子だった。
 ルナに肩を借りて直立してはいるもののまぶたを閉じて指先はだらんと垂れている。
 水中でなければこうまで消耗しなかっただろうが、浮力がなければルナ一人では支えられなかっただろう。

『無理はするな。ミリアを助けるためにお前が死んじまったら意味ねぇんだからよ』

『……状況のマズさは正しく理解しているんだろう? 泣き言を言っている場合じゃない』

 陸上なら『月歌を紡ぐ者たち』に対処できない事態というのはそう多くないだろう。

 だが、水中では普段の実力の半分すら出せるかどうかも分からない。

 パーティで唯一水中に適応できそうなミリアは敵方に囚われ、コヨーテは著しく弱体化、バリーの得意とする火炎術式や催眠術式は封じられている。
 チコの射撃は辛うじて使えるだろうが射程や精度はガタ落ちしているはずだし、残りのメンバーは戦闘要員ではない。
 つまり荒事になってもまともに戦えるメンバーがいないのだ。

『分かってねぇなァ。今のお前じゃ足手まといだっつってんだよ』

『ッ……、』

『何をそんなに焦ってんのか……まァだいたい想像はつくが、お前が責任を感じる事ァねぇよ。こんなモン回避不可能な異常事態だ』

 図星を突かれたコヨーテは言葉を詰まらせてまま黙り込んだ。
 今回の一件に関して、コヨーテは決定権をミリアに預け、一任している。
 もしも立場が逆だったなら、この場には海水に苛まれず、戦力として申し分のないミリアが立っていたはずなのだ。

『もしミリアが攫われた事を自分の責任だって思ってんなら見当違いだよ。精霊力だとかいう訳の分からないものに対して無関心なままその危険をミリア独りに背負わせたのは僕らだって同じだ』

 一刻を争う状況で後悔している暇なんてない。
 責任の所在もすべて終わった後で問えばいい。
 今成すべき事は何か、そのために自身が何を成せばよいか、考える必要があるとすればそれだけだ。

『はぁ、まさかこんなに早く「次の機会」が来るとはな……』

 独白のような呟きの後に、コヨーテは自身を支えてくれていたルナから離れた。

『今回、オレはリーダーから外させてもらう。オレの代わりはルナに任せたいが、どうだ?』

『ええっ、私ですか!?』

『代理なら俺がやってもいいが?』

『いつものような前衛後衛の概念がないんだぞ。敵が現れたとして、それの眼前で術式を展開させながら周囲に目を配れるのか?』

『しかし普段の実力を発揮できるかも怪しい未知の領域だぜ。セオリーなんかあってないようなモンだ、ルナには少し厳しいんじゃねぇか?』

『だとしてもバリーの術式は数少ない武器だ。可能な限り攻撃に集中してほしいし、何より魔法に関しては代わりが利かないだろう』

 それに、とコヨーテはルナに向き直って続けた。

『ミリアも君を推していたし、おそらくルナが一番オレに近い思考をしている、と思うから……』

 コヨーテの言葉尻が萎んだのは疲労のせいだけではないだろう。
 その風貌からも察せるほどにルナは押しに弱く、おまけにプレッシャーにも弱い。
 あまり強く押しすぎると却って逆効果だ。

『……分かりました。どこまでやれるか分かりませんがやってみます』

 こうしてルナを中心とした臨時体制を組み上げる運びとなった。
 海中というイレギュラーなフィールドにどう適応するかの議論もそこそこに、ルナ率いる『月歌を紡ぐ者たち』は溺死者への祠へと向かう。

 タイムリミットは刻々と迫りつつある。



(……、う……)

 ゆっくりと瞼を開けても、見えるのは薄暗い海底だけだ。
 ミリアは靄がかかったようにぼんやりとする頭を唇を噛んで覚醒させようとするが、うまく力が入らない。

(っ、……自分の身体じゃないみたい。いきなり行動の自由が持ってかれたわね……)

 その感覚とどれだけ格闘していたのだろうか。
 気が付けば周囲の薄暗い闇が少しだけ和らいだ気がする。
 目が慣れてきたのだろうか。
 青とも黒ともつかなかった闇が、今では遠くまで見渡せるようになっていた。

「……まだ、痛みますか?」

 いつの間に現れたのか、元凶の人影が目の前に漂っていた。
 今ならその人影が女性の姿をしている事も、彼女が人ならざる者――おそらくは水精――である事も見て取れる。

「息は苦しくないですか? ……怖いって、思ってますか?」

「ぁ、……! ……、……!?」

 冗談じゃないわ、と叫んだつもりだった。
 だがどれだけ口を開けて舌を動かしても声らしい声は発せられなかった。
 もはや声すら出なくなってきている。

「……あなたが、」

 水精はそっとミリアの頬を撫で、

「あなたがそんなに苦しむなんて思ってなかったの。でも、言い訳ね……」

 まるで慈しむように、悲しげな眼差しでミリアを見つめた。
 彼女の瞳に後悔の色はない。
 が、少なくとも申し訳なさだけはどうしてか感じられた。

「今のあなたとお話するのは辛いんです……もうすこし、我慢してください。もうすこし……そうすれば、水の温度にも慣れるわ。恐怖も不安も消えるでしょう」

 もしかしたら彼女はミリアを助けてくれていたのかもしれない。
 水の中に引きずり込んだ元凶は別にいて、水中に適応できるように術式を施していて、それが思っていた以上にじゃじゃ馬なだけだったのかもしれない。
 そんな考えを抱いた次の瞬間、水精は薄く引き伸ばしたような笑みを浮かべて、

……」

 そう言い残してその姿を消した。
 一瞬前の自分をぶん殴ってやりたい気持ちに駆られるほどにミリアは自らを恥じた。
 コヨーテに対して甘いだの何だのと言っておきながらこのザマか。

(……とにかく。自分が置かれている状況をまとめてみましょうか)

 今は強制的な眠気や痛みもない。
 頭のほうは相変わらず薄ぼんやりとしているが、何もしないよりはマシだ。

(命を取るつもりはない、かな。でも、この身体の違和感……それにさっきの言葉。案外、似たようなものなのかも)

 ヒト一人を水中まで転移させる術式に、水中に適応させる術式、そして現在進行形でミリアの身に起こっている現象。
 これらの大掛かりな術式を用意していたのだ、洒落や冗談で済まされるような結末は待ってはいないだろう。

(このままここにいれば私は私でなくなる……にわかには信じられないけど。正直、冗談キツすぎるわね)

 もし身体が自由に動くのならあの水精の首をすっ飛ばしてでも阻止するところだが、出来もしない事をぐだぐだ考えていても仕方がない。
 ミリアは怒りを鎮め、まずは冷静さを取り戻してから次の行動を考える必要がある。

(そう簡単には……、負けてやらない……!)

 決意を新たに、ミリアは小さく泡を吐いて心を研ぎ澄ませる。

 ミリアが再び目を覚ました。
 自らが気絶していた事にしばらく気づけないまま、ただぼうっと緩やかな潮流の中で漂っていた。

(……、短い夢をいくつも見た気がする……何だったかな……?)

 眠くはないのに寝ぼけている感覚。
 何故かとても時間がゆっくりと動いているような感じがした。

(……この状況で見ていた夢が、最近宿の娘さんが開発した新しいメニューだとか、鏡とにらめっこしている親父さんだとか……とても言えないわね)

 ようやく夢の内容を思い出せた時には、目覚めてから相当の時間が経っていたのだがミリアは気づかない。
 光もおぼろげな深海では時間の感覚なんて持っているほうが異常だ。
 だが、ミリアの感覚が狂っているのはそれだけでは決してない。

(みんな、どうしてるかしら……私がいなくなった事にはもう気づいてるといいんだけど)

 しかし場所が場所だけにコヨーテだけは来たくても来れそうにないな、と思い直して、ミリアは少しだけ笑みを浮かべた。

(旅の宿から海の底、ってね。突飛な話ではあるわよね)

 それでも『月歌を紡ぐ者たち』の諦めの悪さはミリア自身がよく知っている。
 コヨーテの不撓不屈の精神を、叛逆の魂を知っている。

(……私が諦めるには早すぎるわ)

「………………」

 再び、あの水精がどこからともなく目の前に現れた。
 これで二度目だ。
 ミリアはあからさまに驚くような真似はしなかった。

「あんた――ッ!」

 しかし自らの喉から声が出た事に驚いて、ミリアは次の言葉を紡げない。
 声が出せないほど何らかのダメージを負っていたのだ、普段なら快復の兆しかもしれないと喜んだだろう。
 だがここは海中だ。
 陸の民であるミリアが生存できている以上、何らかの魔術で適応させられているのだろうが、その中で声が発せられる事が果たして良い方向に向かっていると誰が断言できるだろう。

「………………」

 そんなミリアの葛藤も水精には一切届かない。
 彼女の青褪めた華奢な手が静かにミリアに伸ばされる。

「触らないで! ――痛ッ!」

 咄嗟に声を出してもその手が止まる事はなかった。
 彼女の手にしていた藍色の針が鎖骨の傍に突き立てられ、ミリアは痛みにその身をよじるが、依然身体の自由は利かないままだ。
 磔刑のごとくそのまま貫かれるのかと危惧したが、小指の爪ほどをミリアの肉に食い込んだところで止められた。

「――我が待ち人、アウディトゥアに」

 どうやら針を刺すためだけに現れたらしい水精は、それだけ呟くと泡と共に消え去った。

「く、そ……逃げるんじゃ、ない……わよ……!!」

 じりじりとした痛みが不快で、とにかくこの針を抜き去ってしまいたかった。
 身体の自由が利かない以上それも叶わず、ミリアはただその針を恨めしそうに睨めつけるしかない。

 ふと、ミリアは気づいた。
 針の尻に小さな穴が開いている。
 拷問用の針じゃない。

「……裁縫針?」

 それを刺す事にどんな意味があるのか。
 魔術に疎いミリアにはさっぱりだが、意味の分からない行動ほど怖いものもない。
 猛烈に嫌な予感に襲われたミリアは、ともすれば発狂してしまいそうな不快感に身をよじりながら、必死にそれらに抗った。



『……、』

 レンツォは思わず胸を押さえた。
 得体の知れない予感が胸騒ぎどころか針で刺したような痛みとなって襲っていた。

 すぐそばでやや首を傾げながらルナが立ち止まる。
 ハンドシグナルと勘違いしたのだろうか。
 なんでもない、とすぐさま返してレンツォは再び前を向いた。

(きついな……)

 レンツォは目を細めて谷の奥を睨めつけた。
 谷のほうからは単なる潮流だけでなく水の精霊力が情け容赦なく叩きつけてくる。
 水の流れで生まれる波紋や泡が視界を狭めてきて、陸での向かい風以上に厄介だった。

 後悔の谷は北へ伸びる底深い谷だ。
 しばらく北へ進んだその谷底に溺死者の祠があるらしいが、強い潮流が行く手を阻んでいる。
 また、谷は南流しており南下は易く北上は難いという。

『谷の流れはただの潮流ではない。溺死者の嘆きが混ざり、俺たちにさえ苦く感じられる』

 後悔の谷の入り口を見張る水精――オルクスと名乗った――の言葉だった。
 生粋の水精である彼らですら堪えるという潮流に真っ向から立ち向かわなければならない。
 しかし、

(くそ……負けるか!)

 ぐっと奥歯を噛み締めて全身に力を込め、潮流に抗う。
 こうしている間にもミリアの眷属化は進んでいるはずだ。
 死者の嘆きが心を削るというなら一刻も早く溺死者の祠に辿り着き、体力の残っている内に救出すべきである。

 それらが成功するか否かは先導するレンツォの手際にかかっている。
 せめて水中でなければどれだけ気が楽だった事か。

 ちら、と左手を見た。
 そこに握られているのは【捕縛の縄】という盗賊王バルセルミの用いていた道具のレプリカである。
 普段であれば脱出困難な捕縛縄として活躍していただろうそれは水の抵抗によってろくに投げつける事もできず、ただ強い潮流にメンバーが流されないよう握らせているだけである。
 ただ、この場で誰よりも消耗しているコヨーテだけは流されないよう抗うだけでも難しく、半ばロープに捕まらせているだけで引きずっている形となっている。

(盗賊王の七つ道具が形無しだなぁ)

 だが使い道があるだけでも贅沢は言えない。
 時間に余裕がなく、消耗が激しいと分かり切っている場所に向かうのだ。
 デッドウェイトになるような荷物は捨てるしかない。
 仮にも盗賊王が用いていた道具のレプリカゆえにそう簡単に千切れはしないだろうが、もし壊れてしまったらと考えるだけでも怖い。
 買値にして銀貨二四〇〇枚也。

『……っと』

 黙々と進んでいる内に前方に見慣れないオブジェを発見した。
 海底から突き出ているそれは曲線を描きすぎたフォークの先端のような形をしている。

「船の錨がありますわ。ちょうど谷の中央辺りです」

『え? あれ錨なの?』

 言われてみれば確かに聞き及ぶ錨の形状をしているように見えるが、船と繋がっている綱や鎖を通す環がどこにも見当たらない。
 と、そこまで思考してレンツォはようやくそれが海難事故の残骸であると思い至った。
 水精オルクスもこの辺りには沈没船があると言っていたはずだ。

『こんなでかい錨を使ってるなんて相当の巨大船だったんだろうけど……』

『錨があるのならこの辺りに沈没船もあるのでしょうか?』

『それはないね。この辺りは岩場だから船も錨を下せないし、もし錨が破損したら船はもう止まらない。その場で転覆するなりしてれば沈むだろうけど後悔の谷はずっと南流してるんだろ、たぶんずっと南のほうに流れていったさ』

 集落を出てからこれまでずっと潮流に逆らい続けて一本道だ。
 おそらくはこの錨を繋いでいた船は原型を留めないほどに海の藻屑と化したのだろう。

『下手に沈没船なんかがあったら余計な死角ができるって事だからね。なくて良かったさ』

『何か物資が得られればと思ったのですが』

 自分じゃあるまいし、とレンツォは笑いそうになった。
 が、すぐに思い直して、

『当てにしないほうがいいよ。探索に使う時間ももったいないし、付け焼刃の道具より使い慣れたモノが一番だからね』

『そう……ですね』

 ごぼり、ルナは泡を吐いて自前の杖を握り直した。
 普段では考えられないようなイレギュラーな環境下で慣れないリーダー代行である。
 傍目から見ても一目で分かるくらいにはひどく緊張している様子だった。

『ま、不安なのは分かるけど腹決めてかかるしかないからさ。今日ばかりは頑張ろうぜ』

『軽く胃が痛いですけどね……レンツォは平気なんですか?』

『不安で吐きそうだよ。だけど弱音吐いたって今回はコヨーテもミリアも助けてくれないんだぜ。バリーもチコも普段の実力の半分出せるかどうか……』

『あーもうやめやめ。やめなよ、そういう気分が沈むだけの会話ぁー』

 気づけば後方からチコがぐいぐい進んできていた。
 何気なく会話しているように見えてレンツォはしっかり周囲の索敵を済ませて移動している。
 普段ならくだらない会話を交えつつ索敵するなんて朝飯前なのだが、やはり水中だと精度が落ちるらしい。

『ルナ、杖かしてー。先っぽだけでいいから』

『え? えぇ、いいですけど……何するんです?』

 チコは杖の先端にナイフを紐で括り付けていた。
 片手でロープを掴んだままだというのにさすがの器用さである。

『ほいっと。水中じゃ何にしても振りぬくなんて無理だから、槍を扱うように突いてねー』

『ん? チコ、きみ弓はどうしたの?』

『あれもナイフくくりつけてバリーに渡しといたよー、念のためだね。レンツォもいる?』

『んー、いや僕はいらない。こいつがあるから』

 言って、レンツォは腰に括り付けていた白鞘のショートソード二振りを軽く叩く。
 宿屋でミリアの悲鳴を聞いたあの一瞬の間に彼女の得物を咄嗟に掴んで駆け出したのは、レンツォにとって大いに我褒めしたい行動だった。

『借りるだけさ』

『盗人の言い訳みたいに聞こえますよ』

『命のほうが大事だってミリアも分かってくれるって』

 何も壊れる前提で使う訳じゃなし、とレンツォは少しだけ笑った。

『これでなんちゃって戦士が一気に三名増えたよ。なんかやれる気がしてきたね』

『……限りなく不安なのですが』

『狩人が鉈持ってんのはまだしも普段クソザコヘタレな盗賊が双剣持ち出して戦うんだぜ。頼もしいだろ?』

『どうしてそれで安心できると思ったんですか』

『私はともかくー、モブキャラ同然のあんたが双剣もっててもどーしようもないよね』

『温和で心優しいシスターさんが即席槍で暴れる様なんてここでしか見られないだろうぜ』

『わー、それは超観たい。一歩引いたところから観たいなー』

『たぶんしませんっていうかできませんからね!?』

 ぎゃーぎゃー騒いでいたらレンツォの心も少しだけ軽くなった気がした。
 心なしかルナも余分な緊張が取れたような表情をしている。
 ちょっと騒ぎすぎてバリーから睨まれたが、索敵に抜かりはないから気にしない。

 それどころか、

「皆さま! 谷を抜けましたわ。この先が溺死者の祠です」

 谷は抜けた。
 もうあの心を折ってくる強烈な潮流は向かってこない。

『さぁ、モブキャラたちの反撃を始めようぜ』



 どれだけの時間が流れただろう。
 じくじくとした小さな痛みはやがて膨大な不快感と化してミリアを苛み、やがて目覚めているのか眠っているのかすら定かでない。

(く、び……に、何か……刺さって……?)

 もはや直近の記憶すら曖昧になっていた。
 ただ首元にひどく深いな何かがくっついている、という認識しかなく、ミリアは気だるげな瞳でどうにかそれを見ようとする。

(……、あ……あ、あ、……ア……)

 そこにあるのは藍色の針だった。
 正確にはその針の尻からは細長い糸のようなものが揺らめいていて、その端はずっと遠くの暗闇の中に消えている。

 しかしそのを視界に移した瞬間。ミリアの思考は爆発的に加速した。
 否。思考が、ではない。

(祈り、時間がくる、銀貨が落ちた、貼り紙を、眠る。リューンの、右へ進む、あれを、気配がある、もうひとつ、確認する、聖印の。許す。小さな音、いつもの席、走れ、はい。いいえ。福音を、煙が、司祭、においが、削る、金色の、読む、距離が――)

 種類も時系列も関係ない。
 かつてミリアが歩んできた人生そのものが、ポップコーンのように弾け、それを無理やりにツギハギにしたような、そんな映像。

(ある。ない。そ の、子供 の声。瓶の、丸 い、使  い魔。上へ、何 を。説教。チャンス   が、冷た  い。長い  橋、回れ。この 本を。   星。  注文に。    海、水。       浄化。 塩。返 す。 帰る、帰る、か   え     る、……)

「ガボッ! ……ゴホッ!!」

 頭が焼き切れそうなほどに痛みを発した。
 幸いな事に痛みがミリアを現実に引き戻し、止まっていた呼吸を再開させた。
 しばらく咳き込んでいたミリアだったが、やがて荒い呼吸を繰り返しながら、針と糸を視界に入れないように目を伏せる。

(頭が……どうにかなりそう。一体何なの……この、針のせい、なの……?)

「………………」

「また、あんたね……!」

 目の前に例の水精の脚が見える。
 もう何度目かの登場ですっかりリアクションもしなくなった――というより現状ではする気力もないのだが――ミリアは、今度ばかりは声を荒げざるを得なかった。

「高みの見物? ハッ、いいご身分ね! 説明のひとつでもしたらどうなの!」

「……、」

「こっちの身にもなりなさいよ! 私をどうしようっての!?」

「……、」

「答えてよ、!!」

 その叫びが効いたのか、水精はようやく反応らしい反応を見せた。
 目を丸くして驚いたように見えたが、すぐにそれは別の感情に塗り替わる。
 興奮冷めやらぬといったような、歓喜の表情だ。

「い、いま! 名前! 呼んだよね? あたしの!」

「……は?」

 この水精は一体何を言っているのだ。
 出会ってから終始無言で、口を開いたかと思えば呪文の詠唱で、自分の事なんて何一つ話そうとしないメロアの名前なんて知る由もない。

「――う、ううん、いいの。いいんです。気にしないで。ちゃんと聞こえたし。ね、アウディトゥア?」

「ア、アウディ……トゥ……? 待ってよ私はそんな名前じゃない。まさか人違いとか言うんじゃ――!」

「あ……まだダメか」

 メロアはあからさまにがっくりと肩を落とした。
 再びミリア向き合ったメロアはさっきまでの歓喜や落胆の表情をすべて掻き消して、強い感情が籠った双眸でミリアを貫く。

「いいえ。人違いじゃありません。でも……ごめんなさい」

 メロアが踵を返す。
 それはもう何度も見てきた、彼女がこの場を去る時に用いる振る舞いだ。

「待ちなさい! 説明もせず逃げるなんて卑怯よ!」

 すぐにでも後を追いたかったが、意識がはっきりしたところで身体の自由は未だにメロアに握られている。
 何もかもが思い通りにいかない状況にミリアは苛立っていたが、ここで暴れても状況が好転する事はなさそうだ。
 熱された頭をどうにか冷やし、努めて冷静に気持ちを入れ替える。

(……好きにはさせないわ。あの人がああ言っていようが、人違いの可能性もあるみたいだし)

 もし人違いだったらと考えるとまた暴れだしたくなったが、その考えは遠くへ放り捨てる事にした。

(こんな時、バリーだったらどうするのかしら。動けない今、出来る事と言ったら考える事だけ……しっかりしなさいよミリア・アドラーク・グラインハイド!!)


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周摩

Author:周摩
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